2022年7月17日日曜日

学校運営のあり方を根本的に見直し、私たちに具体的な行動を起こさせてくれる本

訳者の一人の杉本智昭さん(兵庫県の私立中高一貫校で英語と生徒指導を担当している)が、自分にとっての『一人ひとりを大切にする学校』(デニス・リトキー著)とは何かを書いてくれましたので紹介します。


●理想と現実のジレンマを誠実に描いている

『一人ひとりを大切にする学校』は今から約20年前の2004年に出版されたものですが、この本をブッククラブで最初に読んだとき、今の日本の教育に対して書かれているのではないかと思うほど、その内容が新鮮であることに驚かされました。そして翻訳を終えた今、私はこの本がますます好きになっています。その理由は、この本に書かれてある内容はもちろん、私たちが日々感じている!?理想と現実のジレンマを著者であるデニス・リトキーもかかえていることが伝わってくるからであり、「一人ひとりを大切にする学校」をつくろうともがきながら、少しでも「一人ひとりを大切にする教育」をしようとするリトキーの真摯な姿勢や彼の誠実さをこの本を通じて感じることができるからです。例えば、リトキーは成績が主観的で意味がないものであるため成績をなくそうとしましたが、そのときのことをこのように書いています。

私は校長としての在職期間中ずっと、成績をなくそうとしてきました。残念ながら、アメリカでは、成績を廃止しようとすることは、ヤードポンド法を廃止して、メートル法を採用させようとするようなもので、人々は変化を望んでいないのです。保護者に子どもの進歩や状況について、詳細にわたって丁寧に書かれた、物語のようなナラティブを渡しても、「でも、他の生徒と比べてどうなの」とか、「でも、Aをもらえるの」と言い返されてしまいます。私たちはそう考えるよう仕向けられてきたのです。セヤー高校では、成績を廃止しよう努力しましたが、あまりの抵抗に断念し、妥協案を採用しました。成績はそのままに、それにナラティブを加えたのです。

 私が勤務する学校では、教員の多忙化を理由に「働き方改革」と称して、毎学期の成績通知表の所見欄を廃止しました。現在の成績通知表には定期考査の点数と平常点を加味した成績(数字)、評定が書かれてあるだけのものになり、教師からのコメントやメッセージが一切ありません・・・。 これでどのようにして生徒は自分の学びを振り返ることができるのでしょうか? アメリカでは成績をABCDFのアルファベットで成績をつけますが(日本の5段階評定に当たります)、リトキーはこのことについて次のように書いています。

●いましているテストと成績は、怠慢であり、無礼である

これは怠慢であり、無礼であり、私はまったく受け入れられません。教師として、私たちは生徒に何ページも言葉で表現するように求めているにもかかわらず、彼らがどのように進歩したか、そして改善するために何をしなければならないかを伝えるために、A、B、C、D、Fというたった一文字を書くための時間しか費やしていないのです。情けないことです。

また、リトキーはテストについても次のように述べています。

私がとても恐ろしくも、腹立たしく感じていることは、標準学力テストや「成果を出していない」学校への影響について語られる中で、学校が健全な人間を育てているかどうかを誰も測定していないことです。自分の子どもに何を望むのかを人に聞けば、幸せであること、学ぶことが好きなこと、敬意をもっていること、親切なこと、本物のスキルを身につけること、世の中に貢献すること、と答えるでしょう。では、学校が何を教え、どのようにテストを行っているのかを見てください。テストはまったく的外れなことをしています。

 私自身も生徒に、そして私自身の子どもにもリトキーとまったく同じことを望んでいます。そして私だけではなく、多くの人もそのように望んでいるのではないでしょうか? しかし、そのようなことを目的としている学校があまりにも少なすぎます(日本には皆無!? もしあれば、bplearning.japan@gmail.com 宛に教えてください)。今、私たちがテストをしていることで生徒は「健全な人間」に育っているのでしょうか? リトキーはこのテストの弊害について、このように述べています。

本当にひどいのは、ほとんどの学校で、生徒は成績がすべてだと思っていることです。彼らにとって、成績こそが学校の目的なのです。一生懸命取り組んでいる生徒は、「学び」のためというより、「成績」のためにしているのです。努力していない生徒は、あきらめてしまっています。なぜならば、成績が自分の努力に見合っていないからです。そして、Fという成績をもらっても、改善するために必要なことは一切わかりません。

日本の「個別最適な学び」と「協働的な学び」は、もっと大きな視点で見る必要あり!

『一人ひとりを大切にする学校』というタイトルから、今は流行りの!?学校における「個別最適な学び」の方法が書いてあるように思われるかもしれません。しかし、The Big Pictureという原題の通り、本書に書かれてあるのは教師が行う対処的な教育の個別化の方法ではなく、もっと「大きな枠組み」から「一人ひとりの生徒を大切にする学校」のアプローチです。このことは副題のEducation is everyone’s businessにもよく表れていて、そのような理由から、当初私はこの本の副題を「大きな枠組みをもった小さな学校」や「大きく学ぶ小さな学校のつくり方」としていました。(ちなみに、『「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実』★などを読むと感じられるかもしれませんが、日本では「個別最適な学び」が教師目線で語られることが多いのに対して、本書は一貫して生徒主体で書かれています。)

●「学校」という枠だと、授業時間やテストの点数、教科書などを考え始めてしまい、生徒のことを考えなくなる

本書はリトキーがthe Metropolitan Regional Career and Technical Center MET)で行った「一人ひとりを大切にする」教育実践が書かれた本ですが、ポイントはMETが「高校」や「学校」という枠組みが当てはめられていない点です。このことは2022619日の「PLC便り」で吉田さんも指摘していましたが、実際、本書の中でもリトキーは次のように書いています。

「高校」という枠に当てはめて考えるのが好きではありません。「高校」という枠にあてはめてしまうと、授業時間やテストの点数、時間割、成績表、教科書、特別支援教育、英才教育などを考え始めてしまい、生徒のことをすぐに考えなくなるからです。

その上で、リトキーは「私たちが考えるべきなのは生徒のこと」であることを強調しています。私たち教師にとって当たり前であるべきことが、私たちはできているのでしょうか? そして、リトキーは次のように私たちに学校のあり方について疑問を投げかけています。

もし、皆さんが学校のことではなく、生徒のことを真剣に考えるなら、どんな枠組みを用意するでしょうか?  

本書を通じて、皆さんと一緒にこのことを考えることができれば幸いです。そして、リトキーの教育に対する真摯な姿勢に触れ、よりよい学校づくりをしよう!と改めて思っていただければうれしいです!

★『「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実』は、

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/senseiouen/mext_01317.htmlで読めます。どなたか、これとデニス・リトキー著『一人ひとりを大切にする学校』を比較してみませんか? 何は同じ/似ていて、何は違うのかを。

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