2025年9月28日日曜日

良いことや良さそうなことはやめて、もっとも良いことに集中する! (教師と生徒のエイジェンシーで共に創る授業=Co-Constructed Classroom ③)

 https://projectbetterschool.blogspot.com/search?q=Co-Constructed+Classroomの続きです。まだ、本論に入る前の序章の部分が続きます。

 ディラン・ウィリアム(2000年前後に、形成的評価というか「学びのための評価」の効果をイギリスから全世界に発信したメンバーの一人です。これについては、評価の大幅な転換の可能性を書いた『テストだけでは測れない!』(NHK生活人新書、2006年)で紹介しています)の主張を引きながら次のように書いています(Co-Constructed ClassroomKindle版の位置162177)。

 ひとつの方法は、新しいものを加えることばかり考えるのではなく、むしろ何を減らせるかを考えることです。

 ウィリアムは、新しい取り組みを増やす必要はなく、むしろ今あるものの中で最も影響力のあることに集中すべきだと主張しました。

 彼はその後、形成的評価の実践を牽引しました。形成的評価の核心には、生徒の夢中な取り組み(エンゲージメント)と主体性(エイジェンシー)があり、自己評価や相互評価の共同構築、評価基準の理解、評価能力の育成が求められます。

 学校で最も重要な問いは「なぜ?」です。もし私たちが何かをする理由を問い続けて、その答えが生徒の学びに関するものでないなら、それは手放すべきもののサインかもしれません。

 「共に構築する授業」とは、制度(や過去の習慣・慣例)に振り回されるのではなく、私たちが制度を動かし、生徒のニーズに応じて適応・変化させていく場のことです。

 この部分には、とても大切なことが書いてあります!!

 増やすのではなく、減らすことが大事、というのは、まさにその通り!

 教師は、成績づけに翻弄されています。なんの成果も生み出さないのに。単に、過去の習慣・慣例というだけで。前回紹介した「What if?」https://projectbetterschool.blogspot.com/2025/06/teachable-momentco-constructed-classroom.htmlや、今回紹介している「Why(なぜ)?」を考えられない状況に陥っています。これらが問えたら、通知表も指導要録も、ほとんどのテストも消えてなくなるのに!

 そして、「今あるものの中で最も(効果があり)影響力のあることに集中すべき」というのも、ごもっともです。日本の教育界は、その判断ができないことを証明し続けているようなものです。その最たるものが、教科書をカバーしてテストをするという流れ!(いつまで、それをし続ければ気が済むのでしょうか?)。

 当事者である生徒が夢中で取り組めるようにしないと、学びの質と量を向上することは期待できません(教科書をカバーしてテストで成績をつける授業は、教師と生徒の「従順、服従、忖度」の練習が中心です)。

 さらに進むと、(同上、位置196

 それは教師主導でかっちり構成されたやり方をやめて、生徒やその場の状況に自然に応じられるようにすることが特徴です。

ウィリアムが言ったように、「良いことをやめて、もっと良いことのための余地をつくる」のです。と同時に、https://projectbetterschool.blogspot.com/2025/09/responsive-teaching.html のテーマそのものです!

 思い出してください。teachable momentのことを! 指導案通り、教科書通りに授業をすることは、教師だけがコントロールしている授業であり、葬り去らないと、生徒たちはいつまでたってもよく学べない状態が続きます。苦役以外の何物でもないので。「テストのために暗記して、その数日後にはほとんどを忘れる」の繰り返しです(先生たちの多くは、残念ながら、それを「教えること」と錯覚して傾向が見られます。Why? Why? Why? 一度だけでなく、最低でも3回は問うてみてください。

 また、「教師たちは本能的に、生徒のニーズに応じることが良い学びにつながると分かっています。けれど残念ながら、その教師の本能は、柔軟性のない制度化や、すでに述べた一貫性への欲求によって押しつぶされてしまうことが多いのです」(同上、位置204)と書かれています。これを続けることは、悲劇です! どうしたら一貫性の名のもとに幅を利かせ続ける、柔軟性がない制度を葬り去ることができるのでしょうか? それを要求しているのは、いったい誰でしょうか? なぜ? その中に、教師も含まれていませんか?

第1章に入る前の最後で、本の3本の柱(カリキュラム、教え方・学び方、そして評価)についての簡単な紹介が書かれています。

 

カリキュラムについて(Co-Constructed ClassroomKindle版の位置212

私たちは、誰に教えるのかに基づいて、何を教えるかを計画します。

私たちの教室には、どんな文化があるでしょうか? どんなアイデンティティーがあるでしょうか? どんな興味があるでしょうか?

生徒たちが何者であるのかを、私たちはどうすれば知ることができるでしょうか?

そして、どうすればその声をもとに、生徒たち一人ひとりにとって魅力的で、彼らが「自分自身になっていく」こと、そして彼らが生きていく世界の一部となっていくことを支えるようなカリキュラムを作ることができるでしょうか?

 カリキュラム(年間指導計画)について、こんなことを考えている日本の教育行政に携わっている人、研究者、そして先生はどのくらいいるでしょうか?

 教科書や指導書ありきで、これは実現できるでしょうか?

 見取りと子ども理解が、すべてのはじめてであることが明らかになっています。見取りと子ども理解をしている先生は、どれくらいいるでしょうか? その方法を知っている/もっている先生は?

 そこから、何を教えるのか(生徒たちからすれば、何を学ぶのか)、どう教えるのか・学ぶのか、そしてどう評価するのかが始まるのですが、日本の授業はそのように考えられているでしょうか? 「教材研究」という発想が、どれだけズレているかを、その言葉を使う人たちはこれまで考えたことがあるのでしょうか? 一つの教材が、目の前にいるすべての生徒に等しく通用する(届く、興味を沸かせる)ことがあり得るのでしょうか? 

 教科書教材が、「生徒たち一人ひとりにとって魅力的で、彼らが「自分自身になっていく」こと、そして彼らが生きていく世界の一部となっていくことを支える」ようなことはできるでしょうか?

 ここの内容について参考になる本には、『言葉を選ぶ、授業が変わる!』『私にも言いたいことがあります!』『SELを成功に導くための五つの要素』『教科書をハックする』そして、来月刊行される『ほんものの学びに夢中になる』(ローレン・ポロソフ著、北大路書房)などがあります。

 

教え方について(同上、位置218

教師は、生徒がどのように学ぶのかに関心をもっています。

教師は生徒の学習行動を観察し、分析し、すべての生徒が前進できるように、その場その場で教え方を柔軟に調整します

うまくいっていないときに、無理に授業計画に固執することはなく、教室で生徒から受け取っているフィードバックにリアルタイムでやり方を修正していきます。

 生徒の学び方に関心をもっている教師って、どのくらいいますか? それこそが、教えることのベース/基本だと知っている人は?

 下線の部分は、まさに「見取り・子ども理解」=形成的評価 = 文科省が25年前から言い続けている「指導と評価の一体化」と言えませんか?

 通常の教科書(指導書)をカバーする授業でも、これは行われていますか?

 

評価については(同上、位置224

標準化されたテストが当たり前のこの時代において、「柔軟に生徒の理解や進度に応じて行う評価(responsive★ assessment)」は難しく聞こえるかもしれません。しかし、学校での私たちの仕事が、生徒同士を比較して評価することではなく、一人ひとりの生徒が継続的に成長できるよう支えることなのだと気づいたとき、私たちは標準化された状況の「ルール」(外部試験以外の評価において)を手放し、標準化されていない生徒たち一人ひとりにとって公平なアクセスを実現する方向へと進むことができます。

このresponsiveについては、上で紹介したhttps://projectbetterschool.blogspot.com/2025/09/responsive-teaching.html をご覧ください。

 ちなみに、自由進度学習は、responsive teachingないしカリキュラム、教え方、そして評価について、真剣に考えた末の実践といえるでしょうか?

 「序章」の最後には、以下の問いが読者に投げかけられています(最近、こういう問いを提供している教育書が英語では多いです。よく考えて行動を期待しているからだと思います。それに比して、日本語の教育書には依然としていい問いが欠落したままです。そのために、読者は受け身で内容を理解するだけにとどまりがちです。授業でしていることと似ていませんか? そしてそれが、実践につながる度合いが低い理由かもしれません。読者のエイジェンシー/主体性を求めていないので!?)。

 

序章の内容の振り返りのための質問(同上、位置233

  • あなたの教育現場では、どのようなシステムが確立されていますか? それらのシステムは、どの程度硬直的(rigid)または柔軟(flexible)ですか?
  • 生徒とともに学びを「共に構築する(co-construct)」という考え方に対して、あなたはどのように感じますか? エネルギーが湧いてワクワクしますか? それとも、不安や挑戦を感じますか?
  • なぜそのように感じるのか、考えてみてください。多くの人にとっては、統制された、きっちりと構造化された計画に従うことが、安全や安心をもたらします。一方で、それが窮屈でストレスになる人もいます。教育において、あらかじめ決められたやり方や計画に従うことについて、あなたは安心感を覚えますか? それとも、窮屈さや抵抗感を感じますか? ~安心感をもっているからといって、そのままにしてしまっていいのでしょうか? 窮屈さ、抵抗感ないし違和感をもっている場合は、どうしたらいいでしょうか? 何ができるでしょうか?
  • 教育における「一貫性(consistency)」の重要性について、今の段階でどのような考えをもっていますか?(このテーマには今後何度も立ち返ることになるので、今の気持ちを整理しておくとよいでしょう)~ 日本では、この一貫性が殊の外大事にされていますが、「Why?」は考えられていません。それは、子どもたちのためというよりは、大人のため、ないし制度のためなのではないでしょうか? 

しかし、一貫性も悪いことばかりではなく、子どもたち/学習者にとって大事な(いい)面もあります。授業においても、学級経営においても、どんないい点があるでしょうか?

 この後、第1~3章で詳しく、これらカリキュラム、教え方、そして評価について紹介されていますが、これらを紹介し始めたら膨大の量になってしまうので、興味をもたれた方はぜひ原典に当たってください。

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