2021年2月27日土曜日

組織文化を考える

この2月は都道府県・市町村などの自治体の次年度予算案が発表される時期です。

私の住む県の20212年度予算案が発表されました。毎年、教育関連の予算がどうなっているかを必ず見ているのですが、相変わらずだと思うことばかりです。

「学力向上」の柱の一つとして、「学力向上コーディネーター派遣費」という項目がありました。「学力定着に課題を抱える市町を対象に学力向上コーディネーターを派遣」がその内容です。退職校長を中心としたコーディネーターを対象校に派遣するということですが、年に何回そのコーディネーターが対象校に行くのでしょうか。自分たちの「やっている感」を出すために、言わば「アリバイづくり」のための事業だとしたら無駄もいいところです。

 

このようなやり方はもう40年以上続いています。そもそも文科省が「◎◎研究指定校事業」「〇〇推進研究事業」などと銘打って施策を進めている以上、それをただ真似しているのが各自治体の教育施策なのかもしれません。発想の貧困さを通り越して、呆れるばかりです。

 

先ほどの話で言えば「コーディネーター派遣費」は年間3,400万円だそうです。私の住む県の公立中学校区は150余ですから、その三分の一の50校区に60万円ずつ補助金として支出してあげたほうが、よほど学校としては有難い予算になるはずです。

かつて中学校の校長をしていた経験から言えば、学校では独自に使えるお金などほとんどないのが実情です。校内研修で図書を買いたくても買えないし、民間主催の研修会に職員を派遣したくても、出張旅費もぎりぎりしか配当されませんから、そんな余裕はありません。オンライン研修会ですべて賄えるはずもないと思いますが。

 

全国でも首長と議会に教育に対する理解のある自治体の教育センターが、各学校のニーズに応じた研修や出前相談に乗ってくれたりするところもあるようですが、まだまだそのようなところは少数です。

 

教員が学び続けられるような体制や文化ができれば、それは自ずと子どもたちへよい影響を与えることになるでしょう。そのために必要なものの一つが「研修」であると思いますが、それを支えるのは校長の学校経営における「方向づけ」です。

教員も子どもも学ぶことを最優先するという重点主義が求められます。コロナ禍により、児童・生徒の健康管理という新たな命題が課せられ、英語教育やGIGAスクール構想と次から次に解決すべき課題が押し寄せる学校現場にあっては、すべての課題に同等に向き合うことなどできるはずもありません。これだけは必ず達成するという重点主義でいかないと「働き方改革の推進」などいつまで経っても実現できません。

 

現在、校長の職にある人も、将来そうなりたい人もぜひ「優先順位」を考えながら仕事を進めてほしいと思います。校長が覚悟を決めれば、相当のことができるはずです。教育委員会に忖度する必要などどこにもありません。「学ぶことを最優先する」という学校文化をぜひ創り上げてほしいと思います。それには、まず校長自ら「学ぶ姿勢」を学校全体に示し、みんなが学び続けられる仕組みを構築してほしいものです。そのための方策は、このブログで紹介しているハックシリーズなどの本を参考にして、自分の学校に合ったやり方を見つけて、ぜひ進めていただきたいと思います。

2021年2月21日日曜日

算数ハカセが算数ギライをつくる!?

あなたのクラスには数学が得意な子、または苦手な子はいませんか。

 

その子たちは数学脳を上手に駆使したり、論理的な思考が生まれつき得意な子なのでしょうか。または、数学脳を働かすことができずに数学が嫌いになってしまったのでしょうか。 もしそうだとしたら、いつから数学が苦手になってしまったのでしょうか。「自分には向いている・向いていない」と早々と決定されてしまう教科、それが数学(もちろん算数も含まれますが)です。★

 

しかし、これらはすべて神話の類いであり、そもそも数学脳などというものも存在しません! 繰り返しますが、そんなものはありません! ただの勘違い。私たち大人も数学へ多くのコンプレックスを持っていて、世界では「女性や有色人種は数学が得意ではない」などの固定観念が持たれ、都市伝説のようにひっそりと語り次がれています。なんと人口の約半数もこの神話に感染しているとスタンフォード大学数学教授のジョー・ボアラーは言います。そして恐ろしいことにその固定観念はしだいに信念へと変わり、数学ができなくなるマインドセットをじっくりと育ててしまうのです。それでも、ジョー・ボアラーは「すべての子どもたちには膨大な数学の可能性がある」と希望を語ります。★★

 

“ 数学は公式を覚えて使うような授業ではなく、そしてテストで総括評価するものでもありません。生徒が数を使って考える探究を奨励することで、重要な数感覚を構築します。様々な方法で数学の学習内容を理解するプロセスをつくるため、オープンで創造的な質問を導入しなければなりません。そのためにも、生徒たちの考え方や自分自身の考え方を変えるための時間を費やすことです。 ” edutopiaAre We Teaching the Math Kids Need?」より

 

長年にわたって数学は「伝統的な教え方」、つまり教師が解き方を教え込み、生徒はそれを練習するといった正解/不正解を素早く導き出してテストで厳しく評価されるアプローチが続いてきました。これは、思春期の生徒たちには不評でしかありません。生徒たち一人ひとりは自分の考えを持ちたいと思っています。そして一人の思考者として尊敬されたいと思っています。しかし伝統的アプローチによって、数学は自分らしさを充分に発揮できない教科だと考えてしまい、途中で挫折し諦めてしまう理由の大きな部分を占めてしまっています。

 

この数学嫌いの中心には、早く正解にたどり着いた人こそ数学が得意である! といった「スピードの問題」があります。小学校の教室では日々、繰り返し計算ドリルの復習が課され、子どもたちは早く解けることがよいことだというメッセージを受け取ってしまっています。ボアラーは言います。「計算ドリル問題は最初の5問ほどできれば、その子ができるかどうかはすでにわかる。あとはもっとじっくりと考える問題を解いた方が意味もあり理解が深まる」とし、自身の娘の担任に訴えに行ったエピソードもあるほどです。数学を生業とするプロの数学者たちは、問題解決のスピードが速いということでは決してありません。むしろ逆で一つの問題をじっくりと繰り返し多くの方法で思考する、最も思考の遅い人たちのことなのです。

 

“ 私は生徒たちに「もがいて問題を奮闘してほしい、それはあなたの脳にとって本当に良いことだから」と言います。それが数学におけるひとつの目標と知ることで、生徒は固定化された数学への得意/不得意から解放されると考えています。このことは、毎回の授業で共有し、励まし続けるべきことです。 ” edutopiaAre We Teaching the Math Kids Need?」より

 

ボアラーは生徒たちが良き思考者になるためにも「もがくこと・間違えること」を推奨しています。分かる/分からないギリギリのところで、問題解決が困難な状況の中ではミスを繰り返しながらも修正し前に進みます。そしてまたミスを繰り返すといったその苦労している時や困難に直面している時こそ学習に最適な時であり、脳のシナプスが活性化されているときなのです。★★★

 

生徒には自分の考えを修正するチャンスが常に与えられ、たった一度きりのテストで評価されないことが重要です。できないとき/苦労しもがいているときに「速やかに問題解決することができない生徒」といった間違った評価を下すのであれば、もがくことは良いことだと教えていません。最初にうまくいかなかった場合でももう一度取り組めることは、学習への奮闘が評価される素晴らしいメッセージを送ることができます。これこそが本当の学習のための評価(Assessment for Learning)なのです。

 

 

 

“たったひとつの解法とたった1つの正解のある問題をたくさんする必要はありません。生徒が創造的に、視覚的に様々な方法で考えられるようなオープンな質問でもいいのです。もがくことを奨励し、人は何でも学べることを思い出せれば、人の学びに限界はないことがわかっています。隣の子が早く正答にたどり着いたとしても、それは全く問題ではないということを生徒たちは知るべきです。生徒たちは成長したい願いを持って学校に入りますが、それは学校生活を追うごとに低下していきます。他の子を見て「あの子は私より早くできる。私より上手だ」と考えてしまうこともその原因の一つです。このような考えに対抗し、オープンで創造的な数学を導入しなければなりません。そうすれば物事が変わります。”★★★★

 

日本の小学校の授業では、今でも「算数ハカセ」というキーワードを聞きます。「はやくて」「かんたんで」「せいかく」の頭文字をとって「ハカセ」。しかし、数学の真実と照らし合わせてみると、どれも間違いです。むしろ「じっくりと」「いろいろな方法で」「まちがえながら」こそ、本当の算数ハカセなのです。

 

いよいよ学年末。学年末の復習やため込んでいる計算ドリル練習の呪いから今こそ解き放たれるときです。わかりきった計算ドリルを課すことはますます算数ギライを増やしかねません。課題を消化したり、スピードを競い合うことよりも、学んだことを使ったり、他の方法はないか試したり友だちと相談しあったりと、じっくり考える問題に取り組むチャンスです。素早くできないこと、間違えることは深く考えるために不可欠な学び(遊び?)の要素です。学年末、友だちと一緒にもがきながら解いてみる、そんな問題を出してみませんか?★★★★★

 

 

 

 

今回の記事はブログedutopiaの「Are We Teaching the Math Kids Need?」を基にまとめたものです。https://www.edutopia.org/article/are-we-teaching-math-kids-need

 

★★

スタンフォード大学といえば、心理学教授である成長マインドセットのキャロル・ドウェックが有名ですが、ボアラーは成長/固定マインドセットを数学へ関連させる共同研究が行っています。日本と違って、専門分野の垣根を越えていつでもコラボレーションしようと試みようとするのがおもしろいところです。

 

★★★

「間違えこそが分かるの種」といった子どもたちの授業のエピソードを踏まえて語り続けること。これは間違えの文化を教室の中で醸成する一つの強力なツールです。私の教室でも同じように語ってきましたが「間違えてもいいんだよね」とお互いが声を出し、間違いを子ども同士がオープンになり学び合うには、やはり時間がかかります。しかし、間違えこそが理解を深める機会と捉えられるようになった子たちは、どんな問題にも粘り強く考えようとする態度が育っていくことを実感しています。

 

この最良の大人のエピソードが語られているのがオリバー・キーン著/吉田新一郎・山元隆春訳『理解するとはどういうこと〜「わかる」ための方法と「わかる」ことで得られる宝物〜』新曜社の第5章「もがくことを味わい楽しむ」にあります。教師であってもスマートにこなせなくてもいい、もがいていい! と学ぶことを肯定的に捉えられます。

 

★★★★

ジョー・ボウラーのHPyoucubedhttps://www.youcubed.org には、数感覚を養う学習コンテンツが豊富に紹介されています。数学は教え方だけではなく教える内容そのものを刷新しなければならないと、ビッグデータを扱う「データサイエンス」についての教員向けのオンラインコースも昨年より開設されました。データサイエンスは、生徒たちがデータリテラシーを身につけるのにも役立つので非常に刺激的です。この授業では生徒にとって身近なデータグラフを読みとって議論するものです。①データを観察し質問する、②データからパターンをみつける、③そのパターンに意味づける、④それぞれの仮説について議論をします。すでに様々なビッグデータが生活の中に、これは小さな子供でもデータリテラシーを身につける準備をする必要があります。日本の小学校でも「データ活用」の領域が整理され、新設されました。今後の授業実践が期待されるところです。

 

★★★★★

ジョン メイソン、リオン バートン、ケイ ステイスィー著/吉田新一郎訳『教科書では学べない数学的思考「ウーン!」と「アハ!」から学ぶ』新評論には、一つの問題をじっくり考えられるオープンな良問が紹介されています。

2021年2月14日日曜日

生徒が『私にも言いたいことがあります!』と言える授業

 それは、誰にとっても学びが最大化することではないでしょうか? もちろん、おとなしく聞いていても、考えている人はいます。が、話している人ほどではない可能性は高いです。話すことは確実に考えた結果ですから。

 それでは、生徒(それも、できるだけ多くの生徒)が考えて話す授業はどうつくり出せるのでしょうか?

 一つ確実にいえることは、教師が口を閉じることです!


 この本の、50ページには、それがコラムの形でまとめられています。

生徒の声に耳を傾ける=教師が口を閉じる(ジェフ・ウィルヘルム)

教師の力量というものは、話すこと、目的を示すこと、コントロールすることを通して生徒に働きかける技量を示すものではありません。むしろ、聴くこと、配慮すること、協働することといったように、生徒と一緒になって活動する姿勢にこそその真骨頂があります。そうするからこそ、生徒たちは自ら活動するようになるのです。

「口をふさいで教える」には、新しい考え方やこれまでとは違う学習の進め方、そして目的が明確となっている活動が必要です。

「身につけること」には、思考、会話、記述、構成、演出、そして考えること、話すこと、書くこと、構成すること、演じること、応用することなどが含まれます。

 「チームで取り組むこと」には、傾聴、観察、反応、見ること、反応すること、そして生徒に継続的な刺激をもたらし、学ぶ技量を育てるといったさまざまなやり方で協働することが含まれます。

「教えること」には、時に知識だけでなく、知りたいという意欲やそれを知るためにはどうしたらいいのかということにまで及びます。

「学びそのもの」には、なぜ学ぶのか、どのようにして学べばよいのかも含まれます。恐らく、生涯にわたる継続的な自己探究の姿勢とスキルにもかかわってくるでしょう。

こうしたことのすべてが、「口をふさいで教える」ことの意義であり、ドナルド・フィンケルが『Teaching with Your Mouth Shut.(教師が自分の口を閉じて教えること)未邦訳』という本のなかで書いていたことと同じです。フィンケルは、教師が口を閉じて教えるときにはやるべきことがたくさんあることを示し、それは、生徒が活動に主体的に取り組み、理解を構築する際に貢献するものだと指摘しています。

活動のすべては、生徒に自分の声とお互いの声に耳を傾けさせるものです。そして、教師に対しては、生徒の声に耳を傾けさせるものともなります。

『私にも言いたいことがあります!』の著者は、同じ第2章の別なところで、次のようにも書いています。

生徒たちが自らの力への自信を高め、自分たちの可能性に気づき、能力を最大限に引き出し、個人の成長につながる自己決定ができるようになれば主張(=自分の声)はより明確なものになり、それを外に向かって表現できるようにもなるのです。生徒の声が熱を帯び、教室や学校の活動に参加する意欲が高まるのですから、私たち教師はそれを促進し、価値づけるようなやり方を生みださなくてはなりません。

 生徒は、教室で起こることについて決定したり、企画したり、組み立てたり、反応したりするための「声(意思・主張)」があるとき、初めて学習内容を身につけるより良いチャンスを手に入れることになります。これらの機会は、生徒たちの思考に対する有意義な挑戦となるでしょう。またそれは、生徒が協働的・協力的な授業を通して、学習、成長、変更、修正、そして理解の深化を振り返ることにも直結しています。

 これは、このブログで繰り返し紹介してきた「エイジェンシー(主体者意識)」https://projectbetterschool.blogspot.com/search?q=agencyや、文科省が5年ぐらい前から言い出しているアクティブ・ラーニングそのものと言えないでしょうか? この本には、それらを実現するための具体的な方法と事例が満載です。

ちなみに、この最後の引用に対する翻訳協力者のコメントを紹介します。「賛成です。黙ってノートを取ることを求められてきた生徒たちに、自分の思うことを書いてよい、話してもよい、助けてもらってもよいという場を提供しただけで、生徒の顔つきが変わりました。今年度はまだ対話のドリル的なものしか提供できていませんが、これからどんどん解放していこうという気持ちになりました!」

 

◆本ブログ読者への割引情報◆

1冊(書店およびネット価格)2640円のところ、

PLC便り割引だと       1冊=2400円(税込み・送料サービス)です。

5冊以上の注文は     1冊=2300円(税込み・送料サービス)です。


ご希望の方は、①書名と冊数、②名前、③住所(〒)、④電話番号を 

pro.workshop@gmail.com  にお知らせください。

※ なお、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが出ることがありますので、予めご理解ください。また、本が届いたら、代金が記載してある郵便振替用紙で振り込んでください。

 

2021年2月7日日曜日

チームワークと分断

他教科のことには口をはさまないこと。同一教科であっても、他の人の授業には口をはさまない。不文律のように学校に残ってきた文化だ。いまだに、声高にその正しさを唱える人がいることは、驚いてしまう。

「おいおい!我々は誰のためにこの仕事をやっているんだ」と言いたくなってしまう。子どもたちのためでなかったのか。子どもたちのためだったら、同僚にも堂々と主張しようではないか。仲間の誤りを正そうではないか!我々のミッションは、お互いの保身ではないはずだ。

正論だ。でも、自分自身の仕事や作品に批判的なコメントをされることをよろこぶ人はいない。それがいかに建設的で、正しいコメントであってもだ。正論とはやっかいなものだ。

外国語のテストづくりに関する本に、よい問題作成者の資質とは、自分が書いた項目の正当な批判を受け入れる用意があることだ、といった趣旨の記述がある。引用しよう[翻訳筆者]:

「良いテスト問題を書くことは恐ろしく難しいことだ。完璧な問題を作り続けることのできる人はおそらくいないだろう。差し替えの必要があったり、修正が必要な場合もある。改善するにしても、差し替えるにしても、それができるベストの方法は、チームワークを生かすとことだろう。同僚であれば、真剣に仲間の間違いを見つける努力をすべきだ。作成者にとっては、自分が作った問題は、自分の子どものようにかけがえのない、愛おしいものに思えるだろう。たとえそうであっても、出された批判に対しては、つねにオープンで、受け入れる姿勢をもたねばならない。それを可能にする良い人間関係こそが、問題作成チームの望ましい性質なのである。」★

最近「炎上」ということばが流行っている。炎上を恐れていたら口をつぐむしかなくなる。今の社会にはそのような風潮があるのは確かだ。批判を受け入れることのできる器量。それこそが、真の賢明さだと思うが、どうだろう。

ここで強調されているのが、チームワークや人間関係である。

最近の日本社会(もちろん学校も)において、正論はチームワークを育てるどころか、チームを分断する役割を果たしていたりする。異議をとなえる者は「敵」とみなされるのだ。

学校の同僚は、ともに力を合わせて、より良いものをつくる仲間に、なれないのだろうか。そのようなチームづくり、言い換えると、学校文化づくりが、学校の重要な課題であることにもっと多くの人に気づいてほしいものだ。

★Arthur Hughes (1990) Testing for language teachers, Cambridge University Press. p. 51.

原文 “The writing of successful items (in the broadest sense, including, for example, the setting of writing tasks) is extremely difficult. No one can expect to be able consistently to produce perfect items. Some items will have to be rejected, others reworked. The best way to identify items that have to be improved or abandoned is through teamwork. Colleagues must really try to find fault; and despite the seemingly inevitable emotional attachment that item writers develop to items that they have created, they must be open to, and ready to accept, the criticisms that are offered to them. Good personal relations are a desirable quality in any test writing team.”