2018年11月23日金曜日

文部省著作教科書「民主主義」

本の帯は、書店で平積みになっている本をPRする点で重要です。
ある日、仕事帰りに書店に立ち寄ると「読み終えて、天を仰いで嘆息した」と帯に書かれている本を見つけました。このPR文の書き手は内田樹さんのようです。そこで、手に取って中身を読むことにしました。本のタイトルは「民主主義」(著作・文部省)角川ソフィア文庫(2018)です。この本は、中高生に「民主主義」を教えるために書かれた教科書とのことです。
もちろん当時はまだGHQが日本にいた時代に書かれたので、GHQの検閲もあり、そうした占領軍への配慮もしながら、民主主義について解説したわけです。

読み進めると面白い発見が次々と出てくるではありませんか。
14章「民主主義の学び方」の第二節「学校教育の刷新」には次のようなくだりがありました。

これまでの日本の教育は、一口でいえば、「上から教え込む」教育であり、「詰め込み教育」であった。先生が教壇から生徒に授業をする。生徒はそれを一生けんめいで暗記して試験を受ける。生徒の立場は概して受け身であって、自分では真理を学びとるという態度にならない。生徒が学校で勉強するのは、よい点を取るためであり、よい成績で卒業するためであって、ほんとうに学問を自分のためにするのではなかった。よい成績で卒業するのは、その方が就職につごうがよいからであり、大学で学ぼうというのも、主としてそれが立身出世のために便利だからであった。

これが出版されたのは昭和23年から24年にかけてのことでした。なんとこの70年間、わが国の学校教育はここで指摘された状態がそのまま続いてきたわけです。もちろん、各地で「刷新」と呼ぶにふさわしい実践があったかも知れませんが、大勢はここで指摘されたことが紛れもなく続いてきたと言えるでしょう。

また、次のような一文もあります。

がんらい、そのときどきの政策が教育を支配することは、大きなまちがいのもとである。

今の文科省の職員と中教審のメンバーに読ませたいものですね。
小学校英語、プログラミング教育、道徳の教科化と、どれをとっても「そのときどきの政策」が教育に介入してきたものばかりです。また、道徳に関しては、次のような文言もありました。

 ことに、政府が、教育機関を通じて国民の道徳思想をまで一つの型にはめようとするのは、最もよくないことである。今までの日本では、忠君愛国というような「縦の道徳」だけが重んぜられ、あらゆる機会にそれが国民の心に吹きこまれてきた。そのために、日本人には何よりもたいせつな公民道徳が著しく欠けていた。
 公民道徳の根本は、人間がお互いに人間として信頼しあうことであり、自分自身が世の中の信頼に値するように人格をみがくことである。

 「縦の道徳」とはうまい表現です。現在の道徳の教科化がこの方向の復活にならないことを切に願いますが、個人としての人格の完成を目指す教育を忘れずに進めたいものです。
歴史に学ぶことは大切ですね。過去の過ちを繰り返さないようにするためにも。

先ほどの「上から教え込む」教育にならないような方法は、この「PLCだより」で数多く取り上げてきたと思いますので、それらを参考に、まずは校内で実践してみましょう。
そして、その情報をオープンにして、知りたいという人にはどんどん情報を提供していきましょう。それが今一人一人ができることの第一歩だと思います。
 


2018年11月18日日曜日

フィードバックは与えて終わり?


以前のPLC便りで「学力向上に効果的なフィードバックとは?」では、フィードバックがカンファランス場面(個別指導)において、生徒の学びに効果が高いことをお伝えしました。

今回は、フィードバックをしたその後についてです。フィードバックは与えて終わりではないということです。

教員初任者の頃、先輩教師に「見とどけ」が大切だと何度も繰り返し指導されました。子ども同士のケンカや下校班でのトラブルなどでは、1週間後にもう一度子ども達を集めてその後の様子を聞いてみる、問題となっていないか確かめ、「見とどけ」ることでした。
つまり、問題が起こったときに、教師のフィードバックしたことが、相手にとってどのように受け取られたか、またどのような効果があったのかを確かめることです。
これは生徒の学びの質を高めるためにおけるフィードバックでも同様に重要なことです。★
フィードバックというと、教師から一方的に与えるものと捉えられがちですが、相手の反応があってこそのフィードバックです。これは、決して教師からの一方的なフィードバック量を増やすことではありません。ですが、一方的にその量を与える授業はよくみられがちです。
体育の授業では1コマあたり、100回以上の教師からの声かけで授業の雰囲気が変わり、その中でも矯正的なフィードバックが効果的であるといった研究授業もあります。ここでは、その矯正的なフィードバック(例えば、バスケットボールをパスするときは一歩足を前に出して投げ、手首のスナップを使おう)が、学習者にどう受け取られ、学習者がどう試みようとされているのか、フィードバックのその後の質が問われているにもかかわらず、与えることに集中してしまうのです。

教師によって与えられるフィードバックの多くは、学級全体に向けられており、そのほとんどをどの学習者も受け取っていません。なぜなら、どの学習者もそのフィードバックが自分に関係あると考えていないからです(カーレス、2006★★)。

一斉講義型の授業において、教師による一方的な全体への説明だけでは、やはり個々の生徒へは届いていません。自分のこととして受け取ってくれていない事実がここにあります。これはワークショップ授業におけるミニレッスンにおいても同じ問題をはらんでいます。だからこそ、個別カンファランスでていねいに見とどけることが必要です。

一般的に教師はいかに効果的にフィードバックを与えるのかという視点では★★★、よく考えています。しかし、それが学習者にどう伝わっているかについてまでは、及んでいないことも多くありそうです。フィードバックは与えて決して終わりではなく、「相手にとって」どう受け取られたのかまでしっかり最後まで見とどけることなのです。

フィードバックとは、学習者が初心者から有能に進歩していく過程で与えられるものです。教師は、学習者の今を見て、フィードバックを効果的に与え、見とどけをするところまで求められます。これはたんにテストの点数を上げるための学力向上ではない、本来の学びの質そのもの上げるために必要なことです。教師が学習者にフィードバックし関わり続けること、支援し続けることこそが、形成的評価に支えられ、学習の質を高めるのです。



★「教師は、学習の中で生徒が今いるポイントに適切にフィードバックを与え、フィードバックが適切に受けとられたことを示すエビデンスを求めている。」『学習に何が最も効果的か メタ分析による学習の可視化教師編』ジョン・ハッティ P.185
より

★★
Carless, D. 2006. Differing perceptions in the feedback process. Studies in Higher Education 31, no. 2: 219–33.

★★★
認知面を伸ばすには、学習の3つのレベル向けてフィードバックすることです。
レベル1 浅い学びとしての基本的な知識・技能(かけ算九九の仕組みを理解しているか、覚えているか)
レベル2 深い学びとしての考え方や学び方(かけ算九九とこれまでの筆算の形式をつかって、2桁×2桁の筆算を自分でつくろうと、問題解決しているか)
レベル3 自分をふりかえるメタ認知(自分の問題解決をふりかえり、取り組み初めの気持ちや自信、どこで解法のアイデアがひらめいたかなど)
目指すべきフィードバックは、レベル1の知識・技能からレベル2の考え方・思考法へ、さらにはレベル3のメタ認知へと、より高度なレベルへと適切に与えていきます。
①「今、どんなかんじかな?(What?)」とその学習の現状の進み具合を確かめます。
②「何ができるといいの?(So what?)」とその学習の目的や到達度を問いかけ、現状とのギャップを見つけます。
③「じゃぁ、何をしようか?(Now what?)」とそのギャップを埋めるために、具体的に次の行動目標を示すことです。この際、レベル1〜3に応じて、知識・技能を理解するためのアドバイスや、問題解決のプロセスの仕方への援助、ふりかえりの視点をフィードバックしていきます。

2018年11月11日日曜日

教育とイノベーション



日本の教育でイノベーションという言葉が使われることは、まだあまりないと思います。★

イノベーション(英: innovation)とは、物事の「新結合」「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。一般には「新しい技術の発明を指す」と誤解されているが、それだけでなく「新しいアイディアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革を意味する」(以上、ウィキペディア)言葉です。

本ブログで紹介してきたengagement https://projectbetterschool.blogspot.com/2015/03/blog-post_15.html)やagency
https://projectbetterschool.blogspot.com/2015/02/agencyagent.html)と同じレベルで、教育や授業で大切にされていないといけない言葉/概念(考え方)です。教育や授業を含めて、イノベーションを大切にするとはどういうことかを考えていたら、いい資料を見つけました。それは、次にリストアップしたことを実践することが、イコール「イノベーションを大切にする」だというのですから分かりやすいと思います。

①生徒(学ぶこと)に焦点を当てる。
②疑問があったら、試してみる。
③まずは見本/モデルを作ってみる。
④協力して取り組む。
⑤曖昧さを受け入れる。
⑥常にマインドフルに行動する。
  見える形で進める。

以下に解説を加えます。

① いま行われている教育や授業のほとんどは、残念ながら教師/教えることが中心です。生徒や学ぶことは、それに付随する形で「お付き合い」のレベルで存在していますから、学びの質と量は極めて少ないままが続きます。(これは、上記の「agency」と「engagement」と密接に関係しています。教師主導ないし教科書主導の授業で、これら2つをつくり出すことはほぼ不可能です。)それを生徒/学ぶことに焦点を当てることは、まさに新機軸であり、イノベーションです。ひょっとしたら、すべてを逆さまにやらないといけないぐらいの!

② 疑問や質問がわかないと、何も動き出さないことを意味します。それほど、現状を「おかしいんじゃないか?」「もっと他にいいやり方があるんじゃないか?」と思えることは大切だということです。教育や授業で、ベストの方法は存在しないのですから。

③ これは②と直結していますが、試すためには「見本/モデル」が不可欠です。まずは現状に代わる代替案をつくってみて、試してみるのです。そして、それをドンドン修正・改善していきます。★★

④ その際に、一人でするよりも、最低でも二人、願わくは三人ですることが望ましいです。よりよいアイディアを得るためにも、継続的に取り組むためにも。しかし、最初から人数が多くなりすぎると、イノベーションは起こらなくなってしまいます。今の多くの学校のように。『校長先生という仕事』で詳しく紹介されている「変化の原則」をしっかり認識することが大切です。(本ブログの左上に「変化の原則」を書き込んで検索すると、その一部が紹介されています。)

⑤ 教育と授業に、確実なものなどありません。学習指導要領や教科書ですら、時間と共に「変わります」。一つの指導案が、すべての生徒に対して機能することはありません。★★★ 対象や時間や、その場の環境や関係性次第で、臨機応変に対応することが欠かせません。曖昧さや不確実さを前提にすることが、イノベーションを起こすことに通じています。

⑥ 「マインドフル」という言葉も、「イノベーション」と同じレベルで、まだ教育界では受け入れられていない言葉の一つと言えるかもしれません。とても大切な言葉であるだけでなく、実践されることが求められています。『校長先生という仕事」の中(218~219ページ)では、「いろいろな視点から物事を捉えることができ、新しい情報等に心が開かれており、細かい点をも配慮することができ、従来の枠の中に納まっているよりもはるかに大きな、人々の可能性を信じることができる」ことと定義しています。それに対する「マインドレス」は、「物事への注意を欠いたり、柔軟性や応用力のない心の状態」です。両者を比較した表が掲載されていますので、興味をもたれた方は、ぜひチェックしてみてください。

⑦ 隠れてするのではなく、ブログ等でプロセスを含めて同僚たちには見えるようにしながら、実験を進めていくことが大切です。興味のある人には、常に門は開けておく、ということです。それによって、徐々に興味関心の輪を広げられるかもしれませんし、自分たちの実践のポートフォリオができ、かつ振り返りまでできますから、一石二鳥です。

来春には、教育とイノベーションをテーマにした本(日本の教育風土からは残念ながら出てこないので、翻訳書です)を出します! 楽しみにしていてください。

最後まで書いてきて思ったことは、「innovationengagementagency(+critical thinking)抜きで教育を語れるのかな?」ということです。しかし、そうであり続けているのが日本の教育? それは、真の教育とは言えるでしょうか? 単に、暗記と従順さや忖度を教えているだけではないでしょうか? (この辺について詳しく書いてあるのが、『遊びが学びに欠かせないわけ』です。)


★ 日本でも、ビジネス/産業界ではだいぶ前から、この言葉は当たり前になっています。それなしでは存続できないので。

★★ ①~③を実際にモデルとして示してくれている例が、『成績をハックする』です。

★★★ 悲しいかな、これは歴然とした事実です。


2018年11月4日日曜日

教師の成長につながるフィードバック

教育センターの指導主事時代の主な仕事は、初任者や採用年次研修の教員に課される授業研修に赴き、「指導助言」(何とも権威的なネーミングです)をすることでした。学校に行き、教室に入り、生徒たちの学ぶ姿を見る。慣れないデスク・ワークから解放されることも手伝い、楽しみな仕事の一つでした。先生方が、より良い授業ができるように、生き生きと働いていけるように、惜しみなく、自分のもっているものを提供したい。それは、必ず生徒たちの良い学びにつながるはずだと。

若さゆえの、怖いもの知らずだったのか、自信もありました。他の誰よりも、授業の本質を見抜く力があると、確信していました。先生方と、人間関係を築く自信もあった。意気揚々と、使命感と情熱の塊のようになって学校に通い続けました。

1、2年経ったころ、「本当に、先生方が成長するサポートができているだろうか?」という疑問が生まれてきました。もちろん、自分なりには、十分に目配せをしているつもりでした。良いところも見つけ、奨励し、褒め。課題も、指摘し、丁寧な助言も、提案もする。

しかし、実際にやっていたことは、私の気づきを、並べ立てていただけだったのです。「どうだ、こんなことも気づいたぞ。」「なかなかするどく、深い分析だろう。」と。授業者は、突きつけられた課題のリストを、前向きに受け止めてくれてはいましたが、その後、それらにどう取り組んだのか、何がどのように変わったのか、成長できたのかについては、ほとんどフォローできていませんでした。愕然としました。(☆)

このことは、教師の成長につながるフィードバックとはどのようなものかを、根本から考え直す契機となりました。その後、私にとっての重要なテーマであり続けています。

最近出会った、Elena Aguilar (2013) The Art of Coaching, Jossey-Bassという本に、教師への効果的なフィード・バックについての提案が書かれていました(pp.215-217)。これまで、考えてきたことが、見事に整理された、共感のできる提案でした。

1 信頼関係を見極める:クライアント(対象の教員)に対する理解が十分でなく、信頼関係ができていない段階で直接的なフィードバックは避ける。

2 常に、クライアントの意思を尊重する:クライアントの成長や改善が目的であることを明確にするために。
 
3 教室で観察した事実に基づいてフィードバックを返す。

4 課題の指摘は、1つから2つのキーポイントに限定する:観察した結果と学校やクライアントのゴールを照らし合わせて、適切なものを選ぶことが重要。その作業のために、授業観察と振り返りの会の間に少し時間をとるのが望ましい。
 
5 言葉を選ぶ:人によって受け止め方は様々。プロのコーチでも、十分に練り、時には書き出したり、リハーサルをしてから望むこともある。そのくらい慎重に。

6 振り返りをうながす:フィードバックをどのように受け止め、次の段階でどのように取り組むかについて、クライアントの振り返りを促す。そして、次のステップに進むために必要なサポートやアイデアなどを提供する。また、クライアントが次のステップに進めるようになるためには、どのように受け止めたか(肯定的に受け止めたのか、否定的に受け止めたのか)についても、注意深く観察する必要がある。

この1〜6の提案は、WWやRWのカンファランス(☆☆)で教師がしていることと同じです。研修で指導役のコーチがすることと、授業で教師がすることは、まるで「入れ子状態」なのです。 教室で、このようなアプローチを実践してきた人であれば、管理職や指導主事になってからも、効果的に教師をサポートできるコーチになりうるのでしょう。

Aguilarさんは、フィードバックの難しさを認めています。一方で、長年の練習を経れば、身につけることのできる技術(art)でもあるとも述べています。この本は、教育におけるプロのコーチの、専門性に裏打ちされた、緻密で周到な仕事ぶりが紹介されていて、とても参考になる本ですが、繰り返し語られるのは、コーチ自身が学び続けることの重要性です。まさに、それがプロたる所以なのでしょう。


☆この時の経験から生まれたのが、アクション・リサーチを使った通年の教員研修の仕組みです。その概要については、「メンターとしての指導主事の成長と悩み」『PLC便り』(2018年7月1日)をご覧ください。http://projectbetterschool.blogspot.com/2018/07/blog-post.html

☆☆このようなアプローチに関心のある方は、ブログ「WW/RW便り」(http://wwletter.blogspot.com)を開いて、左上の検索欄に「カンファランス」を入力すると大量の情報が得られます。

[参考文献]
Elena Aguilar (2013) The Art of Coaching, Jossey-Bass