同僚性が学校の成功にとって重要な要因であるという意見はよく聞かれます。近年、学校は一つのチームとなって、組織で対応すべしという考え方は強くなっています。今の学校は、同僚性があり、教員同士が高め合える場になっているでしょうか。
私の周辺の校長や教員に話を聞く限りでは、あまりうまくいっているようには思えません。むしろ、同調圧力が強くなり、ものを言いにくい雰囲気がでてきていたり、権威主義的なリーダーシップが横行していたりする学校もまだまだあるようです。
教員の同僚性については、「教科指導や生徒指導など、本来の職務についても多忙感を抱く教員が多く、その結果、教員間で支え合い、協働する力(同僚性)が希薄になっているという指摘もある。」★1 と言われています。確かに、多忙化の中で、同僚性が生まれにくくなっているというのは、要因の一つかもしれませんが、もっと別の本質的な要因があるような気がします。
トーマス・ホア氏は学校リーダーについての著書の中で、一章まるごと割いて、同僚性について議論をしています。★2 その中で、ホア氏は、同僚性の5つの構成要素をあげています。
1 教師が生徒について共に話をしている。
2 教師がカリキュラムについて共に話をしている。
3 教師がお互いの授業を見合っている。
4 教師がお互いに教え合っている。
5 教師と管理職が共に学んでいる。
1から4は、程度の差はあれども、それなりに実現されているのだろうと思います。少なくとも、これらの要素の重要性は認識されていて、共有もされていると思います。
問題は五つ目ではないでしょうか。ここには、下位項目として次のようなものが挙げられています:
・教育に対する考え方(哲学)や学校のビジョンについて話をしている。
・ビジョンや目標について振り返っている。
・問題点や課題について、民主的に対応している。
・教員個々の専門性や役割による見方や考え方の違いについて議論している。
・会議や委員会などで、ともに過去を振り返り、将来のビジョンについて考えている。
これらの項目については、なんとも心もとない。あまり意識されてこなかったのではないかと思います。
最初の四つの項目と最後の一つとでは、どこに違いがあるのでしょうか。
学校づくりの主体者として、教員が、リスペクトされ、権限が移譲され、信頼されているのか。そこに違いがあるような気がするのですが、みなさんはどのように感じられたでしょうか。もちろん、これは生徒たちが主体者として尊重されているかということとも関係していると思います。
学校づくりにおいて、教員として、果たすべきこと、なすべきこと、それらについてはある程度の合意ができていると思います。
残されているのは、それらのことを主体者としてなそうとしているかどうかではないか。今一度、学校という職場の在り方をじっくりと考え直してみたいものです。
★1 文部科学省教員養成部会 教員免許制度ワーキンググループ配布資料「1 教員をめぐる現状」より
★2 Chapter 2 Promoting Collegiality(第2章 同僚性を高める), Thomas Hoer (2005) The Art of School Leadership, ASCD.
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