2022年1月29日土曜日

原子力とどう向き合うか

中学校理科の単元の一つに、「エネルギー資源とその利用」があります。

ここでは、限りあるエネルギー資源を有効に利用して、次の世代に引き継いでいくにはどのような考え方が必要なのかを学ぶ単元となります。その中で、原子力発電の長所・短所として、次のような説明があります。

(啓林館『未来へひろがるサイエンス3232ページより)

【長所】・少量の核燃料から大量のエネルギーが得られる。

    ・大量の電力を一定の割合で供給できる。

      ・発電時に二酸化炭素を排出しない。

【短所】・運転中の原子炉内の核燃料や、使用ずみ核燃料からは大量の放射線が発生する。核燃料は厳しい管理が必要である。

      ・事故時の影響が、広範囲かつ長期間にわたる。

  原子力発電に対する考え方は、「絶対反対」「条件付賛成(他の電源に代替可能になるまでは仕方なく使う)」「賛成」におおよそ色分けされると思います。温暖化対策のために、温暖化効果ガスを排出しない原発を利用しようという動きがEU内部でも出てきているようです。

 東日本大震災以前は、原子力発電に関しては、文部科学省などから出されていた副読本には原子力に関する常識が欠けている国民を正しい方向へ導こうという方向性が色濃く出されていたものでした。それが2011年の福島原発の事故により、全国の原発が稼働停止になった影響もあり、今日の理科の教科書では様々なエネルギーのリスクとベネフィットを両論併記の形で無難に扱おうという姿勢が見えます。

 このような問題を受けて、これからのエネルギー問題をどうするのか、議論をすることが求められることになります。それは本来国会の役割でもありますが、それ以前に将来の主権者である子どもたちの資質・能力の一つとして、小・中学校教育の義務教育(公教育)のなかで育てていくべきものでしょう。

 原子力については、國分功一郎さんの『原子力時代における哲学』(晶文社2019)に面白い文章がありました。(84-85ページ)

「原子力というのは管理し続けなければならない代物です。軽水炉だったら水を循環させて核燃料を冷やし続けなければ爆発してしまう。福島原発の事故も、電気が止まって核燃料を冷やせなくなったから起こったわけです。逆に言えば、人間は、管理し続けることさえできれば、この途方もないエネルギーが自分たちのものになると思い込んでいた。

 ハイデッガーはその思い込み、あるいは思い上がりに横やりを入れているのです。いや、管理し続けなければならないのは管理できていないということだ、と。」

ハイデッガーは原子爆弾がこの世界に誕生したころから、原子力の問題について考察していた哲学者でした。

 彼はその著書『放下』の中で、次のように述べています。

「私たちは、諸々の技術的な対象物の避けがたい使用ということに対しては「然り」と言うことができる。そしてそれらの技術的な対象物が私たちを独占しようと要求し、そのようにして私たちの本質を歪曲し、混乱させ、ついには荒廃させることを、私たちがそれらの対象物に拒否する限り、私たちは同時に「否」ということができる。」

 原子力という技術の利用は私たちの生活に役立つものであるから、それを技術的に利用することを拒否することはできないが、その結果それが私たちに莫大な被害をもたらすものであるのならば、それには「否」と言わなければならないと読むことが可能です。このあたりは解釈の難しいところかもしれませんが、一つ確実に言えることは、だれもがその技術がもたらすものについてよくよく考えなければいけないということです。科学者や技術者という専門家だけに任せておくと、「とんでもないことになる」わけです。

学校の理科教育においても、以前のように、人々の原子力に関する知識が足りないから、その知識を注入してやればいいというスタンスではこうした問題に対処できないということです。そのためには、「探究型」の授業を志向していく態度がすべての教師に求められることになります。その手がかりは、このブログのなかで見つかるはずです。

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