2019年11月23日土曜日

PDCAサイクルの神話

この「PDCA」という用語をめぐってはいくつかの神話があるということを初めて知りました。社会方法調査論や組織社会学が専門の佐藤郁哉さんの著書『大学改革の迷走』ちくま新書2019.11に書かれていた内容を紹介します。同書の92ページから96ページにかけて次のような説明があります。

     使用言語に関する神話
×(誤解)PDCAは英語表現である→〇(事実)和製英語である
PDCAPlan ,Do ,Check ,Actionは通常アルファベット表記されます。そのため、これらは英語の略語と受け取られる場合が少なくありません。しかし、これは完全な誤解です。・・・・(以下省略)

     発案者をめぐる神話
×最初にPDCAを提案したのは米国の統計学者エドワーズ・デミングである
→〇提唱者は日本の工学者である
使用言語をめぐる神話は、PDCAサイクルの発案者をめぐる誤解と密接に結びついています。・・・実際には、PDCAサイクルは1960年代に、石川馨(東京大学教授を経て武蔵工業大学学長)と水野滋(東京工業大学教授)の両氏を中心とする日本の工学者たちによって提唱されていった手法なのです。・・・(以下省略)

     学問分野に関する神話
×経営学分野の学術用語である→〇生産管理や品質管理の分野で使われてきた経営用語である
『新大学評価システムハンドブック』(大学基準協会2009)には次のような解説があります-----「経営学で言われてきたPDCAサイクルとは、目標・計画を立て(Plan)、実行し(Do)、結果を点検・評価し(Check)、改善・見直しを行う(Action)といったプロセスを意味しています」。これは、明らかに事実とは異なります。・・・・(以下省略)

     国際的な認知をめぐる神話
×国際的に広い分野で高い評価を受けてきた→〇限定された分野で一定の評価を受けてきた
PDCAサイクルの図式は、1990年代後半から2000年代にかけてISO14001(環境マネジメント・システムに関する規格)ISO9001(品質マネジメント・システムに関する規格)などの国際認証規格シリーズにも取り入れられてきました。この点を根拠にして、PDCAサイクルが国際的に広い範囲で高い評価を受けてきた、という印象を与えるような解説がなされる場合があります。しかし海外では、認証規格や工業製品の品質管理の分野以外では、PDCAサイクルが取り上げられることはそれほど多くはありません。

     汎用性に関する神話
×広い適用範囲を持つ万能のマネジメント・サイクルである→〇特定の業務については有効である
日本では、PDCAサイクルをほとんどあらゆる業務に応用できる経営原理として扱うことが少なくありません。実際、PDCAが適用可能だとされる業務や課題の範囲は、企業活動だけでなく病院や学校の運営、資格試験のための勉強さらには「婚活」にいたるまで非常に多岐にわたっています。
これは一種の幻想に過ぎません。・・・(以下省略)
 
 どうですか。これが「PDCAサイクル」の神話です。
多くの組織がその出所をよく確かめもせずに、いわゆるコピー&ペースト「コピペ」をしてきたわけです。そもそもの適用範囲は工業製品の生産管理・品質管理の範疇でした。それを学校のマネジメントにまで拡大解釈して、果てはカリキュラム・マネジメントに応用することなど、もっともらしい話として語られてきたわけです。
先ほどの③に登場した大学基準協会のハンドブックにも書かれていました。学生にはコピペするなと言いながら自分たちがやっていたという笑えない落ちまでついてきました。この協会自身がPDCAサイクル(?)を回してこなかったことを図らずも証明したようなものです。
それと文部科学省です。最近、「PDCAサイクル」を呪文のように唱えてきた文科省自身がこのサイクルを回していたならば、この30年ほどの様々な施策がほとんど失敗するようなことにはならなかったでしょう。(もっとも彼ら自身は失敗とは認めないでしょう。官僚に誤謬はないそうです。)

これ以外にも、これまでの文教施策が迷走してきた理由が明解に説明されています。興味のある方はぜひ、佐藤郁哉さんの著書『大学改革の迷走』ちくま新書2019.11をお読みください。
また、審議会方式の意思決定のあり方がいかに恣意的なものであるかなどについても考えさせられることがたくさんあります。結論ありきで官僚の書いた筋書き通りに進められる政策決定のあり方を根本的に考え直す時期に来ています。
教育の世界で言えば、「中央教育審議会」における「教育には素人の人々」の思い付きの発言がいかに本質をゆがめているか、あるいは利益誘導とも思える大学入試をめぐる最近のさまざまな出来事など、その類の事例には事欠きません。まず、そのような事実を多くの人と共有することから始めるしかないようです。

2019年11月17日日曜日

教員研修や研究授業よりも優れた、教師にとっての学びの方法がある!


 『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』の増刷に際して、4人の実践者に「自分にとってのブッククラブ」について書いてもらいました。http://wwletter.blogspot.com/2019/11/blog-post_8.html
で、すでに二人分は紹介したので、こちらでは残りの二人分を紹介します。教師にとっての優れた学びの方法であることを理解していただけると思います。(「継続性」と「自分にとっての意味(こだわり)」などがポイントです!)

●岸陽介さん――「学ぼう! 変わろう!」とする組織・チーム・個人にとって、もっともシンプルで効果的な方法

言うまでもなく、本の読み方は一人ひとり違います。同じ本を読み進めると、その本のどこにヒットして、何を思い、考えるかが人によってかなり違ってきます。もちろん、その本の同じところに多くの人がヒットすることもあります。だからと言って、同じことを思い、同じことを考えるのかというと、やはり違います。当然と言えば当然のことですが、その当然さを日常のコミュニケーションのなかでどれほど大事にしているかと言えば、意外と【なおざり】にしがちとなっているものです。
だから、「学ぼう! 変わろう!」とすると組織・チーム・個人でブッククラブを行うことに意味があると言えます。ブッククラブを行うと、組織・チーム・個人のコミュニケーションの現状が明らかになるんです。問題点もそうですが、それ以上に、個々人の興味関心のあり方や得意なこと、そして才能などが明らかになります。それらを組織・チーム・個人が受け入れることによって、どういう方向に向かっていったらよいかも自ずと明らかになってきます。
イベント的な研修会をただ単に繰り返すくらいならば、ブッククラブを繰り返し行う方が学びも多いし、変化も大きいと言えます。また、定期的に行われる形式だった飲み会よりも、継続的な読み会(ブッククラブ)のほうが圧倒的にコミュニケーションの質は高まります。さらに、その後に活かされる確率も格段に高くなります。何と言っても、【しらふ】でやり取りをしていますから。

冨田明広さん――ブッククラブへの「かかわり方」と「学び方」

 もう一人の冨田明広さん(小学校の先生)の文章は、その長さもあって、本の「まえがき」には含められなかったので、本文に入れました。ここでも、その一部しか紹介できません。「読書が自分の成長にとって欠かすことのできないものであること」を知っていても、忙しくて時間が取れない自分、そして他の教師に、ブッククラブをすすめてくれています。
 冨田さんは、ブッククラブの効用を「かかわり方」「学び方」そして「仲間づくり」の3点から説明してくれています。

    かかわることで人を知るブッククラブ
 (ブッククラブでは)著者と自分、そして他の参加者の間で解釈の「ぶつかり合い」や「影響し合い」が生まれます。そうかと思うと、他の参加者が「仲介」や「橋渡し」をしてくれたり、「三つ巴」になったりすることもあります。著者と自分という二者間の対話では生じ得ない思考や動力が生まれるのです。
 彼が特別支援級を担任していた時に、高学年の女子生徒と「ペア読書(ブッククラブのペア版)」をした時の経験も紹介してくれています。
 本の内容はジェネレーションギャップのせいで(?)の連続でしたが、女子生徒の考え方や価値観には「なるほど!」と相槌を打つことができました。要するに、ブッククラブを通じてこの女子生徒とつながりをもつことができ、内面をうかがうことができたわけです。教育の現場において、これ以上の充実感はありません。ブッククラブは、一般的な読書よりも、相手とのかかわり方を高める一つのツールと言えます。

  自分にムチを打ち、相手に学びを促すブッククラブ
 まず選書ですが、ブッククラブの場合、一人ではなかなか読めないような分厚い本や、自分の嗜好ではなかなか手に取らないだろうという本などで行うと自らの学びを深めることにつながります...信頼できるメンバーに本を選んでもらうというのも面白いです。いずれにしろ、自分では手に取らないだろうなという本ほど新しい発見があるということです。
 ブッククラブを行う場合、当然、計画を立てることになりますので、その日までに頑張って読み切ろうとするプレッシャーが高まります...(他のメンバー)がいることによって弱い自分にムチを打って、よい意味でのプレッシャー、つまり「ピア・プレッシャー」がかかることになるわけです。内容に対する反応においても同じです。「ちょっとかっこいいことを言いたい」とか「相手が、『おっ!』と思うようなことを言いたい」など、カッコつけたいという欲求のおかげで、分厚い本でも頑張って読んでいこうという意欲が湧くのです。たぶん、みなさんも同じでしょう。愚かな「よく思われたい」という人の欲求を、学びへの意欲に転用するということです。
 「自分にムチを打つ」と表現するとスパルタ的な印象を与えてしまいますが、それは自分にかぎったことであり、相手に対して用いるときには逆の印象となり、学びを促すことになります。研修会などでブッククラブを活用してみるというのはいかがでしょうか。
一人の講師が全員に向かって熱弁しても、熱量が多すぎて参加者に煙たがられるものです。私自身、そういう雰囲気を好ましいものとは思っていません。そうではなくて、自分の言いたいことを表現してくれている本を通じて伝えていくのです。ブッククラブは、それを可能にする最高の方法なのです。

    長く、ゆるい関係をつくるブッククラブ
いくら仲がよくても、お互いに仕事をしているとなかなか会う機会がないものです。季節ごとに1回ブッククラブを計画すれば集まることができますし、元気な顔をお互いに見るとエネルギーをもらうこともできます...着飾ることがなく、緩みすぎないブッククラブによって選書もでき、学びの場としてもちょうどよい雰囲気がつくられ、本を読み続けていきたいという気持ちにさせてくれるのです。

 そして最後は、以下のように結んでくれています。
ブッククラブを通じてかかわり合った仲間は、長くゆるくつながり、時には「支え」となる関係にもなります。ブッククラブという機会が、そのような空間をつくり出していると私は思っています。「どうしようか……」と思っているあなた、明日にでもはじめてください!

◆本ブログ読者への割引情報◆

1冊(書店およびネット価格)2420円のところ、
PLC便り割引だと      1冊=2000円(送料・税込み)です。
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ご希望の方は、①冊数、②名前、③住所(〒)、④電話番号を 
pro.workshop@gmail.com  にお知らせください。

※ なお、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが出ることがありますので、予めご理解ください。

本ブログを見て、今月はじめてブッククラブに参加してくれた方が、以下のコメントを書いてくれています。http://projectbetterschool.blogspot.com/2019/10/vs.html#comment-form



2019年11月10日日曜日

「ふりかえり」が、算数・数学の世界を拡げてくれる


算数授業の子どもたちの様子を思い出してみてください。「答えがわかった! やり方がわかった! さぁ、次の問題へ」と、子どもたちはたんたんと、問題を消化することで終わっていませんか? 多くの子どもたちは、答えを知ることや計算ドリルを早く終わらせることに、とらわれてしまっていることのなんと多いことか!

算数・数学がもつおもしろさは、その問題を様々な角度から考え直し、算数・数学のもつ世界を自力で押し広げていくことにあります。それには、解き終わった後の「ふりかえり」が欠かせません。

問題を解決した後に、自分がどんなときに解決方法がひらめいたのか、そこまでの「ウーン!」や「アハ!」といった感情のゆらめきや、まだ不安だった解法が確信へと変わったきっかけ等を振り返ったりすることで、より深くその問題を理解することができます。また、自分のその特殊な解法が本当に、他の問題にも一般的に当てはまるのか確かめてみること。自分の意思で数値や条件を変えて新しい問題をつくったり、解いてみたりすること。他の子がどのような方法で解いたのかを紹介し合うことで、より多面的に問題を理解することができて、人とつながり、共有する価値が高まります。

これらのふりかえりを練習することは、子どもたちの算数の世界を拡げ、より高度な数学の証明世界へ入っていくことなのです。授業の最後に、感想やわからなかったことを聞き出してノートに記述させることは、数学的なふりかえりでは決してありません。



さて、算数・数学を深める「ふりかえり」を体験してみましょう。まずは下の問題に挑戦しましょう。

【問題 はい回る虫たち】
ロス君は、トカゲとカブトムシとミミズを集めています。彼は、トカゲとカブトムシを足した数よりも多くのミミズを持っています。全部で12の頭と26本の足があります。ロス君は何匹のトカゲを持っていますか?
ジョン・メイソン リオン・バートン他(著)、吉田新一郎(訳)(2019)「教科書では学べない数学的思考「ウーン!」と「アハ!」から学ぶ」新評論 75頁より引用

ペンと紙を用意しましょう。今、やってみてください! ここから先は、解き終わってから読んでください。数学的思考を使った解法はPLC便りブログの下の欄に記入しておきます。一度、解いてみてから、解法を確認してください。★



できましたか? 多くの子どもたちは答えが出たことに安心して、答え合わせへと走ってしまいます。ここで終わりではありません。「ふりかえり」をやりましょう。

振り返ることは、数学的思考を伸ばすためにも最も重要な活用であると言えます。何をしたのか振り返らないと自らの体験から学んだとは言えません。同上70

問題を解き終わった後の「ふりかえり」には大きく分けて二段階あります。①最初にその問題を自分の特別なやり方(特殊化)で解いた方法の振り返りと、②さらにその問題を拡げて、その解いた方法を他でも使えるかという応用発展の振り返りです。これは以前のPLC便りで紹介した、「ためす(特殊化)」と「確かめる(一般化)」の法のことです。★★



一つ目「ふりかえり」は、メモを見ながら以下のことを確かめます。「計算」「計算があっていることを確実にする論証」「結論がもたらした結果が妥当かを見る」「解法が問題にあっているかどうか」そして、「鍵となるアイディアと節目」「予想と論証の関係」「解法〜より明確にできないか?」を振り返ります。ノートにメモを残しておくことで、自分の思考の筋道をたどることができます。記録することは、自分の考えを慎重に振り返り、そこから深く学ぶための材料となるのです。


(同上81頁 参照)

取り組みの間に、ひらめきのサインである「アハ!」や、つまずきのサインである「ウーン」をノートにメモしていると、ひらめいた鍵となるアイディアと節目を振り返りやすくなります。私のノートを振り返ると「トカゲとカブトムシの足を足して26本の式を見つけてみましょう」と書いてあります。ここから「アァ! 気が付きました。26本の足の中に、カブトムシの足のかけ算を見つければいいんだ!」と、ひらめいた節目がありました。

私はその後、条件文「トカゲとカブトムシを足した数よりも多くのミミズを持っている」にあてはまっていない事に気付いてしまい、あきらめかけます。しかし「系統的に」と予想をメモしていたことを思い出し、地道に作業をしていけば、答えにたどり着く感覚を持つことができました。今後、この順番に沿って「系統的」に確認していくことは、かなり強力に私を助けてくれそうな、有効な解法となりそうです。

もう一度、数値や計算が正しいのか、そして、答えの組み合わせは他にもないか気になり、トカゲの数を1匹から系統的に表にして改めて調べてみました。やはり自然数となる組み合わせは、カブトムシが1匹と3匹の2パターンしかなく、この答えが妥当であることが分かりました。

大事なことは、どのように解いたのか、その計画や解決プロセスに目を向けることです。それには、自分をモニターする「ふりかえり」は欠かせません。このように振り返って考える練習することで、考える道筋へと目が行くようになります。すると、他の問題を解いているときにも、これまで解いたことのある問題と感情や解き方がひらめくようにつながってくるのです。

二つ目の「ふりかえり」は、「結果の一般化によるより広い場面や状況」「解法への新しいルートを求めることで」「制約条件を変えることで」、新しい問題への応用発展です。「もし〜だったらどうなる?」と、条件文や数値、さらには求答文を変えることで、自分だけの問題づくりに活かしていきます。その新しい問題で、一つ目「ふりかえり」の解き方(特殊化:自分特有のまだ一般化されていない特殊な解法)を使うことで、本当に他の問題にも適用、応用することができるのか確かめて(一般化:どんな問題においても一般的に当てはまるパターン)いきます。

最も魅了する問題は自らが生み出した質問です。〜 また、最も面白くやりがいのある問題は、一見極めてたいくつな結果を一般化しようと試みたときに生まれるものですから、とても興味深いといえます。同上 75

26(足の本数)と12(頭の数)がより大きな数字に変わった場合、この問題をどのように解くことができるのでしょうか? 扱う足の数が260本だとしたら? もしこれが「トカゲ・カブトムシ・クモ」だとしたらわくわくしませんか? クモは足が何本になるのだろう? パターンやきまりが見えてきそうです。または駐輪場にある自転車とオートバイの車輪の数でも表現できそうです。この自分で新しくつくった問題にも「系統的」に解くことが使えるのでしょうか? きっと表にして解いていくことで、この鶴亀算のパターンに気付くのではないでしょうか。

このような問題の応用発展について、教科書では上手にステップアップしていけるように毎時間、編まれています。しかし、これは学習者自身が自分で「ふりかえり」をして、つくりだすそのプロセスに意味があります。同じように、「わり算の問題を二種類つくろう(等分除と包含除)」では、子どもたちの思考は、ただ「あてはめてみる」だけのことで、そこに自分なりの挑戦が生まれず、わくわくしません。

「自分で数字を変えてみたら、おもしろい決まりをみつけたよ」「これなら、どんな時にも答えは出せるはず」「もし、こうなったらどうだろう?」と、さらに知りたくなる。そんな子どもを育てていきたいものです。そのためには、「ふりかえり」の前段階でその問題の良さや解くコツやひらめきく節目わかっていると、応用発展しやすくなります。

学びとは知識の吸収で終わらせるのではなく、ものごとを本当に理解したいという願いを持ち、飽くなき追求を楽しむプロセスそのものなのです。問題を解いて終わりにせず、振り返り、さらに応用発展していくときに、子どもたちは、まだ見ぬ数学世界を求める冒険者となっていくのです。

あなたが、来週から授業で扱う学習内容の中に、「ふりかえり」の応用に値する問題はありますか? もしあるとすれば、子どもたちが自由にふりかえりを使い、算数・数学を探求する機会を与えられそうですか?

    解答
計画段階から進めましょう。この問題では「何匹のトカゲを持っていますか?」が求めることです。問題条件から分かっていることには「トカゲとカブトムシを足した数よりも多くのミミズを持っている」「トカゲの数+カブトムシの数<ミミズの数」「全部で12の頭と26本の足がある」です。これらの条件から、使えそうなことはなんですか?
ウーン。悩みます。私はミミズには頭はあるけれど(どちらが頭なのかは、よく知りませんが)、足がないことに気付きました。トカゲは足が4本、カブトムシは足が6本あることを思い出しました。これらは使えそうです。
私の予想は、頭の数と足の数を式で表してみると、何かきまりが見えてきそうだと考えました。頭の数の計算は、トカゲの頭+カブトムシの頭+ミミズの頭=12頭 です。
ミミズは足が0本です。トカゲの足の数である4の何倍+カブトムシの足の数である6の何倍<ミミズの頭 が成り立てばいいんですね。これなら、私にも、小学生にもできそうです。系統的に一つずつやっていけばいいだけですから。
トカゲとカブトムシの足を足して26本の式を見つけてみましょう。もし、トカゲ1匹ならば、4×1匹=4本 26本―4本=22本 カブトムシは22÷6本 割り切れません! カブトムシの足が小数点になってしまいます。五体満足出なければならないから、自然数になります。アァ! 気が付きました。26本の足の中に、カブトムシの足のかけ算を見つければいいんだ! 
さっそくやってみます。6×1匹=6本 6×2匹=12本 6×3匹=18本 6×4匹=24本 アァ!この6×4匹=24本はダメですね。これだと、トカゲの足が2本しかなくなってしまいます! 
足の数からカブトムシが1匹、2匹、3匹のときと絞られました。それぞれ確かめてみます。
カブトムシが1匹の場合。6×1匹=6本 足の総数は 26本―6本=20本 トカゲの数を求めると 20÷4本=5匹 アァ!これだ! カブトムシが1匹、トカゲが5匹なら足の数は26本になります。ミミズの頭の数をの式で表すと 1頭+5頭+頭=12頭 ミミズは6匹だ! できた! トカゲ5匹、カブトムシ1匹、ミミズ6匹 です。
しかし、条件文に「トカゲとカブトムシを足した数よりも多くのミミズを持っている」とありますので、トカゲとカブトムシを足すと 5匹+1匹=6匹 ミミズは6匹ですので多くはありません。ウーン! 他に答えがありそうです。 諦めそうですが、カブトムシの数に戻って、もう一度考え直してみます。
カブトムシが2匹の場合。6×2匹=12本 足の総数は 26本―12 本=14本 トカゲの数を求めると 14÷4本=わりきれません! この組み合わせはダメでした。
カブトムシが3匹の場合。6×3匹=18本 足の総数は 26本―18 本=8本 トカゲの数を求めると 8÷4本=2匹 アハ! 割り切れました。 
さっそく、条件文に照らし併せて確認してみます。「トカゲとカブトムシを足した数よりも多くのミミズを持っている」とありますので、トカゲとカブトムシを足すと 3匹+2匹=5匹 12頭―5頭=7頭 アハ! ミミズは7匹です! トカゲとカブトムシの合計よりもミミズが多くなりました。
答えは、ロス君は、トカゲを2匹持っていた!です。

★★
https://projectbetterschool.blogspot.com/2019/03/blog-post_10.html


2019年11月3日日曜日

やはり学校は入試でガタガタするのか

2020年から新しい学習指導要領とともに、大学入試制度も大きく変わる。大学入試センター試験が廃止になり、大学入学共通テストになる。

思考力、表現力などを見るために国語と数学で記述式試験が導入されるし、英語では「話す」、「書く」を加えて4技能を測定するために、民間機関による外部テストが導入される(この原稿を書いている真っ最中に英語外部試験の導入延期が決まった。このことについても書きたいことはあるが、別の機会に譲りたい。入試制度そのものよりも、現職文部科学大臣の教育格差容認発言の方がインパクトは強かった)。

しかし、政策として順風満帆とは行っていないようだ。

高校2年生の意見を取り上げた小林哲夫氏(教育ジャーナリスト)のレポート「筑駒生、大学入学共通テスト中止を訴える 「ぼくたちに入試を受けさせてください」(2019年10月18日)★1」が興味深い。

興味深いというよりも、取り上げた生徒の堂々とした主張に舌を巻く。新テストのプレテストについての考察が実に的確で、本質をついているのだ。皮肉な話だが、このような力をもった高校生が育つのであれば、つまらない「記述式問題」の導入などまったくもって不要だと思わされてしまう。

この高校生は、小林氏の「大学入試はどうあるべきでしょうか?」という質問に次のように答えている。

「本来、入試は大学が入学してほしい学生を選抜するために考えるものです。それを国が見繕って第三者に作らせた試験で試そうとする。これは大学の受験生選抜の意志に反していませんか。入試の仕事じゃないものを入試にさせている。入試を入試ではないものにしています。思考力、表現力を身につけさせたいならば、アクティブラーニング、ディベートのような営みは教育現場で行えばいい。それをたかだか1、2時間の入試で思考力、表現力を試すとか、まして、これらを民間に委ねるとか、やり方は間違っています。」

さらに、英語外部試験の導入延期に合わせて、国語記述問題導入も延期すべきという意見も出てきている。★2 新しい入試に対する意見が、ネット上でとにかく賑やかだ。高校生がかわいそうであるという意見があれば、高校として今後どのような対策を立てるのかかといった見通しを語ったものもある。

入試に、学校が振り回される。相変わらずの風景だ。

ナンシー・アトウエルの『イン・ザ・ミドル』に「ジャンルとしてのテスト対策」という考え方が紹介されている(p.235-236)。★3 「読み手を育てるミニ・レッスン」という章の中の一節だ。生徒が共通テストを受ける1週間前くらいに、共通テストがどのようなものかを知るための授業をやっているのだ。「自分たちが受ける共通テストの形式や何が要求されているのかを知って、その練習に2、3日かければ、十分に適応できます。」とさえ述べている。真の読む力さえついていれば、何も問題はないということだろう。

何という発想の転換だろうと思った。私にとっては、「ジャンルとしてのテスト対策」という捉え方は衝撃でさえあった。入試やテストで振り回されている我々とは対照的な姿勢だと思った。

テストや入試に、学校として、どのようなスタンスで臨むのか。これからの学校のあり方を考える時、避けることのできないテーマだと思う。入試突破や学力テストの点数アップを、学校の最も重要な目標として掲げる。何と小さな志だろうと思うのだが、皆さんはどう思われるだろうか。

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★1 「筑駒生、大学入学共通テスト中止を訴える 「ぼくたちに入試を受けさせてください」(2019年10月18日) https://dot.asahi.com/dot/2019101800113.html?page=1

★2 「英語だけじゃない…大学入試改革の「国語記述式問題導入」の害悪」(2019年11月1日)https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191101-00068154-gendaibiz-life&p=2

★3 ナンシー・アトウエル(2018)『イン・ザ・ミドルーナンシー・アトウエルの教室』三省堂.