2012年7月29日日曜日

機能する校内研修、教育委員会(センター)研修


「ひたすら同じことの繰り返し。
学校の中でも、教育委員会(センター)研修でも。
教員になってから20年間、何も変わっていない!」

と、あるベテラン教師が言っていました。
(というよりも、怒っていました。要するに、なんの役にもたたない研修をずっとやらされてきたことへの怒りです。もし50年間関わり続けている人がいたとしたら、50年間変わっていないと思います。)

さらに、彼はこうも言いました。

「一斉授業の悪いモデルを示すことしか能がない講師や指導主事が延々と話す講座。受講者の多くは寝ているか、他のことを考えざるを得ない時間として研修がある」

(これって、まさに授業の中で教師が生徒たちに対してしていることと同じ!
つまり、悪循環の根源として研修が存在しているわけです。)

◆機能していない校内研修、教育委員会(センター)研修の特徴をまとめると、
     イベントとして捉えている (やったという実績を残すためにしている)
     講師の話や実践紹介を聞くのが中心
     学ぶ/活かす責任は個人に委ねられている ~ 従って、ほとんどは学ばないし、活かすこともしない(活かす価値のあるもの自体が紹介されていない!)
     参加者/受講者のほとんどがお付き合い(義務)で参加している
     決まった型があり(その有効性が証明されたわけでもないのに ~ 私に言わせると機能していないことが証明されているものをあえて)、前例踏襲という習慣で行われ続けている

◆機能する校内研修、教育委員会(センター)研修の特徴は、
     プロセスとして捉えられている (人が変わるには時間が掛かることをわきまえてプログラムが組まれている)
     参加者/受講者が教え合うこと、刺激し合うこと、サポートし合うことが中心
     学ぶ/活かす責任(役割)はチームに委ねられている ~ 従って、参加者相互のチームづくり/コミュニティづくりがとても大切
     参加者/受講者は自ら選択して参加している ~ 自ら選んですることにはそれなりの力は入れる。でも、やらされるものはほどほどしかお付き合いできない ~ 要するに、最低限の学びしかない、ということ。
     効果的な進め方は多様にある、やり方も自分たちが選んでやれるに越したことはない → 『「学び」で組織は成長する』(光文社新書)や『効果10倍の学びの技法』(PHP新書)を参照ください。 それらのほとんどは継続的に取り組むもの。


 これだけ機能する研修の要因は明白なのですから、機能していないものはもう葬り去って、機能する研修をしませんか。


 サポート/フォローアップの大切さは、すでに1980年代にアメリカの研修会では分っていたことです。

 研修にサポートがないと、ほとんどやらないのと同じだ、ということが。
 そして、サポートの存在が違いを生むということが。
 この極めて有意義な情報が、いまだ日本の研修には導入されていません。
 (だから、授業も変わりません!
機能しない研修は日本中に充満している「子どもたちがよく学べない授業」とまったく同じ構造(入れ子状態)ですし、機能する研修は逆に「子どもたちがよく学べるいい授業」と同じです。研修と授業はコインの裏表の関係になっています。)

2012年7月22日日曜日

クリティカルな問いかけ


 PTA、校長による授業観察/評価、「大津市のいじめ事件」、学期の最後につける成績、そして今日あたり行われている(?)職員旅行など、書きたいことは山ほどあります(それらすべてが、システムとして機能していない日本の教育制度の氷山の一角です!?★)が、今回はこのメルマガ/ブログの中心テーマでいきたいと思います。


1)いい授業をするために必要な要素としてどんなものをあげますか? ここでいう「いい授業」とは、子どもたちがよくわかり、できるようになる授業のことです。子どもたちが受身的に学ぶのではなく、主体的に学ぶことも、含めたいです。

2)効果的な教員研修を実現するための要素としてはどんなものがあるでしょうか? ここでいう「効果的な教員研修」とは、教員が研修内容を理解し、できるようになることです。子どもたちの授業と同じく、教員が主体的に学ぶ研修というイメージも大切にしたいです。

3)ご自分が何かを学んで、よく理解し、できるようになったことを一つ思い浮かべてください。それは仕事上のことでも、生活上のことでも、趣味でも何でも構いません。(例を挙げると、①コンピューターを授業で使いこなせるようになった、②訪問者数の多い自分の授業実践を紹介するブログを書けるようになった、③将棋やフットサルやテニスがそれなりにうまくなった、④料理がそれなりにうまくなった、などです。)
それが実現できた要因は何ですか?


 いずれも皆さんが長年やってきたことです。
 ぜひこれらについて考え、明らかになったところから2学期をはじめられれば、これまでとは違う授業、研修、そして学びが作り出せる可能性大です。
でも、しっかり振り返らなければ、いままでの悲劇的な状態が続くことが約束されています。それが制度化されているのが現状ですから。
 ですから、自分の考えをハッキリさせるために、そして自分たち大人と子どもたちの学びを修正・改善するために、ぜひあなたにとっての要素や要因をお教えください。回答は、下のコメント欄かpro.workshop@gmail.com宛にお送りください。



★これらは、すべてが今日のテーマと深くつながっています。
 つながりのないバラバラのものと捉えられていること自体が、システムとして機能していないことの証明です。
 しかも、これらは頭として見えるほんの「氷山の一角」です。見えにくい水面下の部分には何が含まれると思われますか?

2012年7月15日日曜日

大津市の事件について考えること


このところ連日、「大津市のいじめ事件」が新聞、テレビで報道されています。

自ら命を絶った生徒の心情を思うと、何ともやりきれない思いをだれもが抱くのではないでしょうか。

これから捜査によって様々なことが明らかになっていくのでしょう。



この事件に対して、様々なコメントが出ています。



私が今回の事件で強く感じることは、わが国の教育システムがもう耐用年数を過ぎているということです。

これまで同様の事件が何回繰り返されてきたでしょうか。

そのたびに、文科省や文部科学大臣のメッセージが発せられ、教委を通じて指導体制や道徳教育のあり方の見直しなどについて指示がありました。



当事者である学校、教委の責任はもちろん重大だと思いますが、同様の事件が繰り返し起きるということは、このシステム全体がおかしいのだとだれもが気づくべきときではないでしょうか。



「管理の論理」で動いている学校・教委は「隠ぺい体質」を払しょくできない組織です。自分たちに都合のわるいことはいつまでも隠そうとします。

ただ、いつかは明るみに出てしまうのですが、その内部にいる人間にとってはそれがわかりません。

今回の事件で、生徒へのアンケート調査のことを口外しないように当該保護者に「確約書」を書かせた神経はまさにそれを物語っています。そんなものを書かせたら、いつかは明るみに出てしまうというだろうという常識的な判断ができません。

それに対して、PLC(プロフェッショナルによる学びの共同体)にいる人間は、当然、社会一般の人が持ち合わせている常識を持っています。「管理の論理」だけで動いている共同体にいる人々は、自分たちに都合のよい常識しか持ち合わせていません。



「自殺といじめの因果関係」を断定できないという学校や市教委の判断は、自分たちに都合のよい常識・感性から導き出されたものでしょう。今回の件では、普通に調べれば、だれがみても「因果関係あり」です。

文科省も大津市からの要請を受けて、担当者を急遽派遣するそうですが、一体その人に何ができるのでしょう。



最近、つくづく思うことは、これから5年ぐらいが日本再生のラストチャンスではないかということです。当然、教育はその中心にならなければなりませんが、教育もすでに世界の最先端から3周以上遅れています。

「学力向上」で学力テストに血眼になったり、押しつけの道徳教育に一生懸命になったりしても、何ら問題は解決しません。



まず、今回の事件をきっかけに、日本の教育システム再生に何が必要かということに真剣に向き合う必要があると思います。すべてはそこから始まります。

2012年7月8日日曜日

先週に引き続いてPTA活動を取り上げます


作家の川端裕人さんは自身のPTA活動の経験をもとに、「PTA活用論」などの著書を出しています。その川端さん曰く、

「行政や学校にとってPTAは「便利すぎる」団体だ。」と。(月刊「プリンシパル」236月号P.54学事出版)

たしかに、「表向き強制されていないのに有資格者全員が集まってくれており、代表として向き合ってくれる」(同書P.54)のです。ただ、その反面、執行部などの役員の人々の年間の拘束時間は相当なものであると。川端さんの経験では、年間の拘束時間は403時間だったそうです。それだけ拘束されて、自分の仕事に支障が出ない方が不思議かもしれません。

そして、「勉強になった」という感想を述べつつ、次年度はやらない人が多いという事実。

現在のPTA活動は「だれでもできる範疇を遥かに超えている」(同書P.55)



そもそも専業主婦の多かった時代にできたこの制度。

今や女性も仕事を持つのが当たり前の時代になっています。学校にとっては「便利な団体」なので、年間の拘束時間が膨大なものになっていることには目をつぶっているのが現状なのかもしれません。

しかも、「全員参加」の掛け声で、「「ただ乗り」を許さない方向へ舵を切りがち」(同書P.55)とのことです。そういえば、うちの学校でも委員会には「全員参加制」を採用しています。実際は、委員になっても活動に参加しない人もいるわけですが、建前は「全員参加」です。毎年、入学式のあとに、新入生の保護者を集めて(さすがに入学式に来ない親はいませんから)、その場で専門委員会の所属希望を提出してもらっています。そのときは調整などはせずに、希望の集約だけ行い、後で執行部の役員が調整して全員の所属を決めているようです。それで、特に文句が出ないところをみると案外うまくいっているのでしょう。

前任校ではこの調整にも学校の教員がかかわっていたので、負担が大きかったように思います。その点、今の学校のPTAはかなり自立した組織だと言えるでしょう。ただ、執行部の方たちの拘束時間はやはりかなりの時間になっていると思います。幸い、学区が自分の育った地域で、地域に対する愛着心が強く、ボランティア精神にあふれた方たちが現在の執行部にいるからできることなのかもしれません。その意味では、PTAはその学校の置かれた地域環境によって、その在り方がかなり左右されるものかもしれません。

同時に、PTA活動がその構成員にとって意味のある活動ができるようにするためにも、「学びの原則」が貫かれることが大切なのでしょう。吉田さんの翻訳にもある「ペアレントプロジェクト」のような活動ができるPTAにしたいものです。

2012年7月1日日曜日

PTA活動を考える


今回は「PTA活動」について考えることにします。



以前、学校経営について調べているときに、プロダクト・ポートフォリオ・マネジメントを知りました。
(「スクールマネジメント」篠原清昭編著・ミネルヴァ書房)

これは、学校における様々な活動のなかで、特に問題になっているものや特徴的なものを「金の成る木」「花形」「問題児」「負け犬」という4つに分類して考察するというやり方です。ちなみに、当時勤務していた学校で考えたときは次のような結果になりました。

「スクールマネジメント」p.260の「表15-2 PPMによる学校業務の分類」を参考にして作成しました。
 

ポジション
  

   特   徴
  

 具  体  例

金の成る木

学校の本来的役割となる中核的なルーティン業務である。

各教科の基礎・基本の徹底。

道徳教育や学級経営の充実。



 花形

学校として当初の負担は大きいが、新しい実践として社会的な注目を集める実践である。

地域との連携・協働。

補習教室。



 問題児

成果の割には学校の負担が大きい実践。学校ではお荷物として扱われやすい実践で、花形にするか撤退するかを選択する必要がある。

生徒指導のうちの「基本的なしつけ」。部活動。PTA活動



 負け犬

これまで前例踏襲的に実践されてきた取組で今後は撤退か縮小を行うべきものである。

PTA活動。校外補導。

 

PTA活動」はその学校にとっては「問題児」でした。活動は停滞し、事業のおぜん立てはほとんど教員が担当する状態で、お荷物的な存在でした。そこで、2年くらいかけて関係者を説得して、執行部の活動以外はすべて「休止」することに決定しました。それによって教員の業務の軽減につながったと思います。

ただ、「地域とともにある学校」という考え方が一般的になってくるにつれて、そのままでいいのかどうかという問題はあります。

今は別な学校に勤務しているのですが、ここでも「PTA活動」を見直す時期に来ていると感じています。今の学校はPTAがかなり自立的に活動しているので、前の学校とは教員の負担感はそれほどありませんが、活動内容は昔からのものを前年踏襲で繰り返していることが多いので、見直す必要があります。

やはりここでも、学校が置かれている環境の違いによって、目指すべきものは異なってくるものだと感じます。したがって、学校、端的に言えば、校長の自主・自律的な学校経営が重要なのだと思います。