普段努力すべきところをおろそかにしている人ほど結果や成果が気になるし、そこで自分(ここでは教師)が、対象となる人(ここでは児童・生徒)にプレッシャーをかけて責任逃れをするのではないですか?
例えば、まともな授業ができない先生ほど「ここはテストに出る範囲だから、しっかり勉強しておけ。」とか、「お前らは、努力(学習意欲)がないからこんな成績しか上げられないのだ。」とか…。自らの努力や精進はさておいて。
自分で教材研究をして授業に真摯に臨む人は、自らの力不足を反省するものです。一般社会人であっても謙虚な人はそうなのではないでしょうか。そのことを指摘できる管理職はどの程度いますか?もっと言わせてもらえば、そのことに気付かない管理職(リーダーというよりマネジャー)が多いのではないでしょうかね。残念ながら…。
まさに書かれているとおりだと、私も思います。
教師も、管理職も、教育委員会も、文科省も、悪循環の中でもがいている(もがいていること自体気づいていない、あるいは気付いていても、見て見ない振りをしている)人が多すぎるのが残念ながら現状です。
Mさんは指導主事や校長をされた方ですから、そういうことはすべてお見通しなわけです。
似たような話を1年半ほど前に6~7人の熱心な先生たちとしました。
「蝶として教師になった先生たちも、1年もしないうちにほとんどが蛾になってしまう。
学校の中に組み込まれている諸々が、1年もしないうちにみんなを蛾にしてしまう。
学校というところは、蝶でいることがとてつもなく難しいところだ」という内容でした。
Mさんの指摘や、「蝶を蛾にする」文化をもってしまっている学校および教育システムであるということをしっかり
⇒ 認識する・自覚することからしか始まらない!!★
と私は思っています。
そこで、今回は「授業に真摯に臨む教師」「蝶であり続けたい教師」「情熱★★をもって教え続けたい教師」への10の提案を紹介します。
<以下はメルマガの続き>