2019年3月3日日曜日

もっと学校を元気に

引き続き、教師の働き方について考えている。

先月は、学校現場が、勇気を持って声を上げようという提案をした☆1。今でも、その考えは変わっていない。やはり、変革のエネルギーは、学校から生まれると信じている。

一方で、学校の努力だけではどうにもならない状況も生まれてきているようだ。

その一つが、若者の教員離れだ。小学校教員採用試験の競争率は、ピークの2000年度試験では12.5倍だったが、2017年度は3.5倍にまで下がっている。文部科学省「公立学校教員採用選考試験の実施状況について」によると、2019年度の小学校教員の競争倍率が1.2倍になった県もある。もはや「狭き門」とは言えない。

舞田敏彦氏は、これらの結果を受けて、「日本は優秀な人材を教員に引き寄せるのに成功してきた。労働条件や待遇が良くないにもかかわらずだ。個々の教員の熱意ややりがい感情に寄りかかっているわけだが、こういう虫のいいやり方も綻びを見せ始めてきた。教員の専門職性を明確にし、働き方改革を断行しなければ、他国と同様、優秀な人材は他の専門職に流れてしまうだろう。」と述べている☆2。熱意と使命感を持った優秀な人材が教職を目指さなくなったとすれば、これは実に深刻な事態だ。

これからの時代を担う若者たちが、ぜひ教壇に立ちたいと思えるようになるために、私たちにできることはないだろうか。働き方改革や採用試験改革を待たずに、私たちが、学校にいてできることだ。

私たちが、元気に、生き生きと働く姿を見せることがまず第一だろう。深刻そうで、ストレスフルな表情の先生ばかりの学校に魅力は感じないはずだ。次のようなことも必要になるかもしれない。

ー教職の良さや学校の素晴らしさなどを広く伝える場面づくり(ネット上だけではなく、直接語り合う機会など)

ー教師の「元気」を支える専門的支援
(教師対象のコーチングの確立、職場でのマインドフルネス実践など)

また、保護者や地域の人たちが、もっと学校を激励し、応援したいと思うようになってもらうことも大切だろう。学校や教師の応援団やファンになってもらうのだ。学校や教師だけでできないことはたくさんある。抱え込みすぎないことだ。

ー子どもたちの教育に、親や地域が、学校と一緒に関わる、携わる、歩んでいくような取り組み(例えば、ジェイムス・バポット(2002)『ペアレント・プロジェクトー学校と家庭を結ぶ新たなアプローチ』新評論 のような取り組み)。

ーもっと多くの人が学ぶことのよろこびを実感できる社会づくり(生涯学習を通じた学ぶことの再発見など)


サッカーにグリーン・カードというのがあるのをご存知だろうか。通常の大人のサッカーでは、ルール違反に対して、イエロー・カードやレッド・カードを提示して処罰をすることは良く知られている。いわゆる減点法によって、正しい行動を引き出そうとするものだ。グリーン・カードは、主に幼年層のプレーヤーの試合で使用するもので、主審はフェア・プレー精神や競技者同士の助け合いなどの行動を褒め、奨励することを目的として、提示する。負傷選手への(思いやり)対応、規則準拠に対する自己申告、問題行動への抑止行動、チームに対する試合への取り組みなどが評価される。

私たちも、もっと学校にグリーン・カードを出してもいいのかもしれないと思う。ポジティブなマインドの循環が学校の周辺に必要な気がしてならない。


☆1 PLC便り 2019/2/17,「教師の働き方改革 - 現状を当然と思わずに学校現場が声をあげよう」https://projectbetterschool.blogspot.com/2019/02/blog-post_17.html

☆2 舞田敏彦「優秀な若者を教職に引き寄せてきた日本で、とうとう始まった「教員離れ」」https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/02/post-11650.php

2019年2月24日日曜日

地域と連携する総合学習

総合学習(わが国では「総合的な学習の時間」が正式な名称ですが、ここでは「総合学習」と表記します)は学力低下の要因の一つではないかと言われた時期がありましたが、決してそのようなものではないはずです。「Learning  by  Doing 」という学びの原則からすれば、現実世界の中から学び、切実感のあるテーマのもとに学習することは「学び」を生涯学習という長いスパンで考えたとき、とても大切な学習です。
学習指導要領の改訂で、次々と新しい課題に挑戦せざるを得ない学校にとっては、もう総合学習など今まで通りでいいというのが偽らざる本音ではないでしょうか。
しかし、今一度考えてほしいと思います。
今次改訂の中心である「主体的・対話的で深い学び」を最もよく展開可能な「総合的な学習の時間」に光を当てることを。

どの地域にもその地域固有の課題があり、それは学校ごとにすべて異なるものです。したがって、研究発表会に参加して他校の実践を知ることはできても、自校の進め方に関する正解を手に入れることはできません。その学校独自の解はやはりその学校の職員が手に入れるしかありません。かつて私が勤務したある中学校は自然豊かな地域で、自然保護活動に熱心な住民が多い地域でした。

学校の近くを流れる川に生息する魚や微生物を生徒が自分自身の目で見るという体験は、その後の学校での環境保護活動にもつながる貴重な体験でした。そのとき、校外での活動中にボランティア大学生や地域の専門家の方々との会話やインタビュー活動を通じて、生徒たちはコミュニケーションを深め、大人と話をするなかで、コミュニケーション能力も高めることができました。また、このときに一緒に活動してくれた大学生がその後、学校の授業での学習支援ボランティアになってくれたこともこのときの出会いの大きな成果でした。

それまでのその学校の総合学習は、学び方の「スキルを学ぶ」と称して、架空の相手に手紙を書く授業をしてみるなど、およそ切実感のない(教師が与えた)教材をこなすだけのつまらない時間だったのです。当時、『効果10倍の教える技術』(吉田新一郎・PHP新書/2006年)を読み、早速その授業の「イノベーション」に取り掛かりました。しかし、一人では何もできません。そのとき考えたことは、自分のもっているネットワークを使って、多くの人に協力してもらうことでした。地域の自然保護団体の役員やPTA役員、大学関係者など、「やれることは何でもやる」の精神でした。
その結果、上記のように多くの人たちの協力により、その学校ではかつてなかったような校外での学習活動が実現したのです。後から考えれば、足りない点や反省すべき点はいくつもありましたが、多くの人の協力で新しいことが成し遂げられたということが大きな一歩だと思いました。

まず、最初の一歩を踏み出す勇気をもつこと、これこそが後に続く仲間をつくり、子供たちの笑顔を引き出す最大の秘訣であると思います。コンプライアンス(従順であること)だけを求めていては子供たちを伸ばす教育はできません。最低限のコンプライアンスを踏まえつつ、時には大胆に子供たちをエンパワーしていけば、教師も子供も夢中になって取り組める教育活動が展開できるはずです。




2019年2月17日日曜日

教師の働き方改革 - 現状を当然と思わずに学校現場が声をあげよう

先日、ある中学校の校長と話していて、学校の働き方改革の話題になった。

その学校では、試験的に導入されたタイム・レコーダーを使っているらしい。「そんな形式的に勤務時間をカウントして何になるんだろう。」と疑問を呈していた。その校長は、「勤務時間も顧みず、土日も部活で頑張る。それが中学校教員だ。」と考えるタイプの人だ。部活に外部指導者も導入しているらしいが、保護者との間でトラブルが発生し、教員がその対応で追われて、大変だったらしい。「やはり、子どもたちの安全や成長を考えると、教員が部活の指導をやらざるを得ない。」と力説していた。

「しかし、本質はそのようなところにはない。圧倒的にマンパワーが足りない。学校現場の現実をつぶさに見ずに、形式的な働き方改革をやっても何の意味もない。」この点では、大いに同意した。忙しい時期の勤務時間を増やす代わりに、業務に余裕がある時期、例えば8月にまとまった休みを設ける「変形労働時間制」なども検討されているようだが、これなどは形式的な働き方改革の典型だろう。労働時間を平準化して解決する問題ではない。

2016年の「教員勤務実態調査」(文部科学省)によると、小学校教員の33.5%、中学校教員の57.7%が週60時間以上勤務、つまり月80時間以上の時間外労働をしているらしい。これは、明らかに過労死ラインを超える数値だ。学校の多忙化が深刻になっている要因として、以下の3つが挙げられることが多い☆:

1)子どもたちのためになるから(学校にあふれる善意)
2)前からやっていることだから(伝統、前例の重み)
3)とても少ない教職員数のなかで頑張っている

これらは、仕事の生産性や能率を上げたり、法律で規制したりすることで解決する問題だろうか。むしろ、どのような学校でありたいかというビジョンの問題であるように思える。子どもたちにとって何が大切なのか?優先順位が高いものは何か?捨てられるものはないか?といったことだ。

硬直化した教員定数の見直しや勤務時間の適正な運用など、行政にできることはたくさんあるし、進めてもらいたい。しかし、今すぐにでも、学校ができることはたくさんあるはずだ。国や自治体から新しいルールが「下りて」くる前に、勇気をもって学校に立ち上がって欲しいと思う。子どもたちの学びを向上させることが学校に与えられた使命。その本質に戻って、自ら働き方を変えませんか。学校が、子どもたちにーそして、先生にとってー、楽しく、生き生き学び、クリエイティブで、夢を描き、自分らしくいられる場所であるために。

「初めて自分の役割を見つけた気がした。会社から与えられた役割ではなく、自分の意志で選びとった本当に役割にハマることで、これほど熱い気持ちになれるとは思わなかった。」                   原宏一(2009)『トイレのポツポツ』集英社,p.189



☆妹尾昌俊「教育界でも「働き方改革」が問われた2017年―なぜ、日本の先生は忙しいのか?」
https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi/20171228-00079786/


2019年2月9日土曜日

算数・数学がキライな人にすすめたい「考える楽しさ」をあじわえる1冊



学生時代、算数・数学のもつおもしろさを教えてもらえなかった。挫折した。今こそ、考えるおもしろさとその魅力とりかえしましょう。苦手だなって思う人にほど、読んでほしい1冊がこの『教科書では学べない数学的思考: 「ウーン!」と「アハ!」から学ぶ』です。もちろん、算数・数学教育にかかわる全ての人にも!

この本の特徴は、これまでのように読んで数学的思考の知識を増やす本ではなく、実際に紹介されている問題を試行錯誤し解こうとすることで、数学的に考えるとはどういうことなのかを実感し、考えることができる本です。




著者は数学的思考とは、「私たちが対処することのできるアイディアの複雑性を広げ、そして理解を押し広げてくれるダイナミックなプロセス」と教えてくれます。さらに、「だれもが数学的に考えられる」というメッセージには大変、勇気づけられます。

この本は考えて理解するための問題が紹介されています。著者が繰り返し述べているように「まだ試していないなら、いま試してみてください」、ページをめくれば何度もしつこく「試してみましたか?」と先に読み進めようと思考の節約をする読者を挑発してきます。

かくいう私自身も最初は手軽に情報収集をしようと読んでしまい、全く歯が立ちませんでした。しかし、次に紹介する問題をじっくりと解いてみることで、数学的に考える楽しさや解ける面白さに加え、解けない楽しさも味わえることができたのです。
数ある骨太の問題の中から、おすすめの問題を一つ紹介します。



私はこの問題を解くことを通して、
① 数学的思考はプロセス
② 数学的思考はたった二つ
③ 数学的思考はとても情的なもの
この3つを体感することができました。ぜひ、この問題に挑戦してみてください。特に算数数学に苦しんできた人ほど、その数学イメージが刷新されるはずです。★



① 数学的思考はプロセスである。

数学的思考とは、「帰納的思考」や「演繹的思考」、「類推的思考」といった難しそうな思考方法だけでは決してなく、考える作業をまるごと体験するそのプロセスにあります。
一般的に授業では学習者にわかりやすいように、きまり探しをする場面の授業(帰納)、説明する場面の授業(演繹)といったように部分、部分で切り分けて授業展開されていきます。学習者にわかりやすく細切れに練習をすればするほど、数学的思考は一連の思考のプロセスであることがみえにくくなってしまいます。そこでは教科書の内容はカバーできる一方で、数学的思考の本質である「問題を入り口から最後まで解いてみる」「悩みながらも考え続けながら解こうとする」「解けた、または解けなかったプロセスそのものを振り返る」といった考え方を身につけることができません。

実際の問題解決場面では、自分できまりやパターンを見つけようと予想もするし、根拠を持って説明もします。解けないときには、これまで解いたことのあった似ている問題を探したりもします。問題を入り口から振り返りまでやってみること、そのプロセスこそが数学的思考でした。



② 数学的思考はたった二つでなりたってしまうこと。

これまでの数学的に考える方法には、帰納、演繹、類推だけにとどまらず、その思考方法はざっと数えただけで20以上もありました。★★これでは、携帯電話の決して使われることのない細かい機能のようなものです!多すぎて一体どの問題解決の場面で何を使っていいのか学習者には手に負えませんし、使いこなせる人はごくわずかな数学マニアだけでしょうか。

本書が示す数学的思考とは、シンプルな二つだけで成り立ってしまいます。「特殊化」とよばれるいろいろ試してみることと、「一般化」とよばれる筋道立てて説明をする、この二つの繰り返しで数学的思考を働かせて問題を解いていきます。

難しい帰納、演繹などの専門用語に頼らずとも、上で紹介した「ご婦人たちの昼食会」では絵に表して問題を解こうといろいろ試してみて(特殊化)予想をし、説明したり確かめてみる(一般化)といったプロセスの中で、問題解決し、どこが解けたっかけなのかを振り返りつつ、他の問題へも広げていく、そういった数学的思考を働かせることができてしまうことを教えてくれました。★★★



③ 数学的思考は感情的なもの。

算数・数学ギライの多くの人々が持つそのイメージには、論理的であるがゆえに直線的で、感情抜きの機械的な冷たいものがあるのではないでしょうか。実際に私たちが問題に取り組んでいるときは、「解けそう!」といった自信や、難しくて「うーん、これもう無理だ」といった気持ちに大きく左右されてしまうものです。

これまでの算数・数学の本では、あまり触れられてこなかったその心情面にも焦点を当て、分からないときの「ウーン」や、なにかひらめいたときの「アハ!」と添え書き(メモ)してしまうことで、自分の思考そのものさえも、解法のヒントとして活用することができてしまいます。さらには、自分の思考を一歩ふりかえりながら問題を解いていく、メタ認知の練習にもなっています。

上の「ご婦人たちの昼食会」問題でいえば、自分が今つまずいていることに気づくことがわかるようになり、冷静にそこまで取り組んだ解法を整理して、なにかひらめくことはないか冷静になることができました。

この本の数学的思考とは、弱音や喜びといった情的で人間的なものも受け止めて、解法にいかしていける。そんな、心の通ったものでした。




さて、これを読んでいるみなさんは、紹介した問題を挑戦してみましたか?やってみることで、より多くのことを学べるとはずです。「まだ試していないなら、いますぐ試してみてください」ね。

★この問題で求められている数学的思考ことはどんなことなのかは本書に譲ります。ぜひ、手にとってご覧ください。

★★日本では数学的思考の共通した定義づけはまたありませんが、数学的な考え方として教育課程部会の算数・数学ワーキンググループで参照にされていたのは片桐重男氏の数学的な考え方でした。それは約20以上の考え方があり、数学的思考を分類し特定することに意味はありましたが、多すぎるために、使いこなせるものとしては学習者に負荷が高すぎます。

教育課程部会 算数・数学ワーキンググループ(第3回)資料 P18
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/073/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/02/19/1367186_12.pdf

★★★なぜ、日本では人気の帰納・演繹といった言葉を使わないのか訳者の吉田新一郎さんから著者にメールをしてもらいました。すると、著者のケイ・ステイスィーさんは、「証明が十分に演繹なとき、思考錯誤の段階で、全ての思考プロセスが要求されています。そこでは演繹、帰納、類推、そして私が知らない他の考え方ももちろんのこと」とありました。つまり、どうしてそれが正しいのかを証明し、説明しようとするプロセスで、演繹、帰納などの推論がすでにおこなわれているからでした。また欧米では、証明には「mathematical induction(数学的帰納法)」と呼ばれる演繹的数学テクニックもあり、言葉の混同してしまうことをさけるためでもあったようです。

2019年2月3日日曜日

新刊案内 『教科書では学べない数学的思考 ~「ウ〜ン!」と「アハ!」から学ぶ』


著者たちは、この本を誰もが数学的に考えることはできる」「数学的思考は、あなた自身と世界を理解する助けになる」★という考えのもとに書きました。

 この本の下訳を読んで、新評論ですでに刊行した『作家の時間』と『読書家の時間』の算数・数学版として「数学者の時間」を実践している先生たちが、本の魅力を語ってくれたので紹介します。

算数・数学は解いたら終わり、解けないとだめ、という理解から解放してくれたこと。これはすべての数学嫌いの人に声を大にして言いたいです。(仮にもし数学に手触りがあるとしたら、私にとっては冷え切った金属みたいなものでしたが、そこに感情が入る余地がでてきたことによって急に温度が感じられるようになったのです。)

今まで答えが一つだと思っていた算数・数学の概念を変えてくれた。教科書通りの授業をしていては身につかないような/考えもしないようなことを考えることの面白さ。これまでバラバラで学習していたことを、問題解決のサイクルとして回し続けられる!

③数学的思考を身につけるための良問にたくさん出会える。

④問題を自分で解くこと、その後、筆者の思考過程が書いてあることで、わかりやすく数学的思考を追体験することができる。「なるほど頭ってこんなふうに使うんだな!」と教えてくれる。そもそも数学的に思考するとはどういうことかを示してくれている本は、他にないと思います。

⑤数学問題だけではなく、生活の中の問題そのものに使えるものとなっている。「特殊化」と「一般化」というシンプルさ。深く追求していくために、メタ認知を発達させながら、自分を疑ったり、根拠をもって説明したり。問題解決のサイクルを回し続けることで、数学的な概念(構造)を身につけられるよさと、転移して実生活問題へも適用できるよさがある。

 ということで、この本を参考にしながら、「数学者の時間」のメンバーは確実に数学的思考を身につけられる算数を実現すべく日本版の実践と執筆に努力していますので、ご期待ください。
その前に、もっとも参考にしている本書をお読みになりたい方への割引情報です。

◆ 割引情報
1冊(書店およびネット価格)2592円のところ、
PLC便り割引だと      1冊=2200円(送料・税込み)です。
5冊以上の注文は     1冊=1900円(送料・税込み)です。

ご希望の方は、①冊数、②名前、③住所(〒)、④電話番号を 
pro.workshop@gmail.com  にお知らせください。

※ なお、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが出ることがありますので、予めご理解ください。

★ 目的は何か? 方法は何か?
 教育活動(や本の執筆)をするなら本来当たり前に問われるはずの問いが、問われていない場面が多すぎます! その結果は、身につかない(ほとんど苦役になってしまう)時間ばかりを過ごすことになります。
 まさに、私の算数・数学の授業などはその典型でした。13年間も学んで活かせるものとして残っているのは微々たるものです。(国語はもちろん、主要教科はまったく同じ状況です! それは、「正解あてっこゲーム」をしていることが原因だと思います。)この本を読んだら、「あれだけの時間を返してください」と言いたくなってしまします。
 本書は、上記の「誰もが数学的に考えることはできる」と「数学的思考は、あなた自身と世界を理解する助けになる」を目的とすると、「数学的思考は、振り返りを伴った練習によって上達する」「数学的思考は、矛盾や緊張や驚きによって刺激される」「数学的思考は、質問すること、チャレンジすること、振り返ることが大事にされる環境によってサポートされる」を方法(ないし手段)として位置づけ、それらが確実にできるように繰り返し繰り返し練習できるように構成されています。(これとまさに同じことは、他の教科ではもちろん、あらゆる教育改善のテーマや領域でできると思いますし、そうしない限りは授業や学校はよくならないとさえ思います!)
 このテーマ「目的は何か? 方法は何か?」には折に触れて戻ってきたいと思います。日本の教育実践がよくならない最大の原因のような気がするからです。(たとえば、教員研修などは、目的がどこかに飛んでしまって方法(それも、極めて効果的ではない方法!)だけが存在しますから、授業等の実践が変わるはずはありません。)


2019年1月27日日曜日

責任の移行モデルを活用する

教員の働き方改革が度々話題になります。
中学校では特に部活動指導が長時間労働の大きな要因として取り上げられるのですが、なかなか根本的な対策は難しい現状があります。ある県では、部活動指導の指導員を中学校に配置する事業を来年度予算で計上したという記事が新聞に掲載されました。しかし、その数は、微々たるもので、とても現在の問題解決には程遠いものです。
以前、『「学びの責任」は誰にあるのか』(吉田新一郎訳、新評論)を紹介しましたが、この考え方は部活動指導にも使えるのではないかと思います。また、それだけでなく生徒を人として育てるという視点からも有効なやり方だと考えます。

 この本で紹介されている「責任の移行モデル」は読みの指導の分野で有名なピアソンらによって開発された手法ですが、子供を「教師に教えてもらう存在」から「自立した学び手」に変えていくという点において、他の分野でも有効なことが示されています。

 この本の中で紹介されている「責任の移行モデル」の4段階はとても大切であるにもかかわらず、これまではそれぞれが有機的につながっていませんでした。
 その4段階とは次のことです。

①教師が焦点を絞った講義をしたり、見本を示したりする。(焦点を絞った指導)
②教師がサポートしながら生徒たちは練習する。(教師がガイドする指導)
③生徒たちが協力しながら問題解決や話し合いをする。(協働学習)
④生徒は個別に自分が分かっていることやできることを示す。(個別学習)

この4つの段階がつながって行われれば、先ほどの「主体的、対話的で深い学び」が自ずと実現するものと思います。①の教師による講義もこれまでは、ほとんどこれが授業の中心という状況でしたが、肝心の内容が焦点化されていないことが問題でした。しかも、自分たちとは全くかかわりのないような話を突然持ち出されて、「はい、これを覚えましょう」では興味が湧くはずもありません。また、②から④に進むにつれて、子供たちが担う責任を徐々に重いものにしていくというのは、実に理にかなった話です。これまでは①②がなくて、③④に取り掛かるというようなことが当たり前に行われていたように思います。それではうまくいかないのは当然です。

この本にはまだまだたくさん学べることがありますが、部活動指導についても応用可能であると思います。特に、若い先生方には、グループワークに関係するところは、とても参考になります。教師がすべて指導し、生徒はそれに従うだけという従来の部活動の在り方から、責任の比重を生徒に徐々に移行していく「責任の移行モデル」は生徒の主体的な活動を促し、生徒一人一人の自立を目指すという教育本来の目標の実現につながるものだと思います。
児童生徒は教師の言うことに従っていればよい存在だという捉え方で生徒指導をしている教師は今でも少なからずいるでしょう。部活動の指導で体罰がなくならないことからもそれが裏付けられています。もういい加減、この教育界というか、世界の大きな潮流に気づいてもいいのではないでしょうか。「感性」という言葉がありますが、この感性の鈍い教師が一番困った存在です。
授業も部活動指導も同じ学校内の教育活動なのですからこの「責任の移行モデル」でやればうまくいくことは間違いありません。あと必要なものは、その一歩を踏み出す勇気だけです。

2019年1月20日日曜日

新刊紹介『オープニングマインド』


 本書は、「間違いは誰もがおかし、それを改めることで、学んでいけばいい」という強い思いに貫かれている本です。

下訳段階の原稿を読んでくれた協力者の一人は、この本のキーワードとして次の3つを挙げてくれました。

●「公正な社会」「公正な教育」
 「最も印象的な内容は、第9章での『公正な社会』『公正な教育』についてです。同時に、日本の教育で見事に欠落している視点であることに、自分自身や日本の学校の状況に照らして納得しました。とりわけ小学校現場では、真に社会とのつながりを考えた実践が少ないのではないでしょうか。そこが欠けているから、『学校/授業ごっこ』や『正解当てっこゲーム』になるのだと改めて思いました。そして、このような現状を引き起こしている要因の一つに、教師自身が、社会とつながっていない/自立していないことがあるのではないかと。(以下省略)」
「公正な教育」を実現するための具体的な方法を、著者自身紹介してくれていますが、ここでは2つだけを引用しておきます。(123ページ)
・教室に存在する教師(教え手)は大人だけではない、という事実を真剣に捉えるべきである。
・意味をつくり出すことはいいことだが、意味のあることを行うのはさらにいい。

●「ダイナミック・マインドセット」と「固定マインドセット」
 「ダイナミック・マインドセットと固定マインドセットの捉え方、およびそれらの影響について興味を持ちました。教師が、ダイナミック・マインドセットの効果(あるいは、固定マインドセットの悪影響)について理解していること、そもそも教師自身がダイナミック・マインドセットの持ち主であることで、当然、教師の質問の質が変わり、子どもたちとのやり取りや関わりの中で、不確実性・探究・主体性・継続(的な対話)といったものを提供することができると思いました。管理職と教職員の間でも同様だと感じ、ぜひ、実践していきたいです。」
 この二つのマインドセットは、元々はキャロル・デゥエックによって『マインドセット「やればできる! 」の研究』(今西康子訳、草思社)の中で提示された考え方です。その本よりも、本書の第2~第5章で説明されている方が学校の先生たちにははるかに分かりやすいと思ったのが、本書を訳そうと思った大きな理由の一つでした。その中には、ダイナミック・マインドセットと固定マインドセットを比較しているいくつかの表も含まれます。(2つのマインドセットを別な言葉でいうと、前者は「主体性」や「チェレンジ」、後者は「無力感」と「思考停止」になります。)
 それではいったいどうしたら教室や社会に充満している固定マインドセットをダイナミック・マインドセットに転換できるのでしょうか? 本書は、その点に焦点を当てて書かれています。

●「社会的想像力」
 「社会的想像力は、私に様々なことを考えるきっかけをくれました。学びは、根本的に社会的な営みであること。基本的なレベルで、生徒が助けを得られなかったり、活動に協力して取り組めなかったりすると、学びが得られない可能性があること。社会的な成長が、知的、感情的、肉体的な健康の基礎になっていること、などです。」
 著者は、「カリキュラムを開発する人々は、これらの異なる成長の要素をバラバラなものとして扱っているだけでなく、子どもたちを人間ではないと捉えることで、本来切り離すことのできない一体性を無視してしまっているのです」(67ページ)というふうに、現在学校教育で行われている方法を痛烈に批判する形で、第6章は始めています。
 そして著者は、社会的想像力の二つの特徴として、日本人が得意な(?)「場の空気を読む力」ではなく、「人の心を読む力」と、「学業面での成果がより認識しやすい領域のものです。それは、人の行動、意図、感情、考えなどを多様な視点からイメージできたり、判断できたりする力」(71ページ)を挙げています。
 学業面だけでなく、人間関係、道徳、自己調整力、問題解決能力の形成など様々な面で、極めて重要であるにも関わらず、「学校教育のなかで社会的想像力を考えることはほとんどありません。しかしながら、社会的想像力は市民社会の基盤となっているものです。それこそが、人間関係が機能するか否かを決定づけ、法や政治的な判断の基礎となっているのです」(72ページ)。

 上記の3つ以外にも、紹介したい内容は盛りだくさんです。
 ピーター・ジョンストン氏の前著の『言葉を選ぶ、授業が変わる!』(ミネルヴァ書房)もいいですが、この続編はそれと同じか、さらにグレードアップされた内容になっていますので、新任、ベテラン、管理職、すべての教科、学年、学生、指導主事、保護者など、教育にかかわる人や、「公正な社会」「熱中できる生活」「意味のある生活」「主体者意識」をつくり出したいと思っている人すべてのための本です。

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