2020年11月29日日曜日

イノベーション、そして気候変動問題

まず、『イノベーションはいかに起こすか』(坂村健・NHK出版新書2020)を紹介します。この本の冒頭に次のような一節があります。

 

「イノベーション(Innovation)」は日本語に訳しにくいが、元々はオーストリアの経済学者ヨーゼフ・シュンペーターが1911年に言い出したとされる言葉で、その意味するところは「経済活動において利益を生むための差を新たにつくる行為」ということだ。

経済学では、理想の市場においては、競争原理により価格は限りなく原価に近づき、利益はいずれ最小になると考えられていた。しかし実際にはそうならない。なぜかということで、シュンペーターは何らかの「差」が新たに生まれ続けることで、市場がリセットされ、利益も生まれ続けるのだと考えた。そしてその要因に「イノベーション」と名付けた。利益を生みさえするなら、その「差」は新しい技術で性能が上がったことによるものでも、原料の調達先を変えて価格を下げたことによるものでも、なんでもいい。

ところが、我が国で「イノベーション」といえば、1958年の経済白書で「技術革新」と訳したことをはじめ、意味を狭めて長らく使われていた。何か新技術によるものだけでなければイノベーションではないと思いこまれてしまったのだ。しかしネット社会が我が国でも進展し始めた2007年になって、経済白書も新しいビジネスモデルなどに注目し、本来の意味に戻ったというべきか、広い意味での革新に注目し始めたようである。

 

こんな経緯があったのかと今更ながらに思うわけですが、こうしたイノベーションがなかなか起きなかったところに今日の我が国の経済の衰退(衰退と考えている人も少ないかもしれませんが)、及び教育におけるICT化の遅れなどにも大きな影響を与えているのだと思います。

ところで、イノベーションで一つ思い出したことがあります。ここでのイノベーションは狭義の「技術革新」の方です。

何を思い出したかというと、気候変動について、もう本気で私たちが考えなければいけない、「ポイント・オブ・ノーリターン(以前の状態に戻れなくなる地点)」が目の前まで来ているということです。今まで、環境保護やリサイクル運動、あるいは技術革新による二酸化炭素の削減等、こうしたことに取り組めば何とか地球の生態系は維持されるのではないかと私も考えていました。

しかし最近、『人新世の「資本論」』(斎藤幸平・集英社新書2020)を読んで間違いであることに気づかされました。「経済成長」という旗を掲げたままでは、エネルギー消費量は抑制できず、結果として地球上の平均気温の上昇を抑えることができないということです。それでは、「成長」なしに人間は生きていくことができるかという大きな問題にぶつかることになります。その点に関しては、著者はマルクスの『資本論』に学ぶことで解決のヒントが得られるのではないかと提言しています。

(『資本論』は第1巻のみマルクスの手で出版されましたが、その後彼が亡くなってしまったため第2,3巻の編纂は盟友のエンゲルスの手によるものだそうです。マルクスの残した膨大な「研究ノート」を含めて、新たに国際的な全集発刊のプロジェクトがスタートしているようです。)

詳しくは、先ほどの本を読んでいただくことにして、ここで一つ付け足しておきたいことは、次のことです。最近、SDGsが教育分野でも盛んに語られるようになりました。

「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals)は、2015年の国連総会で採択され、経済成長、貧困、人権、気候変動、教育(識字率)など17の目標の達成を目指したものです。そして、これが持続可能な経済成長のあり方として、「最後の砦」の旗印となっているということです。そこのところを同書から引用します。(61ページ)

 

例えば、イギリスや韓国を含む七ヶ国によって設置された「経済と気候に関するグローバル委員会」は、「ニュー・クライメイト・エコノミー・レポート」を発行している。そのなかで、「急速な技術革新、持続可能なインフラ投資、そして資源生産性の増大といった要素の相互作用によって、持続可能な成長は推し進められる」とまとめ、SDGsを高く評価している。そして、「私たちは、経済成長の新時代に突入している」と謳いあげた。エリートたちが集う国際組織において、気候変動対策が新たな経済成長の「チャンス」とみなされているのが、はっきりわかるだろう。

 

「成長」を前提としたこのような施策を続ける限り、二酸化炭素排出量は地球全体としては削減できないでしょうし、地球の限界と相いれるものかどうかが疑問なのです。先ほど教育分野においてもこのSDGsを積極的に取り入れようという動きがあることに触れましたが、このあたりのことを深く考えておかないと、とんだお先棒を担がされることになりかねません。本物の「深い学び」とはこうしたところまで考えることを指すのではないでしょうか。富裕層を中心にした現在の新自由主義(自己責任論と格差是認)に支えられた資本主義が追求するのはどこまでいっても利潤です。そのためには、目下の危機から目を背けさせるSDGsが政府や企業のアリバイづくりにしか過ぎない面があることを見抜く目や感性が大切なことを確認し、多くの人々が現実を直視できるようにしていかなければならないということです。

問題解決のための処方箋は簡単にはできません。前回取り上げた「集中から分散へ」という考え方も必要ですし、様々な視点からの検討が求められるものと思います。学校においても、「総合的な学習の時間」や教科横断的な取組のなかで、「いま地球にある危機」を子どもたちと共に考えていければと思います。(日本は二酸化炭素排出量が世界で5番目に多い国です。)


併せて、科学技術と社会のあり方を問うような取組が教育のなかでも積極的に進めていかなければいけないと思います。それは、このコロナ禍の様々な出来事や原子力、エネルギー政策に対する考え方を見ていて痛感するところです。このような科学技術と社会のあり方に関しては、『解放されたゴーレム』(ちくま学芸文庫2020.11)を読んでいただくことをお勧めします。

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