2021年9月26日日曜日

「どうでもいい仕事」の放逐を

 

このタイトルのオピニオンが2021830日付・日本経済新聞に掲載されました。筆者は同社上級論説委員・西條郁夫さんです。

この記事の最初の部分で、文化人類学者デヴィッド・グレーバーによる「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」(邦訳・岩波書店)によるどうでもいい仕事を分類した5つの類型を次のように紹介しています。 

▼誰かを偉そうにみせるための取り巻き(=ドアマンや受付係)

▼雇用主のために他人を脅迫したり欺いたりする脅し屋(ロビイストや顧問弁護士)

▼誰かの欠陥を取り繕う尻拭い(バグだらけのコードを修復するプログラマー)

▼誰も真剣に読まないドキュメントを延々とつくる書類穴埋め人(パワーポイントを量産するコンサルタント)

▼人に仕事を割り振るだけのタスクマスター(中間管理職) 

 確かに、なるほどと頷いてしまうものばかりです。このような仕事が多くなればなるほど働く意欲も低下するわけです。これは企業ばかりでなく、学校にも当てはまることでしょう。

この2年近くのコロナ禍で、学校では感染症対策やオンライン授業への対応を始めとする授業改善などに関連する多くの仕事が加わってきました。せっかく、働き方改革という名のもとに、いくらか改善の兆しが見えたところで、現状はまた以前に逆戻りという感じではないでしょうか。

 しかも増えた仕事が自分たちで取り組もうと決めてやり始めたものならばいざ知らず、上からの指示の名のもとに付け加わった仕事ですから、なおさら疲労感は大きいと思います。先ほどの記事の最後はこう締めくくられています。 

 テレワークの普及など仕事の形は刻々と変化するが、大切なのは「ブルシット・ジョブ=どうでもいい仕事」を減らし、意味の実感できる仕事を増やすこと。これが働き方改革の本丸だ。 

 まさにその通りです。学校で意味の実感できる仕事とは、授業に関連することだと思いますから、そこに多くの人がかかわれる学校体制づくりを教育委員会や学校の管理職は何よりも優先してやってほしいものです。

2021年9月19日日曜日

新刊紹介『挫折ポイント』  

協力者の一人の佐藤可奈子さん(中学校の国語科教師)が、以下の紹介文を書いてくれました。

 

*****

 

「生徒がやる気をなくした瞬間や努力をしないと決めた瞬間」これを「挫折ポイント」とする。(「はじめに」より)

想像してみましょう。やる気をなくした生徒を前にした教師(私たち)は、どんな行動をするでしょう?

*やる気をなくしているなら、何を言っても無駄だから無視する。

*授業(仕事)の邪魔をしない限りは、放っておく。

*大きな声で叱る。

*事情を聴いてみるが「別に」と答えられて会話がおわる。

*背中をトントンとして参加を促す。

*レベルを下げた教材を渡す。

*課題に取り組む際に、一言二言会話を交わしてアドバイスする。

*評価を下げて、損を実感させる。

 

とりあえず、こうした対応をしておけば、時間が過ぎて授業が終わります。

生徒は授業を受けた(理解した)ことになり、教師は学びの保障をしたアリバイができ、すべての思わしくない結果は生徒の「やる気」の問題だったということに……教室でよくある場面ではないでしょうか。

「これ以上、どう関わればいいの?」

「やる気のない生徒に、何かを求めても無駄。」

「会社ならクビでしょ。社会で通用しないよ。」

そう思った方は、本書を読んでみる価値があると思います。

 

本書は“ごきげんな教室”をつくり、生徒と教師の成長を支援する方法や考え方を教えてくれます。

 

私のお薦めの読み方は「おわりに」から読むことです。

そこには、やる気をなくした生徒を前にした教師の、よくある姿が描かれています(私も、もれなくその一人です)。エピソードから「挫折ポイント」で展開される教師と生徒の関係は、互いの間に大きな認識の違いを生んでいることがわかります。

「おわりに」―P237L4「協力的な生徒はみんな努力家であり、協力的でない生徒は怠けていると捉えていた。」この記述には、ハッとさせられます。果たしてこの捉え方で生徒の成長はあるのでしょうか…?

 

「おわりに」を先に読むことで、読み手が問いを持ちながら、本書で語られることのゴールをイメージし、各章の内容を理解できる、理解しようとするだろうと思います。

「おわりに」を読んだ後は目次へ飛び、興味のある内容を選んで読んでもいいでしょう。どの章から読み始めても意味が分かる内容になっていると思います。

教育界の旬で言えば、第7章で取り上げられているICTツール、第5章で取り上げられている評価方法、形成的評価については、私たちの認識を変えたり生徒との関係や授業をよいものにしたりするヒントを与えてくれるでしょう。

きっと、手法を学ぶだけでなく、概念や考え方を学ぶことができます。これまでとは異なる、子どもへの目線、考え方を得られることでしょう。

 

本書のお薦めをもう一つ。各章末の「ルーブリック」が大きな刺激と学びを与えてくれます。

授業や子どもを理解したり授業を構成したりするための評価基準として機能することはもちろん、初期段階では自身の授業や考え方のチェックリストとしても使えると思います。

アメリカの教育現場で使われているルーブリックを、これほどまでに具体的に、豊富に示している訳本は、日本ではなかなかお目にかかれません。本書だけでなく、註釈で紹介されている多くの書籍と関連付けながら読むことで、「挫折ポイント」で何もできずに生徒を放置してきた自分と授業を変える必要性に気づくことでしょう。

 

手を付けられそうなところはどこでしょう。まず一つ、興味を持てた「ルーブリック」をもとにして行動してみてはいかがでしょう。

多くの教師が“ごきげんな教室”を作り、生徒と教師の学びと成長を支えるファシリテーターとなれたら、「挫折ポイント」にいる子どもたちも顔を上げて、自分の学びに向き合えるのではないかと感じます。

 

本書の「教師」「生徒」を「教え手」「学び手」に読み換えると、一般社会での人材育成に当てはめて読むことができます。「挫折ポイント」に至ることは子どもに限ったことではなく、大人も当たり前のように経験します。「教師」と「生徒」という関係性で考えるのではなく、「人」と「人」が学び、成長する時に必要な環境や資源を整備して、挫折の放置を止める。学校だけでなく、大人や社会も“ごきげん”になれるのではないでしょうか。

 

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2021年9月12日日曜日

デジタルテクノロジーの効果的な使い方

新型コロナウイルスデルタ株の猛威により新学期のスタートは、首都圏を中心に分散登校、時差登校が続いています。すでにクラスを二分し、半数の子どもたちをリアル登校、もう半数をオンライン参加としたハイブリッド授業が再来週まで続く小学校もあります。

 

子どもたちはもの珍しさもあり、デジタル機器を使った授業に楽しく取り組んでいるようです。とはいうものの、今後も続くとなると子どもの集中力は持たず、このような遠隔学習で本当に理解が進むのでしょうか。

 

教員の負担を考えると、登校している子どもたちが使った道具や教室への消毒作業、そしてリアル授業の準備と併せてオンライン参加をしている子どもたちに向けての資料作り、感染予防で休んでいる子どものケアなど、さらなる準備に悲鳴も聞こえてきそうです。

 

コロナ禍におけるGIGAスクール構想により、これまでICT後進国だった日本としては一人一端末が完備されることは大変好ましいことです。環境場整備されると一見、一人ひとりの学習が保障されるように映りますが、本当にこういったデジタルテクノロジーが子どもたちにとってよりよい道具となっているのでしょうか。

 

オンライン授業による子どもたちの生活リズムや心身に与える影響への問題、長時間の画面視聴による視力の低下が8歳〜10歳に多いことなどは常々、指摘されています。小学生の発達段階において言語認知ひとつとっても、果たしてどのような影響が与えているのか不安が残ります。デジタルテクノロジーを使っていれば良いのではなく、その使い方の質が問われているのです。

 

 

 

バトラー後藤裕子『デジタルで変わる子どもたち 学習・言語能力の現在と未来』(ちくま新書)に、そのよりよい使い方のヒントが紹介されています。

 

本書では、言語習得や言語使用における身体の果たす役割の大きさが説かれています。ジェスチャーやうなずき、話し手に視線を合わすなどの言語非言語行動もスムーズに会話を進めるための重要な役割を果たしています。また、読書においては手が重要な役割を果たしていて、紙の媒体で読む場合には、効率よくめくれるように手で準備したり、手の位置が読みの視線を誘導する役割を果たしているなどの手の果たす役割は大きく、身体行為が読みの深さに影響を与えるのであると教えてくれます。だからこそ、学校で使っているデジタルテクノロジーも子どもにとって身体化されなければ、思考や学習には直接結びつかないことが指摘されています。

 

"デジタルテクノロジーは人間の認知機能の一部を肩代わりするものであることから、うまく使えば人間の認知機能を拡大する魅力的な道具にはなるが、明確なビジョンがないまま盲目的に依存すると、脳の分析能力や一つの物事を論理的に批判的に熟慮する力を低下させる可能性がある。(Restal,2012"(位置No.3028/3538)

 

子どもがデジタルテクノロジーをうまく使いこなすには、まず教師が適切なデジタルリテラシーを身につけることです。

 

“デジタルリテラシーとは、①自分の目的に合ったデジタルコンテンツを見つけ出し使えること、②目的に応じて自分でデジタルコンテンツを作ることができること(例えばブログを作ったり動画を作成するなど)、そして③デジタル機器アプリを使ってコミュニケーションや情報交換ができることだと言われている。教師が常に新しいアプリケーションやソフトに精通している必要はない。しかし、授業の目的に応じてふさわしいデジタルコンテンツを自信を持って使えるだけの最低限の知識とスキルは不可欠である。そして児童生徒の言語コミュニケーション能力を促進するために、言語習得の本質である身体性、社会性、感情情緒の伝達をどのようにフォローしながらデジタル機器を有効に使うべきかを模索する必要がある”(位置No.3157/3538)

 

 

 

このコロナ禍における現在、デジタル機器の扱いでは、家庭学習における漢字や計算練習などの記憶タスクを繰り返させるものが多くあります。これに対して本書では、「英語学習者の小学生に自らを紹介する動画を英語で作成し、安全性を確保したサイトへアップする課題を出したところ、子供達は少しでもいい動画にしたくて自ら何度も何度も練習を繰り返したり友達のアドバイスを得たりしながら動画を作成した」といった実践事例も紹介されていました。まさに、なんのために学習するのか目的を考えることです。

 

デジタルテクノロジーは両刃の剣であることを忘れてはいけません。ちょうど一年前にもコロナ禍におけるオンライン授業やICTデバイスの扱いに懸念を持って、「「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない」投稿しました。併せてご覧ください。

https://projectbetterschool.blogspot.com/2020/10/blog-post_11.html

2021年9月5日日曜日

「子どもたちが主人公」は実現しているか

「学校は子どもたちが主人公」。かなり使い古されたフレーズですが、日本中の多くの学校がかかげているスローガンです。とても共感できるものですし、ぜひ、そのような哲学のもとで、学校づくりを進めていってほしいと思います。

しかし、このような標語が頻繁に出てくるということは、未だに学校では、多くのことが「教師中心で回っている」ことの裏返しなのかもしれません。

『学校リーダーシップをハックする』では、生徒中心の学校のもつ基本的な哲学を次のように記述しています。★1

「生徒が学びに対して発言権をもち、学び方に選択権があり、幸せに夢中で学ぶ生徒を育てることが学校の役割だ、という哲学です。」

同書では、生徒中心の学校をつくるステップとして、1)意思決定のチームをつくり生徒をそのチームに加える 2)生徒が会議に参加することを奨励する 3)生徒が自らの興味やアイデアで、学びを進めるプロジェクトの時間などがある 4)生徒によるエド・キャンプ(参加者が自ら計画し、運営する学びの場)を始める といったプロセスを奨励しています。

校内の各種委員会などを含めて、学校運営協議会のような会議のメンバーに、児童・生徒が入っている割合は、どの程度でしょうか? 子どもたちは、どの程度の主体者意識をもって、そのような会議に参画しているでしょうか?子どもたちは、自分の学校について、オウナーシップをもっていると自覚しているでしょうか?そして、教員集団は、子どもたちの力を信じて、任せているでしょうか。大人の都合の良いように、主人公を演じさせられているように見えるのは私だけでしょうか。

しかし、これは無理のないことなのかもしれません。学校という教育制度自体が、長らく、規則に従い、従順な働き手を育てることが役割だったのですから。ジョン・スペンサー/A・J・ジュリアーニは、『あなたの授業が子どもと世界を変えるーエンパワーメントのチカラ』の中で、古い教育制度は「規則に従う人々を作り出すものであり、何をしたらいいかについて指示を待つことを意図してつくられたものです。この制度から卒業すると、あなたは何をするときも誰かの指示を待つことになります。」★2 と記しています。

教師は、「コントロール・マニア」になりがちだと言われます。生徒たちのために、あらゆることを、決定したがるものです。教材も、内容も、課題も、ねらいも達成目標も、進め方も、それらの活動への評価もです。そして、それらの決定権を手放そうとしません。それは、生徒たちにはそのような決定はできないと思いこんでいるからです。しかも、生徒の決定に任せるよりも、労力も少なくて済むと思っています。そして、それが生徒たちの「ため」であると、心から信じている教師も多いものです。

このコントロールを放棄するところから、生徒たちが主人公の学校づくりは始まります。

最近、エンパワーメント(empowerment)という言葉を聞く機会も多くなりました。「エンパワーメント」には、「力を与える」「権限を委譲する」という意味があります。生徒たちの力を信じて、失敗を恐れず、生徒たちに、任せところから始める必要がありそうです。今回紹介した2冊の本には、そのためのアイデアや考え方が数多く紹介されています。あなたの学校でできることから始めてみませんか。

教師のコントロールに依存しつづけるだけでは、生徒たちが主人公となる学校づくりは実現しないでしょう。生徒たちは、エンパワーされることによってのみ、潜在している能力が引き出されていくのです。


★1 近日発刊予定 『学校リーダーシップをハックする』 ハック6 「生徒を学校の中心に据える ー子どものための学校をつくろう」

★2 ジョン・スペンサー/A・J・ジュリアーニ (2020) 『あなたの授業が子どもと世界を変えるーエンパワーメントのチカラ』新評論. p.24