2022年8月27日土曜日

使い捨ての非正規教員

 

 週刊東洋経済2022.7.23号に「教員不足の深層」という特集記事が掲載されました。

まず、教育ジャーナリストの佐藤明彦さんの記事から始まります。

 「非正規教員は皆、次の年に仕事にありつけるかどうか不安です。だから頼まれた仕事を断れません。悪い評判が立つと困りますからね。その結果、正規教員より多くの仕事を抱え込んでいる人もいます。」 ~ (途中略) ~

 昨今は精神疾患で病休に入る正規教員も多いが、そうした場合に代役を任されるのも、多くの場合が非正規教員だ。

 だが、年度途中から学級をまとめるのは容易でないうえに、クラスが荒れた状態で引き継ぐことが多いため、多大な労力を要する。加えて、たとえうまく立て直せたとしても翌年の雇用が保障されるわけではない。 

 企業社会での「非正規社員」の増加はすでに常識になっていますが、教育の世界でも全く同様のことが起きていました。この問題の発端は、2004~2006年にかけての「三位一体改革」(小泉内閣)でした。具体的には、「国庫補助負担金改革」「税源移譲」「地方交付税の見直し」の3つです。特に最初の教員給与に関する国庫補助の割合を従前の1/2から1/3にしました。ちょうどそのころ私は中学校の教頭でした。 

そのとき、縁あって公立学校教頭会(全国の小・中学校の教頭・副校長で組織する職能団体)の全国研究部長という立場にありました。そのタイミングでこの「国庫負担金の割合の見直し案」が国から出されました。そのときの教頭会の問題意識は、これがもし進めば確実に教員給与及び雇用形態の地域格差が生じるので、それを阻止したいという一点でした。なんとか1/2を堅持してほしいという陳情をするために何回も国会議員会館の地元選出議員に面会した記憶があります。しかし、その願いも空しく結局は1/3になりました。

そして、「税源移譲」と「地方交付税の見直し」、それに2004年に導入された「総額裁量制」により、各都道府県や政令指定都市が教員の給与額や教員配置を自由に決められるようになりました。東京都が「期限付任用教員」という非正規雇用の制度を始めたのもこのタイミングです。結果として、財源が十分でない自治体は、正規教員の代わりに、給与の安くて済む非正規教員の数を増やしてきました。ある自治体では、教員定数の3~4割が非正規教員という信じられない状況が生まれました。やはりあのときの「三位一体改革」が転換点だったのかと今更ながらに思います。 

「リ・スキリング」ということで、社会人の学びをサポートするような話が現在の政府のアクションプランとして出されていますが、それよりもまずは公教育でしょう。

先ほどの記事を書いた佐藤さんも最後に次のように結んでいます。

非正規教員への依存が続けば公教育は早晩崩壊する。教員不足を解消するためにも、正規率を高めていくのが不可欠だ。 

まずはこの問題を多くの人が知り、危機感を共有することが出発点です。そして、学校現場にいる人々が、こうした非正規教員も含めてPLC(Professional Learning Community)づくりをしていくこと、そのことが何よりも大切であると思います。

2022年8月21日日曜日

算数・数学をする

  『算数・数学はアートだ! ワクワクする問題を子どもたちに』(ポール・ロックハート著)の中で、「数学をする」ことの大切さが強調されています。それが、どういうことかというと、

    発見と予測、直観とひらめきなどの行為をすることであり、

    「まったく何が何だか分からないからではなくて、あなた自身が意味を与えたにもかかわらず、最終的に何をつくり出すのかまだ分かっていないので」混乱のなかに身を置くことであり、

    画期的な考えを思いついたり、

    アーティスト(算数・数学をする人を、こう捉えています!)としてくじけたり、挫折したり、失望したり、

    痛々しいほどの美しさに畏敬の念を起こさせたり、圧倒されたり、そして

    生き生きと意味のある形で学べること(40ページ)

と捉えています。

 

 あなたは、生徒たちに以上のどれほどを提供できていますか?

 

 似たようなことが、本書の別のところでは、少し異なる形で書かれています。

 「数学をする」とは、パターンで遊び、いろいろなことに気づき、予測し、例や反例を探し、ひらめいて発見や探究をし、論証を考え、それを分析し、新しい質問を出す、ということです(139~140ページ)。

 

 生徒たちからそれ[=算数・数学]に取り組む(自らの質問をし、予想や発見を出し、間違え、創造的に挫折し、ひらめきをもち、そして自分の説明や証明をまとめる)機会を奪い去ってしまったら、数学自体をさせないということを意味します(29ページ)

 

 あとの二つの引用に書かれていることは、「数学的思考」とは何かの説明とも捉えられると思います。

 

 私が、この本を訳した理由は、自分自身が「数学的思考」がまったく身についていないことに気づいたことであり(それは、多分に50~60年前に受けた算数・数学教育の結果であったわけですが)、そして、「数学的思考」を身につけることを丸ごと抜かした算数・数学教育が現在も続いているからでした。

 

 それでは、数学的思考が身につく教え方(=「算数・数学をする」教え方)は、どのような教え方なのでしょうか?

 確実に言えることは、算数・数学の教え方はこれしかないと思われて今現在も行われている教え方でないことは確かです。『算数・数学はアートだ!』の著者は、次のように言います。

 

 学校の算数・数学において、最大の課題は問題そのものがないことです。算数・数学の授業で問題として扱われているのは「退屈な練習問題」なのです。

 「これが問題です。これがその解き方です。はい、テストに出ます。1~35問の奇数番号を宿題とします」

 なんと悲しい算数・数学を学ぶ方法なのでしょうか。まるで、トレーニングを受けてチンパンジーのようです(45~46ページ)

 

 この「偽の算数・数学」ないし「正解あてっこゲーム」が得意な人たちを「算数・数学好き」といい、得意でない人たちを(その中には、本当の意味での数学的思考に長けた人たちがいるかもしれないにもかかわらず)数学の世界から遠ざけてしまっています。(著者は、大学で教えていたことがあるので、次のように言っています。「10年以上にわたって『数学が得意だ』と言われ続けた多くの大学院生が、実際には真の数学的な素質は何ももっておらず、ただ指示に従っていたことに気づいたときに悲しい思いをしています。数学は、決して指示に従うことではなく、新しい方向をつくり出すものなのです」31ページ)

 

 それでは、「偽の算数・数学」や「正解あてっこゲーム」の過ちにはまり込まない鍵は何かというと、生徒たちがどうしても解きたくなる「よい問題」です。

 「よい問題」は、「退屈な練習問題」とは違って、上で紹介した「算数・数学をする」=「数学的思考を磨くこと」を可能にする問題です。それは、「あなたが解き方を知らない問題のことです。だからこそ思案するわけですし、そのよい機会を提供してくれます。よい問題は、独立して存在しているわけではなく、ほかの面白い問題へのジャンプ台という役割も果たします・・・よい問題には、その背景となる歴史、そして創造的なプロセスがあります・・・指導案も、教科書もしまって、単純に生徒たちと一緒に算数・数学をしてみてください」(46~47ページ)

 

 有名なピタゴラスの定理は、その解法は一つしかないと、一般の人は(その教えられ方の結果)思い込まされていますが、なんと数百もあり、いまだに増え続けています! 間違いなく、「よい問題」のひとつです。他にも、本書や『教科書では学べない数学的思考』や『楽しく考える問題と発問 : 算数・数学科の問題解決』で紹介されています。これら以外に「よい問題」を紹介している本をご存じの方は、pro.workshop@gmail.com宛にぜひ教えてください。

 

なお、今回「算数・数学をする」で書いたことは、「国語をする、理科をする、社会をする、英語をする」等でも同じように言えます。社会科では『歴史をする』や『社会科ワークショップ』がすでに出版されていますし、国語ではhttps://sites.google.com/site/writingworkshopjp/teachers/osusume のリストが、理科では『だれもが科学者になれる』が出ていますので参考にしてください。

2022年8月17日水曜日

目の前の生徒(親なら子ども)にこうなってほしいと願う姿は?

あなたにとって「教育の真の目的」とは何ですか? そう問われたら、多くの人が少し構えてしまうかもしれません。真面目な先生たちは、教育基本法や学習指導要領を見直し始めてしまうかもしれません。

では、少し質問を変えて・・・あなたが目の前の生徒(あるいは親だとしたら自分の子ども)にこうなってほしいと願う姿はどんなものですか? これなら、すぐに言えるという人が多いでしょう。「学ぶ楽しさを知っている」「人の意見に耳を傾け、よく考え、自分で決めることができる」「思いやりをもっていて、他者の立場に立つことができる」など、私もさまざまな姿を思い浮かべます。

『一人ひとりを大切にする学校』の第1章は、著者のデニス・リトキーが30年以上、自分の(彼が校長を務めたのは一つではなく、三つの)学校に登校する生徒を見つめ続け、彼らにこうなってほしいと願う姿のリストアップで始まります。どれも、「その通り!」「私もこう思って学校で働いている!」と頷けるものばかりです。しかしながら、私たちの学校は一人ひとりの生徒がこういった「教育の真の目的」を達成するための場になっているでしょうか?★

 衝撃的なエピソードが紹介されています。1999年、アメリカのある州の教育委員会が生徒の評価項目から「独創性」と「自発性」を取り除いてしまったというのです。これを読んで、かつて教育学の講義で、授業の目標は4Ms(Manageable「扱いやすい」、 Measurable「測ることができる」、Made First「最初に決める」、Most Important「最も重要である」)でなければならないと教わったことを思い出しました。「教室という空間と割り当てられた時間をどんな教師でも同じように管理できなければならない。生徒を平等に評価しなければならない=全員を同じ基準で同様に測らなければならない。客観的に測れないことは、目標にできない。測れないことは、生徒に教えることも、生徒がそれを学んだかどうかを判定することもできない」。そういう理屈のもと、「教育の真の目的」が擦り変わってしまったというのです。

 デニスは「教師としてするべきことは、教育の目的を理解し、学びがどのように機能するかを理解し、どのようにしてこういったことすべてを一人ひとりの生徒に応用するのかを見つけることです。一人ひとりの生徒を大切にすることです」(14ページ)と力強く述べています。私が他の誰かとまったく違う人間であるのと同じように、生徒も一人ひとり異なります。この当たり前の事実を受け入れ、一人ひとりの生徒を知り、その生徒が自分で目的を達成するのを手助けするためにできることがたくさん紹介されているのが本書です。

各章末に「学びを深めるための問い」がありますが、読み始める前に目を通して、本書を読む前の自分の考えを振り返っておくのもいいかもしれません。そうすれば、実際に本文を読みながら、問いに対する自分自身の答えをまとめていくこともできます。そして、これらの問いは一人だけで考えたり、答えたりするのではなく、同僚や仲間と自分が思ったことを共有できたら、その中身がさらに広がったり、深まったりします。(訳者と共有するという選択肢もあります! その場合は、本ブログ=pro.workshop@gmail.com宛に送ってください。) 執筆・谷田美尾

★このリストだけでも、見る価値があります。ぜひ、自分が加えたいものがあるか、という視点で見てください! なお、「目の前の生徒(親なら子ども)にこうなってほしいと願う姿」以外にも、「教育の真の目的」を明らかにできる問いはあります。たとえば、「21世紀を担う子どもたちにもってほしい知識・技能・態度」や「地球市民として子どもたちのもってほしい知識・技能・態度」などの問いが可能です。これらは、いい学校や授業のつくり方が書いてある『いい学校の選び方』(中公新書、絶版なので図書館で借りてください)の中で、現場の教師や教頭先生、保護者の回答リストが、文科省や経済界が期待していることのリストと一緒に紹介されています。

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2022年8月14日日曜日

夏休みの宿題はいらない

夏休み、先生方はゆっくりされていますか。一年間で一番ゆとりのある時期がこの時期ではないでしょうか。同じように子どもたちも、ゆっくり意味のある時間をすごせているといいのですが。

 

今回は、夏休みの宿題について。結論からいいますと、夏休みの宿題はいりません。特に算数・数学の練習問題はなおさらのことです。どのような形であれ、宿題が不必要であり、有害であるという証拠はたくさんあるのです。

 

l  宿題の廃止を決定した学校では、生徒の学力は低下せず、家庭生活の質は大幅に向上している(Kohn, 2008 

l  大規模な調査研究により、宿題の有無は学力にほとんど影響を及ぼさないことがわかった(Challenge Success, 2012 

l  宿題は著しい不平等をもたらす(PISA 2015 

 

ましてや、ただの繰り返し練習でしかない宿題は時間の無駄だけでなく、不平等を生みかねません。なんと経済的に余裕のある家庭はネットで宿題代行サービスを利用しているとか、いないとか。

 

宿題が本当に子どもたちの学力に効果的なことは、繰り返し計算ドリルの練習問題ではなく、価値ある学習体験を提供できたときです。そして、それは毎日、課されるものではなく、定期的にあるほうが効果的だと指摘されています。子どもたちには、1学期に学んだ学習の振り返りと、5問程度の宿題でよいはずです。

 

以下に紹介する中学校教師のYekaterina MilvidskaiaTiana Tebelmanが開発した宿題は大いに参考になります。練習問題の復習ではなく、授業の振り返りとして以下の10の問いからいくつか選んで回答を準備し、次の授業の最初で共有するものであり、子どもたちにはとても好評だったそうです。

Yekaterina MilvidskaiaTiana Tebelman HPhttp://www.teacherarium.org/homework.html 参考

 

    あなたが、今日の授業で学んだことやクラスで話し合ったことで、算数・数学における重要な概念や考えは何でしたか?

    あなたが、まだ疑問に思っているのはどの問題ですか? もし、そのような問題がなければ、似たような問題や代わりの問題を書きましょう。

    あなたやクラスの仲間が今日の授業でやってしまった失敗や誤解を書きましょう。あなたは、そこから何を学びましたか?

    あなたやあなたのグループでは、どのように、今日の問題にアプローチまたは問題設定しましたか? あなたの方法は上手くいきましたか? あなたは、何をその方法から学びましたか?

    クラスのだれかが問題解決したやり方を詳しく書きましょう。あなたのやり方と似ていましたか?それとも違っていましたか?

    今日紹介された新しい算数・数学用語は何でしたか? それぞれの新しい言葉の意味を教えてください。単語の例や図を紹介しましょう。

    今日の授業では、何が一番重要な数学的な話し合いでしたか?

    (   )については、どのような点が似ていて、違っていましたか?

    もし(   )を変えたなら、どうなると思いますか?

    この単元において、何があなたの強み/弱みでしたか? どんなことがあなたの学習計画を進め、苦手な部分を解消してくれましたか?





原文Jo BoalerMathematical Mindset second editionchapter4 Creating Mathematical Mindsets: The Importance of Flexibility with Numbersを参考に意訳

 

 

 

ただの練習問題を解くよりも、このほうが授業で学んだことを振り返り、自分の考えをまとめ、授業中にもっと質問できるようになり、よりよい影響を与えてくれると思いませんか。

 

算数・数学が苦手な人は、算数・数学とは単発問題の積み重ねと捉えてしまい、決められた方法でしか理解できないと考えてしまっています。そのやり方がたとえ難解なものであったとしても、教わったやり方のみに固執してしまい、多様に考えることはできずに、やり方のみを暗記することに頼ってしまうのです。

 

算数・数学で新しい考え方を学んだのなら、その考え方を復習して、脳内で強化することは有効です。そのための最良の方法の一つが振り返りです。繰り返しの技能練習のみで20問も単純な問題を何度も、何度も練習することは役に立たないのです。

 

あなたがもし、うっかりと夏休みの宿題を出してしまったのなら、まだ間に合います。新学期にうっかり宿題を忘れてしまった子がいたのならば、そっとしておいてあげるのも効果的な教育手法のひとつかもしれません。

2022年8月7日日曜日

テストの常識からかけ離れたテストで、次への一歩を踏み出そう

良い「学び」を創り出すために、評価を見直すことは避けては通れない問題です。しかし、なかなかハードルは高い。


教員仲間とのブッククラブで、藤原さとさんの『「探究」する学びをつくる』(平凡社)を読みました★1。プロジェクト型学習で、すばらしい学びを生み出しているアメリカのハイテック・ハイというチャータースクールを紹介した本です★2。その学校を取り上げた「Most Likely to Success(これからの学校の役割)」というドキュメンタリー映画★3 が、大きな反響を呼んだので、ご存じの方も多いと思います。

先にあげたブッククラブでの現職の先生方の意見は概ね次のようなものでした。「確かにこの実践のすばらしさは分かる。しかし、現状として、今の日本の学校教育の仕組みから離れることは、すぐには難しい。」と。「こういった本を読むと探究的な学びを礼賛しそうになるが、それだけでは説明しきれない学びは存在するのではないか。」「外部的な働きかけによって‟学び”が起きる瞬間も幾度も目にした。」といった声が聞かれました。

先生方の問題意識の中に、テストや評価の問題があることは明白だと思えました。

この本の著者である藤崎さんは、このあたりのことを非常に的確に指摘しています。

「大学受験で高得点をとるためには、長期にわたる「知識の詰め込み型」の授業が有効であると考えられている。ほとんどの大学の入学試験が「知識の詰め込み」を要求するため、子どもたちたちに詰め込み型を強いてきたということだろう。そうしたネガティブ・スパイラルのなかで、合理性のない授業に学校そして教師は違和感をもちつつも、日々の忙しさや組織の問題など様々な理由で深く振り返ることなく継続しているのが現実なのである。」(pp.158-159)

そのうえで、ハイテック・ハイで実践されている「一般的なテストの常識からはかなりかけ離れた」テストを紹介しています。これは、なかなか面白い取り組みなので、紹介しておきたいと思います。

1 グループテスト。
テストをグループに配って、それらを個別に解いたのちに、それを持ち寄って、メンバーで考えたり、教えあう。このテストは「どれだけ覚えたか(あるいは忘れたか)」を測るものではないのですよね。思いもよらない発想です。

2 テストで成績をつけない。
文字通り、テストの点数で成績をつけないということです。もちろん、教師は採点し、その結果から、生徒が成長できるためのフィードバックは返すけれど、その点数で成績がつくことはないということです。これは、評価(アセスメント)と成績(グレード)を明確に区別していることの表れと言えそうです。

3 テストに意味合いをもたせる。
ハイテック・ハイでは、「テストに注釈をつける」と呼んでいるらしいのですが、自分自身のテスト受験体験をメタ認知化し、学びに役立てることのようです。例えば、「生徒はテストをしながら、「考えたこと」「疑問に思ったこと」などをメモしておく。」→「テストの解答に関して生徒は自信の度合いを何段階に分けて自分でスコアしておく。」→「そのメモ書きをみて教師は生徒が何を学んでいるかを判断する。」といった流れで進むのだそうです。「総括的評価」の「形成的評価」化とでも言えるものでしょうか。

4 納得するまでテストを繰り返し受けても良い。
人は違う進度、違う深さ、違うタイミングで学ぶのだから、同じ時期に同じ内容で、すべての生徒をテストする必要ないという考え方。ハイテックハイでは、何度でもテストを受け、自分の間違いから学んでいくことができる。


確かに、良い学びを生み出すためには、評価やテストの見直し急務だと思うのですが、現在の枠組みから、すぐには飛び出せないと考えている人は多いものです。少し角度を変えて、テストや評価を眺めてみることが、一歩を踏み出すチャンスになると思うのですが、どうでしょうか?


★1 藤原さと(2020)『「探究」する学びをつくる』(平凡社)

★2 ハイテック・ハイ・スクールのホームページ https://www.hightechhigh.org

★3 映画「Most Likely To Succeed」ーこれからの世界で生き抜く子どもを育てる新しい学校教育とは? http://atcafe-media.com/2017/12/26/most-likely-to-succeed/