2018年10月28日日曜日

読書会は江戸時代にもあった

「批判的な読み」の大切さはいろいろな場面で指摘されているわけですが、それを実践する場の一つとして「ブッククラブ」があります。人は所詮自分の視点でものを見たり、書いたりするわけですから、偏りがあります。そのバランスを取るための方法の一つが、「ブッククラブ」のような場で、自分以外の多様な意見に接することです。
「『学び』で組織は成長する」(光文社新書2006)にも紹介されていますが、「ブッククラブ」(読書クラブ)は組織内での研修手法として効果的なものです。忙しい職場でも、今はオンラインでやり取りできますし、離れたところに住むメンバーでもコメントのやり取りはSNSやメールでできるわけですから、非常に便利になったものです。
最近『江戸の読書会』(前田勉・平凡社ライブラリー2018)を読んだのですが、そのタイトルにもあるように江戸時代に「読書会」が盛んにおこなわれていたことを知りました。
同書の「はじめに」には次のように書かれています。

明治の自由民権運動の時代は「学習熱の時代」であった、と評したのは、民衆思想史のパイオニア色川大吉である。1880年代、現在、名前が判明しているだけでも、2000社を超えるという全国各地の民権結社では、演説会や討論会が催され、国会開設の政治的な活動をするばかりか、定期的な読書会も開かれ、政治・法律・経済などの西欧近代思想の翻訳書を読み合い、議論を闘わせた。この時代の民権結社のほとんどは「学習結社的な性格」を備えていたのである(色川大吉『自由民権』岩波新書1981)

2000社を超える民権結社があったことも驚きですが、著者の前田さんはさらに続けてこう書いています。

討論会などは、はたして本当に、明治になってから始まったものなのであろうか。
ここで、示唆を与えるのは、蛙鳴群(現在の岡山県にあった結社)の午前中に設定されていた「法律書会読」をするという読書会である。この「会読」は、定期的に集まって、複数の参加者があらかじめ決めておいた一冊のテキストを、討論しながら読み合う共同読書の方法であって、江戸時代、全国各地の藩校や私塾などで広く行われていた、ごく一般的なものだった。

「会読」(かいどく)が共同読書であり、あらかじめ決めておいたテキストを読んで、それをもとに討論が行われ、しかも全国の藩校や私塾で一般的に用いられていた学びの手法であったということです。私たちの感覚からすると、日本では民主主義社会になって初めて「討論」することが始まったのではないかと考えて当然だと思いますが、実は江戸時代から共同読書があったという事実は意外です。これが自由民権運動以降、下火になってしまったのは残念です。先ほどメールでの読書会も可能という話もしましたが、できれば対面でやれればさらによいのかもしれません。『江戸の読書会』のあとがきには、著者の大学時代の友人が職場の同僚と30年以上も読書会を続けているという話が紹介されていました。校内で、同僚と、あるいは保護者や地域の方たちも含めて、このような読書会を開けたら素敵だと思います。(『ペアレント・プロジェクト』J.ボパット/新評論2002にもそのような実践に役立つ情報が掲載されています。)

このような人とのコミュニケーションやネットワークが、新しいアイデアづくりやイノベーションに大きく作用しているという話が『ソーシャル物理学』A.ベントランド/草思社文庫2018に紹介されています。この著者はMIT(マサチューセッツ工科大学)教授でメディアラボの創立に関わった人で、様々なビックデータをもとに数式を駆使して、集合知やアイデアを生み出す組織のあり方などを研究しているこの分野の第一人者のようです。興味のある方はぜひそちらもご参照ください。
 

2018年10月21日日曜日

学力向上に効果的なフィードバックとは?



作家の時間や読書家の時間などのワークショップ授業では、個別カンファランス(個に応じた指導・相談)が欠かせません。ワークショップ授業の導入時には、子ども達はみるからに意欲的に学習を進め、話し合っています。しかし、教師や子どもたちも、学力がのびている実感をあまりもてないことがあります。その一因に、授業を子どもに任せっぱなしにしてしまい、フィードバックの必要な場面に介入していない。学習者の実態にあわせたフィードバックがおこなわれていないことがあります。

教育の効果の最も高い方法の一つに、フィードバックがあります。★

フィードバックとは、教師や親、友だちなどからの「人」や、教科書や参考書、作品などからの「もの」といった情報を媒体として、学習者の情意面(やる気や集中力など)と認知面(知識や考え方など)に働きかけ、学習者の知識を増やし、その知識を再構築するものです。

現状の教育現場ではフィードバックを誤解されることが多く、あまり効果的に用いられていません。例えば、フィードバックは「たくさん量を増やすほうがいい」「関わりは多いにこしたことはない」と思われていますが、大切なことは決して量だけではありません。学習に効果の高いフィードバックが、子どもの学習に対しておこなわれているかどうかです。それは、学習者同士でもいえることです。子どもたち同士で教え合ったりする授業のやりとりのフィードバックの大方は間違っているとする論文もあります。(Nuthall,2005) 

シールや賞などのご褒美といったフィードバックは、学習の成果に対しておこなわれています。しかし、学習者にとってシールや賞などは学力そのものを伸ばす情報提供とはなっていないため、効果的なフィードバックとはいえません。(Deci,Koestner,&Ryan 1999)また、学習者に向けて「すごいね」「いいね」と人物そのものを褒めてフィードバックすることは、プロセスに対しては何も言っていないので、内発的動機づけを高めるとはいうものの、学習に対してそれほど効果はありません。

大きな誤解の一つは、「フィードバックは教師から、学習者へ(一方的に)与えられるもの」と理解してしまっていることです。フィードバックは、学習者の視点に立つことが何よりも大切です。学習者がどのように教師からのアドバイスを受け取り、その後、学習者がどのように行動したのかが大切なのです。フィードバックは、教師から与えられて決して終わりではありません。

フィードバックが効果的に発揮するためには、情意面において、とくに学習者の「心理的な安心感」が大切です。学習者がよりよく、素直にフィードバックを受け入れるためにも、日頃より関係をつくり、学習の目的へ一緒に向かっていく姿勢が求められます。

その際、フィードバックが学習者の人格に踏み込まず、脅かすことがないとき、学習者の注意はその学習そのものへと安心して向くようになります。教師は、学習者に、できないところを指摘するのではなく、できるようになるためのアドバイスをします。過去との比較でより成長した点を伝える方がより効果が高いことがわかっています。このようにフィードバックを素直に受け取り、学習者が変わっていこうと学び始めるためにも、学級集団がもつ「失敗しても許される、もしくは、歓迎されている」雰囲気を醸成していく必要があります。

認知面を伸ばすには、学習の3つのレベル向けてフィードバックすることです。

レベル1 浅い学びとしての基本的な知識・技能(かけ算九九の仕組みを理解しているか、覚えているか)
レベル2 深い学びとしての考え方や学び方(かけ算九九とこれまでの筆算の形式をつかって、2桁×2桁の筆算を自分でつくろうと、問題解決しているか)
レベル3 自分をふりかえるメタ認知(自分の問題解決をふりかえり、取り組み初めの気持ちや自信、どこで解法のアイデアがひらめいたかなど)

フィードバックは、レベル1の知識・技能からレベル2の考え方・思考法へ、さらにはレベル3のメタ認知へと、より高度なレベルへと適切に与えていきます。

ワークショップ授業における具体的なカンファランス場面では、①~③のステップで取り組むとよいでしょう。
①「今、どんなかんじかな?」とその学習の現状の進み具合を確かめます。
②「何ができるといいの?」とその学習の目的や到達度を問いかけ、現状とのギャップを見つけます。
③「じゃぁ、何をしようか?」とそのギャップを埋めるために、具体的に次の行動目標を示すことです。この際、レベル1〜3に応じて、知識・技能を理解するためのアドバイスや、問題解決のプロセスの仕方への援助、ふりかえりの視点をフィードバックしていきます。


学習の認知面において、学習がそもそも挑戦しがいのある適度な難易度のある課題となっているかによって、フィードバックの効果が大きく左右されます。すでに計算技能のある学習者に対して、「計算ドリルを3回!おわらせましょう」といった課題では、学習者に効果的にははたらきません。

また、基本的な浅い知識として学習内容を理解していない場合では、フィードバックを与える関わりよりも基礎的なことをしっかりと指導したほうが効果的です。かけ算九九を理解していない子は、かけ算九九を理解して覚えるところから始めようということです。

このように、学力者の成長プロセスには、効果的なフィードバックが欠かせません。継続的に学習を支援し、形成的評価はフィードバックと言い切れるぐらいに大切なものです。ぜひ、これを機に、ふりかえってみてください。

★「教育の効果 メタ分析による学力に影響を与える要因の効果の可視化」ジョン・ハッティ(著) 山森光陽(監訳)の第8章「フィードバックを重視する指導」より

2018年10月14日日曜日

成績を問い直し、改める



多くの先生たちが成績を出す時期になるたびに負担を抱えています。
自分が費やしている苦労が、いったいどう生徒たちの学びに寄与するのか疑問に思いつつも、長い習慣は変えられないと、「しかたなく」取り組んでいます。★

成績(および、その前段の評価)の仕方は、学校単位で決められることなので、何も「上」からのお達しを待つ必要はありません。(評価に関しては、教師単位でもOKです!!)

以下のような質問について考える形で、無駄な努力と時間を、はるかに生産的な時間に転換するとっかかりにしてください。

1. 学校の目的は何か? その中での生徒の役割は? 教師の役割は?
2. 教え方は、その目的や役割とどれくらいマッチしているか?
3.評価と成績は、その目的や役割とどれくらいマッチしているか?
4.授業で生徒はどのように評価されているのか? その中に、扱っている知識や技能と関係ないものはあるか? もしそうなら、それはなぜか?
5.どの生徒たちが容易に高い評価を得ているか? 低い評価を得ているのはどの生徒か? そのことが生徒たちに与えている影響は何か?
6.あなたはなぜある生徒はよくでき、他の生徒はよくできないと思うのか? 生徒たちができたりできなかったりすることに、私たちはどのような前提を設けているか?
7.信頼できる評価の方法として、どんなものを使っているか? それ(ら)によって、得をしている者と損をしている者は誰か?
8.私たちが評価のために集めるデータが有効で、信頼性があることを確かめるにはどうしたらいいか?
9.現行の成績をつけるシステムのプラス面とマイナス面は何か?
10.もし、現行のシステムが生徒たちのためになっていないとしたら、どうしたらいいか? 生徒のためにはなっていず、大人の都合でしかなかったらどうするか?

 これらすべての質問を使う必要はありません。これらのいくつかから話し始めて、『成績をハックする』『一人ひとりをいかす評価』をブッククラブ形式で、数人の同僚と読み合い、自分たちの学校で何が可能かを考えてみてください。(自分たちが今していることと、可能性として自分たちの前に提供されていることのギャップの大きさに驚かれることと思います。)
 そして、明日にでも生徒たちのために(いろいろな生徒がいます!!)できることを一つでも、二つでも選んで、取り組み始めてください。いつまでも生徒たちのためにならないことに時間とエネルギーを費やすわけにはいきませんから。

 成績以外に、あなたが学校のなかで「問い直し、改め」たいことはありますか?
 たくさんありませんか?


★ この問題に文科省も気づいたのか、中教審で成績の出し方を変えようと検討しているそうです。しかし、20年前の「指導と評価の一体化」がいまだに実現しないぐらいですから、あまり期待は持てません。それとも、今度は持てるでしょうか? いずれにしても、大切なのは自分たちで考えて、よいと思ったものをすることです。総合的な学習などのようにどこかの誰かがいいと思ったものも、自分たちが納得して取り組まない限りは、消えてなくなる運命であることを、すでに証明済みですから。


2018年10月7日日曜日

書くことの力 ー 一人でのジャーナリングから仲間との豊かな学びへー

もうかれこれ5年近く、授業についてのジャーナルを書いています。ジャーナリングとは、日記のようなものですが、自分自身が経験していることについて、個人的な反応、疑問、気持ち、知識などを記録するものをいいます(吉田,2006他)。ジャーナルを書くことで、自分自身の実践を振り返ることができ、改善につながるヒントが得られると言われています(Richards & Farrell, 2005)。

私のジャーナリングは、一人でやっているのではありません。英語の授業に、ライティング・ワークショップ、リーディング・ワークショップを応用できないかと考えている仲間と協働でやっている、ブログを使ったオンラインでのジャーナリングです。各自のブログに、授業についてジャーナルを書き、それに対して仲間がコメントを書き込んでいくという流れで進めています。ブログは非公開にしてあり、メンバー以外は読むことができません。また、月1回、一歩後ろに引いて自分たちの実践を眺めるために、ジャーナリングの活動自体の振り返りも行なっています(*振り返りの質問)。さらに、年に2回オフライン・ミーティングを開催しており、オンラインで語りつくせなかったところや今後の進め方について直接話し合う機会をもっています。

書き続けることは、決して楽ではありません。時々、スキップしていまいます。しかし、私たちの仲間が共通して感じていることは、書かなければ得られなかったこと、書き続けなければ得られなかったことがあるということです。ブログでのジャーナリングなしには、今の実践は考えられないとまで思っています。ある調査によれば、ジャーナリングが有効だと感じたのは教師は96%で、ジャーナルを書くことを楽しめなかったとする教師はたったの4%だったそうです(Richards & Farrell, 2005,p.70)。

実践をして、書く。たったこれだけのシンプルな活動ですが、書くという行為の中に、深い思索や省察を生み出す力があるようです。

仲間との実践を踏まえて、ジャーナルを書くことのメリットを考えてみます:

1 授業について深く考えざるをえなくなる。(授業の後に書くことがなければ、すべてはそのまま流れてしまっていったはずです。ジャーナルを書くためには、自分自身の実践を振り返り、そこから何か意味を見出す必要があります。)

2 記録が残る。(ジャーナルを書いていなければ、忘れ去られてしまった大切な気づき、発見、そして、失敗がたくさんあったはずです。「書いておいてよかった!」と思うことがよくあります。)

3 無意識のパターンに気づく。(長く続けていると、繰り返し出てくるパターンや無意識の習慣が浮き彫りになります。そこには、改善や成長のチャンンスがあります。)

4 グッド・プラクティスが浮き彫りになってくる。(これも一定期間続けることのメリットです。授業というものは、複雑な要素がからみあったものですが、長期間のジャーナルには良いものが残っていきます。)

5 仲間のコメントで、気付くことができたり、勇気付けられる。(一人で気づくことができないことはたくさんあります。反応をもらえるだけでうれしいものです。)

6 自分自身の感情や浮き沈みを自覚できる。(心がおどるような変化がない時や書く気持ちがわかない時があります。それが、自分自身の状態を自覚する機会にもなります。)
 
今は、日記帳やノートを準備しなくても、パソコンやスマートフォンを使えば、気軽にものを書ける時代になりました。仲間との共有も簡単にできます。今、この時を記録していくことは、教師として成長するための大切な第一歩となるはずです。

ジャーナリングを意味のあるものにするためには、以下のことを念頭においておくと良いと言われています:

1  目的を決める。
2  読み手を決める。(自分だけ、仲間と、メンターと)
3  時間を決める。(いつ書くか、どれだけ時間をかけるか)
4  定期的に読み直す。(何か浮かび上がってくることはないか?)
5  一定の期間をおいて振り返る。(目的を達したか、うまくいったことは何か、新しい学びはあったか、仲間と共有できることはあるか)(Richards & Farrell, 2005,p.75-76)。

さあ、まずは、1ヶ月。ぜひ、挑戦してみてください。


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*<月間の振り返り質問>
1.この間、一番心が動いたことは? 嬉しかったこと、悲しかったことは?人に一番伝えたいことは? 
2.ブログを書くことでプラスになったと思えること、得られたことは?
3.他の人のブログを読むことでプラスになったと思えること、得られたことは?
4.自分の変化は?自分についての発見は?
5.困ったことは? 改善が必要な点は?
その他何でも気づいたこと、思ったことは?
<中長期に振り返るための設問>
1 チーム・ブログとして機能していたか否か? その理由は?
2 今からのブログを書くことについて、達成可能と思える自分の目標は?
3 振り返り質問事項の修正点は?


[参考文献]
吉田新一郎(2006)『「学び」で組織は成長する』光文社新書
Jack Richards and Thomas Farrell (2005) Professional Development for Language Teachers, Cambridge.