2018年7月28日土曜日

「規制緩和」「市場原理主義」がもたらしたもの

「規制緩和」という言葉を耳にして久しいが、いつの間にか「市場原理主義」が当たり前になり、格差社会という言葉も定着してしまいました。
 教育の世界においても、「規制緩和」「市場原理主義」の例外ではありません。
 小中学校の公立学校教職員給与の国庫負担が国の1/2負担が1/3になってから、非常勤職員の数が急増しました。様々な職種の人間が学校という組織の中に入ってきたことを歓迎する一方で、この非常勤職員の増加は新たな問題です。

 また、目を高等教育に転じてみると、基礎科学研究が凋落している様子がわかります。
6月に公表された科学技術白書によると、次のように述べられています。

「我が国においては、論文数の減少や、論文の質の高さを示す指標の一つである被引用数Top10%補正論文数の国際シェアの減少など、研究力に関する国際的地位の低下の傾向が伺える。2017年3月にNature誌においても、科学論文の国際シェアの低下など、日本の科学研究が近年失速している旨の指摘が掲載された。」

さすがの白書も近年の研究力低下を認めざるを得ませんでした。
科学技術がこの国にとってどれだけ大切かは改めて言うまでもありません。その分野において凋落が認められるというのは看過できないことです。その凋落の原因は何にあるのでしょうか。

サンデー毎日78日号をお読みになった方はいらっしゃいますか。
その中の内田樹氏の書いたものを見るとその謎が解けます。
それは、国立大学の「独立行政法人化」です。少し引用します。

「国立大学の独立行政法人化は21世紀の初めごろから日本社会を覆い尽くした怒涛のような「株式会社化」趨勢の中で決定された。「株式会社化」というのは、「すべての社会制度の中で株式会社が最も効率的な組織であるので、あらゆる社会制度は株式会社に準拠した制度改革されねばならない」というどこから出てきたか知れない怪しげな「信憑」のことである。」

このような株式会社化された大学では学長や理事長というトップに全権が集約されるようになり、教授会は諮問機関に格下げされました。大学の自治や学問の自由などと言っていた時代が遠い昔のようです。当然のように、研究も成果がすぐに出るような研究ばかりが選ばれ、先行き不透明な研究には資金が配分されにくくなりました。こうなると基礎研究は出番がなくなります。これが、科学技術白書で語られた「日本の科学研究が近年失速している旨の指摘」につながっているわけです。

内田氏のこの文章には、この後にさらに「入試「英語」改革への疑念」という気になる記述が続きます。また引用します。

「文科省の最新のスキャンダルは20年度からの国立大学入試への英語の民間試験の導入である。これについては大学中学高校のほとんどすべての英語科教員が反対している。
 この決定は密室で、少人数の関係者による、ごく短期間の議論だけで、実証的な根拠も示されず、英語教育専門家の意見を徴することなく下された。実施の困難さや問題漏洩のリスクや公正性への疑念や高校教育への負の影響についても何の説得もなされなかった。
 民間試験導入を強く推進した当時の文科相が私塾経営者出身で学習塾業界からの資金援助を受けていること、有識者会議で民間試験導入を強く主張した委員の経営する会社が民間試験導入決定後に英語教育事業を立ち上げたという「醜聞」が報道された。
「私利のために受験者数数十万人の試験制度の改変を企てたのではないか」というような疑念はかつての日本の大学入試で呈されたことはない。でも、そういうことが起きても不思議はないほどに日本の教育行政は劣化している。」

この記事が出た後、74日に文科省の科学技術・学術政策局長が東京地検に私大支援事業にかかわる受託収賄の疑いで逮捕されました。真相はまだわかりませんが、「教育行政の劣化」の一つでしょう。

しかし、それでも前を向いていくしかありません。資源がないわが国がこれからさらに厳しさの増す国際競争のなかで生き延びていくために多くの知恵を集める必要があります。

SF小説で2度映画化された「日本沈没」をご存じでしょうか。
あの小説の最後は、日本列島から多くの人々が海外に集団で移住するというストーリーでした。最近まで他人事のように見ていた「中東からヨーロッパへの移民の苦難」が日本人にいつ降りかかってくるかわかりません。だれもが不安な時代に入りつつあるようです。
だから、そんな不安につけこみ、怪しげな新興宗教が台頭してきます。
最後は「ものごとの本質を見抜く力」が求められるのだろうと思います。そのためにも「深い学び」が必要だと思います。

2018年7月22日日曜日

新刊『イン・ザ・ミドル』


ちょっと変なタイトル、と思われるかもしれませんが、原書の著者は第3版まで通して(内容を大幅に改変しても)、このタイトルを使い続けていますから、相当のこだわりがあるので、日本語訳もそのまま使っています。(その意味を知りたい方は、ぜひ本書を手に取ってください!)

著者のアトウェルさんは、アメリカでも最初にライティング・ワークショップ(WW)★を実践し始めた一人で、それを読むことに応用したリーディング・ワークショップ(RW)★★は最初の人と言っていいかもしれません。結果的に、40年近く取り組み続けました。(常に新鮮かつ学べたので、続けられたのだと思います。

読み書き教育という観点で、どれだけ素晴らしいかは、「WWRW便り」でこれからも(すでにこれまでも)紹介し続けますが、「PLC便り」は読み書きに限定せずに、他教科や学校教育全体で、この本がどれだけ価値があるのかがテーマです。

すでに1月に紹介した記事(上記のURL)では、
 ・「教師(教える)という素晴らしい仕事」を、教師全員が実感してほしいですし、それを実現しない限りは、子どもたちにとっては(教師にとっても)苦役が続くことを意味します。その意味では、管理職、教育委員会、文科省の責任は重大ですが、現時点でその責任をどれだけ果たせているでしょうか? ぜひこの本を参考にして、明日からでも行動を開始してほしいです。
 ・アトウェルさんは「私たちが教える論理が、子どもたちが学ぶ論理と同じとは限らない」を座右の銘にしていますが、日本の管理職、教育委員会、文科省の役人で、これを認識できている人は果たしてどれだけいるでしょうか? 教える論理が横行し、学校や教室は学ぶ論理が極めて希薄な場所になっていないでしょうか? これを改める糸口をこの本で見出せます!
の2点についてフォーカスして紹介しました。

今回紹介するのは3点目です。それは、評価。
日本の教育で、これほどいい加減に扱われてきたものはないのではないかと言えるものの一つです。(文科省も、20年ぐらい前に「指導と評価の一体化」と言い出して、そのことには気がついたようですが、それを言い出した人たちも「指導と評価の一体化」の具体的な中身がわかっているとは言い難い状況がいまだに続いています。)それに対して、本書の第8章はみごとに応えてくれています。
なんと、評価ワークショップという名称で、毎学期の最後の数日で行うというのです!(もちろん、年間の実践がそれを可能にしています。子どもたちが主体的に集めるノートやポートフォリオがあるのです!)その主役は生徒たちで、教師の役割はそのプロセスをサポートする役割です。
評価は、①子どもの一人ひとりの自己評価力(+自己修正改善力+次の目標と計画作成能力)をつけさせるものであり★★★、②子ども一人の学びに大きく寄与するものであり、③学期を通して行ってきたカンファランスも踏まえながら、子ども理解の情報が提供されることで、生徒の学び、自己評価力、次へ向けて目標と計画作成力をサポートするものであり、④教師が教えることと学ぶことに関して学び続けるための手段であることに気づかせてくれます。これら4つのうちのどれが現在日本で行われている評価や成績(通知表)で達成されているでしょうか? これら4つが欠けている評価を、評価と言えるでしょうか?

 この第8章を含めて、第1章~第7章は、国語の教師が読むと、刺激とアイディアが満載ですが、数学、理科、社会、保健体育、家庭、音楽等の教師が読んでも、刺激とアイディアが満載であることをお約束します。さらには、学級経営や学校経営の観点で読んでも、刺激とアイディアの点で満足が得られるはずです。
 ぜひ夏休みの間に読んでいただき、夏休み明けから一つでも二つでも実践をし始めてください。子どもたちはもちろん(管理職や教育行政に携わる方は、教師たちも)、それを望んでいますから。


★ 一言でいえば、子どもたちが作家(や詩人やジャーナリストやノンフィクション・ライター)になる体験を通して学ぶ教え方・学び方です。従って、中心は子どもたちがひたすら書くことに据えられています。
★★ 同じく、子どもたちが読書家になる体験を通して学びます。従って、中心は子どもたちがひたすら読むことに据えられています。日本の読解教育のように、教師は教材研究をしません。それこそが、「ボタンの掛け違え」の出発点になってしまい、教師が使う時間とエネルギーがズレてしまっているわけです。
★★★ この中には、達成できたことは「祝い」、まだ達成できなかったことについては分析をし、教師の力も借りながら、次に達成するための目標設定や計画も立て、それを宣言することが含まれています。


2018年7月15日日曜日

教育委員会と同じ問題を抱える学校現場にできることはサーバントリーダーから

本気で組織を変えようと思っていても、立場や役職がないと容易にはなかなか変えられず、知らず知らずのうちに服従していってしまう、そんな心理を前回は書きました。

http://projectbetterschool.blogspot.com/2018/06/blog-post_17.html 

先日、指導主事と話をする機会がありました。そこでは、市行事の後のゴミ拾い、台風への対応、研修受付への出張に加え、情報交換と称した度重なる飲み会など、今、学校現場で叫ばれている働き方改革とはほど遠いものでした。「できることから新しく、少しずつ何かを変えていく草の根からの改革も難しそうです。例年続けてきたことを、忖度しながらも維持することで精一杯といったところでしょうか。


これと同じようなことが学校現場の職員室においても当てはまってしまいます。「昨年度同様、例年通り」を合い言葉に、みんな右向け右の学年団は、職員室を見回すと見られます。


廊下の掲示物は特に学年での共通理解が顕著に現れてしまう良い例です。それぞれの教員のもつ願いや思いのある異なる掲示物が貼っている学年はここ数年、見たことがありません。驚いたことに、低学年の廊下に掲示されていた児童の自画像が、みんな同じ顔だったとうこともありました。鼻の位置も、顔の大きさも体の向きさえも!そこを深夜に通るとなんとも不気味な感じを醸し出していました。子ども達はどんな感想かといえば、「みんなとおんなじかおがかけて、うれしかったです」でした。何か、大事なことが抜け落ちてしまっています。


廊下の掲示物をそろえることに始まり、行事や授業をこなすことで精一杯。または、そろえることで安心してしまい、何のために取り組んでいるのか、どんな子ども達を育てたいのかが抜け落ちてしまっています。


困ったことに、そういう学年団こそが、どこか満足げで学校に大きく寄与していると勘違いしてしまっています。大人はそれでいいのかもしれませんが、子どもはたまったものではありません。本当は好きな絵を自分の思いをもって、好きなように描きたいのが子どもですから。


学校現場には団塊の世代がぬけて、希望を大いに持った若い先生たちが大量採用されました。しかしこのような学校組織では、新しい実践に取り組もうとしても、管理職や学年主任から目をつけられ、「学年の輪を乱すことはやめてほしい」「言っていることは分かるが、それができるとはとうてい思えない」「保護者からのクレームの対象となる」と、指導されてしまいます。「これまでやってきていない」という理由で、「例年通り」を継承する行政組織のように、教育現場では入れ子のように実践の自由さえも封印される若手教員の悲鳴が聞こえてきます。★


このような学校現場では「例年通り」がまかり通り、何か新しく変えていくことができないのでしょうか。思いのある(または、気の合う)学年主任や管理職と運良く出会えることを待つしか未来はないのでしょうか。または、自分がその立場や役職につくまで、ガマンしながらもひっそりとやり過ごすしかありえないのでしょうか。


学校現場をよりよく変えていける取り組みは、まだまだできることがたくさんあります。学年内でそろえようとすることは、不安の表れです。保護者からの指摘や管理職からの評価など、自分を守ろうし、身動きができない状態にいます。そこを情熱で押し切ろうとたり、正論で説得しても対立しか生まれません。学年主任や管理職の持つ不安やストレスを軽減できるよう、こちらからサポートすることから始めてみるのはどうでしょうか。


明日の授業を一緒に考えたり、単元の見通しやアイデアを提供したり、もちろん事務仕事も率先してやっていくこと。時にはその先生が得意とする実践を一緒にやってみる中で、その先生の持つ思いに触れるのも大きな支援となるはずです。よりよい関係を築いていく中で、次第に耳を傾けてくれるようになってくるはずです。このような支援的な関わりを、サーバントリーダーシップと言われています。


このようなリーダーシップをアメリカのロバート・グリーンリーフ博士は「サーバントリーダー」と呼びました。リーダーはまず相手に奉仕し(サーブし)、その後、相手を導くものであるという考え方に基づきます。このようなリーダーシップは立場に影響されずとも、発揮することが可能です。もちろん、子ども達と関わる際の授業のカンファランス(個別指導)でも、大いに役に立ちます。


“サーバントリーダーは、第一にサーバント(奉仕者)である。はじめに、奉仕したいという気持ちが自然に湧き起こる。次いで、意識的に行う選択によって、導きたいと強く望むようになる。(中略)しっかり奉仕できているかどうかを判断するには、次のように問うのが最もよい。奉仕を受ける人たちが、人として成長しているか。奉仕を受けている間に、より健康に、聡明に、自由に、自主的になり、みずからもサーバントになる可能性が高まっているか”
ロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントであれ奉仕して導く、リーダーの生き方」(Kindleの位置No.63-69)★★


今、先生方はこういった高度なコミュニケーションのやりとりができなければ、本当に学年を、学校を変えていこうとする仕事にまでなかなかたどりつけません。しかし、学年の先生とつながり、学年主任や管理職の力になれること、支援し続けるはある意味、自分の学級だけではなくその学年の先生達の子ども達にも影響を与えています。そう考えると、サーバントリーダーシップは、役職を越えて学校を変える可能性があります。


★昨今では、「学校スタンダード(例えば、呼ばれたらハイッ!と返事する。授業の問題は定規を使って四角線で囲むなど)」という、各校の例年通り、どの学年でも同じ指導へとするルール作りが広がっています。たしかに、若い先生方にとっては、ある一定のやり方である「学校スタンダード」は必要でしょう。しかし、全てにおいてそのような上意下達のルールを押しつけることがよいのでしょうか。管理的でありすぎず、子ども達に出会う大人の1人として、先生こそが多様な存在であってほしいものです。


★★
サーバントリーダーを振り返る視点に以下の10個あります。①傾聴、②共感、③癒やし、④気づき、⑤説得、⑥概念化、⑦先見力、⑧執事役、⑨人々の成長への関与、⑩コミュニティづくりなど。興味のある方は「サーバントであれ奉仕して導く、リーダーの生き方」ロバート・K・グリーンリーフ著が参考になります。また、サーバントリーダーシップについて詳しく知りたい方は、グリーンリーフの「サーバンドリーダーシップ」が厚めの本ですが、参考になります。

2018年7月8日日曜日

プロジェクト・ワークショップの増補版『作家の時間』



 プロジェクト・ワークショップは、欧米で主流になりつつある極めて効果的な教え方の一つであるワークショップの学び方・教え方を日本の実情にあった形で実践し、その学び方・教え方を各教科領域で普及させることを目標としたチームです。そして、その取り組みの第一弾が『作家の時間』でした。
『ライティング・ワークショップ』(ラフル・フレッチャー&ジョアン・ポータルピ)を参考にしながら、書くことを好きにするだけでなく、自立した書き手を育てるための教え方・学び方を日本の小学校の先生たちが実践してまとめました。
 作家の時間では、書き手は、友だちや教師と助け合って学び、より良い書き手へと成長していきます。『作家の時間』もまさしくその学び方にのっとって、プロジェクト・ワークショップのメンバーで助け合いながらつくりあげました。
 今回の増補版には、中学高校での実践を加えました。ちょうど10年前にスタートさせた「作家の時間」の中高チームと英語チームのメンバーに声を掛けて、原稿を追加しています。(小学校での実践の部分は、変更なしです。)

 プロジェクト・ワークショップは、「書く」こと以外を学ぶときにも、ワークショップがきわめて効果的だと考えています。ワークショップの教え方は、学習者を主体的な学び手に変え、教室を学習者にとっても教師にとっても学びを楽しみながらも、学習内容を身につけることができる場に変えていくと確信しています。

本書の続編として、「読み」の新しい学び方・教え方を紹介している『リーディング・ワークショップ』(2010年)と『読書家の時間』(2014年)がすでに出ています。

 上記以外にも、メンバーが『「読む力」はこうしてつける』(2010年)、『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』(2013年)、『理解するってどういうこと?』(2014年)、『たった一つを変えるだけ』(2015年)、『算数・数学はアートだ!』(2016年)、『好奇心のパワー』(2017年)、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』(2017年)、『PBL 学びの可能性をひらく授業づくり』(2017年)、『「学びの責任」は誰にあるのか』(2017年)、『増補版「考える力」はこうしてつける』(2018年)、『読み聞かせは魔法!』(2018年)、『言葉を選ぶ、授業が変わる!』(2018年)、『最高の授業』(2018年)、『イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室』(2018年)などの執筆や翻訳に関わっています。

 また、ライティング・ワークショップ(WW)とリーディング・ワークショップ(RW)関連の継続的な情報提供を目的とした「WW/RW便り」というブログ(Facebookは「RW/WW便り」)を、2010年の5月から毎週金曜日に出しています。さらに、メンバーがライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップの研修会も随時実施しています。

 この「PLC便り」は、WWRWの原理を学校経営というか教師の継続的な学びに応用したブログ/Facebookと捉えることもでき、2011年の10月から毎週日曜日に出し続けています。学校経営と教員の学びということに関しては、「ボタンの掛け違い」が多すぎです。その最たるものが、「研修」と「研究」かもしれません。どうも、そう言った途端に「思考停止」状態になりませんか?

 なお、国語以外の教科への応用プロジェクトとして、現在、「数学者の時間」「市民/歴史家の時間」「科学者の時間」を実践中で、できるだけはやく、これらの実践記録を皆さんにお届けしたいと思っています。
 日本での実践記録よりも前に、算数・数学用には『数学的思考を育む(仮題)』(2018年)と、理科用の『科学的探究心を育む(仮題)』(2018年)の翻訳本を先行して出す予定でいますので、お楽しみください。

◆ 『作家の時間』増補版の割引情報
1冊(書店およびネット価格)2376円のところ、
PLC便り割引だと    1冊=2000円(送料・税込み)です。
5冊以上の注文は     1冊=1800円(送料・税込み)です。

ご希望の方は、①冊数、②名前、③住所(〒)、④電話番号を 
pro.workshop@gmail.com  にお知らせください。

※ なお、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが出ることがありますので、予めご理解ください。

2018年7月1日日曜日

メンターとしての指導主事の成長と悩み


県教委が実施する英語教員研修のサポートを依頼された。その時の私からの提案は、講演や演習のみの集合研修タイプのものはやめようというものだった。その代わりに、二つのことを実践することにした。一つは、参加者が、教室において、自らの力量を伸ばすことのできる長期的、継続的な研修を行うこと。もう一つは、研修を企画運営する側の指導主事も一緒に学ぼうというものだった。

参加者は、テーマを決めて、各自の学校で、小規模な実践研究(アクション・リサーチ)を行ない、指導主事は、メンタリングについて学びながら、メンターとして受講者をサポートする新しいタイプの研修がスタートした(「自律型共同研究による英語教員研修の実施とOJTによるメンターの育成」,教員研修モデルカリキュラム開発事業, 教員研修センター,2010-2012委託事業)。そのうち、今回は、メンターとして関わった指導主事の皆さんのことを書いておきたい。

指導主事グループの研修には3つ目的があった。
(1)メンタリングの理解
メンタリングに関する本(福島正伸(2005)『メンタリング・マネジメント』(ダイアモンド社)を、オンライン・ブッククラブで読み、意見交換をしたり、情報を共有する。
(2)メンティー(受講者)の理解
電話、メール等による相談、授業参観、面談を行い、その結果をジャーナルに記録する。定期的に、メンター会をもち、そのジャーナルの報告や情報の共有をすることで、より深い受講者理解を図るとともに、必要な支援策を考える。
(3)メンタリング・スキルの定着
メンタリングの事例研究と振り返りのセッションをもち、メンターとしての成長を確認するとともに、自身の課題を明らかにする。

1人の指導主事が、6〜8名の受講者を担当し、他にも多くの業務を抱えた中で、彼ら、彼女らは、熱意をもって、メンタリングを学び、そして、メンティーを支え続けた。また、メンター会での事例研究や振り返りを経て、メンターの間にも良い人間関係が形成されていくことが見て取れた。

年度末に、メンターの振り返りのワークショップを行い、成果と課題をまとめた。

メンターとしての成長と気づきとして、次のようなことが出された。
1)自分自身の強みや課題の発見することができた。
2)メンティーの成長を確認できる喜びを実感した。 
3)メンタリングを通じて身につけた知識やスキルの通常の業務への応用ができた。

ワークショップ後に書いてもらった振り返りには、「他のメンターや講師の先生から自分自身の関わり方を認めてもらったり、自分の発言を価値付けてもらったときに喜びを感じた。」(メンターK指導主事)とある。

一方、課題として次の3点が出された。
1)時間的制約が厳しい。メンティーともっと関わりたいと感じた。今後は、職場内での同僚とのピア・メンタリングなどが必要ではないか。
2)教科(外国語教育)の専門的知識の不足を実感した。メンターの自己研修も必要だが、大学などの専門機関との連携も不可欠。
3)待ち(傾聴)と攻め(リーダーシップ・指導助言)のバランスの判断が難しい。受講者の現状と行政からの要請の板挟みで悩んだ。

振り返りの言葉には、メンターとして関わった時のもどかしさが読み取れる:

「傾聴と待つということを意識した。できるだけ相手の話してもらえるように問いかけた。すいぶん待った。実は何もしなかっただけかもしれない。でも、そんなことを考えている自分は、あきらかに6年前にはいなかった。」(メンター I 指導主事)

「「私の中にあなたの答えはないよ。」「でも一緒に歩いて行く覚悟はあるよ」ということを相手に伝える覚悟をもつことが、私かなあと思っています。「信頼され、尊敬される理想のメンターではないけれど、腹が立っても、がっかりしても、メンティーを信じ続けたいと思っています。」」
(メンター Y指導主事)

メンターとして関わることは、簡単ではなかったようだ。指示や管理をしている方が、簡単なのだろうとの意見もあった。しかし、その悩み抜いたプロセスは、メンター自身の成長ももたらしていた。

オンライン・ブック・クラブでみんなで共感しあった一節がある。

「人は自分の力で成長しようとしない限り、成長することはできない。」(福島,2005,p.24)

皆、これを実現しようと努めた。必ずしも、大成功を収めたわけではなかったが、メンティーとともに、学び続けたメンターの姿には心打たれるものがあった。自分の力で成長しようとするメンターの姿がそこにはあった。