2020年3月28日土曜日

クライシスへの対応

 コロナウイルス対策で、「一斉休校」により学校現場の先生方はこれまで経験したことのないような困難な場面に立たされたことと思います。
元外交官で作家の佐藤優氏によると「危機管理には2種類ある」とのことです。(『サバイバル組織術』文春新書2019)その部分を少し長いですが、引用します。 

リスク・マネジメントとクライシス・マネジメントです。混同しがちですが、この二つは性質が違い、対処法も変わってきます。リスクとは「悪いことが起きる可能性」で、計量化できる概念です。ある一定の確率で起きるのが予想されるため、あらかじめ危機を回避したり予防できたりする。その予想可能なトラブルの対応策をまとめたものがマニュアルです。したがってリスク・マネジメントで扱うのは、マニュアルで対応可能な危機ということになります。
それに対して、クライシスは予測不可能な危機です。自然災害や交通事故、経済でいえば株価の大暴落、会社でいえば経営者の急死などは、非常に稀な現象で、前もって予想するのが難しい。ひとたび危機が発生してしまえば、生きるか死ぬか、ダメージをいかに最小限に食い止めるか、というマネジメントになります。
だから、クライシス・マネジメントにはあらかじめ決まった正解はありません。クライシスのあり方はそのときそのときで異なるからです。またクライシスの規模が大きくなるほど、対処すべき要素が増大し、複雑化してしまいます。だから、個別の対応策を列挙するタイプのマニュアルはあまり役に立たないのです。 

マニュアルが役に立たないというのであれば、その都度関係者の知恵を集めて最善と思われる対策を実行する以外にありません。今回のウイルス対策もまさにこの事例です。官邸や文科省も大枠のみを示して、後は自治体ごとに判断をしてくださいというスタンスですから、現場の判断が問われることになります。 
海外からのニュースで目を引いたのは台湾のウイルス対策でした。


特に、ディジタル担当政務委員(大臣に相当)のオードリー・タン氏の活躍です。世界的に有名なプログラマーで、現在38歳であり、8歳からプログラミングを学び、15歳でIT企業を起業した逸材です。その後、トランスジェンダーであることを公表し、36歳で入閣したときには性別欄に「無」と記入したというエピソードが残されています。
 この台湾が誇る天才が、感染症対策でもその力をいかんなく発揮して、マスク不足対策に当たっては、衛生福利部と協力して、台湾国内の薬局にあるマスクの在庫データをネット上に公開しました。それを受けて、民間のITエンジニアがそのデータを地図上に落とし込み、在庫状況をだれでも確認できるアプリを開発して、無償配布したそうです。
 それだけにとどまらず、デマ情報の拡散を防ぐため、ラインなどのアプリを通じて間違った情報を信じないように注意を促す情報を発信するなど、まさにIT担当大臣としての役割を十二分に果たしているのです。

 わが国でまだまだ続くマスク不足などに対して、政府は緊急対応をすると言っていますが、どうなのでしょうか。もうすでに3週間以上たちますが、相変わらず町のドラッグストアには「入荷未定」の張り紙がなされたままです。学校再開にあたり、「会話時にはマスクをつけるように」とのことですが、ほとんど手に入らないマスクを学校は、あるいは保護者はどうやって調達するのでしょうか。

このようなクライシスに直面して、改めて学校という組織のあり方が問われています。「学校運営」から「学校経営」へとこの二十年くらいの間に文言は変わりましたが、組織マネジメントのできる管理職がもっと必要だと思います。年度末から年度初めにかけて、人事異動の季節になりますが、校内の人事をどうするかは校長にとって非常に大切な仕事になります。 

教員の人事は教育委員会の所管事項ですから、校長が望んだ教員ばかりが配当されるわけではありません。当然、指導力不足の教員もいれば、過去に懲戒処分を受けた教員も含まれています。そのメンバーから、だれを学年主任や生徒指導主事(児童指導主任)などにするかは大いに悩むところです。 


今回のクライシスを乗り切るためにも、思い切った発想で校内人事をすることも必要だと思います。若手の中で、意欲的に物事に取り組める人、あるいはみんなと一緒になって何かに夢中になって取り組める人材を見つけ出し、彼らを「主任」のポストにつけて取り組ませるのです。これは、とても挑戦的なことであり、悪くすれば学校という組織に混乱だけをもたらすことにもなります。しかし、彼らがうまく機能し、周りの人々がそれをサポートするようになれば彼ら自身だけでなく、学校全体も飛躍的に伸びるに違いありません。そのためには、もちろん管理職のサポートが欠かせないわけですが。
 しばらく前に読んだ『大学生のためのドラッカー』(松本健太郎/リーダーズノート出版2011)の一節にこうありました。

 人事の鉄則は、挑戦する者に機会を与えることです。挑戦する意思がある限り、魂は燃えています。

 そのためには、事前に彼らの能力をよく見極めることと、校内での人間関係などにも注意を払いながら進めることです。それには、日ごろからの校長の観察力がものを言います。当然、観察するだけでなく、日常的に職員との会話を大切にするという姿勢が求められることになります。日ごろから、校内をよく見て回り、教室での教員や子供たちの様子を見ることが重要であり、人事評価のための授業観察のときぐらいしか教室に来ない管理職はそれだけで落第点でしょう。
 『教育のプロがすすめるイノベーション』をしばらく前にお勧めしましたが、その本にも登場したサイモン・シネックは『「一緒にいたい」と思われるリーダーになる』(ダイヤモンド社2019)で、次のように述べています。

 チームに仕事を命令するだけでは、「労働者のトップ」にぎない。チームを信頼して仕事を任せてはじめて「リーダー」になれる。

リーダーとそのチームのメンバーの間に信頼関係があってこそ、リーダーの言葉がメンバーに届くものだと思います。信頼関係のないリーダーが何を言っても、それはただの命令にしか過ぎません。そのような状態ではチームがチームとして機能することはないでしょう。学校のリーダーがまずやるべきことはこの関係づくりです。
4月になり多くの学校は授業を再開することになると思いますが、このクライシスを教職員相互の信頼関係をベースにした「学びの共同体」の力によって、ぜひ無事に乗り越えていっていただきたいと思います。

2020年3月22日日曜日

生徒たちができるのに、教師の私がしてしまっていることは何か?


私が『あなたの授業が子どもと世界を変える』の中で、最大のハイライトだと思っている箇所を紹介します。

 その前に、著者たちも、そしてあなたも置かれている状況は・・・

  私は、恐れていたのです。

 生徒自身ですべきことや方法、目標などを考え、自らのプロジェクトを創意工夫しながら管理してほしかったのですが、私は恐れていたのです。生徒が選択することの大事さを私は信じていました(ここまでの具体的なイメージはもてていなくとも、生徒がもっと主体的でワクワクする授業がしたいと思っている教師は多いと思います)が、同時に、あまりにもたくさんの懸念が頭の中に浮かんでいたのです(86ページ)。

 それらの「心配の種」を、以下のイラストで示してくれています!(本書、87ページ)


 しかし、自分にちょっとした成功体験があったことで、著者の一人は次の夏休みに、次のように自問自答して、自分のクラスを徹底的に分析することにしたのです。

 「生徒が自分で判断できるのに、教師の私が判断してしまっていることは何か?」

屈辱的でした。私はめちゃくちゃ働いていたのに、生徒たちは退屈しているか、私に楽しませてもらっていたことに気づいたのです。クラスの規則、進め方、教え方、指導案、プロジェクト、評価など、私はすべてを見直すことにしました。そう、すべてです(91~2ページ)。

 これと似たような質問をある私学の中高一貫校でしたところ、「授業の七~九割は生徒たちに委ねる/任せることは可能だ」と理科と社会の先生は言い切りました。残りは、入試の準備のために確保しておきたいとのことでした。現状でも、少なくとも七~九割は探究的な、生徒にオウナーシップがある授業は可能だというのです。
なのに、現時点では六年間入試の準備の授業をやり続けているわけです。もし、七~九割の時間の使い方が変われば、残りの一~三割も生徒たちが主体的にこなせる可能性が高まると思いませんか? 
小学校ではどうでしょうか?

 ということで、あなたの(それ以上に、生徒たちの!)可能性をこれ以上大きく拓く質問ないし提案は、これまでにされたことがあるでしょうか? そうなのです、がんばるのをあなたではなくて、生徒たちなのです!! そのために、

あなたのクラスの選択にまつわる査定をしてください。

 「生徒自身ができることに対して、教師である私は何をしているのか?」という問いを掲げて、教室でしているすべてのことを査定してみるとよいでしょう。これによって、生徒をエンパワーするだけでなく、生徒指導の時間が減り、より多くの時間を本来の仕事である学習指導に費やすことが可能となります。
 目を閉じて、自分が生徒だとイメージしてください。あなたのクラスで一時間の授業ないし丸一日を過ごしたとして、生徒として、何をやりたいかを出してみるのです。
 共感をもって考えることは、本当に「目から鱗」の思いがしました。実際にこれをしてみて私が気づいたことは、教室でのやり方のほとんどは、教師としての私にとって都合がよく設計されていたということです。そして、それは、まったく生徒のためになっていなかったのです。
しかし、生徒がやり方のオウナーシップをもちはじめると、すべてがより組織的になり、混乱することが減ったのです。生徒たちは、押し付けられたものについて勘繰るという必要がなくなったからです。あなたのクラスや授業において、どんなことが柔軟な制度に変更できるかと、自分に問いかけてみてください。(本書、209~210ページ)

 この問いかけが、「学校ごっこ」や「正解あてっこゲーム」(http://wwletter.blogspot.com/2020/03/blog-post_20.html)から生徒たちを解き放ち、「真の学び」に邁進してもらう最大の助けになることでしょう。もう、後戻りはできません!
 この問いかけ以外にも、デザイン思考をはじめ、たくさんのヒントやきっかけとユーモア(そうです、教育でユーモアです!)が得られます。ぜひご一読を(ブッククラブ形式で仲間と読めば、読める内容は何倍かに深まり/広まります)!

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2020年3月15日日曜日

来週発売『あなたの授業が子どもと世界を変える: エンパワーメントのチカラ』



この本の前編的な位置づけの『教育のプロがすすめるイノベーション』に引き続いて、テーマの一つは「自分の声を見つける」です。それは、著者たちのまえがき的な文章のタイトルにもなっています。そして、ケイティーという女生徒が手話を学んで、歌に合わせて手話を発表したところが感動的に描かれています。
 私たちは日々の教育活動を通して、どれだけの「自分の声を見出している」でしょうか? 教師として。生徒として。
 それは、言われたことをこなし続けたり、暗記して吐き出したりすることとは、異次元のものです。自分なりに夢中で取り組み、何らかの意味をつくり出して、周りの人に何らかのインパクト/感動を与えることです。「声」があると、それが実現しますし、ないとダメです。
 本書は、次のような考えのもとに書かれています。

私たちは、何もしないわけにはいきません。私たちがコントロールできる一万四〇〇〇時間を使って、生徒が創造性とイノベーションを引き起こせるようにするのです。
 もし、学級経営に問題があるなら、生徒が学べる選択肢を提供して、それがたとえどんなに難しいテーマであっても、どのように興味関心に惹きつけられるのかを観察するのです。
 テストを超えて教えるのです。生徒にテストを超えて学ばせるのです。生徒がつくったり、デザインしたり、創ったり、評価したりすれば、カリキュラムやテストが押さえていることを彼らははるかに超えていきます。
 エンパワーされた学習者は、未来の世界を担う人物となります。彼らが一万四〇〇〇時間をどのように過ごすかによって、彼ら自身の未来だけでなく、彼らに続く世代がどうなるかを決定づけることになります。

学習者をエンパワーする旅へと、私たちと一緒に出発する準備はできていますか?

 「14000時間」というのは、毎日6.64時間、一年のうち180日、一二年間を学校で授業に費やす時間のことです。つまり、教師がコントロール可能な時間です。

 その時間にどのような環境を提供(どのような授業を)するかは、教師次第ということです。次のような表が、本書には掲載されています。

一番左側の「従順(服従・忖度)の環境は含まれていません。最初から望まれたものではないので、消されています。しかし、日本の環境/授業を見渡すとこの段階のものが圧倒的なので、比較のためにも書き出した方が、何が求められるのかが明らかになると思います。(ぜひ、ご自分で書き足してください。)


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2020年3月7日土曜日

今こそ、教育の本質を見つめ直すとき 〜世界人権宣言26条解説 ジャン・ピアジェ『教育の未来』から〜



こんな時期だからこそ「何のための教育か」を振り返ってみませんか? 今、子どもたちもそれぞれ家庭学習で努力しているはず。私たち教師も同じように学習して、教師としての自分のあり方や教育ビジョンを磨き直してみましょう。それにお薦めの本がジャン・ピアジェ『教育の未来』です。




ところで、みなさんは、世界人権宣言の教育に関する項目をご存じですか? 26条にその教育の本質が謳われています。★

世界人権宣言 第26
二、教育は、人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない。教育は、すべての国又は人種的若しくは宗教的集団の相互間の理解、寛容および友好関係を増進し、かつ、平和の維持のため、国際連合の活動を促進するものでなければならない。

この世界人権宣言26条に、ジャン・ピアジェが解説を寄せています。今から70年も昔のものですが『教育の未来』という本にわかりやすくまとめられていますので、ぜひご一読ください。心理学者かつ教育学者のピアジェは、子どもの人格を発展させるためには、探究的な自発的活動の重要性を当時から訴え、学級集団やグループの社会的な自治活動が欠かせないと、すでに解き明かしていました。未来の教育を描き出したピアジェによる、教育の本質への解説は、瞠目に値します。

ピアジェは、子どもの認識能力や知能は遺伝的に決まっているものではないとして、大人が一方的に知識を教え込むことを批判し、子ども自身の「自発的な活動」によってこそ、認識能力や知能が磨かれていくことを明らかにしました。この「自発的な活動」を重んずる教育とは、子ども自身が真理を発見したり再構成したりすることを指します。そこでの教師の役割は、子ども自らが知識を発見するように導いていき、考える場を作ったり、実験器具を整えたり、反証事例を挙げ、子どもが出そうとする結論を急がせずに省察させ、失敗や誤りは、正しいものへ近づくためのものと尊重しました。

“自発的活動を重んずる教育法の基本原理は、科学の発達の歴史を辿る中で考え出されたものであります。それを一言で言えば、つぎのように表すことができるでしょう。「理解するということは、発見し発明すること、言いかえれば、再発見して再構成することである。」将来、単に教え込まれたことを反復するだけの人間でなく、ものをつくり出したり創造したりすることのできる人間をつくるためには、まずこのような条件を必然的条件として引き受けることが必要です。”『教育の未来』p22より

世界人権宣言26条二項「教育は、人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない」に、教育の本質的な目的が明示されています。この「人格の完全な発展」とは、自分の人格だけに限らず、他者の人格がもつ権利と自由をも尊重することも意味しています。日本の教育基本法においては「人格の完成」と表現されていますが、そもそも完成するものなのでしょうか!?

ピアジェはこの人格を、未成熟な自己中心性の状態を「個人」とし、その自己中心性を乗り越え、自分の自由な判断で規律を受け入れ、その規律をつくりあげる個人こそを世界人権宣言で示す「人格」であるとしました。社会生活の中でゆずったりゆずられたり、共に一緒に生活する社会共同体の規範をつくりあげながら、知的にも、道徳的にも自立した行動ができるように育てるプロセスこそが、この「個人」が「人格」へと成長させてくれます。これこそ教育の本分です(翻訳には「自律」とありますが、「自立」のほうがふさわしいと考え、ここではそう表現しました)。

”知的・道徳的な自律性を持って行動できる個人をつくることであり、相互性の規則を重んずるが故に、他の人の持っている自律性を尊重する個人をつくることであって、この相互性の規則こそが各人の自律性を正当化するものである。『教育の未来』p88より

これまでの伝統的教育法によって行われている教師からの教え込み授業や、管理され外から課された受け身の訓練では、子どもの自立性は発揮されません。教師は、子どもが理性を働かせられるように、子ども自身が自分の考えを自分で形づくれるように導いていかなければなりません。アクティブラーニングという名の一斉抗議型の授業でグループ討議が行われています。あたかも教え合ったりしているようにみえるかもしれませんが、子どもが自発的に話し合いたい場となっているのでしょうか?

子どもの自発的な活動を重視する教育を導入するには、まず、子どもの興味のあることからはじめ、生活に身近である具体的なところから出発することです。自発的な活動によって、徐々に具体物から抽象的な思考へと移行するように、少しずつ筋道立てて考えられるよう、理性を育てていきます。そこでは失敗したり、できないこともあり、感情が揺さぶられることだってあります。そういった自分自身の思考や気持ちをモニターしながら、少しずつ自分を律し、成長していきます。

教科指導に併せて社会的な自治活動によって、「個人」としての自己中心性から、自分を自分でコントロールできる自立性へ、お互いに尊重し合う「相互他律性」(権力者による一方的な他律とは異なる)へと「人格」を発展させていくことが肝要です。他者の人権と自由を尊重するには、この相互性が求められます。「人格」を育てるためには、子どもたち同士の社会的生活、つまり、授業や学級における規範をその必要性に応じて、自分たちの手でつくりあげていく自治的な学級づくりが必須です。そのためにも、子ども同士のつながりをいかして互いに検討し合い、批判的精神を働かせる思考の協同作業を教育の基礎とします。



自発的な活動や協同体験は、これまでplc便りで継続して伝えてきた学習者中心の学びとして繰り返し紹介してきたものです。ピアジェのいう授業における子どもの自発的な活動と学級自治は十分、今でも通用します! というよりも、今こそ求められている教育の本質ではないでしょうか。ご自分の教師としてのあり方や教育ビジョンを磨きあげるため、これを機会に、本書を手に取ってみるのはどうでしょうか?



★ 世界人権宣言 第26
世界人権宣言は、19481210日の第3回国際連合総会で採択された、すべての人民とすべての国が達成すべき基本的人権についての宣言です。26条には、地球規模での教育宣言がされています日本は1952年サンフランシス講和条約の前文で世界人権宣言の実現に向けた努力を宣言しています。

一、すべて人は、教育を受ける権利を有する。教育は、少なくとも初等の及び基礎的の段階においては、無償でなければならない。初等教育は、義務的でなければならない。技術教育及び職業教育は、一般に利用できるものでなければならず、また、高等教育は、能力に応じ、すべての者にひとしく開放されていなければならない。
二、教育は、人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない。教育は、すべての国又は人種的若しくは宗教的集団の相互間の理解、寛容および友好関係を増進し、かつ、平和の維持のため、国際連合の活動を促進するものでなければならない。
三、親は、子に与える教育の種類を選択する優先的権利を有する。


2020年3月1日日曜日

教科書がテーマの本の新刊案内


 「学校での授業」と聞いたら、あなたは何を一番に思いつきますか?
・兵隊さん並びの机とそこに座る生徒たち?
・教科書?
・時間割?

 他に何を思いついたか、ぜひ教えてください!(pro.workshop@gmail.com宛に)
 これらは、21世紀のいまとなってはすべてハック(改良・改善)を要することばかりです。(残念ながら、文科省や教育委員会をはじめ教育に関わる人で、このことを意識している人はまだほとんどいません!)
 https://projectbetterschool.blogspot.com/2019/10/vs.html で紹介した図をもう一度見ていただくと、明らかです。いつまで左側を学校や大学でやり続けたら気が済むのでしょうか?

 また、まだしたことがない方は、「教科書があることのプラス面とマイナス面」というテーマでブレインストーミングをしてみてください。私自身、10年近く前に自分でし、そして10人以上の先生たちにも協力してやってもらいました。その結果は、プラス面を出せた人はあまりおらず、マイナス面の方がかなり多かったです。(教育の名のもとに行われている多くのことで、このような実態のものがいかに多いかを、この簡単な方法が明らかにしてくれます! ぜひ、いろいろなテーマで試してみてください。そして、その結果を教えてください。)
 その時は、残念ながら、その先には進めませんでしたが、教科書との関係を何とかしなければ、という気持ちを引きずっていたのが、今週売り出される『教科書をハックする~21世紀の学びを実現する授業のつくり方』につながったわけです。

 本は、まさに生徒たちが退屈し、主体的にはなれない授業から脱して、自立した学び手になるために練習する授業のあり方を具体的に提示してくれています。(ある意味では、図の右側を実現するための方法を具体的に書いている本、と位置づけられます!)

 ここでは、先週の「PLC便り」や、金曜日の「RW/WW便り」(http://wwletter.blogspot.com/2020/02/blog-post_28.html)とは違った点にフォーカスして紹介します。(第7章の「テキストセットで本物の学び」★と第8章の「教科書をハックすることでワクワクする学びを実現する」の二つです。)

 第7章は、次のような文章ではじまります。


 これは、あなたの予想をはるかに超えた教科書批判に聞こえますか? 残念ながら、教師が教科書をカバーすることに頭がいってしまうと、学びは飛んで消えてしまうからです。思い出してください、自分の生徒・学生時代を! 教師や教授たちは、がんばって教科書やシラバスをカバーしてくれましたが、どれだけのものが残っている/身についているでしょうか?

 一冊の教科書(あるいは、一つの教材や指導案)が、教室にいる全生徒に等しく適切に受け入れられないことは、教師なら誰もが知っています。多い場合でも半数ぐらいで、時には1~2割でしかないことも。

 『教科書をハックする』の著者は、この問題を乗り越えるための方法として、テキストセットを提案しています。その中に含まれるのは、表7-1に示されているように極めて多様です。21世紀の学びに適していると思われませんか?(それに対して、教科書に固執するのは、20世紀というよりも、19世紀の教え方・学び方です!)

 もちろん最初からこれらすべてをすべての単元で用意する必要はありません! 教師が(可能なら同僚や司書等の協力を得ながら)自分がいいと思う内容のものを徐々に集めていけばいいのです。いいところ、年に2つ、3つの単元というところでしょうか?

 第8章では、教科書を唯一のテキストとして使うことから解放された、いくつかの学校が紹介されています。その中心は、探究学習です。(それは、「学校 vs 学校外の学び」の表からも明らかです! 特に一番最後。)

 294ページに、次のように書かれています。

探究学習に取り組むたくさんのモデルがありますが、簡潔で実行可能なプロセスのモデルを作成している研究者もいます。
・熱中する――好奇心を呼び起こし、背景を築き、テーマを見つけ、不思議に思う。
・探究する――質問を考え、情報を検索し、答えを発見する。
・合体する――研究を強化し、情報を統合し、そして知識をつくり出す。
・発表する――学習を共有し、理解を示し、行動を起こす。[参考文献57

明らかに、教科書のある章から次の章に移動するときに探究に取り組むことは不可能です。しかしながら、教科書の情報をほかの情報源と一緒に使うことが探究プロジェクトの基礎を間違いなくつくります

 このことから、20年前に導入された(しかしいまは、風前の灯火の感が否めませんが!)総合的な学習も、的外れではなかったことが分かります。ただ、文科省や教育委員会が、それを実施する先生たちに、ちゃんとした情報提供と「それ」が何かを理解してもらい、実践するためのサポート★★を提供できなかっただけです。(20年後のいま、同じことが「探究学習」で起ころうとしています! 私たちは、過去の歴史と海外の取り組み★★★から学ぶことができるでしょうか?)

PLC便り」の読者への割引情報
定価   2640円のところ、
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3冊以上は2200円(税・送料サービス・宅配便での発送)

ご希望の方は、①冊数、②名前、③住所(〒)、④電話番号を 
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※ 1~2冊の場合は、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが 出ることがありますので、予めご理解ください。

★このタイトルから分かるように、教科書での学びは「偽物」であることが伺えます。「学校ごっこ」や「正解あてっこゲーム」ばかりが横行してしまいますから。

★★サポート/フォローアップなしの研修は、何もやらないのと同じです(というか時間と予算の無駄遣いなので、やらない方がいいです)!!

★★★本ブログで紹介してきた、『だれもが科学者になれる! ~ 探究力を育む理科の授業』『PBL ~ 学びの可能性をひらく授業づくり』『たった一つを変えるだけ』『教科書では学べない数学的思考』『イン・ザ・ミドル』、そして今月末に出る『あなたの授業が子どもと世界を変える: エンパワーメントのチカラ』も、すべて探究学習を可能にするための本です。