2024年9月29日日曜日

エージェンシーを培う授業のつくり方

「エージェンシー」という言葉は最近よく耳にします。子どもたちは興味や情熱、さらにはもっと知りたいという好奇心をもって学校にやってきます。私にとって、生徒がエージェンシーをもつ教室とは、「生徒が自らの学びにおいて選択し、決定し、行動する力をもつ教室」です。しかし、私たちが提供する学習機会を通して生徒のエージェンシーを育むとは、具体的にどういうことなのでしょうか?

 以下に、効果の高い五つのアイディアと、それらに取り組む際に参考になる本を紹介します。


1つながりと帰属意識の構築

生徒たちがエージェンシーをもっている教室の基盤には、教師と生徒の関係があります。これにより、生徒が自立的に学ぶための実践を発展させる土台が提供されます。 ~『「居場所」のある学級・学校づくり』『好奇心のパワー』

子どもたちが話すときは深く耳を傾け、学校外での彼らの生活について学びましょう。問題が大きいか小さいかに関わらず、発生した際には話し合う時間をもつ準備をしましょう。「わからない」と、子どもたちが自信をもって言えるようにしましょう。 ~「子どものための哲学」や「哲学対話」関連の本、『最高の授業』『生徒指導をハックする』

 

2意図的に生徒のスキルを育む

生徒がメタ認知的な学習者になるよう教えましょう。さまざまな学び方を試す機会を与えるのです。たとえば、ある生徒は創造的な方法で学ぶことを好むかもしれませんが、別の生徒はもっと支援/足場が必要かもしれません。彼らの好みは、取り組む内容や課題によって異なることがあります。生徒は異なるアプローチを探る必要があり、自分の学びに何を適用するかを決定する際に備えることができます。学びの計画を立てたり、振り返ったりする方法を直接教え、モデルを示しましょう(教師が自分では使わないような、市販の振り返りは選択肢に入らないはずです)。その後、振り返るための機会を頻繁に提供し、生徒が自分にとって最適な学びを実現する要素を特定できるようにします。 ~『「考える力」はこうしてつける』『「学びの責任」は誰にあるのか』『教育のプロがすすめる選択する学び』『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』『一斉授業をハックする』

メタ認知的な実践を埋め込み、生徒のエージェンシーを育むために、自分が得意とする教科で始めましょう。(その際、一つの概念やスキルに対して異なるいくつかの学習活動を設計してみるのは出発点かもしれません。たとえば、生徒はペア作業、個別の探究、小グループでの協同/協働活動など、同じ学習目標を達成することができます。 ~たとえば国語なら、https://x.gd/Y9zuJ

一つの教科で練習を積んだら、日常全体や教科を統合する形で広げていきましょう。~上の国語の応用として、他教科では『だれもが「科学者」になれる!』『社会科ワークショップ』(いま『数学者の時間』を執筆中!)、教科横断のアプローチでは『あなたの授業が子どもと世界を変える』『プロジェクト学習とは』『PBL~学びの可能性をひらく従業づくり』『子どもの誇りに灯をともす』

 

3壁を使って思考と学びを可視化する

 教室や廊下の壁のスペースを使って生徒の思考や学びを展示することで、生徒のエージェンシーを重視した実践が強化されます。生徒は自分たちの成果を視覚的に見ることができ、教室全体が学びに満ちた活気ある環境になります。その際は、生徒を自分たちの学びの展示に参加させ、あらゆる場所にその成果を示すよう促しましょう。

 これは、成果物を生徒がつくり出す学びとも言え、従来のテストが最終目的であった学び方を卒業して、終わりのないサイクル型の学びへの移行を意味します。というのは、暫定的には壁に貼り出したものが成果物ではあるのですが、それにクラスメイトや校内・校外の他の人たちからのフィードバック(付箋)がつくと、探究が新たなサイクルを回し始めるきっかけになるからです。なお、今の時代は一人一台端末を持っているので、壁スペースを使った展示は、オンラインで校外の人も対象にしたサイトなどをつくる活動へと発展させることは容易です。 ~『一人一台で授業をパワーアップ!』

 

4生徒を専門家として位置づける

 生徒は他の生徒と共有できる専門知識をもっています。ディジタル・リテラシーのスキルなどは、生徒が専門家となることができる分野の一例です。生徒同士で授業やワークショップを開催し、スキルを共有し合うことで、互いにサポートし合いましょう。生徒たちは自分が講師役を務めることに喜びを感じ、教師であるあなたも参加したくなるかもしれません。

 また、学校の広いコミュニティー(関係者)を活用して特定の内容についての教えてもらう機会をつくることも大切です。保護者や地域のエキスパートや上級生(クラスメイトでさえ!)は素晴らしい専門家となり、あなたとは異なる視点を学びにもたらしてくれます。生徒たちは、教師(や教科書)以外の専門家から学ぶことで成長し、学びを深めるでしょう。これは、教科の学びとSELの統合にもなります。 ~『国語の未来は「本づくり」』(やhttps://x.gd/Y9zuJのほとんど!)『学びは、すべてSEL』

 

5イノベーションのモデルを示し、生徒が創造的になれるように促す

 学習者が遊び、探究し、問題解決する機会をもつことで、エージェンシーが育まれます。ユニットの終わりには、生徒が自分の理解を固め、応用し、自分のアイディアを創造するための時間を提供しましょう。 ~『たった一つを変えるだけ』『あなたの授業が子どもと世界を変える』『プロジェクト学習とは』『「おさるのジョージ」を教室で実現』『退屈な授業をぶっ飛ばせ!』『教育のプロがすすめるイノベーション』、そしてhttps://x.gd/v1ufG

 

参考: https://x.gd/cVIyk

2024年9月21日土曜日

学校にとっての「貴重な存在」

  埼玉で教務主任/初任者校内指導教諭をしている田所昂先生のhttps://projectbetterschool.blogspot.com/2024/08/blog-post_18.html に続く、第2弾です。

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「1年目の先生に教えてもらえるなんて、うちの孫は恵まれている!たくさんいる先生の中で、一番子どもたちのことに本気で向き合ってくれる先生なんだから…。」

これは私が初任者時代に受け持った児童の家族から言われた言葉だ。13年経った今でもそのときのことは鮮明に覚えている。

私が勤めている学校にも初任者の先生方がいる。初めて学校の先生として赴任しているのだから、分からないことだらけの毎日だ。周りの先生方に質問したり、時には周りの先生方から声をかけたりして、一つひとつの問題を乗り越えている。

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文部科学省が2025年度の概算要求のポイントを公表した。その中には教員志望者の減少や離職率の上昇に対する処遇改善策が多く並んでいる。教職調整額の改善や各種手当の改善、新たな職の創設など。初任者に関しても採用数の増加による持ち時数の削減や、担任を持たせないなどの具体的な例までもが挙げられている。

アメリカ国防総省教育活動の教育研究アナリストのメーガン・テグラーと教師のマッケンジー・ハンプトンは『新人教師のためのリレーショナルサポート』【https://ascd.org/blogs/relational-support-for-new-teachers】という記事を書いている。そこには「新しい教師が、個人的にも職業的にも、教室、チーム、学校、教育委員会、そして教育の専門職にとって重要であることを認識できるようにする」ことがとても大切であると記されている。

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1学期最後の初任者研修の校内指導。初任者の先生方が4月に立てた「理想の(目指したい)教師像」=「目標」にどれだけ近づいたかの振り返りや2学期に向けての課題と手立てについてフィードバックし合った。私はその様子を見たあと、先生たちにただ一言「子どもたちのために学校のために、クラスを守ってくれてありがとう」とだけ伝えた。校内指導教諭としては物足りない一言だったかもしれないが、私は本当に大切なことだと考えて伝えた。

1年の初めから、「学校で初任者を支える」と考え、様々な手立てを打ってきた。

① 初任者研修校内指導の役割分担

校内指導教員と初任者間で行われがちの初任者研修校内指導を、より多くの教員に初任者と関わってもらうような形に変えた。それぞれの先生方の専門を見ながら、話してもらう内容を決め、事前にこちらからお願いをする。研修が終わったあとはこちらから声をかけ、研修の様子を伺ったり、お礼を伝えたりする。初任者は様々な先生のことを知ることができ、自然と目指したい教員の姿をより具体的に見つめたり、相談や指導を仰ぐ相手が増え、学校の中に居場所を見出したりすることができる。学校側としては、自然と教職員同士の会話が増え、同じ目標に向かって行動する姿が増える。それぞれが違った分野・アプローチであっても、目指すところが同じだと一体感が生まれる。自然と初任者だけでなく学校組織全体が活性化され、組織力が向上するのだ。

② 「指導する」ではなく「共に考える」というスタンス

校内指導を多くの先生方と分担することで、校内指導教員である私は、初任者と年間目標を対話する中で設定し、達成するための手立てを決め、その振り返りとフィードバックを毎月行っている。また校内で公開授業や研究授業があった際は、その振り返りも合わせて行っている。そこで私が年間を通して貫いているスタンスが「共に考える」というものだ。「共に考える」というスタンスは、会話の中に問いを立てながら初任者の考えを整理するというものだ。初任者自身の考えを整理しながら、何がしたいのか、どう考えているのかを引き出していく。その中で自分が行いたい手立てを自己決定させたり、自分の課題・強みを言語化できるようにしたりする。そうすることで初任者は自ら考え、試行錯誤しながら、目標とする教師像をめざしていく。課題を設定し、その課題解決のための手立てを自ら選んで、時に一人で時に協働して試行錯誤する。その上で出た考えや結果を振り返ったり、互いにフィードバックしあったりすることで、次の課題を見出していく。子どもの学びにおいても大切なこのサイクルは教師の学びにおいても大切なのではないかと考える。

③ メンターメンティーチームの確立

今の職について3年。その前の1年は大学院での学びの機会を得た。そこで出会ったメンターメンティーチームという仕組み。その仕組みをより学校の実態に合わせて、この4年間をかけて形にしてきた。2年目から4年目の教員はすべて私とメンターメンティー研修を初任者時代に経験している教員たち。その教員が集まって、初任者のためにできること・必要なことは何かを考え、話し合いながら活動を計画していく。その計画と活動の中で、初任者は自分と年次が近い教員、すなわちより目標としやすい教員の中から自分のスタイルに合っている教員を探して学びを深めていく。「このことはこの先生。あのことはあの先生に…」と初任者が選んで学べる、真似できる姿が目指すところだ。もちろん、メンティーである初任者だけでなく、メンターである若手教員にとってもメリットは多い。学校の中枢を担っていくという実感。自分の実践の見直し、考え方の整理。それが自然と関わりをもつ中でできる。なるべく勤務時間内でその機会を設定し、メンターへのフィードバックも欠かさずに行う。この取り組みが学校としての組織力を高めることにつながっていくと私は考えている。

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文科省の改革で変わることがあるのであれば、それは推し進めていくことも必要であると思う。ただ、その改革だけでは今言われている学校の問題・課題の根本的な改善にはならないのではないか。目の前にいる共に働く若手たち。その若手たちが学校にとってどんな存在なのか。それを学校全体で見直し、本当の意味での「チーム学校」を目指すことが、今本当に求められていることなのではないだろうか。

2024年9月15日日曜日

授業づくりのための2冊の本の比べ読み

 石井英真『授業づくりの深め方』とキャロル・アン・トムリンソン『みんな羽ばたいて』の比べ読みをしました(飯村寧史・執筆)。

 まず、『授業づくりの深め方』ですが、日本のこれまでの教育や授業の傾向、風潮について、その歴史的な変遷を丁寧に綴っているという印象を受けました。その中で、これまで行われてきた一斉授業の限界を述べ、現状での「わかる」授業、そして将来的には「教科する」授業への移行を提言しています。

 この移行については、第8章で詳しくまとめられています。表にまとめてみました。

一方、『みんな羽ばたいて』は、「生徒中心」をキーワードに、それを実現するために、学校の諸要素をどのように意識し、変えていくと良いかを述べています。

 生徒中心にするのは、筆者の言葉では「在学中でも卒業後の人生でも、受け持った生徒の一人ひとりが有意義で生産的に、そして満足できる人生が送れるように十分な準備をする義務が教師にあるから」という理由からです。したがって、授業での学習内容だけでなく、生徒一人ひとりの個性(境遇や心情も含む)や、その成長に資するもの、所属するコミュニティーの部分にも重点を置くことを主張しています。

 そして、生徒中心を実現するために、教師、生徒、学習環境、カリキュラム、評価、教え方を観点として、それぞれの章でどのような姿や方法を目指すかが具体的に描かれています。各章では読者の思考を促すために、考えるポイントを問いとして提示しており、読者は自分のこととして考えることができるようになっています。

 この2冊の共通点としては、従来型の一斉授業からの転換を述べていることです。後者は海外の教育書ではありますが、変えていくべき従来型の授業は、先ほど提示した表の左端の欄と全く同じです。つまり、変化の必要性は日本も海外もどちらも同じで、そこからのスタートという点は変わりません。ですから、従来型の一斉授業に疑問を抱いている人、変化させたいと思う人が読者として想定されていると言えるでしょう。

 一方、相違点としては、「目的」の違いが最も大きいです。

 『授業づくりの深め方』は、タイトルにもあるように、授業改善を目的とした本です。日本型の従来の授業を踏まえ、この先どのような改善の方向性が良いかを示すことが目的ということです。そういう意味では、日本の教師が、無理なく自分の授業を変えていくために読む本だといえます。

 『授業づくりの深め方』は、確かに無理のない移行を考えているのでしょうが、果たしてそれが学校教育に対して大きなインパクトを与えられるのか、疑問が残ります。「教科する」授業は確かに魅力的ですが、日本の現行の教育制度=教科書使用や単元、教科縦割りなどの条件を満たしつつ、実行可能と言えるのか疑わしいところがあると思います。海外書籍で紹介される「教科する」授業は、従来の制約を脱して、教師が発想を転換したところからスタートしたものです。そういう意味では、現状制度のもとでこの「教科する」授業を目指したところで、「木に竹を接ぐ」ようなものにならないかという懸念があります。

 それに対して、『みんな羽ばたいて』は、生徒中心の学校、授業を実現することを目的としています。ですから、自分で授業を改善することは一つの手段になっていますが、そこが目的ではありません。従来の学校や授業の枠組み、何よりも教師が生徒を見る「目」を大きく捉え直して行くための方向性や手段、実践などが書かれています。

 ここで紹介されている方向性や手段、実践などは、もしかしたら、日本の学校でチャレンジするのには抵抗があるかもしれません。土台となる考え方からの転換は、ともすると、現実離れしたものに見えることもあるでしょう。しかし、先に述べたように、著者の国でも授業は一斉指導が当たり前の時代があり、著者はそこを脱却するために様々な実践を経て、体系的に教育に関する考え方を変え、実践を積み重ねた、という経緯があります。日本で実行することも、不可能とは言えないでしょう。より大きく日本の学校や授業を変えることを望んでいる教師が読む本だと思います。

 また、もう一つの相違点として、教育を変えるための「観点」の差があります。

 『授業づくりの深め方』では、授業づくりの観点として、①目的・目標、②教材・学習課題、③学習の流れと場の構造、④技とテクノロジー、⑤評価の5つを挙げています。それに対して、『みんな羽ばたいて』は、教師・生徒・学習環境・カリキュラム・評価・教え方を観点として設定しています。

 『授業づくりの深め方』の方は、やはり、タイトルどおり、授業づくりに特化していることがよくわかります。いわば、ミクロな視点です。しかし、気になるのは、どの観点についても、「教師」が主語であり、主導する存在だという考え方が貫かれている点です。肝心な要素としての「生徒」が観点の中にありません。確かに、同書では、生徒が自立して学ぶ、主体的に学ぶことを期待して「教科する授業」を志向しているのですが、この観点が欠けていていいのでしょうか。一人ひとりの生徒が決して均一ではなく、「違う」存在である以上、教師主導の授業づくりには限界があるように思います。従来と同様、より上手な先生によって、導かれるような授業ができ上がることは予測できますが、それで主体的な学びになるかどうか疑問です。

 一方、『みんな羽ばたいて』では、より大きな観点設定がなされています。最初に教師のあり方や生徒との関係性、生徒同士の関係性について、考え方の転換を求められます。「授業」を変えることが目的ではなく、その授業を通して、どう一人ひとりをいかし、育てるか、ということに主眼が置かれています。当然、生徒については、生活背景から、学習体験、関心、学び方の癖など、一人ひとりが異なっている、という前提で考えられています。テクニックというよりは、「生徒中心のクラス」、「生徒中心の授業」を実現するために、どのように考え、どのように声をかけ、どのように行動するのか、それを考えてもらう、マクロな視点で書かれた本だといえます。

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 以上をまとめると、『授業づくりの深め方』は、従来の日本型授業をふまえ、その延長線上にあるものとしての「わかる授業」「教科する授業」への移行を促すものですが、日本の教育のこれまでの慣習や制度上の制約、あるいは教師主導体制が変わらない以上、実現はやや難しいように思います。

 一方、『みんな羽ばたいて』は、教育の根本から見直すのに大いに参考になる本です。確かに日本の教育の慣習や制度は強固で、覆しにくいものを感じます。しかし、生徒中心のクラス、授業にはしたくない、と思う先生が果たしているでしょうか。教師であれば、誰もが理想としながらも、実現は難しいと思って、諦めているだけではないでしょうか。従来の延長、ではなく、考え方の転換によって新しい授業をつくっていく、そう考えたい人にお勧めしたい本です。

2024年9月8日日曜日

ネガティブな感情と向き合い、考え続ける力を引き出す 

これまでの学校教育における算数・数学は、本物の数学的思考を育むには十分ではありませんでした。その一因は、算数・数学の学習内容を単に習得することに重点が置かれていたためです。

短時間で手順を覚え、教科書通りに考え、それを他の問題にできるだけ早く適用する。こうした教科書の内容を網羅することを重視する教育では、子どもたちが自ら質問を作り出したり、数学的解決に向けて挑戦したりする機会が十分に与えられていません。さらに、解法の応用や他の問題への活用を深く振り返る時間も確保されていないのが現状です。

果たして、あの膨大な知識量は本当に必要なのでしょうか。むしろ、教える内容を減らし、じっくりと数学的に考える時間と環境を提供することが求められます。理想的には、定期試験や受験問題も、ていねいに数学的思考を問う問題へと変わっていくべきでしょう。

これまで、算数や数学は筋道立てて論理的に考えることを中心に語られてきました。しかし、問題を解く過程では、自分の感情や信念と向き合うことが欠かせません。数学的思考を身につけるためには、この感情に気づき、それを起点にして解決方法を見つけ出すことが重要です。そうすることで、より深い数学的思考を育むことができるのです。このことについて、『教科書では学べない数学的思考』の9章には、多くの示唆を与えてくれるものとなっていますので、ぜひ再読してみてください!




 

問題に行き詰まったときに感じる「わからない」「もうダメかもしれない」といった不安や諦めの感情は、実は思考を深める上で重要な要素なのです。しかし、これらの感情が強すぎると、問題への興味を失い、思考が止まってしまいます。そして問題解決では、あまりこの感情との向き合い方について語られてこなかったのではないでしょうか。このネガティブな感情と向き合い、考え続けるためには、これまでの考えと新たに浮かんだ予想との「ギャップ」を活かすことが重要です。このギャップを埋めようともがくことで、思考が持続するからです。そのためには、問題の「わかっていること(条件文:例えば、何人でわけられますか?)」と「求めること(求答文:例えば、3人で同じ数ずつ分けます)」を再確認することが効果的なのです。これによって、新しい予想や疑問が生まれ、「これはどういうことだろう」「確かめてみよう」と予想がふっと立ち上がり、思考が続いていきます。これが行き詰まった現状と予想から生まれたギャップを埋めるためには必要なのです。そして、このプロセスを実現するには、じっくりと考えるための十分な時間が必要です。より多くの学習内容を身に付けようとする学び方とは相容れません。

 

ここで私たち教師ができるサポートは、子どもが自分で導き出した結論を尊重し、教師がその問題解決のプロセスとそこでの感情を支えることは非常に重要です。湯傷待ったときに思考のギャップを乗り越えるには、心理的な安心感と「やってみたい」「もしかしたら?」という挑戦する気持ち、自信が欠かせません。子どもの思考や興味に敏感になり、その挑戦を励ますことはその場にいる教師にしかできないことなのです。

 

問題解決し、感情に対処できる優れた数学的思考者を育てるためには、「質問すること」「チャレンジすること」「ふりかえること」の3つが重要です。

 

1. 質問すること

 数学的探究において、質問する力を身につけることは非常に大切です。疑問を持つことで、知識や情報に頼らず、自分で思考を深める鍵となります。質問を通じて、予想を立てたり、疑ってみたりする探究心が育まれ、数学的思考が鍛えられます。これは教室に一人しかいない教師に対してする質問よりも、自分自身、もしくは友だち同士で質問し合うことのほうがより効果的です。自問自答することは思考の習慣です。

 

2. チャレンジすること

 予想を立て、それを検証し、修正する過程で数学的思考が発展します。正解を求めるだけでなく、予想を立てて挑戦できる環境を整えることが、子どもたちの成長に繋がります。「やってみよう」と思えるような環境には、ギャップを埋めるために条件文や求答文に立ち返ること、そして考え合える学習環境は欠かせません。

 

3. 振り返ること

 自己批判や異なるアプローチを求める姿勢が大切です。自分の考えを振り返ることで、方向性を修正し、他者との合意を求める力が養われます。「数値や式が正確か」「他の方法はないか」「どこで予想がひらめいたのか」「似たような問題はないか」「他の問題でも同じことがいえるのか」など、常に自分の頭をモニターすることとなります。

 

授業では、正解を求めることよりも、これらの3つの要素を育む文化を作ることが重要です。こうした文化が自然に数学的思考を育てるのです。こういった授業を続けていくと、どんなに美しい解法を見つけたり、どんなに難しい問題を解決したりしても、単に答えを得るだけでは満足できないことがあります。数学的思考の目的は、ただ数学的に考えること自体にあるわけではありません。むしろ、数学的に考える問題解決のプロセスを理解し、それを身につけることで、より広い分野の問題にも応用し、世界の理解を深めるための自己認識(豊かな気づき)を成長させることにあることでしょう。数学的思考は、このように算数・数学を通じて「気づき」を育てる上で非常に効果的な学問なのです。



 

2024年9月1日日曜日

国が想定する教師の「新たな職」

 2024(R6)年8月27日、文部科学省は「「令和の日本型学校教育」を担う質の高い教師の確保のための環境整備に関する総合的な方策について」という答申を公表しました。★1 教師の働き方改革はここ数年大きな話題となってきましたが、その更なる加速化。教員志願者の急激な減少が引き金となった教師の処遇改善、主に教職調整額の割合の引き上げ。さらには、学校の指導・運営体制の充実など。教師を取り巻く環境整備を、一体的・総合的な推進しようとする政策のパッケージです。

その答申文書の結びには、次のように述べられています:

「我が国の学校教育は、世界トップレベルの学力の育成や、知・徳・体にわたる全人的な教育の提供など国際的にも高く評価されている。このような結果の背景には、自己研鑽や学び合いによる教師のたゆまぬ努力と国際的にも長時間の勤務実態がある。

強い使命感や責任感の下で、時に自らを顧みることなく、子供たちのために尽力している教師には、まずもって謝意を伝え、心から敬意を表したい。

しかし、その中で教師が疲弊していくのであれば、それは結果として子供のためにはならない。そのような働き方が、教師の心の余裕を失わせ、意図と反して、教育の質を低下させてしまうことがあるとすれば、これほど悲しいことはない。」

この問題意識は、多くの方が共有できるものだと思います。私も賛同します。同時に、相当の危機感も読み取れます。

一連の政策パッケージの中で、目を引いたは「新たな職」の創設という部分でした。
答申の「(4)組織的・機動的なマネジメント体制の構築」の中に「新たな職の設置」という記述があります(p.41):

「現在は、こうした職務を主として教諭という同一の職が校務分掌の1つとして担っているが、若手教師へのサポートの充実を体制面でも支える新たな仕組みの構築も含め、ベテラン・中堅・若手層の教師が専門性を発揮し、効果的に校務を役割分担しながら、知識や経験の共有や継承を行う体制を早急に整備することが必要である。

このため、学校の組織的・機動的なマネジメント体制の構築に向けて、若手教師へのサポート機能を抜本的に強化するとともに、子供の抱える課題への対応や学校横断的な取組への対応について、学校内外との連携・調整機能を充実させるため「新たな職」を創設し、中堅層の教師をこの新たな職として学校に配置することができるような仕組みを構築することが必要である。」

しかも、

「なお、こうした職務については、教務主任や学年主任、生徒指導主事等のいわゆる省令主任として位置付けることも考えられるが、各学校において組織的に対応が必要な事柄については、地域や学校の状況により異なるとともに、その時々の状況により変動するため、個別に国が一律に法令上の位置づけを与えるよりも、「新たな職」となる教師に対する校長等の職務命令により地域や学校において柔軟に対応できる仕組みとすることが適当である。

また、具体的には第5章において詳述するが、「新たな職」が制度上位置付けられ、配置される場合には、その職務と責任に見合った適切な処遇を図るため、都道府県等において、給料表上、教諭とは異なる新たな級を創設することが必要である。」

各地域や学校が、その状況に応じた、新たな職を考案、創設し、しかも、その処遇についても、相応の仕組みを準備せよと書かれているのです。

これまで、学校における中間管理職的な職が、いたずらに増えてきたように感じていましたが、学校が真に必要とする「新たな職」を、学校が独自に研究し、創設するのであれば、大いに期待できるのではないかと思います。

まさに、このあたりに、私が「PLC便り」で繰り返し主張してきた、インストラクショナル・コーチング導入の糸口(というかチャンス)があるのかもしれません。

『インストラクショナル・コーチング』の筆者ジム・ナイト氏は、その終章「結論:コーチングと豊かな人生」に次のように記しています:★2

「豊かな人生とは、学びのある人生です。そして、学びこそがコーチングの中心にあるものです。私にとっての座右の銘とも言えるピーター・センゲの言葉を紹介しておきましょう。「学習を通じて、私たちは自分自身を再形成する。学習を通じて、以前は決してできなかったことができるようになる。学習を通じて、私たちは、自分の中にある創造する能力や人生の生成プロセスの一部になる能力を伸ばす。私たち一人ひとりの中に、この種の学習に対する深い渇望があるのだ。」コーチは、教室をよりよい学びの場にするために、教師と協力し、この「深い渇望」に働きかけるのです。そして、パートナーシップにより、教師がよりよい学習者に成長することをコーチが後押しするのです。この過程において、コーチ自身も、人や生徒、教え方、コミュニケーションなどについて学び続けるのです。」

先の答申の副題は、「全ての子供たちへのよりよい教育の実現を目指した、学びの専門職としての「働きやすさ」と「働きがい」の両立に向けて」でした。このことの実現に、もっともふさわしい「新しい職」は、このあたりにあるような気がするのです。

今、我々は、教師を取り巻く環境整備の大きなターニング・ポイントにあると言えます。このタイミングで、教師の成長を助け、教師の「働きやすさ」と「働きがい」をサポートしつつ、自らも学び、成長し続ける、そのような「新しい職」を、日本の学校は必要としているのではないでしょうか。



★1「令和の日本型学校教育」を担う質の高い教師の確保のための環境整備に関する
総合的な方策について~全ての子供たちへのよりよい教育の実現を目指した、
学びの専門職としての「働きやすさ」と「働きがい」の両立に向けて~(答申)
(令和6年8月27日)中央教育審議会

★2『インストラクショナル・コーチング』(ジム・ナイト著、図書文化、2024)まもなく発刊予定。

2024年8月25日日曜日

授業観の転換

 

『あなたの授業力はどのくらい?』(J・C・マーシャル/教育開発研究所/2022年p.72)

によると、すべての生徒に力をつけるために長年次のような方法が用いられてきたことが述べられています。

長年にわたって試みられてきた解決策は、教えて、模範を示して、練習させて、そしてテストをすることでした。この教師中心のアプローチでは、教師が教え、教師が模範となり、生徒が真似をします。そして、テストでは基本的に、教師が生徒に教えた知識を生徒が繰り返します。

これは、今でもわが国の多くの教室で見られる光景であろうと思います。それを変えていく必要性は何でしょうか。

前掲書によると、まず「生徒のニーズがこれまでの世代とは大きく異なっていることです。」とあり、また時代の変化により、これからの学習者には「クリティカルな思考、コミュニケーション、協働する力、創造力を発揮する」ことが求められているからだと指摘しています。この21世紀に求められる4つの力は、文部科学省の文書にも盛んに登場しますが、なかなか現場で実現するにはさまざまな困難があるように思います。

そこで、このうまくいかない理由を考えることが、教育を変えていく第一歩ではないかと考えます。

まず手がかりとして、近年日本で出版された授業論をテーマとした本のなかで、『授業づくりの深め方』(石井英真著・ミネルヴァ書房・2020年)を取り上げます。この本は、2020年6月に初版が出て、4年余りで9刷となっていますので、現場の先生方も多く買っていることがうかがえます。この本の「はじめに」で、著者はこの本の狙いとして「日本の教育現場や教育実践研究が蓄積してきた「現場の教育学」を包括的に整理・統合すること」をあげています。

そして、この本の第1章・第4節「授業づくりにおける卓越性の追求」において、「創造的な一斉授業」(練り上げ型授業)が取り上げられています。その授業を取り上げる理由として、「個々人の思考が組織化され思考が質的に深まっていく「練り上げ」のイメージ」(同書23ページ)を引き継ぐことで、形式的な参加型授業を超えて、「創造的なコミュニケーション」をつくり出すことが可能であると述べられています。

この「練り上げ」という言葉は50代以上の先生方には懐かしい言葉だと思います。私が指導主事をしていた90年代終わりから2000年代にかけて、教育委委員会の学校訪問などで盛んに授業に関する指導・助言の一つとして語られたものだからです。「練り上げ」は、学級全体で一つの課題について、さまざまな角度から意見を出し合い、決して一人ではたどり着けないような考え方や見方がそこから生まれるというダイナミックな指導方法です。これがうまくいくと、子どもたちに発見の喜びをもたらしたり、ものの見方の変容まで見られたりしたものです。

ただ、たとえ素晴らしい結果を生み出したとしても、これは「集団」による「一斉」授業であることに変わりありません。日本の授業研究はこのような、言わばこうした「名人芸」のような授業に価値を認め、授業研究などではそれを目指すことを目標としていた時代でした。私自身もそう考えていました。

しかし、その後欧米の授業に触れる機会が多くなり、その考え方を変えました。それは冒頭で紹介した『あなたの授業力はどのくらい?』の第2章「生徒中心の学習方法」に書かれているように「ベンチに座り続けた状態から、生徒を試合に参加できるようにする」ことを大切にするということです。これは、単に参加型授業という、ともすると形式的なものに陥りがちな方法論にとどまることではなく、授業観の転換というべきものです。たとえば、探究型の授業であれば、「教師が説明したり手本を見せたりする前に、生徒が探究するテーマについての理解の共有を行うことが必要」(前掲書80ページ)になります。また同時に、探究の主導権を子どもたちに「譲り渡す」ことが求められます。

「譲り渡す」は、アメリカンフットボールの司令塔・クォーターバックが他のバックの選手にボールを直接手渡すことなどを指します。(同様にビジネスでも仕事を次の人に引き継ぐ際にも使われるようです。)

これは授業観の転換として、大変重要なことです。もっとも、先ほどの『授業づくりの深め方』においても、「ここ一番の場面で、グループ学習を用いて子どもたちに大きくゆだねヤマ場をつくる」(同書144ページ)と、「ゆだねる」という単語が出てきますが、あくまでも授業の方法論の範疇だけの話です。なぜそこを限定的にしてしまうのか、もっと「譲り渡す」を学習の中心にすえてよいと考えます。

「譲り渡す」ことは教師が指導を放棄して、放任することではありません。もちろん教師の指導も入りますが、「生徒の興味関心が学習体験を主導」することが重要なのです。日本の授業論では「教師主体から子ども主体へ」とスローガンは掲げられていても、実際は「伝統的な練り上げ授業」というイメージにとらわれていることが大きな問題です。大学の教職課程の実務家教員たちも自分が現場でやってきた「練り上げ型授業」のイメージを捨てきれないので、当然学生にもそのような授業イメージで指導し続けます。

結果として、この10年くらいの大量退職・大量採用で学校に配属された新規採用の先生方は昔のままの授業スタイルを踏襲しているのではないでしょうか。

『学びの中心はやっぱり生徒だ!』(べナ・カリック+アリソン・ズムダ/新評論・2023年)の第1章に次のような文章があります。(同書9ページ)

いまだに私たちは、すべての人にたった一つのカリキュラムを与え、同一年齢・学年の生徒を集めて一斉に教え、たった一つのテストで学んだことを測るといったような文化に留まっています。

アメリカにおいても、こうした授業が行われていると思いますが、同様にわが国の多くの教室で続いています。先ほどの文の訳注には、この本の翻訳協力者からの次のようなコメントが掲載されています。(同書9ページ)

一人一台の端末を与えられても、紙の代替としての利用で留まっているケースが多いのが現状です。ICT能力の差もありますが、根本には、自分自身がされてきた『支配』を止めることができないという、心理的な問題が大きいように感じています。

教師自身がかつて子どもであったときに、教師によって学びを『支配』されてきた体験から、その『支配』の構造から抜け出すことができないという『連鎖のような教育現象をどこで断ち切るか、転換するかが大切』(同書9ページ)だということです。

先生方には、ぜひこのマインドセットの転換を早急に行っていただくことが重要です。そのための校内研修ならとても意味があります。おざなりの授業研究や研修は必要ありません。これが授業改革の第一歩です。今、「政治・経済・社会」のさまざまな局面で、「変われない・変わらない」ことによる弊害が噴出していますが、まず「教育」がその先鞭をつけて、時代の変化に合わせた「新しいステージ」に入ってほしいと思います。

※次回より私の担当は、都合により3か月に1回となります。

2024年8月18日日曜日

初任者とともに学校を変える

今年の5月。ある記事に目が留まった。それは昨年度採用された東京都新採用教教職員のうち、4.9%にあたる169名が離職したといった内容の記事であった(https://www.yomiuri.co.jp/national/20240424-OYT1T50229/)。

私は小学校教諭として自校の初任者校内指導教諭という立場にある。この立場になって今年度で3年目だ。毎年、1~3人の初任者が着任し、共に働いている。もちろん、この3年間でやめた教員はいない。しかし、周りの学校の様子を聞くと、実は多くの学校で記事にあるような状態が起きている。「5月の大型連休を迎えられなかった。」「休みがちだったが、遂に来られなくなってしまった。」そんな話を聞くたびに、私がどれだけ恵まれているかを実感する。

レベッカ・ピーターソンというある年の最優秀教師に選ばれた教師が「初任者教諭に向けてのアドバイス」として書いた記事を読んだ(https://www.edutopia.org/article/advice-new-teachers-teacher-year)。そこには以下の4点を実行することでなりたい教師を目指すことができると述べられている。

① 日々の振り返りをする。

よかったことやよりよくなるための手立てを出来る限り創り出せる手段(ブログ、メールでのやりとり、SNS等)を使って。

② 見通しをもって、積極的に手立てを打っていく。

何を学ばせたいのかを明確にした上でその過程を組み立てる。その上で、考えた手立てを積極的に実践し、①のように振り返りをする。

③ 協力し合う態度をもつ。

 自分と同じように子どもを教えたり、子どもと喜び合ったり、尊厳や思いやりをもった教師たちと協力し合うこと。一人で仕事を抱えるのではなく、仲間たちと仕事や感情的な負担を分け合うこと。これができると成長はより進む。

④ 我慢する。

 自分自身にも生徒たちにも忍耐強くいること。常に学び続ける。すぐに何か成功をおさめようとするのではなく、忍耐強く少しずつ自身の働き方をよくしていく。それが自分のスタイルを築き上げることにつながる。

どれも魅力的なアドバイス。その中で、私が特に注目しているのは③である。この記事では初任者に仲間を見つけることを提言している。だが、学校の体制として「初任者がよき仲間、先輩を見つけられる仕組み」を構築したらどうだろうか。その取り組みの一例が「メンターメンティー研修」である。初任者であるメンティーが先輩教諭であるメンターから様々な学びを見出していく仕組みである。私は大学院派遣教諭として大学院で学んでいた際、横浜市で進められていたこの研修制度に出会った。それからの4年間、自校でもメンターメンティー研修を充実させるべく、実践を続けてきた。

様々な成果と課題がある中で、一つ言えることがある。それは『初任者を育てることは学校を育てること』ということだ。この4年間メンターメンティー研修の充実を図る中で、若手教諭たちは様々な先輩から学び、自分なりに実践し、それを後輩の初任者教諭に還元するようになった。学校としてそのような風土が出来上がってくると自然と学び合う・支え合う教職員の関係が醸成される。この雰囲気は間違いなく子どもたちにも伝わり、よりよい学びや個性を輝かせる子どもたちの育成につながっていく。『「輝く職員室」が「輝く教室(子どもたち)」をつくる』。私はこの言葉を信じ、初任者と向き合いながら、学校組織がよりよいものとなるように全力を傾注していく。

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 以上は、埼玉で初任者校内指導教諭をしている田所昂先生が書いてくれました。過去4年間、メンターメンティー研修をかなり計画的に行うことで、指導役の彼がいなくてもメンティー経験者たちがメンターになって動かせるまでになっているそうです。(横浜市のこの制度はもっと長いのに、そうなっているところはほとんど聞きません!★)これから、現場での具体的な取り組みを紹介してもらいます。 

★制度があるから、うまくいくのではなく、大切なのは当事者が制度を理解し、自分のものにし、それを年度を超えた視点で磨きをかけていくことです。その出発点になっているのは、『「教師力」向上の鍵 「メンターチーム」が教師を育てる、学校を変える!』横浜市教育委員会著です。「横浜市 メンター」や「横浜市 メンターチーム」で検索すると、ネットでも情報が得られます。メンターとメンティーの両者の成長が見られる事例をご存じの方は、ぜひPLC便り=pro.workshop@gmail.com宛にお知らせください。