2018年7月15日日曜日

教育委員会と同じ問題を抱える学校現場にできることはサーバントリーダーから

本気で組織を変えようと思っていても、立場や役職がないと容易にはなかなか変えられず、知らず知らずのうちに服従していってしまう、そんな心理を前回は書きました。

http://projectbetterschool.blogspot.com/2018/06/blog-post_17.html 

先日、指導主事と話をする機会がありました。そこでは、市行事の後のゴミ拾い、台風への対応、研修受付への出張に加え、情報交換と称した度重なる飲み会など、今、学校現場で叫ばれている働き方改革とはほど遠いものでした。「できることから新しく、少しずつ何かを変えていく草の根からの改革も難しそうです。例年続けてきたことを、忖度しながらも維持することで精一杯といったところでしょうか。


これと同じようなことが学校現場の職員室においても当てはまってしまいます。「昨年度同様、例年通り」を合い言葉に、みんな右向け右の学年団は、職員室を見回すと見られます。


廊下の掲示物は特に学年での共通理解が顕著に現れてしまう良い例です。それぞれの教員のもつ願いや思いのある異なる掲示物が貼っている学年はここ数年、見たことがありません。驚いたことに、低学年の廊下に掲示されていた児童の自画像が、みんな同じ顔だったとうこともありました。鼻の位置も、顔の大きさも体の向きさえも!そこを深夜に通るとなんとも不気味な感じを醸し出していました。子ども達はどんな感想かといえば、「みんなとおんなじかおがかけて、うれしかったです」でした。何か、大事なことが抜け落ちてしまっています。


廊下の掲示物をそろえることに始まり、行事や授業をこなすことで精一杯。または、そろえることで安心してしまい、何のために取り組んでいるのか、どんな子ども達を育てたいのかが抜け落ちてしまっています。


困ったことに、そういう学年団こそが、どこか満足げで学校に大きく寄与していると勘違いしてしまっています。大人はそれでいいのかもしれませんが、子どもはたまったものではありません。本当は好きな絵を自分の思いをもって、好きなように描きたいのが子どもですから。


学校現場には団塊の世代がぬけて、希望を大いに持った若い先生たちが大量採用されました。しかしこのような学校組織では、新しい実践に取り組もうとしても、管理職や学年主任から目をつけられ、「学年の輪を乱すことはやめてほしい」「言っていることは分かるが、それができるとはとうてい思えない」「保護者からのクレームの対象となる」と、指導されてしまいます。「これまでやってきていない」という理由で、「例年通り」を継承する行政組織のように、教育現場では入れ子のように実践の自由さえも封印される若手教員の悲鳴が聞こえてきます。★


このような学校現場では「例年通り」がまかり通り、何か新しく変えていくことができないのでしょうか。思いのある(または、気の合う)学年主任や管理職と運良く出会えることを待つしか未来はないのでしょうか。または、自分がその立場や役職につくまで、ガマンしながらもひっそりとやり過ごすしかありえないのでしょうか。


学校現場をよりよく変えていける取り組みは、まだまだできることがたくさんあります。学年内でそろえようとすることは、不安の表れです。保護者からの指摘や管理職からの評価など、自分を守ろうし、身動きができない状態にいます。そこを情熱で押し切ろうとたり、正論で説得しても対立しか生まれません。学年主任や管理職の持つ不安やストレスを軽減できるよう、こちらからサポートすることから始めてみるのはどうでしょうか。


明日の授業を一緒に考えたり、単元の見通しやアイデアを提供したり、もちろん事務仕事も率先してやっていくこと。時にはその先生が得意とする実践を一緒にやってみる中で、その先生の持つ思いに触れるのも大きな支援となるはずです。よりよい関係を築いていく中で、次第に耳を傾けてくれるようになってくるはずです。このような支援的な関わりを、サーバントリーダーシップと言われています。


このようなリーダーシップをアメリカのロバート・グリーンリーフ博士は「サーバントリーダー」と呼びました。リーダーはまず相手に奉仕し(サーブし)、その後、相手を導くものであるという考え方に基づきます。このようなリーダーシップは立場に影響されずとも、発揮することが可能です。もちろん、子ども達と関わる際の授業のカンファランス(個別指導)でも、大いに役に立ちます。


“サーバントリーダーは、第一にサーバント(奉仕者)である。はじめに、奉仕したいという気持ちが自然に湧き起こる。次いで、意識的に行う選択によって、導きたいと強く望むようになる。(中略)しっかり奉仕できているかどうかを判断するには、次のように問うのが最もよい。奉仕を受ける人たちが、人として成長しているか。奉仕を受けている間に、より健康に、聡明に、自由に、自主的になり、みずからもサーバントになる可能性が高まっているか”
ロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントであれ奉仕して導く、リーダーの生き方」(Kindleの位置No.63-69)★★


今、先生方はこういった高度なコミュニケーションのやりとりができなければ、本当に学年を、学校を変えていこうとする仕事にまでなかなかたどりつけません。しかし、学年の先生とつながり、学年主任や管理職の力になれること、支援し続けるはある意味、自分の学級だけではなくその学年の先生達の子ども達にも影響を与えています。そう考えると、サーバントリーダーシップは、役職を越えて学校を変える可能性があります。


★昨今では、「学校スタンダード(例えば、呼ばれたらハイッ!と返事する。授業の問題は定規を使って四角線で囲むなど)」という、各校の例年通り、どの学年でも同じ指導へとするルール作りが広がっています。たしかに、若い先生方にとっては、ある一定のやり方である「学校スタンダード」は必要でしょう。しかし、全てにおいてそのような上意下達のルールを押しつけることがよいのでしょうか。管理的でありすぎず、子ども達に出会う大人の1人として、先生こそが多様な存在であってほしいものです。


★★
サーバントリーダーを振り返る視点に以下の10個あります。①傾聴、②共感、③癒やし、④気づき、⑤説得、⑥概念化、⑦先見力、⑧執事役、⑨人々の成長への関与、⑩コミュニティづくりなど。興味のある方は「サーバントであれ奉仕して導く、リーダーの生き方」ロバート・K・グリーンリーフ著が参考になります。また、サーバントリーダーシップについて詳しく知りたい方は、グリーンリーフの「サーバンドリーダーシップ」が厚めの本ですが、参考になります。

2018年7月8日日曜日

プロジェクト・ワークショップの増補版『作家の時間』



 プロジェクト・ワークショップは、欧米で主流になりつつある極めて効果的な教え方の一つであるワークショップの学び方・教え方を日本の実情にあった形で実践し、その学び方・教え方を各教科領域で普及させることを目標としたチームです。そして、その取り組みの第一弾が『作家の時間』でした。
『ライティング・ワークショップ』(ラフル・フレッチャー&ジョアン・ポータルピ)を参考にしながら、書くことを好きにするだけでなく、自立した書き手を育てるための教え方・学び方を日本の小学校の先生たちが実践してまとめました。
 作家の時間では、書き手は、友だちや教師と助け合って学び、より良い書き手へと成長していきます。『作家の時間』もまさしくその学び方にのっとって、プロジェクト・ワークショップのメンバーで助け合いながらつくりあげました。
 今回の増補版には、中学高校での実践を加えました。ちょうど10年前にスタートさせた「作家の時間」の中高チームと英語チームのメンバーに声を掛けて、原稿を追加しています。(小学校での実践の部分は、変更なしです。)

 プロジェクト・ワークショップは、「書く」こと以外を学ぶときにも、ワークショップがきわめて効果的だと考えています。ワークショップの教え方は、学習者を主体的な学び手に変え、教室を学習者にとっても教師にとっても学びを楽しみながらも、学習内容を身につけることができる場に変えていくと確信しています。

本書の続編として、「読み」の新しい学び方・教え方を紹介している『リーディング・ワークショップ』(2010年)と『読書家の時間』(2014年)がすでに出ています。

 上記以外にも、メンバーが『「読む力」はこうしてつける』(2010年)、『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』(2013年)、『理解するってどういうこと?』(2014年)、『たった一つを変えるだけ』(2015年)、『算数・数学はアートだ!』(2016年)、『好奇心のパワー』(2017年)、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』(2017年)、『PBL 学びの可能性をひらく授業づくり』(2017年)、『「学びの責任」は誰にあるのか』(2017年)、『増補版「考える力」はこうしてつける』(2018年)、『読み聞かせは魔法!』(2018年)、『言葉を選ぶ、授業が変わる!』(2018年)、『最高の授業』(2018年)、『イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室』(2018年)などの執筆や翻訳に関わっています。

 また、ライティング・ワークショップ(WW)とリーディング・ワークショップ(RW)関連の継続的な情報提供を目的とした「WW/RW便り」というブログ(Facebookは「RW/WW便り」)を、2010年の5月から毎週金曜日に出しています。さらに、メンバーがライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップの研修会も随時実施しています。

 この「PLC便り」は、WWRWの原理を学校経営というか教師の継続的な学びに応用したブログ/Facebookと捉えることもでき、2011年の10月から毎週日曜日に出し続けています。学校経営と教員の学びということに関しては、「ボタンの掛け違い」が多すぎです。その最たるものが、「研修」と「研究」かもしれません。どうも、そう言った途端に「思考停止」状態になりませんか?

 なお、国語以外の教科への応用プロジェクトとして、現在、「数学者の時間」「市民/歴史家の時間」「科学者の時間」を実践中で、できるだけはやく、これらの実践記録を皆さんにお届けしたいと思っています。
 日本での実践記録よりも前に、算数・数学用には『数学的思考を育む(仮題)』(2018年)と、理科用の『科学的探究心を育む(仮題)』(2018年)の翻訳本を先行して出す予定でいますので、お楽しみください。

◆ 『作家の時間』増補版の割引情報
1冊(書店およびネット価格)2376円のところ、
PLC便り割引だと    1冊=2000円(送料・税込み)です。
5冊以上の注文は     1冊=1800円(送料・税込み)です。

ご希望の方は、①冊数、②名前、③住所(〒)、④電話番号を 
pro.workshop@gmail.com  にお知らせください。

※ なお、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが出ることがありますので、予めご理解ください。

2018年7月1日日曜日

メンターとしての指導主事の成長と悩み


県教委が実施する英語教員研修のサポートを依頼された。その時の私からの提案は、講演や演習のみの集合研修タイプのものはやめようというものだった。その代わりに、二つのことを実践することにした。一つは、参加者が、教室において、自らの力量を伸ばすことのできる長期的、継続的な研修を行うこと。もう一つは、研修を企画運営する側の指導主事も一緒に学ぼうというものだった。

参加者は、テーマを決めて、各自の学校で、小規模な実践研究(アクション・リサーチ)を行ない、指導主事は、メンタリングについて学びながら、メンターとして受講者をサポートする新しいタイプの研修がスタートした(「自律型共同研究による英語教員研修の実施とOJTによるメンターの育成」,教員研修モデルカリキュラム開発事業, 教員研修センター,2010-2012委託事業)。そのうち、今回は、メンターとして関わった指導主事の皆さんのことを書いておきたい。

指導主事グループの研修には3つ目的があった。
(1)メンタリングの理解
メンタリングに関する本(福島正伸(2005)『メンタリング・マネジメント』(ダイアモンド社)を、オンライン・ブッククラブで読み、意見交換をしたり、情報を共有する。
(2)メンティー(受講者)の理解
電話、メール等による相談、授業参観、面談を行い、その結果をジャーナルに記録する。定期的に、メンター会をもち、そのジャーナルの報告や情報の共有をすることで、より深い受講者理解を図るとともに、必要な支援策を考える。
(3)メンタリング・スキルの定着
メンタリングの事例研究と振り返りのセッションをもち、メンターとしての成長を確認するとともに、自身の課題を明らかにする。

1人の指導主事が、6〜8名の受講者を担当し、他にも多くの業務を抱えた中で、彼ら、彼女らは、熱意をもって、メンタリングを学び、そして、メンティーを支え続けた。また、メンター会での事例研究や振り返りを経て、メンターの間にも良い人間関係が形成されていくことが見て取れた。

年度末に、メンターの振り返りのワークショップを行い、成果と課題をまとめた。

メンターとしての成長と気づきとして、次のようなことが出された。
1)自分自身の強みや課題の発見することができた。
2)メンティーの成長を確認できる喜びを実感した。 
3)メンタリングを通じて身につけた知識やスキルの通常の業務への応用ができた。

ワークショップ後に書いてもらった振り返りには、「他のメンターや講師の先生から自分自身の関わり方を認めてもらったり、自分の発言を価値付けてもらったときに喜びを感じた。」(メンターK指導主事)とある。

一方、課題として次の3点が出された。
1)時間的制約が厳しい。メンティーともっと関わりたいと感じた。今後は、職場内での同僚とのピア・メンタリングなどが必要ではないか。
2)教科(外国語教育)の専門的知識の不足を実感した。メンターの自己研修も必要だが、大学などの専門機関との連携も不可欠。
3)待ち(傾聴)と攻め(リーダーシップ・指導助言)のバランスの判断が難しい。受講者の現状と行政からの要請の板挟みで悩んだ。

振り返りの言葉には、メンターとして関わった時のもどかしさが読み取れる:

「傾聴と待つということを意識した。できるだけ相手の話してもらえるように問いかけた。すいぶん待った。実は何もしなかっただけかもしれない。でも、そんなことを考えている自分は、あきらかに6年前にはいなかった。」(メンター I 指導主事)

「「私の中にあなたの答えはないよ。」「でも一緒に歩いて行く覚悟はあるよ」ということを相手に伝える覚悟をもつことが、私かなあと思っています。「信頼され、尊敬される理想のメンターではないけれど、腹が立っても、がっかりしても、メンティーを信じ続けたいと思っています。」」
(メンター Y指導主事)

メンターとして関わることは、簡単ではなかったようだ。指示や管理をしている方が、簡単なのだろうとの意見もあった。しかし、その悩み抜いたプロセスは、メンター自身の成長ももたらしていた。

オンライン・ブック・クラブでみんなで共感しあった一節がある。

「人は自分の力で成長しようとしない限り、成長することはできない。」(福島,2005,p.24)

皆、これを実現しようと努めた。必ずしも、大成功を収めたわけではなかったが、メンティーとともに、学び続けたメンターの姿には心打たれるものがあった。自分の力で成長しようとするメンターの姿がそこにはあった。

2018年6月27日水曜日

新刊情報 『成績をハックする』



『成績をハックする ~ 評価を学びにいかす10の方法』スター・サックシュタイン著



「ハッキング」と聞くと、不正侵入[ハッカー行為]するという意味で捉えられがちですが、「切り開く、うまくやり抜く、やり遂げる、巧妙に改造する」などの意味もあります。この本では、巧妙に改造する」と捉えています。現状を当たり前のものとして受け入れず、嫌なものを壊してつくり直そうとすることです。ポイントは、問題となっていることを常に「学びを改善するためのチャンス」と捉えることです。これは、日本の教育界に欠けている大事な視点であると同時に、必要な行動ではないでしょうか。
 それを、成績と教育評価の分野でやってしまおうというのが本書の内容です。
生徒たちは、みな知りたい、できるようになりたい、成長したいと思っています。そうした生徒たちを支えるのが教師の仕事です。しかし、教師ばかりが一生懸命になっていて、生徒たちを自立した学び手に育てられていない現状があります。その原因の一つは、評価・成績にあります。成績を付けることを負担に思う教師、苦しんでいる教師が多いにも関わらず、成績を付けることが慣習的に繰り返され続ける限り、生徒たちの成長にとって弊害を生み出し続けることになります。
この負のスパイラルを断ち切る出発点は、本書を読むことです。
自己評価力をそなえた自立した学び手へと生徒たちを成長させるために、これまでのように教師が成績を付けることに躍起になったり、頭を悩ませたりするのではなく、教師が教育評価に対してどのような考え方をもち、どのようなことを実践し、どのように教師と生徒たちが協力していくことが必要なのかを明らかにしています。
本書で示されているように成績をなくすことは、教師の負担感や無力感をなくすだけではなく、自己評価力をそなえた自立した学び手/自ら考え判断し実践していく人間を育てるのに役立つのです。

1冊(書店およびネット価格)2160円のところ、
PLC便り割引だと     1冊=1800円(送料・税込み)です。
5冊以上の注文は        1冊=1600円(送料・税込み)です。

ご希望の方は、冊数、名前、住所(〒)、電話番号を 
pro.workshop@gmail.com  にお知らせください。

 なお、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが出ることがありますので、予めご理解ください。

2018年6月23日土曜日

様々な世界とつながる教室

今回の学習指導要領の改訂で「見方・考え方」が各教科共通の視点としてその中に整理されました。
その解説によると、「見方」とは、「対象を捉える視点」であり、「考え方」とは、「対象へ迫るアプローチの仕方、方法」です。また、その「見方・考え方」はそれぞれ、教科固有のものがあるという前提で考えられています。
この「見方・考え方」を強調することは、私なりに考えてみると、その教科の本質的な面白さ、楽しさを追究するというねらいが指導のポイントとして強調されているものと思います。

そこで、具体的に小学校理科で考えてみます。
単元「振り子の運動」について取り上げることにします。
「振り子の運動」については、小学校学習指導要領・理科解説では次のように記載されています。

第5学年の目標 (1) 物質・エネルギー
物の溶け方,振り子の運動,電流がつくる磁力についての理解を図り,観察,実験などに関する基本的な技能を身に付けるようにする。
物の溶け方,振り子の運動,電流がつくる磁力について追究する中で,主に予想や仮説を基に,解決の方法を発想する力を養う。
物の溶け方,振り子の運動,電流がつくる磁力について追究する中で,主体的に問題解決しようとする態度を養う。
   (以下省略)

さらに、学習指導要領解説では次のような説明が記載されています。

ここでの指導に当たっては,振り子の長さや振れ幅を一定にしておもりの重さを変えるなど,変える条件と変えない条件を制御しながら実験を行うことによって,実験の結果を適切に処理し,考察することができるようにする。その際,振れ幅が極端に大きくならないように適切な振れ幅で実験を行うようにする。(下線は筆者が付け加えたもの)
また,振り子の長さは糸などをつるした位置からおもりの重心までであることに留意する。さらに,伸びの少ない糸などを用いることや,おもりの数を増やして実験するときに,おもりを下につなげてつるすと振り子の長さも変わってしまうことがあること,測定中の振れ幅の減少ができるだけ小さい振り子を使用することなどに留意する必要がある。
他教科等との関連として,実験を複数回行い,その結果を処理する際には,算数科の学習と関連付けて適切に処理できるようにする。

この通りに授業をやるとすると、あまり面白みのない授業になってしまうでしょう。
そこで、まず工夫すべきは導入部です。
最初の発問は次のような内容でどうでしょうか。
「みなさんの身の回りで、規則正しく動くものにどんなものがありますか?
5年生であれば、「時計の秒針」「心臓」「人工衛星」など、いろいろ子供からの発言があると思います。
そこで、実際に実験として取り上げられることが可能だというものから、「振り子時計」(本物が用意できれば、それを提示するし、なければ写真でもよい)を子供に見せます。
そこから、ガリレオのエピソードなども交えながら、「振り子の運動」について調べることを、その時間の目標とします。
「振り子の運動」では何が規則的になるのか。子供に予想させます。
いろいろな意見が出され、検討されることが重要です。教師がすべて用意して、「さあ、これをやってみましょう」では料理番組と同じです。時間的に、そんなに長い時間、試行錯誤をさせる余裕はありませんが、それでも考える時間は取りたいものです。
「振り子の運動」はガリレオが行った実験の一つであり、地上の重力下における様々な運動の関連を見いだした歴史的な実験です。また、観察・実験を科学に本格的に持ち込んだのも、このガリレオが最初であり、その意味でもこの「振り子の運動」を扱う意義はもっと子供たちに科学の歴史という視点から強調されてもよいと考えます。

武谷三男の「物理学入門」によると、「振り子の等時性を発見しただけでなく、落下の加速度と振り子の周期の間の一定の関連を見出したのである。」と、地上の物体の運動を通して、力と運動との関連性を発見したことが記されています。その意味では、ニュートンの運動の法則につながる実に大きな研究だったことがわかります。

 4年生で学んだ「月と星」あるいは6年生で学ぶ予定の「月と太陽」のどちらも天体の運動を扱うものですが、中世の地動説裁判にガリレオがかかわってくる話は子供たちにとっても興味深いものになるでしょう。それと同時に、地上の運動と天体の運動が同じ法則のもとに行われているということを示すニュートンの運動方程式は中学3年以降の学習内容ですが、多少それを示唆するような話をトピックスとして取り上げても良いかもしれません。
要するに、自分たちがやっていることが教室の中だけで閉じた世界のものではなくて、現実の世界とも過去ともつながっていることを再認識する機会にすることがこの単元では可能だということです。

このように教室から広がる世界を味わい、楽しむことができるような授業を構成していくこと、これが21世紀の授業の典型の一つであると考えます。

2018年6月17日日曜日

教育委員会のような大組織に所属してしまうと、人はなぜその組織を変えようとしないのか?


以前に一回性の指導訪問について書きましたが引き続き、そのことを考えています。

1回性の学校指導訪問よりもかかわり続けることを
http://projectbetterschool.blogspot.com/2018/05/blog-post_20.html

「1回性の学校指導訪問よりもかかわり続けることを」には続きがありました
http://projectbetterschool.blogspot.com/2018/05/blog-post_25.html

そもそもなぜ教育委員会といった大きな組織に所属すると、その歯車のように一部となり、連綿と続いてきた一方向の学校指導訪問モデルが繰り返されてしまうのでしょうか。

学校現場で教員として働いているときには、教育行政への健全な批判的思考をもっていたはずです。いざ自分がその行政組織に入ってしまうと、これまでの慣習を変えることから距離を取り、知らず知らずのうちか長いものに巻かれていってしまう。もしくは、進んでその組織の一部となってこれまで同様その組織体質を維持し続けてしまう。これは、一体どのような力が働いているのでしょうか。

そこで「服従の心理」著:S・ミルグラムを読んでいると、大変興味をひく記述がありました。これは、言語テストで間違えたとき、電流を流し続けなければならない罰を与える役割の心理実験についての本。その被験者の詳細な心理記述とその考察がなされていて、読み応えがあります。

 “通常はまっとうで礼儀正しい人物が、なぜこの実験の中では他人に対して残酷に振るまうのか、ということだ。その人がそうするのは、衝動的な攻撃的行動を制御する良心が、ヒエラルキー構造に参加する時点で力を弱められているからなのだ。”S・ミルグラム. 服従の心理(河出文庫) (Kindle の位置No.). 河出書房新社. Kindle .

 “人がエージェント状態にあるというのは、その人が自分について、 地位の高い人物の統御に自分を委ねるような社会状態にあると定義しているということだ。この状態になると、その人は最早自分の行動に責任があるとは考えなくなり、他人の願望を実行する道具にすぎないと己を定義するようになる。”S・ミルグラム. 服従の心理 (河出文庫) (Kindle の位置No.). 河出書房新社. Kindle .

つまり、権威ある組織に所属することで、個々がもつ道徳心や崇高なビジョンよりも、その組織内で自分の能力を認められる「有能感」の承認が優先されてしまうということです。権威に従っている限り、自分の道徳心を傷つけることなく、たんたんとこなせてしまう。それは役割なんだからと、他者の責任にしながら。一方、その組織に所属しながらも、自分の信念を貫き通す人も少ないながらもいます。

 “非服従の代償は、自分が信念を破ったという身を切られるような思いだ。道徳的に正しい行動を選んだとはいえ、被験者は自分が引き起こした社会的秩序の破壊に困惑したままであり、自分が支援を約束した目的を放棄したという感覚を捨て去ることはできない。自分の行動の重荷を感じるのは、従順な被験者ではなく、服従しなかった被験なのである。”S・ミルグラム. 服従の心理 (河出文庫) (Kindle の位置No.). 河出書房新社. Kindle. 

その組織の中にいながらも、自分の信念を保ち続けるにも、ある意味その組織で「浮いている存在」として、違和感をもちつつ、居続けられる心のねばり強さが求められています。この心のもちようは、学校組織でこれまでの学校文脈になかった新しい実践に取り組み続けている教師達の不安心理と共通するものです。こういった集団服従への心理構造を一部理解することでも、自己をメタ認知するひとつの支援となるはずです。

驚くことに、ある市町村委員会では、指導主事が個人として、現場の教員との関わりをすべて禁止しているそうです。メールのやりとりもしかり。公の研修で、講義形式といった集団的な関わりしか認めていません。これではどうやって、個々の先生達のニーズや悩みによりそっていけるのでしょうか。

一方、希望の声も聞こえてきました。信念を持ち続け仕事をしている人がいるということを。以前の勤務先だった市では、一度限りの学校指導訪問を廃し、定期的に市教育委員会からの指導訪問が継続するとの決断を。前回、指摘したようにこれまでと同じような指導訪問が継続するのならば、現場には来てもらってもあまり意味がありません。継続して支援し続けられる、いわゆる形成的評価の支援モデルとしてかかわってもらえるのならば、すばらしい実践となるはずです。大いに期待しているところです。

★このミルグラムの実験は、スタンフォード監獄心理実験のほうが有名です。被実験者を囚人役と看守役とに分けられ、地下にある模擬刑務所で2週間缶詰になって役割実験をしたところ、最初は冗談交じりだったはずが、あまりにもその役にはまりすぎてしまい、途中禁止となってしまった実験です。映画の「es」の人間描写の衝撃は忘れられません。

2018年6月10日日曜日

判で押した同じ授業


 この6月に発行された本で、『教育現場の7大問題』(前屋 毅・KKベストセラーズ)を読みました。著者はフリーのジャーナリストで教育問題と経済問題を主たるテーマにしている方です。

その7大問題とは、全国学力テスト、教員の過重労働、受験と格差、いじめ、グローバル人材の育成、アクティブ・ラーニングなどであり、現在の体制の問題点等を批判する立場から書かれています。最後の7つ目の問題というのが、「最も大きな問題」として取り上げられているのですが、簡単に言うと、現場の教員の個性を放棄した授業のことです。同書の177ページには次のようなくだりがあります。
    都内在住の保護者が、小学生の息子の授業を参観してきたときの話を、半分おもしろそうに、半分あきれたように話した。
  「同じ学年の教室は廊下沿いにありますから、隣のクラスでは、どんな授業をしているのか気になって、廊下から窓越しに覗いてみたんです。

     そうしたら同じ教科の授業をやっているクラスでは、まったく同じことをやっていました。教員が黒板に書いていることも同じなら、しゃべっている内容も同じ。生徒にとって平等といえば平等なのでしょうが、教員の個性を感じられない授業って、子どもたちにおもしろくないだろうな、と思っちゃいましたね」
     この話を元小学校教員にすると、彼は真剣な表情で頷いた。彼自身も、そうした最近の学校の様子は「おかしい」と感じているらしい。


同じ教科書を使えば、判で押したような授業内容になる?

そんなことは本来ありえないでしょう。目の前の子供の実態がクラスによって違いますし、教える教師自身がそれぞれ違う個性の持ち主のはずです。いくら学校としての各教科等の指導計画にしたがって授業をやるにしても、授業展開は異なってくるものです。

それを、だれがやっても同じ授業で良しとしたら、授業名人の映像さえあればいいということになってしまいます。そうなったら、教員定数を減らしたくて仕方がない財務省あたりに、定数削減のための格好の口実を与えてしまうことになります。
同書の180ページには都内のある小学校教員の次のような嘆きを紹介しています。 


学習指導要領に書かれている内容を教えるだけでも手いっぱいで、そのほかに自分の個性を活かした授業を入れるなど、とても無理ですよ。


このような事態が多くの学校で進行しているとすれば、これは深刻な問題です。


授業というものは、おそらく同じものが世の中に二つとしてない、その場限りの「生き物」だと思います。そこで、語られたこと、学んだことこそが人を人らしく成長させてくれるものになる。私はそう信じます。いろいろな意味で危機的な状況にあるわが国の進路を切り開いていく力の源は、何と言っても「教育」であると思います。

特に若い先生方、まず『たった一つを変えるだけ』(新評論)を読んでみてください。


授業で何気なく使っている質問をちょっと変えるだけで、授業が変わっていきます。

そうなれば、授業展開のバリエーションがどんどん広がっていくはずです。

当然、教師自身も面白いし、何よりも子供たち自らが「学びに向かう力」を発揮してくれるはずです。これこそが改訂された学習指導要領で最もねらいとしているものではないでしょうか。