2018年6月27日水曜日

新刊情報 『成績をハックする』



『成績をハックする ~ 評価を学びにいかす10の方法』スター・サックシュタイン著



「ハッキング」と聞くと、不正侵入[ハッカー行為]するという意味で捉えられがちですが、「切り開く、うまくやり抜く、やり遂げる、巧妙に改造する」などの意味もあります。この本では、巧妙に改造する」と捉えています。現状を当たり前のものとして受け入れず、嫌なものを壊してつくり直そうとすることです。ポイントは、問題となっていることを常に「学びを改善するためのチャンス」と捉えることです。これは、日本の教育界に欠けている大事な視点であると同時に、必要な行動ではないでしょうか。
 それを、成績と教育評価の分野でやってしまおうというのが本書の内容です。
生徒たちは、みな知りたい、できるようになりたい、成長したいと思っています。そうした生徒たちを支えるのが教師の仕事です。しかし、教師ばかりが一生懸命になっていて、生徒たちを自立した学び手に育てられていない現状があります。その原因の一つは、評価・成績にあります。成績を付けることを負担に思う教師、苦しんでいる教師が多いにも関わらず、成績を付けることが慣習的に繰り返され続ける限り、生徒たちの成長にとって弊害を生み出し続けることになります。
この負のスパイラルを断ち切る出発点は、本書を読むことです。
自己評価力をそなえた自立した学び手へと生徒たちを成長させるために、これまでのように教師が成績を付けることに躍起になったり、頭を悩ませたりするのではなく、教師が教育評価に対してどのような考え方をもち、どのようなことを実践し、どのように教師と生徒たちが協力していくことが必要なのかを明らかにしています。
本書で示されているように成績をなくすことは、教師の負担感や無力感をなくすだけではなく、自己評価力をそなえた自立した学び手/自ら考え判断し実践していく人間を育てるのに役立つのです。

1冊(書店およびネット価格)2160円のところ、
PLC便り割引だと     1冊=1800円(送料・税込み)です。
5冊以上の注文は        1冊=1600円(送料・税込み)です。

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2018年6月23日土曜日

様々な世界とつながる教室

今回の学習指導要領の改訂で「見方・考え方」が各教科共通の視点としてその中に整理されました。
その解説によると、「見方」とは、「対象を捉える視点」であり、「考え方」とは、「対象へ迫るアプローチの仕方、方法」です。また、その「見方・考え方」はそれぞれ、教科固有のものがあるという前提で考えられています。
この「見方・考え方」を強調することは、私なりに考えてみると、その教科の本質的な面白さ、楽しさを追究するというねらいが指導のポイントとして強調されているものと思います。

そこで、具体的に小学校理科で考えてみます。
単元「振り子の運動」について取り上げることにします。
「振り子の運動」については、小学校学習指導要領・理科解説では次のように記載されています。

第5学年の目標 (1) 物質・エネルギー
物の溶け方,振り子の運動,電流がつくる磁力についての理解を図り,観察,実験などに関する基本的な技能を身に付けるようにする。
物の溶け方,振り子の運動,電流がつくる磁力について追究する中で,主に予想や仮説を基に,解決の方法を発想する力を養う。
物の溶け方,振り子の運動,電流がつくる磁力について追究する中で,主体的に問題解決しようとする態度を養う。
   (以下省略)

さらに、学習指導要領解説では次のような説明が記載されています。

ここでの指導に当たっては,振り子の長さや振れ幅を一定にしておもりの重さを変えるなど,変える条件と変えない条件を制御しながら実験を行うことによって,実験の結果を適切に処理し,考察することができるようにする。その際,振れ幅が極端に大きくならないように適切な振れ幅で実験を行うようにする。(下線は筆者が付け加えたもの)
また,振り子の長さは糸などをつるした位置からおもりの重心までであることに留意する。さらに,伸びの少ない糸などを用いることや,おもりの数を増やして実験するときに,おもりを下につなげてつるすと振り子の長さも変わってしまうことがあること,測定中の振れ幅の減少ができるだけ小さい振り子を使用することなどに留意する必要がある。
他教科等との関連として,実験を複数回行い,その結果を処理する際には,算数科の学習と関連付けて適切に処理できるようにする。

この通りに授業をやるとすると、あまり面白みのない授業になってしまうでしょう。
そこで、まず工夫すべきは導入部です。
最初の発問は次のような内容でどうでしょうか。
「みなさんの身の回りで、規則正しく動くものにどんなものがありますか?
5年生であれば、「時計の秒針」「心臓」「人工衛星」など、いろいろ子供からの発言があると思います。
そこで、実際に実験として取り上げられることが可能だというものから、「振り子時計」(本物が用意できれば、それを提示するし、なければ写真でもよい)を子供に見せます。
そこから、ガリレオのエピソードなども交えながら、「振り子の運動」について調べることを、その時間の目標とします。
「振り子の運動」では何が規則的になるのか。子供に予想させます。
いろいろな意見が出され、検討されることが重要です。教師がすべて用意して、「さあ、これをやってみましょう」では料理番組と同じです。時間的に、そんなに長い時間、試行錯誤をさせる余裕はありませんが、それでも考える時間は取りたいものです。
「振り子の運動」はガリレオが行った実験の一つであり、地上の重力下における様々な運動の関連を見いだした歴史的な実験です。また、観察・実験を科学に本格的に持ち込んだのも、このガリレオが最初であり、その意味でもこの「振り子の運動」を扱う意義はもっと子供たちに科学の歴史という視点から強調されてもよいと考えます。

武谷三男の「物理学入門」によると、「振り子の等時性を発見しただけでなく、落下の加速度と振り子の周期の間の一定の関連を見出したのである。」と、地上の物体の運動を通して、力と運動との関連性を発見したことが記されています。その意味では、ニュートンの運動の法則につながる実に大きな研究だったことがわかります。

 4年生で学んだ「月と星」あるいは6年生で学ぶ予定の「月と太陽」のどちらも天体の運動を扱うものですが、中世の地動説裁判にガリレオがかかわってくる話は子供たちにとっても興味深いものになるでしょう。それと同時に、地上の運動と天体の運動が同じ法則のもとに行われているということを示すニュートンの運動方程式は中学3年以降の学習内容ですが、多少それを示唆するような話をトピックスとして取り上げても良いかもしれません。
要するに、自分たちがやっていることが教室の中だけで閉じた世界のものではなくて、現実の世界とも過去ともつながっていることを再認識する機会にすることがこの単元では可能だということです。

このように教室から広がる世界を味わい、楽しむことができるような授業を構成していくこと、これが21世紀の授業の典型の一つであると考えます。

2018年6月17日日曜日

教育委員会のような大組織に所属してしまうと、人はなぜその組織を変えようとしないのか?


以前に一回性の指導訪問について書きましたが引き続き、そのことを考えています。

1回性の学校指導訪問よりもかかわり続けることを
http://projectbetterschool.blogspot.com/2018/05/blog-post_20.html

「1回性の学校指導訪問よりもかかわり続けることを」には続きがありました
http://projectbetterschool.blogspot.com/2018/05/blog-post_25.html

そもそもなぜ教育委員会といった大きな組織に所属すると、その歯車のように一部となり、連綿と続いてきた一方向の学校指導訪問モデルが繰り返されてしまうのでしょうか。

学校現場で教員として働いているときには、教育行政への健全な批判的思考をもっていたはずです。いざ自分がその行政組織に入ってしまうと、これまでの慣習を変えることから距離を取り、知らず知らずのうちか長いものに巻かれていってしまう。もしくは、進んでその組織の一部となってこれまで同様その組織体質を維持し続けてしまう。これは、一体どのような力が働いているのでしょうか。

そこで「服従の心理」著:S・ミルグラムを読んでいると、大変興味をひく記述がありました。これは、言語テストで間違えたとき、電流を流し続けなければならない罰を与える役割の心理実験についての本。その被験者の詳細な心理記述とその考察がなされていて、読み応えがあります。

 “通常はまっとうで礼儀正しい人物が、なぜこの実験の中では他人に対して残酷に振るまうのか、ということだ。その人がそうするのは、衝動的な攻撃的行動を制御する良心が、ヒエラルキー構造に参加する時点で力を弱められているからなのだ。”S・ミルグラム. 服従の心理(河出文庫) (Kindle の位置No.). 河出書房新社. Kindle .

 “人がエージェント状態にあるというのは、その人が自分について、 地位の高い人物の統御に自分を委ねるような社会状態にあると定義しているということだ。この状態になると、その人は最早自分の行動に責任があるとは考えなくなり、他人の願望を実行する道具にすぎないと己を定義するようになる。”S・ミルグラム. 服従の心理 (河出文庫) (Kindle の位置No.). 河出書房新社. Kindle .

つまり、権威ある組織に所属することで、個々がもつ道徳心や崇高なビジョンよりも、その組織内で自分の能力を認められる「有能感」の承認が優先されてしまうということです。権威に従っている限り、自分の道徳心を傷つけることなく、たんたんとこなせてしまう。それは役割なんだからと、他者の責任にしながら。一方、その組織に所属しながらも、自分の信念を貫き通す人も少ないながらもいます。

 “非服従の代償は、自分が信念を破ったという身を切られるような思いだ。道徳的に正しい行動を選んだとはいえ、被験者は自分が引き起こした社会的秩序の破壊に困惑したままであり、自分が支援を約束した目的を放棄したという感覚を捨て去ることはできない。自分の行動の重荷を感じるのは、従順な被験者ではなく、服従しなかった被験なのである。”S・ミルグラム. 服従の心理 (河出文庫) (Kindle の位置No.). 河出書房新社. Kindle. 

その組織の中にいながらも、自分の信念を保ち続けるにも、ある意味その組織で「浮いている存在」として、違和感をもちつつ、居続けられる心のねばり強さが求められています。この心のもちようは、学校組織でこれまでの学校文脈になかった新しい実践に取り組み続けている教師達の不安心理と共通するものです。こういった集団服従への心理構造を一部理解することでも、自己をメタ認知するひとつの支援となるはずです。

驚くことに、ある市町村委員会では、指導主事が個人として、現場の教員との関わりをすべて禁止しているそうです。メールのやりとりもしかり。公の研修で、講義形式といった集団的な関わりしか認めていません。これではどうやって、個々の先生達のニーズや悩みによりそっていけるのでしょうか。

一方、希望の声も聞こえてきました。信念を持ち続け仕事をしている人がいるということを。以前の勤務先だった市では、一度限りの学校指導訪問を廃し、定期的に市教育委員会からの指導訪問が継続するとの決断を。前回、指摘したようにこれまでと同じような指導訪問が継続するのならば、現場には来てもらってもあまり意味がありません。継続して支援し続けられる、いわゆる形成的評価の支援モデルとしてかかわってもらえるのならば、すばらしい実践となるはずです。大いに期待しているところです。

★このミルグラムの実験は、スタンフォード監獄心理実験のほうが有名です。被実験者を囚人役と看守役とに分けられ、地下にある模擬刑務所で2週間缶詰になって役割実験をしたところ、最初は冗談交じりだったはずが、あまりにもその役にはまりすぎてしまい、途中禁止となってしまった実験です。映画の「es」の人間描写の衝撃は忘れられません。

2018年6月10日日曜日

判で押した同じ授業


 この6月に発行された本で、『教育現場の7大問題』(前屋 毅・KKベストセラーズ)を読みました。著者はフリーのジャーナリストで教育問題と経済問題を主たるテーマにしている方です。

その7大問題とは、全国学力テスト、教員の過重労働、受験と格差、いじめ、グローバル人材の育成、アクティブ・ラーニングなどであり、現在の体制の問題点等を批判する立場から書かれています。最後の7つ目の問題というのが、「最も大きな問題」として取り上げられているのですが、簡単に言うと、現場の教員の個性を放棄した授業のことです。同書の177ページには次のようなくだりがあります。
    都内在住の保護者が、小学生の息子の授業を参観してきたときの話を、半分おもしろそうに、半分あきれたように話した。
  「同じ学年の教室は廊下沿いにありますから、隣のクラスでは、どんな授業をしているのか気になって、廊下から窓越しに覗いてみたんです。

     そうしたら同じ教科の授業をやっているクラスでは、まったく同じことをやっていました。教員が黒板に書いていることも同じなら、しゃべっている内容も同じ。生徒にとって平等といえば平等なのでしょうが、教員の個性を感じられない授業って、子どもたちにおもしろくないだろうな、と思っちゃいましたね」
     この話を元小学校教員にすると、彼は真剣な表情で頷いた。彼自身も、そうした最近の学校の様子は「おかしい」と感じているらしい。


同じ教科書を使えば、判で押したような授業内容になる?

そんなことは本来ありえないでしょう。目の前の子供の実態がクラスによって違いますし、教える教師自身がそれぞれ違う個性の持ち主のはずです。いくら学校としての各教科等の指導計画にしたがって授業をやるにしても、授業展開は異なってくるものです。

それを、だれがやっても同じ授業で良しとしたら、授業名人の映像さえあればいいということになってしまいます。そうなったら、教員定数を減らしたくて仕方がない財務省あたりに、定数削減のための格好の口実を与えてしまうことになります。
同書の180ページには都内のある小学校教員の次のような嘆きを紹介しています。 


学習指導要領に書かれている内容を教えるだけでも手いっぱいで、そのほかに自分の個性を活かした授業を入れるなど、とても無理ですよ。


このような事態が多くの学校で進行しているとすれば、これは深刻な問題です。


授業というものは、おそらく同じものが世の中に二つとしてない、その場限りの「生き物」だと思います。そこで、語られたこと、学んだことこそが人を人らしく成長させてくれるものになる。私はそう信じます。いろいろな意味で危機的な状況にあるわが国の進路を切り開いていく力の源は、何と言っても「教育」であると思います。

特に若い先生方、まず『たった一つを変えるだけ』(新評論)を読んでみてください。


授業で何気なく使っている質問をちょっと変えるだけで、授業が変わっていきます。

そうなれば、授業展開のバリエーションがどんどん広がっていくはずです。

当然、教師自身も面白いし、何よりも子供たち自らが「学びに向かう力」を発揮してくれるはずです。これこそが改訂された学習指導要領で最もねらいとしているものではないでしょうか。

 

2018年6月3日日曜日

ブック・クラブを始めませんか

ブック・クラブは魅力的だ。教員仲間とのブッククラブは、いつも大切な学びの場になるし、地域の人々とのブック・クラブは、とても楽しい交流の時間だ。日々の英語の授業でも、今やブック・クラブは欠かせない活動となっている。私は、決して読書家と呼べるほど本好きなわけではないが、次のブック・クラブがいつも待ち遠しい。

なぜ、これほどブック・クラブにはまっているのか。理由は、いくつかある。

一つには、ブック・クラブはシンプルであるということだ。気軽に実施できる。ブック・クラブは、「特定の本をメンバーが事前に読んできて、面白いと思ったところや考えたこと、そして疑問に思ったことなどについて話し合う会」(吉田新一郎,『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』, 2013,新評論,p.13)というのが基本だから、特別な準備は必要ない。とはいえ、ブック・クラブがあるとなると、必然的に読み方は変わる。皆、話したいところに付箋をつけたり、線を引いたり、時にはノートを作ってきたりする。話したいこと、伝えたいことを選び出しているのだ。

理由の二つ目は、単純に楽しいということだ。本を読むことがこんなにも楽しいことだったのかと、再発見する。これは、おそらく、一緒に語り合う仲間がいるからだろう。仲間と一緒に意味を創り出すということが、「スリル」に満ちた、楽しい体験なのだ。言いたいことが言え、聞きたいことがきける。思いもよらない解釈に出会うこともある。その中で、自分なりの意味や解釈が見出せたり、修正されたりする。また、ブック・クラブでの発言が、仲間に認められることもうれしい。自分自身の存在意義が確認できるのだ。一人で読んでいた時にはなかったことだ。

もう一つの理由、そして、おそらくこれがもっとも重要だと思うのだが、本を読み、語り合うことを通して、主体的で、深い学びが生まれるということだ。英語の授業でブック・クラブを経験した学生は、「これまでは、先生がおもしろいと思うポイントを教えてくれていた。ブック・クラブでは、自分たちでいいところ見つけて交換するので、たくさんの視点が得られる。」と述べている。自分自身が意味を創り出す側に立ったことが新鮮だったようだ。また、先日の教員とのブック・クラブでは、「私たちは、子どもの質問に答えるとき、彼らを非力な存在として扱い、一方的なやりとりをしながらがんじがらめにすることで、教師としての権威を維持しているのです。」(ピーター・ジョンストン (2004)『言葉を選ぶ、授業が変わる』ミネルバ書房,p.146)という一節で、30分以上熱い議論が続いた。このブック・クラブでは、本から離れた議論に発展することが頻繁に起こる。自分自身の日頃の授業や行動と関連付け、振り返り、議論が深まっていくのだ。この日の参加者の最後の発言は、「え!もう2時間経ったの。」だった。

しかし、日本人の本との付き合い方はかなり深刻な状況になってきているようだ。1日の読書時間がゼロの大学生の割合が53.1%となったのだ(全国大学生活協同組合連合会,2018)。半分を超えている!この原因を詳細に調査した、同志社大学学習支援・教育開発センター浜島幸司さんによると「スマホ利用が読書を減少させたという説は支持されない。むしろ、最近の大学生の高校までの読書習慣が全体的に下がっていることの影響が大きい」とのこと(http://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html)。

実は、教員も本を読んでいない。連合総合生活開発研究所の調査(2015年12月)によると、教員の一日の読書時間は、平日は小学校14分、中学校13分(労働者全般 35分)、休日は各42分・32分(労働者全般 69分)だった(渡辺敦司「先生が本を読む時間、15分も取れない!? その深刻な問題」http://benesse.jp/kyouiku/201602/20160226-1.html,)。確かに、今の学校は多忙だが、それだけが原因ではないだろう。もしかすると、教員にも読書習慣がない人がかなり増えているのかもしれない。教科書を教えていれば、授業が成立してしまう、そういった学校教育が何十年も繰り返されてきたのだとしたら、教員が新しいことを学び続ける必要性を感じなくなるのは当然だ。

先生が、本を読んで学んでない(学ぶ時間がない)というのは、かなり深刻な事態だと思う。反論もあるだろう。校内研修もたくさんある、校外での研修でも忙しいと。しかし、それらは「非アクティブ」な学びだ。本を読むことは、時に骨の折れることだ。研修会に黙って座って、その時間をやりすごす方がはるかに楽と言えるだろう。

今一度、本を読むことの価値を見直してみる必要があるのではないか。そのきっかけをつくってくれるのがブック・クラブではないかと思う。学校でブック・クラブをやってみませんか。最初は、数人でいい。小さく初めて、仲間を増やしていけばいい。

教員の学びのコミュニティーづくりは、ブック・クラブから始めることをお勧めしたい。気軽に始められて、楽しく深い学びに発展していくのだから。まずは、我々が「主体的、対話的で深い学び」を堪能しませんか。