2月13日(日)のPLC便りを拝読し、道徳で、コロナ感染に関する授業をしてみました。実施したクラスは、6年生の1クラス。普段は英語を担当しているクラスです。(私は学級担任ではありません。)
元々、その時間は不在担任に代わり、「差別や偏見」をテーマに道徳の授業をすることになっていました。前々週、6年生にも陽性者が出ていたのでタイムリーな教材と判断して取り組んでみました。
飛び入りの道徳。いつも担当している英語の授業では、あまり話し合ったり聴き合ったりという活動がなく、しかも1時間目だったので、子供たちは戸惑ったかもしれませんが、概要は以下のとおりとなりました。(T:教師 C:児童)
T「学校からのメールには、陽性者が出ましたと書かれるが、名前はでないよね。どうしてだと思いますか。」
C「いろいろ噂される。」「誹謗中傷が起こるからでは。」
T「今日は、『コロナの感染について考えよう』というテーマで道徳をします。」
「もしも、あなたがコロナに感染したら、①周りの人にしてほしいことは何ですか。②反対にしてほしくないことは、何ですか。理由も教えてください。」
二つの問いが書かれたワークシートに自分の考えを書き、その後発表してもらいました。
ワークシートに記入しながら「これは差別につながる」とつぶやいている子もいました。
<あなたが感染したとき、してほしいこと>
C「友達には、近づかず離れておいてほしい。うつしたくないから。」
C「予防してほしい。自分のせいで感染してほしくないから。」
C「そっとしておいてほしい。感染理由や症状を聞かれるといやになるから。」
C「『大丈夫?』などの、優しい言葉をかけてほしい。不安だから安心できる。励ましになる。」
C「でも、あまりしつこく優しい言葉をかけられるのは、嫌だ。特別な感じがして変な感じがする。普通に休んだときと同じように、いつもどおり接してほしい。」
T「優しい言葉はかけてほしいけれど、コロナだからといって特別なのは嫌なんだね。」
<あなたが感染したとき、してほしくないこと>
C「差別をしてほしくない。」
C「感染した人がだれか、探さないでほしい。避けられたり差別につながる。」
C「感染理由を聞かないでほしい。自分はちゃんと予防している。感染するのは仕方のないこと。」
C「ウイルス扱いをやめてほしい。自分は人間だ。」
C「避けたり、仲間外れにされたりするのは嫌だ。差別されている。」
C「SNSなどで、○○がコロナになったなどと拡散してほしくない。差別されそう。」
C「差別したいならすればいいけれど、自分が差別されても文句はいえないと言いたい。」
T「差別する人は、自分が差別される可能性が高くなるということかな。」
T「あなたは、自分が感染した後、学校に来なかった理由を聞かれたら、コロナに感染していたと答えますか。」
C「答える。軽く『ごめんな。』と言って、『俺、コロナに感染していた。でももう大丈夫。』と、普通に言う。だって、感染は悪いことをしたわけじゃない。」
C「私も答える。黙っていたら、隠し事をしたみたいになる。あとで分かったら、なんで言ってくれなかったの?と友達関係が悪くなるかもしれない。」
C「ぼくは言わない。やっぱり差別されるかもしれない。『あいつ、コロナだったらしい。』と言ってうわさが流されるかもしれない。
T「このクラスの中だけでも、感染したことを話す人と話したくない人がいます。コロナに感染したことで、差別されるのを恐れている人もいます。そういうことも考えて、今度は、周りの人になって考えましょう。コロナに感染した人があなたの周りにいたら、どういうことをすればいいと思いますか。どういうことはしない方がいいと思いますか。ワークシートに書きましょう。」
<コロナに感染した人に対して、自分がどうするか>
授業の締めくくりとして、書いてもらいました。すべてが、「そっとしておく」「大丈夫?など、体調を気遣う言葉をかけるが、普段通りの態度にする」というものでした。
コロナ感染は、あくまで差別や偏見について考える手段の一つであると考えます。コロナ感染をとおして、差別や偏見がなぜ起こるのかを、もう少し子供たちと考えたいと思い、もう1時間、以下のことを考えてもらいました。
(1)コロナに感染した人に対する差別が、なぜ起きるのか。
(2)差別をなくすことはできないのか。
<コロナに感染した人に対する差別が、なぜ起きるのか>
T「あなたは、コロナに感染した人が差別された話を見たり聞いたりしたことがありますか。」・見聞きしたことある2名 ・見聞きしたことない23名。
C「高校生が仲間外れのいじめにあったニュース。」
T「差別が起きたことを知っている人は2人しかいないのに、みんな差別がおきるって考えている。おかしいね。なぜだろうね。そういうところも考えたいけれど、今日は、同じ伝染病のインフルエンザでも差別は起きないのに、どうしてコロナだと差別が起きるのか、そのことをについて意見を聞いてみたいと思います。なぜだと思いますか。」
C「恐怖心」
C「薬がない」
C「治らないかもしれない」
C「死者が出ている」
C「よくわからない病気」
C「感染したときどうしたらいいか分からない」
<差別をなくすことは、できないのか>
T「感染するのが怖い。だから排除、仲間外れにするという考えなのですね。ワクチンはあるけれど、100%感染予防できるわけではないし、完全に治る薬もないね。コロナ感染だけでなく、世の中に差別があるのを聞いたことはありますか。」
C「ある。障碍者の差別とか。」
T「差別って、なくすことはできないのでしょうか。」
C「できない。」「むずかしい」
C「できるけれど、時間がかかる。」
C「なくせるかどうか、分からない。」
T「なぜ?」
C「人間には悪い心がある。」
C「差別する人が、悪いことだと納得、理解するのに時間がかかる。説得するのに時間がかかる。」
C「世界は広い。いろんな人がいる。人が多いから説得するのに時間がかかる。」
C「心がよごれている。」
C「道徳を学んだらよい。よいこと悪いこと。」
T「よいことと悪いいことを判断することを『理性』といいます。」
C「でも、学んでも『きらい』とか、感情があるから無理だ。」
C「感情は無意識に出る。」
C「くせは、直しにくい。」
C「むりやりなおすべきだ。」
C「差別とかは集団でする。まず周りの人を説得して、中心の人を一人にする。一人だと差別はしにくい。」
T「あなたも、コロナに感染する可能性がある。ということは、差別されるかもしれない。差別されてもいい人は? いませんね。どうすれば差別がなくなるのかを考えることは、自分を差別から守ることにもなると思いますよ。」
差別をなくすには、まず理性を育てること。次に感情に負けてしまわないようにすることを子供たちは指摘しているように見えました。
学校から配信されるメールには、(保護者スマホに、学校や市教委からメールを配信するシステムができています。)「誹謗中傷やプライバシーの保護には十分お気をつけください。」という決まり文句が書かれています。そのため、子供たちは「誹謗中傷」「プライバシー保護」という言葉は、知識としては知っています。
しかし、誹謗中傷とは実際にどんなことが発生したのか、プライバシーとはどういうことなのかは、実感としては分かっていないと思います。配信文を教材として読んでみる。いったい誰がどんなことを誹謗中傷するのか。「あなた」は、あるいは「あなたの家の人」は誹謗中傷やプライバシー保護に努めないのか。学校は保護者を疑っているのか。反対に知りたいこと(陽性者の名前)を知る権利はないのか。(憲法ともつながります)陽性者の名前を知ろうとする保護者は、だめなことをしているのか。配慮のない自分勝手な人なのか。
陽性者の匿名問題を扱ったとしても、いろんなことができそうな気がしてきました。
コロナ感染は、来年度も収まらないかもしれません。行事の中止と感染。その中から差別につながる事象が浮かぶかどうか、先ほどの陽性者匿名問題なども含め、自分に自己の生き方を突きつけられた状況になる学習が、道徳には必要だと感じました。
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以上の実践報告を送ってくれたのは、S先生です。最初は1時間のみの記録でしたが、「もう1時間やれたらいいですね」という返信に対して、なんとかやりくりして2時間続きの実践になったので、(内容はともあれ?)紹介しないわけにはいかなくなりました。今の問題を扱う価値は、教科書教材をカバーするだけの授業よりも何倍もあると思いますから。