2023年9月23日土曜日

一人ひとりをいかす学習を実践するために(続)

   前回に引き続き、「一人ひとりをいかす学習」をつくるにはどうすればよいかを考えていきます。まず、授業計画を立てるにあたり、その単元の目標を確認することから始めます。

例として、私自身はもともと中学校理科教師でしたので、中学校理科を取り上げることにします。単元は、中学1年生の生物分野とします。

 1年生は入学後の最初の理科授業で、生物分野の「いろいろな生物とその共通点」からスタートすることが多いと思います。中学校学習指導要領・解説編「理科」では、目標として次のような内容を掲げています。

(1)いろいろな生物とその共通点  

身近な生物についての観察,実験などを通して,次の事項を身に付けることができるよう指導する。

ア いろいろな生物の共通点と相違点に着目しながら,次のことを理解するとともに,それらの観察,実験などに関する技能を身に付けること。

イ 身近な生物についての観察,実験などを通して,いろいろな生物の共通点や相違点を見いだすとともに,生物を分類するための観点や基準を見いだして表現すること。

  続く説明の中で、次のように解説しています。

「ここでは,理科の見方・考え方を働かせ,身近な生物についての観察,実験などを行い,いろいろな生物の特徴を見いだして生物の体の基本的なつくりを理解させるとともに,見いだした特徴に基づいて生物を分類するための技能を身に付けさせ,思考力,判断力,表現力等を育成することが主なねらいである。」

ねらいの中の「生物の体の基本的なつくりの理解」は知識にあたります。「技能を身に付けさせる」は、顕微鏡やルーペなどの観察器具の正しい取り扱いということになります。最後の「思考力、判断力、表現力等」ですが、これは生徒の活動の様子からどう評価すればよいのでしょうか。それに対して、この解説では、「話合いや,レポートの作成,発表を適宜行わせることも大切である」と答えています。

さて、目標はつかめました。そこで、上記の目標が達成されたかどうかをどのように評価したらよいかという「評価」の問題に入ります。目標に対する評価をまず先に考えて、それから学習活動を考えることを「逆向き設計」と呼んでいます。かつては、まず「学習活動ありき」で、評価は後から考えればいいということで進んでいた時代もありました。

しかし、それでは目標に合った適切な評価が行われないことが多かったと思います。結局、中学校では知識理解中心で、ペーパーテストのみで評価していたように思います。

顕微鏡などの観察器具の扱いを評価するには、パフォーマンス評価が最も効果的です。これは、教師が一人ひとりの生徒を評価するやり方だけでなく、グループ内の相互評価も取り入れることもできます。また、最後の「思考力、判断力、表現力等」は先ほどの解説編にもあったように、「話合いや,レポートの作成,発表を適宜行わせること」も一つの方法です。特にレポート作成は一般的な成果物ですが、「思考力、判断力、表現力」を見ていくためには、これ以外にもさまざまな方法があります。

前回もご紹介した邦訳進行中の『Power Up(原著タイトル)7章のなかに次のようなアイディアがあります。

「ビデオ、ポッドキャスト、ウェブサイトとブログ、ディジタル・ポートフォリオ、マルチメディアのプレゼンテーションなどといったプロジェクトの種類ごとに、基本ルーブリックを補足するそのプロジェクト固有のルーブリックの基準が含まれています。また、生徒のプロセスの成績を考慮したステップも含めました。」

このなかには、すぐにはできないものもあるでしょうが、「プレゼンテーション」などは多くの学校で実現可能であると思います。たとえば、最後の「プレゼンテーション」を成果物として考えれば、次のような学習プロセスが考えられます。

(1)  全体構成・コンセプトを考える

(2)  スライドの流れ(ストーリー)を考える

(3)  台本の作成(スライド下部にある発表者ノートに生徒は台本を書く)

(4)  画像の収集と編集

(5)  発表の練習をする 

このように成果物(評価対象)を決めることにより、学習の流れを考えることができます。

「指導と評価の一体化」とはこのようにして初めて実現できるものです。

私も中学校で理科を教えていたころは、いつも指導のことばかり考えていて、評価は後回しでした。今思えば恥ずかしいことです。せいぜいペーパーテストで測ったつもりになっていただけでした。 

さて、成果物の作成については、このような流れで進めることができますが、学習指導要領にある「知識・技能」については、どうすればよいでしょうか。「知識」の習得に関しては、『ようこそ,一人ひとりをいかす教室へ』がヒントを与えてくれます。(同書111ページ)

「クナード先生はクラス全員を対象に語彙を「前倒しで教える」ことはしません。生徒の中には、すでにそれらを知っている子もいますし、教科書やクラスでの話し合いの中で学べる子もいるからです。」

生徒のレディネスが異なりますから、サポートの必要な生徒には、先生が直接教えています。それが必要でない生徒は先生があらかじめ用意した課題を個別に進めたり、小グループで学んだりするような形を取るわけです。このように一つの教室のなかで、課題ごとに場所を指定して「コーナー」をつくり、生徒はそれぞれ自分で、どのコーナーで学ぶかを選択できるわけです。

また、「技能」の目標である「観察器具の操作」などについても同様に観察器具や観察対象の種類によって、コーナーを設置することも可能です。

このようなやり方は現在の学校の環境でも充分に実現可能です。ぜひ、一つの単元、あるいは小単元で「徐々に」初めの一歩を踏み出してはいかがでしょうか。

次回(10/29)は評価の問題を取り上げたいと思います。 

2023年9月17日日曜日

『一人ひとりを大切にする学校』を読み直して

私(杉本智昭)は私立の中高一貫校で生徒指導を担当しています。生徒指導部は中学1年生から高校三年生までの各学年の担当者1名と私の7名からなり、従来のリアクティブな生徒指導や文化祭などの行事のサポートの他、学校がさらに良くなるように、あいさつやタイムマネジメントなどの発達支持的生徒指導や性非行防止プログラムなどの課題予防的生徒指導に取り組んでいます。

昨年度、タイムマネジメントを担当している教員から、生徒がより主体的に時間管理ができるように「チャイムを鳴らさない」ようにしてはどうかという声がありました。私も生徒が自分自身で時間管理ができるようにチャイムを鳴らさないことを考えていましたので、学校のコア会議で提案をしてみたところ、猛反対に合いました。一番の理由は「遅刻の管理ができない」というもので、私はまったく理解ができませんでした。なぜなら、教員自身が時間を守っていれば、生徒は時間を守るからであり、たとえ生徒が遅刻してきたとしても、生徒と教員に信頼関係があれば、チャイムがないことで問題が起こることはないと考えているからです。

早いもので『一人ひとりを大切にする学校』を出版されてちょうど1年が経ちました。『一人ひとりを大切にする学校』は著者のリトキーがMETthe Metropolitan Regional Career and Technical Center)で行っている、一人ひとりを大切にする教育実践が書かれた本です。読み返してみると、改めて多くのことに気づかされました。例えば、前述のチャイムのことについて著者のリトキーは「(生徒がトイレなどに行きたいときに必要な)許可制も、チャイムも、校内放送も、失礼なやり方です」(p. 55)と書いており、私たち教員がいかに学校を「リアル」な世界と違うものにしようとしているかを指摘しています。考えてみると、リアルな社会で私たちはトイレに行く許可を誰かから得るでしょうか? 私たちがしている仕事の内容をチャイムごとに切り替えているでしょうか? また、リトキーはかつて訪問した学校で、一人の生徒をシャドーイング★した経験から、次のように書いていました。

生徒に対して教師がいかに一方的に話をしているかに気づき、また教師の都合で意 味もなく、生徒のしていることを止めたり、強制的に始めさせたりしていることが信じられませんでした。その生徒の一日のうちに起こったことは、それぞれまったくつながっていませんでしたし、自分の存在が価値のあるものであり、自分の声がしっかり聞き入れられているとその生徒が思えるような出来事は何一つありませんでした。

リトキーはこの経験から、「その生徒に対する敬意と信頼が欠如していることをはっきり感じました」(p. 55)と書いていますが、果たして私たちのしていることはどうなのかと改めて考えてしまいます。

リトキーは「敬意」についても書いています。

アメリカの教育では、「敬意」と聞くとほとんどの人が、生徒が教師を名字で呼び、『はい、先生わかりました(yes, sir)』と言ったり、教師や校長の前でおとなしくしておくということを思い浮かべます。私にとっての敬意とは、生徒や保護者、校務員など、あらゆる人やあらゆるものに向けられるべきです。私たちは他者、自分自身、そして学校の校舎に対しても敬意を抱き、それを表さなければなりません。(p. 68

では、どのようにして私たちは生徒に「敬意」を表すことの大切さを伝えることができるのでしょか? リトキーは言います。

生徒が敬意を払うようになるには、彼ら自身が敬意を払われていると感じていなければなりません。(p. 68

私たちは生徒にあらゆる人に対して「敬意」を払うことを求めますが、私たちの生徒は私たちに「敬意」を払われていると感じているでしょうか? 私たちが間違ってはいけないのは、「敬意」を払うということが生徒に対して丁寧に接することとイコールではないということです。もちろん、生徒に対して丁寧に接することは大切なことだとは思いますが、「敬意」を払うということはそれで十分ではありません。リトキーは言います。

生徒に敬意を払うとは、生徒自身に関わる物事について生徒に選択する機会を与えて実際に判断させ、何よりも私たちが生徒の可能性を信じることです。(p. 68

716日のPLC便り(「教え方の「これまでのアプローチ」と「これから求められるアプローチ」(+この転換を実現する本の紹介)」)で「従来のアプローチ」と「求められるアプローチ」のことが書かれてありますが、いかに多くの学校・教師が教師主体で考えているのかがよくわかるのではないでしょうか。『一人ひとりを大切にする学校』の前書きに「日本の教育がより一層生徒一人ひとりを大切にするものになることを願って」と書きましたが、まだまだ道半ばです(というか、半ばまでも行っていないと感じています)。

『一人ひとりを大切にする学校』を読んで実践したいと思ったことのすべてができなくとも、現場でできることを一つでもいいので積み重ねていく。そのことが大事だと改めて感じました。日本の学校や授業が抱えている多くの課題に対して一つでもより良くしていき、今私が勤めているところを『一人ひとりを大切にする学校』にしていきたいと思います

★ 影のように一定期間離れずついて回り、その対象が何を感じ、考えているかなどを体験すること。これは、従来の教員研修と違って、得るものの多いとても効果的な方法です。

2023年9月10日日曜日

評価には生徒の声を聞くことからはじめよう

新学期が勢いよくスタートしました。学期の初めに重要なのは、この学期でどのように評価を行うかを明確にすることです。私たちは、忙しくなってしまうと、生徒の声を聞くことや、生徒の評価への参加を忘れがちです。これが結果として、教師中心の評価方法をとってしまう原因となっています。

 

「アセスメント(評価)」という言葉の起源はラテン語で「隣に座る」という意味を持ちます。しかし、現代の学校では、子どもと共に評価をするのではなく、生徒を対象として評価する方法が主流になってしまっています。実は、学力の影響を最も大きく受ける要因は、学習者自身の自己評価なのです。学習者は自分の理解度や達成度を驚くほど正確に把握しており、彼ら自身が自らを評価するのが最も適切だということです。

 

こういった生徒中心とした評価方法について、日本での参考文献は残念ながら決して多くはありません。しかし、マイロン・デューク (原著), 山﨑 その (翻訳), 𠮷川 岳彦 (翻訳), 吉田 新一郎 (翻訳)『聞くことから始めよう!:やる気を引き出し、意欲を高める評価』(2023 さくら社)は非常に参考になる1冊です。




 

著者のマクロン・デュークは、「私たちは評価の全ての可能性を活用して、生徒を学びに引き込み、能力を引き出します。そのために、生徒の声を聞き、彼らの選択、自己評価、そして自己報告が欠かせません」と述べています。マクロン・デュークの核となる信念は、生徒の声を基盤に評価を始めるべきだということです。

 

1.       まず「学習の目標」を明確にすることからはじめます。

 

生徒に自己評価を促すためには、まず学習目標を明確にする必要があります。それは、何を達成するべきかという学習意図やその基準を子どもと共有し、彼らが理解することから始まります。

 

生徒は、自らの学習状況を最も正確に報告できる存在です。彼らの意見やコメントは説得力を持っています。したがって、中心の学習目標を設定し、それを生徒と共有することは不可欠です。明確な学習目標を設定し、それを生徒とともに構築することで、生徒が関心を持ち、最大限に活躍できる評価を実現できるからです。

 

過去の学習目標は、教えるべき項目が多すぎたり、一つの目標の中にも教えることが混在していたりと問題があったかもしれません。しかし、良質な学習目標は生徒の視点から明確にされ、具体的な内容で構築されるべきです。これは、授業の設計や学習の評価基準、成果報告の根拠として非常に重要となっていきます。

 

授業の目的は、それを生徒と共有することで初めて学習目標として成立します。生徒がその目標や内容を理解し、その方向に努力を始めることができるからです。以下の三点に焦点を当てて、学習目標の設定と共有を実現してみましょう。

  • 授業で獲得すべき知識(事実、概念、定義など)や技能(手順や方法)は何か。
  • 生徒が重要な概念を理解するための必要な条件は何か。
  • これらの知識や技能が学習の全体的な構造の中でどのように関連しているのか。 

2.       目標が共有されたら、パフォーマンス評価にルーブリックを使用します

 

ルーブリックの主要な目的は、生徒のパフォーマンスを一貫した基準で評価するためのツールを提供することです。これにより、生徒は何が求められているのかを明確に理解することができます。ルーブリックの利点は以下の通りです。

1. 教師の期待値を明確に伝える。

2. 作品作成の具体的な目標を提示する。

3. 作品の各構成要素を深く理解するのを助ける。

4. どのように自身の作業を改善できるかの指針を提供する。

5. 特定の成績を受け取った理由を理解するのを助ける。

6. 課題に対する期待やその構成要素を把握する。

7. 自らの学習プロセスや進行状況をより意識的に捉える。

8. タイムリーかつ詳細なフィードバックを通じて、作業の品質を向上させることができる。

 

 


 

3.       生徒の自己評価をうながします

 

多くの教師は、生徒の自己評価の正確さに疑念を抱くことがあります。生徒に自己評価をさせる場合、その正確性を確保するための取り組みは欠かせません。そのための要素として、以下の3つが考えられます。

 

  • 理解:生徒は自分に問われていることを十分に理解しているのか。
  • 記憶の取り出し:正確な評価を行うため、生徒は関連する情報や知識を均等にアクセスし、思い出せるのか。
  • 判断:生徒の結論は適切なデータに基づいて形成されているのか。

 

これら3つの要素を考慮することで、生徒の自己評価の正確性と信頼性を高める手助けとなります。

 


 

 

生徒が自己評価を行う前提として、自己表現の土台作りが不可欠です。本書で紹介されている「シェアリングサークル」は、生徒が自己報告を開始する最初のステップとして効果的な方法となります。これは生徒が自分の思考や感情を話す環境を整える手段だからです。シェアリングサークルでは、参加者への質問例に「あなたのお気に入りの映画や本は何ですか?その理由は?」など、日々の自分を語ることの積み重ねとなります。

 

シェアリングサークルを進める際の基本的なルールは以下の通りです。

  • 持ち物のルール:発言の権利は持ち物を持っている人にのみ与えられ、他の参加者は敬意をもって聞き手となる。
  • 発言の自由:ものを受け取った時に発言は強制されず、発言権は全員に均等に与えられる。
  • サークルの一貫性:一度サークルが開始されると、中途参加や退出は認められない。
  • 秘密の保持:サークルで共有された内容は、参加者間でのみ知られているものとし、外部には漏らさない。

 

 

 

生徒が自己評価のプロセスに関与し、その評価を他者に説明することは、生徒が学びを自分のものとして受け入れる大切なステップです。そして、その評価や学びを他者に説明する際に、生徒自身よりも適切に説明できる立場の人はいないはずです。自己評価の真髄は、生徒自身がその学びを深く理解し、他者に共有する能力を育てることにあります。

 

生徒が自己評価を行うと、学びの経験がより意味深くなります。彼らは自分の進捗や課題を認識し、それに基づいて次のアクションを選択することができるようになります。また、自分の意見や感じたことを他者に伝えることは、コミュニケーション能力や自己認識の向上にも寄与します。

 

このような自己評価のプロセスを通じて、生徒は自らの学びをコントロールし、それを社会的なコンテクストで共有する能力を磨くことができます。その結果、彼らは自分の学びや経験を他者と共有することの価値をより深く理解するようになり、教育の真の意味を掴む手助けとなります。

 

新学期、ぜひ本書をはやめに手に取って評価について準備の一助にしてください。

2023年9月3日日曜日

「無邪気なクラス」をめざして ―『みんな羽ばたいて』の紹介

はじめに

 この記事では、私が翻訳に携わった、アメリカの教育者キャロル・アン・トムリンソンの本、『みんな羽ばたいて ―生徒中心の学びのエッセンス―』(新評論、20236月刊)を紹介します。(佐賀大学・竜田徹)


 目次

 目次は次の通りです。生徒中心の学びを構成する要素が、各章にわけて論じられています。

訳者による用語解説 3
1章 「生徒中心」とは何か? 7
2章 教師:生徒を尊重し、学びを整える 37
3章 生徒:生徒一人ひとりの成長を促す 81
4章 学習環境:生徒中心のクラスをつくる 113
5章 カリキュラム:夢中で取り組める学びを提供する 165
6章 評価:学びと成長のために評価を活用する 227
7章 教え方:生徒中心の授業をつくる 283
8章 考え方:生徒中心の学びに共通する土台を身につける
最後に 323
訳者あとがき 327
訳注で紹介されている本の一覧 330
参考文献一覧 334

https://docs.google.com/document/d/1NLGVsiRh8x0I6F0zA900PpteAIXA6JKGagGyLslQ4ec/edit で、第8章は読むことができます。

 このように、学級づくり、授業づくり、両方が論じられています。学級経営、学習環境の構築、学びの個別化、生徒中心の学び、現職教員のスキルアップなど、生徒を中心とした学校教育の理念や方法に関する理解を深めることができる本になっています。

本書のポイント

 私は佐賀大学で国語教育を研究し、学校教員の養成に携わっています。研究者の一人として改めて読み直すと、推薦したいポイントが数多く見つかりました。あくまで私自身の限られた視点からにはなりますが、3点にわけて紹介します。

前著とのつながり

 1点目は前著とのつながりです。トムリンソンの本の邦訳は、2017年に『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ ―「違い」を力に変える学び方・教え方―』が、2018年に『一人ひとりをいかす評価 ―学び方・教え方を問い直す―』が、それぞれ刊行されました(いずれも北大路書房刊)。

 3冊には連続性がありますが、前の2冊と比べると、今回の『みんな羽ばたいて』は、副題にもある通り、「生徒中心」という概念を追求している点に特色があります。また、記述が一般読者向けに、より平易になっているようです。
 いうまでもなく、「生徒中心」とは生徒の自由にすべて委ねることではありません。生徒が、学びがいや、自分の成長を実感できるようにするために、教師はどう関わればよいのでしょうか。このことが、わかりやすい語り口で、自分の実践を回顧しながら書かれています。

 その意味で、この3冊の本を書くプロセスの中で、トムリンソンの考えがどのように変化したのか、あるいは変化していない部分はどこかを考察するのは面白そうです。トムリンソンという一人の教師のライフストーリーとして本書を読むことも可能でしょう。

学習指導要領との向き合い方

 2点目は学習指導要領との向き合い方です。「近年、日本の学校現場では、学習指導案に指導目標を書く際、その文言のほとんどが学習指導要領からの引き写し、あるいは国立教育政策研究所の指導資料の書き方を追随する形になっている(そのような書き方が教員研修等で推奨されている)実態がみられるのではないか。これに伴い、教師自身によってかみ砕かれた、自分のことばで書かれた目標が少なくなったのではないか」。このような指摘を最近の学会発表で聞きました。私もそう感じます。子どもを見て目標を書くよりも、学習指導要領を見て目標を書くことに比重がかかっているのかもしれません。近年の教育政策のさまざまな浸透プロセスを通して、現場の教師たちから、目標を立案する専門性やプライドが吸い上げられてしまったように思えます。

 トムリンソンは、「学習指導要領そのものは、決して学びの敵ではありません。正しく使用すれば、情報過多な世界における道標になります。学習指導要領は、私たちが生徒と共に、また生徒のためにつくり出す学習体験が逸脱しすぎていないかどうかを確認するのに役立ちます」(p.173)と述べたうえで、さらに次のように指摘しています。

学習指導要領は適切に使用されれば、私たちが生徒のために、生徒と共につくる「本物の学び」となり、生徒が朝起きて、学校に来るだけの十分な動機となります。しかし、教科書と同じく、それらは道具であり、十分なカリキュラムにはなり得ません。カリキュラムを夕食とすれば、学習指導要領はその食材のようなものです。夕食を調理する代わりに、食材をそのまま出すことに甘んじていては、生徒中心の学びという目的の達成はできません。p.174から引用)

 「夕食を調理する代わりに、食材をそのまま出すことに甘んじて」いるという指摘を、重く受け止めたいと考えます。これは先ほど述べたように、現場教員に対する指摘にとどまるものではありません。教員研修を行う側(たとえば、私のような大学の教科教育担当者)や、各自治体の教育委員会、教育政策担当者の側が、知らず知らずのうちに、「食材をそのまま出す」ように促してしまっているのではないかという意味において理解すべきでしょう。

 研究の文脈に引き付けていえば、現在の学習指導案がどのような実態にあるのかを検討することが重要だと考えます。たとえば、まず「食材をそのまま出す学習指導案」と「調理された学習指導案」を2極とする座標軸上に複数の学習指導案を位置づけます。そのうえで、相対的にみて、授業プランとして分かりやすいのはどちらの学習指導案なのか、子どもにとって取り組みやすく学力が伸びる学習指導案はどちらかを研究することもできそうです。

 なお、教科や校種によっては、ここで学習指導要領について述べたことを、「教科書」に置き換えて捉えることも重要なことでしょう。授業が教科書主義に陥っていないかを検証したいという意味です。

生徒との信頼関係を構築する方法

 3点目は信頼関係を構築する方法です。本書の主眼は、なんといっても、生徒と教師がクラスの中でいかに信頼関係を構築していくのか、その方法を具体化することにあります。すべての章にわたってそのことが書かれているといっても言い過ぎではありません。たとえば第4章の中では、「生徒と信頼関係を構築する方法」という表が示されています。この表は、現場教員や教師教育者としての長年の実績をもつトムリンソンが、その経験から得たコツ、つまり経験則を整理したリストとして、大変貴重なものであると考えます。その一部を以下に引用します。

・生徒の名前と正しい読み方を、できれば生徒に初めて会う日までに覚える。遅くとも、新学期がはじまった日か翌日までには確実に覚える。
・生徒が属する文化や民族ごとの祝祭日、そのほかの特別な行事を把握する。
・学級経営に生徒を巻き込む。
・教師がどのように授業を計画し、楽しくて力のつく授業にするためにどのようなことをしているのかについて、定期的に生徒に伝える。
・生徒を叱責しない。その代わり、生徒がより良い選択や決断をするためにはどのようなサポートをすればよいかについて考える。
・教師が失敗したときには、そのことを生徒に伝え、失敗から学ぶ姿勢を示す。また、生徒を傷つける言動をしてしまったときはすぐさま謝罪する。

pp.122-123 表4-1「生徒との信頼関係を構築する方法」より抜粋

この表には、日本の教師がすでに知っていることも数多く含まれています。とくに学級経営に関する知見はそうでしょう。むしろ本書を読むと、アメリカの学校教育においても学級経営(クラスづくり)のことが重要視されていることがわかり、新鮮に感じられるかもしれません。本書には、学級経営の方法だけでなく、学級目標の立て方のコツ、学級のルールのサンプルまで書かれています。このあたりも研究の糸口になりそうです。本書は、アメリカの学校教育における学級経営論の一つとして考察することも可能です。

 他方、上の表には、日本の教師がこれから知っていかなければならないことも数多く含まれています。例えば、「生徒が属する文化や民族ごとの祝祭日、そのほかの特別な行事を把握する」ということがなぜ重要なのでしょうか。これからの新しい時代、共生社会の学校教育を築いていくにあたり、これまでの学校文化において当たり前になっているさまざまな慣習によって、知らず知らずのうちに傷つけられている子どもがいないかを想像する力が、教師にとって非常に重要な資質になると考えられます。その慣習は、たとえば、クラスにおける机の配置や、掲示物の貼り方や、名前の呼び方や、給食の献立や、体育祭の種目や、合唱コンクールの曲選びや、入学式や卒業式といった儀式の段取りや、文章の音読の仕方などにも表れていることでしょう。私たちにとっては当たり前になっている、このような慣習に馴染めずにいる生徒の存在に気付くことが、まさに信頼関係の構築につながるのです。「郷に入りては郷に従え」は、学校教育では過去のことばにしなければなりません。

 経験年数の浅い教員の増加、多くのベテラン教師の退職時期の中にあって、教員研修を通し、新しい学習指導要領の解説をすることも必要かもしれません。しかしそれ以上に若手の先生が必要としているのは、生徒と教師がどのようにして信頼関係を構築していくのか、その方法やコツを、ベテラン教師と共有するプロセスではないでしょうか。少なくとも教師のたまごを現場に送り出す場所で仕事をしている私には、そのように感じられます。

 クラスづくりの経験則は、その先生だからこそ語れることですから、大変貴重です。しかも、学習指導要領には載っていません。

 トムリンソンの経験則を一つの鏡として、日本の学校教育において大切にされてきた「生徒との信頼関係を構築する方法」は何かを明らかにし、補い合う。このことは若手の先生にとって大きな力になるはずです。今後のクラスづくりや授業づくりにも大きく貢献すると考えます。

まとめに代えて:無邪気なクラス

 以上、本書のポイントとして、前著とのつながり、学習指導要領との向き合い方、生徒との信頼関係を構築する方法の3点を取り上げました。それぞれにおいて、研究の糸口になりそうなことも私なりに指摘したつもりです。
 結びに、本書がめざす学びの形が集約された部分を引用します。

 生徒を中心とする考え方において教師は、学び手である生徒一人ひとりが、また学級全体が学び、成長できるように伸び伸びと過ごせる「無邪気なクラス」をつくりあげるために最善の努力をしなければなりません。これが、私が理解する「生徒を中心とする教え方」の根本的な目標です。なお、本書で紹介しているほかのアイディアの基盤にあるのもこのような考え方に基づいています。p.163から引用)

 「無邪気なクラス」ということばは、作家アレックス・ペイトの著作から引用されたものなのですが、ここにはトムリンソンが追い求めてきた学びの理念が凝縮されているように思います。学びが生徒中心になっているかどうかを証明するもの、その一つは、生徒一人ひとりが「無邪気」でいられるということだと私は考えています。
 私たちも、自分がめざす理想の授業、理想のクラスとはどのようなものかを考え続けていきましょう。訳者の一人として、多くの方に本書を手に取っていただき、「生徒中心の学びのエッセンス」を分かち合っていただきたいと願っています。