2016年12月25日日曜日

エビデンスとは


Evidenceとは

 
最近あちこちで見かける言葉に「Evidence(エビデンス)があります。たとえば、文部科学省のホームページに掲載されている『次世代の 学校指導体制在り方について(中間まとめ)』(2016/04/22)の中に次のような一節があります。
   
さらに,教育政策について質の向上を目指し,学校やその周辺環境に関する数量データ,事例等を調査・分析し,いわゆる「エビデンス」を活用した政策形成についての取組を一層推進することが重要である。
   
 実は、今月初めにNSTAという全米の理科教師の集まりに参加したのですが、そこであるワークショップに参加しました。参加者は数名のグループに分かれ、簡単な物理実験を通して、「Claim—Evidence—Reasoning」という一連の理科学習の進め方を体験するというものでした。「Claim—Evidence—Reasoning」は、簡単に言えば、仮説を立てて、観察・実験を行い、データを集め、それをもとにして筋道立てた論理構成を行うというものです。

そのとき、講師が強調していたのは、「データとエビデンスの違いは何ですか?」ということでした。そう言われれば、データとエビデンスを混同している例が結構あります。上記の文部科学省の中間まとめの中の一文も、どうみてもエビデンスをデータとしか捉えていません。
   
最近、今井むつみさんの『学びとは何か』(岩波新書2016)を読んでいて、エビデンスを解説している文章に出会いました。次のような解説です。(同書p.164)

evidence」という語は個別の「事実」ではなく、「さまざまなピースを論理的に整合性がとれるように組み立て、構成した論理の不可分な全体」を指すのである。

 
そして、さらに続けて「批判的思考」(critical thinking)についても次のように述べています。(同書p.164)

 
批判的思考とはつまり、前項で述べた科学的思考と基本的に同じで、ある仮説、理論、あるいは言説を、証拠にもとづいて論理的に積み重ねて構築していく思考のしかたのことを言う。単に「感情にとらわれず客観的にものごとを考える」とか「多角的に物事を検討する」ということではないのだ。

 
「深い学び」という言葉もこれからの学習のキーワードとして、さまざまなところで使われていますが、せいぜい「多角的に物事を検討する」レベルを指して使われている場合が多いのではないでしょうか。「深い学び」に直結する「批判的思考」が意味する「証拠にもとづいて論理的に積み重ねて構築していく思考」にはなっていないことが多いように思います。

「批判的思考」については、『「読む力」はこうしてつける』(新評論2010)や『理解するってどういうこと?』(新曜社2014)などを読んでいただくと一層よくわかると思います。
 
この記事が今年最後となりますが、来年は今年以上に多くの先生方が「一人ひとりをいかす教室」づくりに励まれることをお願いしたいと思います。

 

 

 

 

2016年12月18日日曜日

「わくわく理科(特別授業)」の問題点の克服


 2週間前のPLC便りhttp://projectbetterschool.blogspot.jp/2016/12/blog-post.htmlでは、中学校の教科担任の要請に基づいて、地域教育コーディネーターの人たちがコーディネーションした地域の教育資源・人材を生かした「わくわく理科(特別授業)」の成果と問題点について、紹介しました。 

 問題点を解決・克服するために、私が勤務した中学校では、平成24年度から、地域の多くの人材と連携・協同し、子どもたちの「問い」を大切にしながら、1年間をかけて探究的に学習を進めていく環境学習を実施しています。 

 以下は、理科と総合的な学習の時間を使って実施している環境学習の流れ・プロセスです。 

事前準備・企画
 年度末~4月初めに、理科の教科部会で環境学習の年間計画(カリキュラム)を検討・作成します。その後、年間計画(案)を基にして、講師の方々と打ち合わせを行い、子どもたちの探究学習を推進するためにはどうしたらよいか、知恵を出し合い、環境学習のカリキュラムを改善・修正します。

事前学習
ガイダンス1】
 前年度までの環境学習の写真や動画、「報告新聞(レポート)」を用いて、フィールドワークへの動機付けを行い、子どもたちは1年間に及ぶ環境学習全体の見通しをもちます。[1時間]
【ガイダンス2】
 環境学習を行うフィールド・里山に関して、市の職員から市の里山保全に関する様々な取り組みについて学びます。特に、生物多様性回復のための取り組み、コウノトリの野生復帰に向けた取り組みについて深く学びます。[1時間]
【テーマ別学習】
 生徒一人一人が、自分自身の興味・関心に応じて、「野鳥」「昆虫・水辺の小動物」「植物」の3つのテーマの中から、一つを選択します。選択したテーマごとに分かれ、各テーマについて造詣の深い複数の講師から、里山の自然環境について、さらに動植物の具体緒的な観察・調査方法と留意点などについて学びます。[2時間] 

プレ・フィールドワーク
【目的】
.「個人テーマ(生徒一人一人が、約1年をかけて探究する課題・問い)」を設定する。
.「個人テーマ」を解決するために、「何について・どんなこと(観察・調査の内容)」を、「どのように(観察・調査方法)」して観察・調査すればよいのかを明確にする。
.里山の自然に接し、動植物を見る・触れる・においを嗅ぐといった観察体験を通して、フィールドワークへの興味・関心を高める。
.フィールドワークの実際について、具体的なイメージと見通しをもつ。
【実施方法】
 生徒は、25名ほどの3つのグループに分かれ、フィールド・里山を巡りながら、生息している動植物の特徴や生態、それぞれの関係性について、講師から解説をしていただく。生徒は、グループごとに講師からの解説を聞きながら、観察と記録を行います。[1時間]これを「野鳥」→「昆虫・水辺の小動物」→「植物」と、テーマごとにローテーションして3回行うのです。[合計3時間]
【ふりかえり】
 プレ・フィールドワーク終了後に「ふりかえり」を行い、講師や理科の教科担任のアドバイスも得ながら「個人テーマ(探究課題)」の設定と「観察調査の内容」及び「観察・調査方法」の確認を行います。[1時間] 

フィールドワーク(本調査)
 「個人テーマ(探究課題)」を解決するために、春、夏、秋、冬の季節ごと、講師と共にフィールドワーク(観察・調査)を行います。[2.5時間]
【ふりかえり】
 各季節のフィールドワーク終了後にも、毎回「ふりかえり」を行います。そこでは、講師や教科担任からのアドバイスを参考にしながら、「個人テーマ(探究課題)」の解決に向けて、「明らかになったこと」や「わからないこと」「新たな疑問」の確認、「観察・調査計画の修正」などを行います。[1時間]もちろん、「大切な友だち」のやり方でhttp://projectbetterschool.blogspot.jp/2012/08/blog-post_19.html 

報告新聞(レポート)の作成
 春、夏、秋、冬の季節ごとのフィールドワークについて、生徒一人一人が、上記の「ふりかえり」を通して得られたことと写真記録などを中心に、それぞれ新聞形式のレポートとしてまとめます。[1時間+家庭学習]×4回 

環境学習報告会
 生徒一人一人が作成した「報告新聞」に基づいて、1年間に及ぶ環境学習全体の報告会を行います。ポスターセッション方式、「野鳥」「昆虫・水辺の小動物」「植物」の3つのテーマをミックスした6人程度の小グループによるジグソー方式など、試行錯誤しながら「学んだこと・発見したことの共有化」を行っています。[2時間]

 このように、時間と手間をかけ、中学校の教員が地域の人材と連携・協同して「学びの原則」に則ったカリキュラムを開発すれば、学区にある里山という地域の資源・自然環境を活用し、子どもたちの「問い」を大切にした「探究学習」を実現することができるのです。

2016年12月11日日曜日

「比べ読み」のパワー


比べ読みの第2弾で、比較した本は以下の3冊です。
①『崩壊するアメリカの公教育』★
②『公教育をイチから考えよう』
③『逆転の教育: 理想の学びをデザインする』

下に記すのは、あくまでも、私にとっての「元気度」というか、「得られるもの度」です。

①を、「私が得られる元気度/得られる学びや収穫」で、1とすると
②は、3か4で(オランダの復習に)
③は、70~80です。(イヤ、100いっているかもしれません。何を読み取れるかによりますから。いま2回目を読んでいます。上の本2冊は、とても2回読む気にはなれません。)

それほどの中身の違いがあります。

しかし、私の感想と、アマゾンで見られる評価とはまったく違います。逆さまと言った方がいいぐらいです。

①は岩波書店、②は日本評論社、③は緑風出版が出版社です。

私が読んだ3冊の本の質は、その出版社の規模と反比例の関係にあるかのようです。
出版社の規模(というよりも、正確には編集者の質や好み?)が、みごとなぐらいに出す本に現れているということかもしれません。
売れる本と「得られる学びや収穫」がある本かどうかはまったく別物です。規模が大きい出版社が、売れる本を出版できたとしても、その本が「得られる学びや収穫」が小さかったら、あるいはマイナスだったとしたら、結果的にしていることはマイナスの効果になるような本、ということかもしれません。

これも、学校で選書能力を一切教えない弊害の感じがします。
(学校の国語は、良書主義にのっとって行われています。要するに、「権威にお任せ」方式です。権威=大きいものです。他の教科では、本を読むこと自体、放棄しています!)
選書能力=題材選び=問題設定能力を培わない学校は、単に「権威にお任せ」の準備をしているだけ、と言えます。(もちろん、子どもたちに対してよりも、教師自身がそれらを体験し、身につけることが先決なのですが・・・自分が知りも、体験もしていないことを、子どもたちに提供することなど、できるはずがありませんから。)

ちなみに、
人は、自分の読みたいものしか/自分の読めるものしか、読みません/読めません。
そこに書いてあるものを読んだり/読めたりするのではなく。★★

ですから、上の「1、3か4、70~80」というのは、あくまでも私がいまの時点で下す評価であって、他の人は違う可能性があります。
もし、興味がもてたら、ぜひ皆さんの評価を教えてください。

繰り返しますが、確認させてくれるのは「比べ読み」の大切さです。
前回と同じく内容については、触れないことをお詫びします。
興味をった方が、自分の読みを楽しんでいただきたいので。(と同時に、鵜呑みにせずに、ぜひクリティカルに読んでいただきたいので!)

『逆転の教育: 理想の学びをデザインする』だけは、簡単に入手/情報が得られにくそうなので、http://www.ryokufu.com/isbn978-4-8461-1605-7n.htmlをご覧ください。


★ これを書いたのは2か月ほど前なので、今となっては『崩壊するアメリカの公教育』の代わりに、http://thegiverisreborn.blogspot.jp/2016/11/116.htmlを紹介したいぐらいかもしれません。
★★別ないい方をすれば、その人がその時点でもっている知識や体験の総体で読みます。従って、同じものを読んでも、得られるものは人によって自ずと違います。「知識や体験(や感受性?)の総体」が違いますから。同じ人など、いるはずがありません。
日本の伝統的な国語の授業は、このことを無視してやられています。教師がいうことに合わせられる子どもたちは、数割(数%?)しかいないのに。
演劇や映画(あるいは音楽会)の鑑賞のように、主体的にお金を払って来館してくれる人たちなら、「知識や体験(や感受性?)の総体」が違っても、人それぞれ楽しんでくれる/理解してくれるわけですが(その内容は極めて幅広いものだと思いますが)、強制的に学ばされる国語の授業では、大半の子どもたちが学んでいることは、「僕は/私は、国語が嫌いだ!」です。私の小中高時代の国語の時間のように。ほとんど拷問でした! 受け入れられない解釈に、テストのために従わざるを得ないのですから。(もちろん、以上のように国語で言えることは、すべての教科でも同じように言えてしまいます。)


2016年12月4日日曜日

地域教育コーディネーターの果たした役割から見えてきたこと★


 今から8年ほど前、平成20年度から文科省の「学校支援地域本部事業」がスタートしました。事業の主な目的は、「多様な教育機会やきめ細やかな教育の実現、教員の負担軽減による子どもと向き合う時間の確保、地域住民の知識や経験を生かす場の拡充」でした。 

 そして、教師の多忙化を少しでも解消し、子どもたちの豊かな学びを実現するために、「地域コーディネーター」あるいは「地域教育コーディネーター」と呼ばれる人たちが、学校に配置されたのです。★★ 

「コーディネーター」の人たちの役割は、その名前のとおり、学校・先生たちや子どもたちのニーズに応じて、学校内外の様々な人材をコーディネートしてくれるというものです。私が勤務した中学校では、以下のようなコーディネーションが行われていました。 

地域の教育資源・人材を生かした「わくわく授業(特別授業)」を実施するための連絡・調整★★★

キャリア教育の一環として行う中学生の「職業体験学習」や「職業人・プロとのトークセッション」などに協力していただく企業や事業所、商店、幼稚園・保育所などの開拓と実施に向けての連絡・調整

図書ボランティア」の人材発掘・確保(図書室の本の整理だけでなく、子どもたちが図書室に行って本を読みたくなるような環境づくり、図書委員会の子どもたちとの連携・協同によるポップづくりと新着図書の展示会の開催、各教科の学習内容と関係の深い本を廊下などに配架、本の読み語りなど)

■「学習支援ボランティア」の人材発掘・確保(数学のティームティーチングや放課後の「補習」での個別指導)

■校庭の樹木の剪定や花壇づくりを行うための人材発掘・確保 

 これらは、「学校支援地域本部」が設置され「地域教育コーディネーター」が配置される前までは、教師や管理職がコーディネーターの役割を担っていました。その意味では、教師にとってはものすごい負担の軽減になりました。正に、コーディネーターは、学校・教師にとって、強力な「応援団」「助っ人」とも呼べるものです。 

 しかし、本質的な問題点もありました。それが、地域の教育資源・人材を生かした教科における「わくわく授業(特別授業)」の中にあったのです。 

理科では、「ゲスト・ティーチャー」として、地元にある理科系の大学の教員や企業の研究所の研究員、博物館・科学館の学芸員、高等学校の理科の教員、昆虫や植物の生態に詳しく「自然観察指導員」の資格をもっている地域在住の方などに学校に来てもらいました。 

企業の研究員による「パイナップル果汁に含まれる酵素のはたらきを調べる実験」、高校の生物の教員による「ほおの内側の粘膜細胞からDNAを抽出する実験」、大学の教員による「燃料電池の実験」や「液体窒素による物質の状態変化と超電導の実験」など、中学校の教員だけでは実施が難しい「発展的な内容」の学習が多く行われてきました。 

 それぞれが、中学校の理科の教科担任からのニーズに応じたもので、単元の学習指導計画に年度初めに位置づけて実施しました。決して、ゲスト・ティーチャーへの「丸投げ」にならないよう、教科担任のニーズを基にして「コーディネーター」が連絡・調整をしました。 

 どの授業も中学生にとっては、理科に対する興味・関心を高める内容であり、正に「わくわく授業」であったと思います。また、「わくわく授業」の実施のプロセスが、教師にとっての学び(「教材研究」)を深める機能も果たしていました。さらに、学校と地域の人材との連携促進、つまり「学びのネットワークづくり」にもつながりました。 

しかし、そのほとんどが、単発のイベント的な学習に過ぎないのです。単元の学習を通して、子どもたちの中から湧き上がってきた「疑問」や「もっと調べたいこと」、すなわち子どもの素朴な「問い」に基づいた主体的で発展的な「探究学習」ではないのです。 

つまり、どのような授業を行ううえでも、教師は、「学びの原則」★★★★を踏まえた「学びのデザイナー」としての役割、すなわち「カリキュラム開発」を行うことが必要なのです。そのカリキュラムに「わくわく授業」が位置づけられていたかが、問題だったのです(教科書会社が作成した「単元指導計画」に位置づけるのではなく)。 

 次の機会に、この問題点をどのように解決・克服したか紹介します。 



★ 今回の内容は、次の機会に、「教師の本来の役割」を見直すための前段的な位置づけです。 

★★ 「地域教育コーディネーター」の多くは、PTAの本部役員経験者や保護者です。 

★★★ 理科を中心に、国語、社会、数学、英語、音楽、美術、家庭科など、ほとんどすべての教科で実施されました。教科書にはない発展的な内容を扱う「特別授業」が多く行われています。 

★★★★ 吉田新一郎・岩瀬直樹『効果10倍の学びの技法』pp.99102PHP新書],http://projectbetterschool.blogspot.jp/2012/03/plc_18.html