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2023年12月17日日曜日

覚えておくと得する「学びの原則」

これまで2回連続で『歴史をする』(の第2章)から紹介した「理論 vs. 実践」のスピンオフです。

 授業をよりよいものにするため、授業を生徒たちにとって忘れられないもの(身につくもの)にするために役立つ理論や原則が紹介されている他の本を紹介します。

 その意味で、3回連続の「学びの原則」の第3弾と言えます。(タイトルは、「覚えておく」だけで実践しなくては得しませんから、「“実践する”と得する学びの原則」がより正しいです!)

①まず、『イン・ザ・ミドル』(特に、第1章)には、著者が「教える(側の)論理」から「学ぶ(側の)論理」に転換した経緯が詳しく紹介されています。教師なら誰もが体験を通してすでに知っていることですが、教師(教科書)が良かれと思って考えたプログラム(一斉指導の指導案や単元案)では、せいぜい教室の3分の1ぐらいの生徒にしか届きません。この本の第2章以降では、著者が「学ぶ(側の)論理」に転換して以降の約30年間の実践が詳しく紹介されています。それに合わせた評価の仕方も(第8章)。

 

②『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』は、教室のなかに座っている生徒たちは、そのレディネスも、もっている興味関心も、学習履歴(もっている知識・情報・体験)も、学び方も学ぶスピード、学んだことの表現の仕方も違うという歴然とした事実からスタートした教育実践です。(これに対して、一斉指導はあたかもこれらすべてが同じと仮定して行われる授業でしょうか?)

 次の図2.2が、このことを分かりやすく描き出しています。あなたが、特に共鳴するものはどれですか? 逆に、反論したくなるものはありますか?


  原則は、図には5つしか書かれていませんが、本文では8つ紹介されており、違いがあるものは次の通りです。

・教師は一人ひとりの違いにしっかり注意を払う

・評価と指導は切り離せない

・生徒の多様性をもとに、内容や方法や成果物を変える ~ 教師が教え、生徒が学ぶ内容や方法、そして学んだ結果を表現する成果物につくり方に選択肢を提供する、という意味です(上の「評価と指導は切り離せない」も実現しています!)

・教師と生徒は学習について協働する

・教師はクラスの到達基準と個人の到達基準のバランスをとる

 

③最後は、これまでこのブログで何回となく紹介したことがある「学びの原則」https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/03/plc_18.htmlです。これは、近年の脳の研究や認知心理学等からわかったことをまとめたものです。

 

他にも、理論、原則、特徴等の観点で、よりよい授業を常に模索し続ける先生におすすめの本には、『学びの中心はやっぱり生徒だ!』と『「学びの責任」は誰にあるのか』に2冊がありますので参考にしてください。

2023年12月3日日曜日

理論 vs. 実践 その2

 https://projectbetterschool.blogspot.com/2023/11/vs.htmlでは、六つの理論(=生徒がよく学べ、学んだことが身につく授業の原則)の四つを紹介したので、今回は残りの二つです。

 

⑤ 教えることは足場をかける(生徒に適切なサポートをする)ことである

ほとんどの場合、学校外での学習はコミュニティーのメンバー間の継続的な協力が必要となります。より多くの知識をもったメンバーが、新しい学び手にとって価値があると思える活動に、本格的に参加できるように支援をしています(『歴史をする』66ページ)。

 この具体例として、幼い子供が話せるようになることと、医師になるために長期間の実習を受けるなどの例が紹介されています。

伝統的な仕事(農作業、料理、キルトづくり、狩猟)や現代的な仕事、またスポーツや芸術などの仕事にかかわらず、通常、学習は一種の見習いのようなものであり、初心者が少しずつ専門知識を身につけることができるように、より知識の豊富な人が「師匠」ないし「よき先輩」として手助けをしています。熟達者は初心者に「足場」となる枠組みを提供しているのです。

残念ながら、生徒は学校でこのような継続的な相互作用に参加する機会がほとんどありません★。ほとんどの場合、教師が情報を伝えている間、生徒は耳を傾けることのみが期待されています。参加方法も、通常は教師が質問し、生徒が答え、教師がその答えが正しかったかどうかを伝えるといったパターンにかぎられています。つまり、その目的は生徒の記憶力を評価することであり、生徒が興味のある問いや課題に対する追究を助けることにはなっていません。もちろん、生徒に自主的な課題が与えられたり、「探究する」ことが期待されたりする場合もありますが、学習(ないし探究)のプロセスをどのように進めていくかについては教えられていません。

教師なら誰もが知っているように、探究していくのに必要とされるスキルをもっている生徒はほとんどいません。探究心は教育に不可欠なものですが、単に課題を与えただけでは意味のある結果は得られません。ほとんどの生徒が自分の経験を最大限に活かすための直接的な支援が必要なので、教師のもっとも重要な責任は、生徒が学習するために必要な枠組み(足場、サポート)を提供することとなります。(中略)生徒は、学びを支援してくれる教師や知識の豊富なクラスメイトと一緒に活動することで最高の学習ができるのです(同、67~9ページ)。

ここでは、四つの足場=サポートの仕方が紹介されています(同、69~72ページ)。

第一に、教師は生徒が課題に興味をもつように努める必要があります。もともと好奇心が旺盛な生徒ですが、教師が生徒の興味を引き出し、維持するように手助けをすれば、彼らは探究を続けるようになります。

第二に、生徒が課題に取り組む際、教師は生徒を積極的に支援し、励まし続ける必要があります。この支援には、課題を生徒が自ら管理できるように分けて示すことも含まれます。

第三に、教師が手順のモデルを示すことです。先に述べたように、生徒が「歴史をする」ためには、教師はそれがどのようなものであるかを見本として示さなければなりません。教師の「読み書き」をまねようとするとき、教師が読んだり書いたりする様子を生徒は見なければなりません。それと同じく、教師が歴史の問いに取り組んだり、情報を収集したり、一般的なケースを引き出したりする様子を生徒は見る必要があります。ある課題を生徒がうまく達成するためには、教師はそのモデルを見せなければならないのです。もし、生徒がモデルを見ることができなければ、自分が行うべきことが分からないでしょう。

第四に、教師は生徒のパフォーマンスに対してクリティカルなフィードバック★★を与えなければなりません。自分の作品が理想的な作品とどのように違うのかについて理解させなければならないということです。

このようなフィードバックがなければ、多くの生徒は自分の課題が成功しているかどうかを知ることができません。これらすべての形態における「足場かけ」の最終的な目標は、生徒が学習計画を立て、自分自身の進歩を客観的に把握できるようにすることで、教師から生徒へと学習の主導権を移し、「自立した学び手」にすることとなります。このような能力は、「メタ認知」と呼ばれることもあります。

 

⑥  建設的な評価で、生徒の学びが絶えず修正・改善され、教師の授業もよくなり続ける

「評価」「評定(成績)」「テスト」の三つは、多くの教育者にとって(生徒にとって)も教育に関する専門用語のなかでもっとも不快な言葉です。(中略)教師の多くにとっては、評価をすることではなく生徒の支援をすること、つまり本書で取り上げているような形成的に「足場かけ」をすることこそが、「真に教えることとはどのようなことなのか」というイメージを与えてくれるのです★★★。好意的な見方をしても、評価というものはユニットの最後に付け加えられる「必要悪」であり、それらを足すことで通知表の評定を決めているにしかすぎません。そして、最悪の場合、教師と生徒の間の良好な関係をその評価が台無しにする可能性もあります。

そのような評価を続ける必要はありません。評価とは、不愉快な【おまけ】のようなものでなく、有意義なものであり、信じられないかもしれませんが、時には教えることと学ぶことの中心にある一連の実践であり、楽しい仕事になり得るものなのです。★★★しかし、このような高尚な期待に応えるためには、私たちが通常想像しているものとは異なる役割を評価が果たさなければなりません。

教室での評価の第一の目的が成績表の評定をつけることだとしたら、生徒も教師もそこから大きな恩恵を見いだすことはできないでしょう。また、生徒のニーズではなく成績表が評価の形を決定している場合は、課題が生徒をつまずかせ、生徒が知らないことを明らかにさせて、成績を正規分布に近づけようとする試みとなるでしょう。生徒の選別にこだわることは、生徒の知識や理解不足を明らかにすることを目的としたものでしかなく、事実上、否定的な経験になることを保証してしまうようなものです(同上、72~4ページ)。

 しかし、このまま続けることは誰にとってもよくありません(受験産業は、儲け続けられるので、いいかもしれませんし、国にとっては、国民総生産の数字を上げるのに役立つかもしれません。しかし、実際にやり続けることは、真の意味での学びが極めて希薄な「点取りゲーム」だけです!)。

生徒がよく学べ、学んだことが身につく授業においては、評価の特徴を次の四つと捉えています。

第一は、評価は建設的であることです。「建設的な評価」とは、何よりもまず建設的な目的を果たすこと、つまり教えることと学ぶことに有益な効果をもたらすことを意味し、評価課題は、知らないことよりも知っていることを生徒に明らかにさせるものです。(そして)生徒が知っていることを生徒自身が可能なかぎり多くの方法で示せるようにすることで、それは行われます。具体的には、フォーマル・インフォーマルな測定、教師と生徒の両者が選択した課題、話すこと、書くこと、その他の発表形式などとなります。

このように生徒と教師が一緒になって、学んだことを表現できるようにするための最良の手段を探しているとき、生徒は自らの可能性を最大限に発揮するチャンスが得られと感じて、自尊心が高まります。一方、教師は、生徒が何を知っていて、何を学ぶ必要があるのかについてより把握することができるようになりますので、教え方はより良いものになります(同、74~5ページ)。

第二は、生徒の状況をクリティカルに見抜くためには、生徒の達成度を把握するために複数の方法が必要となります。複数の評価方法を組み合わせることで教師は、生徒が知っていることやできることを把握する際に自信をもつことができます。生徒のことを知るためにもっとも有用な方法は、生徒との話し合い、生徒が書いたもの、そしてパフォーマンスによる表現ないしプレゼンテーションの三つとなります。(中略)複数の評価手段を使用することで、それぞれの生徒は知っていることを示す機会が得られます。このアプローチでは、生徒に選択肢を与えることも頻繁に行われます。たとえば、探究プロジェクトの結果を、小論文、ポスター、ビデオ、またはプレゼンテーションにするかどうかなど、生徒は評価の形式を選択することができます(同、75~6ページ)。

第三に、評価活動は現実社会と同じものでなければなりません。つまり、実際に地域社会や企業、学術分野で人々が行っている作業に近いものでなければならないということです。これには、教師以外の聞き役を事前に準備する必要があります。生徒の課題を見たり聞いたりするのが教師だけの場合、生徒は知っていることを発表しようとする動機が小さなものになります(教師はすでに答えを知っている、と思っているからです)。(同、77ページ)

第四に、第三の特徴を大事にすることは、もう一つの特徴の「評価することと教えることの一体化」★★★の側面を強調することになります。

伝統的に教師は、評価を教えたあとに来るものだと考えています。生徒に何かを教えて(あるいは、生徒自身がそれについて読んで)、それを学んだかどうかを確認するためにテストを行います。ほとんどの授業では、教えることと評価することを区別するのは簡単です。実際、学校では、この二つの局面を可能なかぎり異なるものにするために多大な努力をしていることがよくあります。

しかし、「評価することと教えることの一体化」している授業で教師は、生徒が話している間にメモをとったり、プレゼンテーションを観察したり、プロジェクトを見直したり、レポートを読んだりしますが、これらはすべて、つながっている学習評価の一部なのです。評価は常に行われているので、評価のために別の時間が設けられることはほとんどありません。(同上、77~8ページ)

 

★このような場が提供されているのが「作家の時間」「読書家の時間」(および、それらを社会科、理科、算数・数学に応用した「社会科ワークショップ」「科学者の時間」「数学者の時間」)です。http://wwletter.blogspot.com/2010/05/ww.htmlを参照。

★★「クリティカルなフィードバック」で一番効果的な方法は、生徒同士のピア・フィードバックでも使える「大切な友だち」(https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/08/blog-post_19.html)です。

これを教師と生徒の間でしている場合を、作家の時間や読書家の時間では「カンファランス」と言っています。カンファランスの目的は、成果物や作品をよくするためではなく、書き手や学び手をより自立した書き手/学び手にするために行われます。クリティカルなフィードバックの最もいい形が『イン・ザ・ミドル』の第8章で描かれています。

★★★文科省が20年以上前に言いだして、いまだに実現できていない「指導と評価の一体化」です。『あなたの授業が子どもと世界を変える』の第8章に書かれている、「評価は楽しいものであるべき――そんなこと、ありえないでしょ。本当です。私たちは真面目です」も参考になります。この後の評価の四番目の特徴も参照。

2023年11月19日日曜日

理論 vs. 実践

研修会に参加した(り、教育書を読んだりする時)教師は、「理論的(抽象的)なことは飛ばして、実践的(具体的)なことだけをお願いします」と言います。

 これは、洋の東西に問わず、同じ傾向があるようです。でも、理論の大切さに気づいた先生たちは以下のように言います。

A先生: 私は、理論を知ることで授業をより良いものにすることができ、何が効果的で、何がダメなのかについて、より鋭い感覚で選択ができるようになりました。私がやっていたことの多くは「運に任せた」ものでした。

以前は、何かを試してみても、それを二度と使わないようなこともありました。今は、新しい教え方を考えるとき、自分が知っている理論でフィルターをかけることができています。また、それが、自分の授業のプラスになるのか、それとも単に自分を忙しくするだけなのかについても判断することができます(『歴史をする』40~41ページ)。

B先生:「理論を知った」ことでどれだけ自分が変わったか、言葉では言い表せません。よい教師になるということは、自分のやっていることに目的があり、何をすべきかを知っている教師になるということです。

あなたがすることは、学級経営に至るまで理論的なベースをもっていなければなりません。多くの教師は自然にやっていると思いますが、事前に理論を知っていれば、とてもやりがいがあります。偶然の出来事ではなく意図的にやっているわけですから。

理論を知っていると、さらに上のレベルへと導かれるのです(『歴史をする』81ページ)。

 ということで、同じところで足踏みをしたい先生には不要かもしれません(それは、子どもたちにとっては悲劇です)が、子どもたちによりよい授業を提供したい、常に成長し続けたい教師には不可欠なようです。

 『歴史をする』の著者たちは、「優れた理論は、教師が自分の経験を理解するうえで役立つもの、と位置づけています。優れた理論を通して、毎日教室で行われていることをより明確に理解することができ、教え方を振り返ることができるようになります。また、優れた理論は、生徒にとってより効果的で、意味のある授業を教師が計画するうえにおいて役立ちます」と書いています(同、42ページ)。

 それでは、優れた理論とはどのようなものでしょうか? しかも、歴史を含む社会科で有効なだけでなく、すべての教科領域で授業をする際に使える理論です。

 全部で、六つあります(同、第2章を参照)。

   教えることと学ぶことには目的が必要不可欠である。

   学ぶことは深い理解を意味する。

   教えることは、生徒がすでにもっている事前知識に基づく必要がある。

   人は探究の真っただ中で学習する。

   教えることは足場をかける(生徒に適切なサポートをする)ことである。

   建設的な評価で、生徒の学びが絶えず修正・改善され、教師の授業もよくなり続ける。

 このリスト、チェックリストとして使えます!

あなたは、どれはすでに押さえられていますか? 一方で、まだ実現できていないのはどれですか? さらに伸ばしたいのは、どれですか?

 それでは、一つずつ見ていきます。『歴史をする』から引用する形で紹介していきます。

 

  教えることと学ぶことには目的が必要不可欠である

目的のない教育は、子どもたちの学習意欲を奪うだけでなく、学習する能力を弱めてしまいます。学習は、生徒が自分の選択や行動に意味を見いだすときに起こります。それに対して、先生を喜ばせることや、合格点を得ることなど、歴史そのものと無関係なことを目的とした行動を生徒がとっていれば、生徒の知的成長は阻害されることになります。

優れた教育は、生徒が学んでいることを包括的な目的と結びつけることに焦点が当てられています。それは、生徒が調査のための問いを示し、深い理解をするための理由を提供し、調査結果を使うことなどによって行われ、彼らの知的成長と市民的な能力がサポートされることになります(同、48ページ)。

 「包括的な目的」とは、単にテストでいい点数を取ったり、教科書をカバーするためではなく、生徒たちがより意味を感じられる目的です。それには、自分のアイデンティティーを形成したり、民主的な社会に選挙以外の方法で参加するための知識・スキル・態度を身につけたり、「公共の利益」のために何が最善かを見極め、それを実現するために情報を分析したり、仲間や他者と協力したりするための方法を身につけたりすることが含まれます。

 

  学ぶことは深い理解を意味する

さまざまな分野の専門家と初心者の違いを調査した心理学的な研究によると、能力の高い人は、単に知識が豊富であったり、一般的な知性や推論する力が必ずしも高かったりするわけではなく、その分野の重要な「概念」をより理解しており、それらの概念を、いつ、どのように適用すればよいのかということについての理解が進んでいることが分かっています。(中略)このような観点から、単に事実を多く知っているだけでは理解が深まるとは言えません。生徒は、それが何を意味しているのか、なぜ重要なのかについて分からないまま事実を学ぶことがあります。(中略)したがって、よい教え方とは、単に大量の事実に基づいた情報を網羅するのではなく、重要で体系的なアイディアとしての「概念」が身につけられることに重点を置いて教えることとなります(同、50~51ページ)

 社会科の概念には、どのようなものがあるでしょうか? 理科は? 算数・数学は? 国語は? その他の教科は?

 

  教えることは、生徒がすでにもっている事前知識に基づく必要がある

生徒が理解を深めるために、教師は生徒が学校にもってくる知識を直接取り上げ、可能なかぎりそれを土台にする必要があります。人が学習するためには、すでにもっている知識と新しい経験を結びつけること(専門用語では、スキーマを再構築すること)が欠かせないのです。(中略)いずれにしても、学習は受動的なものではありません。人は、新しく出合ったものとすでに知っているものを比較しなければならないのです・・・生徒が知っていることを土台にすることができなければ、生徒は学ぶことができないのです。

残念ながら、教科書やその他の教材では、生徒における事前の理解が注目されることはほとんどありません。もちろん、すべての生徒、すべてのクラス、すべてのコミュニティーが異なっているため、どの教科書も生徒の多様な経験や理解の範囲に対応することはできません。教えることと学ぶことに関する研究では、学校での経験が事前の理解と結びついていない場合、生徒はほとんど学習できないということが一貫して示されています。(中略)情報を理解するためには、新しく得た情報をただ再生するのではなく、それを以前の理解と結びつける必要があります。教科書ではそれができません。生徒のことを一番よく知っている教師が、生徒は何を知っているのか、そしてその知識をどのように構築するのかを、生徒に代わって見つけ出さなければなりません。(同、55~57ページ)

 教科書に対する手厳しい指摘が続きますが、それは多くの教師は口にしないだけで、実践を通して強く認識していることだと思います。最後のところの、「知識を構築する」は、知識の捉え方も転換が必要なことを示唆しています。教科書に書いてあることや教師が言うことは、知識ではなくて、あくまでも情報です。知識は、一人ひとりの生徒がそれまでに自分がもっている事前知識を踏まえて、新しい意味をつくり出した結果と捉えられます。情報は忘れられやすいですが、知識はかなりの確率で残るものです。

 

  人は探究の真っただ中で学習する

人間の学習に関する研究と教師としての私たち自身の経験は、学習の「伝達モデル」と矛盾しています。伝達モデルとは、知識はある情報源(教師であれ教科書であれ)から別の情報源(生徒)に直接伝わると仮定するモデルのことです。私たちは、報酬や罰のシステムをどれほど精巧なものにしても、子どもたちを単なる情報でいっぱいにすることはできません。私たちは生徒のために点と点をつなげることはできません。人は、自分にとって重要な意味をもつ問いに対する答えを求めるときに学習するのです(同、60~61ページ)。

 これは、要するに「探究モデル」で学んでいる時を意味します。それは別な言葉でいえば、次のようになります。

生徒は(歴史家や数学者や作家や・筆者補記)科学者や市民、芸術家、ビジネスマンなどと同じような課題に取り組むことで学習の目的をより理解し、学んだことを保持し、応用する可能性が高くなります。クラスメイトや教師、その他のコミュニティーの人々も、自分と同じようにこれらのプロセスに取り組んでいると思えることが、本物の学びに関するアプローチの中心的な特徴となります(同、63ページ)。

 「これらのプロセス」とは、探究や問題解決のサイクルのことで、

社会科は、https://projectbetterschool.blogspot.com/2022/09/blog-post_18.html

国語はhttps://wwletter.blogspot.com/2012/01/blog-post_28.html

算数は、https://wwletter.blogspot.com/2019/02/blog-post.html

理科は、https://projectbetterschool.blogspot.com/2019/12/blog-post_22.html をご覧ください。教育で大切なのは、教師が用意した活動やプログラムを生徒にやらせることではなく(それは、単に教師への依存を高めるだけ?)、生徒一人ひとりが自分でこれらのサイクルを回せられるようにサポートすることなのです。

 長くなってきましたので、残りの二つは次回紹介します。