学校というところ、一貫性(と平等に接すること)を追い求めがちですが、『教師と生徒のエイジェンシーで共に創る授業=Co-Constructed Classroom』は「一貫性を追い求めるよりも、生徒たちの異なるニーズに対応する方が、むしろ彼らのためになるのかもしれません」(同書のKindle版の位置92)と書いています。そのことから、日本の学校教育で殊の外大事にされている「一貫性」がかなりクセモノであることが分かります。
「Consistency」の意味をChatGPTに解説してもらうと、次のようになります。
- それは、同じやり方や基準をずっと守ろうとすること
- ぶれない対応や方針を維持しようとすること
- いろいろな状況や対象に対して、一律のやり方を貫こうとすること
生徒たちに対して同じルールや対応を一貫して適用しようとすることを指します。
要するに、個々の生徒よりも、全体の方が大切ということです。集団生活には欠かせない要素ではありますが、それを大事にするあまり失うものの多さに目をやる必要があります。一貫性と管理、そして「教える側の論理」は、ほぼ同義? ということは、生徒たちがよく学べない条件?? 下に出てくる「teachable moment」や個々の生徒の異なるZDP(最近接発達領域)を活かせない原因?
この点をさらに深く探ると、以下のような問いかけをする必要があります(同、位置94~102)。
もし私たちの教育システムが、生徒それぞれの異なるニーズを念頭に置いて構築されていたら、どんな姿になるでしょうか? ここで言うニーズとは、診断された学習上の違いをもつ生徒だけでなく、さまざまな背景、文化、アイデンティティーをもつすべての生徒のニーズのことです。
もし、生徒が「教師が構築した授業」ではなく、生徒と教師が「共に構築する授業」で学んでいたらどうでしょうか?
もし、カリキュラムを生徒のために創るのではなく、生徒とともに創ることが、生徒たちが生活する世界とつながりを感じる、より力強い学びの体験につながるとしたら?
もし、教え方が柔軟で生徒のニーズを満たすものであり、私たちが働く特定の文脈のなかで生徒のニーズを検討し、彼らのニーズに応じて教えていたら?
もし、すべての生徒が公平に成功と成長にアクセスできるよう、評価が柔軟に変化するものであったら?
もし、生徒たちが自分の学校での経験をよりコントロールできたら、その経験についてどう感じるでしょうか?
もしかすると、彼らは実際に学校生活を楽しめるようになるかもしれません。
これらの問いは、日本でこれまでされたことはあるでしょうか?(あるいは、身近な教育関係者が投げかけていたのを聞いたことがありますか?)
いまある状況とはことなる教育のあり方をイメージできる力は、とてつもなく大きい(と同時に、大切な)気がします。What if(もし・・・だったら)という問いかけができるかできないかは、大きな違いをもたらします。 一貫性を大事にするあまり同じことをやり続けるか、それとも同じところにとどまらずに別の可能性を追求したり、成長し続けられたりするかを意味しますから。
そして、teachable moment(教えるのに最適なタイミング)については、つぎのようにかかれています(同上、位置107~114)。
しかし、教師に必要なのは、目の前にいる特定の生徒たちのニーズに応じて、教えている特定の文脈の中で柔軟に対応し反応する自由が与えられることです。
教師は生徒の話に耳を傾け、生徒の世界を理解しようと努め、学びの体験を共に創り上げる過程において、生徒に声をもたせることができなければなりません。
「共に構築する授業」とは、すべての生徒が尊重され、力を与えられる場であり、教師と生徒が一緒に学びの計画を立て、学びを実践し、学びを評価する(学ぶ内容、教え方・学び方、そして評価の仕方を計画・実施する)空間です。
それは、教師が「教えなければならない内容や方法」で教えなければならないという恐れを抱くことなく、その場で訪れる「教えられるのに最適のタイミング(teachable moment)」を最大限に活かすことを可能にします。
いまは、生徒のニーズに応じたり、生徒と共に創ったりする自由を教師は与えられているでしょうか? それとも、まだ与えられていないでしょうか? 与えられているのに、活かせていないだけでしょうか(それは、なぜでしょうか)?
Teachable momentは、日本語ではどう訳すのがいいのでしょうか? 同じ概念の日本語はありますか?
要するに、教師が「今こそ教えるべき絶好のタイミングだ!」と感じる、生徒にとっての学びの好機のことです。そのために、「見取り」と「子ども理解」はあるようなものとさえ言えるような!!
ChatGPTにteachable momentの意味を尋ねた回答は、次のようなものでした。
具体的には、授業や学習計画に必ずしも含まれていないけれど、日常の出来事や生徒の発言、行動の中で「ここは教えるのにぴったりだ!」と感じられる瞬間のことを指します。
例えば:
- 生徒がある疑問を口にしたとき
- 予想外の出来事が起きたとき
- 生徒の感情や関心が高まったとき
以上からも分かるように、事前に準備したわけではなくても、教師の見取りと子ども理解によって、「今こそ〇〇を教えるのに最適なタイミング」と判断する瞬間です。ある意味では、これなしで、子どもに残る形で教えることは困難とも言えます。教室にいる生徒全員のteachable momentが一致することはほとんどあり得ず、違う方が多いわけですから。そういう状況のなかで教師は何を、いつ、そしてどう教えるのが効果的なかを考え続ける必要があるわけです。これは、なかなか大変な仕事であると同時に、やりがいがあります。当然のことながら、教科書に基づいた指導書があるから大丈夫とか、指導案を完成させて終わりとはいきません。
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