2019年9月29日日曜日

モバイルミュージアムの話

「モバイルミュージアム」という言葉を聞いたことはありますか。
モバイルミュージアムの定義は次のようなものです。(『モバイルミュージアム 行動する博物館』西野嘉章/平凡社新書2012)
 展示コンテンツをユニット化し、あちこちの場所に、単体として、あるいは複合体として、中長期にわたって仮設し、公開する。展示ユニットは一定の期間が過ぎると、次の場所に移動してゆく。
  これまでミュージアムと言えば、美術品や文化財などを収集し、保管し、公開する半恒久的な施設と考えられてきました。これをベースとして、「移動」という視点を加えたものがモバイルミュージアムとなります。
 これまでのミュージアムは固定された施設であるという概念の枠を超えて、あらかじめ移動しやすいように展示品などはユニット化しておき、ある場所での展示期間が終われば、次の会場に移動するという形で複数の会場で開催することを制作段階から念頭において、設計されるという特徴があります。
 展示品はものにもよりますが、制作費も決して安いものではありません。たとえば、初めから全国各地あるいは世界の様々なところで公開することを念頭において、設計し、各地を巡回するというモバイルならば、コストパフォーマンスもよいと思われます。また、固定された施設の維持費も安くはありません。よく言われることですが、自治体が「箱もの」と言われる施設を作っても、その維持・運営費を賄うことが財政をひっ迫させる要因になることはたびたび指摘されていることです。
 このモバイルミュージアムならば、その大きさにもよりますが、それほど大規模でなければ学校の空き教室を利用して開催することも可能です。さきほどの『モバイルミュージアム 行動する博物館』の中でもそのような学校の教室を利用した具体事例が紹介されています。
東京の文京区立湯島小学校において、2009年に「鉄---百三十七億年の宇宙誌」として製鉄会社の協力を得て、東京大学総合研究博物館が「スクール・モバイル」事業がその一例です。このようなミュージアムは子供だけでなく、その学校の教師や近隣の住民などにも公開することができ、学校教育・生涯教育の両面からその効果を発揮できるものです。

 このように発想を少し変えるだけで、これまでの活動がリニューアルされ、それまで以上の成果を上げることがよくあります。やはり今日では様々な分野で「イノベーション」という発想が求められる所以です。

 個人的には、そのような「モバイルミュージアム」において、サイエンス・コミュニケーションの視点を大切にした展示ができるとよいと思います。近年の科学の急速な進展により、一般市民が科学から置き去りにされているのではないか、専門家が独走しているのではないのかという議論がこの20年あまり繰り返されてきました。
加えて、学校教育においても「理科嫌い」の子供が増加し、それに対する対策としてもサイエンス・コミュニケーション、すなわち子供も含めた一般の人々と科学の距離を縮めようという方策の一つが「サイエンス・コミュニケーション」の考え方です。具体的には、科学者が科学博物館などの公開講座に講師として、積極的に一般市民への啓発活動に従事したり、小中高校の授業に特別講師として参加したりなど様々な工夫が始まっているところです。
 先ほど紹介した事例にもありましたが、学校内に空き教室を利用してモバイルミュージアムを置く、一つの方法ですが、子供たちが制作したものや学習成果物を展示する方法もあります。社会に開かれた教育課程を標榜するのであれば、ぜひ後者のような形で教室内の学びを地域社会に開いて、そこに新たなコミュニケーションの場を創り出す、そんな工夫が大切であると思います。それほどお金をかけずに、お互いに知恵を出し合っていけば、よいものができるのではないでしょうか。
教育現場では現状維持ではますます状況がわるくなるばかりです。
どうすれば今の状況を根本的によくすることができるのか、そんな思いをおもちの皆さんにぜひおすすめしたいのが、『教育のプロがすすめるイノベーション』(新評論2019)です。
この本には、具体的な事例を通して、管理職、教師がどのようにコミュニケーションを図りながら改革を進めていけばよいかが示されています。これからの学校改革になくてはならない本の一冊だと思います。

2019年9月22日日曜日

影響力があるリーダー(=教師)がもっている資質


影響力があり、効果的に振舞うリーダーがもっている資質として、次の10項目がリストアップされていました。(原本には番号は付いていませんでした。あとで紹介者が解説をしたかったので、加えました。)

  自分が期待することをモデルで示している。
  少ししか話さず、より多くを「している」。
  共有されたビジョンをつくり出し、それを実行している。
  計算し尽くしたリスクを負う必要性を理解している。
  失敗を恐れず、失敗から学べばいいことを知っている。
  同僚と良好な関係を築くことにたゆまぬ努力をしている。
  より大きな共通の目的のために協働している。
  絶えず、学び、そして振り返っている。
  変化することの価値をみんなが理解できるように助けている。
  言い訳ではなく、解決策に焦点を当てている。

 以上は、Learning transformed : 8 keys to designing tomorrows schools, today /Eric Sheninger & Thomas C. Murrayの36ページに書かれていたことです。
 あなたがリーダーに望むことは、すべて押さえられていましたか?
 抜けているものには、どんなものがありますか?

 これらを実行に移している教育のリーダーは身近にいますか?
 これらの資質をもったリーダーを増やすにはどうしたらいいと思いますか?
 教師も、教室の中では間違いなくリーダーです。
 あなたはどれを実践していますか?
 あなたに欠けているものは、どれですか?
 一番難しいのはどれでしょうか?

 これら10の項目について、詳しく書いてある本として『教育のプロがすすめるイノベーション』がありますので、まだ読まれていない方はぜひ参考にしてください。

 ③は、リーダーが自分でつくってしまい、その結果に従わせることではありません。日本の校長は、それが自分の役割と思いこんでいますが。共有されたビジョンのつくり方については、『エンパワーメントの鍵』に詳しく書いてありますので参照してください。
 ④と⑤について、 新しいこと(変化に耐ええるもの)をやろうとしたら、リスクや失敗はつきものです。それらを可能な限り計算し尽くし、失敗した時は、それこそが学びの機会と捉えて、ビジョンの実現に向けて前進すればいいのです。
 そういう努力をし続けないと、子どもたちに対して失礼です。また、そういう努力を教師(大人)がし続けているモデルを示し続けないと、子どもたちは学ぶことの意味を見いだせないでしょう! これは、⑧や⑨とも関係します。
 あなたは⑥に関して、どのような体験がありますから? リーダーからされたものとして、そしてリーダーとしているものとして。
 ⑦は、すべてではありませんが、かなりの部分③に依存する部分があります。
⑩に関連して、最近面白い本を読みました。『ネガティブ・ケイパビリティ ~ 答えの出ない事態に耐える力』という本です。学校をポジティブ・ケイパビリティ(=正解のある問題解決能力)ばかりを大事にしているところとして嘆いている本です。こちらも、ぜひ参考にしてください。


2019年9月15日日曜日

小学校教育にプログラミング教育はいらない!?

2020年度に小学校でプログラミング教育が必修化されます。その準備に向けて、多くの先生方が、慌ただしい毎日に頭を悩ませている。私もその一人です。

先の夏期休業日に、ロボットを使ったある大学で実施されたプログラミング教育研修に行ってきました。プログラミング言語とプログラミングロボットの操作方法や授業づくりについて学ぶはずが、その一台20万円もするロボットの数台が不具合続きで、全然使い物になりませんでした。実際に、道具を使ったプログラミング授業では、こういうことが数多く存在しています。研究発表の当日に、四台あるカメラ付きドローンのうち、2台しか跳ばず、デバッグ(プログラムの修正)で終わってしまい、研究主任の背中に冷や汗が流れた話も聞きました。

さて、このような現状の中、早急にプログラミング教育を導入する意義が本当にあるのでしょうか? 小学校の子ども時代には、PC画面を通して学ぶよりも、畑で植物を育ててどうやって食べようかを考えたり、集まってくる昆虫を捕まえて調べてみるなどの五感を十二分に使うこと、友だちと一緒にたっぷり遊んで心がすっきりしたり、ときにケンカしながらその解決方法を実体験を通して学ぶことのほうが、子どもの育ちには必要だとおもいませんか? 

今、本当にこの小学校時代に早急にプログラミング教育をする意義があるのでしょうか? 

文科省のHPに「未来の学びコンソーシアム」のパンフレットが紹介されています。そこには、プログラミング教育の意義が冒頭から、以下のように語られています。その内容にあまりにも驚いたので全文をそのまま記載します。

2020年度から、すべての小学校において、プログラミング教育が必修化されます。ここで重要なことは、「なぜプログラミング教育を必修化したのか」という点にあります。我が国の競争力を左右するのは何か。それは「IT力」です。ヨーロッパでは、「IT力」が、若者が労働市場に入るために必要不可欠な要素であると認識されています。現に、90%の職業が、少なくとも基礎的なITスキルを必要としていると言われています。そのため、ヨーロッパでは、多くの国や地域が学校教育のカリキュラムの一環としてプログラミングを導入しています。一方で日本はどうかというと、2020年までにIT人材が37万人も不足するという試算もありますが、それは今想像できるニーズだけでそれだけ必要ということであり、潜在的なニーズを含めるとより多くのIT人材が必要だと考えられます。今後、国際社会において「IT力」をめぐる競争が激化することが予測される中、日本も子供の頃から「IT力」を育成し、しっかりと裾野を広げておかなければ、この競争に勝ち抜くことはできません。そのような思いから、小学校におけるプログラミング教育の必修化は実現されたのです。”★★

みなさんはこれを読んでどのようなことを感じましたか? 我が国の競争力? 労働市場? 競争に勝ち抜くこと? 下請けプログラマーを育成するのが目的なのでしょうか? 何か大きな違和感を感じざるを得ません。

実際、年間指導計画がまだ未知数にもかかわらず、すでに走り始めている学校も数多くあります。算数で正三角形の書き方を扱った具体的な授業が「プログラミング教育の手引き」には記載されていますが、そもそもこのような授業がこれまで日本が大切にしてきた「情報」とのつながりや、今後、中学校、高校へとどのようにつながっていくのか、これからの学びの見通しが示されていません。実際にプログラミング教育の小中高の接続と見通しがどうなっているのか、上記の大学で行われたプログラミング教育の研修で質問してみても、「まだそこは未定。できることからやっている」状態でした。

このような状況にもかかわらず、2020年度のスタートを切ることで、文科省の方たちはプログラミング教育によって、将来「国際社会においてIT力をめぐる競争の激化」の中で「勝ち抜く」人であふれかえることを夢見ているのでしょうか。これこそプログラミング的思考★★★を使って、筋道立ててよく考えてほしいものです。現在、どれだけの多くの先生たちがプログラミング教育新規導入に翻弄されているのか。学校現場では、パソコン操作や新しいプログラミングアプリの扱い方程度の時間を費やして、適当にやり過ごすことが目に浮かんでしまいます。早期における「IT力」が将来必須だからといって、果たして現行の教科教育に申し訳なさそうに年間数時間のプログラミング教育を付け足し実装したところで、一体どのような効果を小学校であげられるのでしょうか。

校内研修で「ScratchMITが作った子ども向けのプログラミング言語)」を全教員で使ってみました。すると、多くの教員たちが、そのプログラミングの「おもしろさ」に釘付けとなり、これまでそれに全く縁のなかった先生たちが夢中となりました。その一方で、気づかずに「夢中にさせられてしまうこと」への懸念も反省として挙がりました。昨今の子どもたちの生活の3分の1を占める長時間のスクリーンタイムやデジタル中毒への懸念も話し合われました。

“ジョブズは2010年末に『ニューヨーク・タイムズ』紙の取材を受けた際、記者のニック・ビルトンに対し、自分の子どもたちはまったくiPadを使っていないと語っている。「子どもが家で触れるデジタルデバイスは制限しているからね」 ジョブズだけではない。ビルトンの記事によれば、IT業界の大物たちの多くが似たようなルールを取り入れている。” アダム・オルター著・上原 裕美子訳『僕らはそれに抵抗できない』Kindleの位置17

あのジョブズでさえも、子どもにiPadを渡していませんでした。プログラミング教育が教育全体にとってどのような意味があるのか包括的に眺めてみて、「IT力」の早期学習、この意味を今一度、子どもの育ちから考え直してみるよい機会です。


~~~~~~~~~ ここから Facebookの続き~~~~~~~~~

子どもたちの発達段階におけるデジタルメディアの扱いについて、医療面からの指摘もあります。PC画面を凝視することによる、目の瞬き数の現象から近視が増加することに加え、画面のブルーライトにより、脳内ではアドレナリンが分泌され興奮状態が続き、いざ就寝時間となってもぐっすりと眠れない状況が続きます。睡眠不足は、思春期特性の鬱を併発させてしまいます。

また、ある動画サービスは一つのドラマが見終わると、さらに次のドラマを自動にオススメしてくれ、気づいたらいつの間にか数時間も動画を観てしまっていることも。TVゲームや携帯ゲームをしていても、さらに新しい挑戦課題が与えられ、画面の向こうから即座のフィードバックにより、よりいっそうゲームに夢中になりフロー状態が止まらず、ゲームに釘付けにされてしまいます。友人にネトゲ廃人だったことを告白してくれた人がいました。仕事が終わり家に帰った瞬間にPCログインして朝までオンラインゲーム漬けの日々で、その後の疲労感たるやなんたるや。仕事に支障を来してしまった話を生々しく聞いたことがあります。私たちは、スクリーンタイム中毒の浸食により、どれだけの貴重な成長の機会やそもそも幸せに過ごす時間を失ってしまっているのか、計り知れません。★★★★

“テキストメッセージの会話では、言葉にならないものが偶然的に生じたり、曖昧なものを許容したりする余地がない。話すときの「間」や、声のピッチを意識することもないし、思わず吹き出したり、鼻で笑ったりという動作が混じることもない。非言語的な手がかりが存在しないので、それらを読み取らねばならない対面のコミュニケーションではどうすればいいのか、そのスキルを学ぶ機会が奪われている。”アダム・オルター著・上原裕美子訳『僕らはそれに抵抗できない』Kidleの位置4179

このような能力は「スクリーンではなく、人と接することによって、幼い子はもっともよく学習する」とアメリカ小児科学会も主張しています。心理学者シェリー・タークルも『一緒にいてもスマホ』に、「テクノロジーが子どものコミュニケーション能力を貧弱にすると主張している」と述べています。人と関わっていく力は、面と向かって相手と話すとき、その言葉の奥にある非言語の意味をやりとりしている高度なコミュニケーション能力です。言葉に表されるもの全てが、常に論理的であり、無駄のない会話はなんてありません。こういう実際に相手とかかわりながらでしか学べないことを、小学校時代に経験する機会をできるだけ増やしたいと思うのです。

IT力」は私たちの生活において、今後、避けては通れないものであり、生活や学習を促進する側面をもっています。AIを活かしたiPadを媒体として、デジタルメディアは教育にすばらしく貢献しています。その一つにプログラミングももちろん含まれます。その扱い方は、利用する子どもと大人がしっかりと相談しながらルールをおのおのが決めていく必要があります。しかし、こういったメディアに早期に触れ、より早くに技能を磨くことが、果たして小学校段階にふさわしいのでしょうか。

将来のグローバル化された社会で活躍に求められるのは、AIにはできない創造性。創造的な仕事をするには、幼い頃の原体験こそが必要です。だからこそ、それらをしっかりと道具として利用できるだけの人間力を育てていく必要があります。また、「IT力」を使いこなせるには、人とのつながりや相手の様子を観察できる人間のもつ心理学や哲学も欠かせません。★★★★★

そもそもこの時期に必要な育ちとして、遊ぶことをもっと奨励されるべきです。千葉大学の調査によると、8割の小学生が外遊びをしない現状! その理由は忙しいから。この方が大いに喫緊の問題です。★★★★★★

遊びを通して、これまでの子どもたちは多くのことが学べます。人との関わり方や集団への参加も遊びを通して獲得してきました。実際に、狩猟採集民はそうやって生活してきた! 今一度、ピーター・グレイ著・吉田新一郎訳『遊びが学びに欠かせないわけ』https://projectbetterschool.blogspot.com/2018/03/blog-post_18.html、この本を読み直して、心してプログラミング教育について考え直してみてはどうでしょうか? 本当に、取り返しがつかなくなる前に。



★ 文科省はすべてのプログラミング教育にPCを使って学習する必要はないといっていますが、実際にアンプラグド(パソコンを使わないで)の人の手によるプログラミングは使い物にはなりません。掃除の手順書や給食室までの行き方を書き出したところで、人の解釈が入ってしまい、書いたとおりのプログラミングにはなかなかならないのが現状です。

★★「未来の学びコンソーシアム 小学校プログラミング教育必修化に向けて」パンフレット

★★★ プログラミング的思考とは「自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、 一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、 記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、 といったことを論理的に考えていく力 」文部科学省「小学校プログラミング教育の手引」より
https://miraino-manabi.jp/assets/data/info/miraino-manabi_leaflet_2018.pdf 

★★★★ 小学校の発達段階に、デジタルデバイスによる脳や健康への影響を調べた文献があれば、pro.workshop@gmail.com宛まで、ぜひ教えてください。このような状況が、子どもの発達段階に望ましいとは思えません。

★★★★★ Schools Say No to Cellphones in Class. But Is It a Smart Move? 
日本では、プログラミング教育に対する健全な批判は数多くないようですが、海外のサイトには上記したようにそれにまつわる健康被害やデジタル中毒に関して、数多くの情報が挙げられています。アメリカではスクリーンタイムが平均10時間という社会問題へと発展しています。ここに紹介したTEDトークでは、デジタルツールを使っていると常に脳が活動して、リラックスできないことを、自然体験の実験を通して教えてくれるものです。

★★★★★★ クリスチャン・マスビアウ著『センスメイキング』に詳しくあります。いかに「IT力」が発達して、多くのデータを処理できるようになったとしても、それを扱うのは最終的には人間です。よりよくAIを活かしていけるためには、哲学や心理学といった人文科学を豊かに学ぶことこそ、よりよく活かせると訴えています。

★★★★★★★ 「外遊び」小学生の7割しない 地方も都市部も同じ実態 千葉大調査 https://mainichi.jp/articles/20190530/k00/00m/040/072000c

2019年9月8日日曜日

授業の中心は教師? 生徒全体? 生徒一人ひとり?


 いま、『教育のプロがすすめるイノベーション』(ジョージ・クーロス著)のブッククラブが少なくとも10ぐらい行われています。
 その中で、参加者から出されるコメントで多い箇所の一つが以下の部分(14~15ページ)です。

ある教師は、「革新的な教え方は、生徒の学びをより良くするための絶え間のない進化です」と述べています。
さらに、授業の中心は教師ではなく、生徒全体でもなく、生徒一人ひとりであると述べています。このような環境をつくり出すために毎日問われなければならない質問は、「この学習者にとって、何が一番よいのだろうか?」ということです。
教育の個別化と、私たちが「奉仕する★」生徒たちへの共感が、教え方・学び方のイノベーションのはじまりなのです。

 あなたは、上記の部分を読んで、どのようなことを考えましたか?

本文ではわずか6行ですが、日々の授業の捉え方について、核心的な部分がつかれているので、多くの参加者(教師)がコメントするのでしょう。たとえば、以下のような形でです。
①自分の授業や教え方は、生徒の学びをより良くするために絶え間なく進化しているだろうか?
②自分の授業は教師中心だろうか? クラスの生徒全体だろうか? 一人ひとりの生徒だろうか? それとも、そのいずれでもなく、教科書中心になってしまっているだろうか?
③自分は「この学習者にとってのベスト」という捉え方を授業でもったことがあるだろうか?
④自分の生徒への共感をもったことがあるだろうか? 「奉仕する」という言葉とも関係するが、共感するとはどういうことだろうか?

(この本は『理解するってどういうこと?』と争うぐらいに、本の中に質問形の文章が多いだけでなく、読んでいる間に自らの問いも生まれる本です。この2つの要素はいい本のバロメーターとして使えるのではないかと思っています。問いは思考を活性化させるだけでなく、実践の転換とイノベーションも起こしますから。それに対して、正解的な文章は、それらが弱い気がします。納得した気になって終わってしまい、あとに引きずる分量が少ないからでしょうか?)
上記の①~④は、さらなる疑問・質問も生み出します。
①絶え間なく進化させる必要など、そもそもあるのか? もし必要なら、それはどうやって可能なのか? どういう方法があるのか?
②自分や教科書中心ではなく、生徒全体と言いたいところだが、クラスの6~7割のレベルの(仮想の)生徒に焦点を当てることで、生徒全員が満足できないことは分かっていることだ。一人ひとりの生徒に焦点を当てる授業など可能なのか?★★ それは、③の質問そのものだが、自分自身「この生徒にとってのベスト」という捉え方自体をしたことがない! 教科書の指導書や研究授業の指導案が、この捉え方とは極にある存在ではないのか?
 たしかに教師の多くは、テストのために教科書の内容を全部カバーしなければならないという強迫観念にとらわれています。しかも、それは自分がカバーしてあげないと、生徒たちだけでは理解できない/学べないと。しかし、ある(高校の先生たちが対象の)ブッククラブで、「授業のどのくらいを生徒たちに委ねられますか?」と尋ねたところ、なんと7~9割という答えが暗記教科といわれている理科や社会でさえ出されたのです。
 結果的に、教師が一人でがんばり、生徒たちのほとんどが受け身的に学ばされる(この言葉を使うこと自体おかしく、より正確には「暗記させられる」)授業ではなく、テストの準備は全体の1~3割で十分で、残りは生徒たちの探究を中心にした学びができると結論づけたのです。
 自分の価値観とそれに基づく実践を大きく転換するきっかけが、ブッククラブから得られた瞬間でした! ぜひ、あなたも(可能ならブッククラブ形式で)読んでみてください。


★訳者注・日本の教育界で、「教師が生徒に奉仕する」という感覚はまだ希薄だと思いますが、単に「かかわる」や「接する」と訳してしまっては、教師自身が絶えず挑戦し、変わる必然性はなかなか見えてこないと思いますし、この言葉が原書のキーワードの一つであることからも、この聞きなれない言葉を使うことにします。
★★①に、従来の教員研修や研究授業は役立ちそうにはありません。本書および『「学び」で組織は成長する』と『シンプルな方法で学校は変わる』を参照してください。②と③の質問に興味をもたれた方は、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』(プラスhttps://sites.google.com/site/writingworkshopjp/teachers/osusume のリスト)が、④に興味をもたれた方は、『イン・ザ・ミドル』がおすすめです。


2019年9月1日日曜日

問いを自分で立てるということ

社会の変化が人間の予測を超える進展をする中、我が国の学校教育は「主体的、対話的で深い学び」(いわゆるアクティブ・ラーニング)をキーとなるコンセプトにすえて、未来に備えようとしています。アクティブ・ラーニングという考え方は、大学教育の質的転換を求めた中央教育審議会答申(2012)⭐︎1 で登場し話題になりました。その後、「主体的、対話的で深い学び」という言葉に衣替えをして、初等中等教育に登場します。

新学習指導要領の実施を目前に控え、「主体的、対話的で、深い学び」の実現を目指した授業づくりの試行錯誤が始まっています。先日も、ジグソー活動⭐︎2 を取り入れた授業を見ました。異なる情報をもった学習者が、その情報を交換し合うことにより、協働で学び合い、一つの課題に対する答えを探ろうとする活動です。

ペアやグループでの話し合い、そして、それをクラス全体で共有するセッションなどがあり、活発に意見を交換していました。授業は良く練られていて、生徒たちもそれなりに意欲的に取り組んではいました。少なくとも、従来の知識伝達型の授業からは大きく変わりました。

しかし、生徒たちが本当に夢中になって、その活動に取り組んでいたかどうかについては、疑問が残りました。どうしても知りたい。どうしても学びたい。どうしても話したいというほとばしるような気持ちは感じられなかった。

結局のところ、教師が準備した正解に到達するための授業になってしまっていたのではないかと思います。

「哲学対話」⭐︎3 という手法に取り組んでいる河野哲也さんは、『じぶんで考えじぶんで話せる こどもを育てる哲学レッスン』という本の中で次のように述べています:

「大人や教師が考えさせたがっている問いをこどもに与えてしまうと、その瞬間から、こどもは大人が求める正解を探ろうとします。あるこどもたちは大人の期待に応えようとしますが、他のこどもたちは全く興味を失います。<中略>正解を知っているのは先生なのですから、他の生徒の話など聞く必要はありません。自信のないこどもは議論に参加せず、正解が出た後に先生と大勢に追従しようとします。そうして、クラスの話し合いは、少数のこどもと先生の間の正解に至るまでのやり取りに過ぎなくなります。そうしたやりとりは到達地点が決まっているので、根本的には無駄であり、結局、本気で取り組もうとするこどもはいなくなります。」(p.108-109)⭐︎4

子どもたちが、何らかの問いに真剣に向き合い、探ろうとする気持ちをもてるには、問いを子ども自身が立てる必要があるのでしょう。

子どもたちが本当に知りたいことなのか。子どもたちが本当に探りたいことなのか。子どもたちがより深く考え答えを見出したいことなのか。子どもたちの自発的な問いからスタートすることが、探究的な活動の第一歩になると言えそうです。

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⭐︎1 文部科学省(2012)『新たな未来を築くための 大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)』

⭐︎2 ジグソー法については、知識構成型ジグソー法の研究に取り組んでいる東京大学CoREF参照。https://coref.u-tokyo.ac.jp/archives/5515

⭐︎3 「哲学対話」に興味を持たれた方は、以下をご覧ください。
◯日本経済新聞社 「キセキの高校」 https://r.nikkei.com/stories/topic_DF_TH_19050800
◯小笠原 綾子「「なぜ?」を深掘りする「哲学対話」でイノベーションを」https://blog.timecrowd.net/tetsugakutaiwa-inovation/
◯梶谷 真司(東京大学大学院 総合文化研究科 教授)「考える自由のない国―哲学対話を通して見える日本の課題」https://www.projectdesign.jp/201601/ningen/002667.php

⭐︎4 河野哲也(2018)『じぶんで考えじぶんで話せる こどもを育てる哲学レッスン』河出書房新社