2021年2月7日日曜日

チームワークと分断

他教科のことには口をはさまないこと。同一教科であっても、他の人の授業には口をはさまない。不文律のように学校に残ってきた文化だ。いまだに、声高にその正しさを唱える人がいることは、驚いてしまう。

「おいおい!我々は誰のためにこの仕事をやっているんだ」と言いたくなってしまう。子どもたちのためでなかったのか。子どもたちのためだったら、同僚にも堂々と主張しようではないか。仲間の誤りを正そうではないか!我々のミッションは、お互いの保身ではないはずだ。

正論だ。でも、自分自身の仕事や作品に批判的なコメントをされることをよろこぶ人はいない。それがいかに建設的で、正しいコメントであってもだ。正論とはやっかいなものだ。

外国語のテストづくりに関する本に、よい問題作成者の資質とは、自分が書いた項目の正当な批判を受け入れる用意があることだ、といった趣旨の記述がある。引用しよう[翻訳筆者]:

「良いテスト問題を書くことは恐ろしく難しいことだ。完璧な問題を作り続けることのできる人はおそらくいないだろう。差し替えの必要があったり、修正が必要な場合もある。改善するにしても、差し替えるにしても、それができるベストの方法は、チームワークを生かすとことだろう。同僚であれば、真剣に仲間の間違いを見つける努力をすべきだ。作成者にとっては、自分が作った問題は、自分の子どものようにかけがえのない、愛おしいものに思えるだろう。たとえそうであっても、出された批判に対しては、つねにオープンで、受け入れる姿勢をもたねばならない。それを可能にする良い人間関係こそが、問題作成チームの望ましい性質なのである。」★

最近「炎上」ということばが流行っている。炎上を恐れていたら口をつぐむしかなくなる。今の社会にはそのような風潮があるのは確かだ。批判を受け入れることのできる器量。それこそが、真の賢明さだと思うが、どうだろう。

ここで強調されているのが、チームワークや人間関係である。

最近の日本社会(もちろん学校も)において、正論はチームワークを育てるどころか、チームを分断する役割を果たしていたりする。異議をとなえる者は「敵」とみなされるのだ。

学校の同僚は、ともに力を合わせて、より良いものをつくる仲間に、なれないのだろうか。そのようなチームづくり、言い換えると、学校文化づくりが、学校の重要な課題であることにもっと多くの人に気づいてほしいものだ。

★Arthur Hughes (1990) Testing for language teachers, Cambridge University Press. p. 51.

原文 “The writing of successful items (in the broadest sense, including, for example, the setting of writing tasks) is extremely difficult. No one can expect to be able consistently to produce perfect items. Some items will have to be rejected, others reworked. The best way to identify items that have to be improved or abandoned is through teamwork. Colleagues must really try to find fault; and despite the seemingly inevitable emotional attachment that item writers develop to items that they have created, they must be open to, and ready to accept, the criticisms that are offered to them. Good personal relations are a desirable quality in any test writing team.”

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