2022年3月26日土曜日

本を読む

 

もう3月も終わりとなり、4月からは新年度がスタートします。

 2月下旬のロシアによるウクライナ侵攻により、世界は混とんとした時代を迎えようとしています。コロナの状況にやっと出口の見え始めたときに、このような世界的な変化が起きるとはだれが予想していたでしょうか。

 古代ローマが舞台の漫画『テルマエ・ロマエ』で有名な漫画家ヤマザキマリさんの本に次のような一節がありました。(『国境のない生き方』小学館新書2015)

「こん棒でひたすら殴り合うみたいな戦争をいまだにやり続けているのは、なぜなのか。突き詰めて考えれば、これも想像力と寛容性がないからだと思うのです。

かつての革命家は、ほとんどが教養人であったというのがすごく象徴的な話だと思うのですが、たとえばキューバ革命の英雄チェ・ゲバラは、キューバを捨ててボリビアに行った時に、まずゲリラの人たちにゲーテの詩集を配ったんです。「まずこれを読め」と。

「本を読めよ。そこから始めようぜ」と。

~(途中略)~

私がキューバという国に対してものすごくシンパシーを感じているのもそこで、あの国の人たちはどんなに貧しくても非識字率ゼロですから。

どんな田舎のおじいさんだって、立派な筆記体の字を書けるし、読んでいる。平和を維持するには、人が自分の力で考え、判断していく力をつけることがものすごく大事なことだってわかっているんです。」

 私たちにできることは、まさにこの「自分の力で考え、判断していく力をつけることがものすごく大事なこと」であると信じ、そうした思いを多くの人たちと共有し、そのような力を身につけた子供たちを育てていくことではないでしょうか。

そのための手掛かりがここ「PLC便り」にあります。

 4月からは、高等学校において新教育課程がスタートします。

今月18日発売『世界史の考え方---シリーズ歴史総合を学ぶ①』(岩波新書)の帯には、次のように書かれていました。

「私たちが考えているのは、今、目の前にある「歴史総合」の教科書をいかに解釈するかではなく、教科書の向こうにある「問い」を見いだし、いかに深く掘り下げていくかです。たとえ、本書が提示した問いをそのとおりに考える授業ができなくても、本書を素材にして、教師が深い問いを持とうとする知的好奇心を高めれば、きっと授業は進化(深化)していくのではないかと私は考えています。」

この言葉は著者の一人である長野県蘇南高等学校の校長・小川幸司さんのものです。

そのような授業が国内において、一つでも多くの教室で展開されることを願いたいと思います。

この本を読んで、私自身も新教科である「歴史総合」をテーマに勉強を始めました。

たとえば、「明治維新とフランス革命の比較」「イギリスの産業革命と日本の産業革命の比較」「近世の定義」など。後日その報告をしたいと思います。

2022年3月20日日曜日

先生同士で「学年開き」をやろう

いよいよ学年末。私たち教師にとっては一年間の成果と達成感、そしていくばくかの反省とともに子どもたちとの別れを惜しむといったそんな季節。そして、来年度の人事も気になるところ。どの学年、どんな同僚と学年を組むのか、噂話を耳にしはじめる季節でもあります。今が一番、期待に燃え「来年こそは!」と思いを新たにできる時期ではないでしょうか。

 

しかし、新年度の学年主任がとても管理的で、「やりたいと思っていたワークショップ授業の実践にブレーキがかかりそう」「学年なんでもそろえないと怒られそう」「いっそのこと、こっそりやってしまおうか?」 と、不安は尽きません。しかし問題の多くは、コミュニケーション不足だったりします。事前のちょっとした確認不足が誤解を生んでしまい、せっかく思いをもってよく学び、取り組もうとしていることなのに、同僚に否定されてしまうことだってあります。

 

新しい学年が発表された時、お互いどんな教師なのかはまだ分かっていないことがほとんどです。まずは先生たち同士が、気軽に話し合える関係性を築くことから始めてみませんか。学年内の心理的負担を減らすためにも、学年の先生を理解し、そして理解され、学年の先生と一緒に取り組めるための協力関係を耕すことです。何より、わかってくれる人が身近にいることが実践を続ける中で一番の励みとなるはずです。

 

 

 

そこで、新学期に向けて「学年開き」をしかけてみましょう。子どもたちとではありません。まず、先生同士の学年開きからです。自分は何者なのか、学年として子どもたちをどんなふうに育てていきたいのか、そんな思いを共有することから始めましょう。始業式が始まる前までに、学年内で1時間ほど時間をつくり、お互いの自己紹介から始めます。新学期の準備期間は様々なやるべき事は多いのですが、その多くは学期が始まってからでも可能です。今、学年団に必要なことは、お互いを知り、わかり合うことです。

 

ウォーミングアップにおすすめのテーマは、「その担当する学年だった子どもの頃の自分」です。誰にもある若かりし頃。その当時を思い出し、自分を少しだけ開いてみる経験をしてみます。当時の自分がどんなことを考えていたり、どんなことを夢中だったのか、それをもとに今度、出会う子どもたちとは、どんなことを大事にしたいのか改めて考え直すきっかけをつくります。もちろん話したくないことは自己選択することを事前に確認しておきましょう。そういう安心感の中で対話をする文化をまずは学年内に築き上げていきます。

 

実際に小学校時代の思い出の一品を用意して話し合うと実に面白いものです。ベテランな先生ほど、「まさか○○先生がその漢字ドリルでそんなことをしていたなんて!」といった話題も出てきますし、また、それを聞くのも楽しいものです。秘密を共有するかのように自分を開き、オープンマインドで話し合うことで、お互いどんなことを大切にしている教師なのか少しずつ分かり合えるきっかけをつくっていきます。

 

ここには学年に関わる全ての先生、支援員といった、あらゆる人たちを巻き込むことです。その人たちは学年の願いを委託する人ではありません。一緒に子どもたちたちと学年をつくり上げていく人なのです。大人の声、一人ひとりの声を大切にしていく。こういったことがまず先生同士でやれることで、子どもたちへ民主的なモデルとしての一歩となるはずです。

 

ここで、注意したいことがあります。自分のやりたいことをエンジン全開と打ち明けてしまうと、よけい怪しまれます。まずは同僚の人となりを理解することからです。関係が築き始めてから、「相談」とう形で投げかけていけばいいのです。時には、否定される不安もあるかもしれませんが一方で、率直に伝えた方が、のびのびとやれるように助けてもらえることが多くあるはずです。関係性の浅いままで、同僚の知らないところで勝手に何かやっているから、不審がられるのです。

 

年度の初めにつくった共通の学年のテーマやめあては、目の前の子どもたちを見てつくられたものではありません。次に5月の学年会で、学年のテーマやめあてをメンテナンスしていく必要があります。大事にしていたことできたことやもう少しこうしたかったことなどを毎回、話題にしていくことです。学年の願いは、具体的な日常とつなげてこれを話し合わなければ前に進むことはできません。

 

新学期は大人であっても心理的に不安になる時です。そんな不安を受け止めてもらったり、今後、支えたり、支え合ったりするため、学年の先生と「一緒に話しませんか?」と声をかけることからはじめてみませんか。いつも怪訝な顔をしていた先生ほど、自分の話を聴いてもらうことで、その鎧がとけるかのように笑顔となるものです。先生同士の関係性のストレスから少しでも解放されるように、また自分が居心地良く働けるように、新学期できることはありそうです。

2022年3月13日日曜日

『もしもあなたがコロナに感染したら』 6年道徳

   213日(日)のPLC便りを拝読し、道徳で、コロナ感染に関する授業をしてみました。実施したクラスは、6年生の1クラス。普段は英語を担当しているクラスです。(私は学級担任ではありません。)

 元々、その時間は不在担任に代わり、「差別や偏見」をテーマに道徳の授業をすることになっていました。前々週、6年生にも陽性者が出ていたのでタイムリーな教材と判断して取り組んでみました。

 飛び入りの道徳。いつも担当している英語の授業では、あまり話し合ったり聴き合ったりという活動がなく、しかも1時間目だったので、子供たちは戸惑ったかもしれませんが、概要は以下のとおりとなりました。(T:教師 C:児童)

 

T「学校からのメールには、陽性者が出ましたと書かれるが、名前はでないよね。どうしてだと思いますか。」

C「いろいろ噂される。」「誹謗中傷が起こるからでは。」

T「今日は、『コロナの感染について考えよう』というテーマで道徳をします。」

 「もしも、あなたがコロナに感染したら、①周りの人にしてほしいことは何ですか。②反対にしてほしくないことは、何ですか。理由も教えてください。」

二つの問いが書かれたワークシートに自分の考えを書き、その後発表してもらいました。

ワークシートに記入しながら「これは差別につながる」とつぶやいている子もいました。

<あなたが感染したとき、してほしいこと>

C「友達には、近づかず離れておいてほしい。うつしたくないから。」

C「予防してほしい。自分のせいで感染してほしくないから。」

C「そっとしておいてほしい。感染理由や症状を聞かれるといやになるから。」

C「『大丈夫?』などの、優しい言葉をかけてほしい。不安だから安心できる。励ましになる。」

C「でも、あまりしつこく優しい言葉をかけられるのは、嫌だ。特別な感じがして変な感じがする。普通に休んだときと同じように、いつもどおり接してほしい。」

T「優しい言葉はかけてほしいけれど、コロナだからといって特別なのは嫌なんだね。」

<あなたが感染したとき、してほしくないこと>

C「差別をしてほしくない。」

C「感染した人がだれか、探さないでほしい。避けられたり差別につながる。」

C「感染理由を聞かないでほしい。自分はちゃんと予防している。感染するのは仕方のないこと。」

C「ウイルス扱いをやめてほしい。自分は人間だ。」

C「避けたり、仲間外れにされたりするのは嫌だ。差別されている。」

CSNSなどで、○○がコロナになったなどと拡散してほしくない。差別されそう。」

C「差別したいならすればいいけれど、自分が差別されても文句はいえないと言いたい。」

T「差別する人は、自分が差別される可能性が高くなるということかな。」

T「あなたは、自分が感染した後、学校に来なかった理由を聞かれたら、コロナに感染していたと答えますか。」

C「答える。軽く『ごめんな。』と言って、『俺、コロナに感染していた。でももう大丈夫。』と、普通に言う。だって、感染は悪いことをしたわけじゃない。」

C「私も答える。黙っていたら、隠し事をしたみたいになる。あとで分かったら、なんで言ってくれなかったの?と友達関係が悪くなるかもしれない。」

C「ぼくは言わない。やっぱり差別されるかもしれない。『あいつ、コロナだったらしい。』と言ってうわさが流されるかもしれない。

T「このクラスの中だけでも、感染したことを話す人と話したくない人がいます。コロナに感染したことで、差別されるのを恐れている人もいます。そういうことも考えて、今度は、周りの人になって考えましょう。コロナに感染した人があなたの周りにいたら、どういうことをすればいいと思いますか。どういうことはしない方がいいと思いますか。ワークシートに書きましょう。」

<コロナに感染した人に対して、自分がどうするか>

 授業の締めくくりとして、書いてもらいました。すべてが、「そっとしておく」「大丈夫?など、体調を気遣う言葉をかけるが、普段通りの態度にする」というものでした。

 

コロナ感染は、あくまで差別や偏見について考える手段の一つであると考えます。コロナ感染をとおして、差別や偏見がなぜ起こるのかを、もう少し子供たちと考えたいと思い、もう1時間、以下のことを考えてもらいました。

(1)コロナに感染した人に対する差別が、なぜ起きるのか。

(2)差別をなくすことはできないのか。

 

<コロナに感染した人に対する差別が、なぜ起きるのか>

T「あなたは、コロナに感染した人が差別された話を見たり聞いたりしたことがありますか。」・見聞きしたことある2名 ・見聞きしたことない23名。

C「高校生が仲間外れのいじめにあったニュース。」

T「差別が起きたことを知っている人は2人しかいないのに、みんな差別がおきるって考えている。おかしいね。なぜだろうね。そういうところも考えたいけれど、今日は、同じ伝染病のインフルエンザでも差別は起きないのに、どうしてコロナだと差別が起きるのか、そのことをについて意見を聞いてみたいと思います。なぜだと思いますか。」

C「恐怖心」

C「薬がない」

C「治らないかもしれない」

C「死者が出ている」

C「よくわからない病気」

C「感染したときどうしたらいいか分からない」

<差別をなくすことは、できないのか>

T「感染するのが怖い。だから排除、仲間外れにするという考えなのですね。ワクチンはあるけれど、100%感染予防できるわけではないし、完全に治る薬もないね。コロナ感染だけでなく、世の中に差別があるのを聞いたことはありますか。」

C「ある。障碍者の差別とか。」

T「差別って、なくすことはできないのでしょうか。」

C「できない。」「むずかしい」

C「できるけれど、時間がかかる。」

C「なくせるかどうか、分からない。」

T「なぜ?」

C「人間には悪い心がある。」

C「差別する人が、悪いことだと納得、理解するのに時間がかかる。説得するのに時間がかかる。」

C「世界は広い。いろんな人がいる。人が多いから説得するのに時間がかかる。」

C「心がよごれている。」

C「道徳を学んだらよい。よいこと悪いこと。」

T「よいことと悪いいことを判断することを『理性』といいます。」

C「でも、学んでも『きらい』とか、感情があるから無理だ。」

C「感情は無意識に出る。」

C「くせは、直しにくい。」

C「むりやりなおすべきだ。」

C「差別とかは集団でする。まず周りの人を説得して、中心の人を一人にする。一人だと差別はしにくい。」

T「あなたも、コロナに感染する可能性がある。ということは、差別されるかもしれない。差別されてもいい人は? いませんね。どうすれば差別がなくなるのかを考えることは、自分を差別から守ることにもなると思いますよ。」

 

 差別をなくすには、まず理性を育てること。次に感情に負けてしまわないようにすることを子供たちは指摘しているように見えました。

学校から配信されるメールには、(保護者スマホに、学校や市教委からメールを配信するシステムができています。)「誹謗中傷やプライバシーの保護には十分お気をつけください。」という決まり文句が書かれています。そのため、子供たちは「誹謗中傷」「プライバシー保護」という言葉は、知識としては知っています。

しかし、誹謗中傷とは実際にどんなことが発生したのか、プライバシーとはどういうことなのかは、実感としては分かっていないと思います。配信文を教材として読んでみる。いったい誰がどんなことを誹謗中傷するのか。「あなた」は、あるいは「あなたの家の人」は誹謗中傷やプライバシー保護に努めないのか。学校は保護者を疑っているのか。反対に知りたいこと(陽性者の名前)を知る権利はないのか。(憲法ともつながります)陽性者の名前を知ろうとする保護者は、だめなことをしているのか。配慮のない自分勝手な人なのか。

陽性者の匿名問題を扱ったとしても、いろんなことができそうな気がしてきました。

コロナ感染は、来年度も収まらないかもしれません。行事の中止と感染。その中から差別につながる事象が浮かぶかどうか、先ほどの陽性者匿名問題なども含め、自分に自己の生き方を突きつけられた状況になる学習が、道徳には必要だと感じました。

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 以上の実践報告を送ってくれたのは、S先生です。最初は1時間のみの記録でしたが、「もう1時間やれたらいいですね」という返信に対して、なんとかやりくりして2時間続きの実践になったので、(内容はともあれ?)紹介しないわけにはいかなくなりました。今の問題を扱う価値は、教科書教材をカバーするだけの授業よりも何倍もあると思いますから。

2022年3月6日日曜日

新刊紹介『感情と社会性を育む学び(SEL)』

 二人の紹介文を載せます。

 一人は、翻訳協力者の佐野先生ので、もう一人は、訳者の一人の大内さんのです。

 

  佐野先生の紹介文

あなたのクラスの生徒は安心して教室の席に着けているでしょうか? 苦しいときに誰かに助けを求めることができているでしょうか? 私たち大人は学習活動に注目するばかりに、生徒たちの感情を置き去りにしてはいないでしょうか? そして自分自身の感情も。

教師は生徒の幸せを願って、多くの学びの場を提供しますが、それらは往々にして認知(知識)的なものに偏りがちで、感情的なものが取り扱われることはほとんどありません。認知的思考も感情的ふるまいも同じ一人の人間のなかで起こっていることで、それぞれが大きく影響し合っていることは、私たち大人が毎日のように体感していることです。

生徒によりよく学んでほしいと心から願うのであれば、目に見える現象だけでなく、生徒の背景にあるものや心の状態を理解することが大切になります。生徒は自分が安心できる居場所が確認できたとき、周囲の大人との良好な関係性が築けたときに、自ら学ぼうとする健全な心(成長マインドセット)を養っていきます。

とは言え、日常の教育活動にどのようにして「感情と社会性の学び(SEL)」を取り入れることができるのでしょうか? また、SELの観点を学習活動に取り入れるとき、教師自身は自らの感情にどのように向き合っていけば良いのでしょうか? 本書では、あなたの教室で明日から使える具体的なアイディアと豊富な実践例が紹介されています。さらに、SELの効果について脳科学の見地から述べられており、SELを実践するうえで、その有効性について同僚や保護者への説得力を添えています。子どもたちの主体性を育むうえでプロジェクト学習や探究的な活動に魅力を感じ、授業に取り入れてはみるものの、自身の想い描くような授業にはならず、悩まれている方にとっても大きな気づきやヒントをもたらしてくれることでしょう。       協力者・佐野和之(かえつ有明中・高等学校)

 

  訳者の大内さんの紹介文

 本書のテーマ、Social Emotional Learning (SEL)は、日本語に訳すと、感情に向き合い対応する力であるEQ(感情知性)と、社会性に関わる力のSQ(社会的知性)を育てるための学びです。本書では、この感情と社会性の学びをSELと呼び、そのスキルをSQEQと呼びます。(「EQ」と「SQ」で検索すると、たくさんの関連図書を見つけることができます。)

 SELには、社会認識と人間関係の構築、維持、修復などの社会性(SQ)と、共感する力、自己認識、自己管理能力などからなる自分と他者の感情と向き合い対応していく力(EQ)を学ぶことが含まれます。これらの力は、学校を越えて、社会で必要な力、学び続けるために鍵となる力です。子どもたちにとっての社会である学校では、子どもたちが日々の生活を通じて、SQEQを鍛えていくことが必要です。学習レベルが異なるように、EQSQも一人ひとり異なります。EQSQを子どもの特性や性格と捉えるのではなく、学力と同じように、現時点での子どものEQSQをふり返り、目標を立て、それに向かって学べる環境をつくることが必要です。基礎的な認知能力である読み書きや計算がその後の学びに必要不可欠なように、EQSQも学ぶために必要な基礎的なスキルとみなし、その発達に取り組んでいくことが大切です。

 アメリカでは、SELは、この二〇年間で大きな広がりを見せ、実践や実証研究が進んでおり、SQEQは学びと人生において鍵となるものだと考えられています。SELの実践により、学力が平均11%向上することや、子どもの向社会的行動を促し、鬱やストレスを軽減すると指摘する研究もあります(参考文献45)。現在、CASEL: Collaborative for Academic, Social and Emotional LearningEASEL: The Ecological Approaches to Social Emotional Learningなどの団体をはじめとして、SELに関する研究、実践、政策提言を行う機関やプログラムは数え切れません。日々の学びにSELの視点が重視されている学校が増え、教員向けのSELのトレーニングも普及し、SELに関連する本も数多く出版されています。そのなかで、EQSQは働きかけ伸ばしていくスキルの一つとして捉えられ、客観的に目標と指標を立て、成長が評価されるようになってきています。課題の多い子どもには、個別やグループでの対応がされているところもあります。 (中略)

  本書の文章で印象に残っているのは、「生徒たちは、カバンと教科書だけを持って教室に来るわけではありません。生徒一人ひとりが精神的・感情的・身体的に異なる状態で登校しており、学ぶことに対する準備や意欲も異なっています」(76ページ)という文章です。

子どもたち一人ひとりの状態を知ることは、日々の業務に追われる先生方にとっては、多大な努力を要することと思います。しかし、本書にある具体的な実践方法は、数分でできる小さな方法が多岐にわたって紹介されています。最初から一度にたくさんの方法を取り入れようとはせずに、自分のクラスの生徒に合った方法を一つ、二つと見つけて試し、徐々に増やし続けてほしいと思います。 (中略)

 より多くの子どもたちの日々の学びに、SEL(感情と社会性に関する学び)が取り入れられていくことを願っています。 (以上、訳者まえがきより)

    大内さんは、現在The Right Question Instituteにて、問いづくりのトレーニングと問いを立てることが学びや行動に及ぼす効果についての理論的研究に携わっています。日米の教育にふれるなかで得た知見(特に、学ぶ力を伸ばす取り組み)について広げていきたいとのことです。

 

◆本ブログ読者への割引情報◆

1冊(書店およびネット価格)2640円のところ、

PLC便り割引だと  1冊=2400円(送料・税込み)です。

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