2024年2月24日土曜日

探究する学びをめざして(歴史叙述から考える)

 

 前回(1/28)は歴史を学ぶということはどういうことかを考えました。今回は、歴史叙述についてまず考えることにします。

 「歴史叙述」とは、ごく簡単に言えば「歴史をある立場からみた歴史像」と呼べるものです。したがって、歴史上のあるできごとに対して、複数の歴史像が存在することになり、教科書で語られている歴史は大方の歴史学者が認めた歴史像ということになります。

 

次に、この「歴史叙述」について、「明治維新」を例に考えることにします。それはここでも何回か紹介した岩波新書の『シリーズ 歴史総合を学ぶ②』の『歴史像を伝える』(成田龍一)でも取り上げているテーマだからです。そこでは、歴史学者の井上清さんの『日本の歴史』(岩波新書・上中下1963-1966)が引用されています。マルクス主義理論を背景にもつ井上さんの明治維新に対する見立ては「日本人民による近代民族・国民として自由と統一と独立をたたかいとる画期的な前進の第一歩」であり、大きな流れは「封建社会の廃止」→「資本制社会への移行」ととらえています。ですから、「江戸時代の前近代・封建社会」から「資本制社会」へ移行し、最終的には「社会主義体制」へというマルクス・レーニン主義の枠の中でものごとを考えているわけです。実は、前回も書きましたが、私の中学時代の社会科教師はこの歴史観の持ち主でした。したがって、江戸時代の封建社会は農民などが悲惨な生活を送った「暗黒の時代」であるというのがその先生の「歴史叙述」でした。実はこの考え方もまた一つの「歴史叙述」だったわけですが、当時中学生であった私にとってはその後の人生に大きなインパクトを与えるものでした。

したがって、その後20年近く私は江戸時代を「暗黒の時代」ととらえていました。それがどうも「暗黒時代」だけではなさそうだと気づき始めたのが30代に入ってからです。このように一つの歴史叙述のみが正しいということはないということです。先ほどの明治維新についても、たとえば、司馬遼太郎の『坂の上の雲』などでは維新後から日清戦争・日露戦争へと向かう日本が陽の当たる坂道を登っていくような高揚感とともに描かれています。その後は大正デモクラシーの時代を迎えるわけですが、世界的な不況を契機に、経済的な苦境を打開するために、他国を侵略するという帝国主義的な方向に進んだのはご承知のとおりです。なぜ、こうした方向に進み、その後破局を迎えるようなことになってしまったのか、司馬さんに言わせれば、その期間は日本にとって、消し去りたい時代なのです。

もっとも、明治維新のときに「尊王攘夷」がなぜあれほどまでに簡単に「尊王開国」に転換してしまったのか、そこのところをきちんと総括しなかったのがまさにその要因なのだというのが、文芸評論家・加藤典洋さん(1948-2019)の主張です。これもまた一つの「歴史叙述」です。詳しくは加藤さんの著書『増補 もうすぐやってくる尊王攘夷思想のために』(岩波現代文庫・2023)をお読みください。(ちなみに加藤さんはアジア・太平洋戦争後の「反米」から「親米」への大転換も明治のときの構造と根は同一であると述べています。)

 このように一つのできごとをめぐって、様々な歴史叙述があり、どれか一つだけを取り上げて、これが事実なのだと主張することには当然無理があります。したがって、授業という「歴史実践」では、生徒たちがいくつもの歴史叙述を手がかりに、そのできごとを検討し、話し合うことが重要になってくるわけです。そこで、思い出すのが「テキストセット」という考え方です。これは以前にここでも取り上げた『教科書をハックする』(新評論)で紹介されたものです。それは、教科書以外に雑誌や新聞の記事、書籍(フィクション・ノンフィクション)、手紙や日記、写真やイラスト、伝記やインタビューなど、およそありとあらゆる情報源を授業で使う資料とするという考え方です。もちろん教師だけがこれらの情報源を集めてくるのではなく、図書館司書の力を借りたりして、授業に関係する資料を可能な限り集めてもらったりするものです。こうした「テキストセット」の考え方を授業にもち込めば、当然授業は「探究型」のものになります。教科書の記述を疑うことなく、そのまま暗記することが学びであり、ペーパーテストで正確にそれを再現できる人間が優秀なのだという固定観念から決別したいものです。授業としての「歴史実践」については、また別の機会に考えてみたいと思います。

2024年2月18日日曜日

教えることとビジネスを展開する際の共通点

 17年間教師をした人が、フード産業でビジネスを始めたそうです。この2つはまったく関係があるとは思っていなかったのですが、教師の経験が大いに役立ったそうです。

その意味では、逆も然り(?)ということで、起業家(アントレプレナー)が何を大切にしているのかを探ることで、当然とみなし、あまり価値を見出せていない教師の才能(仕事)にスポットライトを当ててみましょう。

 

起業家って、どういう人?

1 両方とも、関わる人を大切にする仕事。教師は、安心・安全で、実りのある学習環境を提供することで、生徒が知識・技能・態度を身につけるのを助けます。大切なのは、行動の背景にある「なぜ?」を明らかにすることです。 

2 両方とも、他者に教える。教師はもちろん、生徒に教えるのが仕事。起業家も、消費者に自分が提供する製品やサービスを理解できるように教え、コミュニケートする必要があります。教師が授業をデザインし、進行し、評価する(ここでの「評価」は、成績や通知表などの総括的評価ではなく、自分の教え方と生徒の学びを修正・改善するための「形成的評価」です)プロであるのと同じように、起業家も自分の製品ないしサービスを教える/コミュニケートするために、広報をデザインし、顧客に積極的に参加してもらい、そしてフィードバックをもらうことで製品・サービスを改善し続けます。

3 両方とも、マーケティングが大切。教師は、多様な生徒の興味関心、好み、学び方、すでにもっている知識や態度などにも関わらず、学びを売り込む必要があります。顧客も一枚岩ではなく、ターゲット・アプローチが欠かせません ~ 教える際のターゲット・アプローチには、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』『一斉授業をハックする』『一人ひとりを大切にする学校』が参考になります。

4 両方とも、粘り強さが大切。一度教えたからといって、全員が理解して、身につけられることは稀です。手をかえ品をかえして、アプローチする必要があります。粘り強さと切り離せない、柔軟性と問題解決能力が教育とビジネスの両方で重要です。

5 両者とも、学び手であり続けることが大切。教師は、成長モデルと自分の学びを広げ、進化させる多様な方法を使いながら、生涯を通じて学び手であり続けることをモデルで示し続けなければなりません ~ ここでは、『学びの中心はやっぱり生徒だ!』で紹介されている「思考の習慣」がもっともヒントになります。https://bit.ly/3XZmfbh

6 両方とも、制度のなかでうまくやれることが不可欠。しかも、「従順、服従、忖度」という形でうまくやるのではなく、自分、組織、地域、より広い社会がよりよく変わる形でうまくやる方法で!

7 両方とも、関係づくりが鍵。教師は毎年新しい生徒と信頼関係を築き、よく聴き、接点を見いだす努力をしています。起業家も同じように、協力者、同僚・従業員、請負業者、そして顧客と関係づくりが大切です。

8 両方ともコミュニティーとの関係が大切。教師には、同僚および保護者・地域との関係は欠かせません。ビジネスを軌道に乗せる際に、あなたを助けてくれるのは誰ですか?

9 両方とも計画が大切。教師は、計画が仕事といってもいいぐらいです。しかも、最初に描いた達成目標と計画通りに行くことはほとんどなく、より大切なのは前に進みつつも、計画を立て直すことです ~ ここで大切なのは、『理解をもたらすカリキュラム設計』で紹介されている逆さまデザインです。従来の①目標設定→②指導案の作成と実施→③評価ではなく、①目標設定→③評価方法(形成的と総括的評価の両方)→授業案の検討と継続的な修正と実施に転換することで「指導と評価の一体化」が実現されます。いいビジネスも、これで顧客の満足度は高まり、儲かります。

10 両方とも自立した考え手。「クリティカルな思考者」と言ってもいい。それは、「何が大切で、何は大切でないのかを常に判断しながら歩み続ける人」です。他者からの質問や投げかけに揺らぐことがない(あるかもしれません! そのときは4の粘り強さ、柔軟性、問題解決能力の出番です)。既存の枠組みや習慣にとらわれずに物事を考えられることも求められます。

 以上のように、教師は教育界以外でも通用する大切な資質や能力を日々磨き続けています。それを今後も教師として使い続けるか、それとも転職して他業種で使い始めるかは、あなたの選択です。いずれにしても、これらの貴重なスキルは、ぜひ生徒たちにより伝わり、かつ可能なら身につく形で、意図的に示し(練習する機会を提供し)続けてください。教師と起業家だけでなく、誰もが身につけておいた方がいいことばかりですから。

 

出典: https://www.edutopia.org/article/teaching-builds-entrepreneurship-skills

https://www.thebalancemoney.com/entrepreneur-what-is-an-entrepreneur-1794303

2024年2月11日日曜日

教育における5つの原則、生徒のメンタルモデルを理解すること


サッカー関連のコーチング本を読んでいると、「サッカーは状況に応じた判断が求められる」話がありました。それは、点差、残り時間、仲間の状況や相手のディフェンス、さらには自分の体力やスキルまで、その状況に応じたプレーをしなければならないと。一流の選手はその判断を意識する以前にプレーをしています。つまりワーキングメモリが常に状況に応じていつでも余裕を持って判断出来るようになっているのです。

そして、この本の著者は、教育においてワーキングメモリの理解と活用は非常に重要であることを、教育者であるLemov, Dougから学んだとありました。このテーマについて、Doug Lemovの「Teach Like a Champion 3.0」を参考にしながら解説します。

人にはメンタルモデルと呼ばれるものがあります。メンタルモデルは複雑な環境を理解し、迅速な意思決定を支援する知覚フレームワークのことです。例えば、教師が生徒の行動や表情からその内面を読み取る能力がこれに当たります。これにより、重要な情報と不要なノイズを区別することが可能となります。

多くの人は「見えないゴリラ★(黒チームが邪魔する中、白チームが何回パスしたかを数える実験。おどろくことにそこにゴリラが映っているけれど、パスの回数に目も向けてしまうことで気付くことができない)」の実験が示すように、明らかな情報を見逃すことが起こってしまいます。つまり、周囲を正確に観察し、理解するためにはワーキングメモリを開放することで、より多くの情報が見えてくるようになるのです。

https://www.youtube.com/watch?v=vJG698U2Mvo

ワーキングメモリは、情報を一時的に保持し、処理する脳の能力のことです。しかし、その容量は限られ大変少ないもの。教育では、この限られた容量の中で、いかに効率よく情報を処理し、長期記憶に移行させるかが鍵となります。そこで、教師が知っておくべき原則は以下の通りです。

①人間の認知構造を理解する

認知負荷理論によると、限られたワーキングメモリの容量は、一度に処理できる情報量を制限してしまいます。例えば、運転中に電話をするとワーキングメモリが圧迫され、事故のリスクが高まってしまうこと。読書のような活動においても、基本的な読みの技能が自動化されていなければ、深い思考は難しくなります。このため、ワーキングメモリの負担を軽減することが重要となってくるのです。

学習とは、知識を長期記憶に保存する過程のことです。一度、長期記憶に保存された情報は、ワーキングメモリに負担をかけずに使用することができます。長期記憶の容量はほぼ無制限にあり、スキルや知識を格納することで、ワーキングメモリの限界を解決することができるのです。

他にもいくつか興味深い原則があり、全部で5つ紹介されていました。

②習慣は学習を加速する

習慣をもつことによって、歯磨きのように脳のエネルギーを節約し、重要な活動に集中させることが可能となります。教室での毎回同じルーティン活動である生活習慣、例えばジャーナルや読書は、ワーキングメモリを解放し、理解力や分析にエネルギーを向けてくれます。習慣化されていない活動は、ワーキングメモリを多く必要としてしまうのです。

③生徒が何に注目するかは、何を学ぶかである

生徒は、授業に集中しないことがあります。これは「注意残余★★」の影響で、タスク間の切り替えにより注意が分散される状態のことを指します。集中力と注意力の重要性を強調し、特にデジタル機器の過度の使用が注意力を低下させると指摘しています。学習では、デジタル機器を使わず、鉛筆や紙、本などを活用することで、より深い集中と内省が可能となりそうです。

★★脳がタスクを切り替えるまでの状態を指します。例えば、集中して知的活動を行っているとき、その活動を遮るような刺激を与えられると、再び集中した状態に戻るまでに23分かかることがあります。この現象を注意残余といいます。

④動機づけは社会的なものである

動機づけが社会的な性質を持っています。生徒が仲間に自分の読書や執筆の様子を見せることは、彼らに「読みたい」「書きたい」という意欲を引き出す効果的な方法のひとつとなります。私たちは帰属意識に基づいて行動し、仲間からの尊敬や支援、尊重を感じることで、教師からの刺激がなくても自発的に活動を始めるようにもなるからです。人間関係の重要性に加えて、生徒が認識する規範を通じて築かれる仲間同士のそこでの学習文化も、動機づけにとって少なくとも同じくらい重要なのです。

⑤生徒に上手く教えることこそ、「関係づくり」である

教育において、温かさ、人間性、気配り、励ましは、生徒に対する教師の接し方の重要な要素です。技術や知識だけでなく、これらの人間的要素が、生徒との関係構築の基盤をつくってくれます。

例えば、生徒の名前を呼ぶことは、関心を示す有効な方法であり、生徒がコミュニティからサポートされていると感じることができます。教室は整然とし、安心感のある場所であれば、生徒が馬鹿にされることなく安心して学べるのです。

 

 

これらの5つの原則をもとにさらに60近くの教育テクニック(授業ノートの作り方や生徒の間違いを予想すること、話し合い活動のポイントなど様々な活動)が紹介されています。私たち教師は教育活動をするとき、どれだけ生徒たちのメンタルモデルに配慮しているのでしょうか。人が学びに向かうときの原則を思い直したいものです。

2024年2月4日日曜日

教員の研修のインパクト

私は仕事でずっと教員研修に関わってきました。より良い研修を企画し、実施できるようになるために、いろいろと調べたり、勉強もしました。参加する先生方が、成長し、生き生きと教室に立てる、そのような研修を実施したいとずっと思ってきたのです。


「講義を聞くだけの研修で良いのか?」という問題意識は、結構早くからあって、いろいろな方法を模索してきました。ワークショップの形式を取り入れたり、教室での実践研究の質を高めるためにアクション・リサーチを導入したりしたのです。さらに、教室での実践をサポートすることのできるメンター的な立場の人を育てる必要があると考え、プロのコーチを招いてコーチングについて学んだり、ミドル・リーダー的な立場の人たちと、ブッククラブをやって、メンタリングについて学んできました。

これまでの取り組みは、一定の成果はあったと思うし、その手法や考え方について賛同を得ることもでき、注目もされました。

しかし、月日を重ね、改めて振り返ってみると、果たしてどれだけの効果があったのか。教員の実践や生き方を変えるだけのインパクトがあったのか、自問してみると、到底合格点をつけることはできないと思えてきます。残念ながら。

何が欠けていたのだろうか。今一度、振り返ってみることで、これからの教員研修の改革に役立つのではないかと思います。

アメリカの経営学者ドナルド・カークパトリックが考案した、研修の成果を評価するモデルが参考になると思います。カークパトリックは、教育や研修の効果を4段階でまとめていて、受講前後の変化を投資効果として評価する必要性を説いています。各レベルは次のように説明されています。★ 

レベル1 反応・刺激(Reaction)
参加者が、研修を好ましい、面白い、仕事に役に立ちそうであると感じる。

レベル2 学び(Learning)
参加者が、研修後に職場に帰って、必要な知識、スキル、態度、自信、仕事への専心などを得たと感じる。

レベル3 行動変容(Behavior)
参加者が、研修で学んだことを、職場に帰って、実践に移す。

レベル4 結果(Results)
参加者が、研修で学んだことに加えて、必要なサポートと結果に対する責任意識がセットで整って、目標とした結果がもたらされる。

実に興味深いレベル分けです。これまでに実施されてきた研修の多くは、レベル1止まりではないでしょうか。楽しく話を聞いて、刺激を受ける。職場に帰ってからも、その刺激が維持され、学びが継続すれば、レベル2まで到達するかもしれません。レベル3まで進むには、研修の中に、中長期的な、職場におけるアクション・リサーチのようなものが組み込まれていなければ、到達できないかもしれません。

問題は、どうすればレベル4に到達できるかということでしょう。そのためには、研修を受けるだけでは不十分で、サポートと結果責任の両方が必要(the support and accoutability package)だと述べています。

一つは、研修後の継続的なサポートが不可欠であるということです。やりっぱなしの研修では効果が低い。どれだけ、受講者に向き合い、必要なサポートを続けられるかが、重要なポイントになるでしょう。さらには、受講者をサポートできる人材を育成する必要もあります。コーチングなどを学び、受講者と共に成長していこうとする人材です。近年、退職校長などがサポート役で配置される事例が見受けられますが、いずれは、教員のサポートを専門的に行うコーチのような存在が必要となるかもしれません。

次に、結果に対する責任を負うということ。これは、サポートとセットになっていないと意味がない。結局のところ、研修の受講者である教員が、どれだけの主体性をもって、自分の学びに関与するか。与えられたり、強制されて実施するレベルでは、成果は期待できないということでしょう。

教員にとって真に実効性のある研修の創造。日本の教育の、今後の最重要課題の一つだと思います。



★ このモデルは1950年代に考案されたものですが、そのモデルのアップデートを試みた研究を参照して考えてみます。James Kirkpatrick and Wendy Kirkpatrick (2016)  Four Levels of Training Evaluation (『研修評価の4レベル』), ATD Press.