2017年10月22日日曜日

「宿題」問題


宿題のテーマでの続編です。
に夏休みの宿題について扱ったのですが、あまり関心をもたれませんでした。時期的に過去形だったからでしょうか?(なので、再度の挑戦です!!)

いま訳している本★の中に宿題に関して「教育のテーマの中で、宿題ほど議論が多いテーマはないかもしれません」と書いてありました。
プラスとマイナス面は、いろいろあると。「ありすぎる」と言った方が正しいです。

実態はほとんど変わらないので、日本でも議論する必要があるはずなのに、波風を立てない文化なので(?)★★、上記の夏休みの宿題で紹介したように産業化(アウトソーシング)してしまうわけです。GNPを上げる仕組みとしてはいいかもしれませんが、それによって私たちはいったい何をうみ出しているのでしょうか? 子どもたちに何を提供しているのでしょうか?

この本の中では、宿題への対処の仕方として4種類の生徒(その後ろにいる親も含む?)に分類しています(訳書の194ページ)。
  やり遂げる子 ~ 親や年上の兄弟姉妹が必要な足場を提供することで、つつがなく宿題をやってのける。
  無視する子 ~ (あなたが理解不能な)何らかの理由で、宿題をしない。
  教師を喜ばせようとする子 ~ 本当はどうしていいのか分からなかったり、たくさんの間違いを犯したりしても、教師を満足させるために宿題を一人でがんばってやる。
  カンニングをする子 ~ 他の子の宿題を写してごまかす。

これだけの多様な宿題へのアプローチの結果、教師がつかまらされるデータについて考えてみてください。(それとも、そもそも日本では、宿題と授業が関連していないことが問題でしょうか?)

本はさらに、宿題を4つのタイプに分けています(訳書の196~197ページ)。
・流暢さを高める宿題 ~ 生徒にすでに知っているスキルの練習をさせるのが目的
・繰り返し(らせん状的に)振り返る宿題 ~ 新しいスキルや概念を学ぶ際に必要な、すでに背景知識となっているものを呼び起こすのが目的
・応用するための宿題 ~ 新しく学んだスキルを異なる状況に応用する機会を提供するのが目的
・拡張/発展するための宿題 ~ 2つか3つの教科で学んだ知識を深めたり、統合したりするのが目的

そして、「応用するための宿題」と「拡張するための宿題」のみが、責任の移行モデル★の中では、真の意味で「個別学習」と言えると言い切っています。(言い換えると、上の2つは宿題としてやらせるのではなく、教室の中で「協働学習」ないし「教師がガイドする指導」の形で行われるべき、と提案しています! 訳書の197ページ)
本の中では、この後、効果的な宿題をつくる際に役立つ質問の例が紹介されています(訳書の199ページ)。

ということで、宿題もいろいろあり、もっと考えたうえで出さないと、学びをサポートすることにはならない、ということです。夏休みの宿題はもちろんですが、日々の宿題についてもぜひ再考をお願いします。(ちなみに、宿題は親抜きで考えること自体、おかしいようです。宿題をしたか否かの監視役を務めさせては、親子関係を傷つけたりするだけですから。)


★ すでに、「責任の移行モデル」は『「読む力」はこうしてつける』の66~68ページで紹介しましたが、その方法があまりにもいいので(65~66ページで紹介されている「ナチュラル・ラーニング(自然学習)モデル」は、もっといい!!)、なんとか紹介できないか、とずっと思っていました。それが、単に読みの教え方だけではなくて、すべての教科、すべての対象を扱った教え方としても使える、という形で紹介されている本があったので、紹介することにしました。11月中旬にはダグラス・フィッシャー&ナンシー・フレイ著『「学びの責任」は誰にあるのか? ~ 「責任の移行モデル」で授業も研修も変わる』新評論として出版予定です。
  この本の中では、教師から生徒への学びの責任の移行は「焦点を絞った教師の指導」「教師がガイドする指導」「協働学習」「個別学習」の4つで構成されています。
  焦点を絞った教師の指導は、ミニ・レッスンです。
  宿題は、個別学習の一つの方法です。
  http://wwletter.blogspot.jp/2017/08/blog-post_11.html ~ 読むときは、個別学習の中心は、一人読みになります。日本では、これが見事なぐらいに国語の時間で無視されています。(ということは、自立した読み手を育てることは目的にしていないことを意味してしまいます!)その代わり、日本の国語で(および他の教科でも)行われているのは、「焦点が絞られない教師の指導」ばかりです。最近は、協働学習も増えているでしょうか?
  この本を読んで、バランスのいい指導を実現してください! 子どもたちも、研修等の受講者も、それを求めています。

★★ 私も、宿題が欧米の教育界では注目の話題であることは、ほんの2~3年前までは知りませんでした。如何せん、日本では議論にさえあがりませんから。あって当然な存在で、それに異論を挟む余地などあろうはずがない、という空気が充満しています。しかし、その中身や量に関しては、いろいろ考える余地は多いのではないかと思います。誰もが思考停止状態でそれをやり続けているのですから。それとも意図的に行われているでしょうか?


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