2015年8月23日日曜日

スポーツのコーチと教師との共通点



この2つには共通点が多いです。

の私以外の感想と、後半は日本にもいいコーチはいるという紹介をします。


● Iさん

観ました。
『奇跡のコーチング』再放送
録画ができなかったので、ぶっ通しで2時間。
感動。

サッカーもテニスも。

コーチングのこの考え方をいつも大切にしていきたいです。
サッカーとテニスのスポーツの特性もあると思いますが、
(私はスポーツをあまりしないのでその辺はよくわかりませんが)
サッカーの回の方が心情に訴える感じ。
テニスの回の方が理論に訴える感じ。

でもどちらも
子どもたちの決断を何より大切にしていました。

そして

リスクを恐れずに攻めろ と子どもに伝えていました。

国民性もあるのかな。それとも本物であるが故、かな。

テニスのコーチが
「楽しさとは、自分で決断できる喜び」と話していました。

私は自分で決断していることがいくつあるかな。
学校生活の中で、子どもたちに決断させていることがいくつあるかな。

私はリスクを恐れずに攻めていることがいくつあるかな。
学校生活の中で、子どもたちにそんなことを話しかけているかな。

そんな風に思いました。

一人ひとりの特性(強み)を言葉で表現し、本人や保護者に伝えているのも印象的でした。
ただ褒めるわけではない。
強みを見逃さずに伝えていく。そんな感じ。

観る価値の高い番組でした。録画したかったなあ。


● Kさん

冒頭のアナウンスに「子どもたちの背中を押してあげること」という言葉が印象的でした。
サッカーとテニスの二人の指導者は,まさに背中を押してあげる指導でした。
子どもはこれから伸びていく能力をもっていて,大きな可能性があることを確信していると感じました。
そんなことは日本のコーチや指導者だって分かっていると思いますが,
指導するときには言動や行動が伴っていないことに気づきました。
サッカーとテニスの二人の指導者は教えるべきことはちゃんと教えていました。
あーしろ,こーしろという指導を日本のコーチと同じようにしていたように思います。
しかし,非常に短い時間に,必要なことを指導しているように思いました。
そして,メンタル面のアドバイスで背中を押してあげているのがうまかった。
一人一人の性格やそのときの心理状態を読み取って言葉をかけていました。
それから,ゲームを取り入れて楽しく遊び感覚で練習することもうまかったです。

サッカーの指導もテニスの指導も同じなんですねぇ。
そして「読書家の時間」や「作家の時間」の指導も共通しているのですよ。(いま、『読書家の時間』をチームの人たちとブッククラブで読んでいます。)
国語以外の教科指導も同じなんだと思います、きっと。

1日目の観察で日本の指導者の課題を見抜いてしまうことに驚きでした。
「子どもに考えさせていない」と。
瞬間的に考えて,決断する。そして,同時に行動する。
日本のコーチや学校の先生だって,そういう子どもを育てようと思っているハズです。
しかし,そういう指導をしていないのではないでしょうか。
繰り返し練習していると身体で覚えて,頭で考えなくても,できるようになると。
ヘンですね。
私もそのような思想になっているのかもしれません。
何とかしなければ。


● Tさんのは、こちらをご覧ください。


◆ Hさんが、自分が楽しく学んだ体験を振り返った中に、日本にも一流のプロはいることを書いてくれていました。

 特筆すべきはテニスのコーチの●●さんです。この方のレッスンはどんな時も安定していて、上質。日々ご自分も戦っているから、同じ話が二度とない、形を変えて大事な話を繰り返してくれる、言葉だけでなく自分の動きでよいプレーを見せてくれる。いつだって上機嫌で誰に対しても同じ態度。尊敬する人 物です。
 その日のレッスンは約15分の始めの3球打ちでみんなの様子を見て決める。と教えてくれたことがありました。8人の生徒たちと一人一人会話します。まさにカンファランスアプローチです。
 我々のへなちょこなどんな球も追いかけて、狙ったところに決めてくる。「いやー、みんなの球はどこにくるかわからないから練習になる」と笑いながら言ってくれる。全日本のベテランで常に上位に入っている実力をもちつつも驕るところがこれっぽちもありません。


◆ 以下は、Nさんが「日本ハム出身コーチに共通する指導姿勢とは?」を読んでまとめてくれたものです。

 ざっくり整理すると、ロッテ黄金時代のコーチたちに共通する要素は、  
1 なんのためのお仕事? 哲学を持っている。選手の前で、腕くんで持論をかざすエラソーな監督ではなくて、選手の成功のため。でなきゃ、あのやんちゃな中田選手は育たないでしょ。  
2 まずはどうやって相手を理解するの? よい指導方法につないでいくためには、各選手との対話、観察があってこと。観点マニュアルも存在するとか。  
3 自分の指導方法をふりかえる日報を指導者は毎日報告していた。これで指導法の改善をはかっていった。     

つまり、1〜3そのまま対応するのが、教育現場で行われるべき教師の姿そのものですね。  
1 なんのため? 教師のカリスマ性を高めるんじゃなくて子どもの成長。  
2 指導法が先にあるんじゃなくて、学習者が最初にいること。だから、対話して観察して相手を理解することでよりより支援ができること。これってコーチングでありカンファランス。  
3 自分の指導を良くしていくためのふりかえりのサイクルを持っている。指導方法を改善していくってこと。     

教室内で常におこっているのは、この「2」の子どもたちを理解する見立てがゆるーいこと。そもそもみていないこともあるかなぁ。教師はここを正視しないと、指導方法が一方的になってしまう。この対話・観察にどう時間をとれるかって、授業構造をワークショップに変えていくことだよねぇ。先生が話しているうちはおおざっぱな観察できても、個別のニーズに応じた対話や観察はできないよね。だから、授業の計画づくりと継続した改善が必要になってくる。     

つまり、1〜3はすべてつながっている。教育哲学があり、それを具現化するためにも相手をよく理解し、つねに自分の指導法をふりかえっている。よいコーチに共通することはよい教師にも共通しますね。  

こういった自分の教育をマクロに観ることも大切な視点ですね。


◆ そして、最後はSさんの「部活の合宿で感じるコーチの教え方の違い」について http://askoma.blog.jp/archives/37732423.html をご覧ください。



■ スポーツの世界と同じで(まだいいコーチは少なく、悪いコーチはたくさんいるように)、いい教師は少なく、悪い教師はたくさんいると言われないようにするにはどうしたらいいのでしょうか?


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