2022年2月13日日曜日

コロナいじめを未然に防ぐ「コロナ感染したらどうしてほしい?」

「出席停止が終わり登校したら、コロナ感染したことでいじめに会うのではないか?」という相談を保護者から受けました。幸い、子ども自身は友だちやクラスの友だちを信頼しているためその心配は親のみでしたが、このことはどの子も親もあたりまえのように感じていることかもしれません。そしてコロナいじめや差別などは、どんなによい学級・学校経営をしていたとしても、どこにおいてもこれから起こりうる問題の一つです。オミクロン株が猛威を振るっている今だからこそ、改めて子どもたちと考え合いたいことがあります。それは「コロナで欠席すること」についてです。

 

この数週間、コロナ感染者が出たため学級閉鎖や学年閉鎖、中には学校閉鎖となる学校が多々ありました。休み中は「学校が休みになってラッキー。漫画読める!サイコー」「コロナのせいで学校が休みだ。友だちに会えない!」「げげ!オンライン授業あるの!?あれ疲れるんだよね」なんて子もいたかもしれません。しかし、もっとも素直な子どもの反応として「コロナになった人はだれだろう? 知りたいな」とか「自分がもしコロナになってしまったら、ヒミツにしておかないといけないのかな」「コロナにぜったいなっちゃいけないんだ」などと、考えてしまうこともあるはずです。

 

こういう気持ちを助長してしまっているのが、学校から配布される「コロナ感染者1名、濃厚接触者1名、引き続き感染予防に〜」といった手紙です。匿名で繰り返し子どもや家庭へ知らせることで、問題が生じています。学校側としては、コロナ感染者や濃厚接触者を特定させないことで、いじめや差別を起こさないよう未然に問題を防ごうとしているのかもしれませんが、このような手紙の匿名性により「コロナは秘密にしなければいけないことだ」「コロナにかかることは悪いことだ」と間接的に子どもたちの不安や差別を生んでいます。多くの学校では、職員会議でこのような手紙が子どもたちの不安を増してしまう事の懸念が話し合われていないことが現状です。

 

もちろんプライバシーを保護されることは必要なことです。しかし、実情を匿名で知らせるだけでは、片手落ちなのです。このような手紙が配られると同時に、子どもたちの気持ちにフォーカスする事を忘れてはいけません。

 

まずは子どもたちを安心させる必要があります。それには前提として、コロナになっても、濃厚接触者になったとしても、誰も「自分が悪かった」とか、思わないでほしいことを伝えることです。これだけ世界中に広がってしまっているコロナ。感染予防でマスクや手洗いをしていても、どこかで知らず知らずのうちに、誰もが感染してしまうかもしれません。これはしかたのないことです。もし感染したり、濃厚接触者となってしまったら、まずは何よりも自分と身近な人の心と体の健康を大切にすることを教えてあげることです。そして、「コロナになってごめんなさい」とか「コロナになったからナイショにしなきゃ」「コロナになったらいじわるされそう」などと心配することは全くないことを大人が条理を尽くして伝える必要があります。もちろん、マスクをとって大声で話しかけたりなど、必要最低限の感染予防を怠っている場合は、避難されてしかるべきですが。

 

自分が言われて嫌なことは言わないし、自分が聞かれてほしくないことは聞かない。もちろん、自分が話したくないことは話さなくていいし、自分が話したいことだけを話せばいい。コロナはだれもがかかってしまうことがある。変に恐れずに、できる感染予防をしっかりして、コロナで人を差別しないし、相手が嫌な気持ちなってしまうような意地悪なことを言わないで、思いやりをもっておだやかな生活をただ送ることです。

 

そして子どもたちと話し合いたいこと。それは、「もし自分がコロナにかかったらどうしてほしいか?」「そういう友だちがいたらどうしてあげたいか?」を考え合うことです。私の3年生の学級でも実際に話し合ってみました。すると、もし自分がコロナ感染してしまっても「いつもどおりにふつうにせっしてほしい」「いっしょにあそぼといってほしい」「あまり根ほり葉ほり聞かれるとちょっと困ってしまうので、あまり聞かないほしい」など、ふだん通りに接してほしい意見が多く出されました。

 

一方で「僕は何を聞かれても平気だからどんな質問されてもいい」「私とあそんでいてかんせんしているんじゃないかと心配しているかもしれないので、大丈夫だよって教えたい」「ずっと休んでいたんだから、ちょっとは心配してほしい」などの気持ちも共有されました。また、コロナ関連で欠席していた友だちに対しても同様に「ひさしぶり」「大丈夫だった?」と声をかけ、一緒に話をしたり遊んだりするとのこと。「お休み中にお手紙を書いてあげたい」といった子もいました。もし、これがコロナ欠席ではなく、風邪や腹痛だとしたら一体どのように子どもの反応は変わるのでしょうか。高学年で考えてみるコロナをどう捉えているのか、子どもたちから見えてくることでしょう。

 

優しくしてほしいのか。そっとしておいてほしいのか。何も気にしないで、元気になったらまたいっしょに遊んでほしいのか。自分がしてもらいたいように、その人にもしてあげられるよう、思いやりもって関わってほしいと願っています。それでも、嫌な思いや辛い思い、苦しい思いをするようだったら、家族の人、友だち、そして先生に正直に伝えてほしいこと、解決していけるように一緒に考えていこうとメッセージを伝えました。


本来ならば、コロナ感染したとしても、堂々としていればいいことなのです。中には自分から「風邪みたいなもんで案外大丈夫だったよ」と話したい人もいることでしょう。一方で「コロナのこときいちゃいけないみたいでなんだか心配だな」などずっと抱えてしまっている子もいるはずです。子どもには権利があります。子どもの権利条約12条「自由に自己を表現する権利」です。安心できる学級内だからこそ、コロナ感染についてはタブー視し一切話題にしないといった不自然を教師が装うのではなく、子どもたちとコロナ不安について話し合う機会をみつけ、その心配や思いやりを話し合えるといいです。




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