『たった一つを変えるだけ ~ クラスも教師も自立する「質問づくり」』(ダン・ロススタイン、ルース・サンタナ著)を読んで、早速、授業で実践したという兵庫県の小学校の先生の北元★さんが、実践報告を送ってくれたので紹介します。
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「子どもが問いをもち、主体的に追究していく学習を目指したい」とかねがね考えていました。しかし、教えたいこと(正確には、教えなければならないと誤解している教科書の内容)と、子どもたちのもつ問いがうまく嚙み合わないという中途半端なジレンマに悩み続けていました。
そんな折、偶然にふと目に留まったのが、本書です。『たった一つを変えるだけ』、一体何を変えるのかと興味をもちました。表紙や帯にある「自立」「民主主義」という言葉には、単なるハウツーではなく、教育の本質を語ってくれるのではないかという期待も抱きました。「質問づくり」には、家庭環境の格差に左右されない学習を保障するという理念も流れているように感じ、そこに共感をしました。
自分の世界観を変えてくれる本であり、謳い文句どおりの感覚も実感できたように思いますので、本の内容と拙い実践を報告させていただければと思います。
副題のとおり、「質問づくり」がこの学習活動の中心となります。「質問づくり」は、従来教師が行ってきた「発問づくり」に相当します。「発問」とは、教師が子どもに発する問いのことです。例えば5年の社会科なら「なぜ、こんなに苦労してまで耕地整理をしたのでしょうか?」というものです。教育界のいわゆる業界用語です。
本書の中でも指摘されているように、私のこれまで経験してきた研修でも、発問は非常に重要視されてきました。授業研究=主要発問の研究といってもいいくらいです。特に、勤務する市の研修では、どのタイミングで、どのようなフレーズを用い、どのような口調で発問をするかまで、入念に検討されることが多かったです。発問が子どもの思考活動を方向づけるからだと理解しています。そのような発問研究が教師を疲弊させるという本書の指摘もうなずけるものでした。
「質問づくり」は、子どもの思考活動を発動させるために教師が四苦八苦してきた「発問」を子どもたち自身が、自らに問うものとしてつくる活動だと理解しました。
本書では、「質問づくり」の過程と活用の仕方が、事例とともに分かりやすく書かれています。それぞれのステップが、子どもたちにとってなぜ必要なのか、その意義も説明されており、納得して実践にうつすことができました。子どもの「自立」のための教師の役割・立ち位置も明確に述べられています。自立や民主主義を体現するために必要な、「ルール」についても定められています。
「質問づくり」において、最も重要なことは「質問の焦点」を決めることです。「質問の焦点」は、子どもたちに学んでほしいことをもとに、教師が決めます。「質問の焦点」の良しあしが、子どもたちの学習を主体的にするか、自立的にするか、深い学びに誘うことができるかに、大きく影響します。本書でも、「質問の焦点」の言葉を変えたことによって、学習の質が高まった事例が紹介されています。
私は1学期、小学校5年と6年の理科で、質問づくりを実践してみました。(理科が専門の教師ではありません。)「質問の焦点」づくりには、頭を悩ませましたが、発問のように苦しくはありませんでした。毎時間の授業の問いを考えなくてよいという気楽さがあったのかもしれません。
1学期に「質問づくり」を実施した単元と「質問の焦点」は、以下のとおりです。
学年『単元名』 |
質問の焦点 |
5年『ヒトのたんじょう』 |
「おなかの中の受精卵」 |
5年『台風と気象情報』 |
「台風の動きと天気」 |
6年『ヒトや動物の体』 |
「食べ物のゆくえ」 「ヒトは呼吸する~酸素を取り入れ、二酸化炭素を出す~」 「血液は心臓から送り出され、心臓にもどる」 |
6年『植物のつくりとはたらき』 |
「植物が根から取り入れた水」 「植物には、根・くき・葉がある」 |
*使用教科書 啓林館 わくわく理科
<問題意識の耕しが必要>
いくら、「質問の焦点」に頭をひねって、「これなら食いついてくれるだろう」と、いきなり焦点となる言葉だけを提示しても、子供は、本当に主体的になりませんでした。これは「食べ物のゆくえ」のところで痛感しました。実験や体験、観察、資料の提示、予想するなど、子どもたちがある程度教材に触れて、問題意識が耕されてから提示すると、グループでの質問づくりも活発だったように感じました。もちろん、この活動に対する慣れも働いたと思います。
<質問づくりの意義を納得することが必要>
私にとっても、子どもたちにとっても、質問づくりは初めてでした。子どもたちによると、これまで課題づくりの経験が少ない、ということでした。受け身的な授業が多かったようです。そんな子どもたちに、なぜ質問づくりをしなければならないか、一番最初の時間は、こちらも緊張しました。「連れて行ってもらった道と、自分で調べたり尋ねたりしながら歩いた道、2回目ひとりで行けるのはどっちかな。」などと言いながら、「とにかく、やってみよう。やってからおいしいか、まずいか決めよう。」と、腰の重そうな子どもたちを励ましてみました。
質問づくりのルールを知った後は、グループで質問をできるだけたくさん出す段階があります。こちらの「質問の焦点」を出すタイミングと質の問題もあり、最初は何を質問してよいのか分からないグループも半分くらいはありました。5年生は特に、「先生が指示さえしてくれれば、その通りにするのに、なんで自分たちで考えさせるの!」という空気もありましたので、「とにかくベストを尽くせばいい。いい質問やいい活動をしようとしなくていい。最終的に質問がゼロでも、あきらめずに時間いっぱいは考えよう。」と、励ましてみました。すると集中して頑張りました。予想以上に響いたのが不思議でした。
できるだけたくさんの質問を考えた後は、質問の変換をします。閉じた質問(はい・いいえで答えられる問い)を開いた質問(答えが多様)に。開いた質問を閉じた質問に変換します。この操作の意味が、まだよく分からなかったのですが、子どもたちが質問を解決するのに行き詰っているときに、質問を再変換させることで解決の糸口が見えたことがありました。
質問づくりの最後は、優先順位をつけて3つの大事な質問をグループで選ぶ活動です。そもそもの質問が少ないので、簡単に決まるチームもありました。4人チームだったため、一人ずつが選んだ一番大事な質問を、譲り合って選ぶというチームも多かったです。民主的ともとらえられますし、質問の焦点を解き明かすために本当に必要な質問という視点に欠けた選び方ともとれます。どのような選び方がよいのか、2学期は一度考えてもらおうと思います。
大事な3つの質問を選んだあとは、調べ学習を行いました。本市では4月より一人一台のタブレットが導入されたので、インターネットを使った調べる子どもがほとんどでした。教科書の内容も理解させたいという気持ちも強く働き、教科書も資料として必ず目を通してから他の調べ方をするように声をかけてしまいました。「NHK for school」の動画やクリップを活用している子どももいました。これまでだと、教師の用意した動画を一斉に視聴していましたが、自分たちのこだわる角度で、自分で選んで視聴できたのは、情報の選択と活用の経験になったのでよかったと思います。
子どもたちの選んだ問いにはユニークなものもありました。中には、単元の目標・教科書の内容と一見つながらないものも一つや二つではありませんでした。これまでの私は、そのような問いが生まれないように前もって活動を仕組んだり、疑問を修正するように誘導したりしていましたが、「質問づくり」では、教師が注文をつけてはいけない、と理解したので、好きなようにさせていました。個々のカンファレンスの中で、教科書の内容と結びつけるような働きかけもしましたが、その子の心には響かないようでした。
ある6年の女子が消化の学習でつくったのが「就寝前に食べてよいものは何か」という質問でした。どうやら就寝前のおやつがやめられないが、自分のスタイルやダイエットを気にしているので生じた質問のようです。その子にとっては、自分事の質問であり、解決したときには、とてもうれしそうでした。
いわゆる学力の低いといわれている彼女は、質問づくりの学習の楽しさを味わえたのか、その後も意欲的に調べ、血液の流れの学習では、肺胞の働きをみんなに説明することもありました。しかし、テストでは期待していた力を発揮できませんでした。表面的には分かりませんが、彼女は「質問づくり」の学習に失望も覚えたのではないかと危惧しています。
もちろん、これは「質問づくり」が悪いことを意味するものではありません。理科のテストは、学年が採用している業者テストを行わずに、自作問題を用いたのですが、出題が教科書の内容理解のテストの域を超えられていなかったものと思われます。
・評価とは何か。
・テストで評価できることは何か。
・テストの仕方に工夫ができないか。
・理科学習の本当のねらいは何か。どんな概念を身に付けてもらいたいのか。
・教科書とどう付き合えばいいのか。
私自身の教育観・授業観を再構築し直す必要があります。単なる教科書の内容を教えるための「質問づくり」であれば、従来のやり方の方がましかもしれません。
「質問づくり」をしたことで、自然現象を見る目が変わってきた。見える世界が違ってきたという実感をもてたとき、「質問づくり」の意味を子どもたちは見いだせると思います。
<主体的な学習と深い学び>
質問づくりが面白い、という子どももいました。その子どもは「?➡!➡?➡!➡?➡…」サイクルを、どんどん自分で回していくことができるのです。
私の目標は、自立して学ぶ子どもを育てることです。私のイメージする「自立して学ぶ子」とは、自分で問いを見つけ、ときには一人で、あるときは仲間の力を求めながら、あるいは、自分が助け舟となりながら、自ら解決に向けて探究していく子どもです。その過程で、自分の見方・考え方を見直し、再構築していく子どもです。
質問づくりは、チームで課題に取り組むので、各自の責任や役割、協調性や助け合いが自ずと生まれる学習だと思いました。これは、実社会の中で必要とされる能力でもあると思います。したがってこれからも続けていきたい手法です。
しかし、注意しなければいけないのは、それが形式化・パターン化しないことだと感じました。質問づくりさえしていれば、子どもに学びが生まれると思うのは間違いだと思います。
最終的に学んでほしいことへ歩むための手段の一つに過ぎない、と考える必要があると思いました。
どこで、どのように、何をねらいとするかに応じて、縦横無尽に変貌自在に「質問づくり」を取り入れたいと思います。
★ 北元先生の自己紹介は、「兵庫県の公立小学校教員。今年の3月、偶然図書館で目にした『オープニングマインド~子どもの心をひらく授業~』に、考え直し学ばされることが多く、吉田新一郎氏の訳読本や著書を読み始めた。子どもが本気で主体的に学ぶ授業をすることが、ここ数年来の課題であり目標」です。
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