「批判的な読み」の大切さはいろいろな場面で指摘されているわけですが、それを実践する場の一つとして「ブッククラブ」があります。人は所詮自分の視点でものを見たり、書いたりするわけですから、偏りがあります。そのバランスを取るための方法の一つが、「ブッククラブ」のような場で、自分以外の多様な意見に接することです。
「『学び』で組織は成長する」(光文社新書2006)にも紹介されていますが、「ブッククラブ」(読書クラブ)は組織内での研修手法として効果的なものです。忙しい職場でも、今はオンラインでやり取りできますし、離れたところに住むメンバーでもコメントのやり取りはSNSやメールでできるわけですから、非常に便利になったものです。
最近『江戸の読書会』(前田勉・平凡社ライブラリー2018)を読んだのですが、そのタイトルにもあるように江戸時代に「読書会」が盛んにおこなわれていたことを知りました。
同書の「はじめに」には次のように書かれています。
明治の自由民権運動の時代は「学習熱の時代」であった、と評したのは、民衆思想史のパイオニア色川大吉である。1880年代、現在、名前が判明しているだけでも、2000社を超えるという全国各地の民権結社では、演説会や討論会が催され、国会開設の政治的な活動をするばかりか、定期的な読書会も開かれ、政治・法律・経済などの西欧近代思想の翻訳書を読み合い、議論を闘わせた。この時代の民権結社のほとんどは「学習結社的な性格」を備えていたのである(色川大吉『自由民権』岩波新書1981年)。
2000社を超える民権結社があったことも驚きですが、著者の前田さんはさらに続けてこう書いています。
討論会などは、はたして本当に、明治になってから始まったものなのであろうか。
ここで、示唆を与えるのは、蛙鳴群(現在の岡山県にあった結社)の午前中に設定されていた「法律書会読」をするという読書会である。この「会読」は、定期的に集まって、複数の参加者があらかじめ決めておいた一冊のテキストを、討論しながら読み合う共同読書の方法であって、江戸時代、全国各地の藩校や私塾などで広く行われていた、ごく一般的なものだった。
「会読」(かいどく)が共同読書であり、あらかじめ決めておいたテキストを読んで、それをもとに討論が行われ、しかも全国の藩校や私塾で一般的に用いられていた学びの手法であったということです。私たちの感覚からすると、日本では民主主義社会になって初めて「討論」することが始まったのではないかと考えて当然だと思いますが、実は江戸時代から共同読書があったという事実は意外です。これが自由民権運動以降、下火になってしまったのは残念です。先ほどメールでの読書会も可能という話もしましたが、できれば対面でやれればさらによいのかもしれません。『江戸の読書会』のあとがきには、著者の大学時代の友人が職場の同僚と30年以上も読書会を続けているという話が紹介されていました。校内で、同僚と、あるいは保護者や地域の方たちも含めて、このような読書会を開けたら素敵だと思います。(『ペアレント・プロジェクト』J.ボパット/新評論2002にもそのような実践に役立つ情報が掲載されています。)
このような人とのコミュニケーションやネットワークが、新しいアイデアづくりやイノベーションに大きく作用しているという話が『ソーシャル物理学』A.ベントランド/草思社文庫2018に紹介されています。この著者はMIT(マサチューセッツ工科大学)教授でメディアラボの創立に関わった人で、様々なビックデータをもとに数式を駆使して、集合知やアイデアを生み出す組織のあり方などを研究しているこの分野の第一人者のようです。興味のある方はぜひそちらもご参照ください。
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