2021年8月28日土曜日

再読『歴史をする』

 最近のいろいろな出来事を見ていると、歴史から学ぶことの大切さを痛感します。

 そこで、再度『歴史をする』を読んでみました。

 この本の功績の一つとして、「Agency」ということばを私たちに教えてくれたことがあります。同書11ページの脚注によると言葉の意味は次のとおりです。 

 原語は「環境に影響を及ぼす力」という意味の「Agency」で、OECD(経済協力開発機構)の「教育とスキルの未来~Education 2030」では、それを「変革を起こすために目標を設定し、振り返りながら責任ある行動をする能力」と定義されています。また、国際バカロレア(IB)では、エイジェンシーの要素として「オウナーシップ(主体性)」、「選択」「声」を挙げています。 

 「変革を起こすために目標を設定し、振り返りながら責任ある行動をする」という点は重要です。たとえば、このことは近年特に問題となっている気候変動問題にそのまま当てはまる言葉です。

先月721日に経済産業省から2030年度を目途とした「エネルギー基本計画」が公表されました。その計画によると、2030年度に設定したCO2排出量の目標値が達成されたとしても英仏の現在の排出量よりも多いという何とも情けない目標です。その内容を見ていくと、全体の4割を占める産業界からの排出量が多いのが原因です。しかも、現在の排出量からの削減割合の多くを家庭からの部分に頼ろうとしています。特に、産業界の部分でびっくりするのは、鉄鋼業界が削減ではなく1%弱の「増加」という目標値になっていることです。これに経産省も環境省も合意しているわけです。

これが未来への「責任ある行動」なのか、大いに検討する余地があります。今やSDGsに配慮しない企業は生き残ることができないと言われる状況になっているわけですから、国際競争力の点からもCO2削減は待ったなしの最優先課題です。「変われない」企業は生き残ることができないのと、同様に私たちも社会の変化に対応して「変わる」ことが求められています。しかし、この変革が難しいです。こうした変革のためにも、私たちは歴史から学ぶ必要があります。 

『歴史をする』の325ページに次のような一節があります。 

私たちは、誰もが、継続的に演じられている歴史というドラマへの参加者なのです。私たちは、歴史の影響を受ける者であると同時に、歴史に影響を与えるエイジェント(主体者/行為者)でもあるのです。現代においてもなかなかなくならない問題と一時的に生じる問題への参加を含む、日々の生活の総体として私たちは歴史をつくりだしているのです。 

気候変動問題も、まさに社会の一員として、この社会の抱える問題に主体者としてかかわっていくことが求められている一つの事例です。そうした主体者/行為者を育てるために教育のあり方を引き続き考え、実践していきたいものです。



2021年8月22日日曜日

「質問づくり」、早速実践してみました!

『たった一つを変えるだけ ~ クラスも教師も自立する「質問づくり」』(ダン・ロススタイン、ルース・サンタナ著)を読んで、早速、授業で実践したという兵庫県の小学校の先生の北元★さんが、実践報告を送ってくれたので紹介します。

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 「子どもが問いをもち、主体的に追究していく学習を目指したい」とかねがね考えていました。しかし、教えたいこと(正確には、教えなければならないと誤解している教科書の内容)と、子どもたちのもつ問いがうまく嚙み合わないという中途半端なジレンマに悩み続けていました。

そんな折、偶然にふと目に留まったのが、本書です。『たった一つを変えるだけ』、一体何を変えるのかと興味をもちました。表紙や帯にある「自立」「民主主義」という言葉には、単なるハウツーではなく、教育の本質を語ってくれるのではないかという期待も抱きました。「質問づくり」には、家庭環境の格差に左右されない学習を保障するという理念も流れているように感じ、そこに共感をしました。

自分の世界観を変えてくれる本であり、謳い文句どおりの感覚も実感できたように思いますので、本の内容と拙い実践を報告させていただければと思います。

副題のとおり、「質問づくり」がこの学習活動の中心となります。「質問づくり」は、従来教師が行ってきた「発問づくり」に相当します。「発問」とは、教師が子どもに発する問いのことです。例えば5年の社会科なら「なぜ、こんなに苦労してまで耕地整理をしたのでしょうか?」というものです。教育界のいわゆる業界用語です。

本書の中でも指摘されているように、私のこれまで経験してきた研修でも、発問は非常に重要視されてきました。授業研究=主要発問の研究といってもいいくらいです。特に、勤務する市の研修では、どのタイミングで、どのようなフレーズを用い、どのような口調で発問をするかまで、入念に検討されることが多かったです。発問が子どもの思考活動を方向づけるからだと理解しています。そのような発問研究が教師を疲弊させるという本書の指摘もうなずけるものでした。

「質問づくり」は、子どもの思考活動を発動させるために教師が四苦八苦してきた「発問」を子どもたち自身が、自らに問うものとしてつくる活動だと理解しました。

本書では、「質問づくり」の過程と活用の仕方が、事例とともに分かりやすく書かれています。それぞれのステップが、子どもたちにとってなぜ必要なのか、その意義も説明されており、納得して実践にうつすことができました。子どもの「自立」のための教師の役割・立ち位置も明確に述べられています。自立や民主主義を体現するために必要な、「ルール」についても定められています。

「質問づくり」において、最も重要なことは「質問の焦点」を決めることです。「質問の焦点」は、子どもたちに学んでほしいことをもとに、教師が決めます。「質問の焦点」の良しあしが、子どもたちの学習を主体的にするか、自立的にするか、深い学びに誘うことができるかに、大きく影響します。本書でも、「質問の焦点」の言葉を変えたことによって、学習の質が高まった事例が紹介されています。

私は1学期、小学校5年と6年の理科で、質問づくりを実践してみました。(理科が専門の教師ではありません。)「質問の焦点」づくりには、頭を悩ませましたが、発問のように苦しくはありませんでした。毎時間の授業の問いを考えなくてよいという気楽さがあったのかもしれません。

 1学期に「質問づくり」を実施した単元と「質問の焦点」は、以下のとおりです。

学年『単元名』

質問の焦点

5年『ヒトのたんじょう』

「おなかの中の受精卵」

5年『台風と気象情報』

「台風の動きと天気」

6年『ヒトや動物の体』

「食べ物のゆくえ」

「ヒトは呼吸する~酸素を取り入れ、二酸化炭素を出す~」

「血液は心臓から送り出され、心臓にもどる」

6年『植物のつくりとはたらき』

「植物が根から取り入れた水」

「植物には、根・くき・葉がある」

*使用教科書 啓林館 わくわく理科

  どの単元も、単元や単元の中の小単元の導入にあたって「質問づくり」をしました。従来行ってきた課題づくりと変わらないのかもしれません。実践全体をふり返って気がついたことを書きます。

<問題意識の耕しが必要>

 いくら、「質問の焦点」に頭をひねって、「これなら食いついてくれるだろう」と、いきなり焦点となる言葉だけを提示しても、子供は、本当に主体的になりませんでした。これは「食べ物のゆくえ」のところで痛感しました。実験や体験、観察、資料の提示、予想するなど、子どもたちがある程度教材に触れて、問題意識が耕されてから提示すると、グループでの質問づくりも活発だったように感じました。もちろん、この活動に対する慣れも働いたと思います。

<質問づくりの意義を納得することが必要>

 私にとっても、子どもたちにとっても、質問づくりは初めてでした。子どもたちによると、これまで課題づくりの経験が少ない、ということでした。受け身的な授業が多かったようです。そんな子どもたちに、なぜ質問づくりをしなければならないか、一番最初の時間は、こちらも緊張しました。「連れて行ってもらった道と、自分で調べたり尋ねたりしながら歩いた道、2回目ひとりで行けるのはどっちかな。」などと言いながら、「とにかく、やってみよう。やってからおいしいか、まずいか決めよう。」と、腰の重そうな子どもたちを励ましてみました。

 質問づくりのルールを知った後は、グループで質問をできるだけたくさん出す段階があります。こちらの「質問の焦点」を出すタイミングと質の問題もあり、最初は何を質問してよいのか分からないグループも半分くらいはありました。5年生は特に、「先生が指示さえしてくれれば、その通りにするのに、なんで自分たちで考えさせるの!」という空気もありましたので、「とにかくベストを尽くせばいい。いい質問やいい活動をしようとしなくていい。最終的に質問がゼロでも、あきらめずに時間いっぱいは考えよう。」と、励ましてみました。すると集中して頑張りました。予想以上に響いたのが不思議でした。

 できるだけたくさんの質問を考えた後は、質問の変換をします。閉じた質問(はい・いいえで答えられる問い)を開いた質問(答えが多様)に。開いた質問を閉じた質問に変換します。この操作の意味が、まだよく分からなかったのですが、子どもたちが質問を解決するのに行き詰っているときに、質問を再変換させることで解決の糸口が見えたことがありました。

 質問づくりの最後は、優先順位をつけて3つの大事な質問をグループで選ぶ活動です。そもそもの質問が少ないので、簡単に決まるチームもありました。4人チームだったため、一人ずつが選んだ一番大事な質問を、譲り合って選ぶというチームも多かったです。民主的ともとらえられますし、質問の焦点を解き明かすために本当に必要な質問という視点に欠けた選び方ともとれます。どのような選び方がよいのか、2学期は一度考えてもらおうと思います。

 大事な3つの質問を選んだあとは、調べ学習を行いました。本市では4月より一人一台のタブレットが導入されたので、インターネットを使った調べる子どもがほとんどでした。教科書の内容も理解させたいという気持ちも強く働き、教科書も資料として必ず目を通してから他の調べ方をするように声をかけてしまいました。「NHK for school」の動画やクリップを活用している子どももいました。これまでだと、教師の用意した動画を一斉に視聴していましたが、自分たちのこだわる角度で、自分で選んで視聴できたのは、情報の選択と活用の経験になったのでよかったと思います。

 子どもたちの選んだ問いにはユニークなものもありました。中には、単元の目標・教科書の内容と一見つながらないものも一つや二つではありませんでした。これまでの私は、そのような問いが生まれないように前もって活動を仕組んだり、疑問を修正するように誘導したりしていましたが、「質問づくり」では、教師が注文をつけてはいけない、と理解したので、好きなようにさせていました。個々のカンファレンスの中で、教科書の内容と結びつけるような働きかけもしましたが、その子の心には響かないようでした。

 ある6年の女子が消化の学習でつくったのが「就寝前に食べてよいものは何か」という質問でした。どうやら就寝前のおやつがやめられないが、自分のスタイルやダイエットを気にしているので生じた質問のようです。その子にとっては、自分事の質問であり、解決したときには、とてもうれしそうでした。

 いわゆる学力の低いといわれている彼女は、質問づくりの学習の楽しさを味わえたのか、その後も意欲的に調べ、血液の流れの学習では、肺胞の働きをみんなに説明することもありました。しかし、テストでは期待していた力を発揮できませんでした。表面的には分かりませんが、彼女は「質問づくり」の学習に失望も覚えたのではないかと危惧しています。

 もちろん、これは「質問づくり」が悪いことを意味するものではありません。理科のテストは、学年が採用している業者テストを行わずに、自作問題を用いたのですが、出題が教科書の内容理解のテストの域を超えられていなかったものと思われます。

・評価とは何か。

・テストで評価できることは何か。

・テストの仕方に工夫ができないか。

・理科学習の本当のねらいは何か。どんな概念を身に付けてもらいたいのか。

・教科書とどう付き合えばいいのか。

 私自身の教育観・授業観を再構築し直す必要があります。単なる教科書の内容を教えるための「質問づくり」であれば、従来のやり方の方がましかもしれません。

 「質問づくり」をしたことで、自然現象を見る目が変わってきた。見える世界が違ってきたという実感をもてたとき、「質問づくり」の意味を子どもたちは見いだせると思います。

 

<主体的な学習と深い学び>

 質問づくりが面白い、という子どももいました。その子どもは「?➡!➡?➡!➡?➡…」サイクルを、どんどん自分で回していくことができるのです。

 私の目標は、自立して学ぶ子どもを育てることです。私のイメージする「自立して学ぶ子」とは、自分で問いを見つけ、ときには一人で、あるときは仲間の力を求めながら、あるいは、自分が助け舟となりながら、自ら解決に向けて探究していく子どもです。その過程で、自分の見方・考え方を見直し、再構築していく子どもです。

 質問づくりは、チームで課題に取り組むので、各自の責任や役割、協調性や助け合いが自ずと生まれる学習だと思いました。これは、実社会の中で必要とされる能力でもあると思います。したがってこれからも続けていきたい手法です。

 しかし、注意しなければいけないのは、それが形式化・パターン化しないことだと感じました。質問づくりさえしていれば、子どもに学びが生まれると思うのは間違いだと思います。

最終的に学んでほしいことへ歩むための手段の一つに過ぎない、と考える必要があると思いました。

 どこで、どのように、何をねらいとするかに応じて、縦横無尽に変貌自在に「質問づくり」を取り入れたいと思います。

 

★ 北元先生の自己紹介は、「兵庫県の公立小学校教員。今年の3月、偶然図書館で目にした『オープニングマインド~子どもの心をひらく授業~』に、考え直し学ばされることが多く、吉田新一郎氏の訳読本や著書を読み始めた。子どもが本気で主体的に学ぶ授業をすることが、ここ数年来の課題であり目標」です。


2021年8月15日日曜日

探究に関する2冊の本の比べ読み

 これまでにも、理科やカウンセリング関連の記事を書いてくれている創価大学の大関健道さんが、2冊の理科(探究)の本の比べ読みをしてくれましたので紹介します。

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 小学校に続き、この4月から中学校では2017年に改訂された学習指導要領が完全実施されています。新学習指導要領が目指している「主体的・対話的で深い学び」を実現するためには、子どもたち一人ひとりの疑問や問題を基にして、仲間と協同しながら共にその疑問や問題を解決していく「探究的な学習」をどれだけ実現できるかどうかが極めて重要なポイントです。端的にいえば、今までの教科書に書かれている内容をカバーするような教師主導の授業を、どこまで子どもたちの疑問や問題を解決する子どもたちの自立的な学習「探究」に転換できるかということです。

 今回は、「理科の探究」について書かれた以下の2冊の本を読み比べてみました。

1.『探究する資質・能力を育む理科教育』小林辰至(編著),大学教育出版,2017

2.『だれもが〈科学者〉になれる!~探究力を育む理科の授業』チャールズ・ピアス(著)門倉正美ほか(翻訳),新評論,2020


『探究する資質・能力を育む理科教育』

 やはり、特筆すべき内容は、この本で紹介されている6つの「探究する資質・能力を育むための具体的なアプローチ・手立て」です。

【1】自然と触れ合う「原体験」(理論編:第2章、第3章)

【2】仮説を立てる力を育む指導方略“The Four Question Strategy4QS)”とこれを生かした仮説設定シート(理論編:第4章、第5章、第9章、第14章,実践編:第3章、第4章、第5章、第6章、第8章)

【3】日本版プロセス・スキルズ「探究の技能」(理論編:第7章、第13章)

【4】観察と実験の「問い」の立て方(理論編:第8章)

【5】小学校中学年(34年生)の子供を対象とした仮説を立てる力を育む指導方略“The Two Question Strategy2QS)”とこれを生かした仮説設定シート(理論編:第10章,実践編:第1章)

【6】探究の過程の8の字型モデル(理論編:第11章,実践編:第2章、第4章、第6章)

 どれも、子どもたちの探究的な理科学習を推進していくうえで役に立つ、極めて重要な探究のアプローチの方法です。

しかし、本質的な問題として、書かれている内容の視点がやはり教師側にあるのです。つまり、本の内容が、教師による理科の授業・指導を通して、子どもたちの理科における「探究」を推進していくために必要な資質・能力を育てるためには、「理科教育」はいかにあるべきかという視点で書かれているのです。探究・学習の主体者である子どもたちの視点ではありません。

それを端的に表しているのが、【2】仮説を立てる力を育む指導方略“The Four Question Strategy4QS)”云々に書かれている「指導方略」という術語(テクニカル・ターム)です。指導方略とは、目標達成のために教師がどのような方策・手立てをもって子どもたちを指導するかというものです。

もちろん、この本は教師を主たる読者として書かれた「理科教育」の本ですから、当然のことかもしれません。本の内容は、多くの理科教育の実践的研究と学校現場での研究的実践に基づいて、理科における子どもたちの探究を推進していくために必要な資質・能力について書かれています。「問い」の立て方や「仮説」を立てる力などを含め、子どもたちが探究を進めていくために必要なさまざまなプロセス・スキルズ「探究の技能」について具体的に書かれている、素晴らしいものだと思います。

しかし、私には、この本を読みながら、子どもたちが「学びの主体者・当事者」として生き生きと目を輝かせながら探究しているイメージが湧くことは、ほとんどありませんでした。

 もう一つ、この本に物足りなさを感じたところがあります。それは、【4】観察と実験の「問い」の立て方に書かれている内容です。「問い」の立て方については、理論編の第8章「観察と実験の「問い」の立て方」で解説されているのですが、理科室や教室で実践するために具体的にどのようにすればよいのか、いま一つよく理解できませんでした。その理由を私なりに考えてみると、その原因が、この本では理科の教科書に載っている観察・実験を基にして「問い」の立て方を考えているところにあるということがわかりました。

学習の主体者である子どもたち一人ひとりの「不思議に感じたこと」や「疑問に思ったこと」、「もっと調べてみたいこと」など子ども自身の疑問や興味・関心から「問い」を立てることは、自立的な学習「探究理科」の過程の中で最も重要なプロセスの一つです。この意味で、この本に書かれている「問い」の立て方は、子ども主体の「問い」の立て方になっていないのです。


◆『だれもが〈科学者〉になれる!~探究力を育む理科の授業』

 この本の特筆すべきことの一つ目は、大阪大学医学部大学院で研究と医学教育に携わっている仲野  氏もこの本の書評で書いているように、大学院教育で行われていることが小学校の理科の授業を中心に行われていることです。https://honz.jp/articles/-/45579

すなわち、チャールズ・ピアス先生の教室では、教師が小学生の子どもたちを「科学者」として認め、子どもたちがもっている「可能性」と「潜在能力」を信頼すること、信じ抜くことを教育の原点として授業が行われているのです。このことによって、子どもたちは自分自身を科学的な素養をもっていると思うようになるのです。そして、ピアス先生の理科の授業では、その目的地が、子どもたち一人ひとりを自立した学習「探究理科」ができる人に育てることなのです。

まさに大学院では、ゼミや授業、実験・実習を通して、一人前の研究者・科学者として研究・探究していくために必要な資質・能力の育成が図られるわけですが、ピアス先生の教室では、自立的な学習「探究理科」の中核に子どもたち自身の「問い」を位置づけています。その「探究理科」の原動力となる「問い」を子どもたちが立てられるようにするために、以下のようなさまざまな手立てと工夫を行っています。これが、本書の特筆すべき二つ目の特徴です。

「クエスチョン・ボード」:ホワイトボードの掲示板で、子どもたちが思いついた「問い」を自由に書いていくものです。

「問い探し」の活動:籠の中に入っている奇妙な形の貝殻や電気器具の部品、種子、おもしろい形の岩石、分解された機械の部品、道具などの中から一つを選び、それをじっくりと観察し、「問い探し」のシートに記録する。記録する内容は、自分が選んだものの名前や状態、スケッチ、それについての問いと問いに対する答えを見つけるための方法です。

「実証しやすい問いの立て方」:「実証できる問い」の立て方を学ぶ際に行うミニレッスンのためのワークシートです。

「発見ボックス」:電気、ミールワーム、飛行、工作(模型づくり)、光と色、液体と固体、磁石、シャボン玉など、テーマに応じて、さまざまな素材や器具が入っているものです。発見ボックスの外側には、科学的発見をするための具体的な「指示」と中に入っているものを使って子どもたちが探究したくなるようないくつかの「問い」が書かれた紙が貼ってあります。さらに、箱の中に入っている素材などを見て、子ども自身が独自に考えついた「問い」をそれらの素材を使って探究していきます。

「科学発見シート」:自分が思いついた「問い」を書き留めたり、「発見ボックス」に取り組んだりしたときに試行錯誤してみた内容やその結果を記録するものです。科学者の「研究ノート」に相当するものです。

「発見ブック」:子どもたちが、発見ボックスの中に入っているものを自由にいじくりまわしたり、ボックスの外側に書かれている「問い」に答えるために試行錯誤したりした内容と結果を、「科学発見シート」に記録します。これをバインダーに綴じて、誰でも見ることができるようにします。

「野外活動」:校庭の樹木を生かした「自分の木」の観察、定期的に行われる「野外教室」での捕虫網を使った昆虫やクモなどの観察と生物調査、水辺の生き物である両生類の観察調査、「生物多様性の日」に行う野外調査などです。

このように、子どもたちがさまざまなものを自由にいじくりまわしたり(自由試行・Messing About)、校庭や公園などを自由にフィールドワークしたりしながら、たっぷりと時間をかけて、子どもたち一人ひとりが興味をもったことや、「なぜだろう?」、「どうして?」、「どんなふうに?」、「何と関係があるのだろう?」と疑問をもったことを基にしながら、クラスの仲間と共に、さらに先輩たちの「探究理科」での取り組みを参考にしながら、「実証できる問い」を練り上げていくのです。

自立的な学習「探究理科」にとって最も重要なプロセスの一つである「問い」を立てることが、子どもたち自身の手でしっかりとできるのは、上記のようなさまざまな手立てや工夫を行っていることと、子どもたちの「探究」のために時間を保障しているからです。こまごまとした「指導方略」を駆使しているのではありません。この点が『探究する資質・能力を育む理科教育』との大きな違いです。

この本の特筆すべき三つ目の特徴は、子どもたち自身が自立的な学習「探究理科」を進めていくために「書くこと」と「読むこと」を重視していることです

読むことと書くことを関連づけるためのものとして、科学読み物を自分たちの探究に生かすための「理科と本とのつながり」シートや、科学読み物についての話し合い活動を行ったり、書評を書いたりするための「おすすめの本」シートがあります。さらに、それぞれの子どもたちが、探究してきたプロセスをふりかえって自己評価したり、探究している内容を記録したりする「探究ジャーナル」、発見ボックスや野外活動に取り組んで発見したことを記録する「科学発見シート」、さまざまな探究テーマごとの「シート」、発見ボックスを使った活動を行うための「教師と生徒の契約書」「探究実施計画書」など、自分たちの探究を進めていくために、本当に子どもたちは多くの機会に書くことに取り組みます。

 そして、四つ目の特徴は、科学者と同じように、子どもたち自身が自分たちの探究に必要な費用を取得するための「探究助成金申請書」を作成したり、「子ども探究大会(研究発表会)」に参加して、ほかの学校の子どもたちや科学者を含めたさまざまな人々から「探究理科」で取り組んだ研究に対するフィードバックをもらったりしながら、人とのつながり・科学者コミュニティを醸成していることです。まさに大学や企業などの研究者や技術者=科学者と同じことを行っているのです。このような視点と具体的な学習活動は、『探究する資質・能力を育てる理科教育』には見られないことです。

 今回の比べ読みを通して、子どもたちに「~させる」という使役表現を用いるような、教師が中心の授業観ではなく、子どもたち一人ひとりが自立した学習者として学び・成長するために、教師は何ができるのか、どんな工夫や手立て・支援ができるのかを考えていく、子ども中心の学習観をもつことが大切であることを改めて感じました。


2021年8月8日日曜日

テストよりも学びのための評価を

 先月末、福岡市の男性教諭がテスト28回分、昨年度の休校期間中の宿題を放置して処分しようとした際、不審に思った同僚により密告され!?ニュースとなりました。男性教諭は「子どもたちとの時間がほしかった」としていましたが、福岡市教育委員会は「残業も多くなく当然行うべき業務で、教育への信頼を損なった責任は重いとして」として、一ヶ月の停職処分となりました。この記事を読むとどのような文脈でこのようなことが起こったのか、様々な憶測がよぎります。私たちはこの問題をどう受け止めると良いのでしょうか? 

 

このコロナ禍の期間中の課題の量や単元末テストは教員にとって本当に負担のない妥当な残業量だったのでしょうか。これを働き方改革の一環として労働環境の問題として捉えることもできそうです。またはコロナ禍における教員のやるべきことが多すぎて全く手が回らない問題とも受け取れます。授業そのものの準備や研究への時間をどう保障されていたのでしょうか。若手教員の学級事務処理能力の問題として、職場内の教員育成・研修が機能していたのか気になるところでもあります。保護者より集金している業者テストだけに、最後まで全てやりきって返却できなかったことが問題だと管理職は言いそうです。もしそうだとしたら、テストさえ行い、返却さえしていれば、なんら問題がなかったのでしょうか。そしてこのことを行政処分だけで片付けて思考停止してしまっていいものなのか、一度立ち止まって考えてみる必要がありそうです。

 

この男性教諭は「子どもとの時間をとりたかった」と語っていますが、これは私たち教員ならばだれもがもつ同じ願いです。そして、この子どもとのどのような時間をとりたかったのかに焦点を当ててみると「本当はテストなんかでは、子どものことを分かることはできない」と思っていたのではないでしょうか。だからこそ、こっそりを秘密裏にダンボール箱にしまって、車で持ち帰って処分してしまおうと思ったのかもしれません。もちろん、ペーパーである程度の子どもの理解を図ることは可能です。しかしやはりそれは「ある程度」でしかありません。そして、単元末テストでは子どもが自分で学び直すには「もう時、すでに遅し」です。

 

本当に子どもを理解するには、評価についてあらためて捉え直していくことです。最近、読んだスージー・ボス/ジョン・ラーマー著・池田匡史/吉田新一郎訳『プロジェクト学習とは』新評論★★からの「第5章 生徒の学びを評価する」の一節は、決して単元末テストだけに頼ることのない具体的な実践例が豊富であり、私たちの教室の見取り、さらには教え方まで影響を与えてくれる分かりやすいものでした。

 



 

 

それではペーパーテストに変わる評価とは一体どのようなものがあるのでしょうか? 探究学習のPBL(プロジェクト学習)における評価場面は、なによりも「生徒の成長」にこそ向けられるものです。生徒をより高いレベルへ導くためのものであり、落ちこぼれというレッテルを貼るための順位づけをしたり、生徒を能力別に分類したりするためのものでは決してありません。

 

評価には学習を通して頻繁に行われる形成的評価の「学びのための評価」と学習の終わりに行われる総括的評価の「学んだことの評価」があります。単元末のペーパーテストはこの総括的評価ですが、その中の一例に過ぎません。そして効果的な評価方法を計画するために、①評価基準の透明性を保つこと、②形成的評価を強調すること、③個人とチームの評価のバランスをとること、複数の情報源からフィードバックを奨励することの4つが本書で紹介されています。これらの評価は決してプロジェクト学習だけのものではなく、様々な授業においての基礎となります。ぜひ、ご自分の授業に引き寄せて考えてみてください。

 

① 評価基準の透明性を保つこと

教師は学習の全体像を生徒に伝え、それに沿って学習を評価します。本書の例にあるニューバーン先生は、生徒たちに評価基準を既に理解できるよう、クラスのウェブサイトに明確に記載していました。先生はまた、学習の到達点となるような課題の内容や締め切りも事前に知らせていました。生徒たちは学習の最終段階で自分たちが理解したことを行動計画にまとめあげて提案することも分かっていました。このように生徒の評価に関する計画を事前に生徒と共有します。さらに、この評価基準(ルーブリック)を生徒と一緒に作成することで、素晴らしいクラス文化を創り上げていくことができます。自分たちで評価基準を設定することで、質の高い活動とはどういうものなのかを生徒自身が考え、理解することにもなるのです。

 

② 形成的評価を強調すること

既に知っている予備知識を調べ、学習のゴールとなる具体的な課題を与え、生徒の学習進捗状況を観察し、質問します。これはワークショップ授業の肝であるカンファランスを呼ばれるものです。形成的評価には他にも出口チケット(授業の終わりの本時の理解を問う小テストのようなもの)、生徒が自分の学習を振り返るジャーナル、生徒同士でお互いのノートや成果物へのアドバイス(上手くいっていること、困っていること、疑問に思っていることなど)を出し合えるギャラリーウォークなどを駆使します。教師にとっては、これらの情報が次に教えることを計画する貴重な情報源となります。

 

③ 個人とチームの評価のバランスをとること

アクティブラーニングと呼ばれる対話を通して、グループ学習をするには、チームでの協働が重要な役割を示します。チーム学習ではグループとしての全体の評価はできたとしても、一人ひとりの個別評価が難しいと思われがちです。それには個人としての課題とチームとしての課題とを明確に分けて求めることでバランス良く評価することができます。このチーム課題については、生徒がお互いの協働スキルを評価し合い、自分のチームがどの程度うまくいったのか、一緒に活動できたのかを生徒が振り返ることも行います。

 

④ 複数の情報源からフィードバックを奨励すること

これまでは教師からのみ評価することが一般的でしたが、生徒は様々な意見をもらうことで、効果的に学習することができます。自己評価に加え、仲間から、発表を聞いている聴衆から、学習について相談した専門家からなど教師以外のフィードバックを効果的に使います。仲間同士のフィードバック能力を育てるために、あるチームの話し合いや練習を他のチームが観察しアドバイスをするといった「フィッシュボウル(金魚鉢)」と呼ばれる方法もあります。また、学習の途中で相談した専門家からのフィードバックは教師のどんな言葉よりも重みのある言葉となり、生徒たちは学習改善への情熱を燃え上がらせます。

 

 

 

このような形成的な評価をもとにするならばテストを何十枚やるよりも子どもの学習を支援する一番の支えとなるはずです。「子どもとの時間がほしかった」という言葉は、子どもを一番に考えるのならば子どもの学習を見取るために使われるべきです。学習末の単元末テストで測れるものはその中のほんの小さな一部分でしかありません。生徒や教師にとっても負担感の多いテストの呪いから解き放たれるために、私たちには何ができるでしょうか。この夏、2学期の授業準備に形成的評価を取り入れてみませんか? あなたが思うほんとうの評価とは何ですか? 

 

テスト28回分未実施の男性教諭を停職1カ月に 福岡市教委処分(西日本新聞)


テスト行わず宿題も放置…小学校教師を停職1カ月(Yahoo!ニュース)

 

★★

スージー・ボス/ジョン・ラーマー著・池田匡史/吉田新一郎訳『プロジェクト学習とは』新評論


2021年8月1日日曜日

「学校リーダーのあるべき姿:リード・ラーナー」

学校が学び続ける組織であるために、学校リーダーはどのような存在であるべきなのでしょうか。

ここ数回連続で紹介している『学校リーダーシップをハックする』★1に、教師が校長と聞いて連想する言葉をあげてもらった結果が紹介されています。それらは、「上司」や「規律を定める人」、「監督者」、「意思決定を行う人」、「マネジャー(管理職)」、「評価者」、「関係が薄い人」、「孤立している人」となっています(p. 17)。また、学校リーダーに関する別の本には、「生徒の規律や文書の締め切りばかりを気にかけている校長は、カリキュラムや授業のことは専門外だと考えているふしがある。」(p.80)★2 という一節があります。思い当たるフシが大いにあって吹き出してしまいました。
 
いずれにしても、多くの人が、校長は、組織を監督し、校長室にこもって問題の処理や文書の管理をする「管理者」であると考えていることが分かります(おそらく洋の東西を問わずだろうと思います)。

では、学校リーダーのあるべき姿はどのようなものなのでしょうか。

『学校リーダーシップをハックする』が、同書の第1番目のハックとして掲げているのは、「校長は、もっと教職員の中に分け入り、学び続けるモデルとしての姿を見せよう("Hack 1 Be Present and Engaged"」です。

校長は、学校コミュニティーとのかかわりをほとんどもたない「管理職」から、「今、ここ」に集中し、学校コミュニティーのあらゆる面に、夢中でかかわり、教え方に関する継続的な改善を行うリーダーになるべきであると訴えているのです。管理職という肩書きから脱却し、子どもにとって最善の利益になることを行い、誰よりも先駆けて学ぶ学習者になる、つまり、「リード・ラーナー」を目指せという提案です。

同書の「あなたが明日にでもできること」というコラムに、リード・ラーナーを目指す人が、まず最初に取り組めることが紹介されています(p.19-22)。

(1)ひたすら聴く
 子どもや教職員、保護者、秘書、同僚、理事などに耳を傾ける。

(2)質問をする
 教師や生徒、保護者に質問を送ることで、おおよその状況を知ることができる。

(3)生徒と一緒に昼食をとる時間をつくる
 計画的に生徒と交流することで、ほかの情報源からは得られない重要な気づきを得ることができる。

(4)目に見える形でお祝いする
 学校で起きている良いこと、すばらしいことをSNSなどを通して紹介する。できれば一日一回投稿することを推奨しています。

(5)校長室から出る
 「もし、あなたが単なる管理職からリード・ラーナーへと生まれ変わるつもりならば、あなたは校長室から出なければなりません。」と断言しています。

どれも、すぐにでも取り組めそうなことですね。「管理者」から「リード・ラーナー」へ。学校が変わる第一歩はこの周辺にありそうな気がします。

同書に引用されているアルベルト・シュバイツァーの言葉です:

「人を動かすにはモデルを示すことが大切だ。というより、それしかない。」


★1近日発刊予定 『学校リーダーシップをハックする』ハック 1 「校長は、もっと教職員の中に分け入り、学び続けるモデルとしての姿を見せよう」

★2 Thomas R. Hoerr (2005) The Art of School Leadership, ASCD.