2024年9月15日日曜日

授業づくりのための2冊の本の比べ読み

 石井英真『授業づくりの深め方』とキャロル・アン・トムリンソン『みんな羽ばたいて』の比べ読みをしました(飯村寧史・執筆)。

 まず、『授業づくりの深め方』ですが、日本のこれまでの教育や授業の傾向、風潮について、その歴史的な変遷を丁寧に綴っているという印象を受けました。その中で、これまで行われてきた一斉授業の限界を述べ、現状での「わかる」授業、そして将来的には「教科する」授業への移行を提言しています。

 この移行については、第8章で詳しくまとめられています。表にまとめてみました。

一方、『みんな羽ばたいて』は、「生徒中心」をキーワードに、それを実現するために、学校の諸要素をどのように意識し、変えていくと良いかを述べています。

 生徒中心にするのは、筆者の言葉では「在学中でも卒業後の人生でも、受け持った生徒の一人ひとりが有意義で生産的に、そして満足できる人生が送れるように十分な準備をする義務が教師にあるから」という理由からです。したがって、授業での学習内容だけでなく、生徒一人ひとりの個性(境遇や心情も含む)や、その成長に資するもの、所属するコミュニティーの部分にも重点を置くことを主張しています。

 そして、生徒中心を実現するために、教師、生徒、学習環境、カリキュラム、評価、教え方を観点として、それぞれの章でどのような姿や方法を目指すかが具体的に描かれています。各章では読者の思考を促すために、考えるポイントを問いとして提示しており、読者は自分のこととして考えることができるようになっています。

 この2冊の共通点としては、従来型の一斉授業からの転換を述べていることです。後者は海外の教育書ではありますが、変えていくべき従来型の授業は、先ほど提示した表の左端の欄と全く同じです。つまり、変化の必要性は日本も海外もどちらも同じで、そこからのスタートという点は変わりません。ですから、従来型の一斉授業に疑問を抱いている人、変化させたいと思う人が読者として想定されていると言えるでしょう。

 一方、相違点としては、「目的」の違いが最も大きいです。

 『授業づくりの深め方』は、タイトルにもあるように、授業改善を目的とした本です。日本型の従来の授業を踏まえ、この先どのような改善の方向性が良いかを示すことが目的ということです。そういう意味では、日本の教師が、無理なく自分の授業を変えていくために読む本だといえます。

 『授業づくりの深め方』は、確かに無理のない移行を考えているのでしょうが、果たしてそれが学校教育に対して大きなインパクトを与えられるのか、疑問が残ります。「教科する」授業は確かに魅力的ですが、日本の現行の教育制度=教科書使用や単元、教科縦割りなどの条件を満たしつつ、実行可能と言えるのか疑わしいところがあると思います。海外書籍で紹介される「教科する」授業は、従来の制約を脱して、教師が発想を転換したところからスタートしたものです。そういう意味では、現状制度のもとでこの「教科する」授業を目指したところで、「木に竹を接ぐ」ようなものにならないかという懸念があります。

 それに対して、『みんな羽ばたいて』は、生徒中心の学校、授業を実現することを目的としています。ですから、自分で授業を改善することは一つの手段になっていますが、そこが目的ではありません。従来の学校や授業の枠組み、何よりも教師が生徒を見る「目」を大きく捉え直して行くための方向性や手段、実践などが書かれています。

 ここで紹介されている方向性や手段、実践などは、もしかしたら、日本の学校でチャレンジするのには抵抗があるかもしれません。土台となる考え方からの転換は、ともすると、現実離れしたものに見えることもあるでしょう。しかし、先に述べたように、著者の国でも授業は一斉指導が当たり前の時代があり、著者はそこを脱却するために様々な実践を経て、体系的に教育に関する考え方を変え、実践を積み重ねた、という経緯があります。日本で実行することも、不可能とは言えないでしょう。より大きく日本の学校や授業を変えることを望んでいる教師が読む本だと思います。

 また、もう一つの相違点として、教育を変えるための「観点」の差があります。

 『授業づくりの深め方』では、授業づくりの観点として、①目的・目標、②教材・学習課題、③学習の流れと場の構造、④技とテクノロジー、⑤評価の5つを挙げています。それに対して、『みんな羽ばたいて』は、教師・生徒・学習環境・カリキュラム・評価・教え方を観点として設定しています。

 『授業づくりの深め方』の方は、やはり、タイトルどおり、授業づくりに特化していることがよくわかります。いわば、ミクロな視点です。しかし、気になるのは、どの観点についても、「教師」が主語であり、主導する存在だという考え方が貫かれている点です。肝心な要素としての「生徒」が観点の中にありません。確かに、同書では、生徒が自立して学ぶ、主体的に学ぶことを期待して「教科する授業」を志向しているのですが、この観点が欠けていていいのでしょうか。一人ひとりの生徒が決して均一ではなく、「違う」存在である以上、教師主導の授業づくりには限界があるように思います。従来と同様、より上手な先生によって、導かれるような授業ができ上がることは予測できますが、それで主体的な学びになるかどうか疑問です。

 一方、『みんな羽ばたいて』では、より大きな観点設定がなされています。最初に教師のあり方や生徒との関係性、生徒同士の関係性について、考え方の転換を求められます。「授業」を変えることが目的ではなく、その授業を通して、どう一人ひとりをいかし、育てるか、ということに主眼が置かれています。当然、生徒については、生活背景から、学習体験、関心、学び方の癖など、一人ひとりが異なっている、という前提で考えられています。テクニックというよりは、「生徒中心のクラス」、「生徒中心の授業」を実現するために、どのように考え、どのように声をかけ、どのように行動するのか、それを考えてもらう、マクロな視点で書かれた本だといえます。

 以上をまとめると、『授業づくりの深め方』は、従来の日本型授業をふまえ、その延長線上にあるものとしての「わかる授業」「教科する授業」への移行を促すものですが、日本の教育のこれまでの慣習や制度上の制約、あるいは教師主導体制が変わらない以上、実現はやや難しいように思います。

 一方、『みんな羽ばたいて』は、教育の根本から見直すのに大いに参考になる本です。確かに日本の教育の慣習や制度は強固で、覆しにくいものを感じます。しかし、生徒中心のクラス、授業にはしたくない、と思う先生が果たしているでしょうか。教師であれば、誰もが理想としながらも、実現は難しいと思って、諦めているだけではないでしょうか。従来の延長、ではなく、考え方の転換によって新しい授業をつくっていく、そう考えたい人にお勧めしたい本です。

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