なぜ、これほどブック・クラブにはまっているのか。理由は、いくつかある。
一つには、ブック・クラブはシンプルであるということだ。気軽に実施できる。ブック・クラブは、「特定の本をメンバーが事前に読んできて、面白いと思ったところや考えたこと、そして疑問に思ったことなどについて話し合う会」(吉田新一郎,『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』, 2013,新評論,p.13)というのが基本だから、特別な準備は必要ない。とはいえ、ブック・クラブがあるとなると、必然的に読み方は変わる。皆、話したいところに付箋をつけたり、線を引いたり、時にはノートを作ってきたりする。話したいこと、伝えたいことを選び出しているのだ。
理由の二つ目は、単純に楽しいということだ。本を読むことがこんなにも楽しいことだったのかと、再発見する。これは、おそらく、一緒に語り合う仲間がいるからだろう。仲間と一緒に意味を創り出すということが、「スリル」に満ちた、楽しい体験なのだ。言いたいことが言え、聞きたいことがきける。思いもよらない解釈に出会うこともある。その中で、自分なりの意味や解釈が見出せたり、修正されたりする。また、ブック・クラブでの発言が、仲間に認められることもうれしい。自分自身の存在意義が確認できるのだ。一人で読んでいた時にはなかったことだ。
もう一つの理由、そして、おそらくこれがもっとも重要だと思うのだが、本を読み、語り合うことを通して、主体的で、深い学びが生まれるということだ。英語の授業でブック・クラブを経験した学生は、「これまでは、先生がおもしろいと思うポイントを教えてくれていた。ブック・クラブでは、自分たちでいいところ見つけて交換するので、たくさんの視点が得られる。」と述べている。自分自身が意味を創り出す側に立ったことが新鮮だったようだ。また、先日の教員とのブック・クラブでは、「私たちは、子どもの質問に答えるとき、彼らを非力な存在として扱い、一方的なやりとりをしながらがんじがらめにすることで、教師としての権威を維持しているのです。」(ピーター・ジョンストン (2004)『言葉を選ぶ、授業が変わる』ミネルバ書房,p.146)という一節で、30分以上熱い議論が続いた。このブック・クラブでは、本から離れた議論に発展することが頻繁に起こる。自分自身の日頃の授業や行動と関連付け、振り返り、議論が深まっていくのだ。この日の参加者の最後の発言は、「え!もう2時間経ったの。」だった。
しかし、日本人の本との付き合い方はかなり深刻な状況になってきているようだ。1日の読書時間がゼロの大学生の割合が53.1%となったのだ(全国大学生活協同組合連合会,2018)。半分を超えている!この原因を詳細に調査した、同志社大学学習支援・教育開発センター浜島幸司さんによると「スマホ利用が読書を減少させたという説は支持されない。むしろ、最近の大学生の高校までの読書習慣が全体的に下がっていることの影響が大きい」とのこと(http://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html)。
実は、教員も本を読んでいない。連合総合生活開発研究所の調査(2015年12月)によると、教員の一日の読書時間は、平日は小学校14分、中学校13分(労働者全般 35分)、休日は各42分・32分(労働者全般 69分)だった(渡辺敦司「先生が本を読む時間、15分も取れない!? その深刻な問題」http://benesse.jp/kyouiku/201602/20160226-1.html,)。確かに、今の学校は多忙だが、それだけが原因ではないだろう。もしかすると、教員にも読書習慣がない人がかなり増えているのかもしれない。教科書を教えていれば、授業が成立してしまう、そういった学校教育が何十年も繰り返されてきたのだとしたら、教員が新しいことを学び続ける必要性を感じなくなるのは当然だ。
先生が、本を読んで学んでない(学ぶ時間がない)というのは、かなり深刻な事態だと思う。反論もあるだろう。校内研修もたくさんある、校外での研修でも忙しいと。しかし、それらは「非アクティブ」な学びだ。本を読むことは、時に骨の折れることだ。研修会に黙って座って、その時間をやりすごす方がはるかに楽と言えるだろう。
今一度、本を読むことの価値を見直してみる必要があるのではないか。そのきっかけをつくってくれるのがブック・クラブではないかと思う。学校でブック・クラブをやってみませんか。最初は、数人でいい。小さく初めて、仲間を増やしていけばいい。
教員の学びのコミュニティーづくりは、ブック・クラブから始めることをお勧めしたい。気軽に始められて、楽しく深い学びに発展していくのだから。まずは、我々が「主体的、対話的で深い学び」を堪能しませんか。
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