2016年10月30日日曜日

魅力ある職場をつくるには


魅力のある職場を作るには
     

学校を訪問して、職員室に入るとだいたいその学校の組織の雰囲気がわかると言われます。今でもときどき学生の教育実習の際に小学校を訪問することがあります。特に、放課後に訪問すると、とても活気のある職員室もあれば、多くの職員が下を向いて黙々と仕事をしているところもあります。

活気のない職場は、お互いがたこつぼに入って、あまり他人に関わりたくないという感情に支配されているケースが多いようです。あるいは人のことに口出しして、余計なトラブルに巻き込まれたくない、そんな気持ちもあるのでしょうか。

 
    組織開発・人材開発に携わる高橋克徳氏によると、「今、日本の職場の五割は明らかな問題を抱えており、七割の職場が活力のないものになっています。」とその著書(『ワクワクする職場をつくる』実業之日本社2015)の中で述べていますが、その数字の妥当性はともかくとして、学校に限らず、かなりの職場が「いきいき」とした状況にはないようです。

さきほどふれたように、「たこつぼ」型の職場は、「言われたことだけやればいい」「余計なことをしてミスして、責任を取らされたら損だ」という雰囲気が蔓延している職場です。

最近はコンプライアンスや個人情報保護など、気をつけなければならないことが以前よりも多くなり、また成果主義が求められるようにもなってきていることもその大きな要因だろうと思います。

 
このブログのタイトルでもある「学びの共同体」というフレーズは、教育関係の書籍や雑誌等にも紹介されることが以前よりも増えていますが、「言うは易く」です。

この国の教育界では、「理想的な美辞麗句」が様々なところで用いられていますが、その現実との落差には目を覆いたくなるものがあります。
     

さて、今回「魅力のある職場」を取り上げるにあたって、「人が働く理由」「モチベーションとは何か」などについてもしばらく考えてみました。

「人は何のために働くのか」

実に古くからの課題であり、様々な人々によって繰り返し語られてきたことです。

「お金のため」「名誉のため」その理由は人それぞれですが、やはり「だれかのために役立ちたい」ということが最終目標でしょうか。学校教育であれば、「子供たちのために」です。

 次世代の社会をつくると言えば大げさですが、教師にとっては「子供たちとのかかわり」が「生きている自分を実感できる」からではないでしょうか。

 そのように個々の教師がイキイキと活動できるためにも、学校という組織もイキイキとする必要があります。そこには、管理職やミドルリーダーのリー―シップが必要ですし、部下職員の立場からはそのリーダーシップについていく「フォロワーシップ」が大切なのだと思います。
   
 これまでも教育の内容を改善しようとして、具体的な仕組みを変えていくことがしばしば行われますが、仕組みだけではその中にいる人間の行動は変わりません。やはり、危機感や思いをもった人たちがどうにかしたいという思いを共有して、動き出すのが一番です。

 先週の『一人ひとりが「変化の担い手」にある方法』も参考になります。もう一度読み返してみてください。
     
また、参考図書として『効果10倍の(学び)の技法 シンプルな方法で学校が変わる! (吉田新一郎・岩瀬直樹PHP新書2007)を具体的に動き出す際のヒントにされるとよいでしょう。

 
※この原稿を書いていた27日に、文科省の2015年度「問題行動調査」の結果が公表されました。それによると「いじめ」の学校による認知件数は過去最高の224,540件とのこと。

28日の毎日新聞の記事に、森田洋司・鳴門教育大特任教授による「自殺などの深刻な事態に発展するケースは教員同士の情報共有がうまくいっていない場合が多い。何か問題を見つけても、教員は責任感から1人で解決しようと考えがちだが、素早く組織的な対応をすることが苦しんでいる子供を救うことにつながる」という発言が掲載されています。

まさに「情報共有」「組織的対応」は、「いじめ」だけでなく、「魅力ある職場づくり」の基礎となる項目です。

2016年10月23日日曜日

一人ひとりが「変化の担い手」になる方法


教育の世界で、改善、変革、改革が必要であることは長年言われ続けてきたことです。
しかし、それが実現される兆しはまったくありません。
それらが言われたり、書かれたりするだけでは、何事も変わりません。
言ったり、書いたりすることではなく、実際の行動を起こすべき時です。

いまの時代(特に、ディジタルな世界)に学校という仕組みや機能がマッチしていないのではないか、という共通認識を多くの人が持ち始めています。これまでの世界ではなく、これからの世界を生きていくのに必要な知識やスキルを学校は扱っていない、ということです。

必要な改善、変革、改革を、文科省や(その下請け機関である)教育委員会が起こせないことは、過去数十年の体験を通して誰もが認識しています。そして、意味のある変化は、個人のレベルでしか起こらないことも。個人の継続的な努力が、学校や教育委員会を動かすことも。一人ひとりの教師(そして、生徒も!)が変化の担い手です。学校や教育委員会レベルのリーダーたちにできることは、教室単位の改善や変革を可能にするために、そのための壁を取り払い、教師たちに新しいことに挑戦することを奨励し、自主性を促し(権限を提供し)、そして元気づけ/サポートすることです。もちろん、教師が相互に元気づけ/サポートし合うことも不可欠です。それこそが、最も大切で、難しく、そして満足の得られることです。

一人でも多くの教師が、教育を改善・変革する担い手となるためにできる具体的なこととしてどんなことが考えられるでしょうか?

     モデルで示すのが一番! 同僚にしてほしいと思うことを率先して示す(言ったり、考えたりするのではなくて、行動する) ~ そのためには、情報収集は大切!
     あなたが求める改善・変革に関する情報を共有する。
     脈のありそうな同僚を、自分と一緒に意味のある研修の場に誘う。来てくれない時は、事後の報告を、行かなくて損をしたように思わせる紹介をする ~ よりベターな方法は、自分が研修で学んだことを実践しているところを実際に見てもらう。
     教員たちが自己規制してしまっていること(結果的に、改善・変革をしないという選択をしてしまっていること)に、果敢に挑戦する。
     自分たちで変化が起こせてしまうことをモデルで示すだけでなく、同僚のサポートをして、変化を起こさせてしまう ~ 「変化の担い手」になってもらう!
     自分たちが当たり前と思ってきたことを改善することで、子どもたちの学びや成績が向上するのをしっかり記録や数字で見せる ~ いい記録を取ることは大切。
     辛抱強く待つ ~ 子どもたちと同じように、同僚たちもスンナリは変われない!
     子どもたちを巻き込む。学校は子どもたちのニーズを満たすところ。子どもたちも変化の担い手になってもらう。教師にいつも動かされている子どもたちではなく、自分たちで考えて行動する主体になってもらう ~ これは、授業でも、行事でも。(言われたら大人しく動く子どもたちの方が楽だが、そういう子どもたちを育てることが学校の目的ではない!)
     いい関係を築くことに努力する ~ 何事も、そこからしか始まらない。相手が、同僚であろうと、子どもたちであろうと。

「変化の担い手」に興味を持たれた方、もっと詳しく知りたい方は、『エンパワーメントの鍵』をご覧ください。

参考: ASCD ExpressJuly 28, 2016”Leaders Can Remove Barriers for Change Agents” by Eric Sheninge


2016年10月15日土曜日

先週の話題へのコメント


先週の話題「『ありがとう、さようなら』を読んで」についてコメントします。

 
私もこの記事を見るまで、この本のことは知りませんでした。

早速、取り寄せて読んでみました。
   

しかし、よくも悪くも、日本人が書く学校というのはこのレベルなんだろうな~、と思わされました。 何も変わっていかない、ということも含めて。

➡読んでみて、パートナーがこのような感想を抱いた理由が理解できました。

 
彼女の目はあくまでも作家の目や、なりたい教師になって満足している教師の目であって、よりよいものを子どもたちに提供することに生きがいを感じる教師の目ではないのです。

➡書かれている内容は、ほとんどすべてが授業以外の話です。体育祭、文化祭、修学旅行といった学校行事の様子や生徒会など。確かに、学校行事等で盛り上がったり、生徒と一緒に何かを作り上げたりするという面白さはあると思います。学校行事が果たす役割も重要です。しかし、授業以外は所詮脇役なのです。やはり主役は日々の授業。この授業の楽しさや面白さが語られなければ、学校教育を語ったことにはならないでしょう。
   

たとえば、理科の授業で目の前で起きた現象の裏側の「目に見えない」原理や法則がわかったときの不思議さや面白さ。歴史の授業で、歴史的な出来事の背景にある人々の苦悩や葛藤、思い、不条理なことなどを知ること。そのような場面を仲間とともに学ぶ喜び。あるいは生徒とともに、また保護者や地域の人々のサポートを得ながら学習活動を展開していく授業づくり。本来ならば、そのような授業の場面こそ、学校をテーマにした物語に相応しいと思います。
   

『ありがとう、さようなら』のような本が、世に出る仕組みや構造(=日本の出版のあり方やそれを取り巻く社会のあり方)まで考えさせられてしまいました。

➡授業づくりに関係する翻訳本などを出版することの難しさを知ると、今の出版業界のあり方について考えさせられます。

 
物理教育に長年携わっていた川勝 博さんが書かれた「理科教育法講義」(海鳴社2016)には、理科のカリキュラムづくりに取り組む教師や教師志望の学生たちの様子が描かれていますが、そのような取組が学校の中でもっと広まっていくといいなと思います。
   

※この文章を書きあげた後に、レイフ・エスキス「教師としていちばん大切なこと」を手にすることができたので、少し読み始めました。こちらはやはり授業の中での子供とのやりとりや子供たちのためにどんなことができるのかを懸命に追究した教師の物語が描かれています。彼我の差は大きいです。

 

2016年10月9日日曜日

瀬尾まいこ著『ありがとう、さようなら』を読んで


どういう経緯でこの本を読むことになったのかは 覚えていません。

現役の中学校の国語の先生をしながら、文学賞を3つもとりながら作家・執筆活動をされている方とか。(これを書いた当時は。いまは、執筆業に専念されているようです。)
ウィキペディアには「日常生活のなかにある温かな気持ちを描くのが秀逸で、いずれの作品も読後に じんわりとした感動を与えてくれる」と書いてあります。(いま探しましたが、この引用箇所は見つかりませんでした!)

しかし、よくも悪くも、日本人が書く学校というのはこのレベルなんだろうな~、と思わされました。
何も変わっていかない、ということも含めて。

彼女の目はあくまでも作家の目や、なりたい教師になって満足している教師の目であって、よりよいものを子どもたちに提供することに生きがいを感じる教師の目ではないのです。

たとえば、2冊の翻訳が出ているレイフ・エスキスが書いている本など比較してしまうと...
(ランディ・パウシュの本もかな?)

『ありがとう、さようなら』のような本が、世に出る仕組みや構造(=日本の出版のあり方やそれを取り巻く社会のあり方)まで考えさせられてしまいました。★★★

上に書いたことって、RW★やPLC★★とは関係ないでしょうか?
それとも、関係ありますか?

ぜひ、反応をお願いします。

★★ http://projectbetterschool.blogspot.jp/ で扱っているテーマのことです。
★★★ 実は、今回紹介している文章のオリジナルを書いたのは6年半前の2010年1月でした。( )は、今回付け足しました。従って、今となっては「『ありがとう、さようなら』のような本」の中には、このブログでも紹介した木村 泰子著の『「みんなの学校」が教えてくれたこと: 学び合いと育ち合いを見届けた3290日』も含まれる気がします。
でも、売れないのを分かっていながら、イギリスの学校の紹介本を出してくれる出版社がまだ存在していることが救いです。
★★★★ 瀬戸さんは作家としては優れていると思います。たくさんの子どもたち(と大人たちも?)の指示を受けていますから。単に、優れた作家=教育の担い手あるいは変革者ではないということだと思います。(しかし、このズレによってつくり出される間違ったイメージを修正することは、容易ではありません。)


2016年10月2日日曜日

授業改善を促す学びの共同体(PLC)


4週間前のPLC便りでは、校長のサーバント・リーダーシップとPLC及び授業改善との関係が取り上げられ、さらに2週間前には、サーバント・リーダーになるための方法が紹介されました。

今回は、教師個々の授業改善に直接の影響を及ぼす学校内のPLC・教師同士の学びの共同体について、考えてみました。

 PLCを形成・構築し、さらに活性化するための条件は、大きく分けて次の4つであると思います。

1 PLCを支える学校組織風土・学校文化の醸成
2 ビジョンの共有
3 授業実践や学習に関する情報共有
4 チームによる学びの推進

 この中の1に関する実践について、私自身の学校現場での経験に基づいて、紹介します。

 教師同士の学びの共同体PLCが形成されるためには、まず、その土台として次のような「学校文化・学校組織風土」が醸成されていることが必要です。
① 教職員一人一人、子どもたち一人一人が、「かけがえのない存在」として大切にされている。
② 初任者やベテラン教師、管理職を含め、良い意味でお互いに何でも言い合える「温かく受容的な人間関係・雰囲気」がある。
授業改善などに関する新しい取り組みやアイディアを受け入れ、「試行錯誤」したり「チャレンジ」したりすることが奨励されている。
教師一人一人が、自分の担当する学級や学年の子どもたちのことだけでなく、学校全体の子どもたちのことを考え、子ども一人一人の「成長と学びに対する責任」を意識している。
⑤ 困っている教職員がいると、学年や教科、分掌を超えて「情報提供」をしたり、親身になって「相談」に応じてくれる仲間がいる。

 以上のことは、それぞれが学校教育を進めていくうえで、「当たり前のこと」「常識」「基本的なこと」であると思われることです。

 しかし、実際の学校現場では、これらの学校教育の「常識」「基本」「当然のこと」と考えられていることが、なかなか実現されていないことが、往々にしてあるのです。

◆学校に勤務する誰もが、学校教育を担う一人のメンバーとして、子どもたちのために、学校のため、誰かのために役に立っているという教職員としての「自己有用感」をもって、日々の教育活動にあたりたいと思っているはずです。そして、教職員一人一人に、「私たちの学校」「うちの学校では」という我々意識、つまり、学校に対する「所属感・帰属意識」をもってもらえるようにすることが、授業改善に直接つながるPLCの形成・構築にとっても、極めて重要なことです。

■私は、校長のときに、学期ごと(正確には、7月、10月、12月、3月の年4回)に、事務職員や栄養士なども含めた教職員全体で、「ありがとうカード」という構成的グループ・エンカウンター(以下、SGE)のエクササイズを実施していました。目的は、教職員一人一人の「自己有用感」を育て、「教職員同士の温かな人間関係」を創ることです。

このエクササイズは、ご存知の方も多いと思いますが、教職員それそれが、その学期をふりかえり、他の仲間(同僚:先輩・後輩、管理職)とのそれまでの「かかわり」を思い出して、仲間からの「言葉かけ」や「してもらったこと」、「助けてもらったこと」、「嬉しかったこと」などを、一人につき1枚ずつ「ありがとうカード」に書いていくのです。そして、そのカードを、「ありがとう!」「ありがとうございます!という感謝の言葉と一緒に仲間に手渡しするというものです。学級担任のときは、もちろん、このエクササイズを自分のクラスで、学期ごと、さらに学校行事の「ふりかえり」として行ってきました。

■もう一つ、年度の途中10月から、私が校長として勤務していた学校に初めて赴任してきた転入職員(学級担任としての経験もほとんどない講師)が、学校のシステムや子どもたちの実態を早く知り、学校教育を推進していく大切なメンバーの一人として、見通しをもって、不安なく学級担任として、力を発揮してもらうために行ったことがあります。

それは、毎日、放課後30分程度、学年職員全員(といってもわずか3名の学級担任、うち一人は初任者)が校長室に集まり、学年主任(校内事情で10から初めて学年主任をすることになった30代前半の教師)が中心となって、その日の各学級担任の「ふりかえり」と「明日の授業実践や学年の動き・学校行事の確認」を行い、転入職員からの質問を受けて、わからないことや不安なことがないようにするというものでした。

校長の私は、自分の椅子に座っていて、たまに私がわかないことを質問する程度で、ほとんど見守っているだけでした。校長室での放課後の毎日のこの取り組みは、1カ月ほど行いましたが、その後は、学年職員だけで転入職員の教室や学年主任の教室で継続して、年度末まで行われました。