2015年8月30日日曜日

教師の発問から、生徒の質問への転換

「問いかけ」は、このブログのキーワードであり続けています。
それほど、教育の中では中核を占めていると思っているからです。

私に最初にその大切さを気づかせてくれたのは、『ワールド・スタディーズ』(サイモン・フィッシャー&デイヴィッド・ヒックス著、国際理解教育センター編訳、1991年)と出合った1986年にさかのぼります。
その中に、「教育の鍵は、知識よりむしろ『問いかけること』です・・・(中略)・・・ワールド・スタディーズが目指すのは、学びかたを学ぶ力、問題を解決する力、自分の価値観を自覚する力、自分で選択できる力です。これは、ひとえに『問いかけ』に、単に質問するだけでなく、子どもたちが自分で疑問点を洗いだし、答を見つけていけるようにすることにかかっています。『問いかけ』は、情報が目まぐるしく移り変わる今日の世界では、私たち教師が子どもたちに提供できる最良のものと言えましょう」(15ページ)と書いてありました。今でもそこに書いてある大切さは薄れていないと思います。

それに対して、日本で典型的に行われている授業を図化すると以下のようになるのではないかと思います。
 そして、誰もが求めている授業は図2ではないでしょうか?
 
後者(図2)のサイクルで、鍵となるのは子どもたちが自ら質問をつくり出せるスキルです。間違っても、教師の「発問」ではありません。
子どもたちの質問づくりのプロセス(手順)をわかりやすく解説した本が、新刊の
『たった一つを変えるだけ――クラスも教師も自立する「質問づくり」』  (ダン・ロスステイン&ルース・サンタナ著)
です。

本の中で紹介されている言葉:
 ・「多くを問う者は、多くを学び、多くを保持する」
   ・「教師に指示されているかぎり、僕らは何も学んでいない」

本は、9月4日発売です。
でも、私を通すと、税込み価格が2592円ですが、著者(訳者)割引で税・送料共込みで2200円です。ご希望の方は、名前と住所と電話番号をpro.workshop@gmail.comにお知らせください。

お近くの図書館でリクエストを出して読んでいただくという方法もありますので、ぜひ。

2015年8月23日日曜日

スポーツのコーチと教師との共通点



この2つには共通点が多いです。

の私以外の感想と、後半は日本にもいいコーチはいるという紹介をします。


● Iさん

観ました。
『奇跡のコーチング』再放送
録画ができなかったので、ぶっ通しで2時間。
感動。

サッカーもテニスも。

コーチングのこの考え方をいつも大切にしていきたいです。
サッカーとテニスのスポーツの特性もあると思いますが、
(私はスポーツをあまりしないのでその辺はよくわかりませんが)
サッカーの回の方が心情に訴える感じ。
テニスの回の方が理論に訴える感じ。

でもどちらも
子どもたちの決断を何より大切にしていました。

そして

リスクを恐れずに攻めろ と子どもに伝えていました。

国民性もあるのかな。それとも本物であるが故、かな。

テニスのコーチが
「楽しさとは、自分で決断できる喜び」と話していました。

私は自分で決断していることがいくつあるかな。
学校生活の中で、子どもたちに決断させていることがいくつあるかな。

私はリスクを恐れずに攻めていることがいくつあるかな。
学校生活の中で、子どもたちにそんなことを話しかけているかな。

そんな風に思いました。

一人ひとりの特性(強み)を言葉で表現し、本人や保護者に伝えているのも印象的でした。
ただ褒めるわけではない。
強みを見逃さずに伝えていく。そんな感じ。

観る価値の高い番組でした。録画したかったなあ。


● Kさん

冒頭のアナウンスに「子どもたちの背中を押してあげること」という言葉が印象的でした。
サッカーとテニスの二人の指導者は,まさに背中を押してあげる指導でした。
子どもはこれから伸びていく能力をもっていて,大きな可能性があることを確信していると感じました。
そんなことは日本のコーチや指導者だって分かっていると思いますが,
指導するときには言動や行動が伴っていないことに気づきました。
サッカーとテニスの二人の指導者は教えるべきことはちゃんと教えていました。
あーしろ,こーしろという指導を日本のコーチと同じようにしていたように思います。
しかし,非常に短い時間に,必要なことを指導しているように思いました。
そして,メンタル面のアドバイスで背中を押してあげているのがうまかった。
一人一人の性格やそのときの心理状態を読み取って言葉をかけていました。
それから,ゲームを取り入れて楽しく遊び感覚で練習することもうまかったです。

サッカーの指導もテニスの指導も同じなんですねぇ。
そして「読書家の時間」や「作家の時間」の指導も共通しているのですよ。(いま、『読書家の時間』をチームの人たちとブッククラブで読んでいます。)
国語以外の教科指導も同じなんだと思います、きっと。

1日目の観察で日本の指導者の課題を見抜いてしまうことに驚きでした。
「子どもに考えさせていない」と。
瞬間的に考えて,決断する。そして,同時に行動する。
日本のコーチや学校の先生だって,そういう子どもを育てようと思っているハズです。
しかし,そういう指導をしていないのではないでしょうか。
繰り返し練習していると身体で覚えて,頭で考えなくても,できるようになると。
ヘンですね。
私もそのような思想になっているのかもしれません。
何とかしなければ。


● Tさんのは、こちらをご覧ください。


◆ Hさんが、自分が楽しく学んだ体験を振り返った中に、日本にも一流のプロはいることを書いてくれていました。

 特筆すべきはテニスのコーチの●●さんです。この方のレッスンはどんな時も安定していて、上質。日々ご自分も戦っているから、同じ話が二度とない、形を変えて大事な話を繰り返してくれる、言葉だけでなく自分の動きでよいプレーを見せてくれる。いつだって上機嫌で誰に対しても同じ態度。尊敬する人 物です。
 その日のレッスンは約15分の始めの3球打ちでみんなの様子を見て決める。と教えてくれたことがありました。8人の生徒たちと一人一人会話します。まさにカンファランスアプローチです。
 我々のへなちょこなどんな球も追いかけて、狙ったところに決めてくる。「いやー、みんなの球はどこにくるかわからないから練習になる」と笑いながら言ってくれる。全日本のベテランで常に上位に入っている実力をもちつつも驕るところがこれっぽちもありません。


◆ 以下は、Nさんが「日本ハム出身コーチに共通する指導姿勢とは?」を読んでまとめてくれたものです。

 ざっくり整理すると、ロッテ黄金時代のコーチたちに共通する要素は、  
1 なんのためのお仕事? 哲学を持っている。選手の前で、腕くんで持論をかざすエラソーな監督ではなくて、選手の成功のため。でなきゃ、あのやんちゃな中田選手は育たないでしょ。  
2 まずはどうやって相手を理解するの? よい指導方法につないでいくためには、各選手との対話、観察があってこと。観点マニュアルも存在するとか。  
3 自分の指導方法をふりかえる日報を指導者は毎日報告していた。これで指導法の改善をはかっていった。     

つまり、1〜3そのまま対応するのが、教育現場で行われるべき教師の姿そのものですね。  
1 なんのため? 教師のカリスマ性を高めるんじゃなくて子どもの成長。  
2 指導法が先にあるんじゃなくて、学習者が最初にいること。だから、対話して観察して相手を理解することでよりより支援ができること。これってコーチングでありカンファランス。  
3 自分の指導を良くしていくためのふりかえりのサイクルを持っている。指導方法を改善していくってこと。     

教室内で常におこっているのは、この「2」の子どもたちを理解する見立てがゆるーいこと。そもそもみていないこともあるかなぁ。教師はここを正視しないと、指導方法が一方的になってしまう。この対話・観察にどう時間をとれるかって、授業構造をワークショップに変えていくことだよねぇ。先生が話しているうちはおおざっぱな観察できても、個別のニーズに応じた対話や観察はできないよね。だから、授業の計画づくりと継続した改善が必要になってくる。     

つまり、1〜3はすべてつながっている。教育哲学があり、それを具現化するためにも相手をよく理解し、つねに自分の指導法をふりかえっている。よいコーチに共通することはよい教師にも共通しますね。  

こういった自分の教育をマクロに観ることも大切な視点ですね。


◆ そして、最後はSさんの「部活の合宿で感じるコーチの教え方の違い」について http://askoma.blog.jp/archives/37732423.html をご覧ください。



■ スポーツの世界と同じで(まだいいコーチは少なく、悪いコーチはたくさんいるように)、いい教師は少なく、悪い教師はたくさんいると言われないようにするにはどうしたらいいのでしょうか?


2015年8月15日土曜日

「失敗の本質」


敗戦記念日ということで、ちょうどいいタイミングなので(一日早めにアップします。)★

太平洋戦争で、日本はなぜ負けたのか? (以下は、8月1日に放送された表題タイトルのテレビ番組のメモから★★)
・グランドデザインの欠如 → 終わりを考えずに、始めてしまった。ドイツが勝つことが前提にもしていた。計画なしの妄想の中で戦っていた。
・普通は何かに失敗したら、修正するのが当たり前 → しかし、日本軍は同じことを繰り返すだけだった。(相手のアメリカ軍も、これには驚くほど!)
・合理的な意思決定をする組織がなかった。 → 誰か一人の発言で決まってしまう。言いたいことが言える雰囲気がなかった。
・戦艦を輸送船よりも優先して作っていた。 → せっかく確保した東南アジアの資源を輸送することも、戦地への補給もままならなかった。
・始まった当初に何回か勝ち、自身をもちすぎた → その後、丁寧に準備することをしなくなった。
・ミッドウェイでは、負けるはずのない規模で展開していたにもかかわらず、なぜ負けたのか? → ①目的を2つもってしまっていた(あいまいだった)。②トップレベルの人たちの考えのズレ(新しい考え方と古い考え方)、③山本五十六は、すでに57歳で、引退すべきだった。
・カダルカナルは、作戦が存在していたとは思えない(考えて行動していたとは思えない)戦いをして、多くの人を殺してしまった。
・レイテ戦当時は、すでに熟練パイロットが少なくなっていた。4つの艦隊がバラバラに行動して、互いに何もわからないままで戦争をしていた → 戦争といえるのか? 机上の作戦としてはいいのかもしれないが、情報がほぼゼロのまま行われた、負けることが約束されていたような戦い。それにもかかわらず、ありもしない戦果だけは大きく報道し続けた。しかも、その間違った戦果を修正できない日本。

要するには、
・まったく成長しない組織(が日本を太平洋戦争に導き、そして負けさせた)★★★。縦割り構造。
・よくて現状維持。どちらかというと悪くなるだけの組織。事なかれ主義。前例主義。
・責任をもって決定できる人がいない(仕組みがない)組織。
・情報収集・活用が下手。
・いい点★★★★に目を向けすぎ、悪い点の修正には目をつぶる。(失敗から学べない!)

以上は、太平洋戦争当時の日本軍(政府)が抱えていた問題ですが、これらは70年後たったいまも、多くの組織が抱え続けている問題ではないでしょうか。学校(や大学、ないし教育制度)も含めて。


★ 個人的には、敗戦記念日を中心に8月に戦争と平和を考える/記憶する報道にがんばるよりも、はじめた時(たとえば、12月8日)こそを大事にしてほしいと思っています。初めにこだわらなければ(を究明しなければ)、また同じ過ちを犯すのではないでしょうか?
 そして、過去から学ぶことなしの未来志向というのは、あり得るのでしょうか?
 ちょっといつもとは違うテーマで驚かれた方もいるかもしれませんが、根底の部分ではつながっています。

★★ 同名の本をベースに企画された番組のようでした。

★★★ というよりも、勝つ見込みのない戦争に突入していった!! 勝つという錯覚をマスコミと組んで国民に発信し続けながら。

★★★★ これも、ほとんどの場合は願望であって、実態ではないことが多いのですが。

★★★★★ もう一つ別の戦争報道では、アメリカ軍の捕虜は自分の名前と識別番号しか言わないのに対して(そのように指導されていた)、日本軍の捕虜は機密情報を含めて何でも話してしまったことを中心に紹介されていました。(なんと、その厖大な資料がアメリカやオーストラリアには残っているのです!!)要するに、捕虜になった時にどうしたらいいかという指導がなされていなかった、のが日本の軍隊だったのです。捕まることは前提にしていませんでした。戦闘で死ぬか、自決することが前提でしたから。従って、アメリカ軍はベラベラしゃべる日本軍の兵士から重要な情報を聞き出し、それを作戦に反映し続けました。中には、日本に早く負けさせ(日本軍にできるだけたくさんアメリカ軍に投降させるように働きかけのを助け)、平和な日本になるためにアメリカ軍に協力した日本兵も少なくなかったようです。勝てるはずのない戦争で、一般人を含めてたくさんの日本人を死なせ続けることが日本のためなのか、それともアメリカ軍に協力して早く戦争を終わらせることが日本のためなのか、考えさせられます。

◆ 全体を振り返ってみて痛切に感じることは、当時の日本には(そして、今も?)、「対話」が決定的に欠落していたんだろうな~、ということです。
 そして対話の練習は、大人になってからするものではなく、小学校低学年/幼稚園からできるということです。『理解するってどういうこと?』(特に、第8章「すばらしい対話」)を参照してください。

2015年8月9日日曜日

理科ノート


2月にアメリカのボストンに理科教育に関する調査に出かけて以来、「理科ノート」について調べています。その中で、次のような本を読んでいます。

 
『サイエンス・ノートブック』ロリ・フルトン&ブライアン・キャンベル
  /Heinemann 2014
この本のp.12に次のような記載があります。

 

◆意味のあるスタートによって、子どもたちにはどのような経験がもたらされるのか
   
 始めに考慮しなければならない重要なことの一つは、どのような種類の調査活動が、よい科学的な実践や適切な内容の発展のための強固な基礎をもたらすかということである。幼い子どもたちは年長の子どもよりも科学的な実践に関して経験が少なく、観察の方法や科学的な手続きを踏むことに関してガイダンスが必要である。

 最初の経験は子どもたちに様々な手法を用いて記録する機会を提供してくれるだろう。より多くの感覚を動員する観察のほうがうまくいくだろう。

身近なフルーツや葉、校庭の一部といったものを子どもたちが観察することで、適切な初期の活動にすることができる。なぜなら、この調査活動は将来の記録に備える段階となるからであり、夢中になって取り組んだり、科学的な話をしたりすることが大切であり、それによって発展的な活動とすることができる。

○この本のよいと思ったところは、最初に観察の仕方を丁寧に教えるところです。
   
「最初の一週間の様子は?     P.15

1

目標: 生徒はリンゴの観察記録を付ける。

材料: リンゴ、ルーペ、ノート

時間: 50分超
   
1. 授業の紹介 生徒と一緒に議論し、りんごを観察し、気づいたことを記録する。(2分間)

2. 観察して気づいたことを記録するツールとしてノートを利用することを紹介する。生徒と日付や題目といった主要な要素について議論する。

3. 生徒にリンゴを観察させ、気づいたことを記録させる。(10分間)

4. 生徒に床に輪になって座るように指示し、パートナーと観察して気づいたことを共有する。(3分間)

5. サイエンス・ノートを利用して、全体で観察記録について共有させる。黒板に観察した記録を描く。(10分間)

6. 子どもたちが記録したことを共有する。様々な記録の仕方について議論させる。(5分間)

7. ルーペを紹介し、その使い方について説明する。(2分間)

8. 「りんごはどう見える?(K-2 学年)とか、「りんごの見え方はどう変わる?(3-5学年)のような質問をする。質問をノートに記録させ、パートナーになった子どもと一緒に観察する時間を与える。(10分間)

9. 子どもたちに元の位置に戻るように指示して、観察結果を共有させる。特に、似ているところと違うところに注意して。(3分間)

10. 前の質問に戻る。子どもたちに話し合う相手を変えて、質問について議論させ、答えをノートに記録させる。(5~10分間)

 
 これが、初日の観察手順です。内容がさらに進化しつつ、5日間のプログラムを通して、子どもたちは「観察」の仕方について学ぶことになります。

「ノート」を取ることはわが国の理科教育でもこれまで大切に指導されてきていますが、今後はevidenceをもとに、自分の考えを主張することがこれまで以上に求められることになるでしょうから、「理科ノート」に何を、どのように書くかということがポイントになるでしょう。

 

 

2015年8月2日日曜日

中教審の論点整理


日本教育新聞727日号によると、学習指導要領の改訂を議論している中央教育審議会の教育課程企画特別部会が22日、報告のたたき台となる「論点整理」を基に話し合ったそうです。

記事の冒頭に次のような記述があります。
   
「論点整理」は、現在の観点別評価の「関心・意欲・態度」の下では、学校現場で正しいノートの取り方や挙手回数も評価対象とされるなど本来の趣旨とは異なる評価が行われていると指摘。
   
 みなさんはこれまでの「関心・意欲・態度」の評価項目についてどう感じておられたでしょうか。私自身は、当初から「関心・意欲」は必要ないと感じていました。(後出しじゃんけんだろうと言われるかもしれませんが)

「関心・意欲」はあくまで学習者自身の自己評価の対象となるべき項目であり、教師が見とるべきものとは違うだろうと思っていました。学校における学習評価は、学習者自身の自己評価と教師による評価(必要であれば、学習者相互の相互評価も含めて)によって、「学びのための評価」(assessment for learning)となることが望ましいと思います。それが実際は「学んだことの評価」(assessment of learning)で、学習の改善にはつながらない、教師による評価、というか「評定」で終わっているのが実態でした。     

さらに「見直しの方向」について記事には次のように書かれています。
   
観点別評価全体の整理にも言及した。学校教育法が定める学力の3要素の定着を重視するため、現在の4観点から3観点に見直す考えを示した。「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」の三つに整理し、指導と評価の一体化を進める。

 
最後の項目の「態度」を入れるかどうかには異論はあると思いますが、「関心・意欲・態度」のすべてを削除してしまうと、これまでのあり方との隔たりが大きくなってしまうということも「態度」を残したという背景にあるのかもしれません。

それともう一つ。高校については次のように記述されています。 

高校では知識を問うペーパーテストなどに偏重した評価が行われているとして、観点別評価を普及させる考えを示した。 

これが高校の実態ですね。もちろんしっかりと観点別に取り組んでいる高校もあるでしょうが、多くの実態はこれです。これから「普及」させるとは・・・。この20年間、観点別評価は高校とはほとんど無縁だったようです。

さきほどの記事にあったように、「指導と評価の一体化」が小・中・高校で実現されるように多くの知恵を結集したいものです。