2025年12月30日火曜日

今年のテレビドラマの主人公たちが教育関係者に投げかけた言葉

●一つ目は、夏に放映された「僕達はまだその星の校則を知らない」の主人公(白鳥君)はスクールロイヤーです。その6回目「秀才にカンニング疑惑!?」で、彼は次のように言っています!(場面は、スクールロイヤーが一つのクラスの生徒たちに話していたところです。確か、18分当たりだったと思います。)

白鳥:「カンニングの罪深さは、テストと言う存在自体の罪深さに内包される。勉強とは本来自分のため誰かのためになる。宇宙の一部でいるのに役立つ。そういうほわんと温かみのあるものですよね。テストは違う。その温かみとは、全く関係なくただ優劣を測るためだけの鋭敏な物差しです。人間をあえて点数で比較し、1等星をありがたかったり6等星を無視したりする。ただ地球から遠いだけでどんなに輝いているかわからない星もあるのに。

学年主任:何の話ですか。

白鳥:そんなもの差しで未来が決まるなんてぞっとします。その物差しだけを世間がそんなにありがたがあるならカンニングをしたくなるほど、追い詰められる若者が生まれるのも仕方がない気がしませんか。世界には受験がない国もある。この国の価値観や教育のあり方が原因なのだとしたら、若者は被害者ですね。もしね、この国は相手に裁判でもできれば

学年主任:それでも日本の大多数の若者はカンニングをしません。みんな構成にテストを受けより良い大学や職業を目指すんです。

 ちなみに、彼(白鳥君)自身、小学校の6年生のときに学校か文科省を相手取った訴訟を起こそうと、今雇ってくれている法律事務所を訪ねていたという過去がありました!

 

●もう一つは、先週放映された「スキャンダルイブ」の最終回「最終報 歪められた真実」の53~54分と1時間過ぎ~1時間2分です。(こちらは、まだhttps://abema.tv/video/episode/90-2042_s1_p66 で見られます。ちなみに場面は、記者会見での発言です。)

過去を悔やむだけでは何も変わらない・・・私たちが終わらせなければいけない構造が確かにある。忖度、沈黙、犠牲の上に成り立つ成功、そういう仕組みを次の世代に引き渡してはいけない。その構造を終わらせることこそが、今を生きる私たちの、そして当事者である私の、責任の取り方だと思っています・・・

いま私たちは時代の変わり目に立っています。古い価値観と新しい価値観の間で様々なひずみが生まれている時代にいます。でも、その混乱の中にこそ変化の芽があると私は信じています。変わるのは、勇気が必要です。声を上げることは、痛みを伴います。でも、それでも、私は信じたいんです。私たちには、変わる力があると。変わるのは、誰かではなく、私たち一人ひとりです。声を上げること、疑問をもつこと、誰かの痛みに想像力をもつこと、それが新しい風を吹かせる力になります。未来は、待つものではなく、つくるものです。今、この瞬間が、その始まりになればと心から願っています。

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 たかがテレビドラマですが、されどテレビドラマです。教育界の人がほとんど言わないことを、ズバッと言い切っていると思ったので、年が明けてしまっては紹介できないので急ぎアップしました。

 あなたも、このようなテレビ、本、SNSなどいろいろな媒体で紹介に値すると思われた言葉に遭遇していたら、ぜひ紹介してください。お願いします。

2025年12月28日日曜日

教育の新しいうねり ~ 『一人ひとりを大切にする学校』のアクティブ・ブック・ダイアローグ(ABD)へのお誘い

  以下に紹介するのは、そのオーストラリア版です。オーストラリアにおける現在の様子が、よく伝わってきます。しかし、その出発点はアメリカのロードアイランド州の州都プロビデンスに開校したMETという学校でした。一つの学校から出発したうねりは、いま世界に270校(アメリカ国内は、その半分の140校)ぐらいのネットワークに広がっています★。2000年代には、ビル&メリンダ・ゲイツ財団から多額の資金提供を受けていたことでも有名です。

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Big Picture Education Australia(ビッグ・ピクチャー・エデュケーション・オーストラリア)は、オーストラリアの教育における重要な変革を促進することを目指し、地域社会との連携を通じて革新的で個別化された学校づくりを推進・支援しています。

私たちは、画期的な公立学校の設計、新しい教育モデルの研究と普及、学校や地域社会のリーダーとなる教育者の育成、そして若者の教育に地域社会の人々が積極的に関与し、意思決定に参加するための取り組みを行っています。

私たちの哲学の根底には、「一人ひとりの生徒のための教育」という考えがあります。生徒一人ひとりに合わせた教育★★プログラムを提案し、実践しています。

私たちは、本当の学びは、生徒自身が自分の教育に積極的に関わり、教師・保護者・メンター★★★といった身近な大人たちがその生徒を深く理解し、その生徒に合わせたカリキュラム(学習課程)を作り上げる時に生まれると信じています。学校内での学びに加え、学校外での体験が生徒の関心を高め、学びを深めるのです。オーストラリア社会が「テストの点数による成果主義」にとらわれている中、私たちは「一人ひとりに向き合う成果主義」を提唱しています。

現在の公教育システムは、一部の若者のニーズに応えられていません。中には、自分のニーズにより応えてくれることを期待して私立学校に移る生徒もいますが、多くの生徒が公教育から離れ、別の選択肢(オルタナティブ教育プログラム)を選んでいます。もちろん、多くの若者はその後、社会に出て仕事に就くことができています。

 しかし、豊かな国であるはずのオーストラリアで、あまりにも多くの若者が高等教育や就労に進まずに学校を離れてしまっているのは恥ずべき現実です。こうした状況が個人や社会に及ぼす影響は非常に大きく、しかもこの傾向は25年前と比べてもほとんど変わっていません。対策としてこれまでと同じことを繰り返しても、成果は得られていないのです。だからこそ、新しいアプローチが必要とされています。私たちの社会全体で、この教育課題に対して新しい視点で取り組むことが求められています。

Big Picture Education Australiaは、現在の公教育システムでは支えきれていない若者のために、革新的で多様なモデルが必要であると考えています。これは新しい考え方です。これからは、画一的な中等教育のあり方だけが公教育の選択肢であってはならないのです。公教育を支える私たちにとっても、多様な教育モデルが必要です。なぜなら、若者たちのニーズは実に多様だからです。

Big Pictureモデルは、そうした多様なニーズに応えるために生まれました。個別化された学びを通して、一人ひとりの生徒と深く関わりながら教育を行うのが私たちの特徴です。もちろん、私たちのモデルだけが唯一の解決策だとは考えていませんが、私たちはこのモデルが効果的であり、アメリカやオランダの学校で実績があることを証明しています。

私たちは、この課題解決のために新たな対話と行動を呼びかけています。教育成果を向上させるために、新たなパートナーシップや連携、資金調達の方法、学校設計などに取り組んでいきます。

Big Pictureが提供する教育は、リアルで実践的でありながら高度に個別化されたもので、学校での教科学習と実社会での学びをうまく組み合わせています。これまでの教育モデルをひっくり返し、生徒本人の情熱や興味・関心を学びの中心に据えるアプローチです。

海外での取り組みにおいても、この統合型学習フレームワークが生徒の学びを高めるうえで非常に効果的であることが示されています。Big Pictureの学校が成功し普及している理由のひとつは、非常に高い出席率(平均94%)と極めて低い退学率(平均2%)を実現している点にあります。アメリカでは、Big Pictureの卒業生の99%が大学への進学を果たしています。これは、Big Pictureが生徒たちに進学に必要なスキルや支援を提供している証拠です。

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 以上の内容は、かなりの部分、今の日本にそのまま言えてしまう、と思われませんか?

 1月31日(土)に、このBig Pictureの出発点となったMETの創設者であり、20年間以上そこの校長をしていたデニス・リトキー氏が書いた『一人ひとりを大切にする学校』のアクティブ・ブック・ダイアローグ(ABD)を行います。

 本には、これからの学校に求められているものが明確に(しかも、生徒たちの声を中心に)書かれています。私たちに問われているのは、求められているものと現状とのギャップをどうやって埋めていくかです!(その辺まで、当日は話し合えたらいいのですが・・・・ABDは短時間で本の内容を理解することと、対話を通じて新たな気づきを得ることが目的であることを考えると、1月31日以降が大切になりそうです。

テキスト

AI 生成コンテンツは誤りを含む可能性があります。

★そうなんです! 教育には、食べ物、着る物、音楽、ドラマ/映画、ゲームなどと同じように、もはや国境はないはずなのですが、日本の教育界は国境線を引くのが相変わらず好きです。どうしてでしょうか?

★★これの授業版は、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』と『学びの中心はやっぱり生徒だ!』で紹介されています。

★★★校内のよき先輩的な存在ではなく、地域の仕事をもった(生徒のインターン先の)社会人のことを指します。

出典: https://cookshill-s.schools.nsw.gov.au/our-design/big-picture-network.html

参考: https://www.themethighschool.org/METのホームページ)

    https://www.bigpicture.org/ (Big Picture のホームページ)

    https://www.nextschool.org/ (Big Picture の考えをインドに根付かせようという動き:小学校レベル)

    a town torn apart film - Google 検索 ないし https://x.gd/Bac7v (著者のDenis Littky氏が80年代から90年代の初めにかけて(?)校長を務めたニューハンプシャー州ウィンチェスターにあるThayer High Schoolでの体験を映画化したもの。こんな保守的な高校と地域ですら、METBig Picture に加盟する学校が今していることは、やれてしまった!! ということは、やり方次第と、関係の築き方次第?)ちなみに、本物のリトキーさん、この俳優そっくりです!

 

2025年12月21日日曜日

教師の授業、考え方、あり方を変える研修方法としてのコーチング

 このブログもはじめてから14年が経ちます。

 その目的は、教師のメインの仕事である授業を飛躍的に改善することであり続けています。それを実現するための教員研修(教師の学び)関連の書き込みで主だったものを挙げると、次のようなものがあります。

https://projectbetterschool.blogspot.com/2024/10/blog-post_27.html

https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/05/blog-post_20.html

https://projectbetterschool.blogspot.com/2016/03/blog-post_20.html

https://projectbetterschool.blogspot.com/2016/07/blog-post_10.html

https://projectbetterschool.blogspot.com/2015/03/blog-post.html(特に、表の一番右)

https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/03/plc_18.html(特に、「学びの原則」)

これら以外の他の記事に興味をもたれた方は、左上の検索欄に「教員研修」や「教師の学び」を入力して検索すると、たくさんの記事を読めます。

 

 教員研修が機能していないという視点で、機能する22の方法を紹介したのが『「学び」で組織は成長する』(光文社新書、2006年)という本でした。しかし、残念ながら、教員研修はそれから20年間、従来の校内研とセンター研修に固執し続けて、教師の学びが確保されているとは言えない状態が続いています。

 時期が熟すのをこれ以上待てないので、22の方法の一つとして紹介していたコーチングに特化した2冊の本を出すことにしました。1冊目は、すでに出版されている『教師のためのアート・オブ・コーチング』https://www.amazon.co.jp/dp/4571102089/refで、2冊目は来年の2月末に出る予定の『インストラクショナル・コーチング』https://x.gd/P7NeI です。

 それら2つの特徴をまとめたのが、下の表です。


 この表から2つのアプローチの違いは、理解できましたか?

 

●『インストラクショナル・コーチング』

 『インストラクショナル・コーチング』は、学級経営も含めて授業(教え方)★で改善したい点を特定し、それを自分のものにするために必要な知識やスキルを学び、実践をしながら新しい知識やスキルが自分のものになるようにすること(インパクト・サイクルを回すこと)が中心です。

 したがって、https://projectbetterschool.blogspot.com/2015/11/blog-post_29.html

の2つ目の表の一番下の段の「サポート」を確実に実現している方法なわけです。コーチの手厚いサポートによって、教師の8~9割は使いこなせるようになりますから。その際、新しい知識やスキルを達成可能なSMART目標(Specific 具体的で、Measurable 測定可能で、 Achievable 達成可能で、Relevant 関連性あり、Time-bound 期間を設定した目標)ないしPEERS目標(Powerful 効果的か、Easy取り組めそうか、Emotionally compellingどうしても達成したいと思えるか、Reachable達成可能か、Student-focused 生徒中心かのすべてを満たしている目標)を設定することが大切にされています(『インストラクショナル・コーチング』の135~6ページを参照)。この目標設定が、極めてあいまいになっているのが日本の教員研修の大きな特徴の一つです。

 授業改善を実現する一つの効果的かつ達成可能な目標(知識・スキルの獲得)を設定することで、教師は6~9週間という比較的短期間のうちに成功体験をもつことができます。そして、それが次のサイクルを回す大きな動機づけにもなるわけです。生徒にとってはもちろん、自分にとってもいいことは、ドンドン繰り返したいですから。

 平等・選択・声・対話・振り返り・実践・互恵性の七つの原則は、それを見るだけでは当たり前のことが書かれていると思いがちですが、設定した目標を実現するために、コーチと教師が協働し、信頼に基づき、そして共に成長できるパートナー関係を築くための不可欠かつ決定的な要因なので、たとえコーチングを受けなくとも、『インストラクショナル・コーチング』を読んで自分が実践できるものにしてください。なぜなら、他の教師のコーチにならなくとも、教師として生徒とのパートナー関係を築く際にそのまま使えるからです(使わなければ、いい授業/生徒が夢中で取り組む授業は難しいでしょう!)。

 すでに紹介した「パートナーシップの原則」と「インパクト・サイクル」の他にもインストラクショナル・コーチングが成功する要因として、インストラクショナル・プレイブックhttps://projectbetterschool.blogspot.com/2024/07/blog-post.htmlの存在や、データ重視の進め方があります。

 

●『教師のためのアート・オブ・コーチング』

 『教師のためのアート・オブ・コーチング』の目的は、もちろん『インストラクショナル・コーチング』と同じように教師や管理職の行動を変えることなのですが、それを実現する方法として対象者の信念、価値観、感情、あり方を扱うところに特徴があります(トランスメーショナル(変革)コーチングという名称を使っているぐらいです!)。そのために、コーチと対象である教師ないし管理職は、心理的安全性と信頼関係を構築するためによく聴き、よく問いかけるだけでなく、ほどほどに自己開示もします。

 「年間サイクル」は、1年間に一つのサイクルを回すのではなく、ミーティング(毎週ないし少なくても隔週)毎に回している感じです。

 そして、行動の変容は、ミーティングとミーティングの間でコーチと合意したことを具体的な授業改善や行動に移し、次のミーティングでそれを振り返り、さらに修正改善した実行に移すというプロセスを繰り返す形で、小さなステップ(成功)を積み重ねることで、変容が現実の場に根づいていくのです。

 本書の他の特徴(成功の理由)については、https://note.com/coachingletter/m/ma24c24afc5bd の12月10号をご覧ください。

 『教師のためのアート・オブ・コーチング』は、欧米では過去10年ぐらいの間に教育書で最も売れた本の一冊です。昨年、その改訂版が『Arise』というタイトルで出ましたが、10年間の蓄積を踏まえて、ほとんど別な本(というか、さらにレベルアップした内容)になっているので、初版をまだ読んでいない日本の読者にとっては、改訂版から読み始めるのは荷が重いのではないかと判断して、比較的理解しやすく、かつとっつきやすい初版の方を訳しました。

 また、原書のタイトルには「教師のための」はありません。著者は、教育関係者以外の読者も読めるように、コーチングの基本を網羅的に押さえながら、これ一冊があればコーチングができると思ってもらえるように書いています。それが、400ページの大部な本になっている理由です。

 

コーチング便り

 なお、この「PLC便り」の姉妹ブログとして、4つ目の教育ブログ★★の「コーチング便り」https://note.com/coachingletter/m/ma24c24afc5bdを先月からスタートしていますので、そちらも是非ご覧ください。

 

 今回の記事からも、「サイクルを回す」ことが学びを確保するための鍵になっていることが分かります。逆に言えば、サイクルになっていないと、学びを得にくいのだと思います。それは、教師対象の研修にも、生徒対象の授業にも、等しく言えます。

https://projectbetterschool.blogspot.com/2025/09/responsive-teaching.html

https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/06/blog-post_17.html

https://projectbetterschool.blogspot.com/2023/01/blog-post_15.html(教科書や指導案/書は、必然的に直線になってしまい、サイクルにならない?!)

 

★欧米では、学級経営と授業とを日本ほど明確に分ける傾向がありません。分けることによるメリットって何でしょうか? そして、デメリットは?

★★ 残り2つは、WW&RW便り:http://wwletter.blogspot.com/ と  SEL便り:         https://selnewsletter.blogspot.com/  です。

2025年12月14日日曜日

教育は予定調和ではない! 主体が立ち上がるとき、教室は揺れる 〜高学年を担任する「やりにくさ」から考える教育の意味〜

小学校高学年を担任していると、ここ数年とくに「難しさ」を強く感じる場面が増えてきました。これまでは、先生の言うことを比較的素直に聞いていた子どもたちが、高学年になるにつれ、そう簡単にはいかなくなってきます。やりたくないこと、めんどうだと感じること、大変だと思うことに対して、率直に「嫌だ」「納得できない」と声をあげるようになります。自我が芽生え「自分はこうしたい」「これはやりたくない」という主張が、はっきりと姿を現してくるのです。

 

もちろん、こうした姿は担任との信頼関係があるからこそ見えてくる本音でもあります。学校の先生が言うから従う、という段階を越えて、自分らしさを模索し始めている証でもあるでしょう。子どもの成長として、民主的な学びの視点から見れば、とても大切なプロセスだと理解しています。それでも、正直なところ、担任としてはやりにくさを感じるのも事実です。

 

学校は集団で生活する場。一人ひとりの主張を丁寧に聞き取り、受け止めようとすればするほど、学級がうまく回らなくなるのではないかという不安が、担任すると常に

頭のどこかにあります。この葛藤は、高学年特有のものではありますが、どの学年を担任していても、形を変えて立ち現れる難しさなのだと思います。

 

さらに、中学校への進学を控えた時期の子どもたちは、さまざまな意味で過敏になっています。成長のプロセスとしての主張だけでなく、家庭環境や周囲の状況から生まれる不満や不安が、学校という場で強い言葉や反抗的な態度として表れることも少なくありません。

 

本来であれば、一人ひとりのペースを大切にし、その子なりの伸びを丁寧に捉えていきたい。そう思いながらも、学校の中には、それを簡単には許してくれない空気が常に漂っているように感じます。これは一体何なのだろうか、と立ち止まって考えることが増えてきました。

 

学校は組織として動いています。その組織を管理するために、学習の進路や「こうすればうまくいく」とされる指導法、数値化された評価の仕組みが整えられてきました。しかし、その仕組みそのものが、子ども一人ひとりを主体として認めることを、かえって難しくしているのではないか。そんな疑問を抱いていたときに出会ったのが、ガート・ビースタの『教育の美しい危うさ』でした。

 

ビースタはこの本の中で、教育を「予定通りに成果が生み出される技術的な営み」として捉えることに、強い違和感を示しています。教育は本質的に、結果があらかじめ保証されるものではなく、常にリスクを伴う営みであると述べています。子どもを思い通りに成長させることはできず、そこには予測不可能な応答が必ず生まれる。その不確かさこそが、教育を教育たらしめているのだ、といいます。

 

さらにビースタは、近年の教育が「学習」という言葉に過度に集約されていることにも警鐘を鳴らします。どれだけ学んだか、どれだけ成果が出たかという視点だけで教育を語ると、教師の判断や責任、そして子どもとの関係性が見えにくくなってしまいます。学習者中心という言葉は一見すると魅力的ですが、うまくいかなかったとき、その責任がすべて子ども個人に帰されてしまう危うさも同時に抱えています。

 

ビースタは、教育の目的を「資格化」「社会化」「主体化」という三つの領域で捉えました。知識や技能を身につけることは資格化、社会のルールや文化を学ぶことは社会化にあたります。学校教育では、どうしてもこの二つが前面に出やすくなります。しかし、ビースタがとくに重視するのは三つ目の主体化です。主体化とは、子どもが「自分はどう生きるのか」「この状況にどう応答するのか」を、自分自身の問題として引き受けていくことです。

 

高学年の子どもたちが見せる強い主張や反発、不満の言葉は、まさにこの主体化のプロセスの中で生じていると捉えることができます。大人から見れば扱いづらく、学級経営の妨げになるように映るその姿も、子どもが世界に対して自分なりの立ち位置を探している証なのだと、ビースタは示しています。だからこそ教育は、うまくいかない可能性を含み込んだ営みであり、その不確かさを排除してはならないのだと語られています。

 

また、ビースタにとって「よい教育」とは、成果や効率で測れるものではありません。教育とは、子どもが他者や世界からの呼びかけに出会い、それにどう応答するかを試される場であり、そこでは教師の意図を超えた出来事が必ず起こります。教師の役割は、子どもを思い通りに導くことではなく、応答が起こりうる場を整え、責任をもって関わり続けることなのだと述べられています。

 

このビースタの思想に触れたとき、教育は予定調和ではなく、リスクを引き受ける営みなのだという前提に、大きな安心感を覚えました。学級が揺れ動くこと、意見が食い違うこと、すぐにはまとまらないことは、失敗ではなく、教育が生きている証なのかもしれません。学校の仕組みをすぐに変えることは難しいかもしれませんが、その中で子どもたちが主体としての自分を発揮できるよう、形成的評価や一人ひとりに寄り添う実践の価値を、これからも確かめ続けていきたいと思っています。




 

2025年12月7日日曜日

教師と学習者の信頼関係の構築 原則4 すべての学習者を信じる

教師と学習者の信頼関係の構築★1 に関する原則4は、「すべての学習者を信じる(Believe in all your learners)」です。

ここでいう「すべての学習者を信じる」とは、「すべての学習者に進歩する能力がある」と確信することと言い換えても良いと思います。生まれながらにしてもった才能や能力によって決まるという考え方と対極にあるものです。

スタンフォード大学のキャロル・S・ドゥエック教授が提唱した成長マインドセットの考え方そのものです。人間の能力は努力や練習によって成長できると信じる考え方で、困難や失敗を学びの機会と捉え、粘り強く挑戦し続ける特性を指しています。

「すべての生徒を信じる」とは、教師が学習者の能力に対して、成長マインドセットをもつということ言えるでしょう。

ただし、重要なポイントは、成長マインドセットをもって生徒たちを見守っているだけではなく、「行動」を通じて、マインドセットの重要性を示すシグナルを送り続ける必要があると言えます。単に、心の中で「念ずる」だけではダメで、何らかの行動で示さなければ、生徒たちは「信じられている」とは思えないということでしょう。

どのような行動があるでしょうか?

間違いを恐れない姿勢を身につけさせる。例えば、授業中に間違いをしなければ、それは学んでいないか、全力を出し切っていないだけだと説明する。生徒に「間違いノルマ」を割り当てるという、とんでもない提案をする研究者もいるようです。

自分自身がコントロールできることについて、振り返りをさせる。学習者が費やした時間や努力、使用した学習方法などについて、振り返りをさせることで、成長できる余地があることを実感させる。

「気にかけて」くれているということを生徒たちが感じられる行動をとる。情緒面での支援や声がけも大切ですが、何と言っても、教材や授業準備に、教師がどれだけ熱意をもって取り組んでいるかを見せること。つまり、生徒の学びに対して、教師がどれだけ真剣に向き合い、その結果に対して、責任を果たしているかを示すことが大切であると言うのです。

研究においても、ケアリングの大切さは明らかにされているようです。

「研究によって非常に明らかになっていることがある。教師がケアリングな人(自分たちのことをよく考えてくれる存在)だと学習者が考えている場合、彼らは学習内容にますますエンゲージするようになり、わからないことがあれば調査等の知的冒険をし、たとえ失敗したとしても粘り強く学び続ける傾向があるのだ。」(デービス他 2012)

このようにみてくると、教育という営みが、非常に人間的なものであることを、改めて実感させられますね。

気にかけてもらえる(ケアしてもらっている)というのは、大人にとっても、とても重要な意味をもちます。無視という行為は、相手の存在を否定し、孤立感や精神的苦痛を与える行為なのですから。そこから、信頼関係が生まれるはずはありません。


★ サラ・マーサー/ゾルタン・ドルニュイ(2022)『外国語学習者のエンゲージメント』アルク.(原著 Mercer, Sarah and Dörnyei, Zoltán (2020) Engaging Language Learners in Contemporary Classrooms,Cambridge Professional Learning.),p.78.


「教師と学習者の信頼関係を構築するための6つの原則」

原則1 近づきやすさ
原則2 共感的態度で応じる
原則3 学習者の個性を尊重する
原則4 すべての学習者を信じる
原則5 学習者の自律(立)性を支援する
原則6 教師の情熱を示す

注)原則5の「自律性」は”autonomous”の訳語ですが、「自立性」を採用する方が本来の意味に近いと思われます。


2025年11月29日土曜日

AIと教育 その2

 

私の担当した前回の8月の記事で、これからAIが学校教育、特に授業にもかなり入り込んでいくことを述べました。それからわずか3か月しか経っていませんが、その間にも次々とAI関連の進展が続いています。

たとえば、米国のAI企業アンソロピックが開発したAIは、人間の1回の指示で、コンピュータのプログラミング改良の仕事を7時間連続して行いました。また、グーグルの作成したAI科学研究支援システム「サイエンティスト」が新たな研究テーマを考案したことなど、次々と新たな試みが発表されています。(101日付・日本経済新聞)

このAI「サイエンティスト」は、ある科学者が10年かけて考えた成果をたった2日で提案したとのことで、これは実に驚くべき内容です。このようにAIが自律的に作業をこなしていく機能を「AIエージェント」と呼びますが、これが今やさまざまな分野で現実のものとなりつつあります。

教育現場でもこうした「AIエージェント」がいろいろな形で実現していくものと思われます。企業では「AI社長」「AI部長」などと銘打って、経営者・管理職の日々の仕事内容をAIに読み込ませることで、AIが本人に代わりに、部下からの報告を受けたり、相談にのったりすることができるわけです。あるIT企業では、AI社長が社員の人事評価まで行うというところまできているようです。これは極端な例かもしれませんが、これからは管理職の決裁が必要な稟議書などもすべてAIが代行することになるでしょう。学校は企業に比べれば、職階の多くない、比較的フラットな職場であり、それほどのメリットはないかもしれません。それでも事務的な仕事に関しては、確実にその労力は低減されていくでしょう。現状は事務作業が多くて、子どもたちに向き合う時間が確保できないという面もありますので、そこは大幅に改善されていくと思います。

授業に関しては、前回も述べたように、教科書中心の授業を転換する大きなチャンスです。それが実現するかどうかは各自治体の首長と教育長の考え方次第です。これらの関係者の方々には、ぜひその方向転換に全力を注いでほしいと願わずにはいられません。

教師主体から子ども主体の授業へ転換することが、AIの力を借りて、これまでよりもはるかに容易にできるようになります。知識理解の基礎的なところはAIの力を借りて、学習者の興味・関心のもとに進める探究学習をAIと教師のサポートで行うことが可能になります。よくお題目のように言われる「個別・最適化」が本当の意味で実現する可能性が見えてきました。ただ、AI教師が人間教師の仕事のすべてを代行するのは、難しいでしょう。必要なのは人間教師のサポートです。

その際、特に注意すべきことは、次の2点です。

1点目は、基礎・基本の利用以外のところでは、AIに投げかける「問い」の質が重要であることです。AIを使いこなすためには、AIに対して「どう質問するか」が大切だということです。自分がその解決を求めている問題に対して、AIからどのような答えを引き出すのかはすべてこの問いにかかっています。すでにビジネス界では、さまざまな分野で、「こうすると、確実によい答えを引き出せる」といったようなマニュアル本が出版され始めています。今後、その流れはさらに加速されていくでしょう。

教員研修もこれからはAIに対する「問いかけ」の質をどのように上げていくかということが焦点の一つとなります。その方策の一つとして、教育センターも教育における「AIエージェント」の先駆けとして、「AI指導主事」を構築したらどうでしょうか。過去の実践事例、最新の教育データをもとに、ディープラーニングをさせることで、ある程度可能になると思われます。この「AI指導主事」により、現場の先生方はいつでも授業のアイデアや進め方のアドバイスを受けることができるようになります。そして利用者が多くなれば、そのデータから、AIはさらに深化します。学校訪問の形式的な場ではなく、いつでも気軽に相談できる機会が用意されていることで、学校での研修なども大いに変わってくると思います。

気をつけるべき2点目は、AIが根拠とするビックデータには、誤謬やうそが混じっている可能性があることです。これは、なかなか見抜くのは難しいことかもしれませんが、人間教師のチェックが必要なところです。

 

この「質問づくり」にとりかかるにあたって、『たった一つを変えるだけ』(新評論・2015)は触れておきたいと思います。その冒頭の「訳者まえがき」に次のような一文が紹介されています。

 

教育の鍵は、知識よりもむしろ「問いかけること」です。(中略)ワールド・スタディーズが目指すのは、学びかたを学ぶ力、問題を解決する力、自分の価値観を自覚する力、自分で選択できる力です。これは、ひとえに「問いかけ」に、単に質問するだけでなく、子どもたちが自分で疑問点を洗いだし、答を見つけていけるようにすることにかかっています。「問いかけ」は、情報が目まぐるしく移り変わる今日の世界では、私たち教師が子どもたちに提供できる最良のものと言えましょう。(『ワールド・スタディーズ』国際理解教育センター編訳・1991年、15ページ)

 

ここに、AI時代にも通用する「問いかける力」の重要性が指摘されています。

まさに「情報が目まぐるしく移り変わる今日の世界」にあって、マスメディアが流す情報を鵜呑みにせず、それを問い続ける力こそ、民主主義社会を支えていく力になるものと思います。

 

最後に、最近読んだ『タングル』(真山仁・小学館文庫)の一節を紹介します。

(同書131ページ)

「音は波形の曲線で伝わるものです。でも、デジタルは数字で表現するしかない。すると、折線近似と言って、波形を数値として分解して音を構成することになるんです。」

 

AIのすごさは改めて言うまでもないことですが、所詮AIもデジタルで動くものです。先ほどの話は、「デジタルはアナログを完全に再現することはできない」ことを教えてくれるものです。教育においても、アナログの部分を完全にデジタルでカバーすることは困難です。そのデジタルの隙間のところを埋めていくのが、これからの教師の主な仕事ではないでしょうか。その仕事とは、具体的には何なのか。それは後輩のみなさん一人ひとりが実践を通して、ぜひ考えていただきたいと思います。

 

2025年11月23日日曜日

教師が辞めないために(そして、よりよい教師になるために)メンターの存在が大切!

教師が辞める理由は、はっきりした統計があるわけではありませんが、あまり高くない給与、限られたサポート、そして劣悪なワークライフバランスが、あると思われます。しかし、最近の教員不足の議論は、いかに多くの教師を「採用」するかに重点が置かれており、教育行政も、当然のことながら、いかに多くの教師をこの職業に就かせるかに注意を集中しがちである。しかし、雇った教師が数年で辞めてしまってはその政策も税金の無駄遣いになってしまいます。欠けているのは、生き生きと仕事をしてもらう環境や関係をどう作るか、優れた教師に長くいてもらう(「定着」してもらう)だけでなく、新人たちをサポートしてもらうにはどうしたらよいか、といった議論の方が費用対効果が見合っています!

 「教師不足」は、アメリカ等の他国でも長年抱えた課題です。そこで、中学校で教えながら、教育リーダーシップの博士号に取り組んでいるジェシカ・チャットマン先生の、新人教師の定着と教師間のいい関係の構築に寄与するだけでなく、授業を中心に教師の仕事を改善し続ける手段として、なぜ自分がメンタリングに情熱を注いでいるかについて書いた小論を紹介します。彼女は、自分がなぜ教職に留まり続けているのかを考えたとき、他の教師から受けたサポートほど強力なものはなかったと振り返っています。困難を乗り越える手助けをし、目的を思い出させてくれたのは、メンターと言える人たちの存在だったのです。

   *****

気にかけてくれる人

初年度のあった特に困難な日のことを覚えています。同僚の先生との協力がうまくいかず、生徒の行動は手に負えなくなり、自分の授業も手応えがありませんでした。

放課後、一人で教室に座りながら、「自分には良い教師になる素質があるのだろうか」と考えていた時、廊下の向かいにいるベテラン教師の私のメンターが、特に用事もなく、ただ様子を見に立ち寄ってくれました。彼女は私の隣に座り、話を聞いてくれ、励ましの言葉をかけてくれました。そのささやかな行為、その人間的なつながりが、私に教師をし続けるために必要な安心感を与えてくれたのです。

しかし、問題はここです。すべてのメンタリングが同じように機能するわけではないということです。

だからこそ、次に問うべき質問は、「どのようなメンタリング・プログラムが効果的なのか?」です。これを探るため、私は数人の若手教師と話をしました。彼らは、貴重な視点を提供してくれました。(以下に紹介するのは、正式な調査結果の一部ではありませんが、彼らの振り返りを通して三つの大切な特徴が浮かび上がってきたので紹介します。

1. メンターとメンティーの間に共通する特性

一番目の特徴である「共通する特性」は、成功するメンタリング関係にとって極めて重要な基盤を築きます。二人の共通点は、学年や教科といったものかもしれませんが、人種、性別、あるいは教育に対する考え方といったより深い要素を含むこともあります。

ある特別支援教育の教師は、以前に同じ生徒層を扱っていたメンターが、授業計画、個別教育計画(IEP)の作成、そして生徒の行動管理などに関して、いかに意義あるヒントを提供してくれたかを語りました。

高校の数学教師は、二人のメンター(両者ともベテランの教師)がいたと話してくれました。彼女たちはカリキュラム設計やプロジェクト型学習だけでなく、保護者との連絡や学校文化といった、教員養成プログラムでは必ずしも扱われない仕事の側面を乗り切る方法も教えてくれたそうです。

また、幼児教育に携わる別の教師は、当初、メンタリングを自分の不十分さを示すものと見なし、抵抗していたことを認めました。しかし、早期学習についての彼女の核心的な信念を共有するメンターとつながって初めて、その価値を理解し始めました。そのメンターは、彼女が自信と能力を得るのに役立つツールや方法をいろいろ提供してくれました。

これらの話は、思慮深いメンターとメンティーの組み合わせの重要性を強調しています。あまりにも頻繁に、意図的ではなく無作為にペアが組まれてしまう★ため、意味のある影響を与える可能性が制限されてしまうのです。

2. 観察し、観察される機会

二つ目の特徴は、定期的にミーティングをもち、互いの実践を相互に観察する機会をもつことです。私が聞き取りをしたすべての教師が、メンターの授業を観察すること、そして自分自身が観察されることがいかに価値あることだったかを強調していました。本で新しい方法について読むのと、実際の教室で、実際の生徒を相手にそれが実行されるのを見るのとでは大違いです。

しかし、この種のサポートには、意図的なスケジューリングと、学校側がメンタリングを教員研修の重要な一部として優先するというコミットメントが必要です。ある教師は、放課後の自分の時間を定期的に犠牲にして、必ず自分と会う時間を確保してくれたメンターのことを話してくれました(これはメンターの献身を示すエピソードですが、常に期待できるものではありません)。

優れた管理職は、メンター制度のための時間を意図的に優先し、確保することが不可欠です★★。それにより、メンタリングが学校の勤務時間内に価値あるものとして認められ、支援されることを保証しなければなりません。授業について話し合ったり、困難な状況の振り返りをしたり、効果的な指導が実際に行われるのを見たりできることは、新任(や若い)教師が成長するために必要な手段と自信を与えます。

3. 初年度以降も続く継続的なサポート

三つ目の特徴は、メンタリングの継続性の大切さに焦点を当てていました。私は、メンタリングの専門家であるキャシー・クラムが示しているメンタリングの4段階の、特に最後の二段階である「分離」と「再定義」を思い出しました★★★。これらの段階では、メンターとメンティーは同じ建物や同じ教育委員会で働かなくなるかもしれませんが、関係は再定義されつつも、多くの場合、そのまま維持されます。

私が話を聞いたメンティーのほぼ全員が、指導、励まし、あるいは単に成功や課題を共有するために、今でもメンターと連絡を取っているそうです。私もまた、長年にわたり、公私両方で多くのメンターと連絡を取り続けています。持続的なメンタリングは、実務的な事柄を超えて生涯にわたるプロの教師としての成長へと続く絆を生み出します。こうした継続的な関係は、教師としてのキャリアの段階ごとに助言や激励が形を変えていく、 実践的な学びの場であり続けます。

より質の高いメンタリングが、より質の高いティーチングを生む

教育の分野に足を踏み入れることは、一つの到達点があるわけではなく、確かな準備と一貫したサポートを必要とする継続的な旅に出ることを意味します。教職の初年度を終えたからといって、教師がすべてを理解したわけではありません。むしろ、そこからが始まりです。毎年、 状況は新しく変わり、 考えさせられる問いも深まり、 さらなる成長を遂げます。メンタリングは、教師が役割に慣れ、成長していく中で、学びを続け、自信を深めることを可能にする足場を提供します。

メンタリングは、スキルの向上や実践的な知識をサポートするだけでなく、新しい教師が自分自身をどう捉えるかを形づくる上でも役立ちます。若手教師は、教育者として自分が何者なのか、つまり「どう教えるか」だけでなく「教育者としての自分自身」を模索している途中にあり、今まさに職業上のアイデンティティーを形成しているのです。

このプロセスを通して、新米教師を肯定し、挑戦させ、導くメンターは、永続的な影響を与えることができます。この関係は、新しい教師が、複雑で要求の多い仕事で、「自分は認められ、サポートされ、進化していくための力を備えている」と感じるのを助けます。

もし私が学校向けのメンタリング・プログラムを設計できる立場にいるなら、それは意図的であることと長期にわたることの両方を基盤とするでしょう。メンターは研修を受け、サポートされ、報酬が支払われるべきです。マッチングは、メンターとメンティー双方からの意見を取り入れ、思慮深く行われる必要があります。観察、協働作業、そして正直な会話のための確保された時間があるべきです。そして最も重要なのは、このプログラムを初年度で終わらせないことです。教師が新しい役割、新しい生徒、そして新しい課題に直面する翌年以降も継続されるべきです。

メンタリングを教師の選択肢として扱う余裕はありません。教師の離職を食い止めたいと本気で思うなら、 意義があり、ニーズに応え、長く続くメンタリングに資金と時間を投入する必要があります。私自身の話を含め、若手教師たちが共有してくれた物語は、人間関係、支え合う仲間、そして指導は、追加的なものではなく、本質的で必要不可欠なものであると強く訴えています。

 

出典・ https://www.ascd.org/blogs/the-role-of-mentorship-in-teacher-retention

★あまりにも多くの日本の指導教官と新任教師のペアがそうであるように!?

★★メンタリングに直接かかわるメンターとメンティーだけでなく、周囲の人(特に、管理職)の協力は大事! しかし、主役はあくまでもメンティーと、そのサポーターであるメンター(場合によっては、複数いることも)の極めて個人的なやり取りとそれから得られる学びや成長がメンタリングの核心です。

★★★4段階は、創始期(Initiation Stage)、育成期(Cultivation Stage)、分離(自立)期(Separation Stage)、再定義(見直し・再構築)期(Re-definition Stage)。 出典は、Phases of the Mentor Relationship, by Kathy E. Kram (Academy of Management Journal, Vol. 26, No. 4, Nov 30, 2017)

★★★★ 学校で学びを実現するための22の方法の一つとして、メンタリングのやり方を紹介している本に『「学び」で組織は成長する』(光文社新書)があります。

2025年11月16日日曜日

『ほんものの学びに夢中になる』を読んで

小学校と中学校で教える二人の先生の感想(紹介)文を紹介します。


●白井 雄大 さん(佐賀県 小学校)

この本は、「子どもが夢中になる学びをどうつくるか」を、10の視点から紹介してあります。授業の工夫や教材の選び方だけでなく、子どもと世界との関係をどうデザインするかという大きなテーマが語られます。

 第1章では、教材を「鏡」と「窓」に例え、自分を映し出す学びと他者を知る学びの両方が大切だと説かれています。第6章では、子どもが課題をどう意味づけるかが学びの深まりを決めるとし、第9章では「協働」を分担作業ではなく、共に理解をつくる探究と捉え直してあります。そして、本の最後の「おわりに」では、「業務」と「仕事」の違いを通して、教師の本質的な使命について説かれています。

 私自身、現場で教える身として特に共感したのは、「課題をどう意味づけるか」という視点でした。良い課題を用意しても、子どもが自分事として受け取らなければ深い学びにはなりません。子どもが「自分で選んでいる」「自分の思いを重ねている」と感じられる場面をつくることが、教師の役割だと感じました(第4章と第5章)。

 また、対話を通して互いの考えを育て合う姿勢は、学級づくりにも直結しそうです。グループ活動の中で子どもたちが違いを尊重しながら進む姿は、まさに本書が目指す「夢中になる学び」です(第8章)。忙しい日々の中でも、子どもが心から学びに向かう瞬間を支えることこそ、私達教師の「仕事」なのだと改めて思いました。

 

●寺田 愛子 さん(長崎県 中学校)

今年度、教員3年目として中学校3年生の担任、国語の授業は1、3年生を2クラスずつ受け持たせていただいています。高校入試を控えているはずの3年生。受験へ向けたやる気スイッチはどこにあるのか。どうすれば生徒がもっと主体的に学級を動かしてくれるのか。なかなか思うようにいかない学級経営に頭を抱える毎日です。教科においては、初任の年に国語の授業を担当した1年生(今の3年生)と今年の1年生の生徒の雰囲気の違いに戸惑いながら、なるべく生徒が前のめりになって取り組んでくれるような言語活動を模索しています。そのような最中、幸運にもこの『ほんものの学びに夢中になる』を読みました。その中でも一番の悩みであった、無気力な 3 年生のやる気を引き出す方法について、本書の第7章「生徒と一緒に考える成功の定義」を紹介したいと思います。

「教室では、教師が価値を置くものに対して選択的な注意を向けると、生徒たちが自分の価値観を行動ややりとりにどのように反映させているかに気づかなくなるおそれがあります。」(130ページ)

この文章を読んだとき、授業や学校生活の諸場面における、私自身の「選択的な注意」から生まれた発言が、生徒の主体的な言動を制限してはいないだろうかと不安になりました。

国語の授業で言うと、各単元で提示する学びの目的(目指す国語力)ばかり注目して、生徒自身の考えや価値観などを後回しにしてしまってはいないか。生徒の問題行動を指摘するだけで、行動の原因を軽視してはいないか。知らず知らずのうちに投げかけた言葉が、やる気や自信の低下につながっているのではないか。

手立てとして本書で提案されているのは、教師と生徒の併記されたルーブリックをつくり、それぞれに教師がフィードバックをすることです。本書の「生徒の価値観を尊重しながら教師の期待に応える方法を提示すること」こそが、生徒のモチベーションにつながる方法なのだと気づきました。教師が書いたフィードバックを読んだ生徒が何を思うのか。生徒の立場になって考えることがいかに大切か、痛感した次第です。

これからの生徒との関わりの中で、自分一人では解決できないさまざまな場面に遭遇したとき、解決の糸口を見出だしてくれるような心強い一冊です。

2025年11月9日日曜日

教わることより、一緒に考えたい ピアカンファランスが拓く子どもたちの対話の力

 東京大学の一柳智紀さんは、教室で交わされる子どもたちの言葉を「発表的会話」と「探索的会話」という二つの型で整理しています★。

発表的会話とは、すでに整理された考えを筋道立てて明瞭に伝える対話のことです。「ここは76を足して13になるでしょ」「この式を使えば求められるよ」といったように、結論と根拠を整えて他者に伝えるやりとりです。思考を整理し、他者に伝える力を育てるという点で重要ですが、「思考の過程」よりも「結果の伝達」に焦点が当たりやすい側面があります。

一方の探索的会話は、未完成の考えを出し合いながら共に考える対話です。「ここ、繰り上がりはどうなるんだろう?」「うーん、ちょっと違うかも」「こうしたらできそうかな」といった試行錯誤のやりとりです。そこでは、誤りや迷いも含めて思考の生成そのものが共有されていきます。発表的会話が「整理する思考」だとすれば、探索的会話は「生まれつつある思考」です。どちらが優れているということではなく、この二つの会話が往還しながら授業が展開するとき、子どもたちの学びはもっとも豊かに動いていきます。

 

 しかし実際の授業では、教師も子どもも無意識のうちに発表的会話に寄っていくことが多くあることに気付かされます。「できた人いる?」「わかった人、教えてくれる?」と問いかける構造の中で、教師の目線は「理解できた子」に集まりがちです。結果として、いままさに迷っている子どもや、途中で考えが止まっている子どもの声が置き去りにされることがあります。授業を前に進めようとする意識が強いほど(教師も子どもも)、探索の時間は短くなり、誤りを資源として活かす余地が減ってしまうのです。

 

 ワークショップ授業では、子ども同士が支え合うやりとりを「ピアカンファランス」と呼びます。私はこれまで、まず教師によるカンファランスがあり、そのあとに子ども同士のピアカンファランスがあると理解していました。つまり、教師が一人ひとりを支えながら「できるようにする」ことを重視し、その姿を手本にして、子どもたちも「できる子がわからない子に教える」ような小さな相談場面をつくっていくものだと考えていたのです。しかし、最近になってそれは本質を捉えきれていなかったのではないかと感じるようになりました。子どもたちは、誰かに教わることを求めているのではありません。むしろ、自分たちで考えたい、一緒に悩みたいと思っているのです。学びが本当に深まる瞬間には、「一緒に迷い、一緒に考える」仲間の存在があります。教師が支えるから学ぶのだけではなく、仲間とともに探るからこそ学びが生まれる、そのことに気づかされました。

 

 先日の「数学者の時間」でも、そのことを実感しました。授業では、「チョコレートバーゲーム」をアレンジした「タコ焼きゲーム」(3×5のマス目上で順番にタコ焼きを食べ、左上の「タコなし」を食べたら負け)を扱いました。最初にルールを説明すると、子どもたちはすぐに盤面を囲んで対話を始めました。何年生でもできますし、もちろん大人でも考えると面白い問題なので、ぜひ挑戦してみてください!




 

 「これ、ただの運じゃないよね?」

 「ううん、きっと何か勝ち方があるはず」

「先行有利ゲーじゃね?」

 「タコをL字に残すと勝てる気がする」

 「いや、待って。最後に取らせる場所をこっちが決めるんだから」

L字にするため、この斜めにある1個をとらせた方がいいのかも!」

「うーん、どっちだ!?」

 

 このとき、子どもたちは誰かに「答えを教わりたい」のではなく「一緒に考えたい」という欲求に突き動かされていました。教師が正解を与えるよりも、友だちと仮説を出し合い、試行錯誤を重ねる過程そのものを楽しんでいるのです。やがて彼らは、「残すタコ焼きの形がL字になること」と「どちらが先にその形を作らせるか」が勝敗の鍵だと突き止めました。答えは教師が与えたものではありません。探索的会話の積み重ねによって、彼ら自身が到達したのです。

 

 このような場面を見ていると、教師によるカンファランスだけでは本質的に補えない領域があることを感じます。教師はすでに答えを知ってしまっています。だからこそ、どれほど問いかけを工夫しても、どこかで「導く」方向に傾いてしまいます。教師のカンファランスは、発表的会話の要素を帯びやすいのです。もちろん、それは学びの過程で不可欠であり、行き詰まりを整理し、次の一歩を見通す支援になります。

 

 それに対して、子ども同士の探索的会話には、教師には担えない実存的な共感があります。教師は「わかってしまっている存在」であり、子どもたちは「まだわからない存在」です。この非対称性ゆえに、教師はどんなに寄り添おうとしても、「わからなさの只中」に並んで立つことはできません。ピアカンファランスは、その「わからない同士」が同じ地点に立ち、手探りで考えをつないでいく営みです。教師がどんなに緻密に設計しても、この瞬間を再現することはできません。

 

 だからこそ、授業では、教師が「支援する人」としてだけでなく、「聴く人」として教室に存在することが大切になります。子どもたちの探索的会話を守るためには、教師が「未完成の考えが歓迎される時間」を意識的に設計する必要があります。そこでは、途中で止まってもいい、間違ってもいい、うまく説明できなくてもいい。そうした文化の中で、子どもたちは安心して考えの途中を言葉にできるようになります。

 

 ピアカンファランスには、教師には実存的に担えない「わからない同士の探索」があって初めて成立するものです。子どもたちは教師に気づかせてもらうよりも、自分たちで発見したいと強く願っています。実はそこに、学びの根源的な喜びがあります。教師はすべてを導く存在ではなく、その喜びが生まれる環境を支える存在でありたいと思うのです。発表的会話と探索的会話の往還のなかで、子どもたちが互いの「わからなさ」を口にしながら、一歩ずつ学びを紡いでいく。その姿に、学びの本質が宿っているのだと感じます。

 

★『これからの授業研究法入門〜23のキーワードから考える〜』第1章「話し言葉の質」より

 

2025年11月2日日曜日

教師と学習者の信頼関係の構築 原則3 学習者の個性を尊重する

サラ・マーサーさんとゾルタン・ドルニュイさんの著書『外国語学習者のエンゲージメント』から、教師と学習者の信頼関係を構築するための6つの原則を紹介しています。★1 第3回目の今回は、原則3「学習者の個性を尊重する(原著では”Be Responsive to Learner Individuality”)」です。

「学習者の個性を尊重する」というのは、あまりに当たり前過ぎて、具体的には教師のどのような行動を指しているのか、やや漠然としているようにも感じます。原著では、Be responsiveという言葉が使われています。responsiveという言葉の定義を見ると、”responding readily and with interest or enthusiasm”(自ら進んで、そして、興味と情熱をもって応える)とあります。この定義で、少しイメージしやすくなります。★2

同書では、個々の学習者の固有の特徴に注目するということは、「個々の児童・生徒・学生を、教室の外の世界にも生活の場がある一人の人間として、あるいはすでに一定の知識と経験を備えた一人の学習者として理解すること」であると述べています。

また、一人一人と意思疎通を図り、信頼関係を深めるには、さまざまな段階があるとして、その一番の基本は、「学習者の名前を覚える」ことであるとしているのが興味深く感じます。学習者が帰属意識を実感し、大事にされていると思えるからであるとしています。

これ以外にも、個々の学習者との信頼関係を築くための方法がいくつか紹介されています:

  • あいさつを交わし、名前を覚える。
  • 一人ひとりの学習者の個性を把握し、折に触れてそれを伝える。
  • 趣味や学校外での生活について尋ねる。
  • 誕生日を覚える。
  • 授業内容を話し合うときに、個人的な話題や事例を含める。
  • 欠席した学習者にメモや課題を伝達する。

みなさんは、年度当初、生徒たちとの新しい関係を構築するために、どのようなことをされていますか?

私は名前を覚えることが苦手です。顔と名前が一致するまでにとても時間がかかる。直接やりとりをしたり、発言する機会を与えて、それを聞くなど、一人一人と何らかの形で接触する機会をもたないと、記憶に残らないのです。

ここで提案されている方法をみてみても、顔と名前を丸暗記するのではなく、まずは、あいさつを交わして名前を覚えたり、学習者の個性を見極めそれを折に触れて伝えるなど、何らかのやりとりをして、そのプロセスで記憶に残そうとしているように感じます。関与の深さを上げることがキーではないかと思います。

同書には、ルヴィエ=デイヴィスという人の言葉が引用されています。

「時間をかけて、学習者を知り、受け入れ、能力を正しく評価することは、彼ら一人一人との絆を深めるのに大いに役立つ」

この言葉の中に、学習者の個性を尊重することの本質が語られているように思えます。


★1 サラ・マーサー/ゾルタン・ドルニュイ(2022)『外国語学習者のエンゲージメント』アルク.(原著 Mercer, Sarah and Dörnyei, Zoltán (2020) Engaging Language Learners in Contemporary Classrooms,Cambridge Professional Learning.),p.78.

「教師と学習者の信頼関係を構築するための6つの原則」

原則1 近づきやすさ

原則2 共感的態度で応じる

原則3 学習者の個性を尊重する

原則4 すべての学習者を信じる

原則5 学習者の自律(立)性を支援する

原則6 教師の情熱を示す

注)原則5の「自律性」は”autonomous”の訳語ですが、「自立性」を採用する方が本来の意味に近いと思われます。

★2. Responsive Teachingについては、これまでもPLC便りで取り上げています。参考になさってください。PLC便り: responsive teachingの検索結果  

2025年10月26日日曜日

いまよりはるかに望ましい道徳教育を実現するための方法がある

 SEL便り(https://selnewsletter.blogspot.com/2025/10/selai.html)で紹介したのとは少し違った切り口で、道徳教育とSELの関係に迫ってみましたので、その生成AIとのやり取りを紹介します。

あなた: 道徳教育をまともにやろうと思っている教師は、残念ながらあまり多くはありません! いまよりははるかに望ましい道徳教育を日本で実現するための方法はありますか?

ChatGPT:

とても本質的な問いですね。
おっしゃるとおり、「まともな道徳教育」を実現しようとする教師が少ないのは、単に意欲や力量の問題ではなく、日本の制度や文化そのものが「まともな道徳教育」を難しくしているからだと思います★。

では、「いまよりははるかに望ましい道徳教育」を日本で実現するには、どんな方向がありうるのか。
私は、次の3つの筋道をはっきりさせることが鍵だと考えます。


「徳目」ではなく「問い」を中心に据える

現在の道徳科は「徳目(価値項目)」中心の設計になっていますが、これは「正しい答え」を前提にしており、子どもたちの内面の探究や葛藤を抑えこみがちです。
望ましい道徳教育は、「この場合、どう生きるのがよいのか?」「なぜそう思うのか?」という**探究的な問い(inquiry**から出発することです。

たとえば、

「正直はいつでもよいことか?」
「人を助けることと、自分を守ることがぶつかったら?」
といった矛盾や葛藤を扱う。


「語り合う場」をコミュニティーとして再構築する

多くの学校では「話し合い活動」は形式的です。
しかし、本当に道徳が育つのは、「異なる考えをもつ仲間と、安心して葛藤を語り合える場」ができたときです。
そのためには:

  • 教師が「正解を導く人」から「聴く人・ともに考える人」になること
  • 発言が評価や指導の材料ではなく、「その人の声」として受けとめられること
    が不可欠です。
    つまり、道徳の授業を民主的対話の実践にすることが核心です。

SEL(社会情動的学習)」との接続

欧米で進んでいるSELSocial and Emotional Learning)は、徳目の押しつけではなく、自己理解・他者理解・関係づくり・意思決定力などを、体験を通して育てます。
日本の「道徳」はこのSELと統合されるべきです。
たとえば:

  • 感情を認識する言葉を学ぶ
  • コンフリクトを扱うロールプレイを行う
  • クラス全体で「安心して話せる文化」を育てる

つまり、「徳の教科」ではなく「人間関係と感情のリテラシー」を育てる学びとして道徳を再設計することです。

🔹まとめ

「徳目」「問い」へ
「指導」「対話」へ
「評価」「省察」へ

この転換が、「まともな道徳教育」への第一歩です。
そしてこれは、教科書や制度を完全に変えなくても、一人の教師の授業づくりから始められます。★

 

あなた: のなかには、は含まれていることをご存じですか?

ChatGPT:

はい、まさにそのとおりです。
SEL(社会情動的学習)には、の要素が本来的に含まれています。

つまり、あなたの言いたいことはこうですね:

SELをしっかり取り入れれば、自然と「問いによる探究()」も「語り合う共同体()」も実現されるので、わざわざ①②を別に考える必要はない。

その通りです。を実践すれば①②は自動的に満たされるので、最も重要なのはSELの本質を理解して授業に取り入れることです。

言い換えると、

「望ましい道徳教育=SELの実践」

と捉えれば、日本での具体的な課題は「SELをどう教師が実行できるか」に集約されます。


★日本に品質改善を紹介した紹介した人で有名なエドワード・デミングという人がいます(1950年代から1960年代の話です。その恩恵もあって、日本はその後の高度成長に突入していきました!★★)。彼は、組織の中の個々人がいいことができないのは、組織の責任と言い切りました。組織の責任85%、個人の責任15%。でも、15%は個々人の責任なので、変われない/変わらない組織を待たないで、15%の責任を全うすることが求められています。

 それはまさに、ChatGPTも提案していた「教科書や制度を完全に変えなくても、一人の教師の授業づくりから始められます」です。具体的には、https://www.amazon.co.jp/dp/4091045197/ とそのオリジナルのhttps://www.eric-next.org/reflect_read.html#texts の6冊目の『わたし、あなた、そしてみんな』が参考になります。もちろん、https://selnewsletter.blogspot.com/2023/06/sel.html の4冊の本も!

★★産業界は、見事なぐらいにデミングの教えを実践しましたが、教育界は彼の存在すら知らない状態がいまだに続いています! いまからでも遅くはありません。教育の質の改善、取り組みはじめましょう! 道徳に限らず、すべての教科・領域、そして学習指導以外の分野でも質の改善は急務の課題であり続けていますから。

2025年10月19日日曜日

定番の学習活動(課題)をさせることから、より創造的で選択のある学習活動(課題)への移行を

以下の表は、「いい授業」の条件/特徴と「悪い授業」の特徴をChatGPTに出してもらった項目を整理したものです。

納得できる内容でしょうか? 修正したいところや、付け加えたい項目はありますか?

あなたの授業は、いい授業の特徴をより多くもった形で行われていますか?

 よりよい授業をつくり出すのに、あなたが特に気をつけたい項目はどれですか?

 「悪い授業」を一言でいうと、見かけは、学びが起こっているようだが、実際は子どもの学びが成立していない授業。教師は「授業をしたつもり」、子どもは「学んだつもり」になっているが、残るものの少ない「薄っぺらな学びしか存在しない」授業のことです(この問題を文科省も知っているからか、いろいろ提案を出しています!)。

 このように悪い授業といい授業の特徴が明らかになっている中で、前者から後者への移行はどのように実現できるかを尋ねてみたところ、ChapGPTは次の5つの視点というか原則を提示してくれました(文科省も、これら全部ではないかもしれませんが、似たような転換を求めています!)。

  1. 教師中心から学習者中心へ
  2. 一斉進行から学びの個別化へ
  3. 形式的な活動(課題)から意味ある活動(課題)へ
  4. 結果重視から学習プロセス重視へ
  5. 教師の「やったつもり」から教師の省察へ

 こちらも、大切なポイントを網羅してくれていると思いますが、あなたは、それぞれの項目だけでピンときますか(つまり、それぞれの項目で何をどうすればいいか分かりますか)?

 5つ全部について補足説明とそれを実現するための情報源の提供が必要と思いますが、今回は3番目の「形式的な活動(課題)から意味ある活動(課題)へ」に焦点を絞ります。

 『ほんものの学びに夢中になる ~ 関わりあい高めあう授業づくり』(ローレン・ポロソフ著、北大路書房)の第4章に、次のようなエピソードが紹介されています。

 (中学校で国語を教えていた著者は)生徒のほとんどが詩を嫌っていることを知りました。そのうちの一人が、詩の授業が抱える問題をまとめてくれました。「学校で読まなければならない詩はどれもつまらないか、意味不明なものばかり。もし意味があって少しは面白いと思えても、つまらなくなるまでその詩について話さなければならない。そのうえ、その詩についてつまらない作文を書かなければならない。」(『ほんものの学びに夢中になる』63ページ)

 ここでは国語の詩が具体的な例として取り上げられていますが、算数・数学、理科、社会、英語など他教科でも共通に抱える問題ではないかと思います。これまでやられてきた方法だから生徒たちの学びが成立するとは限りませんし、生徒たちにその教科やテーマを嫌いにさせてしまうというのは授業をするうえでもっとも避けたいことです。

 著者は、上の状況を脱するために、生徒が選択できるように複数の活動(課題)を考えしました。それぞれの課題には詩を分析して書く要素が含まれていましたが、その課題はエッセイを書くものだけではありません。思ったことや考えたことを表現するのにも様々な形態がありえますし、複数の形態を組み合わせることもできるようにしました。課題の選択肢には次のようなものが含まれました。

同じようなテーマの詩を集めたアンソロジーをつくる。詩の内容をもとに振り付けをして踊る。詩のリミックスを録音する。BuzzFeedスタイルの「あなたはどの詩ですか?」クイズを作成する。生徒たちが最終的なプロジェクトをイメージできるように、私(著者)自身もそれぞれの課題に楽しんで取り組んでみました(同、63~4ページ)。

 「自分が考えた課題に自分で取り組むのも楽しいことでしたが、生徒たちがどのように課題に取り組むかを見るのは、もっと大きな喜びでした」と書いた上で、具体的に3人の生徒の事例も詳しく紹介してくれています。

 著者は、9つの選択肢を用意しましたが、「クリティカルな読解、創造的な解釈、そして分析を含む、詩に反応する課題を自分で考え出すよう生徒にも呼びかけ」たので、それに反応した生徒たちも少なくなく、より一層創造的かつ本人や周りの人たちにより意味のある作品がつくり出されました。

 生徒たちは機会さえ提供されれば、自分の学びを十分につくり出せるのです! ぜひ勇気をもってチャンスを与えてあげてください。著者は、自分の実践を振り返って、次のようにまとめています。

(生徒は)自分の興味、長所、ニーズ、価値観に最もマッチした課題を選ぶことができれば、自分の学習により強い主体性(エイジェンシー)をもつことができます。さらに、生徒が自分で学習課題を考案すれば、学習方法の選択だけでなく、「自分の声」も手に入れることになります。主体性に、声と選択は欠かせません!(中略)「声と選択」は、生徒をエンパワーするためのキャッチフレーズとなっています(同上、73ページ)。

 教師が(そして生徒も)考えられる学習課題には、次のような可能性が含まれます(同上、65ページ)。

・ビデオを見る。

・複数のひとつながりの問題を解決する。

・ジャーナルを書く。

・親戚/関係者にインタビューする。

・絵本を読む。

・模型をつくる。

・動き(パフォーマンス)の流れを考える。

 このリストが、すべての可能性を網羅しているわけではありません。添付の図表4-2(同、69ページ)をご覧ください。それからも分かるように、冒頭の詩の課題として従来生徒たちが取り組まされていた学習課題からは想像もつかないような多岐にわたる可能性がたくさん見えてきませんか?

  テーブル

AI 生成コンテンツは誤りを含む可能性があります。

 なお、『ほんものの学びに夢中になる ~ 関わりあい高めあう授業づくり』には、上で紹介した生徒が夢中で取り組める課題のつくり方以外にも、PARTⅠでは、生徒にとって学習内容が人生における意味の原点となるようにするための教え方の設計について4つの章で紹介されています(その際、もはや教科書教材だけでは不十分であることが第1章で明らかにされています)。PARTⅡでは、学習内容、学習方法、最終成果物(=評価)のつながりについて3つの章で紹介されています。そしてPARTⅢでは、生徒同士が互いに関わり合うことで、学級がコミュニティーの原点となるようにするための方法が3つの章で紹介されていますので、ぜひ、よりよい授業づくりの参考にしてください。

2025年10月12日日曜日

まちがいや途中の考えを歓迎する教室づくり

  アマンダ・ヤンセン博士が提唱する「ラフドラフト思考」は、数学の授業を「正解を出す場所」から「考えを生成し、練り上げていく場所」へと変える新しい視点を与えてくれます。博士はデラウェア大学の教育学者であり、著書『Rough Draft Math(未邦訳)』★の中で、「生徒が未完成の考えを安心して共有できる場」をどうつくるかを問い続けてきました。その背景には、博士自身の経験があります。体育の授業で人前で失敗することを恐れ、恥ずかしさから授業を避けた時期があり、その体験が「間違うことが怖い」数学の授業への見直しにつながったと語っています。博士は、数学の教室を「人が自分らしくいられる場所」に変えたいと願っているのです。

 

ラフドラフトとは、いわば途中の考え「下書き」のことです。まだ完成していない、確信を持てない、自信のない考えをあえて表現する行為そのものが学びの出発点になります。博士は、教育心理学者ダグラス・バーンズの提唱した「exploratory talk(探究的な対話)」に影響を受けたと述べています。この理論は、ラフドラフト思考の根底にも流れています。ラフドラフト思考が「書くことで考える」学びであるならば、探索的会話は「話すことで考える」学びであると言えるでしょう。どちらも「未完成を大切にする」「他者とともに考えを練り上げる」「言葉を媒介にして理解を深める」という共通の哲学をもっています。

 

ヤンセン博士は、教師が「未完成でいいから話してみて」と呼びかけることが大切だと言います。授業のはじめに「今日はみんなのラフドラフトを聞かせて」と呼びかけることで、子どもたちの発言の空気が変わります。正解を言わなければならないという緊張がほぐれ、思考の途中を出すことが歓迎される文化が生まれます。この「安全な空間」は、探究的な対話が成り立つための条件でもあります。間違いや曖昧さを受け入れ、互いの思考を尊重しながら対話を続けることで、学びは「評価する/されること」から「共につくりあげること」へと変わっていくのです。

 

博士の実践では、授業中に「考えの修正(リビジョン)」を組み込むことが重視されています。ある教師は、授業の最初に問題を解かせ、授業の終盤でもう一度同じ問題に取り組ませました。最初は鉛筆で書き、二回目はマーカーで書く。そうすると、生徒は自分の思考の変化を視覚的に確認でき、「できた・できない」ではなく、「考えがどう変わったか」を振り返ることができるようになります。ヤンセン博士はこれを「学びの成長を可視化する営み」と呼びます。理解とは瞬間的に獲得されるものではなく、修正と生成を繰り返す過程そのものだという考え方です。

 

こうした実践は、小学校にも応用できます。博士が紹介する三年生の授業では、「分数とは何だと思う?」という問いから始まりました。子どもたちは「半分に分けること」「二つに分けること」と自由に答え、それを黒板に貼り出します。授業を重ねるうちに、「分数は二つとは限らない」「等しい大きさで分ける必要がある」といった新しい気づきが生まれ、クラス全体で定義を何度も書き換えていきました。教師が初めから「正しい定義」を与えるのではなく、子どもたちが自らの経験をもとに定義を生成していく。まさにラフドラフト思考が探究的会話へと発展していく姿です。

 

博士は、こうした授業によって生徒のアイデンティティが変わると言います。正解を言える子が評価される教室ではなく、「あなたの考えがみんなの理解を助けたね」と教師が言葉をかける教室では、子どもたちは自分の声に価値を感じるようになります。博士の研究プロジェクト「SMILES」では、高校生を対象に、教師が生徒の発言を肯定的に取り上げる場面が多いほど、生徒全体の自信と集中度が高まることが示されています。誰かの思考を認めることは、そのクラス全体のエネルギーを上げる行為なのです。

 

ラフドラフト思考は、「学びを共同的に生成する文化づくり」と深く関係しています。ラフドラフト思考では、個人が書くことで自分の思考を可視化し、整理し、成長させます。その後、クラスで共有されることで、探索的な対話へと発展します。対話を通して他者の視点に触れ、自分の考えを再び書き直す。書くことと話すことの往還が生まれ、学びが循環していくのです。これが、ヤンセン博士のいう「ラフドラフトを歓迎する教室」の核心です。★★

 

人は新しいことを理解すると、それを昔から知っていたように感じてしまいます。けれども、思考の変化を記録し、振り返ることで、学びが時間をかけた成長のプロセスであることを自覚できるのです。未完成の考えを共有する勇気、そして他者の考えを聴く姿勢。その両方があるとき、教室は「間違いを恐れる場所」から「ともに生成する場所」へと変わります。数学の授業におけるラフドラフト思考は、単なる指導法ではなく、学びそのものを捉え直す哲学なのです。ヤンセン博士の言葉を借りれば、「数学の教室を、正解を競う場から、考えを育て合う共同体へ」。その実現の鍵は、声に出す勇気と、書いて考え続ける粘り強さにあるのではないでしょうか。

 

 

    ヤンセンのラフドラフトマスについては、度々、ポストしてきました。

答えよりも考え方へ 下書きアイディアを共有するラフドラフト思考

https://projectbetterschool.blogspot.com/2020/11/blog-post_15.html

 

子どもの「間違う権利」を尊重した数学的対話のつくり方

https://projectbetterschool.blogspot.com/2025/08/blog-post_10.html

 

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以下のYouTube動画でヤンセンをゲストにラフドラフトマスのマインドについて語られています!

Rough Draft Thinking for the Math Classroom: An interview with Dr. Amanda Janson

https://www.youtube.com/watch?v=N5-i-kitUpQ