2020年8月30日日曜日

校内研修の内容・方法を見直してみてはどうでしょうか

 「校内研修=研究授業+授業研究」のスタイルがほとんどの学校で行われている研修で、しかも「全員参加の集合研修」が多いと思います。そこのところを少し見直してみてはどうでしょうか。

授業研究は若手の5年目教員あたりまでに必要な研修の一つだと考えます。授業の構想から当日の展開、そして振り返りという一連の流れです。

  5年目以降の教員については、カリキュラムを作る、また単元の指導計画を構想するなどの内容がさらに重要になると思います。ただ、そのための研修は、何も学校全体でやる必要は全くありません。学年単位あるいは教科単位で充分にできるでしょう。そうすれば、参加者の都合に合わせて、随時開くことが可能ですから、いわゆる「働き方改革」にもつながります。 

そこで、「カリキュラム・マネジメント」を実効性のあるものに変えていくためには、5年目以降の教員研修の主たる目標をここに据えてはどうでしょうか。

要するに、学校全体のパワーアップを図るには、一人ひとりの教員の力量をいかに高めるかに尽きるということです。それは授業研究だけでは決して身につくものではありません。 

研修も他校と同じことをやり続けることがこの業界の常識だと思います。「新しいこと」への挑戦に対しては、あまり積極的ではありません。これは教育委員会にも全く同じことが当てはまります。 

ちょうど202083日付『日本教育新聞』連載の「校長塾」(376)に前・全日本中学校長会会長の川越豊彦氏が「校内集合研修の廃止」と書いているのを見つけました。

「教員を主体的な学習者にしよう」というねらいで、受け身の研修、研修のための研修という課題を克服するために、出した結論が「集合研修をやめる」ということでした。 

すると、810日付の日本教育新聞連載の記事に続きがありました。

 「学校の課題等を踏まえた共通の研修テーマは設定しました。そして、この研修テーマに基づいて、自己の課題とニーズ、今後のキャリア形成を考えて、教員一人一人が研修内容を決めて取り組む個別研修に切り替えました。」とあります。予算はこの学校を管轄する東京のある区教育委員会が独自で予算を付けた「校長裁量予算」を活用したようです。このような形で動き出している学校も現実にあるわけですから、集合研修の「研究授業・授業研究」スタイルをやめることは十分に実現可能なことです。 

そこで、校内での小グループによる学びなどを新たな研修方法として取り入れてみてはどうでしょうか。これまでのやり方を少しだけ変えてみるのです。大幅に変えてはメンバーの抵抗感も大きいと思いますから、無理のないところから始めるのが現実的です。

そこで、読書から始めるのもよいと思います。今は、本を読む時間もないという先生方が多いようですが、教師が本を読まないで、授業ができるのが不思議なくらいです。「PLC便り」で紹介している本などは読書会で読むにふさわしい本ばかりです。それらをテキストに週1回でも「ブッククラブ」(読書会)を始めることは大きな意義があると思います。ブッククラブ以外にも、教師が自分の関心のあるテーマについて学び続けることが子どもたちの学びにもよい影響を与えるのは間違いありません。

 

2020年8月23日日曜日

自立、自己効力感、関係性で、人は育つ

 難しくいうと、自己決定理論(self-determination theory)というか、「内発的動機づけ」ということになりますが、わかりやすくいうと、上の3つです。

 人は、自立的な環境の方が、コントロールされている環境よりも、はるかに成長できます。(別な言葉で言い換えると、「人が責任をもって行動するための要因は何か?」です。)

 前者の「自立的な環境」には、

        ・ほんとうの自分

        ・自由

        ・興味をもって没頭

        ・偽りのない自分

        ・自らが行為の主体(エイジェンシーをもっている)

などが考えられます。

 それに対して、後者の「コントロールされている環境」としては、

        ・圧力をかけられて行動

        ・従属した中での行動

        ・自己を見失っている状態

        ・思考停止に陥っている状態

などです。この環境ないし状態では、服従するか反抗するかの選択肢しか考えられません(多くの場合は、反抗するだけの情報や元気や仲間はいませんから、服従や忖度が意識的か意識的でないかに関係なく選ばれます。そうです「選んで」いるのです!!)。

 あなたは、どちらの環境/状態にいることが多いですか?

 どちらの状態にいたいですか?

 教師が(そして、生徒たちも!)自分のおかれている環境/状態をどう捉えているかは、決定的に重要です!

 残念なことに自立的な環境はどんどん失われ、コントロールされている環境が強化されつつあるのが、過去数十年の教育および学校の動きかもしれません。(本来は、逆でないといけないのに! なぜ、こんなことが起こってしまうのでしょうか?)


1.人には自立(選択)の欲求がある

 赤ちゃんですらありますから、学校に来る子どもたちはもちろんのこと、教師がないわけがありません。

 何をどう教えるのか(生徒たちには、何をどう学ぶのか)の選択を提供することは、とても大事だということです。決まりきった教材を使って、いつもの一斉授業ばかりでは、教師にとっても、生徒たちにとっても「コントロールされている環境」以外の何ものでもありません。

 ポジション的に上の立場の者は、下の人に、質問の形で言いたいことが言えるようにする必要があります。「自立的な環境」を一緒につくり出すために!


2.自己効力感(「自分はできる」という感覚の大切さ

 そのためには、できないことの指摘や批判は、ほとんど役に立ちません。少なくとも、できていることやできそうなことを指摘して、さらによくなるためのフィードバックにこそ、焦点を絞るべきです。

 ここでは、「大切な友だち」がもっとも参考になります。

 https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/08/blog-post_19.html


3.関係性の欲求(他者とつながっていたいという願い)

 個人レベルで知り合うことの大切さです。それこそが、ほんとうの自分の条件ですから。(これが実現しないと、仮面を被りつづける自分の方が安全という選択をさせてしまいます!)

 自立性(自由な意思と自己選択の感覚をもって、自由に行動すること)と、この関係性は矛盾しません。むしろ、ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップのクラスや『だれもが科学者になれる!』で見られるように、相乗効果を上げます。


以上の3点について詳しく、わかりやすく書かれているのがエドワード・デシの『ヒトを育てる力』(新曜社)ですので、興味のある方は参照してください。

 また、これら3つを柱にしている教育実践があります。それは、ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップです。http://wwletter.blogspot.com/2010/05/ww.html

https://sites.google.com/site/writingworkshopjp/teachers/osusume

 現在、これらの算数・数学、社会、理科への応用プロジェクトが展開していますが、他教科でも効果があることが証明されています。それほど、自立、自己効力感、関係性は大切だということです!

 

2020年8月16日日曜日

中学・高校での「科学者の時間」

 本年度の「実践!わたしの教育記録」(小学館)の特選を受賞した私立高校教師の内山先生が寄稿してくれましたので、紹介します。(これは、2月に書いてくれたものですが、コロナウィルス騒動で紹介がのびのびになってしまいました。秋からの授業準備に活かしてください。)

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Nurturing Inquiry(『だれもが科学者になれる!』)の著者のピアス先生の実践は小学校5年生を対象としていますが、そのエッセンスは中・高生を対象とした授業でも役立てることができます。あえて校種の違いを意識するとしたら、小学校では学習の対象となる自然の事物・事象が手に取って目に見えるものを扱うのに対して、分子や原子といった目に見えない事象を扱うことが多くなるため、工夫が必要なことぐらいだと思います。

でも、心配はありません。ピアス先生の実践には工夫となるヒントも書かれています。例えば、高校の生物でDNAの構造やATP(細胞内でエネルギーのやり取りに関わる物質)とエネルギーの関係といった目に見えない世界は、模型によって可視化することができます。また、模型から構成される「発見ボックス」を用意することができます。DNAの発見ボックスでは、DNAを構成するパーツであるヌクレオチドを準備し、学習者はそのパーツを手に取って観察しながら、DNAの研究史に必ず登場する科学者のシャルガフ、ウィルキンスやフランクリン、そして2重らせん構造を解明したワトソンやクリックと同じ(ような)発見を通して、DNAの構造の特徴をつかんでいるようでした。
 また、ピアス先生の実践は、校種だけでなく、多様な授業担当者の個性に応じて役立てることができると思います。授業において、担当者が学習者を巻き込んでいく方法に絶対解はありません。これからも、授業担当者としての自身の特性と、その学校で利用可能なリソー(資源)を最大限に活かしていきたいと思っています。
 中学校での実践の様子をまとめました(
https://kyoiku.sho.jp/38152/)。カリスマ性とは無縁な授業担当者であっても、ピアス先生のマインドやヒント等から、前進できることをまとめた記録です。お読みいただければ幸いです

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https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/culture/00060/ でも、本書の紹介がありました。日本での教え方・学び方・評価の仕方は大きく転換する時期に来ています。

2020年8月9日日曜日

ワークショップ授業を支える教師のマインド「好奇心」

 多くの学校が夏休みに入り、ほっと一安心した頃でしょうか。休校中の学習の遅れを取り戻そうと、カリキュラムをぎゅうぎゅうまでに詰め込んだ1学期。これまでになかった多忙感の中で先生も大変お疲れのことだと思います。

 

しかし、本当に疲れているのは大人だけではありません。教師のカリキュラム・カバーに毎日6時間も!? そして夏休みを短縮してまでも! 勉強に付き合わされていた子どもたちのことを忘れてはいけません。子どもの権利条約31条「子どもの遊び、休む権利」について、文科省の方達に今一度、目を通してもらいたいものです。

 

私たちは、この期間中、子どもの声に耳を傾けようと努力できていたのでしょうか? そして、その声をカリキュラムに反映できたのでしょうか? 一方的な管理教育の中では、子どもが民主的に考えて社会を他者の手を借りながらもよりよくしていこうとする態度を育むことはできません。子どもが意見を表明したり、質問をする(なぜ、これほどまでに勉強に時間をかけてやらされるのか納得のいく回答をもらっていない!?)機会を増やし、子どもの声を聴き取っていけるといいです。

 

以前のPLC便りでは民主主義について考えました★。質問づくりを提唱するダン・ロススタインは「質問づくりは民主主義の練習」と訴えます。質問をすることは相手のことを知ろう・分かろうとする現れです。自分本位の考えから脱し、多様な価値観を理解しようとすることです。つまり、様々な人の意見を理解しようとすることであり、ここに民主主義の精神が宿ります。

 

もし、子どもたちの声を聴き取ろうと敬意をもってやりとりをするのならば、私たち大人がまず子どもが持つ興味へ一緒に面白がったり、子どもの考えや心の動きに好奇心を持てるようになる必要があります。この教師が持つべきマインドセットはこれまで紹介してきたワークショップ授業の作家の時間、読書家の時間、(数学者の時間、科学者の時間、歴史家の時間 ※現在執筆中)などのワークショップ授業には欠かせません。

 

ワークショップ授業にはカンファランス・アプローチと呼ばれ、一人ひとりの理解度に応じて、その学びをサポートする個別カンファランスがあり★★、教師の学習内容への専門性によってよりよく学習者をガイドすることができます。しかし、子どもが持つ興味それら全てに応じる専門性を身につけることは不可能であり、現実的ではありません。

 

私たち教師は常に知らないことに突きつけられ、専門性のないこともカンファランスをしながら子どもが学びを深められるようにする必要があります。この教師の専門性だけに頼ることなく(時にその専門的知識がありすぎることで縛られてしまい、目の前の子どもの実態が見えなくしてしまうこともあります)、一人ひとりの子を個別カンファランスし、子どもの声を聴き取ろうとすること、それが「好奇心のパワー」が必要なのです。

 

それには、子どものやっていることに感心を持つことでもあり、面白がる好奇心が必要です。そのための基本的な技術は欠かせません。キャシー・タバナー他著・吉田新一郎訳『好奇心のパワー:コミュニケーションが変わる』には、好奇心をもつための3つの強力な技術が紹介されています。

 

①「今、ここ」に集中し、相手に焦点を合わせる。

②聴き方を選択する。

③相手への興味関心を示すオープンな質問をする。

 

そして、何よりも私たちはまず相手に興味を持つことに失敗していることが多くあります。常にSNSを頻繁にチェックしてしまい、その代償に大切な人との時間を失ってしまっています。子どものしていることに、興味を持つこと。それには、「今、ここ」に集中することです。相手を理解しようと敬意を払うためにも、一度手を止めて集中することが必要なのです。そのための「今、ここ」に集中する6つのポイントがあります。

 

“しっかりと自分の中に取り込もうとすれば、今ここに集中し、聴くことができます。「ABSORB」は、以下の6つの単語の頭文字です。

 

AAttention(注目する)

B=Body Language and Tone of Voice(ボディー・ランゲージと声のトーン)

S=Stop and Focus(すべてを中断して、集中する)

O=Open to Understand Not Judging(評価を下すのではなく、理解する)

R=repeat through Paraphrase(相手の言ったことを言い換える)

B=Becalm the Gremlins(小悪魔を黙らせる ★★★)

『好奇心のパワー:コミュニケーションが変わる』P.40より

 

教師から、「今、ここ」の時間に敬意を払って関わってもうこと、聴いてもらえるだけで、ほとんどの問題は解決しているのです。子どもの声を聴く、興味関心によりそってカンファランスするには、やはり技術が欠かせません。

 

“私のコーチング人生の中で、これが最大の発見といえます。つまり、誰もが見てほしい、聴いてほしい、そして理解してほしいと思っているのです。これを達成するために、評価を下すのではなく、共感的に理解しようとすることがとても大切なのです。”

『好奇心のパワー:コミュニケーションが変わる』P.52より

 

子どもの声を好奇心もって聴くこと。子どもが安心して質問できること。そこから民主的な対話の一歩が生まれます。戦後75年の今日、私たちの教室の中に民主主義の根っこが育つこと、そして平和を願います。平和とは戦争がないことではりません。対立の解消はそれを避けることではなく、好奇心をもって対話で解決することです。

 

広島原爆の日に。

 

学校の中で安心して民主主義を学ぶ「質問づくり」

http://projectbetterschool.blogspot.com/2020/07/blog-post.html

 

★★

子ども一人ひとりの学習をサポートする個別カンファランスには、①その子の実態を理解し、②その学習とのゴールを差分を見定め、③ゴールに近づくためのよりよい方法を教師が提案し相談することが行われています。

 

★★★

話を聴いているときに別のことが思い浮かぶことがあります。それを著者は小悪魔と呼んでいます。著書には実際にやるべきチェックリストをつくることで解消される例が挙げられています。

2020年8月2日日曜日

専門職としての教師の復権

在宅勤務をするようになって4ヶ月が過ぎた。私にとっては、実に快適な4ヶ月間であった。まず、通勤に必要な往復二時間弱のロスがなくなった(公共交通機関が脆弱な地方都市では運転せざるを得ない)。(あまり意味のない)会議もオンラインになった。多くの会議はその場にいなくても良いことが明らかになった。授業もオンラインに慣れてくると快適だった。教室に同時にいなくても達成できることがたくさんあることに気づいた。出張もゼロ。様々な場所や人を訪ね、出会いがあるのは楽しいが、その分多くの時間を費やす。(ただ一つ、まだオンライン飲み会だけは試していない。どうも味気ないような気がして踏み切れない。)自分の時間を自由に使えるというのは、なんという贅沢なことなのだろうかと実感したものだ。

ただし、小人閑居して不善をなすのとおり。終日、高い緊張感をもって仕事をやり続けているわけではない。ちょっぴりソファに横になってみたり、仕事とは関係のないサイトを読み耽ったりする。襟付きのシャツを来ていても、下半身は半ズボンなんてこともあった。

そうであっても、やはり自分の裁量で、その日のゴールを決め、その日取り組むことを決め、自分の裁量でスタート時間も終了時間も決められる。集中して短時間で終える日もあれば、延々と一つのことをやる続ける日もある。しかし、自分でコントロールできるのは、実にありがたいと感じた。

労働生産性という点では、私の場合はかなり高くなったと感じた。

そのメリットを最大限生かしていきたいと、コロナウイルス後は在宅勤務を標準化しようとしている日立や富士通のような企業もある。しかし、まだまだ一部に止まっている。日本では在宅勤務が定着しにくい労働風土があるようだ。

日本経済新聞によると、場所にとらわれない働き方を重視する企業の割合は、英国の53%や米国51.7%などを下回り、日本は47.2%らしい。主要国で最低水準とのことだ。また、1時間あたりの生産労働性は、米欧比で日本が40%低いことが紹介されている。また、欧米並みに在宅勤務が定着しにくい理由の一つとして職種の問題を挙げている。ある調査によると、就業者に占める専門職(技師など准専門職含む)の比率は日本は17%。米国の36%や英国の37%の約半分。専門職はIT技術者や法務や財務など知識集約型の職業も多くオンライン化が比較的容易で、在宅勤務に適するとして、「在宅勤務をしやすい環境を整えることが国際競争力を高めるためにも不可欠だ。」と述べている。★

専門職の代表格とも言って良い教員の場合はどうだろうか。今回、コロナウイルスによる一斉休校になったおり、多くの自治体で在宅勤務を緊急に導入したようだ。

ただ、在宅勤務を運用する段階になって、学校によって温度差があったらしい(あくまで個人的交友の範囲であり、広く調べた訳ではありません)。一つのタイプは、教員の服務を厳しく管理しようとした学校。在宅勤務の場合は、詳細な業務報告を提出すべしと。提出したくなければ、年次休暇をとるべしとの管理職のささやきがあったらしい。もう一つのタイプは、教員への信頼と裁量に委ねた学校。「業務報告は教材研究と書いておけばよろしい。学校再開後に向けてしっかりと研究を。」といった方針だったようだ。

私の知り合いは、管理職のささやきに負けて結構年次休暇をとったらしい。専門職としてのプライドはないのか!と叫びたい気持ちだったが。

ここ数年、教員の働き方改革が大きなテーマの一つであった。それが、感染症の蔓延という思いもよらない事態に直面して、従来の考え方を見直さざるを得なくなったことが多くでてきた。多くの教員を職場にくくりつけ、学校は多忙化していたが、さほど教員が手をかけずとも、物事が進んでいくことも明らかになってきた。

勤務時間の長さで、教員の業務が計られることで良いのか、もう一度、この機会に問い直したい。裁量労働であろうが、在宅勤務であろうが、価値を生むことができるのが、教員という仕事だと思うのだが。皆さんはどう思われますか。

この機会に、今、学校を覆っている価値観を、問題意識をもって問い直すことから初めてみませんか?今、やっていることは本当に子どもたちファーストになっていますか?今、やっている研修や校内研修は、本当に教員としての必要な学びになっていますか?これまでやってきたからという理由だけで、同じことを繰り返していませんか?★★

★「在宅勤務定着、ニッポンの壁 主要国で最低水準 チャートは語る」日本経済新聞
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO61173150U0A700C2MM8000?disablepcview

★★ジョージ・クロス(2019)『教育のプロがすすめるイノベーション』新評論(白鳥信義、吉田新一郎訳)や、『教師の仕事をハックする(仮題)』(今秋に出版予定)を読んでみてはどうでしょうか。