2019年9月15日日曜日

小学校教育にプログラミング教育はいらない!?

2020年度に小学校でプログラミング教育が必修化されます。その準備に向けて、多くの先生方が、慌ただしい毎日に頭を悩ませている。私もその一人です。

先の夏期休業日に、ロボットを使ったある大学で実施されたプログラミング教育研修に行ってきました。プログラミング言語とプログラミングロボットの操作方法や授業づくりについて学ぶはずが、その一台20万円もするロボットの数台が不具合続きで、全然使い物になりませんでした。実際に、道具を使ったプログラミング授業では、こういうことが数多く存在しています。研究発表の当日に、四台あるカメラ付きドローンのうち、2台しか跳ばず、デバッグ(プログラムの修正)で終わってしまい、研究主任の背中に冷や汗が流れた話も聞きました。

さて、このような現状の中、早急にプログラミング教育を導入する意義が本当にあるのでしょうか? 小学校の子ども時代には、PC画面を通して学ぶよりも、畑で植物を育ててどうやって食べようかを考えたり、集まってくる昆虫を捕まえて調べてみるなどの五感を十二分に使うこと、友だちと一緒にたっぷり遊んで心がすっきりしたり、ときにケンカしながらその解決方法を実体験を通して学ぶことのほうが、子どもの育ちには必要だとおもいませんか? 

今、本当にこの小学校時代に早急にプログラミング教育をする意義があるのでしょうか? 

文科省のHPに「未来の学びコンソーシアム」のパンフレットが紹介されています。そこには、プログラミング教育の意義が冒頭から、以下のように語られています。その内容にあまりにも驚いたので全文をそのまま記載します。

2020年度から、すべての小学校において、プログラミング教育が必修化されます。ここで重要なことは、「なぜプログラミング教育を必修化したのか」という点にあります。我が国の競争力を左右するのは何か。それは「IT力」です。ヨーロッパでは、「IT力」が、若者が労働市場に入るために必要不可欠な要素であると認識されています。現に、90%の職業が、少なくとも基礎的なITスキルを必要としていると言われています。そのため、ヨーロッパでは、多くの国や地域が学校教育のカリキュラムの一環としてプログラミングを導入しています。一方で日本はどうかというと、2020年までにIT人材が37万人も不足するという試算もありますが、それは今想像できるニーズだけでそれだけ必要ということであり、潜在的なニーズを含めるとより多くのIT人材が必要だと考えられます。今後、国際社会において「IT力」をめぐる競争が激化することが予測される中、日本も子供の頃から「IT力」を育成し、しっかりと裾野を広げておかなければ、この競争に勝ち抜くことはできません。そのような思いから、小学校におけるプログラミング教育の必修化は実現されたのです。”★★

みなさんはこれを読んでどのようなことを感じましたか? 我が国の競争力? 労働市場? 競争に勝ち抜くこと? 下請けプログラマーを育成するのが目的なのでしょうか? 何か大きな違和感を感じざるを得ません。

実際、年間指導計画がまだ未知数にもかかわらず、すでに走り始めている学校も数多くあります。算数で正三角形の書き方を扱った具体的な授業が「プログラミング教育の手引き」には記載されていますが、そもそもこのような授業がこれまで日本が大切にしてきた「情報」とのつながりや、今後、中学校、高校へとどのようにつながっていくのか、これからの学びの見通しが示されていません。実際にプログラミング教育の小中高の接続と見通しがどうなっているのか、上記の大学で行われたプログラミング教育の研修で質問してみても、「まだそこは未定。できることからやっている」状態でした。

このような状況にもかかわらず、2020年度のスタートを切ることで、文科省の方たちはプログラミング教育によって、将来「国際社会においてIT力をめぐる競争の激化」の中で「勝ち抜く」人であふれかえることを夢見ているのでしょうか。これこそプログラミング的思考★★★を使って、筋道立ててよく考えてほしいものです。現在、どれだけの多くの先生たちがプログラミング教育新規導入に翻弄されているのか。学校現場では、パソコン操作や新しいプログラミングアプリの扱い方程度の時間を費やして、適当にやり過ごすことが目に浮かんでしまいます。早期における「IT力」が将来必須だからといって、果たして現行の教科教育に申し訳なさそうに年間数時間のプログラミング教育を付け足し実装したところで、一体どのような効果を小学校であげられるのでしょうか。

校内研修で「ScratchMITが作った子ども向けのプログラミング言語)」を全教員で使ってみました。すると、多くの教員たちが、そのプログラミングの「おもしろさ」に釘付けとなり、これまでそれに全く縁のなかった先生たちが夢中となりました。その一方で、気づかずに「夢中にさせられてしまうこと」への懸念も反省として挙がりました。昨今の子どもたちの生活の3分の1を占める長時間のスクリーンタイムやデジタル中毒への懸念も話し合われました。

“ジョブズは2010年末に『ニューヨーク・タイムズ』紙の取材を受けた際、記者のニック・ビルトンに対し、自分の子どもたちはまったくiPadを使っていないと語っている。「子どもが家で触れるデジタルデバイスは制限しているからね」 ジョブズだけではない。ビルトンの記事によれば、IT業界の大物たちの多くが似たようなルールを取り入れている。” アダム・オルター著・上原 裕美子訳『僕らはそれに抵抗できない』Kindleの位置17

あのジョブズでさえも、子どもにiPadを渡していませんでした。プログラミング教育が教育全体にとってどのような意味があるのか包括的に眺めてみて、「IT力」の早期学習、この意味を今一度、子どもの育ちから考え直してみるよい機会です。


~~~~~~~~~ ここから Facebookの続き~~~~~~~~~

子どもたちの発達段階におけるデジタルメディアの扱いについて、医療面からの指摘もあります。PC画面を凝視することによる、目の瞬き数の現象から近視が増加することに加え、画面のブルーライトにより、脳内ではアドレナリンが分泌され興奮状態が続き、いざ就寝時間となってもぐっすりと眠れない状況が続きます。睡眠不足は、思春期特性の鬱を併発させてしまいます。

また、ある動画サービスは一つのドラマが見終わると、さらに次のドラマを自動にオススメしてくれ、気づいたらいつの間にか数時間も動画を観てしまっていることも。TVゲームや携帯ゲームをしていても、さらに新しい挑戦課題が与えられ、画面の向こうから即座のフィードバックにより、よりいっそうゲームに夢中になりフロー状態が止まらず、ゲームに釘付けにされてしまいます。友人にネトゲ廃人だったことを告白してくれた人がいました。仕事が終わり家に帰った瞬間にPCログインして朝までオンラインゲーム漬けの日々で、その後の疲労感たるやなんたるや。仕事に支障を来してしまった話を生々しく聞いたことがあります。私たちは、スクリーンタイム中毒の浸食により、どれだけの貴重な成長の機会やそもそも幸せに過ごす時間を失ってしまっているのか、計り知れません。★★★★

“テキストメッセージの会話では、言葉にならないものが偶然的に生じたり、曖昧なものを許容したりする余地がない。話すときの「間」や、声のピッチを意識することもないし、思わず吹き出したり、鼻で笑ったりという動作が混じることもない。非言語的な手がかりが存在しないので、それらを読み取らねばならない対面のコミュニケーションではどうすればいいのか、そのスキルを学ぶ機会が奪われている。”アダム・オルター著・上原裕美子訳『僕らはそれに抵抗できない』Kidleの位置4179

このような能力は「スクリーンではなく、人と接することによって、幼い子はもっともよく学習する」とアメリカ小児科学会も主張しています。心理学者シェリー・タークルも『一緒にいてもスマホ』に、「テクノロジーが子どものコミュニケーション能力を貧弱にすると主張している」と述べています。人と関わっていく力は、面と向かって相手と話すとき、その言葉の奥にある非言語の意味をやりとりしている高度なコミュニケーション能力です。言葉に表されるもの全てが、常に論理的であり、無駄のない会話はなんてありません。こういう実際に相手とかかわりながらでしか学べないことを、小学校時代に経験する機会をできるだけ増やしたいと思うのです。

IT力」は私たちの生活において、今後、避けては通れないものであり、生活や学習を促進する側面をもっています。AIを活かしたiPadを媒体として、デジタルメディアは教育にすばらしく貢献しています。その一つにプログラミングももちろん含まれます。その扱い方は、利用する子どもと大人がしっかりと相談しながらルールをおのおのが決めていく必要があります。しかし、こういったメディアに早期に触れ、より早くに技能を磨くことが、果たして小学校段階にふさわしいのでしょうか。

将来のグローバル化された社会で活躍に求められるのは、AIにはできない創造性。創造的な仕事をするには、幼い頃の原体験こそが必要です。だからこそ、それらをしっかりと道具として利用できるだけの人間力を育てていく必要があります。また、「IT力」を使いこなせるには、人とのつながりや相手の様子を観察できる人間のもつ心理学や哲学も欠かせません。★★★★★

そもそもこの時期に必要な育ちとして、遊ぶことをもっと奨励されるべきです。千葉大学の調査によると、8割の小学生が外遊びをしない現状! その理由は忙しいから。この方が大いに喫緊の問題です。★★★★★★

遊びを通して、これまでの子どもたちは多くのことが学べます。人との関わり方や集団への参加も遊びを通して獲得してきました。実際に、狩猟採集民はそうやって生活してきた! 今一度、ピーター・グレイ著・吉田新一郎訳『遊びが学びに欠かせないわけ』https://projectbetterschool.blogspot.com/2018/03/blog-post_18.html、この本を読み直して、心してプログラミング教育について考え直してみてはどうでしょうか? 本当に、取り返しがつかなくなる前に。



★ 文科省はすべてのプログラミング教育にPCを使って学習する必要はないといっていますが、実際にアンプラグド(パソコンを使わないで)の人の手によるプログラミングは使い物にはなりません。掃除の手順書や給食室までの行き方を書き出したところで、人の解釈が入ってしまい、書いたとおりのプログラミングにはなかなかならないのが現状です。

★★「未来の学びコンソーシアム 小学校プログラミング教育必修化に向けて」パンフレット

★★★ プログラミング的思考とは「自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、 一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、 記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、 といったことを論理的に考えていく力 」文部科学省「小学校プログラミング教育の手引」より
https://miraino-manabi.jp/assets/data/info/miraino-manabi_leaflet_2018.pdf 

★★★★ 小学校の発達段階に、デジタルデバイスによる脳や健康への影響を調べた文献があれば、pro.workshop@gmail.com宛まで、ぜひ教えてください。このような状況が、子どもの発達段階に望ましいとは思えません。

★★★★★ Schools Say No to Cellphones in Class. But Is It a Smart Move? 
日本では、プログラミング教育に対する健全な批判は数多くないようですが、海外のサイトには上記したようにそれにまつわる健康被害やデジタル中毒に関して、数多くの情報が挙げられています。アメリカではスクリーンタイムが平均10時間という社会問題へと発展しています。ここに紹介したTEDトークでは、デジタルツールを使っていると常に脳が活動して、リラックスできないことを、自然体験の実験を通して教えてくれるものです。

★★★★★★ クリスチャン・マスビアウ著『センスメイキング』に詳しくあります。いかに「IT力」が発達して、多くのデータを処理できるようになったとしても、それを扱うのは最終的には人間です。よりよくAIを活かしていけるためには、哲学や心理学といった人文科学を豊かに学ぶことこそ、よりよく活かせると訴えています。

★★★★★★★ 「外遊び」小学生の7割しない 地方も都市部も同じ実態 千葉大調査 https://mainichi.jp/articles/20190530/k00/00m/040/072000c

2019年9月8日日曜日

授業の中心は教師? 生徒全体? 生徒一人ひとり?


 いま、『教育のプロがすすめるイノベーション』(ジョージ・クーロス著)のブッククラブが少なくとも10ぐらい行われています。
 その中で、参加者から出されるコメントで多い箇所の一つが以下の部分(14~15ページ)です。

ある教師は、「革新的な教え方は、生徒の学びをより良くするための絶え間のない進化です」と述べています。
さらに、授業の中心は教師ではなく、生徒全体でもなく、生徒一人ひとりであると述べています。このような環境をつくり出すために毎日問われなければならない質問は、「この学習者にとって、何が一番よいのだろうか?」ということです。
教育の個別化と、私たちが「奉仕する★」生徒たちへの共感が、教え方・学び方のイノベーションのはじまりなのです。

 あなたは、上記の部分を読んで、どのようなことを考えましたか?

本文ではわずか6行ですが、日々の授業の捉え方について、核心的な部分がつかれているので、多くの参加者(教師)がコメントするのでしょう。たとえば、以下のような形でです。
①自分の授業や教え方は、生徒の学びをより良くするために絶え間なく進化しているだろうか?
②自分の授業は教師中心だろうか? クラスの生徒全体だろうか? 一人ひとりの生徒だろうか? それとも、そのいずれでもなく、教科書中心になってしまっているだろうか?
③自分は「この学習者にとってのベスト」という捉え方を授業でもったことがあるだろうか?
④自分の生徒への共感をもったことがあるだろうか? 「奉仕する」という言葉とも関係するが、共感するとはどういうことだろうか?

(この本は『理解するってどういうこと?』と争うぐらいに、本の中に質問形の文章が多いだけでなく、読んでいる間に自らの問いも生まれる本です。この2つの要素はいい本のバロメーターとして使えるのではないかと思っています。問いは思考を活性化させるだけでなく、実践の転換とイノベーションも起こしますから。それに対して、正解的な文章は、それらが弱い気がします。納得した気になって終わってしまい、あとに引きずる分量が少ないからでしょうか?)
上記の①~④は、さらなる疑問・質問も生み出します。
①絶え間なく進化させる必要など、そもそもあるのか? もし必要なら、それはどうやって可能なのか? どういう方法があるのか?
②自分や教科書中心ではなく、生徒全体と言いたいところだが、クラスの6~7割のレベルの(仮想の)生徒に焦点を当てることで、生徒全員が満足できないことは分かっていることだ。一人ひとりの生徒に焦点を当てる授業など可能なのか?★★ それは、③の質問そのものだが、自分自身「この生徒にとってのベスト」という捉え方自体をしたことがない! 教科書の指導書や研究授業の指導案が、この捉え方とは極にある存在ではないのか?
 たしかに教師の多くは、テストのために教科書の内容を全部カバーしなければならないという強迫観念にとらわれています。しかも、それは自分がカバーしてあげないと、生徒たちだけでは理解できない/学べないと。しかし、ある(高校の先生たちが対象の)ブッククラブで、「授業のどのくらいを生徒たちに委ねられますか?」と尋ねたところ、なんと7~9割という答えが暗記教科といわれている理科や社会でさえ出されたのです。
 結果的に、教師が一人でがんばり、生徒たちのほとんどが受け身的に学ばされる(この言葉を使うこと自体おかしく、より正確には「暗記させられる」)授業ではなく、テストの準備は全体の1~3割で十分で、残りは生徒たちの探究を中心にした学びができると結論づけたのです。
 自分の価値観とそれに基づく実践を大きく転換するきっかけが、ブッククラブから得られた瞬間でした! ぜひ、あなたも(可能ならブッククラブ形式で)読んでみてください。


★訳者注・日本の教育界で、「教師が生徒に奉仕する」という感覚はまだ希薄だと思いますが、単に「かかわる」や「接する」と訳してしまっては、教師自身が絶えず挑戦し、変わる必然性はなかなか見えてこないと思いますし、この言葉が原書のキーワードの一つであることからも、この聞きなれない言葉を使うことにします。
★★①に、従来の教員研修や研究授業は役立ちそうにはありません。本書および『「学び」で組織は成長する』と『シンプルな方法で学校は変わる』を参照してください。②と③の質問に興味をもたれた方は、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』(プラスhttps://sites.google.com/site/writingworkshopjp/teachers/osusume のリスト)が、④に興味をもたれた方は、『イン・ザ・ミドル』がおすすめです。


2019年9月1日日曜日

問いを自分で立てるということ

社会の変化が人間の予測を超える進展をする中、我が国の学校教育は「主体的、対話的で深い学び」(いわゆるアクティブ・ラーニング)をキーとなるコンセプトにすえて、未来に備えようとしています。アクティブ・ラーニングという考え方は、大学教育の質的転換を求めた中央教育審議会答申(2012)⭐︎1 で登場し話題になりました。その後、「主体的、対話的で深い学び」という言葉に衣替えをして、初等中等教育に登場します。

新学習指導要領の実施を目前に控え、「主体的、対話的で、深い学び」の実現を目指した授業づくりの試行錯誤が始まっています。先日も、ジグソー活動⭐︎2 を取り入れた授業を見ました。異なる情報をもった学習者が、その情報を交換し合うことにより、協働で学び合い、一つの課題に対する答えを探ろうとする活動です。

ペアやグループでの話し合い、そして、それをクラス全体で共有するセッションなどがあり、活発に意見を交換していました。授業は良く練られていて、生徒たちもそれなりに意欲的に取り組んではいました。少なくとも、従来の知識伝達型の授業からは大きく変わりました。

しかし、生徒たちが本当に夢中になって、その活動に取り組んでいたかどうかについては、疑問が残りました。どうしても知りたい。どうしても学びたい。どうしても話したいというほとばしるような気持ちは感じられなかった。

結局のところ、教師が準備した正解に到達するための授業になってしまっていたのではないかと思います。

「哲学対話」⭐︎3 という手法に取り組んでいる河野哲也さんは、『じぶんで考えじぶんで話せる こどもを育てる哲学レッスン』という本の中で次のように述べています:

「大人や教師が考えさせたがっている問いをこどもに与えてしまうと、その瞬間から、こどもは大人が求める正解を探ろうとします。あるこどもたちは大人の期待に応えようとしますが、他のこどもたちは全く興味を失います。<中略>正解を知っているのは先生なのですから、他の生徒の話など聞く必要はありません。自信のないこどもは議論に参加せず、正解が出た後に先生と大勢に追従しようとします。そうして、クラスの話し合いは、少数のこどもと先生の間の正解に至るまでのやり取りに過ぎなくなります。そうしたやりとりは到達地点が決まっているので、根本的には無駄であり、結局、本気で取り組もうとするこどもはいなくなります。」(p.108-109)⭐︎4

子どもたちが、何らかの問いに真剣に向き合い、探ろうとする気持ちをもてるには、問いを子ども自身が立てる必要があるのでしょう。

子どもたちが本当に知りたいことなのか。子どもたちが本当に探りたいことなのか。子どもたちがより深く考え答えを見出したいことなのか。子どもたちの自発的な問いからスタートすることが、探究的な活動の第一歩になると言えそうです。

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⭐︎1 文部科学省(2012)『新たな未来を築くための 大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)』

⭐︎2 ジグソー法については、知識構成型ジグソー法の研究に取り組んでいる東京大学CoREF参照。https://coref.u-tokyo.ac.jp/archives/5515

⭐︎3 「哲学対話」に興味を持たれた方は、以下をご覧ください。
◯日本経済新聞社 「キセキの高校」 https://r.nikkei.com/stories/topic_DF_TH_19050800
◯小笠原 綾子「「なぜ?」を深掘りする「哲学対話」でイノベーションを」https://blog.timecrowd.net/tetsugakutaiwa-inovation/
◯梶谷 真司(東京大学大学院 総合文化研究科 教授)「考える自由のない国―哲学対話を通して見える日本の課題」https://www.projectdesign.jp/201601/ningen/002667.php

⭐︎4 河野哲也(2018)『じぶんで考えじぶんで話せる こどもを育てる哲学レッスン』河出書房新社

2019年8月25日日曜日

自分の授業を見直す

先日、この4月から東京都や埼玉県、神奈川県などで教師としての生活をスタートさせた教え子たちと再会する機会がありました。たった数か月ですが、学生時代とは違った精悍な顔つきになった彼らの様子を見ると、仕事で鍛えられたくましくなったように感じました。
翻って、自分の初任時代を思い起こすと、真っ先に脳裏に浮かんだのは「授業日誌」のことでした。この日誌は毎日、その日の授業で気になったことやうまくいかなかったこと、生徒の様子で記憶に新しい残ったことなどを書き留めたものです。これは、自分で思いついて始めたことではなかったのですが(実は、学習指導主任の先生から書くように言われたのです)、いざ始めてみると書くことがいろいろと出てきて1年間続けることができました。その後、学級経営日誌なども付けるようになり、今から思うとあのとき「書きなさい」と言ってくれた先輩に感謝です。この「書く・記録する」ことはその後、教師を続けていくうえで大変役立ちました。
その「授業日誌」について昔読んだ本の一節を思い出しました。
『成長する教師』浅田匡ほか編・金子書房(1988)です。その第10章に「自分の授業を見直す」という箇所があります。そこでは、秋田喜代美氏の教師教育における省察(振り返り)概念に関する省察の三つのレベルが紹介されています。

(1)「いかにできたか」
(2)「なぜこの方法なのか」
(3)「何のために、誰のために(自分の)知識が使われているのか」「なぜこの教材なのか」「なぜこの場でこのような形で授業が成立するのか」

そして、このような分析が可能になるためには、「自分の授業を記述する」ことから「自分の授業から学ぶ」ことが必要になります。そこで、自分の授業を記述することから「授業日誌」を書くことが推奨されるわけです。
この論文で、日誌を書くことは二つの意味があると説明されています。
1つは、自分が覚えているエピソードを書くことで、必然的に先ほどの三つの省察レベルで授業を見直すことができるというわけです。もう1つは、自らが関わる出来事を書くことで、「自己」を書き記すことで、「自分の活動の細かいところまで注意が払われ、自己体験が強化され、拡大されることになる」ということです。
 その本の中では、日誌の形式として、「日時」「具体的な状況」「対象とする子供」「状況の解釈や判断」「用いた手立て」「その手立てを用いた理由」などが紹介されています。
この書式については、やりながら改善を加えていくことで、自分の書きやすい形式が見つかると思います。
 現在は、ディジタル時代ですから、この日誌もディジタルを利用して当然です。米国ではブログなどを利用することが一般的ですが、日本の場合はまだまだこのあたりのイノベーションについては遅れていますから、自分の置かれた場所で無理のない形で進めるのがよいと思います。また、新しいことをすれば、当然守旧派からは反発をされ、たたかれることになります。そのダメージがあまりにも大きければ、好きな教師の仕事も続けられなくなってしまうこともありますから、そのあたりはバランスをよく考えるとよいでしょう。
今後、「現状維持型」の教師から「イノベーション型」の教師へ、多くの先生方がそのように変わっていけばよいと思います。

2019年8月18日日曜日

「もっとも大切な人」


今となっては、この写真をどこで見たのか覚えていません。

ある教師が、医者の待合室で撮った写真だということと、その文章を教師と生徒との関係に置き換えられたらどんなに素晴らしいだろう、ということだけは覚えています。

 詩を訳すと、次のようになります(直訳バージョン)。

患者は、私たちの仕事でもっとも大切な人です。
私たちは彼らが来てくれることに依存しているように、
彼らは私たちの専門性に依存しています。
患者は、私たちの仕事の妨げではありません。
患者こそが、私たちの存在意義です。
患者が私たちのところに来てくれることで、大いに助かっています。
私たちが彼らに役立つことで、助けているのではありません。
患者は統計値でもありません。
それぞれが、私たちと同じように、感情と気持ちをもった人間です。
彼らは、私たちのところにニーズや要望をもってやってきます。
それらを満たすことが、私たちの使命です。
私たちが提供できるもっとも丁寧で思いやりのある治療を
患者は受ける資格があります。
患者は、私たちの仕事の活力源です。
彼らなしで、仕事を続けることはできません。

(直訳バージョンでも)詩のパワーは、すごいです。
どなたか、これを教師バージョンに「リミックス」★してみませんか?
 しかし、より大切なことは「あるべき姿」を額に入れて飾ることではありません。
 実践することです。
 あなたにとって、それをもっとも体現した形で投げかけてくれているものは何ですか?
 私が推薦できるのはたくさんある中で、特に『教育のプロがすすめるイノベーション』と『イン・ザ・ミドル』です。




オリジナルバージョンの素材を一部や大部分を抜くなど、積極的に新しいバージョンを作成すること。

2019年8月11日日曜日

 学校研究はチームづくりと明確な目標を



多くの学校がプール指導や出張、さらには研修に追われた夏期休業の前半戦の終わりもみせ、いよいよ多くの教員たちは夏休みになった頃でしょうか。初任者はまだ初任者研修が続くと聞きますが。

束の間のお盆休みを終えると、研修の後半戦がはじまります。

さて、あなたの職場の学校研修では、あなたはよりよく学べていますか? もしそうなら、どうしてでしょうか? もしそうでないのなら、なぜ学べないのでしょうか?

よく学べていると感じるのは、きっと研究主任の先生が、職員皆さんのために職場づくり、そして研究テーマの授業づくりへとバランスよく取り組めるように場作りをしてくれているのではないでしょうか。そのことをぜひ、フィードバックしてあげてください。

いかに研究主任の仕事は孤独な仕事か!そもそも、多くは誰にも歓迎されていないプラスアルファの仕事と受け取られがち。学校研究に「学びがある」と言えるのならば、主体的に参加しているあなたの力だけではなく、素晴らしい管理職や研究主任などの支えがあってのことでしょう。

一方、校内研修で「学びがない」と感じているのなら、どうしてそうなってしまったのでしょうか? 学校全体が一つにまとまって取り組んでいくはずの研修が、うまく機能していない。それぞれの学年がやっていることは見えてこなかったり、ベテランの教師から「チャンスだから」と勧められて?授業をやらされたこともあるのでは。理由はまだまだありそうですね。

人に学びが起こるには、いくつか原則があります★。人が学び始めるには、心理的な「安心感」があることは基本です。「こんな授業をしてしまったら、批判されるのでは」「こんな意見をいってしまったら、恥ずかしい」など、その不安のなかでは、のびのびと試行錯誤や失敗をしながら、教師が成長していくことができないばかりか、言われたこと、管理されたことを指示されたとおりにやっていくことが一番安全。そこでは、自分の身を守る術を学んでいくことになってしまいます。

学校研究を通して、職場内に安心の場をつくろうとしている研究主任の話を、最近、聴くことができました。

「まずは徹底的に、学校研究のハードルを下げることです。指導案もペラ1枚にして、気軽に全員、授業提案ができるようにする。そういった授業はみんなで見合うことができて、その後、気軽に話し合っています」

こういう学校では、何かのびのびと新しいことを学び始めてみようと思えるのではないでしょうか。心理的安全感がある職場ではそれぞれのパフォーマンスが発揮されます★★。このような職場では、ベテラン教師と若い教師が共に学び合えるよい環境が容易に想像できます。

しかし、多くの学校はここで失敗しています。それぞれがお互いのことを知り合ったり、それぞれの価値観をもっと知ろうともしていない。そのような職場集団で、いきなり「学力向上とは」「教科の専門性を深めるには」と研究に入るから、学びが全く発動せずに、「造詣の深い先生」の講義型の知識伝達で終わってしまうのです。その教科に長けている人だけは、イキイキしているかもしれませんが、大抵はその指導者といったところでしょうか。多くの人はついていけずに、こなすためだけの学校研究となってしまいます。

一人ひとりが学び、成長していくためには、メンバーの内に安心感といったチーム作りの要素は欠かせません。この夏の学校研修は、お互いの夏休みのことや教師として大切にしていることから、お互いを知り合うコミュニケーションの量を増やすことから初められるといいですね。

一方、職場内のコミュニケーションが円滑にいくようになってこれたら、そこに止まる必要はありません。職場内の関係性ばかり追ってしまうと、同調圧力が強くなり、それはそれでお互い自由闊達な意見交換ができなくなってしまう恐れが生まれます。仲良しチームになれたとしても、なかなかチームのパフォーマンスが上がらないということはたくさんあるからです。そこで、職場内のチーム作りに平行して、学校研究で追求する「目標を明確に」していくことが必要です。

このチームの安心感とパフォーマンスを発揮することは対立することもあり、バランスよく発揮していく必要があります★★★。学校全体がなんのために学校研究を行っているのか、明確な目標をそれぞれの案で合意形成をつくりあげていく。「どんな子どもに育ってほしいのか?」「本当に身につけてほしい力とはなんなのか?」こういったことこそ、ゆとりのある夏期休業中の校内研修でじっくりと話し合っていきたいものです。

学校研究において、明確な目標があることによって、継続したフォローアップが可能となります。何に向かっていて、どこまでができていて、何ができていないかを教員同士が支え続けるのは、明確な目標がなければできません。これはまさに形成的評価の学習モデルであり、校内研究を通して、教師自身がその職場内に支えてもらえる体験が可能となります。それによって、実際の授業においても、自分が職場の先生たちに教えてもらったように、子どもたちを支援しながら教え続けるといった学習を維持するができるのではないでしょうか。大切なことは、支援し続けること、関わり続けること、研修後のフォローアップですから。



いつまでたっても「研究授業はブロックの代表がしっかり本番の授業を一本やる」は終わりにしませんか。打ち上げ花火のような研究授業には、教師一人ひとりにとってあまり意味を見いだせません。毎日の授業こそが本番です。そのためにも、教師が教師として育っていけるような意味のあるプロセスを体験できる学校研究が望まれます。学校研究をチームづくりで終わることなく、より教師の専門性も高めるためにも、明確な学校研究の目標をもって、バランスよく学校研究をつくりあげていく。そんな夏の研修にしてみませんか?★★★★

PLCの評価基準表 ・その3
https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/03/plc_18.html

★★
「効果的なチームとは何か」を知る
https://rework.withgoogle.com/jp/guides/understanding-team-effectiveness/steps/introduction/

★★★
PM理論 リーダーシップ行動論の1つ。社会心理学者、三隅二不二が1966年に提唱。リーダーシップを「目標達成能力」のパフォーマンスと「集団維持能力」のメインテナンスの2つの能力要素で構成されるとし、そのどちらも兼ね備えているリーダーシップが望ましいとした。

★★★★
この夏期休業中、様々な研修に参加することがあると思います。居心地がいいもの、一方的な知識の伝達で終わってしまうもの。それらを一度ふりかえってみて、チームづくりの集団維持能力の面と明確な目標の目標達成の二つの面で研修を捉え直してみると、自分が次にやるべきことが見えてくるのではないでしょうか。その研修の残念さも!? 

2019年8月4日日曜日

変わる教師の役割

時代とともに教師の役割は変わる。

教師の役割が、一方的に知識を伝授することが中心であった時代は、教師が教室の中で果たす役割は限られていた。生徒たちが学ぼうが、学んでいまいが、用意していた内容を朗々と語ることで事が足りたのだから。

今は、教師がどのように教えるかだけでなく、生徒たちがどのように学んでいるか(あるいはつまづいているか)が、大切にされるようになってきた。教師は、教室の中で、自分自身の実践や生徒の学びを、観察し、振り返りながら、必要に応じて、後戻りをしたり、修正を加えたりする。

教師の果たすべき役割の変化や多様さを考えてもらうために、外国語指導助手(日本の小中学校で英語を教える補助的役割をしている外国青年)の研修会で、教師(teacher)の同意語(synonym)を思いつく限り出してもらった事があった。

出てきた言葉を、大まかに分類すると次のようになった。実に多くの言葉があるの事に驚かされるが、同時に、教師にも多様な役割がある事が確認できる。

・教える人: instructor, lecturer, preacher, professor, trainer
・サポートする人、助言者:tutor, adviser, chaperon, coach, consultant, counselor, helper, mentor, facilitator
・モデルとなる人: example, expert, ideal, model, standard
・リードする人:advocate, captain, director, guru, inspiration, leader, master, pilot, pioneer, governor
・情報提供をする人: guide, informant
・管理する人: authority, conductor, controller, disciplinarian, enforcer, sergeant, counsel
・評価、判断する人:judge, lawyer, monitor, referee, solicitor
・友人、仲間:friend, partner

これらに加えて、外国語教育関係の本に次のような役割が記載されていたので紹介しておきたい(⭐︎)。 先のリストと重複する部分もあるが、これからの教師が担うべき役割について貴重なヒントを与えてくれるのではないだろうか。

◉証拠を集める人(Evidence Gatherer):コミュニケーション活動などをしている時に、生徒のパフォーマンスを観察して、何ができているか、できていないかの情報を
収集する役割

◉フィードバックを提供する人(Feedback Provider):集めた証拠に基づいた、フィードバックを提供する役割

◉プロンプター(Prompter):舞台などで俳優にセリフを教える役割のことをプロンプターというが、この場合は、今やっていることを継続するよう奨励したり、次に何をすれば良いかを提案する役割を指している。背中を教えてあげる役回りということだろうか。

◉編集者(Editor):作文や発表に対して、変更や改善を提案する役割。誤りの修正ではなく、生徒たちがより良く書け、話せるように提案をする事が主目的。

◉活動設定者(Task-setter):生徒が行う活動を設計したり、やり方を説明したりする役割。

教師がこのような役割を担う教室では、学習指導案の位置付けも変わるだろう。前掲書では、学習指導案は「奴隷的に従うための設計図ではなく、行動のための提案(as a 'proposal for action' rather than as a blueprint to be slavishly followed)」としている。

教師が自立して考え、決断していく。そのような教室の姿が想起される。日本の教室もそうなっていくのだろうか。

[文献]
⭐︎Jeremy Harmer (2015) The Practice of English Language Teaching, Pearson. pp.115-117(ジェレミー・ハーマー『英語教育の実践』ピアソン).