2023年12月30日土曜日

探究力を育む理科の授業とは

 

 今回は2020年出版の『だれもが<科学者>になれる!』(新評論)を手掛かりに「探究力を育む理科の授業」について考えてみたいと思います。

 第1章「探究―次のフロンティア―」の最後に「探究実践例」として「火星に生命は存在するのか?」が紹介されています。1997年にアメリカの火星探査機によって、火星の表面にかつて大量の水が存在したことがそこで撮影された写真から判明しました。実は、この本の著者であるチャールズ・ピアス先生の小学校5年生の教え子の二人が、その5年前に浸食模型を自分たちで作って、その模型の川床の写真とそれ以前に撮影された火星表面の写真の間に類似性があることに気づきました。そればかりでなく、彼らは水があれば堆積岩があると推測し、生命の痕跡があればその堆積岩の中にあることも示唆していたのです。その5年後に探査機が送ってきた写真は太古の川床と堆積岩らしい岩石があることを示していました。まさに本物の科学者の研究と言っても過言ではありません。これが小学校の理科の時間に子どもたちの探究活動によって生み出されたものなのです。

 私も長年、中学校で理科を担当しましたが、中学校理科はどうしても高校入試を意識して、教え込みの授業スタイルが多くなってしまいがちです。今でもこの点は変わらないように思いますが、「本物の科学者」として生徒が探究する授業づくりは机上の空論なのでしょうか。

 理科の時間を探究中心に変えていくためには、それなりの準備が必要になります。

 まず、「問い」づくりから始めるのがよいでしょう。『だれもが<科学者>になれる!』によると、ここで「クエスチョン・ボード」という仕掛けを用意します。これは教室の一角にホワイトボードを用意して、子どもたちがマーカーを使って自由に思いついた「問い」を書けるようにしたものです。こうすることで、ふと思いついた問いをすぐに書きこめるわけですから、そこにはいろいろな問いが集まってくると思います。それをそのままにしておいては宝の持ち腐れです。

 次にやるべきことは、このボードに書かれた問いを「調べてわかる問い」と「実証できる問い」に分けることです。「調べてわかる問い」とは、本やウェブのなかで、その答えを見つけることができるものです。最初はここに分類される問いの方が多いかもしれません。もう一つの「実証できる問い」とは、子どもたちが観察することや簡単な実験で答えが見つかるものです。この二つをきちんと分類できる力を子どもたちが身に付けていくことは、次の段階で「探究活動」を実践していくために、欠くことのできない力となります。これまでの総合的な学習などで行われてきた活動の多くは「調べてわかる問い」が圧倒的に多かったように思います。日本でも優れた教育実践者はこの「問い」の重要性に気づき、大切にしてきた歴史があります。私が若いころに参考にさせてもらった有田和正さんなどの授業はまさにそうした問いから生まれたものでした。

 私も40代のころ、「問い」の研究に夢中になっていた時がありました。教師の仕事の面白さは授業にあると思いますが、特によい「問い」を見つけられ、私も生徒も前のめりの感じで授業が進んでいった時の喜びは何にも替えがたいものでした。

それから20年以上も経ちますが、かつて考えていた「問い」を思い出すことがあります。以前に理科の教師をしていたときからの問いの一つは次のようなものです。

 

「恐竜が繫栄した白亜紀には大量の植物が地球上を覆いつくしていたが、その原料となる炭素はどこから供給されたのか」

 

その問いを解くカギが最近偶然わかりました。東京大学大気海洋研究所名誉教授の川幡穂高(かわばた・ほたか)さんが『週刊ダイヤモンド』(2023/11/25)の「大人のための最先端理科」に寄稿されていた記事のなかで紹介されていました。

その内容はおおよそ次のようなものです。

地球の表面を覆う地殻の下には、マントルという岩石でできている層があります。これは岩石と言いながらも移動するので、それが大規模に上昇すると地表では火山活動が活発になるという関係があります。ちょうど白亜紀中期はこの活動により当時の大気中には火山から噴出した二酸化炭素で充満していたようです。現在は大気中の二酸化炭素は0.04%程度ですが、当時は0.1%を超えており、これが大量の植物の光合成の原材料となっていたようです。結果として、植物が繁茂し、それを餌にする恐竜が大型化したとのことです。

また、この時代の二酸化炭素過剰の現象が「石油」生成へとつながりました。現在の石油資源の半分はこの白亜紀につくられたもののようです。それを現代の私たちが消費し、その結果、二酸化炭素を大気に放出し、温暖化問題を引き起こしているというわけです。そして、川幡さんのこの記事はこのように締めくくられています。

 

カーボンニュートラルとは、「人類による地球白亜紀化」の流れをストップする活動なのだ。

『週刊ダイヤモンド』(2023/11/25号、73ページ)

 

こういう見方もあったのかと改めて科学(理科)の面白さに気づかされます。およそ1億年前のできごとと現在を結びつけるスケールの大きな問いを理科の授業で扱ってみたいものです。一般的には地質時代ごとの特徴的な化石を順番に確認して終りで済ませてしまうのが定番ですが、「中生代の二酸化炭素濃度の上昇」という切り口から、植物と動物、地球環境・資源などいくつもの視点から問いを追究していくことができます。社会科との関連で言えば、石油資源の偏在による経済の非対称性や先進国とグローバル・サウスとの関係など、まさに今日的な課題にも切り込むことが可能です。

このように「問い」は探究活動の出発点です。ふだんから問いを大切にした授業づくりを考えていきたいものです。

今年1年「PLC便り」をお読みいただきありがとうございました。

また、来年もよろしくお願いします。

2023年12月24日日曜日

「変わること/変えること」を理解する!

 「学校はいろいろな意味で変わらなければならない」と言われ続けています。しかし一方で、何をどう変えていいのか分からない状態も続いています。今回は「何を★」はおいて、「どう」の部分についてです。

 何かを変えたいと思ったときに、どのようなことに気をつけたり、どのように進めていったらいいのかのヒントです。

1. 一つの方法がどこにも、誰にも同じように効果を上げることはない。

 構成メンバーが異なれば、たとえどこかほかで成功した事例でも、そのまま持ってきて成功することは期待薄です。自分なりのアレンジを工夫しなければ。

2. 構成メンバー全員がみんな同じスピードで変わることはあり得ない。

 人は一人ひとり受け入れ方、理解や咀嚼の仕方、アクションの起こし方等、違うので、みんなが同じスピードで同じように変われることはあり得ません。しかし、私たちの進め方の多くは、そのあり得ないことを前提にしています。★★

3. 変化は、個人的なものである。

 教育は、単に頭だけを使うのではなく、心も使います。教えることは、内容を教えるだけでなく、その人をも教えます。ということは、変わること/変えることを求められた人は、自分を変えることを意味しますから、抵抗も予想されます。★★★

4. 変化を、小分けする。

 大きな変化は、脅威に思われがちです。小さく分けることで、脅威は減り、より容易に取り組みやすくなります。それによって、最初に取り組む人たちが、後の人のモデルになったり、サポートすることも可能になります。また、なぜ変わることが必要なのかの理由を明確にしたり、変わることで得られるメリットを確認したりすることも大切です。さらに、異なるスピードで取り組むメンバーにどれだけ寄り添える(個別サポートが提供できる)かがポイントです。これがないとうまくいかないでしょう★★★★。そして、達成できたことは「祝う」(褒める)ことの大切さです。それは、みんなの前で発表してもらったり、何かに書いてもらったりする形でもできます。

5. 関わる人全員のウェルネスを重視する。

 ウェルネスは、身体的な健康のみならず、精神的な健康も視野に入れた捉え方です。具体的には、これまで以上に忙しくしないことを意味します。変えるために何かを増やすなら、減らす必要があるということです。しかし、単に時間面だけでなく、身体的にも精神的にも、ワクワクする/元気になることを大事にしてください。

6. 自分も一緒に取り組む。

 リーダー的な人が支持をするだけで、あとはお任せでは、残りの人たちがやる気になれるはずはありません(よく、校内研修等で、管理職に見られる行動?!)。そうではなく、自分が率先して「変化のモデル」であり続けない限りは。

7. 率先して変わる人たちに「変化の担い手」になってもらう。

 リーダー一人で全部できるはずがありませんから(さらには、学びと変化のコミュニティーをつくるためにも)、変化を率先して起こしている人たちを元気づけ、「変化の担い手」★★★★★になってもらいます。


参考:https://www.eschoolnews.com/educational-leadership/2023/09/18/8-lessons-to-help-school-leaders-manage-change/

★「何を」については(そして、それらを具体的に変える方法についても)、このブログでは継続的に扱ってきました。たとえば、https://projectbetterschool.blogspot.com/2023/07/blog-post_16.htmlなど。

★★この点を含めて、『校長先生という仕事』のパート3「学校の改革の担い手としての校長としての仕事」の第3章に詳しく「変化」ついて書かれていますので、ぜひ参照してください。タイトルは「校長先生」になっていますが、あらゆる集団やチームのリーダー的なポジションにある人が知っておくべき/すべきことが整理されているのがパート3です。

★★★この点については、『SELを成功に導くための五つの要素』がおすすめです。

★★★★この点について、授業で対生徒に行っている『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』で紹介されている「一人ひとりをいかす教え方」と、https://projectbetterschool.blogspot.com/2015/03/blog-post.htmlに書かれている方法が参考になります。別な言葉でいえば、「個別最適な学び」を実現するための具体的な方法です。

★★★★★『「学び」で組織は成長する』の17番目の方法を参照してください。

 

2023年12月17日日曜日

覚えておくと得する「学びの原則」

これまで2回連続で『歴史をする』(の第2章)から紹介した「理論 vs. 実践」のスピンオフです。

 授業をよりよいものにするため、授業を生徒たちにとって忘れられないもの(身につくもの)にするために役立つ理論や原則が紹介されている他の本を紹介します。

 その意味で、3回連続の「学びの原則」の第3弾と言えます。(タイトルは、「覚えておく」だけで実践しなくては徳島線から、「“実践する”と得する学びの原則」がより正しいです!)

①まず、『イン・ザ・ミドル』(特に、第1章)には、著者が「教える(側の)論理」から「学ぶ(側の)論理」に転換した経緯が詳しく紹介されています。教師なら誰もが体験を通してすでに知っていることですが、教師(教科書)が良かれと思って考えたプログラム(一斉指導の指導案や単元案)では、せいぜい教室の3分の1ぐらいの生徒にしか届きません。この本の第2章以降では、著者が「学ぶ(側の)論理」に転換して以降の約30年間の実践が詳しく紹介されています。それに合わせた評価の仕方も(第8章)。

 

②『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』は、教室のなかに座っている生徒たちは、そのレディネスも、もっている興味関心も、学習履歴(もっている知識・情報・体験)も、学び方も学ぶスピード、学んだことの表現の仕方も違うという歴然とした事実からスタートした教育実践です。(これに対して、一斉指導はあたかもこれらすべてが同じと仮定して行われる授業でしょうか?)

 次の図2.2が、このことを分かりやすく描き出しています。あなたが、特に共鳴するものはどれですか? 逆に、反論したくなるものはありますか?


  原則は、図には5つしか書かれていませんが、本文では8つ紹介されており、違いがあるものは次の通りです。

・教師は一人ひとりの違いにしっかり注意を払う

・評価と指導は切り離せない

・生徒の多様性をもとに、内容や方法や成果物を変える ~ 教師が教え、生徒が学ぶ内容や方法、そして学んだ結果を表現する成果物につくり方に選択肢を提供する、という意味です(上の「評価と指導は切り離せない」も実現しています!)

・教師と生徒は学習について協働する

・教師はクラスの到達基準と個人の到達基準のバランスをとる

 

③最後は、これまでこのブログで何回となく紹介したことがある「学びの原則」https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/03/plc_18.htmlです。これは、近年の脳の研究や認知心理学等からわかったことをまとめたものです。

 

他にも、理論、原則、特徴等の観点で、よりよい授業を常に模索し続ける先生におすすめの本には、『学びの中心はやっぱり生徒だ!』と『「学びの責任」は誰にあるのか』に2冊がありますので参考にしてください。

2023年12月10日日曜日

失敗からの飛躍、教育の新しいアプローチ


 

教育において失敗を受け入れるマインドセットの重要性に着目した参考となる一冊の本を紹介します。

 

  Jo BoalerLimitless Mind: Learn, Lead and Live Without Barriers

 

算数・数学の授業では特に間違いを避ける傾向がありますが、スタンフォード大学の数学教授、ジョー・ボアラー氏の著作は、間違いを歓迎する学習を提唱しています。

 

学びのプロセスでは、間違いが歓迎されるべきである一方で、実際には誰もが間違いを犯したくないと感じています。特に、クラスの前での失敗はさらに恐れられがちです。間違いを受け入れる文化をどうやって生徒たちが理解し、浸透していくか、教師にとっての大きな課題です。

 

多くの教室では、生徒がほぼ間違えないように、また失敗しないように教えることに最大限の配慮がされています。しかし、生徒の成長には、理解の限界に挑戦し、間違いと向き合う環境が必要とされます。この本は、そうした学習環境の構築についての洞察を提供してくれます。

 

この本の第3章では、間違いが脳の成長と学習にどのように寄与するかを解説してくれます。神経科学の進歩により、間違いや葛藤が学習プロセスや脳の発達に良い影響を与えるというエビデンスが増えてきています。

 

 

 

1 間違いは脳を成長させる

 

ジェイソン・モーザーらの研究によると、間違いをした際の脳の反応をMRIで観察した結果、間違いがある方が脳の活性化と成長を促すことが明らかになりました。また、アンダース・エリクソンの研究は、専門家が約1万時間の練習を積むことで高いレベルに達することを示しています。これは「10000時間の法則」としても知られていますが、重要なのは単に努力することではなく、正しい方法で努力することなのです。効果的な練習とは、自分の理解の限界に挑戦し、間違いを犯し、それを修正し、さらに努力することを含みます。

 

例えば、学習科学者のエリザベスとロバート・ビョークは、テストを通じて情報を引き出すことが学習に効果的だとしています。このアプローチでは、学習者が自己テストを行い、間違いを犯し、それを修正することで、より深い理解と記憶の強化が促されるのです。

 

また、日本や中国の教育事例も紹介されていました。これらの国では、生徒が深く考え、基本的な概念に挑戦することに重点を置いており、この方法が高い成績につながっています。アメリカと比較して、日本や中国では問題を深く掘り下げ、生徒が難しい課題に直面し、それを克服することで深い学習が促されています。OECDPISAテストの結果をみると、日本のレジリエンスが高いのは、このような教育方法が一因かもしれません。

 

 

2 困難に立ち向かう価値を教える「もがくことの重要性」

 

ジェニファー先生は、生徒たちに「もがきのステップ」という図を用いて、困難に直面することの価値を教えています。彼女は生徒たちが「学習の落とし穴」に陥った際にそれを祝福し、彼らが自力で解決策を見つける手助けをしています。このアプローチは、学生が困難を乗り越えることによって、学習効果と脳の成長が促されるということを示されています。

 




この方法は、困難や葛藤を通じて学ぶことの価値を示し、教師がこのプロセスをどのようにサポートするべきかについて示唆を与えています。

 

 

 

3 失敗を成長のチャンスと捉える「失敗に対する新しい視点」

 

失敗や困難な状況をポジティブに捉え、それを成長と学習の機会として活用することの重要性を強調しています。脳科学に基づいた新しい学習法を採用する教育者の一例として、カレン・ゴーティエの事例が紹介されていました。彼女はかつて自信を失い、失敗を恐れる傾向がありましたが、失敗を成長のチャンスとして捉えるようになり、この考え方を教室にも取り入れました。彼女自身も新しい挑戦を受け入れ、新しい役職にも応募するようになりました。

 

失敗を恐れずに挑戦を受け入れる「成長マインドセット」の重要性を説明し、困難や挑戦的な状況に直面した時にそれを乗り越えることで、脳の成長や学習が促進されると指摘しています。カレンの例のように、失敗や挑戦をチャンスと捉えることができる人は、困難に直面してもポジティブなサインとして捉え、真の能力を発揮することができると述べられています。

 

 

 

 

困難や失敗を成長の機会として捉える「成長マインドセット」の価値が明らかになりました。教育現場では、このマインドセットを生徒たちに伝え、彼らが自信を持って挑戦する環境を整えていけるといいです。失敗を恐れずに新たな挑戦を受け入れることで、生徒は自己の限界を超え、真の能力を発揮することが可能となります。このアプローチは、教育の現場での新たな学習法として、今後もさらに注目されることでしょう。

2023年12月3日日曜日

理論 vs. 実践 その2

 https://projectbetterschool.blogspot.com/2023/11/vs.htmlでは、六つの理論(=生徒がよく学べ、学んだことが身につく授業の原則)の四つを紹介したので、今回は残りの二つです。

 

⑤ 教えることは足場をかける(生徒に適切なサポートをする)ことである

ほとんどの場合、学校外での学習はコミュニティーのメンバー間の継続的な協力が必要となります。より多くの知識をもったメンバーが、新しい学び手にとって価値があると思える活動に、本格的に参加できるように支援をしています(『歴史をする』66ページ)。

 この具体例として、幼い子供が話せるようになることと、医師になるために長期間の実習を受けるなどの例が紹介されています。

伝統的な仕事(農作業、料理、キルトづくり、狩猟)や現代的な仕事、またスポーツや芸術などの仕事にかかわらず、通常、学習は一種の見習いのようなものであり、初心者が少しずつ専門知識を身につけることができるように、より知識の豊富な人が「師匠」ないし「よき先輩」として手助けをしています。熟達者は初心者に「足場」となる枠組みを提供しているのです。

残念ながら、生徒は学校でこのような継続的な相互作用に参加する機会がほとんどありません★。ほとんどの場合、教師が情報を伝えている間、生徒は耳を傾けることのみが期待されています。参加方法も、通常は教師が質問し、生徒が答え、教師がその答えが正しかったかどうかを伝えるといったパターンにかぎられています。つまり、その目的は生徒の記憶力を評価することであり、生徒が興味のある問いや課題に対する追究を助けることにはなっていません。もちろん、生徒に自主的な課題が与えられたり、「探究する」ことが期待されたりする場合もありますが、学習(ないし探究)のプロセスをどのように進めていくかについては教えられていません。

教師なら誰もが知っているように、探究していくのに必要とされるスキルをもっている生徒はほとんどいません。探究心は教育に不可欠なものですが、単に課題を与えただけでは意味のある結果は得られません。ほとんどの生徒が自分の経験を最大限に活かすための直接的な支援が必要なので、教師のもっとも重要な責任は、生徒が学習するために必要な枠組み(足場、サポート)を提供することとなります。(中略)生徒は、学びを支援してくれる教師や知識の豊富なクラスメイトと一緒に活動することで最高の学習ができるのです(同、67~9ページ)。

ここでは、四つの足場=サポートの仕方が紹介されています(同、69~72ページ)。

第一に、教師は生徒が課題に興味をもつように努める必要があります。もともと好奇心が旺盛な生徒ですが、教師が生徒の興味を引き出し、維持するように手助けをすれば、彼らは探究を続けるようになります。

第二に、生徒が課題に取り組む際、教師は生徒を積極的に支援し、励まし続ける必要があります。この支援には、課題を生徒が自ら管理できるように分けて示すことも含まれます。

第三に、教師が手順のモデルを示すことです。先に述べたように、生徒が「歴史をする」ためには、教師はそれがどのようなものであるかを見本として示さなければなりません。教師の「読み書き」をまねようとするとき、教師が読んだり書いたりする様子を生徒は見なければなりません。それと同じく、教師が歴史の問いに取り組んだり、情報を収集したり、一般的なケースを引き出したりする様子を生徒は見る必要があります。ある課題を生徒がうまく達成するためには、教師はそのモデルを見せなければならないのです。もし、生徒がモデルを見ることができなければ、自分が行うべきことが分からないでしょう。

第四に、教師は生徒のパフォーマンスに対してクリティカルなフィードバック★★を与えなければなりません。自分の作品が理想的な作品とどのように違うのかについて理解させなければならないということです。

このようなフィードバックがなければ、多くの生徒は自分の課題が成功しているかどうかを知ることができません。これらすべての形態における「足場かけ」の最終的な目標は、生徒が学習計画を立て、自分自身の進歩を客観的に把握できるようにすることで、教師から生徒へと学習の主導権を移し、「自立した学び手」にすることとなります。このような能力は、「メタ認知」と呼ばれることもあります。

 

  建設的な評価で、生徒の学びが絶えず修正・改善され、教師の授業もよくなり続ける

「評価」「評定(成績)」「テスト」の三つは、多くの教育者にとって(生徒にとって)も教育に関する専門用語のなかでもっとも不快な言葉です。(中略)教師の多くにとっては、評価をすることではなく生徒の支援をすること、つまり本書で取り上げているような形成的に「足場かけ」をすることこそが、「真に教えることとはどのようなことなのか」というイメージを与えてくれるのです★★★。好意的な見方をしても、評価というものはユニットの最後に付け加えられる「必要悪」であり、それらを足すことで通知表の評定を決めているにしかすぎません。そして、最悪の場合、教師と生徒の間の良好な関係をその評価が台無しにする可能性もあります。

そのような評価を続ける必要はありません。評価とは、不愉快な【おまけ】のようなものでなく、有意義なものであり、信じられないかもしれませんが、時には教えることと学ぶことの中心にある一連の実践であり、楽しい仕事になり得るものなのです。★★★しかし、このような高尚な期待に応えるためには、私たちが通常想像しているものとは異なる役割を評価が果たさなければなりません。

教室での評価の第一の目的が成績表の評定をつけることだとしたら、生徒も教師もそこから大きな恩恵を見いだすことはできないでしょう。また、生徒のニーズではなく成績表が評価の形を決定している場合は、課題が生徒をつまずかせ、生徒が知らないことを明らかにさせて、成績を正規分布に近づけようとする試みとなるでしょう。生徒の選別にこだわることは、生徒の知識や理解不足を明らかにすることを目的としたものでしかなく、事実上、否定的な経験になることを保証してしまうようなものです(同上、72~4ページ)。

 しかし、このまま続けることは誰にとってもよくありません(受験産業は、儲け続けられるので、いいかもしれませんし、国にとっては、国民総生産の数字を上げるのに役立つかもしれません。しかし、実際にやり続けることは、真の意味での学びが極めて希薄な「点取りゲーム」だけです!)。

生徒がよく学べ、学んだことが身につく授業においては、評価の特徴を次の四つと捉えています。

第一は、評価は建設的であることです。「建設的な評価」とは、何よりもまず建設的な目的を果たすこと、つまり教えることと学ぶことに有益な効果をもたらすことを意味し、評価課題は、知らないことよりも知っていることを生徒に明らかにさせるものです。(そして)生徒が知っていることを生徒自身が可能なかぎり多くの方法で示せるようにすることで、それは行われます。具体的には、フォーマル・インフォーマルな測定、教師と生徒の両者が選択した課題、話すこと、書くこと、その他の発表形式などとなります。

このように生徒と教師が一緒になって、学んだことを表現できるようにするための最良の手段を探しているとき、生徒は自らの可能性を最大限に発揮するチャンスが得られと感じて、自尊心が高まります。一方、教師は、生徒が何を知っていて、何を学ぶ必要があるのかについてより把握することができるようになりますので、教え方はより良いものになります(同、74~5ページ)。

第二は、生徒の状況をクリティカルに見抜くためには、生徒の達成度を把握するために複数の方法が必要となります。複数の評価方法を組み合わせることで教師は、生徒が知っていることやできることを把握する際に自信をもつことができます。生徒のことを知るためにもっとも有用な方法は、生徒との話し合い、生徒が書いたもの、そしてパフォーマンスによる表現ないしプレゼンテーションの三つとなります。(中略)複数の評価手段を使用することで、それぞれの生徒は知っていることを示す機会が得られます。このアプローチでは、生徒に選択肢を与えることも頻繁に行われます。たとえば、探究プロジェクトの結果を、小論文、ポスター、ビデオ、またはプレゼンテーションにするかどうかなど、生徒は評価の形式を選択することができます(同、75~6ページ)。

第三に、評価活動は現実社会と同じものでなければなりません。つまり、実際に地域社会や企業、学術分野で人々が行っている作業に近いものでなければならないということです。これには、教師以外の聞き役を事前に準備する必要があります。生徒の課題を見たり聞いたりするのが教師だけの場合、生徒は知っていることを発表しようとする動機が小さなものになります(教師はすでに答えを知っている、と思っているからです)。(同、77ページ)

第四に、第三の特徴を大事にすることは、もう一つの特徴の「評価することと教えることの一体化」★★★の側面を強調することになります。

伝統的に教師は、評価を教えたあとに来るものだと考えています。生徒に何かを教えて(あるいは、生徒自身がそれについて読んで)、それを学んだかどうかを確認するためにテストを行います。ほとんどの授業では、教えることと評価することを区別するのは簡単です。実際、学校では、この二つの局面を可能なかぎり異なるものにするために多大な努力をしていることがよくあります。

しかし、「評価することと教えることの一体化」している授業で教師は、生徒が話している間にメモをとったり、プレゼンテーションを観察したり、プロジェクトを見直したり、レポートを読んだりしますが、これらはすべて、つながっている学習評価の一部なのです。評価は常に行われているので、評価のために別の時間が設けられることはほとんどありません。(同上、77~8ページ)

 

★このような場が提供されているのが「作家の時間」「読書家の時間」(および、それらを社会科、理科、算数・数学に応用した「社会科ワークショップ」「科学者の時間」「数学者の時間」)です。http://wwletter.blogspot.com/2010/05/ww.htmlを参照。

★★「クリティカルなフィードバック」で一番効果的な方法は、生徒同士のピア・フィードバックでも使える「大切な友だち」(https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/08/blog-post_19.html)です。

これを教師と生徒の間でしている場合を、作家の時間や読書家の時間では「カンファランス」と言っています。カンファランスの目的は、成果物や作品をよくするためではなく、書き手や学び手をより自立した書き手/学び手にするために行われます。クリティカルなフィードバックの最もいい形が『イン・ザ・ミドル』の第8章で描かれています。

★★★文科省が20年以上前に言いだして、いまだに実現できていない「指導と評価の一体化」です。『あなたの授業が子どもと世界を変える』の第8章に書かれている、「評価は楽しいものであるべき――そんなこと、ありえないでしょ。本当です。私たちは真面目です」も参考になります。この後の評価の四番目の特徴も参照。