2019年2月24日日曜日

地域と連携する総合学習

総合学習(わが国では「総合的な学習の時間」が正式な名称ですが、ここでは「総合学習」と表記します)は学力低下の要因の一つではないかと言われた時期がありましたが、決してそのようなものではないはずです。「Learning  by  Doing 」という学びの原則からすれば、現実世界の中から学び、切実感のあるテーマのもとに学習することは「学び」を生涯学習という長いスパンで考えたとき、とても大切な学習です。
学習指導要領の改訂で、次々と新しい課題に挑戦せざるを得ない学校にとっては、もう総合学習など今まで通りでいいというのが偽らざる本音ではないでしょうか。
しかし、今一度考えてほしいと思います。
今次改訂の中心である「主体的・対話的で深い学び」を最もよく展開可能な「総合的な学習の時間」に光を当てることを。

どの地域にもその地域固有の課題があり、それは学校ごとにすべて異なるものです。したがって、研究発表会に参加して他校の実践を知ることはできても、自校の進め方に関する正解を手に入れることはできません。その学校独自の解はやはりその学校の職員が手に入れるしかありません。かつて私が勤務したある中学校は自然豊かな地域で、自然保護活動に熱心な住民が多い地域でした。

学校の近くを流れる川に生息する魚や微生物を生徒が自分自身の目で見るという体験は、その後の学校での環境保護活動にもつながる貴重な体験でした。そのとき、校外での活動中にボランティア大学生や地域の専門家の方々との会話やインタビュー活動を通じて、生徒たちはコミュニケーションを深め、大人と話をするなかで、コミュニケーション能力も高めることができました。また、このときに一緒に活動してくれた大学生がその後、学校の授業での学習支援ボランティアになってくれたこともこのときの出会いの大きな成果でした。

それまでのその学校の総合学習は、学び方の「スキルを学ぶ」と称して、架空の相手に手紙を書く授業をしてみるなど、およそ切実感のない(教師が与えた)教材をこなすだけのつまらない時間だったのです。当時、『効果10倍の教える技術』(吉田新一郎・PHP新書/2006年)を読み、早速その授業の「イノベーション」に取り掛かりました。しかし、一人では何もできません。そのとき考えたことは、自分のもっているネットワークを使って、多くの人に協力してもらうことでした。地域の自然保護団体の役員やPTA役員、大学関係者など、「やれることは何でもやる」の精神でした。
その結果、上記のように多くの人たちの協力により、その学校ではかつてなかったような校外での学習活動が実現したのです。後から考えれば、足りない点や反省すべき点はいくつもありましたが、多くの人の協力で新しいことが成し遂げられたということが大きな一歩だと思いました。

まず、最初の一歩を踏み出す勇気をもつこと、これこそが後に続く仲間をつくり、子供たちの笑顔を引き出す最大の秘訣であると思います。コンプライアンス(従順であること)だけを求めていては子供たちを伸ばす教育はできません。最低限のコンプライアンスを踏まえつつ、時には大胆に子供たちをエンパワーしていけば、教師も子供も夢中になって取り組める教育活動が展開できるはずです。




2019年2月17日日曜日

教師の働き方改革 - 現状を当然と思わずに学校現場が声をあげよう

先日、ある中学校の校長と話していて、学校の働き方改革の話題になった。

その学校では、試験的に導入されたタイム・レコーダーを使っているらしい。「そんな形式的に勤務時間をカウントして何になるんだろう。」と疑問を呈していた。その校長は、「勤務時間も顧みず、土日も部活で頑張る。それが中学校教員だ。」と考えるタイプの人だ。部活に外部指導者も導入しているらしいが、保護者との間でトラブルが発生し、教員がその対応で追われて、大変だったらしい。「やはり、子どもたちの安全や成長を考えると、教員が部活の指導をやらざるを得ない。」と力説していた。

「しかし、本質はそのようなところにはない。圧倒的にマンパワーが足りない。学校現場の現実をつぶさに見ずに、形式的な働き方改革をやっても何の意味もない。」この点では、大いに同意した。忙しい時期の勤務時間を増やす代わりに、業務に余裕がある時期、例えば8月にまとまった休みを設ける「変形労働時間制」なども検討されているようだが、これなどは形式的な働き方改革の典型だろう。労働時間を平準化して解決する問題ではない。

2016年の「教員勤務実態調査」(文部科学省)によると、小学校教員の33.5%、中学校教員の57.7%が週60時間以上勤務、つまり月80時間以上の時間外労働をしているらしい。これは、明らかに過労死ラインを超える数値だ。学校の多忙化が深刻になっている要因として、以下の3つが挙げられることが多い☆:

1)子どもたちのためになるから(学校にあふれる善意)
2)前からやっていることだから(伝統、前例の重み)
3)とても少ない教職員数のなかで頑張っている

これらは、仕事の生産性や能率を上げたり、法律で規制したりすることで解決する問題だろうか。むしろ、どのような学校でありたいかというビジョンの問題であるように思える。子どもたちにとって何が大切なのか?優先順位が高いものは何か?捨てられるものはないか?といったことだ。

硬直化した教員定数の見直しや勤務時間の適正な運用など、行政にできることはたくさんあるし、進めてもらいたい。しかし、今すぐにでも、学校ができることはたくさんあるはずだ。国や自治体から新しいルールが「下りて」くる前に、勇気をもって学校に立ち上がって欲しいと思う。子どもたちの学びを向上させることが学校に与えられた使命。その本質に戻って、自ら働き方を変えませんか。学校が、子どもたちにーそして、先生にとってー、楽しく、生き生き学び、クリエイティブで、夢を描き、自分らしくいられる場所であるために。

「初めて自分の役割を見つけた気がした。会社から与えられた役割ではなく、自分の意志で選びとった本当に役割にハマることで、これほど熱い気持ちになれるとは思わなかった。」                   原宏一(2009)『トイレのポツポツ』集英社,p.189



☆妹尾昌俊「教育界でも「働き方改革」が問われた2017年―なぜ、日本の先生は忙しいのか?」
https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi/20171228-00079786/


2019年2月9日土曜日

算数・数学がキライな人にすすめたい「考える楽しさ」をあじわえる1冊



学生時代、算数・数学のもつおもしろさを教えてもらえなかった。挫折した。今こそ、考えるおもしろさとその魅力とりかえしましょう。苦手だなって思う人にほど、読んでほしい1冊がこの『教科書では学べない数学的思考: 「ウーン!」と「アハ!」から学ぶ』です。もちろん、算数・数学教育にかかわる全ての人にも!

この本の特徴は、これまでのように読んで数学的思考の知識を増やす本ではなく、実際に紹介されている問題を試行錯誤し解こうとすることで、数学的に考えるとはどういうことなのかを実感し、考えることができる本です。




著者は数学的思考とは、「私たちが対処することのできるアイディアの複雑性を広げ、そして理解を押し広げてくれるダイナミックなプロセス」と教えてくれます。さらに、「だれもが数学的に考えられる」というメッセージには大変、勇気づけられます。

この本は考えて理解するための問題が紹介されています。著者が繰り返し述べているように「まだ試していないなら、いま試してみてください」、ページをめくれば何度もしつこく「試してみましたか?」と先に読み進めようと思考の節約をする読者を挑発してきます。

かくいう私自身も最初は手軽に情報収集をしようと読んでしまい、全く歯が立ちませんでした。しかし、次に紹介する問題をじっくりと解いてみることで、数学的に考える楽しさや解ける面白さに加え、解けない楽しさも味わえることができたのです。
数ある骨太の問題の中から、おすすめの問題を一つ紹介します。



私はこの問題を解くことを通して、
① 数学的思考はプロセス
② 数学的思考はたった二つ
③ 数学的思考はとても情的なもの
この3つを体感することができました。ぜひ、この問題に挑戦してみてください。特に算数数学に苦しんできた人ほど、その数学イメージが刷新されるはずです。★



① 数学的思考はプロセスである。

数学的思考とは、「帰納的思考」や「演繹的思考」、「類推的思考」といった難しそうな思考方法だけでは決してなく、考える作業をまるごと体験するそのプロセスにあります。
一般的に授業では学習者にわかりやすいように、きまり探しをする場面の授業(帰納)、説明する場面の授業(演繹)といったように部分、部分で切り分けて授業展開されていきます。学習者にわかりやすく細切れに練習をすればするほど、数学的思考は一連の思考のプロセスであることがみえにくくなってしまいます。そこでは教科書の内容はカバーできる一方で、数学的思考の本質である「問題を入り口から最後まで解いてみる」「悩みながらも考え続けながら解こうとする」「解けた、または解けなかったプロセスそのものを振り返る」といった考え方を身につけることができません。

実際の問題解決場面では、自分できまりやパターンを見つけようと予想もするし、根拠を持って説明もします。解けないときには、これまで解いたことのあった似ている問題を探したりもします。問題を入り口から振り返りまでやってみること、そのプロセスこそが数学的思考でした。



② 数学的思考はたった二つでなりたってしまうこと。

これまでの数学的に考える方法には、帰納、演繹、類推だけにとどまらず、その思考方法はざっと数えただけで20以上もありました。★★これでは、携帯電話の決して使われることのない細かい機能のようなものです!多すぎて一体どの問題解決の場面で何を使っていいのか学習者には手に負えませんし、使いこなせる人はごくわずかな数学マニアだけでしょうか。

本書が示す数学的思考とは、シンプルな二つだけで成り立ってしまいます。「特殊化」とよばれるいろいろ試してみることと、「一般化」とよばれる筋道立てて説明をする、この二つの繰り返しで数学的思考を働かせて問題を解いていきます。

難しい帰納、演繹などの専門用語に頼らずとも、上で紹介した「ご婦人たちの昼食会」では絵に表して問題を解こうといろいろ試してみて(特殊化)予想をし、説明したり確かめてみる(一般化)といったプロセスの中で、問題解決し、どこが解けたっかけなのかを振り返りつつ、他の問題へも広げていく、そういった数学的思考を働かせることができてしまうことを教えてくれました。★★★



③ 数学的思考は感情的なもの。

算数・数学ギライの多くの人々が持つそのイメージには、論理的であるがゆえに直線的で、感情抜きの機械的な冷たいものがあるのではないでしょうか。実際に私たちが問題に取り組んでいるときは、「解けそう!」といった自信や、難しくて「うーん、これもう無理だ」といった気持ちに大きく左右されてしまうものです。

これまでの算数・数学の本では、あまり触れられてこなかったその心情面にも焦点を当て、分からないときの「ウーン」や、なにかひらめいたときの「アハ!」と添え書き(メモ)してしまうことで、自分の思考そのものさえも、解法のヒントとして活用することができてしまいます。さらには、自分の思考を一歩ふりかえりながら問題を解いていく、メタ認知の練習にもなっています。

上の「ご婦人たちの昼食会」問題でいえば、自分が今つまずいていることに気づくことがわかるようになり、冷静にそこまで取り組んだ解法を整理して、なにかひらめくことはないか冷静になることができました。

この本の数学的思考とは、弱音や喜びといった情的で人間的なものも受け止めて、解法にいかしていける。そんな、心の通ったものでした。




さて、これを読んでいるみなさんは、紹介した問題を挑戦してみましたか?やってみることで、より多くのことを学べるとはずです。「まだ試していないなら、いますぐ試してみてください」ね。

★この問題で求められている数学的思考ことはどんなことなのかは本書に譲ります。ぜひ、手にとってご覧ください。

★★日本では数学的思考の共通した定義づけはまたありませんが、数学的な考え方として教育課程部会の算数・数学ワーキンググループで参照にされていたのは片桐重男氏の数学的な考え方でした。それは約20以上の考え方があり、数学的思考を分類し特定することに意味はありましたが、多すぎるために、使いこなせるものとしては学習者に負荷が高すぎます。

教育課程部会 算数・数学ワーキンググループ(第3回)資料 P18
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/073/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/02/19/1367186_12.pdf

★★★なぜ、日本では人気の帰納・演繹といった言葉を使わないのか訳者の吉田新一郎さんから著者にメールをしてもらいました。すると、著者のケイ・ステイスィーさんは、「証明が十分に演繹なとき、思考錯誤の段階で、全ての思考プロセスが要求されています。そこでは演繹、帰納、類推、そして私が知らない他の考え方ももちろんのこと」とありました。つまり、どうしてそれが正しいのかを証明し、説明しようとするプロセスで、演繹、帰納などの推論がすでにおこなわれているからでした。また欧米では、証明には「mathematical induction(数学的帰納法)」と呼ばれる演繹的数学テクニックもあり、言葉の混同してしまうことをさけるためでもあったようです。

2019年2月3日日曜日

新刊案内 『教科書では学べない数学的思考 ~「ウ〜ン!」と「アハ!」から学ぶ』


著者たちは、この本を誰もが数学的に考えることはできる」「数学的思考は、あなた自身と世界を理解する助けになる」★という考えのもとに書きました。

 この本の下訳を読んで、新評論ですでに刊行した『作家の時間』と『読書家の時間』の算数・数学版として「数学者の時間」を実践している先生たちが、本の魅力を語ってくれたので紹介します。

算数・数学は解いたら終わり、解けないとだめ、という理解から解放してくれたこと。これはすべての数学嫌いの人に声を大にして言いたいです。(仮にもし数学に手触りがあるとしたら、私にとっては冷え切った金属みたいなものでしたが、そこに感情が入る余地がでてきたことによって急に温度が感じられるようになったのです。)

今まで答えが一つだと思っていた算数・数学の概念を変えてくれた。教科書通りの授業をしていては身につかないような/考えもしないようなことを考えることの面白さ。これまでバラバラで学習していたことを、問題解決のサイクルとして回し続けられる!

③数学的思考を身につけるための良問にたくさん出会える。

④問題を自分で解くこと、その後、筆者の思考過程が書いてあることで、わかりやすく数学的思考を追体験することができる。「なるほど頭ってこんなふうに使うんだな!」と教えてくれる。そもそも数学的に思考するとはどういうことかを示してくれている本は、他にないと思います。

⑤数学問題だけではなく、生活の中の問題そのものに使えるものとなっている。「特殊化」と「一般化」というシンプルさ。深く追求していくために、メタ認知を発達させながら、自分を疑ったり、根拠をもって説明したり。問題解決のサイクルを回し続けることで、数学的な概念(構造)を身につけられるよさと、転移して実生活問題へも適用できるよさがある。

 ということで、この本を参考にしながら、「数学者の時間」のメンバーは確実に数学的思考を身につけられる算数を実現すべく日本版の実践と執筆に努力していますので、ご期待ください。
その前に、もっとも参考にしている本書をお読みになりたい方への割引情報です。

◆ 割引情報
1冊(書店およびネット価格)2592円のところ、
PLC便り割引だと      1冊=2200円(送料・税込み)です。
5冊以上の注文は     1冊=1900円(送料・税込み)です。

ご希望の方は、①冊数、②名前、③住所(〒)、④電話番号を 
pro.workshop@gmail.com  にお知らせください。

※ なお、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが出ることがありますので、予めご理解ください。

★ 目的は何か? 方法は何か?
 教育活動(や本の執筆)をするなら本来当たり前に問われるはずの問いが、問われていない場面が多すぎます! その結果は、身につかない(ほとんど苦役になってしまう)時間ばかりを過ごすことになります。
 まさに、私の算数・数学の授業などはその典型でした。13年間も学んで活かせるものとして残っているのは微々たるものです。(国語はもちろん、主要教科はまったく同じ状況です! それは、「正解あてっこゲーム」をしていることが原因だと思います。)この本を読んだら、「あれだけの時間を返してください」と言いたくなってしまします。
 本書は、上記の「誰もが数学的に考えることはできる」と「数学的思考は、あなた自身と世界を理解する助けになる」を目的とすると、「数学的思考は、振り返りを伴った練習によって上達する」「数学的思考は、矛盾や緊張や驚きによって刺激される」「数学的思考は、質問すること、チャレンジすること、振り返ることが大事にされる環境によってサポートされる」を方法(ないし手段)として位置づけ、それらが確実にできるように繰り返し繰り返し練習できるように構成されています。(これとまさに同じことは、他の教科ではもちろん、あらゆる教育改善のテーマや領域でできると思いますし、そうしない限りは授業や学校はよくならないとさえ思います!)
 このテーマ「目的は何か? 方法は何か?」には折に触れて戻ってきたいと思います。日本の教育実践がよくならない最大の原因のような気がするからです。(たとえば、教員研修などは、目的がどこかに飛んでしまって方法(それも、極めて効果的ではない方法!)だけが存在しますから、授業等の実践が変わるはずはありません。)