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2022年8月7日日曜日

テストの常識からかけ離れたテストで、次への一歩を踏み出そう

良い「学び」を創り出すために、評価を見直すことは避けては通れない問題です。しかし、なかなかハードルは高い。


教員仲間とのブッククラブで、藤原さとさんの『「探究」する学びをつくる』(平凡社)を読みました★1。プロジェクト型学習で、すばらしい学びを生み出しているアメリカのハイテック・ハイというチャータースクールを紹介した本です★2。その学校を取り上げた「Most Likely to Success(これからの学校の役割)」というドキュメンタリー映画★3 が、大きな反響を呼んだので、ご存じの方も多いと思います。

先にあげたブッククラブでの現職の先生方の意見は概ね次のようなものでした。「確かにこの実践のすばらしさは分かる。しかし、現状として、今の日本の学校教育の仕組みから離れることは、すぐには難しい。」と。「こういった本を読むと探究的な学びを礼賛しそうになるが、それだけでは説明しきれない学びは存在するのではないか。」「外部的な働きかけによって‟学び”が起きる瞬間も幾度も目にした。」といった声が聞かれました。

先生方の問題意識の中に、テストや評価の問題があることは明白だと思えました。

この本の著者である藤崎さんは、このあたりのことを非常に的確に指摘しています。

「大学受験で高得点をとるためには、長期にわたる「知識の詰め込み型」の授業が有効であると考えられている。ほとんどの大学の入学試験が「知識の詰め込み」を要求するため、子どもたちたちに詰め込み型を強いてきたということだろう。そうしたネガティブ・スパイラルのなかで、合理性のない授業に学校そして教師は違和感をもちつつも、日々の忙しさや組織の問題など様々な理由で深く振り返ることなく継続しているのが現実なのである。」(pp.158-159)

そのうえで、ハイテック・ハイで実践されている「一般的なテストの常識からはかなりかけ離れた」テストを紹介しています。これは、なかなか面白い取り組みなので、紹介しておきたいと思います。

1 グループテスト。
テストをグループに配って、それらを個別に解いたのちに、それを持ち寄って、メンバーで考えたり、教えあう。このテストは「どれだけ覚えたか(あるいは忘れたか)」を測るものではないのですよね。思いもよらない発想です。

2 テストで成績をつけない。
文字通り、テストの点数で成績をつけないということです。もちろん、教師は採点し、その結果から、生徒が成長できるためのフィードバックは返すけれど、その点数で成績がつくことはないということです。これは、評価(アセスメント)と成績(グレード)を明確に区別していることの表れと言えそうです。

3 テストに意味合いをもたせる。
ハイテック・ハイでは、「テストに注釈をつける」と呼んでいるらしいのですが、自分自身のテスト受験体験をメタ認知化し、学びに役立てることのようです。例えば、「生徒はテストをしながら、「考えたこと」「疑問に思ったこと」などをメモしておく。」→「テストの解答に関して生徒は自信の度合いを何段階に分けて自分でスコアしておく。」→「そのメモ書きをみて教師は生徒が何を学んでいるかを判断する。」といった流れで進むのだそうです。「総括的評価」の「形成的評価」化とでも言えるものでしょうか。

4 納得するまでテストを繰り返し受けても良い。
人は違う進度、違う深さ、違うタイミングで学ぶのだから、同じ時期に同じ内容で、すべての生徒をテストする必要ないという考え方。ハイテックハイでは、何度でもテストを受け、自分の間違いから学んでいくことができる。


確かに、良い学びを生み出すためには、評価やテストの見直し急務だと思うのですが、現在の枠組みから、すぐには飛び出せないと考えている人は多いものです。少し角度を変えて、テストや評価を眺めてみることが、一歩を踏み出すチャンスになると思うのですが、どうでしょうか?


★1 藤原さと(2020)『「探究」する学びをつくる』(平凡社)

★2 ハイテック・ハイ・スクールのホームページ https://www.hightechhigh.org

★3 映画「Most Likely To Succeed」ーこれからの世界で生き抜く子どもを育てる新しい学校教育とは? http://atcafe-media.com/2017/12/26/most-likely-to-succeed/

2019年11月3日日曜日

やはり学校は入試でガタガタするのか

2020年から新しい学習指導要領とともに、大学入試制度も大きく変わる。大学入試センター試験が廃止になり、大学入学共通テストになる。

思考力、表現力などを見るために国語と数学で記述式試験が導入されるし、英語では「話す」、「書く」を加えて4技能を測定するために、民間機関による外部テストが導入される(この原稿を書いている真っ最中に英語外部試験の導入延期が決まった。このことについても書きたいことはあるが、別の機会に譲りたい。入試制度そのものよりも、現職文部科学大臣の教育格差容認発言の方がインパクトは強かった)。

しかし、政策として順風満帆とは行っていないようだ。

高校2年生の意見を取り上げた小林哲夫氏(教育ジャーナリスト)のレポート「筑駒生、大学入学共通テスト中止を訴える 「ぼくたちに入試を受けさせてください」(2019年10月18日)★1」が興味深い。

興味深いというよりも、取り上げた生徒の堂々とした主張に舌を巻く。新テストのプレテストについての考察が実に的確で、本質をついているのだ。皮肉な話だが、このような力をもった高校生が育つのであれば、つまらない「記述式問題」の導入などまったくもって不要だと思わされてしまう。

この高校生は、小林氏の「大学入試はどうあるべきでしょうか?」という質問に次のように答えている。

「本来、入試は大学が入学してほしい学生を選抜するために考えるものです。それを国が見繕って第三者に作らせた試験で試そうとする。これは大学の受験生選抜の意志に反していませんか。入試の仕事じゃないものを入試にさせている。入試を入試ではないものにしています。思考力、表現力を身につけさせたいならば、アクティブラーニング、ディベートのような営みは教育現場で行えばいい。それをたかだか1、2時間の入試で思考力、表現力を試すとか、まして、これらを民間に委ねるとか、やり方は間違っています。」

さらに、英語外部試験の導入延期に合わせて、国語記述問題導入も延期すべきという意見も出てきている。★2 新しい入試に対する意見が、ネット上でとにかく賑やかだ。高校生がかわいそうであるという意見があれば、高校として今後どのような対策を立てるのかかといった見通しを語ったものもある。

入試に、学校が振り回される。相変わらずの風景だ。

ナンシー・アトウエルの『イン・ザ・ミドル』に「ジャンルとしてのテスト対策」という考え方が紹介されている(p.235-236)。★3 「読み手を育てるミニ・レッスン」という章の中の一節だ。生徒が共通テストを受ける1週間前くらいに、共通テストがどのようなものかを知るための授業をやっているのだ。「自分たちが受ける共通テストの形式や何が要求されているのかを知って、その練習に2、3日かければ、十分に適応できます。」とさえ述べている。真の読む力さえついていれば、何も問題はないということだろう。

何という発想の転換だろうと思った。私にとっては、「ジャンルとしてのテスト対策」という捉え方は衝撃でさえあった。入試やテストで振り回されている我々とは対照的な姿勢だと思った。

テストや入試に、学校として、どのようなスタンスで臨むのか。これからの学校のあり方を考える時、避けることのできないテーマだと思う。入試突破や学力テストの点数アップを、学校の最も重要な目標として掲げる。何と小さな志だろうと思うのだが、皆さんはどう思われるだろうか。

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★1 「筑駒生、大学入学共通テスト中止を訴える 「ぼくたちに入試を受けさせてください」(2019年10月18日) https://dot.asahi.com/dot/2019101800113.html?page=1

★2 「英語だけじゃない…大学入試改革の「国語記述式問題導入」の害悪」(2019年11月1日)https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191101-00068154-gendaibiz-life&p=2

★3 ナンシー・アトウエル(2018)『イン・ザ・ミドルーナンシー・アトウエルの教室』三省堂.