2023年4月29日土曜日

学級経営を考える

 新学年がスタートして、子どもたちも先生方も新たな一年に心躍らせているのではないでしょうか。そこで、今回は学級経営について考えてみたいと思います。

 資料として『学級経営の教科書』(東洋館出版社)と『「居場所」のある学級・学校づくり』(新評論)を比較することにしました。

 『学級経営の教科書』(以下、『教科書』と称します)は、執筆のねらいを、「「学級」の意味を考えながら、学級活動をよりよく活用して子どもも先生も心地よく過ごせる(互いに力を発揮しあえる)「学級」を創造する「学級経営の教科書」を目指します。」と説明しています。前半は、学級経営の領域に関する解説、後半は学級活動を通じた学級経営の充実の視点が描かれています。

 その前半の領域に関する解説ですが、筆者は「必然的領域」「計画的領域」「偶発的領域」の3領域に分かれると説明しています。最初の「必然的領域」とは、「一貫して毅然とした指導、人権に関する問題を扱う領域」とあります。これが「学級のあたたかさを創る」、言わば「土台づくり」の領域とのこと。そして、「学級経営の基盤は、自己と他者の人格を尊重する言動・行動を増やし、自己と他者の人格を傷つける言動・行動は許さない、という指導の徹底です。」と説明しています。これには、日本の小・中・高校の先生方の多くが同意されるように思います。また、学級崩壊を心配する管理職は、「毅然とした態度」で子どもに接するように求めることが多いのではないでしょうか。

 この学級経営の土台となる「必然的領域」の次に、教師による計画的な指導・援助が入る「計画的領域」がきて、この領域の説明として、「学校や学級生活の「きまりごと」を調整し、浸透させ、学校や学級において、児童生徒が生活を過ごしやすくするための指導を行う」(同書58ページ)とあります。この「浸透」の部分に関して、IRRモデル(I(指導:instruction)R(リハーサル:rehearsal)R(強化:reinforce)の流れで指導する)(同書68ページ)を例示しています。

 

 さて、ここまで概観してくると、このブログでたびたび紹介されている米国の考え方との違いを感じると思います。

最初に紹介した『「居場所」のある学級・学校づくり』(以下、『居場所』と称します。)を読むと、「教室内の環境整備」、「人と人との接し方における約束事」「教室での行動ルールの共有と実践」(同書10ページ)などは『教科書』の計画的領域に通じるものですが、どうも『教科書』の方は「教化」というニュアンスが強いように感じます。

それに対して、『居場所』では、教室内のルールを扱うときにも、「手続きや手順の選択と作成に生徒が参加する」(同書164ページ)と生徒の「声」を大切にしています。もちろんそれだけでなく、すぐあとに、「手続きと手順を教えるとき、一回言って終わりにしない」と付け加えています。また、「必要であれば全員が理解するまで繰り返し教える必要があります」(同書166ページ)と述べて、『教科書』でも示されている指導も厭わないことを述べています。

さらに、『居場所』では、「すべての手続きを分かりやすく」して、それでも必要な生徒がいれば、より具体的に「必要な詳細を説明する」「このような手続きと手順がある理由を説明する」とあります。ここには、生徒一人ひとりへの信頼感が指導の根底にあるように思います。そして、その信頼関係を構築することにかなりのエネルギーを注ぎます。これがすべての出発点と言ってもいいのかもしれません。さらに生徒だけでなく、保護者との信頼関係構築にも最大限の努力をします。

また、生徒のことをよく観察することはもちろん、教師である自分の行動について、「何を続けるとよいですか」「何をやめたほうがよいですか」「私はあなたのことを好きだと思いますか」などと、徹底して生徒の「声」を聴き、生徒から学ぶというスタンスを大切にしています。この点は重要です。

もちろん『教科書』でも、「きまりごとの習慣化」を達成するために、次のように述べています。 

「授業ではこのきまりごとだけは大切に」という姿勢で丁寧に「みんなができている」ということを確認しながら、教育活動を行うことをしてみるとよいでしょう。(77ページ)

ただ、このきまりごとが何のために必要なのか、その手続きができた背景を説明する、あるいは話し合うところまでは求めていないようです。

要するに、方向性はほぼ同じ方向でも、その目標達成のために大事にするものがやや違うようです。『居場所』では、徹底して、児童生徒との信頼関係づくりを第一とし、「きまりごと」「約束事」を決めるにあたっても子どもに選択肢を与えて、子どもの「声」を大切にします。

「選択肢を与える」と「声を聴く」、この2点を学級経営の中に取り入れていくことで、生徒たちの成長はより確かなものになります。決して放任ではなく、「子どもを信じて、任せる」領域を可能な限り広くすることだと言えます。

また、『教科書』の第1部第3章の終りに「「黄金の三日間」を再考する」というタイトルのコラム(pp.84-86)があるのですが、そのなかで筆者は「厳しく徹底して指導するという「厳しさ」を方法として受け止めてしまう」危険性を指摘しています。そして、「教員になる前に「担任を受け持った学級の最初に、先生が大切にしていることを一つだけあげるとすれば、何でしょうか?」ということを聞いてみておくのも良いでしょう。」と教員志望の人に説いています。

それももちろん大切ですが、さらに、『居場所』に倣って、「子どもとの信頼関係をつくる」「子どもの声を聴く」「選択できることを大切にする」などを取り入れることで、その後の学級経営の展開が大きく異なってきます。またそれによって、『教科書』にある「偶発的領域」において、「問題解決と学校文化の創造」のための「児童生徒の自主的実践活動、自律や自治」が無理なく進められると思うのですが、いかがでしょうか。

文科省の施策のなかで、方向性は示すけれど、「後はみなさんよろしく」式のことがこれまでたくさんありました。学級経営も『教科書』で学ぶだけでなく、ぜひその足りない部分を『居場所』のような具体的な資料で補い、多くの教室で、子どもたちの居場所づくりを大切にして、生徒一人ひとりが人として尊重される学級経営が行われることを願いたいものです。

2023年4月23日日曜日

学習指導要領の「主体的に学習に取り組む態度」とSELの関係?

●読者(千葉県の公立小学校に務めている津崎先生)からの質問:

最近考えていることについて、質問させてください。現在、吉田さんの関わったSELの本を読んでいます。そこで、数十年前からSELに興味をもたれている吉田さんにお聞きしたいことがあります。

日本の学習指導要領では、育成すべき資質・能力として、「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力、人間性」の3つが挙げられています。

この3つを「認知能力」と「非認知能力」に分けると、「知識及び技能」と「思考力判断力表現力」認知能力であり、「学びに向かう力、人間性」「非認知能力」(=SEL)であると私は解釈します。

これからの時代はもはやテストの点数(IQ)の時代ではなく、感情知性や社会的知性のスキル(EQSQ)です。そう考えた場合、先に述べた3つの能力のうち、やはり「学びに向かう力、人間性」の育成がとても重要視されるべきだと思うのです。

その「学びに向かう力、人間性」ですが、実際に評価するとなった場合の評価の観点として、「主体的に学習に取り組む態度」があります。これは「学びに向かう力、人間性」のうち、評価できるものを取り上げたものです。

文科省は、「主体的に学習に取り組む態度」を2つの側面から定義しました。一つが「自己調整力」で、もう一つが「粘り強さ」です。この2つを次のように説明しています。

前学習指導要領における評価の観点「関心・意欲・態度」は、新学習指導要領で「主体的に学習に取り組む態度」へと発展的に変更された。「関心・意欲・態度」も各教科等の学習内容に関心をもつことのみならず、よりよく学ぼうとする意欲をもって学習に取り組む態度を評価する観点であったが、この点を「主体的に学習に取り組む態度」として改めて強調することとなった。そして、「主体的に学習に取り組む態度」の具体的な観点として、知識及び技能を獲得したり、思考力・判断力・表現力等を身に付けたりすることに向けた粘り強い取組を行おうとしている側面(以下「粘り強さ」)、②①の粘り強い取組を行う中で、自らの学習を調整しようとする側面(以下「自己調整」)の二つの側面を評価する。

ここで疑問なのが、どうして自己調整と粘り強さの二つなのか、ということです。その理由はどこを探しても見当たらないのでモヤモヤしています。なぜなら、SELは『学びは、すべてSEL』のp31の図にあるように、もっと多岐に渡った側面が存在するからです。

吉田さんにお聞きしたいのは、現行の指導要領で示される「自己調整力と粘り強さ」で、主体的に学習に取り組む態度を育成できると思いますか?

 

●回答:

「関心・意欲・態度」であろうと、「主体的に学習に取り組む態度」であろうと、教師ないし教科書主導の授業で、それを生徒たちに期待することはかなりの難しさがあります。

そんななかで、「自己調整力と粘り強さ」は、絵に描いた餅以外の何ものでもないとしか思えません。(どうして、これら二つが選ばれたのかは、私にも分かりませんが、おそらくマスコミ等で取りざたされているというか、文科省周辺の研究者たちが大切と言っているからでしょうか?)

生徒たちは、教師がしている授業にしか反応できません。(その意味では、「主体的に学習に取り組む態度」や「自己調整力と粘り強さ」を生徒が示せる割合はほとんどありません。

さらには、教師はそれらをモデルで示すことが求められているのですが、「主体的に学習に取り組む態度」や「自己調整力と粘り強さ」をモデルで示せるレベルで身につけている人はいったいどのくらいいるでしょうか?

https://projectbetterschool.blogspot.com/2022/11/blog-post_20.htmlで紹介している二つの表および文章を読まれて、〇〇さんはどのような印象・反応をもたれますか?

文科省のきわめて空虚な「言葉遊び」(あるいは、評価の観点としての「関心・意欲・態度」で失った30年?を、今度は「学びに向かう力、人間性」や「自己調整力と粘り強さ」でさらにウン十年と延ばすこと)にお付き合いするのではなく、実質のある、内容の伴った(実践と理論に裏打ちされた)本を読んで自分の実践を磨くことに時間を割いていただきたいです。

これまでも、そういう本をたくさん本ブログで紹介してきましたが(たとえば、http://wwletter.blogspot.com/2023/02/sel.html)、来月に出る学びの中心はやっぱり生徒だ! ベナ・カリック(著/文) - 新評論 | 版元ドットコム (hanmoto.com) も、まさにそういう1冊です。

また、生徒も、教師も羽ばたけないで小さな瓶の中に閉じ込められた状態が続いている日本の教育で、7月に出る予定の本は『だから、みんなが羽ばたいて(仮題)』という生徒も教師も羽ばたけるための具体的な手立てが書かれた本です。上の本とセットにして読むと、生徒中心の学び(教師や教科書やテスト中心の勉強=生徒にとっては苦役の対極にある学び)はどういうふうにつくり出せるかが分かります★。

 

以下は、問われていない蛇足(主には、思考力についてのオマケ)です。

 質問の最初に書かれていた「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力」(関心・意欲・態度改めの)「学びに向かう力、人間性」は、教育の3本柱の知識、技能、態度を言い換えたものですが、文科省は「技能」の中身としてどんなものをあげているのでしょうか?★★

 一般的にそれは、「思考力・判断力・表現力」を含めた多様なものですし、思考力も「ブルームの思考の6段階(暗記、理解、応用、分析、統合、評価)」によると、評価・判断を含んだ概念として捉えられています。また、2番目の「理解」も、オリバー・キーン著の『理解するってどういうこと?』やグラント・ウィギンズほか著の『理解をもたらすカリキュラム設計』を読むと、とても面白く深いものがあることに気づけます。

 このように、日本ではほとんど「考える授業」がまだ行われていない現状も浮き彫りになってしまいます(これも、教師/教科書主導の授業の弊害の一つ?)。この点については、https://projectbetterschool.blogspot.com/search?q=%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8Bをご覧ください。

 先のURLで紹介した2つ目の表の「思考の習慣」https://bit.ly/3XZmfbh★★★には、学校のなかだけでなく、長い人生を生きていく際に欠かせない「考え続けるための習慣」がよくまとまっていると思われませんか? これらのうちのどれだけは学校や大学を卒業する時点で生徒・学生たちが身につけられるようにしているでしょうか?

 

★これら5月と7月に出る本2冊は、「主体的に学習に取り組む態度」や「自己調整力と粘り強さ」を実現させる(生徒が本当の意味で身につける/練習する)ために、最も参考になる本です。

★★私が一番先に思いつくのは、日本の教育界では軽視ないし無視されたままのクリティカルな思考、クリエイティブな思考(創造力)、コラボレートできる力(協働する力)、コミュニケーション力の4C(21世紀型スキル)です。それに最近は、シティズンシップとキャラクターの二つのCを加えて、6Cともいわれます。文科省が「人間性」を言い始めたのは、ここからきている? しかし、それを単に言うことと具体的に普及するためのノウハウをもっていることは、まったくの別物です! 4Cも6Cも、教師/教科書主導の一斉授業では練習できないものばかりです。

★★★この「思考の習慣」については、成績だけが評価じゃない スター・サックシュタイン(著/文) - 新評論 | 版元ドットコム (hanmoto.com)(この本のサブタイトルは、「感情と社会性を育む(SEL)ための評価」です!)の68~77ページでも紹介されています。

★★★★ 「認知能力」と「非認知能力」を分けるのは、http://wwletter.blogspot.com/2023/02/sel.htmlの(p31の)図の「認知調整(第4章)」にあるように必ずしもスパッと行くものではない気がします。

2023年4月16日日曜日

一人ひとりを育てる『社会科ワークショップ』

 以前も書評を書いてくれた兵庫県の小学校の先生の北元さん(https://projectbetterschool.blogspot.com/2021/08/blog-post_22.html)が、今度は『社会科ワークショップ』の書評を送ってくれましたので紹介します。あなたも、書評や実践報告を送ってください。このブログや、姉妹ブログの「WWRW便り」や「SEL便り」で紹介します。

「自立した学び手を育てる教え方・学び方」というサブタイトルに惹かれて、この本を手にしました。

教師の発問に子どもたちが答え、想定と想定をやや超えた子どもたちの発言が板書に残っていく授業。そんな一斉授業に価値は認めつつも、何か物足りなさを感じている方には、お薦めの本です。

改訂版『読書家の時間』と同じく、この本には「ワークショップ」を進めていくための具体的な手立てが、実践と共にリアルに描かれています。折しも、昨年末の冬に大阪で、「社会科ワークショップ」を体験できるワークショップに参加することができたため、実践のイメージをもつことができました。

この本は、大きく三つのパートから構成されています。パート1は「社会科ワークショップがもつ可能性」、パート2は「社会科ワークショップの柱」、パート3は「社会科ワークショップで彩る1年間」となっています。

パート1には、執筆者の先生が「社会科ワークショップ」を実践されるに至った歩みが書かれています。一斉授業の物足りなさを感じつつも、「ワークショップ」とは何か、という疑問や学習として成立するのか、という疑念を抱いていた私には、共感できる部分でした。

それだけではありません。章の見出しのとおり「可能性」を大いに感じさせてくれる内容でした。子どもの「可能性」を引き出すことができます。教師として子どもを育てる教師に育つ「可能性」を感じさせてもらえます。具体的なことは、ぜひ本を手に取ってお読みください。

 きっと、感動を覚えパート2へと引き込んでいかれると思います。

 パート2には、具体的な実践方法とその理念、子どもや教師の育ちやぶつかる壁等が書かれています。例えば、学年会の様子なども再現されています。同僚の反発や不安を受け止めながら、理解を得て共に実践に向かっていく光景は、これから実践しようする自分にとっては両者の立場に立つことができ、心強いものでもありました。

このパートでのキーワードは、「探究のサイクル」「ユニット」「遊び場」「カンファレンス」「評価」だと、私は思います。

「探究のサイクル」については、大阪での研修会で体験することができました。ユニットは『玉川上水』でした。(ユニットと単元の違いが気になられた方もおられるかもしれませんが、この本を読むと解決できます。サイクルの回し方や指導の進め方についても同様です。)

体験して感じたことが、いくつかあります。

一つは、頭をフル回転させる必要があるということです。受け身の状態では、発表という目的に向かって調べたり考えたりすることができません。うかうかしていられない、という感覚です。学習に興味・関心をもつことが容易な子どもにとっては、刺激的で主体的な学習になると思います。

一方で、学習に乗り切れない子どもたちもいます。カンファレンスやペアの作り方に教師の指導性が発揮されてくるのだと思います。カンファレンスは、私なりの解釈をさせていただくと、一種の御用聞きだと思います。戸別訪問販売のイメージです。患者さんに合わせた治療をするお医者さんとでもいえましょうか。

もう一つは、コミュニケーション能力や社会性が必要とされるということです。

探究は、ペアで行うことが多いようです。ペアになった方は、初めてお会いする方でした。

一緒に探究や発表準備をさせていただく中で、自分のやりたいことや思いだけを押し付けていないか、この方が遠慮されているのではないか、という思いになりました。自分の他者へのアプローチの仕方に気付く機会となりました。このことは、教師の支援のもと、子どもにも経験可能なことだと思います。

また活動を共にすることで、その先生の発想の素晴らしさや得意なことだけでなく考え方にも触れることもでき、わずかな時間を共有しただけですが、お互いの距離が縮まった気がしました。

 子どもの関係性の築き方も一人ひとり多種多様であり、中にはペア活動が重荷になる子もいるかもしれません。しかし、だからこそ、その子への指導や支援の仕方が如実に教師に迫られます。本書の中にあった「授業で育てる」ということにもつながると思います。

 もう一つは、総合的であるということです。私たちペアは漫才形式で探究したことを発表しましたが、台本を作る際に国語力の必要性を痛感しました。他のグループも様々な方法や内容で発表されましたが、そこには、数学的な処理の仕方や統計的なものの見方、図工などが発揮されていました。全身全霊で没頭する幼稚園の「遊び」が彷彿させられました。「遊び場」づくりがユニットづくりということに、納得がいきます。

 体験はしていませんが、パート2で私が最も大事に感じたのは、「評価」の項目です。

ばらばらな活動の中どうやって評価するのかは、誰しも抱く疑問でありワークショップの実践を躊躇させる大きな要因だと思います。しかし、この本を読むと、その引っ掛かりは見事に溶けていきます。評価の根本について問いかけられているからです。

「成績をつけることではなく、子どもたちに力をつけることが評価」「学習は自分のものであって、学習を改善するのは最終的に自分」という言葉が、私の心に鋭く突き刺さりました。サブタイトル「自立した学び手を育てる教え方・学び方」に通じています。

 パート3には、6年生と5年生の実例が紹介されています。子どもと教師の実態に合わせながら「社会科ワークショップ」が育っていく様子です。参考にしながら、自分の教室でのワークショップを自分の教室の子どもたちに合わせて作っていく必要を感じました。

 この本の奥底にあるのは、一人ひとりを育てることだと解釈しています。

 私自身は、今年度社会科学習を指導できる立場になるかどうかは、まだ分かりませんが、この本に書かれている発想は、理科をはじめ他教科にもそのまま応用可能なものばかりです。学級という集団の中で、個が互いに響き合いながら一人ひとりが育つ学習指導を目指したいと思います。

 『社会科ワークショップ』は、社会科の教え方の本を超えた「教師の仕事の本質」を

考えさせてくれる本です。

2023年4月9日日曜日

「考える教室」をつくるには

 新年度が走り出し、一年で一番忙しいこの4月。今年はどんな授業を大切にしようかな、子どもたちとどんなことをやってみたいかななど、想像していることだと思います。私は今年度、子どもたちと「考えること」を大切にしようとわくわくしているところです。

 

私たちは、子どもたちが考える力をもっていると本当に信じていますか? もしかして、ていねいに説明をして、こまかく指示をし、繰り返し練習したり、暗記することによってはじめて、子どもたちは考えられると思ってはいないでしょうか。

 

カナダにあるサイモン・フレーザー大学のピーター・リルジェダール教授は、算数・数学において"子どもたちは考えることができないか、考えないだろうという前提で成り立っている "と教師が子どもたちと低く見積もってしまっている点を批判し、“もし子どもたちが考えていないのなら、子どもたちは学んでいないのです”と、教え込み授業に対して痛烈に批判しています。

 

このような状況では、子どもたちが自発的に問題解決に取り組むことを期待するのはどだい無理な話。暗記ばかりしている子どもには、将来、難しい問題解決に立ち向かうための自尊心を育み、挑戦的で時には混乱するような課題にも取り組むことができません。

 

そこでリルジェダールは、10年以上にわたる研究や実験、400人以上の幼稚園から高校までの教師との協同研究により、教室が主体的に「考える教室」に生まれ変わるために必要なその変数・要素を見つけ出し、特定しました。それには課題の選び方、子どもたちの学び方や協力の仕方について、教室での活動の進め方などが提唱されています。ここにその一番効果的な最初に3つを紹介します。★

 



1. 考える教室では、考える問題から扱う

 

子どもたちに考えさせたいのであれば、問題解決のための優れた考える必要のある問題を用意することです。

 

6面体のサイコロを想像してみましょう。「1」は「6」の向かい側、「2」は「5」の向かい側、といった具合に反対側の面と合計が常に7であることに気づくはずです。では、この制約を受けない6面体のサイコロを自分で作るとします。何種類のダイスがつくれますか?

 

学年の初めには、子どもたちたちが解いてみたいと思えるような魅力的な問題を用意します。まずはカリキュラムとは関係の無い問題からはじめことで、考えるためのモチベーションを高め、自分自身に挑戦する意識を育てることが必要です。

 

これらの課題は慎重に順序立ててながら少しずつ難易度を上げていきます。教室の中に考える文化が育ち始めたら、問題を徐々に学習カリキュラムの課題におきかえ、ゆくゆくはカリキュラムの中でより多くのより長い時間を子どもたちが考えられるようにしていきます。つまり、最初に考えるおもしろさを味わえるようにするのは、深い学びにつなげるためこその回り道なのです。

 

2. 考える教室での共同グループの作り方

 

考える教室では、授業の最初にランダムな方法で授業中ずっと一緒に活動する3人ずつのグループをつくります。子どもたち同士のコラボレーションが機能すれば、学習に強力な影響を与えるからです。(Edwards & Jones, 2003; Hattie, 2009; Slavin, 1996)。

 

しかし、教師が意図的にグループを分けたとても(Dweck & Leggett, 1988; Hatano, 1988; Jansen, 2006)、子どもたち自身がグループをつくったとしても(Urdan & Maehr, 1995)、80%の子どもたちが「このグループでは、自分のやることは考えることではない」という意識を持ってしまうことが分かりました。

 

そこで、ランダムな3人グループ(そこでは役割がふられ、「記録係・発表係」「質問係」「司会」など)を作ったところ、それまで受動的だった学習空間を、学生が60分以上考え続ける能動的な思考空間へと変える大きな効果がありました。また、6週間以内に100%の子どもたちが「自分は考えるだけでなく、貢献する」という意識を持ってグループに入るようになりました。頻繁にランダムなグループ分けを行うことにより、教室内に生まれる社会的差別をも取り払い、知的な交流を高め、子どもたちの心理的ストレスも軽減し、算数・数学に対する熱意を高めることが示されたと報告されています。

 

3. 考える教室で子どもたちが活動する場所

 

伝統的な教室は、子どもたちが机について、ノートに書き込むスタイルです。この作業は、考えるためには最も不向きなやり方であることが判明しています。教室の壁面や黒板、窓などに垂直にホワイトボードを立てかけ、子どもたちが立って学習することが最適であることがわかりました。

 

しかもホワイトボードは消せるため(グループ内に確認しないと消すことはできないが)、

安心して発言もすることができます。教師や他のグループからも作業内容が見えるようにもなり意見が活発に交流されていき、子どもたちが学習から離脱するのを防いでくれる効果もあります。

 

また、調査の結果、直方体や前面に黒板のある教室配置は、受動的な学習を促進することがわかってきました。一方で、デフロンテッド・クラスルーム(子どもたちがあらゆる方向を向いて座る教室)は、子どもの思考を誘発するために最も効果的な方法であることが示されました。

 

 


リルジェダールは、これらの変数が合計14あり★、順序立ててを取り入れていくことで、「考える教室」を構築するための最適な教育法を提供しています。

 

どうでしょうか。子どもたちがつい考えたくなる魅力的な課題、毎回ランダムなグループ、そして立って意見交流ができるホワイトボードの活用など、これは算数・数学だけに限らず全ての教科においても活用できると思えませんか? 年度の初め、教科書を読みながら、「本当にこれでいいのだろうか」と慌ただしさの中にも逡巡するもやもやをつかまえて、授業変革の一歩を踏み出してみませんか。

 

 

20233月の記事

How to Turn Your Math Classroom Into a ‘Thinking Classroom’

https://www.edutopia.org/article/thinking-classroom-peter-liljedahl-math

2017年のEdutopia記事にもありますが、14要素は昔のものとなっています。

 

★★

他には以下のものがあります。詳しくはピーター・リルジェダールのHPが参考になります。https://buildingthinkingclassrooms.com/14-practices/

 

4. 考える教室では、教室環境をどう並べるか

5. 考える教室で質問にどう答えるか

6. 考える教室では、いつ、どこで、どのように課題が与えられるか

7. 考える教室での宿題のあり方

8. 考える教室で生徒の自主性をどのように育むか

9. 考える教室でヒントと発展問題をどう使うか

10. 考える教室でどのように授業を集約していくか

11. 考える教室での生徒のノートの取り方

12. 考える教室で評価するために選ぶもの

13. 考える授業で形成的評価をどう使うか

14. 考える教室での評価方法


©ピーター・リルジェダール

2023年4月2日日曜日

そろそろ破ろう「夢中になれる学び vs 基礎学力」という二項対立」

春のらんまん。すべてが新しく、光り輝いて見える季節。

学校にとって、新しい一年が始まる時です。ついこの間、評価をつけるのに、憂鬱な気持ちを抱えていたのが、うそのようです。新学期を、桜の季節においている国は、世界では少数派のようです。圧倒的に9月新学期が多い。日本は、農家の米による収入が税収が中心で、農家が現金に換えてから納税して、そこから予算編成をしていると、1月には間に合わなかったので会計年度が、4月スタートになり、それに併せて学校の新学期も4月になったとのこと。★1

3月から4月の短い春休みの間に、日本の学校は一年間の計画を立てることになります。もちろん、前年度一年間の振り返りや総括のうえに積み上げていくので、この期間だけでやっているわけではありませんが、ゆったりと、そして、じっくりと構想を練る時間はあまりないというのが実感かもしれません。

そこで改めて考えさせられるのが、夢中になる学びと基礎学力の関係です。中高の先生方と教育に関するブッククラブをやっていて、たびたび話題にのぼるのがこの二項対立なのです。新しい考え方や新しい手法が紹介されると、みなさん関心をもちます。「すばらしい!」と感嘆する方も多い。

しかし、決まって出てくる発言は、「うちの生徒では無理。まずは、基礎学力をつけないと。」という一言なのです。これは、まさにマーサ・ラッシュが、『学びに熱中する教室 − すべての生徒に主体的で深い学びを』の中で指摘していることです:

「標準学力テストの結果、低学力の学校であると判定された場合、決まって採用される方法は、知識中心の学習方法をより厳密に推し進めることである。主体性を重視した、アクティブ・ラーニングの方法が採用されることはまずない。これは、一つの学校の中でも起きることだ。低学力層の生徒にのみ、講義とドリル中心の学習をさせるのだ。低学力の生徒には、高度な思考が求められる学習に移行する前に、「基礎学力」を身につけされる必要があるという考え方が根強くあるからに他ならない。」★2

高校時代、日本文学史が得意な友人が、「二葉亭四迷というペンネームは、自身を「くたばって仕舞めえ」と罵ったことによるといったことや、『小説総論』を発表し、写実主義小説『浮雲』は言文一致体で書かれ、日本の近代小説の開祖となった。」いった知識をひけらかしていたのを思い出します。彼の知識には、驚きましたが、彼はどの本も読んだことはなかったのです。

そういった知識のことを「基礎学力」と呼んでいることが多いのではないかと思います。

今は、刺激に満ちた学びの場は、日常の中にあふれています。YouTubeを見れば、日常生活で疑問に思うことは、ほぼ解決できます。家庭内におけるDIYやものづくり、調理、掃除洗濯、もちろん、学校で学ぶ様々な教科に関すること。あらゆることに関して、完璧な解答が、とても分かりやすく、魅力的な形で提示されます。昨年末に発表されたChatGPTなどのAIの進化も驚異的です。教員や学校の役割も変わらざるを得なくなると痛切に思わされます。

もうそろそろ、「夢中になれる学び vs 基礎学力」という二項対立を超えて、新しいフェーズに入らなければ、手遅れになる思います。今年は、もう一度そのことを真剣に考えながら、実践を続けていきたいと思っています。


★1 「世界の多くの国々では9月入学が主流!4月に入学する国は少数派」https://benesse.jp/kyouiku/201504/20150406-4.html

★2  マーサ・ラッシュ (2020) 『退屈な授業をぶっ飛ばせ!: 学びに熱中する教室』新評論, pp.25-26.