2016年7月31日日曜日

授業改善を推進したい人への10のアドバイス


 自分の学校(学年)や、自分の教育委員会や、自分の教科で授業改善をしないといけない立場にある方々や、したいと思っている方々へのアドバイスをまとめたリストを見つけたので紹介します。

1)教師全員にアプローチする。もちろん、反応してくれない人もいる(その方が多いかも? しかし、継続することが大切!)
2)各人(対象)のいいところを見つけ、それを活かすようにする
3)研修をする時は、多様な声を集めた上で行う(事前に教師のインプットを得る)
4)継続性、定期性が大事! (それが信頼性を上げる! イベント的にやっても何の意味もない→単なる自己満足?)
5)常に枠の外に向けて考える (枠の中だけで考えていては、おもしろくない! 教科の枠が超えられたらいい★)
6)忙しい教師の仕事を一つ減らしてあげる。その代わり、新しいことに一つ取り組めるように。
7)自分の使った時間の結果に責任を負う ~ しっかり目標を設定し、フィードバックを得ながら、さらなる高みに挑戦し続ける (これでいいと妥協しない!)
8)アプローチの仕方(人との接し方)を学び続ける (こりゃ、大事だ!)
9)学び続ける。学ぶのをモデルで示し続ける。学ぶのを楽しむ
10)すべてを共有する

 このリストを読まれて、どんな感想をもたれましたか?
 ぜひ、お聞かせください。

 私は、実践に裏打ちされた項目が並んでいるとつくづく思いました。
 そして、このリストは、残念ながら日本ではまだ出てこないな、と。
 単純に、蓄積がなさ過ぎて。(というか、既存の授業研究、校内研修、センター/教育委員会研修では、方向性が違い過ぎると思いませんか?)

 加えるとすると、
11)情報を集め続ける/つくり続ける ~ 9)と関連する部分が多いですが、と
12)人と人をうまく結びつける ~ 2)と関連しますが、自分がすべての起点にいる必要はないので、です。

 このリストは、授業の時に、教師が子どもたちを対象にもそのまま使えてしまうリストだと思いましたし、研修の時に、研修主催者/講師が受講者たちを対象にそのまま使えてしまうリストだとも思いました。それを実現しない限りは、薄っぺら(かつイベント的)な授業や教員研修が約束されていると言っていいのではないでしょうか?
  
出典: The Many Roles of an Instructional Coach by Heather Wolpert-Gawron, in
Educational Leadership (July, 2016, digital issue)
  

★ 世の中、教科では動いていません! 教科で動いているのは、学校と大学の中だけです。ということは、教える側にとっては都合がよくても、学ぶ側にとっては都合がよくない枠ということになります(暗記するのは楽かもしれませんが)。誰を主役に据えた学びを展開するかは、教える側の選択です!!


2016年7月24日日曜日

教員研修について


2週前の話題は「教員研修」でした。最近、かつての仕事仲間の先輩と話す機会があり、そこでも「教員研修、校内研修」が話題になりました。その先輩も指導主事経験者であり、私もそうでした。その二人の一致した結論は、「教育委員会等の主催する教員研修は役に立たない」です。なぜ役に立たないかはこのブログでも再三話題になっているので、繰り返しませんが、2週前の記事にある通りなのです。

4. 教師の学びの場は、学校である。』http://projectbetterschool.blogspot.jp/2016/07/blog-post_10.html

 
    そこで、校内研修が必要不可欠なのですが、現状はさびしい限りです。

さきほどの先輩は校長退職後、何年にも渡って「初任者指導教員」を務めました。

その結果わかったことは「驚くほど、先輩教師が後輩に指導できていない」ことだそうです。ですから、「学びの共同体」などといっても、学び合える環境などほとんどない学校が現実には大半を占めているのではないでしょうか。確かに、校内研修はやっているかもしれませんが、それは「アリバイづくり」程度の中身に過ぎないように思います。

そこで、次の点が重要になってくるのです。
     

6. 学校のリーダーは、学校の中で教職員がプロとして学び続けられる文化をつくり、維持する責任がある。』

まったくその通りなのですが、それができている管理職は何%いるでしょうか? ちなみに、「リーダー」は管理職のみを指しておらず、教務主任や学年や教科等のリーダーなど学校のミドル・リーダーも含んでいます。

 
これもまさにその通りです。悲しいことに、校長が授業内容等について指導できない、それだけの力量がない人が少なからずいるという厳然たる事実があります。

それでは全く救いはないのか、と言うとその解決策はまず次の一文にあります。

 
7. 学びや学校を変える単位は、個人ではなく、チームである。』

 
自分だけで自分の学びを変えられるような人はほとんどいません。サポートし合う仲間がいることが何よりも大切なのです。校内でそのようなチームを作り、授業や教材や生徒指導のことなどについて、気楽に話し合えるそんな仲間がいることが大切だと思います。

さらに今はネットの時代ですから、SNSを利用した仲間作りもよいと思います。米国では、Pinterestという写真中心の投稿サイトがありますが、教師同士の授業や教材づくりに関する交流の場にもなっているようです。

 そして、最後には次の点が重要です。

 
9. 個々の教師が改善・成長・学びを実現するために、必要なサポートが何かを明らかにする必要がある。』

 
その場限りの「イベント的な」学びではなく、継続的にサポートすることのできる体制づくりです。校内だけでなく、国内のあちこちにこのようなセンターがあるといいですが。

この点も、米国の様々な地域の民間サポート団体のあり様を学べないものかと常々思います。

 
無いものねだりで嘆いていても始まりません。

やってみようと思った人間がまず動いてみる、そこからしか物事は始まりません。

このブログがそういった方々の支えの一つになれればと思います。

 

 

2016年7月17日日曜日

変な(?)感想


以下は、K先生が送ってくれた『算数・数学はアートだ!』の感想です。     
本に書いてあることから、いろいろ大切なことを考えてくれています。

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良い本をありがとうございました。
以下数か月前に書いた感想です。

昼から少しビールをあけて、ほろよい状態で本を読み終わりましたので、雑感を書いたら、変な文章ができあがりました。

僕が最も印象に残った言葉は、
「大切なことはあなた自らすることです。
絵画は、美術館に飾られているものではありません。
あなたが描くのです。」
です。
この本の物語の終わりにあるからでしょうか。

社会科こそ、美術館ではありません。現実生活です。
歴史はまさにそう。歴史は博物館に飾られているものではなく、
資料に自分の解釈を重ね、歴史の物語を自分の手で紡いでいくことに意味があるのかもしれません。
(かといって、戦争はなかったと子どもが言ったら、僕はどのように対話をするのでしょうか。まったく分かりません。とにかく、その子の話を聞くしかないでしょう。)

たとえば
算数ならば、教えられる基礎的な算数の技術をもっていなければ、算数を主体的に創造的に楽しむことが出来ないのでしょうか?
そもそも、算数を主体的に創造的に楽しむということが、どのようなことなのかをこの本を通じて初めて触れられたように思います。
学び手が主体的になるというマインドを、巧妙に狡猾に、忘れさせるプログラムが周到にしかけられているのでしょうか?

正しいとされることを、しっかり模倣できることを是とする学校です。
あいさつが正しいとされれば、おかしな状況下においてもあいさつを行い、「その状況であいさつっておかしくない?」と言えない空気があります。
朝会が終わって、退場の曲がかかり、行進して退場することに、激しく違和感があるのですが、僕自身もそのようなことを話題に出そうとも思いません。
正しい字の書き方があるとし、書写の時間でしっかり書写を行います。
運動会の表現運動(ダンス)は、教師の思い描く正しいとする動きをしっかりと子どもたちに伝達して、しかも、やり終えた時に充実感を感じて、それが教師の言うとおりに努力したから充実感があったのだということを刷り込んでいきます。

主体者意識を取り去ろうとする体制
主体者意識を取り戻そうとするエネルギー
せめぎ合っています。

教師は教室の中では管理者です。学級崩壊で管理者としていられなくなる状態を、本当に怖がっています。学級崩壊恐怖症なんです。
それは、子どもたち一人ひとりが自立し、お互いが高め合って、協働し、尊重しあっている空間づくりの裏の顔が、学級崩壊なのかもしれません。
管理者としての、社会・学校・教師から、自立しようとするエネルギーが暴発した姿。
だったら、子どもは幼いままの方がいい。自ら環境を作り出していく子どもを、今の学校や教室、社会制度は、受容することが出来ません。
正しいとされる方向に、愚直に進んでいく姿のほうが美徳と教え、批判的思考を受容する余裕はないのです。
算数の中にも、国語の中にも、学校生活の中にも、巧みに主体者意識を削いでいく構造が隠れています。小さい箱のなかで、整然と並べられることに適応できる子どもを育てていっているわけです。学力とは、箱を再創造する力を指すことはないでしょう。

愚民の方が平和なのでしょうか? 国として成立するのでしょうか?
ルネッサンス、諸子百家は、宗教戦争や春秋戦国時代の中から生まれてきたもの? 
平和と多様性は、水と油なのでしょうか?

僕は多様性の中でこそ、力強い平和が築けるように思います。
学校がその模範を示していきたい。

以下は余談です。
むすめは、毎回パックに入っているいちごを、家族(もしくはおじいちゃん・おばあちゃんも含めて)が喧嘩をしないように分けるという問題が与えられます。昨日は、5人メンバーがいたので、いちごを1個ずつお皿に入れて、最初は5等分したのですが、せっかく分けたいちごをおじいちゃんからいちごを要らないと言われ、また、傷んだいちご3つともおばあちゃんが食べるといい、余ったいちごを欲しがった人は5人中3人で、といろいろな不確定要素が加わり、結果的にいろいろな調整を踏まえて、5人のいちごの数はバラバラですが、みんなが満足するように分けられたと言う話です。むすめは、迷いながら笑いながら、算数を楽しんでいました。そして、美味しそうにいちごを食べていました。



2016年7月10日日曜日

教師の学び(教員研修)が抱える課題とそれを乗り越える方法


 校内研究/研修を含めて、教員研修のことを英語圏では、一般的に、Professional Developmentと言っています。直訳すると「プロとして成長し続ける」ですから、まさに理想のタイトルです。(いか、PDで略す)
 でも、その現状はどうか?
 ちょっと古いですが、「現状は厳しい」ことがわかる論文を見つけました。
Professional Development: A Great Way to Avoid Change’, by Peter Cole (2004)
その論文に書かれているポイントは、以下の10点です。

1. PDとして行われているもののほとんどは、誰も成長させていない。
2. PDとして捉えるものを、もっと広げなければならない。
3. 教師に改善を求めるのであれば、PDよりも「プロとしての学び」の方がいいのでは。
4. 教師の学びの場は、学校である。
5. 「プロとしての学び」を得るための効果的な方法を知らないし、排除している。
6. 学校のリーダーは、学校の中で教職員がプロとして学び続けられる文化をつくり、維持する責任がある。
7. 学びや学校を変える単位は、個人ではなく、チームである。
8. 個々の教師の成長(学びの)プランは、教師自身の腹づもり(意思)を中心に据えるべきである。
9. 個々の教師が改善・成長・学びを実現するために、必要なサポートを何かを明らかにする必要がある。
10. 個々の教師の成長(学びの)プランは、具体的かつ実現可能なものでなければならない。

 以上を読まれて、どのような感想を持たれましたか?
 日本が現時点で抱えている教員研修/校内研究・研修、そして教師の成長が図れない状況と極めて似ていると思われたでしょうか? そして、それを突破する切り口は見えたでしょうか?
 それでは、ちょっと長くなりますが、以下に私のコメントを項目毎に付けていきます。

1. PDとして行われているもののほとんどは、誰も成長させていない。
まったくその通りです。今のままを続けることは、先生たちに失礼です。そして、その究極的な受益者である子どもたち(や親たちや社会)にも。教員研修/PDを企画する立場にある人は、教師を対象と設定せずに、子どもたちや親たちを対象に設定してみたらいいと思うぐらいです。そこまで伝わらなければ、無駄であることが一層明確になりますから。
2. PDとして捉えるものを、もっと広げなければならない。
従来からしていることを、同じようにやるだけでは効果はあがりません。授業は変わりません。(それは、誰もが薄々は気づいていることです。それとも、すでにハッキリ気づいていますか? では、やめましょう! そして、変えましょう!)具体的な広げ方については、『「学び」で組織は成長する』(光文社新書)を参考にしてください。
3. 教師に改善を求めるのであれば、PDよりも「プロとしての学び」の方がいいのでは。
名称で改善が図れるのであれば、何を使ってもいいです。(確かに「学び」の方が、どこでも起こりえるし、多様な方法も気づかせてくれるかもしれません。)
 「情報の伝達」的な内容と、「主体的な学び」的なものを明確に分けることは大切だと思います。現状では、伝達研修が主流で、主体的な学びはほんのわずかです。(あるかな?)
4. 教師の学びの場は、学校である。
まったくです。基本的に学校以外の研修は、時間と税金の無駄遣いなので即刻やめるべきです。★(無駄な理由は、下の9に書いてあります。)かと言って、現状で学校で行われている校内研究/研修が機能しているかというと、そうではありません。そのためにも、5以降がとても大切です。
5. 「プロとしての学び」を得るための効果的な方法を知らないし、排除している。
効果的な方法として、『「学び」で組織は成長する』『効果10倍の教える技術』『効果10倍の学びの技法』『テストだけでは測れない!』『いい学校の選び方』『ペアレント・プロジェクト』『会議の技法』などが参考になります。他に、参考になる本がありましたら、ぜひ教えてください。
6. 学校のリーダーは、学校の中で教職員がプロとして学び続けられる文化をつくり、維持する責任がある。
まったくその通りなのですが、それができている管理職は何%いるでしょうか? ちなみに、「リーダー」は管理職のみを指しておらず、教務主任や学年や教科等のリーダーなど学校のミドル・リーダーも含んでいます。その人たちに、ここで書かれている責任を果たすのに一番参考になる本は『校長先生という仕事』かもしれません。このために書かれたような本ですから。学校のリーダーたちは、「学びのリーダー」として自分が興奮する情報を適度に(選択肢のある形で)教師たちに提供し続ける存在です。(しかし、その情報が決定的に少なすぎるのが日本の現状でもあります!★★)さらには、実践し続ける存在です。
 あなたは、どのような学校(職場)であれば、学び続けたいと思いますか? どのような要素が大切だと思いますか?
7. 学びや学校を変える単位は、個人ではなく、チームである。
これもまったくです。悉皆研修も、校内研修も、あまりにも個人中心で、チームが無視され続けています。下の9とも関係しますが、一人だけで自分の学び(ましてや、学校レベルのこと)を変えられるような人はほとんどいません。サポートし合う仲間がいることが何よりも大切です。『「学び」で組織は成長する』には、二人やチームでやれることが、個人でやれることや学校全体でできることと同じレベルで紹介されています。
8. 個々の教師の成長(学びの)プランは、教師自身の腹づもり(意思)を中心に据えるべきである。
この辺は人事考課とも関係してきますね。(ちなみに、人事考課制度が導入されてから、もうしばらく経ちますが、機能していると言えますか? 構造的に、教師と生徒たちの間で毎学期行われている成績のやり取りと同じなのですが、気づかれていましたか? その意味では、両方とも対象の学び/成長を実現する方法なのですが、現状では誰にとっても「時間の無駄」が続いているだけなのではないでしょうか?)目標を明らかにした上での計画づくり(人事考課や子どもの成績はその結果!)には、ここに書いてあるように、教師自身が何を大切にしたいのかが鍵です。(成績の場合は、子ども自身が何を大切にしたいか、が!)
 その際、選択できることが大切です。押し付けられたもので全力を出せる人など、そうはいませんから。
9. 個々の教師が改善・成長・学びを実現するために、必要なサポートを何かを明らかにする必要がある。
日本の悉皆研修および校内研究/研修に欠如しているのが「サポート」や「フォローアップ」という考え方です。これは、長年の一斉指導の弊害でしょうか? それは、「一度教えたことは分かって当たり前。分からないのは、聞いていないのが悪い」という発想です。しかし、一度や二度聞いただけでできるようになったり、変われるようになる人などほとんどいません。何回(何十回!)ものサポートやフォローアップが必要です。何か改善したければ、変えたければ、その仕組みこそが大切だということです。それに対して、一度理論や正論を言うことは、10分の1ぐらいのウェートしかありません。

10. 個々の教師の成長(学びの)プランは、具体的かつ実現可能なものでなければならない。
これは、上記の何冊かの本で紹介しているSMARTな計画を立てることそのものです。


 イベント的な「研修」は、何十回、何百回やったところで、何も変えません。通常の授業(仕事)と学びを一体化させない限りは。つまり、日々の授業(仕事)がよくなることと、教師の学びが継続して行われ続けることの一体化です。★★★(実はこれは、教師と生徒の間で行われる「指導と評価の一体化」と同じ構造でもあります! 授業が終わった後に、評価していては「時すでに遅し」ですから、子どもの学びも、教師の授業も変わることはありません。単なる儀式として評価しているだけが続きます。) そのための方法を見つけて、実践しない限りは、学校も、授業も、子どもたちの学びも変わりません。★★★★

以上のような教師の学びを始めているある学校の取り組みを紹介します。日本ではなくて、イギリスの例ですが。https://www.huntingtonlearninghub.com/


★ 免許更新制を言い出した政治家(安倍さん?)も、それを実現した官僚も、学びはどうつくられるのかという原則をお知りでないようです(教師対象の研修と子どもたち対象の授業の構造は同じですから、授業に対するイメージも持ち合わせていないことをさらけ出してしまっています!)。表面的に「自分たちは仕事をちゃんとやっていますよ」というジェスチャーを示せるためにしているだけでした。その被害を被っているのは、学校現場。しかも、間違った教員研修=学びのイメージを広げています! それにしても、それにお付き合いしているマスコミや大学は、いったい何なんでしょうか?

★★ 教員研修や教師の学びに関する情報および教育全般に関する情報は、日本語で得られるものと英語で得られるもので、1対100以上の差があります。こと教員研修に関しては、日本ではほぼ存在しないも同然なのですが、英語ではおもしろい価値ある本や雑誌がすごい数出ています。このニーズの大きな違いに驚くばかりです。これは当然、授業の質に反映されるわけです。

★★★ それは、研修/PDを、やりたくもないのに「やらされるもの」から、「進んでやらないわけにはいかないもの(やりたくてやりたくて仕方がないもの)」への転換を意味します。評価も、そういうもの(=楽しいもの)にすることは可能です。必ずしも効果的とは言えない、テストの呪縛から解放されれば。

★★★★ 『テストだけでは測れない!』や『読書家の時間』が参考になります。


2016年7月3日日曜日

理科におけるアクティブ・ラーニング ~子どもたちの自ら学ぶ意欲・主体的な学びを育てるための要因とプロセス~


    PLC便りでは、619日と前回の26日の2回にわたって「アクティブ・ラーニング」=「子どもたちが主役の学び」について取り上げられています。65日にも、理科におけるアクティブ・ラーニングの例として、『発展研究』(単元の学習終了後に行う「課題設定学習」と「課題選択学習」)について紹介しました。


今回は、その『発展研究』が子どもたちに及ぼす効果・影響について、生徒の理科学習に対する「イメージ調査」と発展研究に対する「自己評価」(自己評価票については、65日のPLC便りを参照)の結果に基づいて、説明します。

さらに、これらの結果と子どもたちの『発展研究』に対する感想などから、『発展研究』における、子どもたち自身による主体的で、能動的、協同的な学びを促進する要因、およびそれぞれの関連やプロセスについて、考えてみました。



『発展研究』に対するイメージ調査の結果より( 別添図1)

理科の学習に対するイメージ調査は、単元「植物の生活と種類」の学習終了後と『発展研究』の終了後の2回実施しました。結果は、イメージ調査の項目において、「おもしろい」「やりたい」「価値がある」「良い」「身についた」「興味のある」「わかる」「積極的な」「目的のある」「自分からやった」「努力した」「好き」「満足な」などを中心に、すべての項目が、『発展研究』を行った後の方が行う前よりもプラス方向に変容しています。

特に、大きな伸びを示した項目は、「おもしろい」「やりたい」「興味のある」「わかる」「積極的な」「目的のある」「自分からやった」「努力した」「好き」の9項目です。


つまり、子どもたちが『発展研究』に対して《面白さ・楽しさ》や《学ぶ価値》を強く感じ、その探究のプロセスを通して《自ら学ぶ意欲》が向上し、《主体的・能動的な学び》になっているということが読み取れます。

■ 『発展研究』に対する生徒の自己評価の結果より(★★ 別添図2)

(1)「学習内容」に対する自己評価の項目では、「今までよりよくわかった」「今までよりおもしろかった」「いつもより満足な授業だ」の評価が、高いものとなりました。

すなわち、『発展研究』において、「学習課題を自分自身で立てる」、あるいは「自分で選択する」、そして、その「自分たちの学習課題を解決するための観察・実験計画を仲間と協同しながら作成する」ことを通して、単元の学習で学んだ知識・情報が再構成・精緻化され、子どもたちの学習内容の理解が促進され、さらに、学習内容に対する興味・関心も高まったと考えられます。

つまり、『発展研究』に取り組んだことによって、子どもたち自身が《充実感》や《満足感》を感じているということがわかります。

(2)「自分の学習活動」に対する自己評価の項目では、「一所懸命やった」「いつもより考えさせられた」「今までより実験に多く参加した」「目的がいつもよりわかっていた」「自分の考えを多く生かせた」「もっと深く学習したい」の評価が、高くなりました。

すなわち、『発展研究』という探究活動を通して、子どもたちの《自ら学ぶ意欲》が向上し、《主体的・能動的な学び》が促進されるとともに、《充実感》や《達成感》、《有能感》が高まり、探究活動に対する新たな動機付けになることがわかります。


  
『発展研究』における生徒の自ら学ぶ意欲・主体的な学びを育てるプロセスモデル

先に述べた生徒の「イメージ調査」や「自己評価」の結果、さらに「自己評価票」や「発展研究レポート」、研究発表会の「プレゼン資料」などに書かれた生徒の感想を基にして、『発展研究』として単元の学習終了後に行う「課題設定学習」「課題選択学習」について、子どもたちの主体的で、能動的、協同的な学び・探究活動(理科におけるアクティブ・ラーニング)を促進する要因を考えてみました。


そして、それらの要因の関連とプロセスについて、櫻井茂男(2009)の「自ら学ぶ意欲のプロセスモデル」を参考にしながら、「『発展研究』における生徒の自ら学ぶ意欲・主体的な学びを育てるプロセスモデル」として図にまとめてみました(★★★ 別添図3)。なお、櫻井のモデルとの違いは、<学習行動レベル>の中に、「課題解決の見通し」と「他者との相互作用・連携」を新たに加えた点です。


 子どもたちの主体的な学びを支える土台は、2つあります。その一つは、この図の最も下にある【安心して学べる人的環境】すなわちクラスの仲間や教師との信頼関係・温かな人間関係です。もう一つは、発展研究・探究活動を進めていくための【情報】つまり知識や観察・実験を行ったり、ICTを活用したりするための技能です。


 下から2番目の<欲求・動機レベル>では、やはり【動機(目標の設定)】:自分なりの目標・問題がもてること、すなわち、自分自身で課題を設定したり、選択したりすることが、最も重要なことです。この意味で、子どもたちの主体的な学びを育てるための出発点は、子ども自身が、自分であるいは自分たちで問い・問題・課題をもつことだといえます。


 3番目の<学習行動レベル>では、クラスの仲間や教師など【他者との相互作用・連携】を通して、【課題解決の見通し】をもち、【情報収集】【深い思考】【挑戦行動・試行錯誤】を繰り返しながら、【独立達成・協同達成】:自分たちの手で課題解決を目指すのです。


そして、最も高次の<認知・感情レベル>にある【有能感】や【充実感・達成感】、探究活動の【面白さと楽しさ】を感じることができ、心のエネルギーが満たされ、次の新たな探究活動へつながっていくのです。


[参考]

櫻井茂男(2009)「自ら学ぶ意欲のプロセスモデル」『自ら学ぶ意欲の心理学』pp.21-36,有斐閣