2022年2月26日土曜日

中学校理科とリニア中央新幹線

突然ですが、中学校学習指導要領・理科の目標は次のとおりです。

「自然の事物・現象に進んでかかわり,目的意識をもって観察,実験などを行い,科学的に探究する能力の基礎と態度を育てるとともに自然の事物・現象についての理解を深め,科学的な見方や考え方を養う」

 

ここで、最後に書かれている「科学的な見方や考え方を養う」が義務教育段階の理科の究極の目標であると思います。一般国民の教養としても、「科学的な見方・考え方」は重要です。

 

戦後、わが国が目覚ましい経済成長を遂げている時代においては、科学技術は私たちの生活を向上させてくれる非常に便利なものでした。その後公害やさまざまな環境問題により、科学技術の進歩に対してはかなり疑問符がつくようになりました。そして、20113月、東日本大震災により福島第一原発での事故が起きました。巨大な科学技術とどう向き合うか、このときは多くの国民が真剣に考えたはずでした。しかし、しばらくすると再び原子力発電所の一部は再稼働を始めました。

 

実は、この2011年の福島事故の2か月後に政府は「リニア中央新幹線計画」を整備計画として決定しました。総事業費の見積は9兆円にもなるそうです。このあたりの事情は、『リニア中央新幹線をめぐって』(山本義隆・みすず書房)に詳しく書かれています。原発もリニアも巨大科学の範疇に入るプロジェクトです。リニアの磁気による車体浮上及び走行の原理は中学校理科の「フレミングの左手の法則」により説明がつきます。科学の原理が技術として私たちの生活を豊かにする具体的な事例の一つと考えることができるでしょう。

 

しかし、原発もそうですが、リニアも本当に社会に必要なものなのかという点に関して、議論をきちんとやっているのかというと、どうも心もとない気がします。公共的なプロジェクトである、あるいは利便性追求、経済効果などの視点からやや強引に進められている感じもします。東京から名古屋を1時間以内で接続する意義はもちろんあるのでしょうが、コロナ禍により対面での打合せや会議などが必要なくなってきていることも考え合わせると、いささか疑問を抱くところでもあります。

 日本アルプスの自然環境をいささかも破壊することなく、巨大トンネルを掘り続けるということが果たして可能なのかどうか。また可能だとしても、環境倫理として正しいのか、正直そんな気持ちになります。古代、自然の脅威に恐れおののいていた人間が、いささかの技術を手に入れたからと言って、自然の力を克服できると思い上がっている、そんな姿に見えてしまいます。そのようなことを言っていたら、経済的な発展は望めないという意見をお持ちの方々もいるでしょうが、そもそも右肩上がりの発展などもう夢物語に過ぎません。地球がすでに悲鳴を上げています。そのあたりを考える理科の授業や学校教育であってほしいとつくづく思います。 

2022年2月20日日曜日

『社会科ワークショップ』を読んで、実践に挑戦

 『社会科ワークショップ』のメインのライターの横浜の冨田明広さんが、その本のオンライン・ブッククラブで出会った大阪の永井健太さんにお願いして、書いてもらった単なる本の感想ではなく、実際に本を実践に移してしまった記録を紹介します。(その記録に添付された冨田さんの下線部分へのコメントも追加で一番下に紹介します!)永井さんは、1986年生まれで、教師歴13年の公立校の先生。「コロナ禍の休校期間中に学びを自走させられない子どもたちの姿を目の当たりにし、自分の授業を見直し始める。そこから『自立した学び手』を育てることについて学びながら、日々実践している」とのことです。

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同じ本を3回読んだ目的


 2021年の夏に『社会科ワークショップ』が発刊されてからこれまでに3回読みました。読むたびに自分のマインドセット(考え方)が変わっていくことを実感すると共に、ワークショップ初心者の僕にも分かりやすく、丁寧な本だなと感じました。

 1回目は「ワークショップで学ぶ」シリーズの社会科版が出たということで、興味津々で読み進めました。2回目は社会科ワークショップを教室で形にするために、実践に必要なことを集めるという目的で読みました。3回目は社会科ワークショップの実践を振り返ると共に、今後どのようにブラッシュアップしていけばよいかを模索するために読みました。それぞれに目的が違っていたので、読むたびに新しい発見がありましたし、この先読み返した時にはまた新しい気づきが生まれるのだろうと思います。



1回目は「憧れ」


 これまで一斉指導の形で授業を進めていた自分にとって、ワークショップで社会科の学習を進めるということが理解できず、初めは「これは社会科の学習といえるのか」「必要な知識を獲得することができるのか」と正直逃げ腰でした。しかし、本書に紹介されいてる子どもたちの様子★1 と自分の社会科授業を受ける子どもたちの様子を比べると、その違いは瞭然で、本書に登場するような学びを教室につくりたいと願っている自分もいました。おそらく「自分にできるのか?」「失敗したらどうしよう」という不安★2 から先程のような言い訳をつくってしまっていたのだと思います。

 そんな僕の不安を取り除くように、本書には新米教師からの視点で眺めたワークショップの様子(第1章)や本来のゴールから外れていく子どもに対する西田先生の戸惑い(第6章)などが描かれており、内容を飲み込んでいくうちに「思い切ってやってみよう」「できることからスタートしてみよう」と少しずつ前向きになっていきました。そして読み終えた時には、自分の授業を変えて「自立した学び手」を育てたいという強い思いをもつようになっていました。


2回目は「実践」を意識して


 実践すると覚悟を決めた時、社会科ワークショップを通して、探究することやその中で友達と協働することを楽しむ「自立した学び手」を育てたいという僕の思いは最高潮に達していました。ちょうどその頃は4年生「県内の伝統や文化」の学習に向けて、教材となる天神祭について調べていた時期で、子どもたちにとって身近だけれどあまり知らない天神祭について探究するのはおもしろそうだとワクワク感も高まっていきました。

 実践を形にするためにもう一度本を手に取り、具体的な進め方に関する内容をピックアップしながら読んでいきました。その時に作成した箇条書きのメモを見返すと「①ユニットのゴール設定、②ユニットシートの作成、③探究サイクルの説明、④テーマの卵に関するロング・レッスン、⑤1時間のサイクルの説明、⑥カンファランス、⑦共有」とあります。本書には、どれに関しても説明と事例や実際の子どもたちとのやり取りが載せられているので、実践のイメージがしやすく、構想を練るのにとても参考になりました。わからないところは、何度も読み返しながら準備を進めていきました。


子どもの変化


 しかし、実際の授業は上手く進みませんでした。★3 初めのロング・レッスンの時は勢いがあった子どもたちも、時間を重ねるうちに進め方がわからず悩んだり、教室をただウロウロしたりする姿も見られるようになりました。また一斉指導であれば数十分で解決できそうな内容にとても時間がかかり、なかなか学習が前に進まない様子も見られました。これまでの自分の授業がいかに「与えるもの」になっていたのかを痛感しました。でも、その痛みは自分の実践をさらに前に進めようという刺激となり、「もっとよい学びをつくりたい」「自立した学び手に近づける支援がしたい」と思いを新たにしました。

 ワークショップを始めて数時間が経ったある日、嬉しいことがありました。これまで「社会が一番嫌い」と言っていた千穂(仮名)が、猛烈にメモをとっている様子に気がつきました。近くに寄って「今どんな感じ?」と尋ねると「今めちゃくちゃおもしろい。また次の時間も早く探究がしたい」と伝えてくれたのです。千穂は休み時間もずっと、自分で見つけた資料を読みながらメモをとっていました。後で聞いたところ「自分のハテナを自分で見つけた情報で解決できるのがスッキリするから気持ちいい」ということでした。一斉指導を続けていたらおそらく見られなかった姿だと感じると共に、ワークショップのパワーやそれを受けて変化する子どもの姿に驚きました。


その他の実際の授業の様子については、ブログに簡単にまとめております。https://nagaken.hatenablog.jp/entry/2022/01/23/152704をご覧ください。


3回目は「振り返り」


 生き生きと活動する子どもたちの姿に励まされながらユニットを締め括ることができましたが、色々と課題が浮き彫りになりました。これまでの自分の授業がいかに教師主導で誘導的なものであったのかを思い知りました★4 が、ここがスタート地点だと自分に言い聞かせ、自分の実践に何が足りないのかを知って次に活かすために、もう一度本を手に取りました。

 1回目、2回目に読んだ時よりも細かな描写に着目している自分がいました。例えば191ページの西田先生のミニ・レッスンではクラス全体へのメッセージでありながら、和明くんに推測することの大切さに気づいてほしいという思いが込められています。またその後のカンファランスでも和明くんに直接問いかけており、それが結果として探究を加速させることにつながっていました。ここには和明くんの見取りから、どのような支援が適切かを考え、実際の関わりへとつなげる細やかな対応があります。★5

 このように、さりげないけれどワークショップの中核になるような部分が「読める」ようになっていった感覚をもてたのが3回目でした。


大切な、教師自身の探究


 振り返りを通して自分に足りないものが見えてきました。大きくは二つあり、一つ目は「テーマを育てることへの支援が足りないこと」です。これまでの一斉指導でもハテナを大切にすることは伝えてきたのですが、「このハテナを解決したから次のハテナの解決へ」というようにハテナを次々に消費させてしまっていたことに気がつきました。今後は一つのハテナを追究する中で出会った事実から自分の考えをもつようにし、その考えから次のハテナへとつなげていくようにしていきたいと考えています。よく言われる「目に見えることから目に見えないことに迫る」という社会科学習のポイントを子どもたちとも共有していこうと思います。

 もう一つは「子どもたちの探究をおもしろがる」ということです。まだまだ自分は教え導くという意識が強く、結局カンファランスの内容も教える要素が強いということに気づきました。まずは子どもたちの関心に寄り添って一緒におもしろがっていこうと思います。教えることを手放すには覚悟と勇気が必要ですが、自分も一緒に探究をするという意識で取り組んでみます。★6

 「子どもたちの探究」を探究する。そんな教師でありたいと思わせてくれたこの本に心から感謝しています。これからも子どもたちと共にワークショップを楽しんでいこうと思います。


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 最後に、教えること、学ぶこと、学校という場所のことを考えるのに役立つ、永井さんがすすめる5冊をリストアップしてもらいました。こちらも参考にしてください。


  ①上田薫『人間の生きている授業』黎明書房


  ②平野朝久『はじめに子どもありき』東洋館出版社


  ③中村高康/松岡亮二『現場で使える教育社会学』日本標準


  ④マイクエンダーソン 吉田新一郎『教育のプロがすすめる 選択する学び』新評論


  ⑤西村佳哲『かかわり方のまなび方』筑摩書房

 

 

◆永井さんの実践記録に対する冨田さんのコメント


★1 私たちが書く上で大切にしたのが、子どもたちの元気な姿、楽しそうに学習を行う姿でした。くどくど理論的な小難しい話を重ねるよりも、先生たちを刺激するのは、子どもたちの姿以外にはないと思ったので。


★2 まさに、探究を始める前の子どもたちの心境だと思います。これを経験するからこそ、子どもに優しい声かけができるのだと思います。『改訂版・読書家の時間』に同じようなことを書いています。


★3 そうですよね。ここでやめてしまう人も多いと思います。「上手く進む」の考え方がちょっと違います。子どもがウンウンうなづいて先生の話を聞いてくれるとか、先生の出した課題に子どもがワシワシ取り組むとか、そういう感じが上手く進むではないですから。だから、より自分のやりたいことを選びやすい生活科の段階から、問いを発する力を子どもたちに譲り渡す必要があるように思っています。


★4 ワークショップも子どもへどの程度委ねていくか、枠組みで調整することができます。子どもたちが混乱しない程度に、少しずつ枠組みを広げていって、最終的には広い公園のようなところ(しかし、公園という境界はある!)で探究という活動をのびのびできるようにしてあげるといいですね。


★5 ここが、たくさんあるワークショップによる授業の最も大きな特徴かもしれません。見取りが大切とは言われますが、一斉指導ではそれを実際に行うことは至難です。でもワークショップならば、個々の子どもの見取りおよびそれを踏まえた支援や対応が容易になります。それこそが、多くの教師が求めている本来の教える姿ではないでしょうか。


★6 一単元で子どもの学ぶ力が格段にアップすることはないので、同じような枠組みで繰り返すことが大事です。永井先生の見方や感覚で社会科ワークショップをチューンナップして、新しい形を作っていってほしいです。



2022年2月13日日曜日

コロナいじめを未然に防ぐ「コロナ感染したらどうしてほしい?」

「出席停止が終わり登校したら、コロナ感染したことでいじめに会うのではないか?」という相談を保護者から受けました。幸い、子ども自身は友だちやクラスの友だちを信頼しているためその心配は親のみでしたが、このことはどの子も親もあたりまえのように感じていることかもしれません。そしてコロナいじめや差別などは、どんなによい学級・学校経営をしていたとしても、どこにおいてもこれから起こりうる問題の一つです。オミクロン株が猛威を振るっている今だからこそ、改めて子どもたちと考え合いたいことがあります。それは「コロナで欠席すること」についてです。

 

この数週間、コロナ感染者が出たため学級閉鎖や学年閉鎖、中には学校閉鎖となる学校が多々ありました。休み中は「学校が休みになってラッキー。漫画読める!サイコー」「コロナのせいで学校が休みだ。友だちに会えない!」「げげ!オンライン授業あるの!?あれ疲れるんだよね」なんて子もいたかもしれません。しかし、もっとも素直な子どもの反応として「コロナになった人はだれだろう? 知りたいな」とか「自分がもしコロナになってしまったら、ヒミツにしておかないといけないのかな」「コロナにぜったいなっちゃいけないんだ」などと、考えてしまうこともあるはずです。

 

こういう気持ちを助長してしまっているのが、学校から配布される「コロナ感染者1名、濃厚接触者1名、引き続き感染予防に〜」といった手紙です。匿名で繰り返し子どもや家庭へ知らせることで、問題が生じています。学校側としては、コロナ感染者や濃厚接触者を特定させないことで、いじめや差別を起こさないよう未然に問題を防ごうとしているのかもしれませんが、このような手紙の匿名性により「コロナは秘密にしなければいけないことだ」「コロナにかかることは悪いことだ」と間接的に子どもたちの不安や差別を生んでいます。多くの学校では、職員会議でこのような手紙が子どもたちの不安を増してしまう事の懸念が話し合われていないことが現状です。

 

もちろんプライバシーを保護されることは必要なことです。しかし、実情を匿名で知らせるだけでは、片手落ちなのです。このような手紙が配られると同時に、子どもたちの気持ちにフォーカスする事を忘れてはいけません。

 

まずは子どもたちを安心させる必要があります。それには前提として、コロナになっても、濃厚接触者になったとしても、誰も「自分が悪かった」とか、思わないでほしいことを伝えることです。これだけ世界中に広がってしまっているコロナ。感染予防でマスクや手洗いをしていても、どこかで知らず知らずのうちに、誰もが感染してしまうかもしれません。これはしかたのないことです。もし感染したり、濃厚接触者となってしまったら、まずは何よりも自分と身近な人の心と体の健康を大切にすることを教えてあげることです。そして、「コロナになってごめんなさい」とか「コロナになったからナイショにしなきゃ」「コロナになったらいじわるされそう」などと心配することは全くないことを大人が条理を尽くして伝える必要があります。もちろん、マスクをとって大声で話しかけたりなど、必要最低限の感染予防を怠っている場合は、避難されてしかるべきですが。

 

自分が言われて嫌なことは言わないし、自分が聞かれてほしくないことは聞かない。もちろん、自分が話したくないことは話さなくていいし、自分が話したいことだけを話せばいい。コロナはだれもがかかってしまうことがある。変に恐れずに、できる感染予防をしっかりして、コロナで人を差別しないし、相手が嫌な気持ちなってしまうような意地悪なことを言わないで、思いやりをもっておだやかな生活をただ送ることです。

 

そして子どもたちと話し合いたいこと。それは、「もし自分がコロナにかかったらどうしてほしいか?」「そういう友だちがいたらどうしてあげたいか?」を考え合うことです。私の3年生の学級でも実際に話し合ってみました。すると、もし自分がコロナ感染してしまっても「いつもどおりにふつうにせっしてほしい」「いっしょにあそぼといってほしい」「あまり根ほり葉ほり聞かれるとちょっと困ってしまうので、あまり聞かないほしい」など、ふだん通りに接してほしい意見が多く出されました。

 

一方で「僕は何を聞かれても平気だからどんな質問されてもいい」「私とあそんでいてかんせんしているんじゃないかと心配しているかもしれないので、大丈夫だよって教えたい」「ずっと休んでいたんだから、ちょっとは心配してほしい」などの気持ちも共有されました。また、コロナ関連で欠席していた友だちに対しても同様に「ひさしぶり」「大丈夫だった?」と声をかけ、一緒に話をしたり遊んだりするとのこと。「お休み中にお手紙を書いてあげたい」といった子もいました。もし、これがコロナ欠席ではなく、風邪や腹痛だとしたら一体どのように子どもの反応は変わるのでしょうか。高学年で考えてみるコロナをどう捉えているのか、子どもたちから見えてくることでしょう。

 

優しくしてほしいのか。そっとしておいてほしいのか。何も気にしないで、元気になったらまたいっしょに遊んでほしいのか。自分がしてもらいたいように、その人にもしてあげられるよう、思いやりもって関わってほしいと願っています。それでも、嫌な思いや辛い思い、苦しい思いをするようだったら、家族の人、友だち、そして先生に正直に伝えてほしいこと、解決していけるように一緒に考えていこうとメッセージを伝えました。


本来ならば、コロナ感染したとしても、堂々としていればいいことなのです。中には自分から「風邪みたいなもんで案外大丈夫だったよ」と話したい人もいることでしょう。一方で「コロナのこときいちゃいけないみたいでなんだか心配だな」などずっと抱えてしまっている子もいるはずです。子どもには権利があります。子どもの権利条約12条「自由に自己を表現する権利」です。安心できる学級内だからこそ、コロナ感染についてはタブー視し一切話題にしないといった不自然を教師が装うのではなく、子どもたちとコロナ不安について話し合う機会をみつけ、その心配や思いやりを話し合えるといいです。




2022年2月6日日曜日

成長のサイクル:現状を正しく知ること

今年度も、1年間の振り返りをする時期が近づいてきた。★1


私の授業ジャーナルにも、たくさんのストーリーが貯まってきている。声を上げて、その成功を喜びたいものもある反面、とても困難で、解決策が見出せないように思えるものもある。悔しいことに、ここ数年毎年似たような課題で格闘している。進歩がない。

ただ、成果であれ、課題であれ、それらに思いを巡らすことは、心踊ることでもある。来年度の教室の様子を思い浮かべることができるからだ。より良い方法や新しいことを教室で試すことができるからだ。また、悩ましくも、ワクワクする日々が始まる。

あらゆる実践が、いわゆるPDCAのサイクルで行われることは、今や常識的なことになってきた。計画も見通しもなく、教科書の1ページ目から始めるといったことは、少なくなったし、年度末には振り返りや反省、省察の機会を設けている人も増えてきただろう。

この実践のサイクルの中で、難しいことの一つが、現状(Reality)を的確に捉えることである。教育コーチングの普及や研究に携わってきたジム・ナイトによれば、実践の現状分析を誤らせる要因として、「認識の誤り(perceptual errors)」と「防御機制(defense mechanism)」があるとしている。★2

認識の誤りには、次のようなものがある:

 ・確証バイアス(自分の信念や仮説を支持する情報のみを集めようとする傾向)
 ・帰属の誤り(うまくいかない原因を他者に求める傾向)
 ・ステレオタイプ(先入観、思い込みなど)
 ・初頭効果(初対面の印象が固定化されること)
 ・ハロー効果(目立ちやすい特徴に引きづられてしまうこと)
 ・馴化[じゅんか](刺激が繰り返されることで、それに対する反応が弱くなること)

防御機制とは、自分自身にとって不快な現実から、自己を守ろうとする機能のことである。次のようなものがある:

 ・否定と最小化(不都合なデータを見ようとしない傾向)
 ・合理化(正しくないとわかっていても正当化しようする傾向)
 ・他者のせいにする
 ・自分自身のせいにする

ただし、防御機制は、ストレスフルな社会から自分自身を守る役割も果たしており、人間の生存にとって、不可欠なものだえると言える。重要なことは、このようなメカニズムが備わっていることを認識できているかどうかであろう。

どれも思い当たるものばかりではないだろうか。自分自身が、確信をもって実践したことを、否定したり、客観的に、かつ、冷静に分析するのは、思いの外難しいことだ。これは、専門職であっても、容易なことではないとする調査もある。

このような認識の弱点を克服する方法として、次のようなものが紹介されている。

(1)ビデオで授業を録画してみる
(2)生徒の声を聴く(インタビューなど)
(3)生徒の学習成果をみる(テスト結果や書いたもの記述など)
(4)第3者による観察(指導主事やメンター、同僚など)
(5)いくつかの方法の組み合わせ

現状を的確に分析できる力を磨くことは、教職という専門職としての成長の重要な柱であろうと思う。

一歩づつ成長していきたいものだ。

★1 私がジャーナルの振り返りに使っている問いかけは、次の3つだ。もともとはもっと多くの問いがあったのだが、何年か使い続けるうちに、この3つに絞られてきた。
<毎月の振り返り質問>
1.この間、心が動いたことは? 嬉しかったこと、悲しかったことは? 人に伝えたいことは? 
2. 実践のハイライトは何でしたか? 特に、よかったことや成功したことです。  うまくいった要因は何だと思いますか? 
3. うまくいかなったことはどのようなことでしたか。児童・生徒が動かなかった時や自分らしさを発揮できなかった時です。  それらに共通することは考えられますか? パターン/傾向のようなものです。 
「1年間の振り返りに役立つ10の質問(Ten Questions To Help You Reflect On Your Practice This Year)」を参考にしている。
 https://mindstepsinc.com/2017/05/ten-questions-help-reflect-practice-year/

★2 出典をお知りになりたい方は、pro.workshop@gmail.comに連絡ください。