2013年12月29日日曜日

1年のふりかえり



    ふりかえりは大切です。
それが前に進む/改善のエネルギーになりますから。
 回答は、下記のコメント欄か、吉田(pro.workshop@gmail.com)宛にぜひお願いします。


1)今年1年のPLC便りで、一番印象に残っているのは?
2)一番ダメだったのは? それはどう直せますか?

3)今年あなたが達成できたことは?
4)やりたかったことで実現できなかったことは?

5)あなたが今年1年間に読んだ教育(関係)書のオススメは?
6)今年1年間に見聞きしたいい教育実践は?   

7)来年度も、これまでと同じ授業/研修/研究を続けますか? それとも変えてしてみますか? その際、誰に相談しますか?


 2回続いた「本質的な問い」の「その3」も兼ねていました。

 フィードバックが、前に進む/改善のエネルギーを一層高めますので、よろしくお願いします。

2013年12月22日日曜日

本質的な問い その2


「どうして国々は戦争を始めるのか」という問いが先週紹介した『「教える」ことの覚え書き』シェリー・ヘンドリックス/ラッセル・クライン(フィルムアート社)に掲載されていました。
 

最近、大学生たちと一緒に丸谷才一さんの「思考のレッスン」を読んだのですが、丸谷さんも「なぜ戦争が始まるのか」が子どもの頃からの疑問であったと書いてありました。実は、私も小学生のころからずっと疑問に思っていました。
 

もう還暦にあと二年になった今の私に言えることは、戦争を始める裏側には必ず、金もうけをしようという人間の欲が絡んでいるということです。よく、宗教的な対立とか、民族間の対立が原因でと解説されることもありますが、それだけではないようです。

第二次大戦のとき、ドイツでヒトラーがあれだけ権力を独占していく過程で、アメリカの資本家たちの後押しがありました。その後対立することになったアメリカの資本家たちがなぜヒトラーを支援したのか、そのことだけを取り上げると実に不可解です。しかし、欧州での戦争が拡大するにつれて、アメリカの軍需産業の工場がフル回転し、完成した兵器が欧州に送り込まれました。これによって、アメリカの兵器産業を中心とする資本家たちは莫大な利益を手にすることができたわけです。
 

このようなことも第二次大戦に関係する本をいろいろと読み漁って、初めてわかったことです。「なぜ、戦争が起こるのか」というような問題意識、自分としての課題のようなものがあると、本を読むということは実に楽しい活動です。不思議なことに、一つのことがわかると、次から次へと、新たな疑問がわき、さらにそれを追究していくということになります。
 

このような知的な活動を学校の授業の中で行えれば、子どもたちも夢中になって学習に取り組むことができるのだと思います。ですから、どのような課題・質問を子どもたちに投げかけるかということが重要になってきます。ぜひ、単元の中で、その教科の根幹にかかわる「本質的な課題」、しかもそれが子どもたちの側から出されたアイデアや発想をもとにしたものになるといいですね。
 

そのためには、教師は常に世の中の様々なことに関心をもち、また自分なりの関心事をもち続け、アンテナを高くすることができるとよいと思います。このことは、まさに教師としての生き方の問題でもあります。

今年の私の担当は今回が最後になります。

学力テストの結果公開や、道徳や小学校での英語の教科化など、様々な問題がありますが、これをお読みのみなさんがそれぞれの持ち場で、「本質的な仕事」をされることを心より願っております。

 

 

2013年12月15日日曜日

本質的な問い


仕事帰りによく書店に立ち寄ることがあります。インターネットで買うことも多いのですが、実際に書店に足を運んで直に本に接することで意外な本との出会いがあります。先日も『「教える」ことの覚え書き』シェリー・ヘンドリックス/ラッセル・クライン(フィルムアート社)という本に出会いました。

本の帯には「教師の仕事に終わりがあると思うな」とありました。編集者の人もうまいキャプションを入れるものですね。そのキャプションに目を奪われて、ついつい手に取ってぱらぱらと中味をめくってみたのです。
 

そこで、目に入ったのが今日のタイトルの「本質的な問い」というフレーズです。同書の解説では本質的な問いとは、「その科目の根幹にかかわる問い」(同書40ページ)のことです。この本には丁寧にその例まで巻末につけてありました。

たとえば、科学では「太陽は地球上の生きものにどんな影響を与えているか?」、「生きているとはどういうことか?」、「エネルギーの源はどこにあるのか?」、「脳が知識を構成するしくみはどうなっているのか?」などが例として挙げられていました。
 

実は、私も10年近く前にこの本質的な問いの作成に取り組んでいました。

授業づくりをいろいろとやっていく過程で、課題や問いの重要性を認識したからです。よい授業をするにはどのような問いを子どもたちに提示できるか、それがとても大切だと思うようになっていたからです。残念ながら、この話を若手の先生方にしてもあまり興味をもってくれる人はいませんでした。こんなやり方よりも、教科書通りに教えているほうが楽だからです。

それ以来、しばらく「本質的な問い」については忘れていました。
 

しかし、福島原発の事故以来、理科のカリキュラムはやはり考え直さなければいけないという思いがありました。原発賛成・反対の立場は別にしても、科学と技術と社会のあり方についてもっと考える機会を作ってもよいのではないか、そんな思いです。それには、子どもたちが科学者のように考え、探究する理科の授業の実現を目ざす必要がありそうです。引き続き、自分の研究課題にしていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年12月8日日曜日

緊急性と重要性のマトリックス



 あなたの1週間(あるいは、1日でも1か月でもOK)に費やしている時間を、緊急性と重要性でふるい分けると、それぞれ何%ずつになりますか?(4つの領域に、あえて分けてみるということです。)
 ぜひ、下のマトリックスに%を書き込んでみてください。
 一方で、理想の時間配分は、どんな%だと思われますか?

  私たちは「忙しい、忙しい」と仕事に流されることが少なくありません。
 仕事に追われるのではなく、仕事を着実に作り出している人は、時間の使い方が違うと示してくれたのは、『7つの習慣』の著者のスティーブン・コヴィーでした。

 このマトリックスを意識することで、仕事に追われ続けるのか、それとも自分なりに納得のいく仕事をするのかの選択ができます。
 まずは、 現状と理想を明らかにすることから始めてください。

2013年12月1日日曜日

校務分掌



 校務分掌は、やりたい仕事? それとも、やらされ仕事?
 もしPTAの委員会と同じなら、確実に後者ですね。
 担当する教師がやりたいように切り替えられないものでしょうか?

 校務分掌は、初任者で学校に配属されてから、「あるのが当たり前」の存在です。
 教師として「しなければならない仕事」のひとつ。

 でも、学校の主体的な運営に参加するものというよりは、文科省・教育委員会の体制の下請け的なウェートの方がはるかに大きいのではないでしょうか?

 こう書いてくると、教師の「主体性」というのは学校という場で発揮できる場面は、いったいどこにあるのかな、とも考えてしまいます。授業のほとんどは、教科書をカバーする授業で追われてしまっては・・・、部活ぐらいしかなくなってしまうでしょうか?(それも、好きな人にとってはの話!)

 授業と学校運営の両面で、主体性を持ってもらうことは極めて大切です。
 子どもたちは、それを日々見ているのですから。

 教師が主体的になれないということは、子どもたちも容易に主体的になれないことを意味します。要するに、教師が「前例主義」「波風を立てない」「服従」「依存」等の雰囲気をプンプン臭わした存在なら、そういう空気が教室中、学校中に充満しているわけですから、とてもではありませんが、「自立した学び手/考え手」に子どもたちになってもらうことなどできるはずがありません。

 たかが「校務分掌」なのですが、されど「校務分掌」です。習慣(=下請け仕事)としてやり続けていては、教師たちが主体的に学校運営に参加する機会として活用できません。
 もし、後者のアプローチが大切だと思われたら、従来の校務分掌的な要素は持たせつつ(役割としては、全体の1~2割程度に押さえて)教師の主体性を発揮できる組織で来年度はチーム編成を考えてみませんか?

 たとえば、以下のようなチームで。
     プロとしての力量形成
     テクノロジー
     相互観察・評価
     カリキュラムと教え方
     雰囲気と文化
     学校運営

 要するに、自分たちが「やりたい」「大切だ」「欠かせない」と思えるテーマ設定で。
 チームというのは、スポーツのチームのように極めて有機的なものです。相乗効果が生まれるものです。個々に主体性があれば。
 「やりたくないのに、割り振られてしかたなくやっている」のではなく、「必要性を感じて、言われなくてもやりたくてやっている」に変えない限りは、プロセスに学びがないし、やることも前例踏襲以外は期待できません。ぜひ、後者の視点で、校務分掌の見直しに挑戦してみてください。