2023年3月25日土曜日

失敗を恐れずに立ち向かう

「教育は、与えられるものから、自分たちでつくり出すものという考えに向かって進んでいく必要がある」(ステファン・ダウンズ)『教育のプロが進めるイノベーション』第2章 

近年教員採用試験の受験倍率が下がり、質の低下が指摘されているところですが、それに合わせたかのように教科書や教師用指導書が実に懇切丁寧になっています。教師用指導書には各時間の具体的な板書まで書かれています。これはまさに「与えられるもの」ですが、それに沿って授業をしていればいいという若手教員も少なくないようです。

先日、知り合いの小学校の副校長さんと話をする機会があったのですが、総合的な学習の時間はネット検索で簡単に調査活動を済ませて、それをサッとまとめて「はい、発表」というような授業が多いと嘆いていました。それを改善しようとアドバイスしてもその若手教員自身が総合のまともな授業を受けた経験がないので、具体的によい授業のイメージができないのだそうです。この「PLC便り」で取り上げられている本を手掛かりにして、ブッククラブをやったらどうかと提案してみましたが、それもなかなか厳しい状況のようです。 

若手の強みは多少の失敗は許されるということです。もっといろいろなことにチャレンジしてほしいと思うのですが、「成長のマインドセット」をもった若手が少なくなっているように思います。私自身、30数年の教師歴のなかで、今から考えると本当に恥ずかしい失敗がたくさんありました。特に20代のころは、今の分類でいうと問題教員に入っていたかもしれません。組織人であるという自覚は全くありませんでしたし、自分のクラスのことしか考えていませんでした。

また、学級経営でも苦い思い出があります。当時、全国的に流行していた「集団づくり」を基調にした生徒指導法がありました。班会議や班長会議などを核として、生徒たちに民主主義を教えていこうというのがその基本的な考え方です。

私はこれこそ次代の子どもたちを育てていく最高の指導法だと思い込み、それに熱中しました。しかし、これは完全に私だけの思い込みで、生徒の実態や思いを全く考慮しないやり方でした。その結果、生徒の心を傷つけてしまったこともたくさんあっただろうと思います。その後、しばらく行政機関に出向する機会があり、学校を離れることで自分自身の実践を振り返ることができました。結果として、その後学校に戻り、生徒の願いや思いを大切にする指導法に転換しました。 

「失敗する自由があるということは、イノベーションにとっては重要です。しかし、そのプロセスにおいてより重要なのは、回復力とやり抜く力です。」

(『教育のプロがすすめるイノベーション』第2章、37ページ) 

失敗したあとに、そこから立ち上がる「回復力」と最後までやり通す「やり抜く力」が大切です。「回復力」とは、言い換えれば、「打たれ強い」ということでもあります。教師の仕事は思うようにいかないことがたくさんあります。そこであきらめずにまた立ち上がる力が必要になってきます。

そして、このクラスに必要なものは何か、この生徒に一番必要なものは何か、それを求め続けることです。その際に、今自分がやっていることはどのように生徒のために役立っているのか、あるいは役に立っていないのか、これを絶えずモニタリングしながら、チェックすることが求められます。

そうすることで、独善的な指導と距離を置くことができ、教師を続けていると陥りがちな「学校だけでしか通用しない論理」の罠にはまることもないと思います。

中学校で言えば、3年もやれば、その教科の指導法や校内分掌事務の仕事も覚えて、一通りのことはわかったような気になります。そこからまた謙虚に学び続けるのか、それともそのレベルで安住してしまうか、ここが教師としての分かれ道の一つのように思います。

ぜひ「与えられるもの」ではなく、自分たちでつくり出す教育を求め続けてほしいと切に願います。 

2023年3月19日日曜日

生徒の自己認識と、自分が必要とする支援を主張する(セルフ・アドヴォカシー)力を高める授業の実践に向けて

1月に出た『成績だけが評価じゃない ~ 感情と社会性を育む(SEL)ための評価』の著者のスター・サックシュタインさんは、「最終的には、生徒自身が必要とする支援の主張ができるようになってから学校を卒業してほしいと思っています」(98ページ)と、多くの教師が大切にしていることを代弁しています。

 この文章に後に、著者は、「この目標を達成するためには、まずは自分ができることと助けを必要とすることが何なのかについて、見極められるように教える必要があります。また、生徒との関係性を高めれば彼らの決断を支えられますし、彼らがより質の高い質問をすれば、自分が本当に必要としている手助けが得られるでしょう」と書き、さらに「評価とは、生徒が知っている事柄とできることを理解し、その情報を使って、生徒が成長を続けるためにカリキュラムの調節を行ったり、より的を絞った学習経験をつくりあげたりすることです。的確にセルフ・アドヴォカシー(=生徒自身が必要とする支援の主張・筆者補記)ができるようになれば、生徒自身が必要とするものを深く理解しますし、学習者としての自信がもてるような協力関係を教師との間で築けるようになります」(98~99ページ)と続けています。

 ここには、教えることと学ぶことの大事な要素が凝縮さる形で示されているのではないでしょうか? あなたの授業等は生徒のセルフ・アドヴォカシーを可能にする方向での実践になっていますか? それとも、逆方向になっていませんか? 教師が目標を達成するための助けとなるリソース(情報や人材)にはどんなものがありますか? それは、どうしたら得られるでしょうか?

 上で紹介した引用は、『成績だけが評価じゃない ~ 感情と社会性を育む(SEL)ための評価』の第2章「評価のなかで自己認識を育てる」に含まれているのですが、その「まとめ」の部分で、著者は次のようにも書いています(番号は、無視して読んでください。あとでコメントを付けたいので、便宜上付けています)。

人間としての、また学習者としての自分自身を知ることになる「自己認識」は、成長するにおいて欠かせない要素です。自分のことをよく知れば知るほど適切な判断ができるようになり、人生の方向性を決めるような困難な経験に対してもポジティブになれます。

生徒に自己認識のツールを提供し、彼らが言うことに耳を傾ければ、学習空間における公平性が高まります。③生徒の学習経験はそれぞれ異なっていますので、私たちは授業やそのほかの時間を使って、少しずつ違ったものを提供する必要があります。

④生徒が学習についてどのように感じているのか、どこで苦労しているのかを共有したり、彼らが必要とする支援の主張機会が多ければ多いほど、さらに上手な主張ができるようになるでしょう。自己認識を高められれば、今後の学習に対する取り組み方だけでなく、自己効力感を高めてくれることにもつながるのです。(103ページ)

 

 こういうことを踏まえた(あるいは、可能にする)授業を、日常的にできていますか?

①の部分は、アイデンティティーという言葉ないし概念に置き換えられると思いますが、日本の授業ではいったいどれくらい、個々の生徒のアイデンティティー★を意識した授業が展開されているでしょうか? 道徳の4本の柱の一つが「主として自分自身に関すること」なのですが、「善悪の判断,自律,自由と責任」、「正直,誠実」、「節度,節制」、「希望と勇気,努力と強い意志」などの(ほとんど「自立」とは反対概念といえる)「自律」がらみが中心で、「個性の伸長」が唯一挙がっています。しかし、「自分の特徴」に気づき伸ばすと言われても、残念ながら、大人だってピンときません・・・・★★

②のツールの部分は、SELの本が提供してくれますが、後者の「彼らが言うことに耳を傾ければ」の部分は、単にその方法に限らず、教師としての役割の見直しが必要になりそうです。それは、『私にも言いたいことがあります』『たった一つを変えるだけ』『一斉授業をハックする』そして、夏には出版予定の『聞くことから始めよう!― やる気を引き出し、意欲を高める評価(仮題)』マイロン・デューク著、さくら社などで方法についてたくさんの情報は得られますが、その根底にある教師の姿勢/スタンスというか、生徒との関係をどのように築きたいのかは方法と別次元の話です。

 さらに、③に至っては、すんなりと読めてしまうことと、それを日々の実践で行うことの間には大きなギャップがあります。 そもそも、あなたは「生徒の学習経験はそれぞれ異なっていますので、私たちは授業やそのほかの時間を使って、少しずつ違ったものを提供する必要があります」を受け入れますか? もし、受け入れるなら、日々の授業をどのように変えていきますか?(それとも、すでに、少しずつ違ったものを提供できていますか?) 変えるための情報やサポートはどのように入手しますか?

 ④は、ここまでのすべてを統合している文章と言えるかもしれません。自己認識を高め、セルフ・アドヴォカシーを繰り返しの練習をすることで徐々に上達することで、学習への取り組みも向上し、自己効力感が高まるという好循環が生まれるのです。日本で行われている多くの授業は、まさか、これとは逆の現象(つまり、悪循環)が起こっていませんよね? もしそうなら、早急に好循環に切り替える必要があります。

 

★アイデンティティーについては、SELのことを扱っている3冊の本(本書以外に、『感情と社会性を育む学び(SEL)』と『学びは、すべてSEL』)のほかに、言葉を選ぶ、授業が変わる! ピーター・H・ジョンストン(著/文) - ミネルヴァ書房 | 版元ドットコム (hanmoto.com)と、来月出る予定の学びの中心はやっぱり生徒だ! ベナ・カリック(著/文) - 新評論 | 版元ドットコム (hanmoto.com)が参考になります。

★★公式カリキュラムや隠れたカリキュラム等に関心のある方は、それらも含めて全部で5つのカリキュラムが紹介されている『学びは、すべてSEL』(特に、14~17ページ)がおすすめです。日本の道徳教育やSELの実践に関係なく、自己認識やアイデンティティー(あるいは、セルフ・アドヴォカシーも)を育めてしまう子どもはいるでしょう。しかし、一方にそうではない子どもたちもいますし、日本の道徳教育では難しい/無理という子どもたちもいるでしょう。しかし、そういう状態では、いけないはずで、誰もが身につけられるようにする必要があります!

2023年3月12日日曜日

SELで教師と生徒との信頼関係をむすぶ

 一年間、大変おつかれさまでした。私たちはお互いをねぎらう間もなく慌ただしいまま、一ヶ月後には新しい年度が始まります。けれども、その準備は期待と希望にあふれ、ふんわりと嬉しい時間でもあります。

 

 新しい子どもたちとの出会いや教師との信頼関係づくりについて学ぼうと、今月刊行されたマリリー・スプレンガー著、大内朋子・吉田新一郎訳『感情と社会性を育む学び(SEL)子どもの、今と将来が変わる』(新評論2023)を読みました。

 




 SEL(social Emotional Learning)の視点から効果的で具体的な手法が紹介され、自分にもできそうだ、これは効果的な方法だ、と思えるものを見つけたので紹介します。

 SEL(social Emotional Learning)とは、感情に向き合う力であるEQ(感情知性)と、社会性にかかわる力のSQ(社会的知性)を育む学びです。共感する力、自己認識、自己管理能力などからなる自分と他者の感情と向き合って対応していく力(EQ)と、社会認識と人間関係の構築、維持、修復などの社会性(SQ)を学ぶことが含まれています。

 

 本書は教育実践の紹介にとどまらず、脳科学の見地から感情や社会性についての説明がなされているのが特徴です。人々がお互いを思いやったり、信頼したり、友達になりたいと思ったりするときの脳の活動では、脳内物質のオキシトシンが放出され、人とのつながりを感じます。対照的に、ストレスを感じるとコルチゾールが放出され、人々はストレス反応を起こします。

 

 たとえば、生徒がイライラしているときは、感情をつかさどる「大脳辺縁系」が活性化されます。このとき、論理的思考をつかさどる脳の部位とのつながりがブロックされてしまうことを知っていれさえすれば、学習を始める前に、自らを落ち着かせる方法をとることが大切だと気づけるはずです。落ち着くための時間をとる選択ができるようになります。

 

 自分自身と子どもたちの頭の中で起こっていることや、理想的な脳の状態を理解することによって学びに最適な状態をつくりだすことができるのです。人との安心したつながりを感じられるようになることで、脳が放出する様々な化学物質を常に正しく制御する力を高めていけるということです。

 

 

「あなたが信頼できる人だと、生徒たちにも感じてもらう必要があります。あなたが一人ひとりを意識していると感じてもらうことが大切なのです」「あなたに対して肯定的な感情を抱いていない生徒は、あなたが十分に注意をむけていない生徒たちであって、学習内容や成績だけでなく、親身になって意識してほしいと願っている生徒たちなのです。 思春期の中高生と関係を築くにあたって、簡単にはいかないこともあるでしょう。日々、生徒たちが、心の傷やストレスを乗り越えていくためには、彼らの生活にかかわりのある大人たち、教師が最後の砦となりますし、なくてはならない存在なのです」

 

 このようにサラ先生がマーサー校長からフィードバックをもらう場面では、教師が生徒と信頼関係をむすぶことの大切さが話されています。(海外の校長の仕事は日本と異なり、教員を育てることが管理職の大切な仕事だと理解されています。)

 

 以下に、教師と生徒の信頼関係をむすぶ方法を2つほど紹介します。本書にはまだたくさんの効果的な実践が紹介されています。

 

1.    教師が弱さを見せることで、心理的に安全な学習環境をつくる

寝不足で疲れていることやイライラしている状態を教師が認めること。授業で取り組んでいない問題をテストに出してしまった、試験問題を間違えて作成してしまったなど、教師自らが脆弱性を示し、非を認めることが、弱音を吐けること、吐いていいこと、そして受け止めてもらえる安心感を育みます。

教師が「今、私は自分の頭の中で話されていることを話します」と伝え、今、起きていることに対して教師自身が考えている内容を生徒に説明します。「私は〇〇さんが教師もしくはクラスメイトにイライラして、このような行動をとっているのかもしれない。でもそれは本当に正しい解釈なのだろうか? と考えています」と生徒に伝えるのです。第三者の視点を挟むことは、生徒自身が自らの思いを話しやすくする助けとなります。

 

2.    教室の入り口で生徒に挨拶をする

朝、教室の入り口で生徒の名前を呼び、生徒とアイコンタクトを取り、あいさつをします。握手やハイタッチ、親指を立てるなど親しみを込めた身振りをしてみます。今日はどんな気分かを尋ねてみたり、頼み事をしてみたり、やる気が出るように声をかけたりもできますこれらのことは教師として生徒に会うことを心から楽しみにしているからこそできること。一人ひとりの生徒のためにすることなのです。

 

クラス内の人間関係を構築し、維持し、修復するための対策によって、学習への参加が33%向上するとともに、問題行動が75%減少し、より質の高い集中した授業時間が増えたと報告されていることが紹介されています。

 

私たちは人間関係の中で生きています。生徒に必要なのは親身になってくれる1人の大人であり、その人との出会いによって人生が変わります。生徒が困難な状況に向き合うときには、肯定的な方法で対応することが大切なのです。

授業以外の取り組みの紹介をしましたが、読み進めていくと日々の授業を通して、子どもたちは感情や社会性を学べてしまうこともわかります。この春、ためしてみる実践群が紹介されていました。ぜひ、ご一読を。

2023年3月5日日曜日

学校にとっての「広報」ーその難しさと意義


私の職場がある町は、「よってたかって教育」という言葉を掲げ、学校だけでなく市民全員でよってたかって地域の子どもたちを育てようといった取り組みを進めています。

この考え方を下支えしているものの一つが、「香美教育コラボレーション会議」という集まりです。地教委、町に一校だけある高校と特別支援学校、そして、大学。すべての教育機関の有志が集まって、お互いの実践の交流や教育問題についての議論を続けています。

月一回の集まりが、相互理解の場となっています。2月には、一年間の振り返りをしました。全員が、Google Documentに自分なりの振り返りを記入し、それをみんなで眺めながら、じっくりと語り合うことができました。「この会議から得られる情報は、学校運営のヒントになる。有効な会議である」「多くの人と連携し、勇気がもらえて頑張るしかないと思わせてくれる会議である」といった声が聞かれ、来年度も継続していくことになりました。この会議が、お互いの学び合いの場になっているのです。アクション・ラーニングの場というのは、こういうものではないかと思います。★1

その振り返りの議論で、もっとも盛り上がったというか、全員が課題と感じたのは、「広報」の問題でした。

「こんなにも頑張っている学校がある。もっと多くの人に知ってもらいたい」
「素晴らしい実践をしているのに、それを効果的に発信できていない」
「個人情報やプライバシーの問題があって、情報発信には慎重になってしまう」
「地方紙などのマスコミを使うのが上手い学校もあるが、そうでない学校もある」
「もっと高校の入学希望者を増やさないといけない」
「山間部の小中学校は存続の危機にある。山村留学なども考えたい」

いろいろな意見は出ましたが、決め手となるようなアイディアはなく、次年度の最優先の共通課題として、取り組むことになりました。

この会議のあと、学校にとっての「広報」とは何か考え続けています。

高校や大学であれば、進学希望者を増やすための重要な手段と言えるでしょう。存続の危機に瀕した山間部の学校も少しでも多くの生徒も呼び込みたいと考えるかもしれません。今日、田舎にある地方自治体の多くが定住促進のための課をもっていて、移住者を呼び込むための涙ぐましい努力を続けています。山間部の学校の特色ある教育に惹かれて定住を希望した家族もあるようです。

ただ、これらは広報の一側面に過ぎないでしょう。

「学校のストーリーを語る究極の目的は、宣伝でもなければ、罪悪感をもたせてコミュニティーの人たちを学校に巻き込むことではありません(p.119)」★2 という指摘が、この問題の本質をついているのではないかと思います。

学校にとっての広報は、決して学校の宣伝ではない。ましてや、校長や学校の実績をひけらかすことも、目的ではないはずです。

学校の「透明性」を保つことによって、教師と保護者がより良いパートナーシップを築く。これこそが、学校にとっての広報の重要な役割ではないでしょうか。学校がやっていることを、知ってもらうことです。

生徒自身が語る学校のストーリーは多くの人を惹きつけます。それが、より良い学校コミュニティーづくりに役立っていく。学校を取り巻く人たち、学校を応援してくれる人たち、そのような人たちと信頼を築き、より良い学校づくりのために協働していく。

そういった視点から、もう一度、学校の情報発信について考えていきたいものです。


★1 「アクションラーニングとは」 https://www.jial.or.jp/about/detail/

★2  ジョー・サンフォリポ&トニー・シナシス(2021) 『学校のリーダーシップをハックするー変えるのはあなた』新評論,. なお、この引用の後半部分はやや分かりにくですが、同書の脚注には「地域や保護者が子どもたちを学校に任せっきりにしていることを匂わせて、その引け目から渋々協力を引き出すようなことでしょうか」とあります。

2023年2月25日土曜日

教師自身が絶えず挑戦することの大切さ

 

今日の教え方・学び方のイノベーションの視点の一つは「個別化」です。ただ、言うのは簡単ですが、実行するのは容易なことではありません。

3年前から家族で学習塾を開いているのですが、その塾のコンセプトは「個別学習」です。「個別最適化」はICT教育において盛んにPRされていますが、その子の学びの特徴や学びの内容、また性格に応じたサポートのあり方など考えればきりがありません。しかし、ボランティアではないので、どこかで妥協することも必要です。したがって、いつも理想と現実のはざまを行ったり来たりしている状況です。「個別最適化」で、参考になる文章に出会いました。

『英語と日本人』(江利川春雄・ちくま新書2023)です。(同書279ページ) 

「個別最適な学びとは各自がコンピュータでAIドリルを解くなどの究極の習熟度別授業だ。これを先行実施した諸外国の研究では、教育効果が乏しいことがわかっている。学習者同士のつながりを断ち切り、孤立させてしまう。脳を最も活性化させ、学びを深めるのは、人間同士の協同的で探究的な活動である。

これらを知った上で、デジタルやAIを外国語学習に慎重かつ限定的に活用する必要がある。」 

その通りだと思います。デジタル教材はどの教科でも限定的に使うというスタンスが望まれます。ただ常に学習を変革していくという姿勢は大切です。

「学習は変革につきものだ。うまくいっても、いい気になると、昨日通用したものが明日も通用するという錯覚に陥る。」(『教育のプロがすすめるイノベーション』第17ページ・新評論・2019)

 まさにその通りで、ある子どもにうまくいったからといい気になっていると、別な子どもにはさっぱり通用しないということがよくあります。まさに使いまわしが利かないのが一人ひとりの学習です。同書15ページには次のような記述もあります。

「教師にとって毎日問われなければならないことは、「この学習者にとって、何が一番よいのだろうか」ということです。」

 今でも、「この学習者にとって、何が一番よいのだろうか」というフレーズは常に自分自身に問い続けていることです。このような問いかけこそ、イノベーションのスタートであると、同書にも書かれています。(14ページ)

 また、その部分には「奉仕する」という言葉が出てきます。そこの訳注には、「日本の教育界で、『教師が生徒に奉仕する』という感覚はまだ希薄だと思いますが、単に「かかわる」や「接する」と訳してしまっては、教師自身が絶えず挑戦し、変わる必然性は見えてこないと思いますし、この言葉が原書のキーワードの一つであることからも、この聞きなれない言葉を使うことにします。」とあります。この「奉仕」という視点は、教師としての使命感に通じる大切なポイントです。

また「教師自身が絶えず挑戦」ということもイノベーションに通じるものであると思います。『変わらないために変わり続ける』とは、生物学者・福岡伸一さんの有名なフレーズですが、教師も学校も、「変わり続ける」必要があるのではないでしょうか。福岡さんによると、ヒトの体を構成する原子は、1年もするとすべて入れ替わるとのことです。原子レベルで言うと、1年前の私と今の私は別人なのです。ですから、人は自身が変わろうと思えばいくらでも変わることのできる存在という見方もできます。そう考えると、面白いですね。

イノベーションというと何か全く新しいものをつくり出したり、新しいことをやるといったりしたイメージが強いですが、たとえば、「授業で自分がしゃべる場面を減らして、子どもたちの発言を聞く」というところからスタートすることでも充分だと思います。

そうした際にはぜひ自身の「質問・発問」を見直してみるのが良いですね。質問・発問を考えるならば、『たった一つを変えるだけ』『質問・発問をハックする』(どちらも新評論)がとても参考になります。

2023年2月19日日曜日

評価は多様な視点で

年度末になると「評価」が始まる。私はこの時期あまりハッピーではない。というか、いつも悩み続けているといった方がいい。

不合格をつけるときは、本当にそれまでに十分に声がけや励ましをしたのか、学習のプロセスは適切だったか、さまざまなことに思いを巡らせ、難しい決断をします。良い成績を残している学生たちに対しても同様です。十分に学びがいのある内容であったか、それによって、気づきや成長をもたらすことができたのかといったことは、とても気になります。それを、5段階(私のところは、AA,A,B,C,Fです)の単純な記号や数値に置き換えて示す。実に難しいと思うし、納得のできない思いが残り続けます。

各学校が、一年間の教育実践を評価(自己評価)し始めるのもこの時期です。私は、職場のある町の小学校のコミニティースクール運営指導委員会の委員をしていて、先日は学校が一年間の取り組みを自己評価し、それに対して運営指導委員会が意見を述べるという会合がありました。この日、学校が示した自己評価は、S,A,B,CのうちすべてがB。日頃から学校の様子を見ている委員からも、「そんなに低いはずがないだろう」との意見がでました。学校の見解を正したところ、「この程度の目標は、100%達成されて当然である」と頑なに主張する人がいて、達成度が80-90%を超えているものも、ことごとく低評価になっていたというのです。当然のことながら、委員からは「達成可能なゴール設定をすることが大切ではないか」との意見が出されました。

研究指定校なども年度末の実践を評価します。私のかかわってきた学校では、実践研究の客観性を高めたいとの思いが強すぎて、数量的データを多用しすぎる事例もありました。数値的、量的な評価にのみ依存してしまうと、授業の中で測定しやすいデータのみを取り出そうとするなど、単純化、断片化した結果分析に陥る危険性もあります。

教育というのは、とても複雑で、雑多な営みです。そして、人間的営みであるとも言えます。数量的データに加えて、教員による観察やひらめきが必要だったりすることもあるはずです。

評価のためのデータ収集の方法も多様化すべきです。いくつか事例を紹介しておきたいと思います。★1

1  授業記録(フィールドノート)
2  授業記録のグラフ化(タイムログ)
3  観察ノート(生徒の発言の回数を記録するなどテーマを設定して)
4  日誌や感想文(ジャーナルとも呼ぶ)
5  ビデオによる撮影
6  転写(トランスクリプション、授業内の発言を文字で書き起こしたもの)
7  写真や絵
8  言葉による収集(アンケート、インタビュー、生徒の事故報告、生徒の作品など)

また、一つの数値や記号による評価に、様々な要因を入れ込むことへの対応策として、「三つのP」を使ってはどうかという提案は、実に示唆に富んでいます。★2

三つのPとは次のようなものです。

Performance / Product(パフォーマンスないし成果物):学習目標としての知識・理解・スキルに対する生徒の状況

Process(プロセス):困難な時にどのようにやり通せるか、改善するのにどうフィードバックを生かしているか、必要に応じて確認の質問ができるかなど

Progress(成長):成績表をする期間における学習目標としての知識・理解・スキルにおける生徒の成長

この3つのPを平均して成績を出すのではなく、それぞれが別々に報告され、それぞれが何を表しているのか明確な指標と一緒に提示されるとしています。

評価は、懲罰のためにするものではないはずです。生徒や学校が成長するために、本当に必要な評価とはどのようなものか、これからも考え続けていきたいものです。




★1  佐野正之(2000)『アクション・リサーチのすすめ』大修館書店, pp. 61-85.

★2  C.トムリンソン&T.ムーン(2018)  『一人ひとりをいかす評価: 学び方・教え方を問い直す』北大路書房, pp. 193-196.

2023年2月12日日曜日

ナンシー・アトウェルから学ぶ「段階評価」よりも「丸ごとの評価」

 前回は、ナンシー・アトウェルの実践をもとに学習者の自己評価における重要性についてふれました。アトウェルは各学期末に行う質問用紙「自己評価用紙」を使って、自己評価を総括的な評価に活用しています。

 

PLC便り『イン・ザ・ミドル』から学ぶ 学期末に向けた自己評価

 http://projectbetterschool.blogspot.com/2023/01/blog-post_08.html


 

『イン・ザ・ミドル』から、今回は「教師からの評価」について考えていきます。

 




私は1つひとつの作品に成績をつけることはしません。同書P.330

 

例えば、アトウェルは、 ライティング・ワークショップ(日本における「作家の時間」実践)においては まず生徒の自己評価を読みます。それから、生徒がするのと同じように、評価の根拠になるものを以下の資料を見てふるい分けていきます。

 

完成作品ファイル、批評家ノート、簡単な説明書きを加えたポートフォリオ(自分で選ぶ一番良いレター・エッセイ、筆記記録と読書記録、自分のメモ付きの一番良い詩、校正項目リスト、役に立ったミニレッスンの情報)、 毎回授業で使う今日の予定表とチェックイン表などなど。これらすべてのデータに基づいて、 学習者の読み書きについて、まずメモ書きをしてから、生徒の成長記録を書くというわけです。

 

そのあらゆる場面で、生徒は書き手として成長しています。一つの作品で、生徒の能力を正確に測ることなど不可能です。ある作品は、生徒の成長過程にある段階を示しているに過ぎません。しかも、新しい技巧、形式、ジャンルに取り組むのは、どの年代の書き手にも負担が大きく、いつも前進できるとは限りません。同書P.330

つまり、学習者の成長には、一直線ではいかずに、なかなか時間のかかるものなのです。

 

ここにアトウェルの評価観は、学習者を総合体として丸ごとみようとする重要さを示しています。このあたりの感覚は日々「個別最適」に翻弄されてしまう私たちとって、学ぶことが多くあることでしょう。

 

パーソナリティー心理学においては、学習者を各要素に分けたその総和として「個」を理解する「特性論的アプローチ」の限界がすでに指摘されてきました。(Argyris1957) 現行における個別に評価される観点別評価は、一人ひとりを要素にわけて「できる/できない」といった視点で捉えると一見、合理的のように見えます。しかし、学習者を一人ひとり、かけがえのない唯一無二のユニークな存在としてみることができません。トータルな総合体としてまるごと捉えることこそがより重要な実践的課題となっています。

 

この段階別の成績を出さざるを得ない状況においても、学習者の目標設定をもとに評価を決めようとアトウェルは既に対応していました。

 

教師が評価をするのではなく、読み手、書き手としての自分で設定した目標の進捗状況を土台にすることで、この問題を解決しました。各自で立てた目標達成していればA。着実に学び、一定のレベルを超えていたらB、 水準レベルで可もなく不可もなければC、目標に遠く及ばず取り組み不足のせいとはD、になりました。同書P.340

 

ここにおいても生徒の自己評価をベースにして、教師からの評価をしている点が特徴的です。これは、通知表の文言をさがすためのあらかじめ生徒にとる事前アンケートとは全く意味が異なります。

 

意味のある評価は、自分の学習成果への見方、先生からの見方が一致すること、結果、それが信頼性となります。こういった評価を工夫することで、評価が誰の物かが明確になるはずです。