2017年10月29日日曜日

特別支援の教え方を


108日のこのブログで「特別支援の教え方をすべての教室に」が掲載されましたが、その話についてコメントしたいと思います。

以下のような記述がありました。

「一般級の教室をさっと見ただけで、45分間意味を見いだせない学習に耐えきれない子どもや、大人数の教室環境に耐えきれない子どもは少なからず存在することが分かります。そして、しっかり見ないと気づけない注意力に課題のある子や、学習に偏りのある子など、教室は特別支援級と同じぐらい多様な子がひしめき合っています。子どもの多様性という点において、一般級と特別支援級の違いはほぼなくなってきているように思えます。特別支援級であれほど個に応じた学習が工夫されているのに、壁をひとつ挟んだ隣の教室では、いまだに個人よりも学習内容の方が大切にされる学習が行われていることが不思議でなりません。一般級から特別支援級、特別支援級から一般級へと、異動は少なからず行われているのにも関わらず、個に応じた学習は特別支援教育特有のものであるという認識からか、個に応じた学習が一般級で大切にされることは少ないように思います。」

     まさに、学校現場はそのとおりです。
 

数年前の文部科学省調査で、発達障害の可能性のある小中学生が6.5%に上ることが分かっています。推計で約60万人に上り、40人学級で1クラスにつき2、3人の割合になるわけです。こうした子供たちは学習を進めていく上で、困難を抱えることが多く、通常学級では担任の配慮がなければ教科の学習でつまずくことになります。



さすがに、文部科学省も事態を看過できず、今回の学習指導要領の改訂で、各教科の解説書の中で、やっといくらか踏み込んだ記述をしています。
 (『小学校学習指導要領解説・理科編』平成296月文部科学省より)
     
 第4章指導計画の作成と内容の取扱い

1指導計画作成上の配慮事項

(3) 障害のある児童への指導

(3) 障害のある児童などについては,学習活動を行う場合に生じる困難さに応じた指導内容や指導方法の工夫を計画的,組織的に行うこと。

 通常の学級においても,発達障害を含む障害のある児童が在籍している可能性があることを前提に,全ての教科等において,一人一人の教育的ニーズに応じたきめ細かな指導や支援ができるよう,障害種別の指導の工夫のみならず,各教科等の学びの過程において考えられる困難さに対する指導の工夫の意図,手立てを明確にすることが重要である。 
~途中省略~



例えば,理科における配慮として,実験を行う活動において,実験の手順や方法を理解することが困難であったり,見通しがもてなかったりして,学習活動に参加することが難しい場合には,学習の見通しがもてるよう,実験の目的を明示したり,実験の手順や方法を視覚的に表したプリント等を掲示したり,配付したりするなどが考えられる。また,燃焼実験のように危険を伴う学習活動において,危険に気付きにくい場合には,教師が確実に様子を把握できる場所で活動できるようにするなどの配慮が考えられる。さらには,自然の事物・現象を観察する活動において,時間をかけて観察をすることが難しい場合には,観察するポイントを示したり,ICT教材を活用したりするなどの配慮が考えられる。

なお,学校においては,こうした点を踏まえ,個別の指導計画を作成し,必要な配慮を記載し,翌年度の担任等に引き継ぐことなどが必要である。

 
まさに「一人ひとりをいかす教室」づくりが大切であると文科省も言っているわけです。

特別支援教育で行っている様々な指導上の配慮が当然、通常級でも求められる、というか今後そうしなければ学習でつまずく子供たちがますます増えていくことになります。

 
大学での教員養成の段階から、こうした特別な支援の必要な子供たちへの指導のあり方についてしっかり学んでいく時期に来ているのだと思います。また、もし残念ながらそのような内容を学ばずに学校で教師として働くようになった人たちも、今はいくらでもそのような情報を入手して、自分で学ぶことが可能です。「学び続ける教師」でありたいものです。

2017年10月22日日曜日

「宿題」問題


宿題のテーマでの続編です。
に夏休みの宿題について扱ったのですが、あまり関心をもたれませんでした。時期的に過去形だったからでしょうか?(なので、再度の挑戦です!!)

いま訳している本★の中に宿題に関して「教育のテーマの中で、宿題ほど議論が多いテーマはないかもしれません」と書いてありました。
プラスとマイナス面は、いろいろあると。「ありすぎる」と言った方が正しいです。

実態はほとんど変わらないので、日本でも議論する必要があるはずなのに、波風を立てない文化なので(?)★★、上記の夏休みの宿題で紹介したように産業化(アウトソーシング)してしまうわけです。GNPを上げる仕組みとしてはいいかもしれませんが、それによって私たちはいったい何をうみ出しているのでしょうか? 子どもたちに何を提供しているのでしょうか?

この本の中では、宿題への対処の仕方として4種類の生徒(その後ろにいる親も含む?)に分類しています(訳書の194ページ)。
  やり遂げる子 ~ 親や年上の兄弟姉妹が必要な足場を提供することで、つつがなく宿題をやってのける。
  無視する子 ~ (あなたが理解不能な)何らかの理由で、宿題をしない。
  教師を喜ばせようとする子 ~ 本当はどうしていいのか分からなかったり、たくさんの間違いを犯したりしても、教師を満足させるために宿題を一人でがんばってやる。
  カンニングをする子 ~ 他の子の宿題を写してごまかす。

これだけの多様な宿題へのアプローチの結果、教師がつかまらされるデータについて考えてみてください。(それとも、そもそも日本では、宿題と授業が関連していないことが問題でしょうか?)

本はさらに、宿題を4つのタイプに分けています(訳書の196~197ページ)。
・流暢さを高める宿題 ~ 生徒にすでに知っているスキルの練習をさせるのが目的
・繰り返し(らせん状的に)振り返る宿題 ~ 新しいスキルや概念を学ぶ際に必要な、すでに背景知識となっているものを呼び起こすのが目的
・応用するための宿題 ~ 新しく学んだスキルを異なる状況に応用する機会を提供するのが目的
・拡張/発展するための宿題 ~ 2つか3つの教科で学んだ知識を深めたり、統合したりするのが目的

そして、「応用するための宿題」と「拡張するための宿題」のみが、責任の移行モデル★の中では、真の意味で「個別学習」と言えると言い切っています。(言い換えると、上の2つは宿題としてやらせるのではなく、教室の中で「協働学習」ないし「教師がガイドする指導」の形で行われるべき、と提案しています! 訳書の197ページ)
本の中では、この後、効果的な宿題をつくる際に役立つ質問の例が紹介されています(訳書の199ページ)。

ということで、宿題もいろいろあり、もっと考えたうえで出さないと、学びをサポートすることにはならない、ということです。夏休みの宿題はもちろんですが、日々の宿題についてもぜひ再考をお願いします。(ちなみに、宿題は親抜きで考えること自体、おかしいようです。宿題をしたか否かの監視役を務めさせては、親子関係を傷つけたりするだけですから。)


★ すでに、「責任の移行モデル」は『「読む力」はこうしてつける』の66~68ページで紹介しましたが、その方法があまりにもいいので(65~66ページで紹介されている「ナチュラル・ラーニング(自然学習)モデル」は、もっといい!!)、なんとか紹介できないか、とずっと思っていました。それが、単に読みの教え方だけではなくて、すべての教科、すべての対象を扱った教え方としても使える、という形で紹介されている本があったので、紹介することにしました。11月中旬にはダグラス・フィッシャー&ナンシー・フレイ著『「学びの責任」は誰にあるのか? ~ 「責任の移行モデル」で授業も研修も変わる』新評論として出版予定です。
  この本の中では、教師から生徒への学びの責任の移行は「焦点を絞った教師の指導」「教師がガイドする指導」「協働学習」「個別学習」の4つで構成されています。
  焦点を絞った教師の指導は、ミニ・レッスンです。
  宿題は、個別学習の一つの方法です。
  http://wwletter.blogspot.jp/2017/08/blog-post_11.html ~ 読むときは、個別学習の中心は、一人読みになります。日本では、これが見事なぐらいに国語の時間で無視されています。(ということは、自立した読み手を育てることは目的にしていないことを意味してしまいます!)その代わり、日本の国語で(および他の教科でも)行われているのは、「焦点が絞られない教師の指導」ばかりです。最近は、協働学習も増えているでしょうか?
  この本を読んで、バランスのいい指導を実現してください! 子どもたちも、研修等の受講者も、それを求めています。

★★ 私も、宿題が欧米の教育界では注目の話題であることは、ほんの2~3年前までは知りませんでした。如何せん、日本では議論にさえあがりませんから。あって当然な存在で、それに異論を挟む余地などあろうはずがない、という空気が充満しています。しかし、その中身や量に関しては、いろいろ考える余地は多いのではないかと思います。誰もが思考停止状態でそれをやり続けているのですから。それとも意図的に行われているでしょうか?


2017年10月14日土曜日

学びの可能性をひらく授業づくり


先月末のブログには、「教科の本質を追究する授業づくりとは」を書かせてもらいました。

 今回はこれに関連する本を紹介したいと思います。
     

 最近発売された『PBL 学びの可能性をひらく授業づくり』(伊藤通子・定村誠・吉田新一郎訳/北大路書房)です。

 PBLとはProblem Based Learningの略称で、「現実的な問題に基づく学習」とよばれるものです。同じPBLでも、Project Based Leaningもありますが、今回取り上げるのはProblem Based Learningです。

 このPBLの定義は、同書によると次の通りです。(同書p.18)
 
複雑な現実の問題に対する探究とその解決を中心に据えて集中して取り組む、体験的な(身も心も使った)学びです。PBLは、カリキュラム編成と指導法という補い合う二つのプロセスからなり、次の三つの大きな特徴をもっています。




・学習者は、問題をはらむ状況の中で、利害関係者として問題を解決する。
   
・教師は、学習者が自分と問題のつながりを感じながら学べるように、適切な方法を用い 
 て包括的な問題を中心に据えてカリキュラムを編成する。
   
・教師は、学びの環境を整え、学習者の思考をコーチし、探究活動をガイドして、深い理
 解へと促す。
   
先月のブログで紹介したワシントン州ウォータービル小学校での3センチの角をもつトカゲ(学名・サバクツノトカゲ)を研究対象とした理科授業の実践のように、教室内にとどまらず、本物の学びを展開することができます。「その分野の専門家」のように、教科の本質を子供とともに深め合う授業が可能になる手法です。


このPBL1960年代にカナダのマクマスター大学医学部で、大学での学びが医療の臨床現場での実践にうまく結び付かないという課題を克服するために考え出されたのがその出発点のようです。ですから、当然のようにその手法は「構成主義的なアプローチ」を取ることになります。その特徴には次のようなものがあります。(前掲書p.44)
    ・学習者にとって意味のある広範な役割や問題を学びの中心に据えること


・学習者が事前にもっている知識の周辺に新たな学びを構築すること
   
・複雑で現実的な状況の中で学習者の学びを支援すること

・学習者の視点を探り、把握すること  ( 以下略 )

このように見てくると、このPBLは、次期学習指導要領において求められている「主体的で対話的な深い学び」を実現するためにかなり効果的な手法であると言えます。

この本には、PBLを実践した現場の先生の声が次のように紹介されています。(同書p.32)


生徒たちから質問されたときは、すぐに答えを返そうとするのではなく、むしろその質問をじっくりと振り返り、生徒たちにそれをまっすぐに投げ返すことに慣れなければなりません。そして、それはそんなに簡単なことではありません。 (ドッズ先生)

 
    これから「深い学び」をどうやって実現していこうかと考えておられる先生方に、ぜひこの本をお薦めしたいと思います。           

 

2017年10月8日日曜日

「特別支援の教え方をすべての教室に」 〜 インクルーシブ教育で一般級を変えよう 〜


 障害のある子も区別されずに同じ場で一緒に学んでいくインクルーシブ教育が進められています。僕もとてもいい考え方だと思います。この世界にはいろいろな人がいて、いろいろな形で学びたいと願っているということを、肌で感じられるからです。でも、少し気になることがあります。

 今年度、初めて特別支援学級の担任を経験しました。驚いたことは、教科書や指導案のような進め方がないことです。僕は主に5人の子どもを担当していますが、どの子も前任者から引き継いだ事を生かしたり、自分の得意なことを生かしたりして学習を組み立てていきました。最初は、どの子がどういう特性をもっているのか、引き継ぎでの情報のみで実際には分からなかったので、自分の得意分野である簡単なゲームや本を生かして、子どもたちとの関係を作っていきました。
 そうすると、子どもたちの発達上の特性や、学習上の課題がぼんやりと分かってきます。前任者からの引き継ぎと重ねて子どもを観察することができ、「この子はこういうことができるようになったらいいなあ」「この子はきっとここまでできるようになるぞ」といった目標が見えてきます。また、信頼関係が築けると、子どもたちの方から「もっとこういうことができるようになりたい」という声も聞けて、目標を一緒に作れるようにもなっていきました。

 特別支援級で学習する子には、「個別の指導計画」というものを作ることが決まっています。たとえば、国語の力ならば、「学期末までに、文章の中の中学年程度の漢字を読めるようにする」とか、そのための学習方法などを具体的に計画するものです。前任者の前年度の計画や報告を見ると、その子がどのような学習経験を辿って今いるのかということが分かります。冒頭にも示した通り、4年生だから4年生の漢字を習得しなければならない、4年生だから都道府県の名称を全部覚えなければならないということではなく、その子の実態に応じて、各教科ではどのようなことを目指すのかを教師達がじっくり考えて目標設定をすることができます。

 教え方も、とてもその子の実態に応じています。例えば、ポケモンが大好きな子どもには、ポケモンに登場するキャラクターを使ってカタカナの反復練習ができるプリントを作っていました。興味が持続しないことがその子の課題でしたが、ポケモンのカタカナ練習は全てのポケモンの名前を練習し、得意満面の笑みを浮かべていました。また、電車にだったら興味を示すことができる子がいました。その子には、新宿駅・代々木上原駅・下北沢駅・成城学園前駅のように駅名を並べて、物の長さを測るときに「横浜駅から下北沢駅まで伸ばせたね」のように物の長さを比較できるように工夫していました。どちらもベテラン教師の卓越した技ですが、このような指導方法に触れることができて、僕自身の指導のあり方が変わりそうな気がしています。


        写真は、オランダで撮った小学校の教室の風景です。
     あまりにも日本の特別支援級のような作りで驚きました。


    <メルマガからの続き>


 最近、特別支援教諭の免許を取得しようと通信教育で講義を聞いているのですが、障害のある子は就学義務の免除という名目で、義務教育から遠ざけられてきた時代がありました。養護学校の義務制が完全実施されたのは1979年。今日まで、特別支援教育に携わる全ての人の努力により、徐々に多様性のある子どもたちの学習のあり方が形作られ、僕が体験したような教え方や学び方が、一般の小学校の特別支援級でも行われるようになってきていることに、とても感動をしました。特別な支援の必要な子が学習できるようにすることはとても高い技術を必要とします。先生たちの多大なる工夫や新しい教育に関する研究の成果が、そこかしこに散りばめられているように感じます。教室や講義からは、子どもに変化を強要するのではなく、指導計画、学校、教師が子どもに応じて変わっていく姿勢が感じられました。
 
 翻って、一般級に目を向けてみると、みんなで同じ教科書教材を読んだり、同じテーマで作文を書いたりと、古くから行われてきている伝統的な教え方学び方が今もはびこっています。確かに、機械的な繰り返し、威圧・懲罰に依る指導は見られなくなり、学習環境は少しずつ変わってきているとはいえますが、特別支援級ほど個の多様性を考慮した支援が行われているとは言えません。基本的には、同じ学年に在籍する子どもには同じ目標・評価が当てはめられます。さらに、ほとんど多くの学習は、同じクラスに所属していれば、学ぶ方法は同じ、学びの成果物も同じというのが基本です。「評価・評定できないから」という理由から、子どもを指導したり比較したりしやすいように制度設計されています。特別支援級で見られるような、子どもの実態に応じて目標や学習内容を決めたり、子どもの特質に応じて教材や学習方法を変えたりする柔軟性を、一般級の中から見つけることはなかなか難しいことです。

 一般級において、学習をする上で最初に考えられてきたことは目標や内容です。「10月はこの単元を学習する」「2学期までに30ページまで進む」といったことでした。熱心な教師は、この内容を子どもたちが一生懸命楽しく学ぶためにはどう教えたらよいのかと、試行錯誤して教材研究に励んでいます。そして、習熟が進まない子どもに対して、休み時間に残して練習問題を解かせたり、追加で宿題を出したりすることで、一般級の中の習熟に時間のかかる子に対応をしています。

 けれど、特別支援級でもっとも大切にされていることは、「子ども理解」です。何が好きか、何が得意か、どのような力に秀でているか、そしてそこから、今の姿から社会的自立を果たすためにどのような力を身につけたらよいか、その力を身につけるためにはどのような短期目標を設定したらよいか、その個に実態に沿った学習が組織されていきます。ですから、その子にとっての習熟とは、同じクラスの平均的な子やB基準と言われる到達目標と比べられるのではなく、4月のその子自身、今のその子自身と重ねて、その子の成長を捉えていきます。特別支援級では、ABCの評定はなく、子どもの学習に寄り添った教師から、その子の成長の様子が具体的に書き込まれた成績表をもらうことになります。

 特別支援級では、熱心な教師が夏休みまでに漢字の練習ドリルを全て終わらせるような風景は見られません。また、冬休みまでに九九を全て習得させようと休み時間に残して練習させることもありません。それは、最初の段階でその子の子ども理解やそれに基づく支援計画の改善が必要で、僕の学校のベテラン特別支援教師は、練習ドリルという支援の方法を改めるかもしれません。また、冬休みまでに九九を覚えるという計画を見直して余裕を持って練習したり、継続的に練習できる機会を設けたりすることでしょう。子どものほうが変化を強いられるのではなく、子どもが自立的に学習に向かえるように、支援や計画の方を改善するように考えることでしょう。

 一般級の教室をさっと見ただけで、45分間意味を見いだせない学習に耐えきれない子どもや、大人数の教室環境に耐えきれない子どもは少なからず存在することが分かります。そして、しっかり見ないと気づけない注意力に課題のある子や、学習に偏りのある子など、教室は特別支援級と同じぐらい多様な子がひしめき合っています。子どもの多様性という点において、一般級と特別支援級の違いはほぼなくなってきているように思えます。特別支援級であれほど個に応じた学習が工夫されているのに、壁をひとつ挟んだ隣の教室では、いまだに個人よりも学習内容の方が大切にされる学習が行われていることが不思議でなりません。一般級から特別支援級、特別支援級から一般級へと、異動は少なからず行われているのにも関わらず、個に応じた学習は特別支援教育特有のものであるという認識からか、個に応じた学習が一般級で大切にされることは少ないように思います。一クラスの人数、教師の不足、スペースの不足、評価の問題、理由をあげればキリがありませんが、子どものための学校と考えるならば、現状を改善するようなチャレンジングな実践が推し進められるべきでしょう。特別支援級と一般級の融和が進まないことが不思議でなりません。

 特別支援教育に携わるまで、インクルーシブ教育は「特別な支援が必要な子でも一般級で学習できるように配慮する」というイメージで捉えていました。つまり、特別支援級の子どもを一般級で受け入れるというイメージです。けれど、それは間違っているのではないかと思うようになりました。
 つまり、反対に、一般級の子どもたちも特別支援級の多様性を生かした学び方ができるように、学校全体が変わっていかなければならないということです。つまり、過言を恐れず言えば、「一般級の子どもたちが特別支援級で学ぶようにインクルーシブ教育を作り出していく」ということです。(文責+写真:冨田明広)

 この最後の部分にフォーカスした(=個に応じた学習を一般級で可能にする)本が、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』(キャロル・トムリンソン著、北大路書房、2017年)ですが、他にいい本や資料をご存知の方は、ぜひpro.workshop@gmail.com宛に教えてください。

2017年10月1日日曜日

教師の本務とは何か?~部活指導から考えたこと~

 昨年度から勤務している小学校では、月曜日から金曜日まで部活動の朝練習と放課後の活動が行われています。さすがに小学校ですから、コンクールや大会を除いて土曜日や日曜日の活動はありませんが、ほぼ毎日活動しています。放課後は、4月から9月の間は16:30頃まで活動しています。顧問の先生たちは、退勤時刻(16:40)が過ぎてから、授業の準備やテストの採点などを行うのです。当然、学校を出るのは19:00を過ぎます。 

この状況には、正直、びっくりしました。私から見れば、先生方にとってまったくと言ってよいほど、「ゆとり」がありません。 

以前勤務していた別の市の小学校では、月曜日など休みの翌日の朝の部活動はありませんでした。先生方も子どもたちも、ゆとりをもって1週間のスタートをきるためです。もちろん、月曜日の放課後の練習もありません。さらに、木曜日の放課後の活動も15:45までで終了でした。それぞれ、先生たちの研修や学年会、職員会議、教材研究・授業の準備などに充てていました。 

現任校の先生たちにとっては、おそらく今の学校の状況が「当たり前」の状況なのでしょう。あるいは、以前からこのような状況の中で勤務してきた人にとっては、なんの違和感も疑問も感じないのかもしれません。 

学校で気をつけなくてはいけないことの一つは、この「前からやっているから」という前例主義です。これにとらわれていると、目の前の問題点に気がつかない、いわゆる思考停止に陥りやすくなります。もちろん、これは部活動だけに限ったことではありませんが。 

 小学校でも加熱気味になっている部活動ですが、中学校になると、これが子どもたちの学校生活と彼らの意識においてもっと大きな比重をしめてきます。朝練習からはじまり、放課後の練習、休みの土曜日や日曜日の練習・練習試合と、部活動に費やす時間とエネルギーはものすごく大きなものになっています。 

文科省の調査によれば、ある県では、1週間の運動部の活動時間(男女平均)が、なんと1,121分、19時間近くにもなっているのです。★ 50分授業に換算すると、1週間で約23コマ分もの授業になります。5時間授業をおよそ5日間行うことに相当します。授業の時間と部活動の時間がほぼ同じなのです。これは本当に驚きです!! 

 中学校の教師の間では、「部活動は、生徒指導の機能や役割を果たしている」とよく言います。授業や学級とは違って、部活動は生徒自身が選択して行っているものです。レギュラーとして試合に出場するといった「個人の目標」を設定し、その実現のために、生徒が自分なりに工夫・努力もできます。また、部の仲間と力を合わせてその実現を目指す「集団の目標」、例えば市内大会優勝や県大会出場など、も明確です。この集団の目標の実現に向かって、創意工夫したり、励まし合ったりしながら集団としての凝集性や協調性、連帯感も高まります。さらに、学級・学年を越えた人間関係の広がりもあります。体力や技術の向上だけでなく、我慢強さ・やり抜く力も身につきます。教科書をカバーするだけの退屈な授業に比べれば、部活動は魅力的なところがたくさんあります。 

 しかし、部活動に参加している子どもたち全員が、膨大な時間を部活動の練習などに費やすことを心の底から望んでいるのでしょうか。部活動が、子どもたち自身による本当の意味で主体的な活動になっているかどうかが最も重要な問題だと考えています。顧問教師と先輩や部全体からの同調圧力によって、仕方なく活動しているのでは、せっかくの活動も意味がありません。 

 これまでも何回かPLC便りで取り上げられていますが、子どもたちが主体的に生き生きと目を輝かせて、運動や芸術に取り組むようになるための魅力的な指導のあり方が、NHKの番組「奇跡のレッスン」で紹介されています。どれも子どもたち一人一人の主体性や意欲を育てることを大切にしています。部活動の顧問をしている先生方には、ぜひ見て部活指導に生かしてほしいと思います。

 部活動には、様々な教育的な意義や効果があります。しかし、最近、多くの中学校で見られる毎日の朝練習や1カ月の間に休みがほとんどないような過度な練習が、本当に必要なのでしょうか。★★ これは部活動を指導する顧問教師から見れば、「長時間労働」という大きな社会問題にもなっています。部活動に対する保護者のニーズも様々で、休養日を求める保護者もいれば、反対に休みの日にも活動を要求する保護者もいて、さらに問題を複雑にしています。しかし、少なくとも公立の小中学校は、決してアスリート養成機関ではありません。

 特に義務教育段階で大切なことは、社会で人に対する敬意をもって他者と協同しながら生きていくための「知、徳、体のバランスのとれた経験と学び」です。やはり「教師の本務」は、教育課程内の学習指導・授業と学級経営・生徒指導です。第一優先でこの部分に最も多くのエネルギーと時間を費やすのが学校教育の本筋です。このことを忘れて、貴重なエネルギーと時間を第一優先で部活動に注いでいては、学校教育として本末転倒です。★★★ 

 部活指導にやりがいと生きがいを感じている先生たちが「教師の本務」に目覚め、それに力を注ぐようになるためには、次の2つのことが重要です。

1 教師自身が、学ぶことの楽しさ、醍醐味、喜びを味わう機会をもつ。

2 学校の授業を、教師が教えることから子どもたちが学ぶことへ転換する。

1を実現するには、このブログで何度も取り上げられている「教員研修」の改革・改善が必要です。2については、子どもたちが主体的な学び手になるための具体的な手立てが示されている本:ダグラス・フィッシャー&ナンシー・フレイ著Better Learning Through Structured Teaching(2nd Edition日本語タイトルは『「学び」の責任はにあるのか?(仮題)を吉田さんが翻訳しています。出版が待ち遠しい限りです。

★  部活動の1週間の平均活動時間を1カ月に換算すると、19時間×4週間余り80時間になります。さらに、部活指導の後に授業の準備や事務処理等を1日あたり1時間だけ行うとすると、教師やサラリーマンの時間外労働の「過労死ライン」である100時間を超えてしまうのです。

★★  2016年に行われたスポーツ庁の調査では、土日に休養日を1日も設けていない中学校が、全国で約26%もあることがわかっています。今までも、部活動の顧問の負担は問題となっていて、文科省は1997年に「中学の運動部は週2日以上、高校は週1日以上の休養日を設定する」との指針を策定していますが、まったく現場には浸透していません。また、大阪市にある高校で起きた体罰事件を受けて、2013年には文科省が「運動部活動での指導のガイドライン」を作成しました。さらに、2017年の1月には、教員の長時間労働を減らすため、運動部の部活動で「休養日」を設けるよう求める通知を全国の教育委員会に出しています。しかし、学校現場はほとんど何も変わっていないのが実態です。思考停止状態が続いています。 

★★★  長野県では、2014年から部活動の朝練習を原則禁止にしました。また、9月に静岡市では、中学校の部活動について、1週間の中で休みの日を日間(うち1日は土曜日か日曜日)設けるようにとのガイドラインを作成し、市民からの意見募集(パブリックコメント)をしています。部活動における教師や子どもたちの負担を軽減するという意味では、画期的なものだと思います。しかし、文科省や教育委員会からのトップダウンだけで、学校現場の先生方の意識が変わり、「教師の本務」に主体的に意欲的にエネルギーを注ぎ始め、授業を子どもたちにとって魅力的なものに改善できるのでしょうか??