2017年7月30日日曜日

世界は至る所でつながっている


今日はまず物理学の話から入ります。

物理は今日では素粒子物理や核物理など、一般の人々に分かりにくい高度な専門領域が中心になっています。この素粒子物理学は湯川秀樹や朝永振一郎といったノーベル賞受賞者が出たことで、日本の得意分野の一つと言えるかもしれません。この2人の先生にあたる物理学者がいます。仁科芳雄という人で、この人がいなければおそらく湯川さんも朝永さんもノーベル賞をもらうような研究はできなかったでしょう。


 しかし、一般には仁科芳雄の名前はそれほど知られていません。太平洋戦争中の日本の最高研究機関は理化学研究所、通称「理研」でしたが、仁科さんもその一員でした。戦後、理研の所長に仁科さんが就任するのですが、その一番の仕事は理研の存続でした。

東奔西走するなかで、仁科さんは「理研」を「科研」というペニシリン製造会社へ変えることにより、理研の存続に成功しました。しかし、約300人の研究員や従業員に給与を支払うための資金繰りに走り回るうちに、病をえて、昭和26(1951)に亡くなってしまいます。

理研は今日、国立研究開発法人として存続していますが、遺伝子工学や新元素の発見など創造的な科学研究を続けています。昨年の新元素発見で、その名称が何になるか注目していましたが、「ニホニウム」(nihonium)に決まりました。個人的には「仁科芳雄」の名前を入れてあげればよかったのにと少し残念な思いをしました。

 さて、先ほどの湯川秀樹の研究仲間の一人に武谷三男という物理学者がいました。彼は研究を進めていくための方法論として独自の「三段階論」というものを提唱しました。

それは次のような考え方です。
     
    自然自体に階層的な構造があるために、人間の認識も次の3つの段階を経ていくというものです。

①現象の観察や実験結果を記述して知識を集める「現象論的段階」

②ある現象について、それがなぜ起こるのかを説明する実体的な構造を知り、このモデルにより法則性を得るという「実体論的段階」

③さらに普遍的な実体とそれらの間の相互作用の法則の認識である「本質論的段階」
     

武谷さんは古典力学を再度学ぶ中で、ケプラーやガリレオ、ニュートンが果たした役割を見事にこの3段階論で説明してみせました。(興味のある方はぜひ武谷三男『物理学入門』ちくま学芸文庫に収録されており、今日でも入手可能ですので読んでみてください)
   

この武谷さんとは業績分野が異なりますが、物理学者で科学哲学者でもあったポパーというイギリスの科学者がおりました。彼の研究の一つに、現実を捉える見方の一つとして「3つのワールド論」というものがあります。

ワールド1:物理的対象・出来事の世界

ワールド2:心的対象・出来事の世界

ワールド3:客観的知識の世界
    

ちなみに「科学理論」などはワールド3に入るようです。

武谷とポパー、二人の考え方の切り口や見ているところは違うのですが、2人とも自然界や世界を3つの窓から見ようとしているという共通点を発見して、かつて驚きを覚えたことがありました。そういえば、湯川さんの中間子論も思考の大胆な飛躍そのものです。


その同じ湯川でもドラマ『探偵ガリレオ』(東野圭吾)の中の福山雅治演じる「湯川学」の決め台詞を思い出す方も多いのではないでしょうか。『実に、面白い』
   

「主体的・対話的で深い学び」が次期学習指導要領の中核とも言えるものですが、この「実に面白い」を子供たちに実感させることができたら素敵なことです。複数の事柄が実はお互いに関連があったり、類似点があったりすることに気付いた時に、『Aha!』という体験ができるように思います。これは、理科でも社会でも、その他の教科でも、総合的な学習でも可能です。あるいは複数の教科で横断的に行うことも。
   

そのような創意工夫があちこちの学校で出てくることを期待したいものです。

 

 

2017年7月23日日曜日

「一人ひとりをいかす教え方」って、どういう教え方


まず、「一人ひとりをいかす教え方」は、
・個別指導ではありません。生徒たちを個別化して教えることではありません
・一斉授業が中心ではないからといって、無秩序状態になるわけではありません
・少人数・習熟度別指導ではありません
・ユニフォームを一定の時間までにみんなに着せるような教え方ではありません。はやく着ることのできた人がまだの人を助けたり、別のことをしたり、あるいはなかなか着られない人に、教師が必要以上に手伝ったり、着せてあげたりするようなことではありません。
・特別なニーズをもった一部の生徒のためだけの教え方ではありません。すべての生徒のためのものです。

 それに対して、「一人ひとりをいかす教え方」は、
 ・教師が生徒たちの違いやニーズ(主にはレディネス、興味関心、学習履歴に表れます)を踏まえたうえで指導計画を立てるので、生徒たちは積極的に授業に取り組みます。
 ・できる生徒にはたくさんの(難しい)、できない生徒には少なめの(簡単な)課題をさせるようなにまつわることではなく、それぞれの生徒のニーズ(要するに、!)にマッチしている教え方です。
 ・(日本でも、言葉としてだけは20年以上前から存在している)指導と評価の一体化を実現した教え方です。
 ・何を(学習内容)、どう学ぶのか(学習方法)、そして学んだことをどのように証明するのか(=成果物)の3つで、生徒たちに選択肢が提供される教え方です。
 ・生徒たちが熱中して取り組め、意味を感じられ、そして興味が湧くものに対しては、よく学べるということを(そして、生徒たちすべてが同じものに熱中し、意味を感じ、興味が湧くわけではないことを)ベースにした教え方です。これも、上記の選択肢を提供することで、実現できます。
 ・クラス全体、小グループ、個人を対象にした学びが柔軟につくり出されます。
 ・常に臨機応変で、有機的で、ダイナミックな教え方です。
  (出典: How to Differentiate Instruction in Academically Diverse Classrooms, 3rd Edition by Carol Ann Tomlinson, March 2017

 以上を図にすると、次のようになります。
 (出典:『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』キャロル・トムリンソン著、北大路書房、p.24

この図では、上から下まで、5列の情報が紹介されています。
 一番上は、「一人ひとりをいかす教え方」が、生徒のニーズに対応するものであることと、人の能力は常に変わりうるという「成長マインドセット」をベースにしていることが確認されています。
 三列目は、生徒が実際に学ぶ際/教師が実際に教える際の4つの要素を示しています。
 四列目は、生徒たちの異なるニーズを大きく三種類で説明しています。
 一番下の五列目には、三列目の要素を実際に実現する具体的な教え方の名称のいくつかが表示されています。詳しくは、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』の第6章~第8章で紹介されています。
 そして最後に、二列目の「一人ひとりをいかす教え方」を行う際の原則がある意味では一番大事かもしれません。ここでは、5つが紹介されています。

 二列目の一番左側は、学びのコミュニティーが大切だということです。
 二番目の「質の高いカリキュラム」は、「熱中して取り組め、意味を感じられ、そして興味が湧く」内容であることが不可欠です。それは、学習指導要領と教科書を踏まえながら、教師しか作れないものです。生徒たちに会ったこともない教科書の執筆者には作れません!
 三番目は、「指導と評価の一体化」を実現していることです。
 四番目は、冒頭の「一人ひとりをいかす教え方」ではないものと、「一人ひとりをいかす教え方」であるものの中にほとんど含まれていました。
 最後は、「一人ひとりをいかす教え方」が無秩序ではなく、秩序正しく運営されることを確証しています。

3日前に、DI(一人ひとりをいかす教え方)のサイトを覗いてみたところ、次のような図を見かけました。(図2の英文)
今回、一番紹介したかったのは、「一人ひとりをいかす教え方」が「常に臨機応変で、有機的で、ダイナミック」に変化し続けるものだということです。そのためには、ここまでの情報が欠かせないと思って紹介しました。

 一番変わっていたところは、先ほどの『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』の図で最後に説明した上から二列目でした。
 こちらの図では6つに増えています。学習環境と学習の決まりごとの運営は、学びのコミュニティー1つにまとめてしまったようです。そして、「生徒の多様性に応じた教え方」がrespectful tasksflexible groupingteaching upに分けられているようです。respectful taskflexible groupingはこれまでの説明で分かると思いますが、一番意味が分かりにくいteaching upを説明します。

 これについては、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』では、表2.1で説明されています(この表は、まだ残り半分あります! とても比較がいのある項目ばかりです)。私たちは、このteaching upを「豊かな高みを設定して教える」と訳しました。

 そして、著者に尋ねて得られた回答をもとに、訳者あとがきの中で次のように説明しました。

「教師が授業をデザインする場合、たいていは典型的な学年レベルの生徒をまず心に描きます。次に、その授業をもっと進んだ生徒に合うように膨らませ、学習に困難がある生徒のためにその授業のスリム化をはかります。けれど、私たちの取り組みも含めた諸研究の結果は、授業のデザインをより進んだ生徒たちをまず念頭において開始した時に授業がより豊かになり、より多くの生徒がより豊かで複合的なカリキュラムに取り組むことができるように様々な足場を提供することによって、一人ひとりをいかすことが可能であることを示唆しています。したがって、“teaching up” とは、豊かで複合的なデザインを施した授業づくりから取り組みを開始し、生徒が「水で薄めた」ような課題ではなく、しっかりとしたやりがいのある課題に取り組む機会を得ることができるように、種類や程度の異なる多様なサポートと足場を提供することを意味します。」(243~244ページ)

 この点を含めて、夏休みの間にぜひ『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』を読んでみてください。最初から最後まで、刺激にあふれた本です。


2017年7月16日日曜日

学会発表、研究発表、指導案検討


とかけて、何と解く? その心は・・・

    「世間」の産物、つまり世間の外では使い物にならない!
     a. 建前ばかりで、本音がなし。b.研究ばかりで、実践の改善なし。c.さらには、つじつま合わせで、中身なし。d. 研究者/教師ばかりで、教師/生徒(主役)が不在。
     a. 今週日曜日の都議選★や国政選挙を含めた投票のブレ具合、みんなが思考停止。★★ b. すべては1週間で、残りの4年間は何もなし。c. そもそも選択肢が提供されない!政治が全く機能していない。

ちょうど、都議選の結果が出た日に、以下のようなメールをある大学の先生に送っていたこともあって、タイトルのようなことも合わせて考えてしまったのです。

◆◆さんの学会発表を読ませていただいての印象は、研究というよりは、
あくまでも実践を研究的な視点で振り返ってみました、という感じと捉えました。

と同時に、いいものを普及するという観点から出発することが大切なのではとも思いました。

そもそもの目的自体が問われていると思いました。
①自分の授業レベルなのか、周りに存在する中・高(小も含める? 広くは全国!)の先生たちにインパクトのある実践を紹介することなのか、学会の参加者/研究者仲間にそれなりに評価されることなのか。
理想は、全部ということかもしれませんが・・・
(他には、目的として考えられることはありますか?)

私は、こそを大事にしてほしいと思います。
どうせ時間とエネルギーを費やすのですから。

なしで、があまりにも多すぎる状態が続いているので。
この辺が、前にも阿部謹也さんを引いて紹介した学者/研究者の「世間」の
ひずみのようなものを乗り越えてほしいという私の期待があります。
を目的に設定するなら、学会での発表は当然、終着点にはなりません。
そこで発表したところで、普及の役には立ちませんから。

一方で、最初から普及のことまで考えていたら、安易な実践や研究は
やれないということになる可能性も大です。
思い付きレベルでスタートするのではなくて、かなり周到な準備というか、
チームで構想をしっかり練るということが必要かもしれません。
私は、日本の蓄積に乗っただけの実践ではインパクトになりえるものは
果てしなく難しいと思っていますから、海外の情報も事前に把握して
おくことが不可欠です。

どうも、学会の発表項目を見ていると、思い付きレベルが多すぎる気がするのです。
そして、を考えているものを見出すのは、至難の業です。

これを読み直したら、これってタイトルの残りの2つの研究発表と指導案検討に、そのまま言えてしまうように思えてしまったのです(他にも、学校でしていることの多くに言えるかもしれません。例えば、授業?)。違いますでしょうか?

長年習慣的にやられているから、お付き合いでするのか?
それとも、価値があるからやるのかでは、そのプロセスで学ぶものも、結果として得られるものも、まったく違ったものになります。コミットメントのレベルが違いますから。


★ これを書いたのは、7月3日でした。

★★ みんないったい何を基準に投票しているのでしょうか? ムード? ○○チルドレンをつくりたいから? 


2017年7月9日日曜日

『好奇心のパワー』オススメします!


綾瀬市の小松先生が、以下の文を送ってくれました。


オススメポイントは、3つです。

自分自身の仕事・プライベートでのコミュニケーションのあり方を振り返ることができます。
 具体的なエピソードでとても分かりやすく例が書かれていて、自分自身に置き換えて考えることができます。むしろ、必ずそうしてしまいます!自分はどうかしら、ああ、こんなことあったっけな〜・・・みたいに。

仕事とプライベートの両方で、活かせるコミュニケーションのスキルを身につける術がわかります。
 じゃあ、具体的にどうすればいいの!?という疑問に即座に答えをくれます。あまりに具体的に自分を振り返り、自己嫌悪した後に(笑)、これを教えてもらえるので、すぐに実際にやってみることができます。簡単にマスターできる技ではありませんが、ああ、こういうのを繰り返してやってみたら、できるようになるのかもしれない、という手応えを感じられます。

自分自身に向き合い、自らの価値観や望みを明らかにすることができます。
 普段、自分に真剣に向き合う時間って、なかなか取れないです。育児なんかしてるとなおさらです。でも、その機会をくれる本です。なぜなら、好奇心のパワーを使いこなすには、自分自身をよく知る必要があるからなんです。これは、なかなかの癒しになります!やっぱり、他者に好奇心をもってコミュニケーションを取ろうとするっているのには、パワーがいります。そのためには、自分自身をよく知るとともに、自分で自分を癒すことが必須です!と、思いました・・・。

 この本で、私が最も「ビビッ!」と感じたのは、第2章の「今ここ」に集中する という部分です。
すべて、仕事でもプライベートでも、自分に思い当たり過ぎて、なんだか「すみません」っていう感じでした。知識だけあっても、実践が伴わないと、ほんとだめだなあと感じました。傾聴って、やっているつもりだったけど、まったくできていない。そこに気付くことが第一歩。その一瞬をあせったって、何も変わりやしない。でも、そこで立ち止まって目の前の人に傾聴すれば、大きな変化が生まれるかもしれない。やっと、傾聴の意味がわかった気がしました。

 最後に感じたことは、私自身が、私の価値観をしっかりと把握し、受容し、大事にすること、そして、私自身のケアを怠らないことです。好奇心のパワーを使いこなすためには、自分の心に余裕が必要。自分自身を認め、大切にすること。それが一番大事!と、肝に命じようと思いました。
 仕事と家事育児でなかなかすぐには読み終えることができなかったですが、明日から、子どもたちへの言葉のかけ方、話の聞き方、プライベートでの家族との会話を、ちょっぴり変えていこう、と思うことができました。


この本をまだお読みでない方は、夏休み中に読む本の一冊に加えてください。(というか、成績づけが一段落したら、読み始めてください! 善は急げ、です。その際、仲間一人か二人と一緒にブッククラブ形式で読み合うと、読みが広がり/深まります。いい本は、「本を読むには二人が必要」(『リーディング・ワークショップ』の40と73ページ)だからです。)


 『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』(トムリンソン著、北大路書房)をまだ読まれていない方は、こちらも夏休みに読む本としては最適です。夏休み明けの授業の仕方が変わりますから。そういう本は、意外と少ないです!


2017年7月2日日曜日

教科書とカリキュラムづくり


■教科書の進化

 日本の公立学校では、教科の学習・授業において、文部科学省検定済みの「教科書」を使用しています。現在の教科書は、30年前、40年前と比べると印刷もフルカラーになり、写真や図表もふんだんに掲載され、記述内容も詳しく、読みやすく書かれています。学習課題あるいは学習問題も囲みで示されています。学んだ内容に興味関心をもった子どもたちに応じるために、本の紹介や発展的な内容の読み物資料なども掲載されています。また、社会科や理科などでは、子どもたち自身が疑問に思ったことを自分たちの学習問題(問い)として、それを解決するための学習計画・調査計画・実験計画を立てて、探究学習を進めていく単元が設定されているものもあります。さらに、4年生で学習する消防署や浄水場、クリーンセンターなどの社会科見学と国語の新聞づくりの学習とが関連づけられているなど、横断的な学習、いわゆるクロス・カリキュラムも考慮されています。至れり尽くせりといった感があります。 

 このように、教科書は子どもたちの学びを、さらに教師の学習指導を強力に支援してくれるもの・道具に変わってきているようにも感じられます。 

しかし、教科書は、教科書会社(出版社)が執筆者とともに全国どこの地域でも使えるように作成したものです。いわば「レディメイド」であって、目の前の子どもたちに合わせて作成された「オーダーメイド」ではありません。まして、それぞれの学校の子どもの実態を考慮して、先生方自身が教科書を選択したわけではなく、いくつかの市区町村が集まって一括して採択されたものなのです。 

教科書が進化したぶん、先生方が目の前の子どもたちの実態・学習状況(興味関心やレディネス、学習スタイル、学習スピード、才能などの違い)に応じた「学習指導計画づくり・カリキュラムづくり」という教師本来の創造的・魅力的でやりがいのあることから、手を放してしまっているように思えてなりません。 

 教科書は、学習指導のための一つの資料にしか過ぎないはずなのに、私が知る範囲ですが、多くの先生方は教科書に書かれている内容を、教科書を使って教えています。先生方は、なぜ、創造的・魅力的でやりがいのある「カリキュラムづくり」に取り組まなくなったのでしょうか。教科書が進化したからでしょうか。 

■カリキュラムづくりを阻むもの

 教師自身によるカリキュラムづくりの前に立ちはだかる大きな壁は、次の3つだと考えています。

1.学校現場の多忙化

2.カリキュラムづくりという学校文化そのものの希薄化

3.目の前の子どもを中心に据えたカリキュラムづくりという視点の欠如 

 6月4日のPLC便りでも書いたとおり、てんこ盛りの状態の次期学習指導要領の移行期に向けて、学校現場は、多くの教育課題を解決するために多忙を極めています。

特に、小学校は、一人の学級担任が、国語、社会、算数、理科、生活、音楽、図画工作、家庭、体育、学級活動、道徳、外国語活動(英語)、総合的な学習の時間と、10教科以上の学習指導を行わなくてはなりません。これら、すべてについて、一人でカリキュラムづくりを行うのは、至難の業といえるかもしれません。中学校は、いじめの予防・克服など生徒指導や部活動の指導にエネルギーを注ぎ、教師の本務である学習指導・授業改善は二の次になりがちです。 

教科書が現在のように進化していなかった30年・40年前頃は、目の前の子どもの実態に応じたカリキュラムをつくることそのものが、「学校文化・教師文化」として存在していました。私も当時の校長先生から授業は、教科書(教科書に書かれている内容)を教えるのではなく、教科書で教える(教科書を活用して教える)教科書は、学習指導・授業の一つの資料に過ぎない。」「教科書どおりに授業を進めるのではなく、目の前の子どもたちの思考に沿った単元の学習指導計画になるよう工夫しなさい。と言われたことを覚えています。 

しかし、現在は、この当たり前だったカリキュラムづくりという学校文化・教師文化が希薄になってきているように感じられます。教科書がなく学校独自のカリキュラムを作る必要のあった「総合的な学習の時間」が削減された頃を境にして、教育委員会も、カリキュラムづくりの重要性をあまり強調しなくなりました。このため、都市部を中心に急速に増えている若い先生方の間で、カリキュラムづくりの重要性や進め方を知らない人たちが増えつつあるのです。 

そして、最も本質的な問題をはらんでいるのが3つ目の壁です。「目の前の子どもたちを中心に据えること」を忘れたカリキュラムづくりは、子どもたち一人ひとりの主体的な学びの実現にとって致命的です。教科書の最大の問題点は、ここにあるのです。 

■目の前の子どもたちを中心に据えたカリキュラムづくりを!!

 教師主導の授業を行うための教師側に立ったカリキュラムづくりではなく、目の前の子どもたち一人一人が「学びの主体者」として学習・成長していくことを第一に考えたカリキュラムづくりを進めていきたいものです。その実現のために参考になるのが、以下の3冊です。 

1.『たった一つを変えるだけ~クラスも教師も自立する「質問づくり」~』ダン・ロスステイン&ルース・サンタナ(著),吉田新一郎(訳)[新評論]

2.『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ ―「違い」を力に変える学び方・教え方―』C.A.トムリンソン(著),山崎敬人・山元隆春・吉田新一郎(訳)[北大路書房]


1と2は、これまでPLC便りで何回も紹介されてきたものです。目の前の子どもたちを中心に据えたカリキュラムづくりを進めていく際、具体的な実践例が示されていて、とても役に立ちます。特に1は、教師による「教える」授業から、子どもたちの「問い」を出発点とした子ども主体の「学ぶ」授業へ、授業観の転換が図れる刺激的な内容です。3では、「逆向き設計」論 とそれを教科や総合的な学習において、具体的にどう活かして子どもたち主体の探究的な学習を創造していくかについて、実践例とともに詳述されています。 



★ 「逆向き設計」論では、 (1) 学習の修了時をイメージして「求められている結果(目標)を明確にする」→ (2)「承認できる証拠(評価方法)を決定する」→ (3)「学習経験と指導(学習・授業の進め方)を計画する」というように、学習・授業によって最終的にもたらされる結果・ゴール・目標から遡って学習・授業を設計することを主張しています。また、「逆向き設計」論では、「本質的な問い」「永続的理解(原理と一般化)」「(永続的理解を促進し評価するための)パフォーマンス課題 ★★」「パフォーマンス評価のためのルーブリック(評価指標)づくり」「ポートフォリオ評価法」が、カリキュラムづくりのための重要な要素となっています。


★★ 多くのパフォーマンス課題では、「作家の時間」や「読書家の時間」と同じように、新聞記者になって特集記事を書いたり、科学者になって実験計画を立てたり、国会議員になって経済政策を提言したりするなど、「○○になるアプローチ」が採用されています。