2022年12月24日土曜日

科学の作法を身につける

大学で教養科目の「生物学」を教えていたときに、高校で生物学を履修していない学生にも興味をもってもらうために、関連する図書を資料にしました。そのなかで、石浦章一さんの『小説みたいに楽しく読める 生物科学講義』(羊土社)は読んでいて面白いと思えるものでした。その石浦さんが今年の10月に『理数探究の考え方』という本を出されました。「理数探究」とは、2022年度から高校で新設された教科「理数」で、「理数探究基礎」とその上位科目の「理数探究」から構成され、選択科目になっているものです。この科目は数学と理科の知識や技能を総合的に活用することをその目標にしているものです。いわゆるクロスカリキュラムですので、高校の先生方もその実施には苦労されているのではないでしょうか。

 この本には、「理数探究」を進めるにあたっての授業のヒントもありますが、どちらかと言うと、理科教育全般についての話が多いようです。その中で、小学校の理科について、次のようなくだりがありました。(同書102ページ) 

 

 小学校で理科がどう指導されているかというと、理科と実生活の関連を図る授業が少ないのです。「教えることが多くて教科書を進めるだけで精一杯」という言葉もよく聞かれます。本当に必要な理科専任の教員がすべての小学校に配属される、こういう時代にならないといけません。

 

 後半の理科専任教員の配置は現実的には難しい問題かもしれませんが、前半の実生活との関連を図る授業は実現可能ですし、すでに取り組んでおられる先生方も多いと思います。

 今から30年くらい前に子どもたちの「理科離れ」が問題になり、様々な施策が打たれました。理科の専門家を特別講師として学校に派遣したり、博物館・科学館と学校との連携を推進したりといろいろありました。それらの事業は当初3年くらいは文科省からの支援がありましたが、その後は補助金が打ち切られました。そうなれば財政に余裕のある自治体ならいざ知らず、多くの自治体や学校はそれでおしまいとなったように思います。依然として、「理科離れ」は解決されない問題として積み残されたままです。特に高校から理系の大学に進学する学生の5割が文系、3割が理系のようです。科学技術立国を国の目標とするならば、理系をあと1,2割増やす必要があるでしょう。

 さて、小学校理科に話題を戻しましょう。先ほどの石浦さんは小学校理科で、「ものの大きさを数字で表す」「実験は何回かやって、データの平均を取る」「結果をグラフで表す」などの科学の作法を発達段階ごとにきちんと教えていくことを強調しています。

 たとえば、「大きな花がさいた」というときに、身近な何かと比較したり、大きさそのものを数字で表したりすることが理科では重要であるというわけです。これをやっておかないと論理的にものを考えるなどと言うことが難しくなります。

もっとも小学校学習指導要領【理科】の目標の中に「自然を愛する心情を育てる」という情緒的なものが入っています。感性を大切にするというのは、人格の完成には不可欠のものですが、科学そのものとは別物です。案外そこをいい加減にしている教師も皆無ではありません。

高等学校理科の目標にはこの心情的な目標はありませんので、ぜひそこにつながるように自然科学の基礎的な作法は義務教育段階で養っておきたいものです。また、科学と数学は切り離せないものですから、理科同様に算数・数学にも力を入れたいものです。そのためには、算数を教える教師は「数学の本質」を理解しておくことが大切になるでしょう。

『数学とはどんな学問か?(津田一郎・講談社ブルーバックス)『算数からはじめよう!数論』(R.F.Cウォルターズ・岩波書店)などが入門としておすすめです。

実は最近「数論(整数論)」の本を読んでいます。これまで数学は単なる科学の道具としか認識していませんでしたが、それが浅薄な理解だったと今更ながら気づかされます。

 

今年も一年間このブログをお読みいただきありがとうございました。

 来年も引き続き、よろしくお願いいたします。 

2022年12月18日日曜日

『一斉授業をハックする』

ハック・シリーズ(教育・学校・授業の改良・修繕シリーズ)の11冊目、19日発売の『一斉授業をハックする ~ 学校と社会をつなぐ「学習センター」を教室につくる』(スター・サックシュタインとキャレン・ターウィリガー著、新評論)を紹介します。古賀洋一さん(島根県立大学)による「訳者まえがき」の一部です。

 目を閉じて想像してみてください。みなさんがこれまでに受けてきた授業、ドラマや映画で目にした授業とはどのような風景ですか? 多くの方がイメージしたのは、おそらく次のような風景でしょう。

縦横に規則正しく並べられた机に生徒が座り、前を向いています。そこには教師が立っています。何人かの生徒に発表させたり、解説や板書をしたりしながら授業を進めています。あなたは、ほかの生徒の発言や板書の内容を一生懸命ノートに写しています。

こうして見ると、あたかも授業が円滑に進められているかのようです。表面上は確かにそうでしょう。でも、あなたの周りはどうですか? 授業についていけない生徒や、興味をもてない様子で突っ伏してしまっている生徒、飽き足らないのか退屈そうにしている生徒、クラスメイトとのおしゃべりや手紙回し(現在では、隠れてスマホでメッセージの交換)に夢中になっている生徒はいませんか?

 こうした一斉指導(一つの目標に向けて一つの教材を用い、一つの活動計画に沿って進められる授業)には、いくつかの無視できない大きな問題があります。

 まず、「何のために」、「何を」、「どれくらいの時間で」扱うのかについては、教師ないしは教科書がすべてを決めてしまっています。そのため、それぞれの生徒が興味関心やレベル、学ぶスピードや学び方にあった教材や活動を「選択」することができません。

 次に、一斉指導では教師主導となってしまうため、生徒自身が目標や計画を立てることがありません。自らが立てた目標や計画ではないため、やり抜く力(グリット)や困難に対して粘り強く取り組む根気、リーダーシップなどを発揮し、協働して支えあうことがありません。★

 そもそも、受けたくもない授業において、このような能力が発揮されることはないでしょう。となると、一斉指導の問題は想像以上に大きいと言えそうです。生徒一人ひとりに適した教育を提供できないばかりか、生徒が実社会を生きぬくために必要となる力を育てきれないのです。

 本書『一斉指導をハックする (原題:Hacking Learning Centers in Grade 6-12)(仮題)』の著者であるスター・サックシュタインとキャレン・ターウィリガーは、一斉指導の問題点を端的に指摘しています。

教師が管理している教室では一部の生徒だけが授業に参加することになるでしょうが、結局のところ、彼らは何があってもうまくやれる生徒である可能性が高いのです。彼らがうまくやれるのは、あなたの手柄ではありません。では、そのような生徒だけではなく、すべての生徒に手を差し伸べるために、私たちは何を、どのように変えられるでしょうか。(13~14ページ)

 生徒一人ひとりをいかした授業★★を実現するために本書で紹介されているのが、「学習センター」という教え方です。簡単に言えば、「教師の継続的な指示を必要とせずに、生徒が自立的に学べる教材を用意したコーナーを教室内に複数設置した学び方・教え方」★★★です。

訳者の一人(吉田)は、二〇〇〇年頃にオーストラリアの小学校を訪れた際、六年生の授業で学習センターが使われていたことを確認しています。一時間の授業のなかに、読む、書く、算数、理科、コンピューターを学ぶコーナーが設けられており、並行する形で活動が進められていました。それぞれのコーナーで生徒は熱心に取り組み、教師は各コーナーを回りながら、個別ないし各コーナーのメンバーにカンファランス(35ページの注を参照)を行っていました。

このように、学習センターは英語圏やモンテッソーリ教育においてかなりの歴史がある教え方なのです。ただし、本書を読めば分かるように、こうした教え方は幼稚園や小学校低学年が中心となっており、中学校から大学へと上昇するにつれて一斉指導が支配的になっていくという傾向があります。一斉指導からの脱却は、日本のみならず、世界共通の課題だといえるでしょう。とはいえ、本書が出版されているという事実からも、一斉指導からの脱却が日本よりも早く、本格的に進められていることが分かります。

 

 本書は、「まえがき」と「結論」を含む10章から構成されています。

 「ハック1」から「ハック3」では、学習センターのはじめ方や、生徒の「声」を活かした発展方法が扱われています。いってみれば、学習センターの基本をつかむための章です。「ハック4」から「ハック8」では、内向的な生徒がリーダーシップを発揮したり、生徒の自己評価能力を高めたり、実社会と結びついたプロジェクト学習へと発展させるための方法が具体的に述べられています。学習センターがもつ大きな可能性を示してくれる章です。

 訳者として注目していただきたいのは次の点です。

 まず、センターの使い方にはさまざまなヴァリエーションがあるという事実です。コーナーごとに独立した目標と活動が並行し、それらをローテーションしながら複数の指導事項を達成していくパターンや、あるプロジェクトがいくつかの部分に分解されてコーナーに割り当てられ、それらをローテーションしながら最終的な目標が達成されていくパターン、身につけさせたい読み方が全体の目標としてあり、コーナーごとに異なる難易度やテーマの本が用意されるといったパターンなどです。

これらは、一般に「教科の壁が高い」と言われている中学校以上でも取り入れやすいものとなっています。

 次に、学習センターは、「生徒主体」ではあっても決して「生徒任せ」ではないという点です。国や州が定める到達目標(スタンダード)を達成することは、世の東西を問わず、シビアに求められています。特徴的なのは、それらの到達目標が生徒と積極的に共有されている点です。求められる到達目標を生徒自身が理解し、そのうえで興味関心や学び方に応じた学習を進めていこう、というのが学習センターの考え方なのです。

 このように説明すると、読者のなかには、いわゆる習熟度別クラス編成や、AIによって個別最適化された学習を思い浮かべる人がいるかもしれません。しかし、それらと学習センターは似て非なるものです。本書で提案されている学習センターでは、国や州の定める到達目標の達成だけではなく、目標や計画を立案・修正する力やリーダーシップを一人ひとりの生徒に育むことが大変重視されています。とくに前者については、繰り返し強調されています。

生徒がコーナーで自分のアイディアを試してみたいと言ってきたときに「ダメだ」と言うのではなく、「ぜひ、そうしよう!」と言ってみましょう。生徒がいつ、何を、どのように学ぶのかについて、自分のアイディアを駆使することを許すのです。たとえ、彼らの提案はうまくいかないだろうと分かっていたとしても、リスクを負わせるのです。

変化を求めるのであれば、失敗も必要です。生徒は失敗を経験したときに、別の方法を探す必然性にかられるのです。失敗することが授業のなかで奨励されていれば、生徒はそれを目標達成のための必要なステップとみなし、それをバネにして成長していきます。(18~19ページ)

もっとも重要なのは、生徒が挑戦し、失敗し、それの修正機会があるということです。(217ページ)

学習センターは、定められた内容を効率的に消化させるためだけのものではありません。自立した存在として実社会を生きぬいていく力を育てるためのものです。それゆえ、授業の活動や計画は生徒と一緒につくりあげていきます。もし、それがうまくいかなかったときは、安易に教師が修正を加えるのではなく、生徒自身が振り返りを行い、現状を分析し、次にいかしていくことが大切にされています。こうした活動を通して、「失敗は学びへの道である」(19ページ)と生徒に伝えているのです。

このように考えてくると、中学校以上を対象として、学習センターの考え方や具体的な方法、可能性の大きさを解説した本書は、まさに「教育の未来を切り拓く」一冊だと言えます。また、本書では難解な用語や理論がほとんど述べられていません。読者自身の教室風景や担当の生徒、授業への取り入れ方をイメージできるように、数々のエピソードや写真、生徒の様子、そして明日からでも取り組める方法が豊富に示されています。

   (中略)

 本書の内容が、読者一人ひとりを「挑戦に誘い、そっと寄り添い、アイディアとひらめき」を与えてくれる(8ページ)ことを心から願っています。

 

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グリットや好奇心、マインドセットなどは「非認知能力」とも総称され、私たちが健康かつ幸福に生きていくうえにおいて欠かせない能力として大きな注目を集めています。訳者がおすすめするのは、『感情と社会性を育む学び(SEL)』、『成績だけが評価じゃない』、『学びは、すべてSEL(仮題・近刊)』、『エンゲージ・ティーチング(仮題・近刊)』です。次の段落には、『学びの中心はやっぱり生徒だ!―個別化された学びと「思考の習慣」(仮題・近刊)が最適の本です。これらのテーマで情報を集めたい方は、pro.workshop@gmail.comにお問い合わせください。

★★「生徒一人ひとりをいかす教え方」については、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』で詳しく紹介されています。そのなかでは多様な理論と方法が紹介されていますが、一番ページが割かれている方法は、センターとコーナーについてです。

★★★学習センターの実際の教室風景は、本書61~70ページの写真およびhttp://sites.stenhouse.com/findout/chapter-5/ や https://www.youtube.com/watch?v=Kg38A1ggYiEでその様子が視聴できます。

2022年12月11日日曜日

男子なんだから速く走ってよ! 差別のないインクルーシブな社会を考える

勤務校5年生の教室には、子どもたちと一緒に遊んだり、学習支援をしてくれる大学生がボランティアに来てくれています。最近の大学授業のひとつに、サービス・ラーニングというものがあるようです。自分なりに課題意識を持って30日間、継続したボランティア活動を実施し、世界平和のために考え行動するための経験を学ぶとのこと。私の学級にも、子どもたちの性に対する課題意識をもったボランティア大学生が来ています★。

 

★日本のジェンダーギャップ指数(男女の違いで生じている格差や観念により生み出された不平等)は146か国中116位。

 

思春期まっただ中の5年生の子どもたち。保健の授業ではちょうど「心と体の成長」について学習をしています。子どもたちの悩みの多くに「ニキビができやすい」「体重が増えるのがいや」「生理がくることの不安」「イライラすることがふえてきた」「親に言われたことはやりたくなくなる、嫌になるときがある」など、日々、悩みと不安に葛藤しています。

 

それとは別に性のあり方として課題意識をもっている、ボランティア大学生と一緒に「性の多様性」について、子どもたちと「性別って誰が決めるのか?」について考え合う授業を行いました。このテーマは、決して私の教室だけの問題ではありません。どの教室においてもその当事者がいるだろうし、差別されずに大切にされる必要があることなど、とても大切なことを考えるきっかけを与えてくれました。

 

「男子なんだから速く走ってよ!」こう言われてみんなはどう思いますか?

 

運動会練習において、実際にあった一場面のことです。「OK!まかせとけ!って思うよ」「女子だって男子より速く走れるし(怒)」「僕は足が遅いからこれにはちょっと当てはまらないなぁ」など、子どもたちは思い思いに語り合いました。多くの子どもたちはTVからの先行知識として、男女差別はいけないと分かってはいるようでしたが、あまり身近な自分たちの問題だとは考えていないようでした。

 

「じゃぁ、この子たちの性別は?」と、男の子らしいイラスト、女の子らしいイラスト、さらには男の子とも女の子とも区別できないイラストが掲示されました。子どもたちは口々に「それって髪短いから男子でしょ」「まつげが長いから女子だよ」「うーん、わからない。それオカマじゃん!」と続きます。すかさず大学生から「オカマという言葉は差別用語だから、私は使ってほしくな」と切り返されていました。的確ですばらしい。

 

「では、実際に男子とか、女子って誰が決めるものなの?」と、大学生から問いが続きます。「え!?生まれたときに決まっているからぁ〜、やっぱり神様じゃないの?」「親に言われて決まる?」「もしかして自分?」と、子どもたちはどうも自信なさそう。私からも「さっき、髪が短いから男子! まつげが長いから女子! って堂々と言ってたじゃん。それって誰が決めたのさ?」と問われて「あ、おれたち? つまり他人が決めているってこと?」と、少しずつ性別を誰が決めているのか、課題意識を持ち始めてきました。

 

そこで大学生から「性をきめるには、好きになる性、心の性、表現する性、体の性の4つがあります。そして、それを決めるのは自分自身であって、大切にされなければなりません」と4つの指標であるSOGIESC(ソジエスク)★★に照らし併せて大学生自身の経験、そして、これらはとてもプライベートなことであり、安易に口にすることではないことや、他人が決めていいものではないことの説明がありました。

 

SOGIESC(ソジエスク)

① 性的欲望の対象が何かを示す「性的指向(Sexual Orientation)」 

② 自分の性に対する認識である「性自認(Gender Identity)」

③ 服装・仕草・役割などにあらわれる社会的な性役割である「社会的性(Gender Role/Expression

④ 生まれてきたときに割り当てられてきた「身体の性(Sex)」

 

子どもたちの感想は様々でした。

 

     「男だから」「女だから」という言葉をなくしたいです。そういう言葉にしばりつけられて苦しんでいる人がいる。自分の呼び方も「女だから、『僕』なんて言っちゃだめ」とか、そんなの自由だって! もう少し思いやりをもちましょうよ。

     今までたまに「あなたは女」とか決めつけちゃったり、「オカマきもい」とか思っちゃったりしていたから、そういう考えを少しずつ変えていこうと思う。

     ハロウィンでもないのに男性がプリキュアの格好をしていたり、そういう人が以前、駅にいていわかんがあった。なんでだろう?  世の中に性別というものがなかったら、こんなことを思わないのかなぁ。

     心の性、表現する性、好きになる性は自分で決められる。けれど、体の性は自分では決められない。だから女子と男子という考え方はよくないな。それでいやな思いをしている人とがいるかもしれない。それと、性別がいっぱいあるのは悪いことでもないかも。

     人は性を外見で判断してしまうことが多い。自分で勝手に決めてしまうのではなく、まずは相手がどう思っているかをきいてみるのがいいと思った。

 

子どもたちは、これまで表面的に「②身体の性」で周りから判断してしまっていたことが見えてきたようです。授業の最後に、自分は足が遅いからと話してくれた子が次のようなことを伝えてくれました。

 

一人ひとり性があると僕は思っていて、性とは周りの人が表面的に決めて良いことではないと思います。自分でひとつの自分だけの性というものを尊重するべきだと僕は思います。先入観の思い込みを外して、自分の性という大事な個性を見つけるのが大事だと思います。

 

今回、学び考え合うにふさわしい感想がたくさんありました。子どもたちは、これまで「ふつう」だと思っていたことがじつは、当たり前ではないことが少しずつ見えてきています。

 

4つの視点をクラスで共有することから、身近にできることを探し、差別のない、多様性が大切にされる社会を目指していけるとよいです。そういう私自身も男子だから、女子だからとつい教室で口にしてしまいがち。若い大学生から大いに刺激をもらいながら、日々、無自覚に行われてしまっていること、ステレオタイプに囚われてしまっているものの見方などに目を向けて反省しつつ、アップデートできる機会に感謝です。

 

★★




野口 晃菜 , 喜多 一馬 (編集)『差別のない社会をつくるインクルーシブ教育 誰のことばにも同じだけ価値がある』(学事出版2022

 

今回、授業づくりにあたってはこの本を参考にさせてもらいました。第3章にあたる実践者である星野俊樹さんの「第3限 包括的性教育について学ぼう」から、私たちの生活の中には意識していない差別あがることや、性の多様性がその人の生き方であることなど、たくさんのことを学ばせてもらいました。知的に理解するだけでなく、クラスの中で情的に理解する手立てが紹介されています。ぜひ手に取ってみてください。この授業は、子どもたちだけではなく、バイアスをつくっている私たち教員や保護者にとても大切なものです。

 


2022年12月4日日曜日

効果的なフィードバックの探究

ここ数年、私の授業における最大の関心ごとはフィードバックです。

効果的なフィードバックとはどのようなものなのか。生徒たちが、より良く学び、成長することのできるフィードバックはどのようなものなのか。教師からのフィードバックがよいのか、生徒同士によるピア・フィードバックがよいのか。授業の中で、試行錯誤しながら、探究を続けています。

ある授業では、英語での表現力を高めるとともに、グループで効果的にコミュニケーションを図るためのスキルを磨くことを目的として、英語でのディスカッションの活動をやっています。

この授業では、「金魚鉢(Fishbowl)」★1 という方法を使って、学生同士でフィードバックを送りあいます。1グループがディスカッションをして、もう1グループは、金魚鉢の中をのぞくように、ディスカッションの様子を観察し、メモをとります。ディスカッション終了後に、振り返りの時間をもち、フィードバックを送るのです。ディスカッション全体についてのフィードバックをしてもらう時もあるし、バディ制をとってペアで相手のパフォマンスについてフィードバックをしあうこともあります。また、振り返りの時間の最後には、教員が全体的なフォローアップをすることにしています。

ディスカッションのテーマはさまざまです。「ソーシャルメディアは人間にとって恵みか?」(Is SNS a blessing for us?)といった社会的なテーマを取り上げたり、英語のリーディングと組み合わせることもあります。先日は、The Little Boyという詩を読んでディスカッションをしました。★2 

当初は、沈黙が続いたり、発言も単発で終わりがちだったのですが、ディスカッションの練習と、それに対するフィードバックを繰り返すうちに、変化が見えはじめました。記録のためにビデオ録画しているのですが、議論の質自体もですが、議論の進め方のスキルも高まっているように感じられました。

これまでのところ、次のような仕組みが効果を発揮しているように思えます。

1 ディスカッションの途中で教師が介入しない。

これは、スパイダー討論の原則を参考にしています。★3 最初のうちは、助けを求めるような視線を送ってくるのですが、そのままにしておきます。沈黙が続いたり、議論が立ち往生することもありますが、振り返りの時間には、必ずそのことが話題になり、解決策を話し合ったりしていました。教師が、手を差し伸べれば、その瞬間はうまくいくのでしょうが、生徒自身が責任を引き受けることによって、成長があるのだと思います。

2 ディスカッション用ルーブリックを提示する。

振り返りやフィードバックを観察していると、ルーブリックに書かれていることが頻繁に取り上げられることに気づきます。例えば、ルーブリックに「全員が平等に議論に参加した。(Every participates.)」という記述があれば、それは頻繁に取り上げられ、議論されるようになります。そして、全員が参画し、協働で議論を進めることの重要性を意識し、行動を改善しようと努めます。フィードバックに具体性をもたせるためには、良くできたルーブリックが不可欠ではないかと感じています。

3 もらったフィードバックにもとづいた、さらなる練習や改善の機会を設ける。

一つのテーマで、最低でも2回、メンバーを変えて実施するようにしています。その際、前の時間の振り返りの内容を確認してから、始めるようにしています。外国語でのディスカションの場合は、英語の表現への慣れも加わるため、複数回実施することが、特に効果的なように感じます。

4 教師のフォローアップが不可欠である

最初のころは、学生同士のフィードバックに委ねるべきであると考えていたのですが、不十分なことがあることに気づきました。どうしても参加者の「総和」は超えることができない時があるのです。複数のフィードバックに共通していることやその背景にある理論などを、教師の立場で補い、フォローアップすることが、さらに質の高い、学生同士のフィードバックにつながると感じています。

教育評価の本質が、測定ではなく、学習者の成長を促すことにあるのだとすれば、私たちはもっと、フィードバックの意義と価値を認めて、効果的なフィードバックについて、実践と研究を進める必要があると思います。★4


★1 https://www.facinghistory.org/resource-library/fishbowl

★2 詩 「小さな少年(The Little Boy)」ヘレン・バックリー作 教育や創造性といったことについて深く考えさせられる詩です。平易な英語で書かれています。  https://www.elmscourse.org/general_course_documents/Reader/Reader_Session_16_The_Little_Boy_Poem.pdf

★3 アレキシス・ウィギンズ(2018)『最高の授業: スパイダー討論が教室を変える』新評論, p.63.

★4 効果的なフィードバックについては以下を参照してください。

ダグラス・フィッシャー&ナンシー・フレイ(吉田新一郎訳)(2017)『「学びの責任」は誰にあるのかー「責任の移行モデル」で授業が変わる』(新評論)p. 210-216.

C.トムリンソン&T.ムーン(2018)  『一人ひとりをいかす評価: 学び方・教え方を問い直す』北大路書房, p.96-99.


2022年11月26日土曜日

失敗から学ぶこと

 

このところの円安による貿易収支の赤字が気になります。確かに日米の金利差によるドル買いも大きな要因なのですが、何よりも日本の産業の「稼ぐ力」が衰退としていることが気になります。

 今から30年前は世界の半導体企業のベストテンのうち、6社が日本企業でした。(NEC,東芝,日立,富士通,三菱,松下)ところが今やベストテンには日本企業は1社もありません。(30年くらい前、私はちょうど県立の科学館に出向していました。ある企画展のための準備で日立の中央研究所を訪問して、当時最先端の半導体研究について話を伺ったことがありましたので、まさに隔世の感があります。)

 なぜこのような日本企業の凋落が起きてしまったのでしょうか。その原因解明の手がかりになりそうなのが、『平成時代』(吉見俊哉・岩波新書2019)です。

 同書52ページの記述です。

 

 この失敗の第一の要因は、日本の主要な電機産業が、テレビ時代の終焉とモバイル型ネット社会の到来を十分には認識していなかったことである。2000年代、彼らはテレビの製造工場への大型投資を進めた。パナソニックは07年から薄型テレビに毎年2000億円前後の投資を続け、シャープは09年、社運をかけて大阪府堺に液晶パネルの巨大工場を建設した。いずれもアナログ放送から地上波デジタル放送への移行を見込んだ投資だったが、この頃にはもう「放送」から「ネット」へのメディア転換を予見できたはずだ。プラズマだろうが液晶だろうが、テレビはもはや私たちの生活の基幹的なメディアではなくなりつつあった。その未来を見通すならば、「地デジ特需」を当て込んでこの時期に巨大なテレビ工場を国内に建設するのは、あまりに近視眼的選択だった。

 

 また、もう一つの凋落の要因として、それまでの日本企業が得意としていた「系列」「下請け」の垂直的な分業体制が国際的な水平分業に対応できなかったことが挙げられています。要は「家電から重電までを手掛ける日本企業」にとっては、半導体を始めとする電子産業はいくつかある分野のひとつにすぎず、それで会社が潰れることはないと、甘く見ていたようです。

1990年代「半導体分野」で世界トップに君臨していたNECはその後どうなったのでしょうか。実はNTTの通信部門との取引に安住してしまい、自分の頭で考えることを放棄してしまったようです。また、IBMと互角の戦いをしていた富士通も時代の変化についていけず、脱落しました。想像力の問題と言ってしまえばそれまでですが、コンピュータが計算の道具からコミュニケーションの道具に変化する未来を見通すことができませんでした。こうしてこの30年余りの期間で、「電子立国」(かつて1991年からスタートしたNHK特集の番組タイトルでもありました)は消滅しました。

これに変わる産業と言えば、「自動車」でしょうか。系列・下請け併せて数万社という自動車産業も日本の稼ぐ力の一翼を担ってきました。しかし、クルマもテスラや中国勢を始めとする電気自動車(EV)の台頭により、もはや完全に出遅れです。なまじ技術があるからこそ、ガソリン車とEVの中間を取った「ハイブリッド」にこだわり続けた結果かもしれません。EVになればエンジン製作の関連・下請け会社は必要ありません。その転換を考えると、おいそれとは変われなかったという事情もあります。しかし、結局は先ほどの半導体同様に「先を見通す力」がなかったのです。それまでの成功体験が大きかったために、そこから踏み出して新たな挑戦をする勇気に欠けていました。

そういえば、デジタル庁ができて1年以上経ちます。

デジタル化の究極の目標は、お役所の「紙」をなくすことではないでしょうか。まだ「ハンコ」の廃止すらできていませんから、「紙」をなくすことには相当の抵抗が予想されます。

近年、電子政府先進国として有名なエストニアでは、20年かけてほぼ行政手続きはすべて電子化が完了しました。何と電子化により行政コストは大幅に削減されたそうです。電子化に伴う人員の配置転換なども計画的に進める必要がありますが、国や地方の累積債務を減らすためにも、もはや避けて通れない道です。このあたりの話に興味のある方は、『イノベーションはいかに起こすか』(坂村健・NHK出版新書2020)が参考になります。坂村さんが1980年代に提唱した「TRON」は現在のIoT(Internet of Things)の一つの源流となったものです。なぜかこの「TRON」計画は日本では採用されませんでした。このあたりにも、日本衰退の原因があるようです。

「失敗から学ぶ」

このことを今一度考えてみたいと思いますが、いかがでしょうか。

2022年11月20日日曜日

採用時に教師に求められる資質

 

 このリストは、アメリカのある公立の小中一貫校の教員採用時★に使われているチェックリストです。

このリストのどれだけが、養成課程で扱われているでしょうか?

あるいは、現職研修で?

 それとも、扱うことには無理があるのでしょうか? つまり、これらは持って生まれる(か、あるいはそうでないかの)資質ばかりで、あとから努力しても身につかないものでしょうか?

 

 一方で、これらのほとんどは、教師だけでなく、まともに機能する社会人・組織人としての特徴ではないでしょうか? (その中には、校長、副校長、教育委員会の職員、政治家等も含まれます。しかし、政治家や校長等のなかには、ギヴァーの会 The Giver: 『ギヴァー』と関連のある本 134 『にげて さがして』ヨシタケシンスケ作 (thegiverisreborn.blogspot.com) の最後の方に書かれている人たちが残念ながら少なくありません!)

 その意味では、すべての生徒(人間)にもってもらいたい資質・特徴です。

 いったい、それらはどのようにしたら身につけたり、練習したりできるのでしょうか?

 

 これらのほとんどは、知識というよりは、EQ感情と社会性のスキル(SEL、ソフトスキルないし「habits of mind(思考の習慣)」★★と言われているものです。

 

★欧米の公立学校の多くは、採用が学校単位になっています。学校理事会(保護者、地域住民、教師、そして高校では生徒も、プラス校長の約10~15人ぐらいで構成)が最高意思決定機関です。ここが、校長の人選も、カリキュラムの承認等、学校を運営する際の重要事項はすべて決定します。校長は、教師の採用を含めて、日々の学校運営の最高責任者です。会社組織でいえば、理事会が株主で、校長がCEO=社長という感じです。

いい校長は、30才ぐらいで採用され、定年までいます。理事会が居続けてほしいからです。悪い校長は、任期途中でも辞めさせられます。校長は、自分の教育方針に合った教師を集め、合わない教師は排除することになります。

上記のリストは、20年以上前にデンバー郊外の小中一貫校でもらったリストを訳したものです。実際の選考には、校長ひとりでやる学校もありますし、選考委員会に任せるところもあります。後者には理事会とは別の人たちが選出されます。いまいる教師数人だけでなく、保護者、地域住民、そして生徒まで含まれることもあります。

 それほど、教育における「アカウンタビリティー」やagency, ownership, empowermentなどを大切にしている表れです。「アカウンタビリティー」については、

https://thegiverisreborn.blogspot.com/search?q=%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BCをお読みください。

 ちなみに、上のリストは『校長先生という仕事』は2005年に出た本に掲載されています。資料収集は、2000~2002年ごろにしました。図書館で借りて読んでください。校長ではない人が読んでも参考になることが満載です。以下のアマゾン書評者が書いているように。

2005919日に日本でレビュー済み

私は、非営利の"学校"も、営利"企業"と然程変わらない「組織」、という印象が強く残りました。

ですから、この本の中に度々出てくる組織改善の具体的な手法、"チームワーク""支援型リーダーシップ"は、NPOや企業の方にも参考になると思われます。特に、役員や管理職にある方々には読んでもらいたい1冊です。

地域住民や親としては、"学校"というものを良く知ることで、より良い協働の相手となれるのではないでしょうか。

将来的には、日本の学校の現状と、海外の事例を知り、市民として声を上げていくことで、未来の子供達に良い環境を残せるのではないか。そう感じました。

(小難しすぎず、興味がつのり一気に読んでしまえる本です)

 当然のことながら、校長の採用や教育長の採用にも、同じようなものがあります。しかし、日本にはないでしょう! なにせ、人事は「ブラックボックス」化していますから。その辺のことについても、『校長先生という仕事』には書いてあります。

 

★★「思考の習慣」については、来春に出版予定のStudents at the Centerの訳本の中で詳しく紹介されています。

なんと、この本のサブタイトルはpersonalized learning with habits of mindで、いま日本で脚光を浴びている(? それとも、文科省と教育委員会だけで騒いでいる?)「パーソナライズド・ラーニング」(←これは、いったい何と訳したらいいでしょうか? 「個別最適化」でないことだけは確かだと思うのですが・・・)と「思考の習慣」を扱った内容なのです! そして、後者は学校で扱えるし、扱うべきだし、身につける最大限の努力をすべきものとして捉えられています。ある意味で、「思考の習慣」を身につけずにパーソナライズド・ラーニングをしたところで意味がないという論調です(それに対して、日本でいま言われている「個別最適化」の中でこれらの要素はどのくらい含まれているでしょうか?)

 上の「採用時に教師に求められる資質」と「思考の習慣」には、かなりのオーバーラップがあると思いませんか?

 

2022年11月13日日曜日

教師につかれたときは、日々をていねいに生きること

街ではクリスマスソングが聞こえるようになり、今年もあと2ヶ月弱となりました。この時期、教室の中でこれまで続けてきた教育実践になかなか成果が出ずに、無力感を感じてしまい、あきらめてしまいそうな気持ちになってしまうことはありませんか。

ふりかえってみると、あと一歩、続けていくことが、もう少しだけ丁寧に続けていくことで、今ある教育実践から子どもたちと意味ある学びへとつながっていったことは数多くありました。けれども、授業の準備、学習の評価だけではなく、学校行事に終われ、さらには面談の準備など、ちょうど今が、しんどいとき。

そんなくじけてしまいそうなとき、どうしてこの仕事をしているのか、ふと考えてしまいそうなときにこそ、ぜひ読んで欲しい本があります。

 

中島岳史『思いがけず利他』(ミシマ社)2021


 

 

 

利他というと、他者のために尽くすこと、まさに教育職の原点。しかし、そう思えるほど、子どもたちへ尽くせるほどのゆとりが今ない。本当に子どものために、利他できているのか悩ましいところ。また、その利他の思いこそが、子どもたちにとってはありがた迷惑、つまり利己的になっていないでしょうか。

 

利他という言葉には、ある怪しさ、うさんくささがつきまとうと思えませんか。他者のためになることを尽くすことが、結果、自分への利益を呼び込む未来への投資といった考え(ジャック・アタリのいう合理的利他主義論への批判は本書P.5 P.160に詳しい)は、なにか「自分のために」他人に尽くすといったことはありませんか。それって、利他のもつ本質を捉えているのでしょうか。

 

私たちの教職は、子どもたちのために行っていることが、でもときに、自分の野心・欲望を満足させるための道具となってしまっていないでしょうか。

 

本書では、利他とは、自分のことを精一杯やることであり、自分の能力では及ばないことがあり、それに謙虚になることだと教えてくれます。その繰り返しで自分を育てつくり、その結果、偶然の利他をよびこむものなのです。その一例を陶器職人の窯変(ようへん)を例に語られます。

 

東洋の陶器の鑑賞に偶然性が重要な位置を占めていることを考えてみるのもいい。陶器の制作にあたっては、釜の中の火が作者の意図とは、ある度の独自性を保って制作に与(あずか)るのである。そこから形に歪みができたり、色に滲み出たりする。いわゆる窯変は、芸術美自然美としての偶然性に他ならない(九鬼2012:242-243。本書P.174より

 

窯変とは陶磁器を焼く際、炎の性質や釉薬との関係で、色彩が予期しない色となること。しかし、この窯変は偶然に決して依拠しているのではなく、職人の長い年月をかけた修行と日々の鍛錬の積み重ねの上で、偶然を呼び込みます。蓄積された経験と努力のもとにやってくるのです。

 

人間の力では制御できない火の力によって化学反応が起き、思いがけない美が誕生します。自力の限りを尽くすことで、自力で頑張れるだけがんばってみることで、偶然の美を呼び込んでくるのです。

 

だから、利他的であろうとして、特別なことを行う必要はありません。毎日を精一杯いきることです。私に与えられた時間を丁寧に生き、自分が自分の場所でなすべき事をなす。能力の過信をいさめ、自己を越えた力に謙虚になる。その静かな繰り返しが、自分という器を形成し、利他の種を呼び込むことになるのです。本書P177

 

これは、私たち教育者へ強力な励ましのメッセージとなります。だからこそ、なすべき事をていねいに続けることが今、必要なのですね。モチベーションがわかないとき、ちょっとこの仕事が辛くなってきたとき、そんなときこそ、これまで続けてきた日々の仕事、取り組み、声かけ、授業をていねいに向き合っていくこと。こういったことが、結果、子どもたちがなにがしかの学びを引き取っていくものなのです。

 

この利他観に立ち返ってみて、成果を求めようとするときはまだまだ修行が足りないものだと、ふりかえることがしばしばあります。日々、できることをていねいにこつこつと。誠実に生きること。教育の成果は、もしかしたら偶然なのかもしれません。

 

 

 

この本は、利他の本質に迫るために、落語「文七元結(自分も貧乏なくせに50両もの大金をスパッとあげてしまう人情話)」を引用したり、國分功一郎の中動態の話、はたまた宇多田ヒカルの楽曲「オートマティック」を例に、じつにダイナミックでトリッキーな展開となり、読者を全く飽きさせません。

 

秋の夜長、読書にふけってみませんか。「先生ってなんだろう?」と思いそうなとき、きっと、自分の教育実践をふりかえるヒントを与えてくれるはずです。

 

 

2022年11月9日水曜日

子どもの「居場所」の視点から50の具体的な学級経営(クラスづくり)の方法が紹介されている本

 神奈川県大和市の小学校の先生・藤井健人さんが『「居場所」のある学級・学校づくり』ローリー・バロン&パティ―・キニ―著(新評論)の書評を書いてくれましたので紹介します。

本書は、学校で子どもが「居場所」を感じられることがなぜ大切なのか。そして、そのための具体的な方法が紹介されている本です。また、日本で馴染みのある「学級経営」を「居場所」をつくるための方法として捉えています。具体的な50の方法を紹介してくれているので、自分が取り組みやすいことを選べる実践的な本にもなっています。

さらに、「学級経営」とは何をしたらいいのか? そのような疑問を持っている先生や、先輩からの「子どもをうまくコントロールすることが学級経営」と言うような教えに疑問をもっている先生におすすめしたい本となっています。

 「方法1;居場所について振り返る 居場所をテーマにして、それを学級経営につなげるための効果的な第一歩は「自分にとっての居場所とは何かを考える」ことです。(P14)」

これが、本書の1番はじめに書いてあることの重要性の高さを感じました。自分にとって安心できる居場所とは? 成長できる居場所とは? そのようなことをまず振り返り考えることから居場所づくりはスタートする必要があると再認識できました。

教師としてわかりやすい問いは、「自分が働きたい職員室はどのような居場所か?」ではないでしょうか。管理職からされて自分のモチベーションが下がるようなことは、子どもたちにもしない。これだけでも、多くの子どもたちの居場所ができるような気がします。

 第2章〜居場所は信頼関係で育まれる〜では、子どもと信頼関係をつくることの必要性や、そのための教師の行動や態度について具体的に書かれています。

 「学級経営においては、生徒と築く信頼関係は貯金のような役割を果たします。生徒との良好なコミュニケーションや、生徒一人ひとりへの理解は、後々困難な状況になったときに役立ちます。そのような状況に陥ったときには、貯金してきた生徒との信頼関係をもとに問題を解決することができるのです。P.28

 この考え方はとてもわかりやすい例えで表現されていて、自分自身の経験からもとても納得できるものでした。

 信頼関係をつくる教師の態度を振り返る方法として、「生徒と交わす25の約束(P29)」がとても有効だと感じました。

 この25の約束を振り返ることで子どもたちと関わっていく上で、大切なマインドをもたらしてくれるはずです。

 また、毎朝の挨拶で一人ひとりの名前を呼んで挨拶するという、何の準備も要らずに簡単にできる方法も紹介されていました。名前を呼んで挨拶することで以下のような効果があると書かれていました。

・「挨拶という行動から、これは私たちのクラスで、私たちは仲間です」という共通理解を示すことができます。

・挨拶は、一人ひとりの生徒を大切にしているというあなたの生徒に対する態度を表し、生徒との関係を築くことにつながります。

・生徒の雰囲気や心の状態をすぐに読み取ることができ、誰がこの教室に居場所を感じているのか、感じていないのかを知ることができます。

・誰が熱心なのか、疲れているのか、やる気が起きないのか、ストレスを抱えているのかがわかります。(P34)★

この本を読む中で、私の中の「学級経営」=「教師も子どもも学びやすいコミュニティーづくり」という考えが強化されました。「学級経営」とは、何か改めて考えたい先生たちにおすすめの1冊です。

 

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※ なお、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが出ることがありますので、予めご理解ください。また、本が届いたら、代金が記載してある郵便振替用紙で振り込んでください。

★この取り組みを、校長が毎朝校門で実践している取り組みが、『一人ひとりを大切にする学校』http://www.tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/ISBN978-4-8067-1639-6.htmlで紹介されています。校長が全校生徒の名前と顔を(願わくは、保護者たちのことも)知っていて声をかけられる関係にないと、いい学校の実現は難しいことが分かります。

 

2022年11月6日日曜日

教師のウエルビーイング

教師は、ほんの少しわがままになってみてはどうか。

誤解をしないでほしいのですが、教職にあるものは、大前提として、子どもたちファーストと考えていることは、疑いのないことだと思います。子どもたちを人質にとって、好き放題やっている人も一部にはいるかもしれませんが、一般的に、大多数の教師は、真面目で、誠実で、正直で、子どもたちのために、全力を尽くそうとします。

しかし、今、学校現場で働いる教師たちは、行きすぎた自己犠牲の精神によって、背中は縮こまり、目は曇り、言葉に力がなくなっているようにも見えます。夜遅くまで働き、休日も学校に出て仕事。部活顧問は当たり前。それでも、生徒たちのためならと、時に無理をしてでも、情熱を燃やす。

そのような中で、多くの教師は、自身のケアを後回しにしている。

「教師のウエルビーイング」という言葉を時々目にするようになりました。★1 教師ウエルビーイングとは、「個人それぞれの権利・自己実現が保障されながら、身体的にも、精神的にも、社会的にも良好である状態を指します。」と定義されています。★2 同書では、「いい感じで過ごしていること」「うまくいっている状態」「幸福な状態」「充実した状態」と、とても分かりやすい言葉で言い換えられています。

この筆者らは、教師が自身のウエルビーイング向上を目指すことは、職務の一つであると考えるべきだとして、公的な職業訓練の一環として実施されるべきであるとの考えを表明しています。教員研修にウエルビーイングを組み込め!というのは、注目に値する提言だと思います。

セリグマンという人は、ウエルビーイングの構成領域を提唱しています。

1  ポジティブ感情(前向きで明るい感情、愛、喜び、感謝、安らぎ、希望、誇りなど)
2  エンゲージメント、没頭、夢中(何かに集中している状態、フローやゾーンとも言われる)
3  よい人間関係(信頼され、愛されている良好な人間関係)
4  人生の意味や意義の自覚(やりがい、自分自身を豊かにする人生の意味の追求)
5  達成感(何かを達成する感覚、熟練していく感覚)
6  バイタリティ(活力、生命力、睡眠、食事、運動など)

今後は、教師のウェルビーイングの向上や維持を目的とした、学びの場がますます必要になっていくように思えてなりません。それは、日々の授業や仕事の中で、あるいは、仲間や同僚との学びの場で、意図的に取り上げていくべきことだと思います。

生徒のウェルビーイング、すなわち、生徒たちが幸福で充実した学校生活を送ることができるようになり、目を輝かせて、生き生きと学べるようになるには、教師のウェルビーイングが前提となるはずです。★3

教師として、息苦しい毎日を送っていませんか?まずは手始めに、無茶な自己犠牲の精神を捨て去り、ほんの少しだけ、自分の楽しみや生きがいにかけてみる。

そんな小さなわがままから再スタートしてみてはどうでしょうか。



★1 「生徒のウエルビーイング」については、令和3年の中教審答申「令和の日本型学校教育」の構築を目指して」に初めて登場するようです。OECD の「PISA2015 年調査国際結果報告書」は、「生徒のウエルビーイング」とは、「生徒が幸福で充実した人生を送るために必要な,心理的,認知的,社会的,身体的な働き( functioning )と潜在能力( capabilities )である」と定義されています。 
「令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~(答申)(中教審第228号) 【令和3年4月22日更新】https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/079/sonota/1412985_00002.htm

★2 加藤聡子・山下尚子(2021)『英語教師のための自律学習者育成ガイドブック』神田外語大学出版局, pp. 83-86.
*「自律」と「自立」は全く別物です。学習者の主体的学びと言った場合には「自立」の方を使う方が相応しいかもしれません。
 
★3 教師の充実した働き方、自分を活かす生き方を取り上げた本が最近出版されています。
 アンバー・ハーパーアンバー (著)飯村寧史 /吉田新一郎(翻訳) (2022)『教師の生き方、今こそチェック!-あなたが変われば学校が変わる』新評論.

2022年10月29日土曜日

日本の私立大学が生き残る謎とは

 

2010年代の中ごろには、18歳人口の減少から日本の弱小私立大学が次々と経営破綻するという予想『2018年問題』が語られていました。ところがその予想を裏切る形で私立大学は今日までほぼすべてが生き残っています。(2013年以降若干の経営破綻はありましたが、それも10校に満たないものでした。)

この問題に真正面から取り組んだ日本語論文はほとんどありませんが、オーストラリアとイギリスの大学研究者による本格的な研究が『日本の私立大学はなぜ生き残るのか』(中公選書・2021)というタイトルで翻訳出版されました。

このなかで特に面白いのは、第3章「ある大学の危機---MGU:1922-2007」です。

これは2000年代初頭に、この研究者たちが対象とした大学でのエスノグラフィーを基にした解説で、その大学の仮称が「メイケイ学院大学(略称MGU)」という設定になっています。この大学も入学志願者が10年間でほぼ90%減、卒業前の退学者が20%増加などという危機が2003年ごろに顕在化してきました。

そこで学長は事務部や学務部のリーダーや教授たちも含む10人ほどのメンバーからなる中央改革委員会を立ち上げましたそうです。そして、その議論の中で責任の所在をめぐって次の4項目が話題になりました。大学オーナー、教員、職員、学生です。(同書pp.132-151)

そのなかで特に愉快なのは次の記述です。

 

総長は、「ホワイトハウス」とあだ名で呼ばれる巨大で立派な管理棟の2フロアをオフィスとして持っていたが、それらの階はエレベーターのボタンには表示されていなかった。多くの大学スタッフは、総長と打合せをしたり会話をしたりしたことがないと言っていた。中には、20年以上働いている人でも同じように言った。

 

まさに最高権力者なのでしょうが、スタッフとの打合せもなく、どうやって大学経営をしていたのか、首を傾げてしまいます。 (このMGUは短期大学、高等学校、専門学校とともに、同族経営の学校法人の一部になっているそうです。この学校法人と理事会を取りまとめる人物は学長ではなく、総長と呼ばれていたとのこと。)

この同族経営については、文科省もオーナー一族による学校組織の支配を承認しない意向を示す運営ガイダンスを出しています。たとえば、同じ親族の中から大人数を評議員に選出しないようにアドバイスをしています。また、私立学校法では一つの親族グループが学校法人を支配することを禁じています。その第387項には、「役員のうちには、各役員について、その配偶者又は三親等以内の親族が1人を超えて含まれることになってはならない」とあり、オーナーの家族は理事会の中で2つ以上のポストを確保してはいけないのです。しかし、ここには抜け道があります。この制限は個々の学校法人にしか当てはまらないので、学校法人グループを作って、それぞれの学校の理事長に家族を割り当てれば問題はないということです。今日、同族経営の大学のほとんどがこうした複数の学校法人グループの一つとして運営されています。

ここに、少子化時代に私立大学が生き残ることを可能にしている解答が隠されています。

先ほどの本の中で、アルトバックという研究者たちの「同族経営大学の特徴」が引用されています。その一つとして次のように書かれています。(前掲書282ページ)

 

大きな同族経営の教育コングロマリットの一部であることが多く、内部の異なる機関の間で歳入を共有し、必要に応じて複数の学校が大学を支援することができる。

 

まさにこれが私立大学生き残りの謎への解答ではないでしょうか。傘下の高等学校や専門学校などの収入によって何とか生き延びられている大学は決して少なくはないはずです。

私の住む県でも、私立大学はほぼ定員割れの状態です。しかし、それぞれの大学の系列高校などは定員一杯の生徒を確保しており、教育コングロマリットとしては収支が見合う状況になっているのでしょう。

 また、2013年以降文科省が「私立大学等改革総合支援事業」に乗り出したことも私立大学にとっては救いの手となったのではないでしょうか。改革への意欲を積極的に見せられた大学には経常費補助という形での補助金が分配されました。これは文科省が設定した改革への具体策をポイント制で評価するものでした。ある基準点に達した大学は「採択」となりました。私もこの基準点をクリアするための仕事にかなりの時間を割いた記憶があります。補助金欲しさに教育内容を修正するなどとは本末転倒だろうと思いますが、それが私立大学の実態の一つです。

文科省は少子化に逆行するように次々と新規の大学設置を認め、その一方では経営危機にある私立大学の延命措置とでも言えるような支援策を打ち出すという、相変わらず支離滅裂な施策を展開しています。

 まさにこの国の様々なところで起きていることは、フラクタルな構造(どんな微小な部分をとっても全体に相似しているような図形・「広辞苑」より)に例えることができそうです。

かつてフラクタル同様に注目を浴びた数理分野の考え方に「カオス理論」があります。これは、世界の様々な事象が「原因→結果」という考え方では説明できない、複雑な要素に左右されるものであり、初期条件が変われば結果が大きく異なるということを説明しています。(→バタフライ効果として有名になりました)これを私たちの行動に当てはめてみれば、初期条件(小さな行動の変化)が変わることで、それが増幅され、周りに大きな影響を与えることもあるということです。

ここにひとすじの希望があります。それを信じて行動するかどうか、それは個々人の理解と判断にかかっているということでしょう。

2022年10月23日日曜日

知識の積み上げが必要な教科において、一斉指導知識注入をどこまで手放していけるのか?

  以上は、ある小学校の先生とのやり取りの中で、彼が書いていたことです。

 本当に「知識の積み上げが必要な教科(小学校段階では、算国理社を指しています)」はあるのか、という(とてつもなく重要な)部分については、次回以降に取っておくことにして、今回は

 従来の一斉指導知識注入の授業か、それとも探究的な学習かの、二者択一ではなくて、この間に存在するより現実的な選択肢を紹介します。

 それにピッタリの本があります。『教育のプロがするメル選択する学び―教師の指導も、生徒の意欲も向上!』マイク・エンダーソン著です。

 その第1章「選択する学びの主要な効果」を読むと、選択肢を提供することが、生徒の学びのレベルを引き上げる最も効果的な方法の一つであることや、なぜ生徒の内発的動機づけを高め、それがどのようにして生徒の学びに好影響を与えるのか理解できます。

 エンダーソン氏はまず、選択肢を提供することで、二つの大きな課題を克服できると主張しています。その二つの課題とは、①「生徒を均一化して捉えること」と②「生徒の無関心」です。

    どんなクラスやグループをつくろうが、生徒たちの知識とスキルの差は存在し続けます。そのための対処法は、生徒に「適切なチャレンジを見いだす」ことです。それは、ロシアの心理学者の、レヴ・ヴィゴツキーが「発達の最近接領域(Zone of Proximal DevelopmentZPD)と名づけたものです。下の表に、わかりやすく示されています。

図化すると、次のようになります。(図の出典は、http://lifenavi-coach.com/archives/72991859.html

表でも図でも、真ん中ある時が、適切なチャレンジでよく学べ、かつ楽しいということです。(一方で、それ以外の部分は、簡単だったり、難しすぎたりして、やる気をなくし、苦痛です!★)

     無関心 ― 「生徒各自がもっているスキルや能力、あるいは知識などは多様です。どんなクラスにも、きわめて多様な興味関心や情熱をもっている生徒がいるものです」(エンダーソン、20ページ)。後者を活かすことができれば(ここでこそ、「見取りと子ども理解」が活かされます!)、生徒はより楽しく学ぶだけでなく時間を忘れて取り組むし、無関心の問題にも対処できます。扱う題材や扱い方(学び方や発表方法など)で選択肢が提供できれば、生徒の前向きな気持ちやオウナーシップ(自分事と思える意識)は高まります。ダニエル・ピンクは、『モチベーション3.0』の中で「コントロール(管理)は従順を生み、自立性は熱心な取り組みを生む」と書いています。「学校では、教師がほとんどのことにおいて何を(どう)すべきかをコントロールしています。私たち教師が授業を考えて教え、課題を出し、その結果を評価しています。一方、生徒たちは、ほとんどコントロールする権限を与えられない状況において、従順に課題をこなし続ける「働きバチ」だと思い込まされています。しかし、彼らに選択肢を提供すると活気づき、自らの学びを自分で考え、より多くの責任も取るようになるのです」(エンダーソン、24~25ページ)

  選択肢を提供することによって、生徒は「より適切なチャレンジの取り組め」「自分の強みや興味関心と関連づけ」「内発的動機づけが高まり」「(オウナーシップをもつことで)より多くの自立性、パワー、コントロールが提供され」「無関心にも対処することができる」ことを述べてきましたが、ほかにもさらなる効果があります。

 ・生徒はより深く豊かな学びに取り組む。

 ・これまで以上に、課題に集中しているところを見せてくれる。

 ・生徒の感情と社会性(SEL)の能力が高まる。★★

 ・協働的な学習の雰囲気が生まれる。

 ・教師は教えることがより楽しくなる。

 これだけの大きな効果があるのですから、「選択する学び」を使わない手はありません! 第2章以降は、それを実現するための具体的な方法が丁寧に紹介されています。生徒が選択する授業は、一つの授業の中でわずか5分間でできるものから、1学期間を使ってするものまで極めて多様です(表1を参照)。短いものから徐々に延ばしていってください。

★「一斉指導知識注入」型の授業の最大の欠陥は、「生徒を均一化して捉え」てしまうことで、どの生徒が「学ぶことが難しすぎる」状態や「学ぶことが簡単すぎる」状態にいるのかを無視してしまうことといえるかもしれません。また、「学ぶことは適度の難しさ」の状態にあったとしても、仲間や教師のサポートが得られないのでは、「一人でできる」ようにはなりにくいという問題を抱えたままになってしまいます。ZPDについては、https://wwletter.blogspot.com/search?q=ZPDをご覧ください。

 ★★このSELの大切さについては、すでに『感情と社会性を育む学び(SEL)』を今年3月に出していますが、今後半年間でもSEL関連の本を3冊出す予定になっています。

 また、一斉授業からの転換を後押しする(それも、生徒に選択を提供するという形で)『一斉授業をハックする―生徒の主体的な学びをもたらす学習センター(仮題)』の刊行を今年12月か、来年1月に予定しています。これは、教室内に(生徒の人数にもよりますが)最低でも4つぐらいの学習コーナーを設置して、生徒がその中から自分が学びたい場所を選んで学習するアプローチです。モンテッソーリ教育をはじめ、幼児教育では当たり前に実践されている方法を、中高でも実践できるように応用した本です。