2013年3月31日日曜日

学びのための評価


 年度末の話ということで、評価の話で締めくくりたいと思います。

一番下の表は吉田さんの「テストだけでは測れない」(NHK生活人新書)に掲載されているものです。
 
 
 ときどき私もこの表を見返すのですが、「学びのための評価」がどれくらい日常の活動の中で行われているかが、「よい学びが展開されている」学校だと感じます。評価規準一つとっても、学習者である生徒たちが関わっていくように授業を変えていくことが求められているのだと思います。通知表という形で、学びの結果だけを半ば義務的に通知しても何も変わらないというのが現状です。
本気になって、学力向上を目標とするのならば、まず「評価」から変えなくてはならないでしょう。まず、指導目標から評価法を考えることを当たり前のこととして行えるようにする必要があります。
 「形成的評価」も私が30代のころはよく耳にしたのですが、最近はあまりこのことを強調する人も少なくなりました。でも、この形成的評価、いわゆるプロセス評価にもっと注目していいと思います。
 そのためには、「教師ががんばる一斉授業」から「生徒ががんばる授業」へ転換することが必要です。教師が系統だって記録を取り、生徒への適切なフィードバックをしていくためには、教師ががんばる授業では不可能です。
「生徒ががんばる授業」が実現できれば、生徒とのやり取りを通じて適切に生徒をサポートしていくこともできるようになります。そのような授業では、学習のねらいを明確にして、評価の基準も明らかにした上で、生徒たちに課題を提示して、学習活動に入ることになります。
このような授業がどの学校でも当たり前のように行われることが大切です。そのために、PLCの考え方をもっと広めていく必要があります。
 
 私事ですが、この3月末で公立中学校の校長を退職しました。
 4月からは東京の私立大学で教育方法論などを教える予定です。
 今後は、教員養成の様子についてもお知らせしていきたいと考えています。引き続き、よろしくお願いいたします。
 
 
学んだことの評価
学びのための評価
目 的
平均、目標、教師が決める
学力を伸ばすため
生徒の成長のため
評価の焦点
テストをしているという事実
平均点
教科書の中の知識
学習のねらい、生徒の目標
使いこなせること、できること
評価基準
平均、目標、教師が決める
生徒が基準にかかわる
意 義
説明責任
改善
特 徴
正解は一つ
過去志向
競争
たくさんの答えがある
未来志向
協力
性 格
公式
非公式
方 法
テスト
多様な評価方法
表示の
しかた
わかりやすい数字による成績。
具体的なことば
改善のための具体的な手立てを提供
動 機
アメとムチ
努力すればできる
時 期
授業が終わったあと
学習が行われている間
情報の使い手
教師、保護者など、どちらかと言えば学習活動に関係ない人のためにしているというニュアンス
生徒と教師
教師の役割
事務的な管理者
プロとしての教育者
授業改善
生徒を評価に巻き込む
生徒の役割
テストのための勉強
学ぶのは自分
自分の得意な学び方の把握

   

2013年3月27日水曜日

<教科書検定>「英語で授業」基本に


この記事、全部が私にはマンガ★としか読めませんでした。
(改定のたびに繰り返されることですが。)

もちろん、それに付き合わされる生徒たちはかわいそうです。
そして、そのツケは、社会として払い続けます。
これまで何十年も払っているのと同じように。

皆さんの教科は、大丈夫ですか?


★ 上の「マンガ」は、「悲劇」と置き換えられます。
  (本音では、「犯罪」と置き換えた方が、より正しいと思って
  いますが。)

  もちろん、それは高校レベルだけで起こっているのではなく
  すべてのレベルで。

  さらには、すべての教科で??

2013年3月24日日曜日

授業研究


前回の吉田さんの記事について、コメントしたいと思います。折しも、学校は学年末の事務処理が行われている最中です。年度末に何をしたらいいのか、ということも併せて考えてみたいと思います。

 

 まず、授業研究を校内研修の中心に据えている限り、教師自身が学ぶことを好きになれないという吉田さんの指摘がありました。

 

 「私たちはどんな時によく学べるか?」や「学びの原則」や、さらにはライティング・ワークショップが成功する5つの要因を踏まえると、求められているのは「授業研究」=指導案検討=教材研究=研究授業ではないことは明らかです。

 

 「授業研究だけを続けていて、本当に教師が学び続けられるのか」、という点ですが、ここは半分だけ賛成します。私自身、ある学校で「学びの共同体」を志向して、授業研究を中核に校内研修を5年間続けた経験があります。そのとき、正直なところ、4年目、5年目を迎えた時に、これ以上この形態を続けて果たして教師の学びが継続するのだろうかという疑問を持ちました。ある程度、先生方は授業づくりが上達しました。授業研究に面白さを感じて、意欲をもって取り組む職員もいました。しかし、全員ではありません。指導案検討というよりも、面白い教材づくりだけに意義を感じる人もいます。

『「授業研究」=指導案検討=教材研究』と吉田さんは書いていますが、後半の『指導案検討=教材研究』は必ずしも=で結べないところもあると思います。もちろん、単位時間の展開のなかで、指導案ももちろん頭にはあるのですが、どんな「教材」を作るかということに焦点化した作業もあります。ここはある意味、教師が授業を進めるうえでの中核でもあります。

 私の専門教科は理科でしたので、単元の学習を効果的に進めるために、それにふさわしい自然の事物を探してくることに仕事の面白みを感じていました。このことも広く捉えれば、授業研究の一形態だと思いますが、教材の工夫、開発をすることが理科教師にとっては何よりも大切なことだと思います。

このことに気づいたのは、学校を6年間離れて、県立の科学館に出向していたときでした。展示品の制作や実験ショーのプログラムを作成する過程で、自然界のシステムの不思議さ、科学技術の面白さを味わうことができたからです。この6年間の前と後とでは、私の理科授業は全く変わったものになりました。出向後に学校に戻って、何よりも、教えている私自身が楽しくて仕方がないというのが実感でしたから。

 つまり、学校全体で授業研究を研修として行うかどうかはともかく、個人レベルでは授業研究、特に教材研究は必要なものだというのが私の結論です。

 ですから、吉田さんが指摘する「校内研修=授業研究」では教師自身が学べないというのは、半分だけ賛成なのです。残り半分は、やはり個人で、そこの部分はやるべきだと思いますし、経験の少ない教師にとっては学校全体でやってもらうことも多少必要だと言うことです。

 

ほとんどは教師自身が「しかたなく」というか、「当然のもの」としか思えないようなレベルの教材です。そして教師のそういう思いは、見事なぐらいに子どもたちにも伝わっています。その意味で、このアプローチで作られた授業は、みんなが「お付き合いする」レベルの授業になります。もっと悪く言うと、展開されるのは「授業ごっこ」というか「正解当てっこゲーム」です。それに長けた子どもたちもいますし、私も含めてですが、多くの子どもはその教科が嫌いになっていきます。

 

 この指摘は残念ながらその通りだと思うことがよくあります。

 ベテランの人でこのような授業をやっているとがっかりですね。ベテランほど、これまでの自分の路線を変更するのが難しいようです。

 

 もちろん、授業研究=指導案検討=教材研究=研究授業の成功体験も、歓迎します。(すべてが、まずいはずはないので・・・・)

 

 年度末を迎えるに当たり、ぜひ自分のこの一年間の活動を振り返って、成功体験だけでも再度確認してみると面白いと思います。こうすれば、いい授業ができた(教師自身が楽しくなるような)という事例を記録として残しておくことも大切です。この積み重ねが、単元の指導計画となって累積されることになります。これは、教師として大切な財産です。

 

 「校内研修=授業研究」ではない研修のあり方は、私自身の課題でもあります。読書会などはその一例ですが、さらに一工夫できないものかと思案しているところです。

2013年3月17日日曜日

授業研究


 前回のTさんからの職員室に代わる学びのスペースをつくったという、とてもいいアイディアの中で、私がいちばん気になったのは「授業研究」です。(これは、20年ぐらい前から気になり続けています。)
 教師が授業研究をしている限りは、いい授業を作り出すことはできないんじゃないか、と。

 Tさんの学校では違うかもしれませんが、
 授業研究=指導案検討=教材研究を意味します。そして、それは教科書をカバーする授業であり、単元をベースにした授業である場合がほとんどです。
 しかし、教材ありき、指導案ありきで考えている限りは、子どもたちがよく学べないことを保証しているようなものです。主役は、子どもたちではなく教材であり、そして教師であり続けることを意味しますから。★子どもたちの学び方も、学ぶスピードも多様なのに。興味も関心もこだわりも違うのに。

 これは、「私たちはどんな時によく学べるか?」を考えてみたら明らかです。「授業で学べた」と言える人は、皆無です。

 それは、「学びの原則」をまったく無視して、授業を考え(研究し)、そして授業をしている場合がまだほとんどだからです。(「学びの原則」についてお知りになりたい方は、右側のアドレスに資料請求してください。喜んでお送りします。)

 「私たちはどんな時によく学べるか?」や「学びの原則」や、さらにはライティング・ワークショップが成功する5つの要因を踏まえると、求められているのは「授業研究」=指導案検討=教材研究=研究授業ではないことは明らかです。

 そして、これを校内研修/研究の中心に据えている限りは、先生たち自身が学ぶことを好きにもなれないとも思います。

 扱う教材が、教師が心底好きで、価値を見出していれば、話は別とも言えますが、ほとんどは教師自身が「しかたなく」というか、「当然のもの」としか思えないようなレベルの教材です。そして教師のそういう思いは、見事なぐらいに子どもたちにも伝わっています。その意味で、このアプローチで作られた授業は、みんなが「お付き合いする」レベルの授業になります。もっと悪く言うと、展開されるのは「授業ごっこ」というか「正解当てっこゲーム」です。それに長けた子どもたちもいますし、私も含めてですが、多くの子どもはその教科が嫌いになっていきます。なんでこんなものを学ばされるのか皆目わかりませんから。要するには、卒業するために、そしてテストでそれなりの点数を取るために暗記をして、テストが終わったらほとんどを忘れる、という偉大なる悪循環を続けるだけです。覚えませんし、身につきませんし、使いこなせません。「そういえば見た記憶はあるかな」という程度のことばかりです。それが、授業研究=指導案検討=教材研究=研究授業が生み出しているもの、と言えるのではないでしょうか。

 自分たちがしていて楽しい、意味を感じられる、「授業ごっこ」のための準備ではない、教師同士の学び合いの事例をぜひ教えてください。

 もちろん、授業研究=指導案検討=教材研究=研究授業の成功体験も、歓迎します。(すべてが、まずいはずはないので・・・・)

2013年3月10日日曜日

職員室の続編


 金沢大学附属小学校のTさんが、前回の「職員室」にとてもありがたい反応をしてくれたので紹介します。

日本の学校での「職員室」は、特別な場所です。単に校務をする場所・休憩する場所ではなく、日常的な授業研究の場であり、生徒指導の場であり、インフォーマルな会議等を行う場でもあります。しかも、管理職も参加している場です。こんな機能がある「職員室」の存在が、日本の学校の特色だと思います。
それなのに、十分機能していないところがあります。単に休憩場所であったり、個の職務等をする場所であったり。
そこで、授業研究できるスペースを、本校では設置しました。もちろん、テーブル・ソファ・掲示板・ホワイトボード・湯茶設備・冷蔵庫・テレビ・パソコン等も置きました。1ヶ所ではなく、2ヶ所集まる場所を作りました。あらためて会議室等へ移動しなくても、すぐ研修・会議・打ち合わせ等ができます。様々な研修の情報・書籍も設置しました。休憩しててもいいし、新聞・雑誌を見ててもいいし、授業研究してもいいし。なんとなく始まり、なんとなく終わる場でもあります。誰でも、自由に出入りできます。周りで聞いているだけでもOKです。
職員室に必要なのは、立派な機器や間仕切りのない等より、人が気楽に出入りして、何となく集まってくるステーション(ワーキング&ラーニング・ステーション)とすることだと考えます。

 読んで、どう思いましたか?

 多様な機能を一挙に満たしてしまおうとしている「職員室」、まったくその通りだと思います。しかしながら、いろいろな機能を満足したようと思うと(効率よく多機能化を図ろうとすると)結局は何も満足できないいい例のようなところを、私などは感じてしまいます。もちろん、そこにいる先生たちの人間関係でどうにでもなるわけですが・・・・

 実践中のところは、「附属だからできるのか?」

 そんなことはありません。

 紹介してくれているようなすべての機器を最初から揃えなくとも、必要最低限から始め、徐々に揃えていけばいいわけで。いまは空き教室をもっているところが少なくありませんから。

 職員室のベストの唯一のあり方というのはないと思うので、ぜひアイディアを出し合って行動に移してください。それを模索し続けていくことは、教室はどういう姿であったらいいのかと同じレベルで、とても大切だと思います。「たかが職員室(教室)ですが、されど職員室(教室)」で、箱ものが及ぼす影響は絶大です。
 なんといっても、私たちが日々過ごすところ/考えるところ/コミュニケーションをとるところ(コミュニケーションをとったつもりになれるところ!!)ですから。

2013年3月3日日曜日

職員室というスペース


 至極あたりまえのスペースであり、変えることの必要性などあり得るのかと思われている職員室(や職場、教室、研修室)を、「学ぶことを最大限にする」という観点で見直してみることが今日のテーマです。

 見直すことは、単に教師が学ぶことを大切にするために必要なだけでなく、昨年末からのテーマであり続けている教師相互のコミュニケーション/協力関係を築くためにも極めて大切だと思うからです。
 さらに言えば、子どもたちに学び続ける教師であることをモデルで示すためにもです。

 同じように、学ぶことを最大限にする、という観点で教室を見直してみることもできます。★さらには、教育センター等の研修室も、学ぶことを最大限にする、という観点で見直すことは価値があるというか、すぐにでもしないといけないことだと思います。

 これまでがそうだから、これからも今までのままでいいということはありません。

 ぜひ、今のままであり続けることのプラス面とマイナス面を考えてみてください。
 こんなふうになったらいいのにな~、というアイディアをブレーンストーミングの要領(できるだけたくさんのアイディアを短い時間で出す。とっぴなアイディアほど歓迎!)で出してみてください。

 何か一つでも変えられる点が見つけられたら、それが突破口になります。今してことがベストなはずはありませんから。

 ぜひ思いついたことを吉田(pro.workshop@gmail.com)へお送りください。


★ 教室の場合は、とっぴなアイディアとして「間仕切りのないオープン・スペース」というアイディアもあり得ますが、これは欧米では70年代ぐらいがピークで、その後は元に戻したところが多いです。